200X年 日本
葛城ミサト宅前 02:00
深夜のマンション。
ドアの前にひっそりと佇む人影が一つ。
「……こちらブルーウェーブ。目的地に到着。指示を」
ブルーウェーブと名乗った少女は綾波レイ。
その姿はいつもの制服ではなかった。
プラグスーツだ。
ただし、この時のために用意した、黒くリペイントしたプラグスーツ。
見事なまでに闇夜に溶け込んでいる。
「こちらスノー。すでにドアのロックはこちらで解除済み。なるべく音を立てないよう慎重に開けるべき」
レイが頭部に装着しているのは無線インカム。
そこから聴こえる「スノー」という女性の声。
その正体は有能過ぎるほどに有能な彼女の妹、長門有希。
雰囲気を出すためという事で、レイがコードネームを考えたのだ。
それはともかく、今回の任務において、彼女ほど頼れるサポーターはいないだろう。
「了解」
そう短く答えると、はやる気持ちを抑え、レイはゆっくりとドアノブを回す。
スタートのここで失敗するわけにはいかない。
今の彼女の頭の中は、いかに静かにドアノブを回すかという事と、
この日のために耐えてきた厳しい訓練の数々でいっぱいだった。
すべてはこの日のため。
「……潜入に成功」
「よく聞いて。今現在彼の家は同居人の葛城ミサトの私物で溢れ返っている。
物音を立てないように注意して。空いたダンボールを活用するという手段もある。
また、移動にはほふく前進を推奨する」
「……了解」
ゆっくりとドアを戻し、再び部屋の中が暗闇に染まりきったところで
彼女の目の前に広がったのは乱雑に置かれたダンボールや衣類の数々。
碇シンジから聞いてはいたが、ここまでのものとは。
彼が暇を見つけては片付けているというのに、この散らかり様。
恐らく今夜脱ぎ捨てたばかりであろうジャケットや、ビールの空き缶、つまみのチー鱈の空き袋まで。
さすがの綾波もこれには呆気に取られてしまう。
しかしこんな所で時間を潰している訳にはいかない。
すぐさまほふく前進の体勢をとり、速やかにターゲット目指して進みだす。
「う~……変な時間に呑むと堪えるわね……目が覚めるなんて……」
永遠かとも思えた静寂を止めたのは、この部屋の住人、葛城ミサトだった。
「!!」
思わずビクリとする綾波。
だが訓練の賜物か、すぐ近くの物置部屋に隠れる。
情報は全て入手済みだ。
この物置部屋は以前はアスカが使っていたものの、涼宮ハルヒと暮らすようになり
物置部屋として使われ、それ以来この部屋に出入りするような人間は掃除をすすんでする
碇シンジぐらいなものだ。
「うぇっ……明日大丈夫かな……」
そう言いながら、おぼつかない足取りで洗面所へと向かうミサト。
「……ウエストバッグにあるアレを」
それを聞いたのか、インカムの向こうから聞こえてきたのは妹の声。
まさに天の助けと言えたかも知れない。
レイは音も立てずにバッグから小さなビンを取り出した。
ソ●マック
その小さなビンを握り締め、綾波は洗面所の様子を伺う。
この洗面所の前を通り過ぎない事にはターゲットには辿り着けない。
幸い今は寝ぼけ眼で歯を磨いているようだ。
それを確認すると、おもむろに近くにあった空いたダンボールを被り、洗面所のすぐ前にビンを置き……
一気に前進した。
「……ん? なんの音かしら……?」
後ろから酔いどれ三十路前の女の声が聴こえたが、
次の瞬間には
「あれ? こんな所に胃腸薬が……」
こんな事もあろうかと用意していた道具が役に立つとは。
向こうは完全に胃腸薬に意識が移った。
「(計画通り……っ!!)」
心の中でほくそえむ。
もちろん顔は無表情。
足も止めることはない。
そしてついに……目標の部屋に辿り着いた。
ここまで来ればもう逃げ帰る事も諦める事もできない。
あとは任務を達成するほかない。
ドアを無音で開けるのも慣れたものだ。
そしてレイが目にしたものは……。
ベッドで安らかな寝息をたてている少年。
碇シンジ。
彼こそが今回の任務の目標。
「(ここが碇君の部屋……)」
ゆっくりドアを閉め、ダンボールを脱ぎ捨て、周りを見渡す。
簡素ではあるが生活感がない訳でもない。
いたって普通な部屋だ。
制服に私服、教科書類にカバン、漫画や雑誌など、
年相応の中学生の部屋。
「(ついにここまで来たのね……)」
胸いっぱいに部屋の空気を感じたいところではあったが、
今は何よりも任務が最優先。
任務が成功すれば、この部屋にだって気兼ねなくいつだって来れる。
既成事実があればどうとでもなるのだから……。
一つ深呼吸をして、綾波レイはプラグスーツを脱いだ。
そして彼のベッドへ・……。
翌朝。
日曜でありながら、平日と同じ時間に鳴り響く目覚し時計。
「うん……ん~~っ……」
シンジはまだ目覚めきっていない手で目覚し時計のスイッチを押す。
が、自分が押すより前にベルは止まった。
「ふぇ……?」
開こうとしない瞼を強引に開き、自分の手元を確認するシンジ。
そこには自分ではない、透き通るような白くしなやかな手が時計のベルを止めていた。
「おはよう、碇君……」
「あっ綾波!」
当たり前のように挨拶をする少女に対し、シンジは心臓が止まるほどの衝撃を感じた。
それもそうだ。
同棲してる訳でもなく、昨晩泊めた覚えもない。
というか、そもそも昨日我が家に来た覚えもない。
なのに何故? そして何故裸なのか?
「あqwせdrftgyあやなみlp;::「」
もはや言葉にならない言葉を発するシンジ。
そこに
「ゆうべはおたのしみでしたね」
ニヤニヤとやらしい笑みを浮かべてドアの隙間から覗くミサト。
「こんな時、どんな顔をすればいいかわからないの……」
頬を染めながらそうのたまうレイ。
「わっ、笑えば……って笑えないよ!! なんなのさこれ!?」
「(任務成功)」
再び心の中でほくそえむ。
今度はうっすらと微笑を浮かべて。
そしてその日の午後。
「で、朝帰りですか。しかもシンジさんの所で。年頃の女の子が」
決して声を荒げる事無く、淡々と事実を突きつけるその声の主はホシノ・ルリ。
彼女もまた、レイの大切な妹だ。
「……」
ここはレイと有希とルリの住まう家。
今朝方、「任務」を完了したレイはこっそりと家に戻ったのだ。
半ば放心状態のシンジはミサトに任せて。
そして任務の時と同様、慎重に、ゆっくりとドアを回したのだが……。
そこにいたのはいつものように無表情で待ち受けているルリだった。
そして今、リビングでレイは正座している。
目の前にはソファーに座るルリ。
ちなみにもう一人の妹はすぐ近くで読書中だ。
「出かけるんだったら一言言ってください。まぁ、真夜中に出かけるなんて言っても無理ですけど」
いつも通りの落ち着いた物言いが今日はやけに痛い。
これなら隣の三姉妹のごとく、テンションに任せて言いたい放題言ってくれた方がまだ楽かも知れない。
いや、それも嫌だけど。
そんな事を考えていると、
「聞いてますか? レイ姉」
すかさずルリからピシャリと言い放たれる。
今日はルリの好きなハンバーガーでも買って来てあげよう、自分のために。
そう思うレイであった。