『レモニーカクテル』

「やあ、一人?」
 馴れ馴れしげに声をかけてきたのは、若い人間の男性。
「はあ。一人ですが」
「隣に座ってもいいかい?」
「まあ、空いているようですが」
 経験上、こういう輩に応対してしまうと、たいていつまらない話を延々聞かされるのだけなのだが、角を立てずに無視をするのも、案外難しい。
 どうしてもしつこい時は、とりあえず投げれば一応の解決は見るのだが、店に迷惑をかけるのは本意ではないし。
「マスター、彼女にカクテルを」男が言う。
「いただく理由がありませんが」
「いいっていいって。一杯奢らせてよ」
 奢りというものは、一見奢られた側が得をするようで、実は奢る側が得をする、ようでいて、実際に本当に得をするのは店だけなのではないだろうかと思う。
 バーのマスターは、プロフェッショナルの動作で酒をシェイクし、グラスに注ぎ、薄切りの果実を添えて、私の前に置いた。
「乾杯。素敵な出会いに」
「……はあ」
 一応、グラスは合わせておく。お酒は普通においしい。
「ルーンフォークだよね。どこかのお屋敷にお仕えしてるの?」
「いえ。所用あって、旅の途中です」
 ご主人様を探しています、などと言うとロクなことにならない。
「旅か、いいねえ。ほら、最近飛行船もよく飛ぶようになったっていうじゃないか。ああいう旅は優雅で楽しそうだね。乗ったことあるかい?」
「いえ」
「そうかー、残念だな。僕もないんだけどね」
 何がおかしいのか、声をあげて笑う。
 しかし、いつも思うのだが、こういった人々は何を思って私に声をかけるのだろうか。ルーンフォークを口説いたところで、何の発展性も生まれないと思うのだが。
「空を飛ばない、普通の船なら乗ったことがあるよ。河を下ってね……」
 彼は自分の話をし始めたようだ。こうなると、後は適当に相槌を打って聞いている風にしておけば、この手の人物は満足するものらしい。話の内容を聞く必要もないだろう。
 グラスの中身は、あと半分ほど。これがなくなったら席を立とう。
「――で、その街が綺麗で。広場はけっこう賑わってて……」
 仕える相手を見つけるなら、聞く必要のある話をしてくれる相手がいいとは思うが、それはそれで面倒かもしれない。人の話を聞くのは、あまり好きではない。
 ルーンフォークには世話好きが多いというが、私はどうも、他人のことを考えるのがあまり得意ではないようだ。相手の満足度という形のないものに対して、もう一つ達成感が湧かないのだ。
 こんな性格だから、おそらく一般的に、人に仕えることには向いていない――と、最近になって気付き始めた。
 気が付けば、稼働を始めてから二十年近い。同時期に生まれた個体は、皆それぞれ仕える主人を見つけている。彼らにも、里の長老にも心配されているような気配があるので、落ち着く場所は見つけたいのだが。
 いや――実のところ、私自身はそうも思っていないのかもしれない。席を温めてしまうことに、不安がある。そこから離れられなくなりそうで。
 この街では、短期間、給仕の仕事をやっていたが、それも昨日辞めた。特に不満があったわけではない。ただ、そう――もう少しいい仕事がないかと、思ってしまうのだ。
 まあ、それで給料を受け取ったばかりなので、そこそこ懐は暖かい。一息つこうと飲みに来たのだが……。
「ところで君、今日の宿は? よかったら……」
「いえ、取ってありますので」
 あまり息はつけていない。
「ごちそうさまでした。それでは」
 席を立って一礼し、店を出た。奢りの一杯の前にも飲んでいたのだが、あまり酔えなかった気がする。味はよかったのだが。
 周囲に人がいると、警戒心が先に立って、酒類の分解を早めてしまうのだろうか。
「さて……」
 宿に向かって歩きながら、考える。明日はどうしよう。そろそろこの街も発とうか。
 そういえば、さっきの彼が、河沿いにある街の話をしていたっけ。内容はロクに聞いていなかったが、ここからそう遠くでもないようだった。そちらへ行ってみるのもいいだろうか。
 街の名前はなんだったか?
 そう、確か――エーデルシュタイン。




最終更新:2012年02月24日 06:20