ああ、たまに聞かれるよ。人間でアステリアの神官になった理由、か。
さあね、女神が何を考えてらっしゃるのか。たまには人間の男も悪くないって思ったんじゃないか?
……元々、役者やってたって言えば、だいたい納得してもらえるかな。ゲージュツ系にはそこそこアステリアのファンがいるだろ?
あと、俺、こう見えて半分はエルフなんだよ。お袋は別に神官とかじゃないけどね。
けど、まあ、そのあたりは後付けの理屈だな。
んー……。
もちろん、生きていれば、後悔っていうのは数限りなくあるわけだ。
元々は、それと付き合っていく方法、かな。信仰っていうのは。
「いいよな、兄貴は。のんびり生きてられてよ」
「俺はあんたとは違うんだよ」
「いちいち口出しすんなよ、関係ねーだろ!」
まったく、始末に負えないほどガキだったね。
昔の俺のためにちょっとだけ弁護させてもらえば、兄貴の成長が緩やかになって、俺のほうが追い越していくの実感したころでさ。きっついよあれは、実際。
まあ、言い訳にならないね。兄貴はなんにも悪くないんだし。親父やお袋にも、辛い思いさせちまったと思ってるよ。
兄貴も最初のうちは黙ってたけど、繰り返してたらそりゃ切れるよね。何度も大喧嘩になった。物は飛ぶわ、お袋は泣くわ、近所でヒソヒソ言われるわ……。あー、ほんと悪かったと思ってるよ。
でもまあ、それだけなら若気の至り、なんだけどね。
そもそも、親父とお袋は駆け落ちみたいな形で結ばれたらしい。どっちの実家もよく知らない。親父はそこそこいい家の出だったらしいけど。
跡取り息子が他種族に惚れたってんで揉めたんだろうな。厳しいとこは厳しいらしいし、そういうの。
で、そんなわけで二人は手に手を取って故郷を離れ、ミラボアの一都市――ティルスティアルに住み付いた。親父には商才ってやつがあったらしくて、商売始めても優秀なもんだった。実家の縁とかないわりに、裕福なんだよ、うち。
つまり俺は、小金持ちの次男のドラ息子だったわけだ。これが芝居なら、鬱陶しい恋仇って役どころだね。
一方で兄貴は、実にいい奴で。素直で、明るくて、優しくて、親孝行で、でもそういうところが嫌味でもないんだよ。結構悪ふざけもしたしな。それで友達も多くて……。
まあ、そんなんだ。出来の悪い弟の気持ちも想像つくだろ?
でも、そういう気持ちがきっかけかもな、役者なんて目指したのは。
違う自分になれるとかじゃないよ。役者ってシビアで、自分自身を磨いていかなきゃ出来やしない。ただ、舞台の上じゃ、俺は俺だ。その時、その舞台で、その役をやってるのは俺しかいないんだ。
緊張と、真逆の開放感。役者に集中できたのも、兄貴への気持ちがあったからこそ、と言えなくもないな。
うん、悪く言えば逃避だけどね。家出同然に出てきて、劇団に入ったわけだし。でも、逃避とか嫉妬っていうのは、そういう風にバネにもなる。だから、それ自体が悪いことだったとは思わない。あの頃の俺は馬鹿だったとは思うけど、それが致命的だとは思わない。
俺が今も後悔してるのは、もっと、こう、色々混ざってるんだが……。
その兄貴が、仲直りもできないまま死んじまったんだ。
知らせを受け取ったのは、珍しく名前のある役をもらって、稽古に入ったばかりの時だった。
そりゃ、びっくりしたよ。思ってもみなかったからな。でも……。
うん、逃げてきた相手だからな。結局、向き合うのが怖かった、っていうかな。理屈はいくらでもつけられるけど。
まあ、つまり、帰らなかったんだ。公演が終わるまで。
プロの役者としては、それも当然だとは思うよ。でも、何があっても舞台に穴を開けないとか、そういうのじゃないからな、動機。
ただ、何も考えないようにしてたからかな。俺の仕上がりは上々で。演出家に褒められたのなんて、初めてだったよ。
でも、舞台には必ず幕が下りる。公演は終わる。そうして、時間が出来たら、俺は兄貴の弔いに帰らなきゃいけない。
この事態を回避するのにいい方法がある。公演が終わる前に、他の公演への参加を決めてしまう手だ。
これが成功してしまった。別の劇団の芝居に、端役でいいから客演させろって言って強引に滑り込んだんだけど、これもまた好評だった。何度かそんなことやってたら、いくらか名前も売れてきた。
でも――もちろん、逃走劇にだって終わりはある。
ついに時間ができてしまった。どうも、親父が劇団長に手紙書いたらしいんだけど。あー……ほんとあちこちに迷惑と心配かけてたんだな俺。
もう、ほんと、嫌々家に帰ったよ。
帰ってから知った。兄貴が死んだ、って知らせを俺が最初に受け取った当時、実は兄貴の生死ははっきりしてなかった。
といっても、まあほとんど確実……同じ事件に巻き込まれた生き残りから、証言は取れてたらしいから。
はっきりしなかった、ってのは、遺体がなかったから。それがどういうことかって……んー、その。兄貴が遭った相手ってのが、いわゆる悪の操霊術師だったからさ。で、行方不明。
でも、俺が家に帰ったころには、もうちょっと事態が進んでた。
……一応、マシな結果だったんじゃないかな。見つけた時には、誰かに撃たれて、動かなくなってたっていうから……。
まあ、そんなことがあったわけだ。目を背けてた事態を目の当たりにして、もう、ほんっと落ち込んだ。そりゃもう、後悔なんてもんじゃなかったよ。親父もお袋も案外落ち着いてたから、余計にね。
で、当然だけど、家にいるともうそこら中が兄貴の思い出ばっかりなんだよ、それも喧嘩した時に壁についた傷とかね。きついきつい。
結局、またすぐ劇団に戻った。また新しい舞台に立って……俺の日常が戻ってきた。心の中はともかくね。
舞台に立ってれば、全部忘れられる。だけど、逃避と嫉妬っていう両車輪で進んでいたレウィルって役者は、片方の車輪を失って、ぐるぐるその場を回ってるだけになった。
俺に限らず、よくあることだけどね。表現者っていうのは、停滞と解放を繰り返す生き物だから。
きっと、新しい車輪を作って、先に行くことだってできたんだろうな。
――だが、そんな時。迷える青年の前に、運命の女が現れたのさ。
神の声、っていうけど。言葉っていうより、抱きしめられるような感覚だったな。いわゆるトランス状態でのことだから、説明しにくいんだけど。
それで神官になったわけだけど、どうなんだろうね? いい役者が増えたほうが、アステリアの御心には叶ったのかもしれないな。
でも、まあ、これはこれで楽しんで下さるだろう。
この世は舞台、生きとし生けるものは全て役者。
だから、どんな醜い感情も、取り返しのつかない後悔も、否定せずに生きていけばいい。
女神はきっとご笑覧くださる。
……その横で、兄貴が笑ってればいいな、ってのはまあ、ちょっと夢見すぎだけどね。
最終更新:2011年12月25日 03:52