――イングランド南東部 ドーヴァー上空16500フィート 錬金戦団所有小型旅客機内
「オイ、まだ着かねえのかよ。もうかれこれ十五時間以上は乗ってんぞ」
リクライニングシートを目一杯倒し、前の座席に脚を乗せた火渡が独り言のように毒づく。
「もうすぐだから我慢しなよ。ね? ドーヴァー海峡を渡って、イギリスに入ったみたいだし。
イングランド南部にある戦団の飛行場に着陸するんだって」
千歳が仕様が無くなだめるが、離陸して三時間を過ぎた辺りから三十分に一度は『まだか』と
せっつかれ、彼女も内心辟易していた。
機内には三人以外乗客はおらず、窓側から防人、千歳、火渡と並んで座っている為、
自然と火渡の文句を引き受ける役目は千歳になってしまう。
そんな千歳の気持ちも知らず、火渡は前の座席をガンガンと蹴り飛ばし、しつこく彼女に絡み続ける。
「ったく、やってらんねえぜ。大体、何で飛行機なんだよ。お前のヘルメスドライブでパパッと
瞬間移動すりゃいい話だろが」
「だってヘルメスドライブは知ってる人の所にしか瞬間移動出来ないし……。それに運べる重量は
私を含めて100kgまでだし……」
「ケッ。ホント使えねーな、お前」
「そ、そんなぁ……」
半ベソでションボリとうなだれる千歳。それを見かねて、千歳を挟んで窓側にいる防人が
助け舟を出した。
「いい加減にしろよ、火渡。時間が掛かってるのは千歳が悪い訳じゃないだろう。それに疲れてるのは
皆同じなんだぞ」
「ハイハイハイハイ、俺が悪うございましたよ」
火渡はあさっての方向に顔を向け、小憎たらしく謝る。
「……ありがとう、防人君」
潤んだ眼を手で擦りながら、千歳は防人に微笑んだ。
「い、いや……別に……」
最近、ふとした瞬間に異性としての彼女を意識してしまう。
まだまだ仕草から子供っぽさは抜けないが、あと一年程で二十歳になる彼女の表情は、昔の面影を
残しながらも大人の女性の物となっていた。
「防人君……?」
防人と千歳は、つい無言で見つめ合ってしまった。今のこの状況を忘れて。
「はいラブコメ禁止ラブコメ禁止ラブコメ禁止」
聞こえよがしの火渡の呟きに、二人は慌てて視線を外した。
千歳はこの微妙な空気を打ち消す為、二人に向かってまったく脈絡の無い話題を振る。
「そ、そういえばね! 訓練生に円山君って子がいるんだけど、この前やっと錬金の戦士として
認められて核鉄を受け取ったんだって。また仲間が増えるね」
あまり耳慣れない名前に防人は少し戸惑った。訓練生と言っても十人や二十人ではきかない。
「円山? ええっと……。ああ、あの……」
絶妙のタイミングで火渡が横から口を挟む。
「オカマ野郎な」
「ちょっと火渡君! ひどい事言わないで!」
千歳はまたも涙目で、火渡を頭と無く身体と無くポカポカと叩く。
「いてて! ホントの事だろーが!」
「ハハハ……」
二人のやり取りを見て、防人は思わず笑いを漏らす。
千歳は横目で防人の笑顔を見て、安心と同時に不安も覚える。
赤銅島の一件以来、防人は沈んだ顔つきで考え込む事が多くなってしまった。
時折、笑顔は見られるのだが、すぐにまた元の表情に戻ってしまうのだ。
そして常に自らの武装錬金であるシルバースキンを着込み、公式の場では『キャプテン・ブラボー』と
名乗っている。
一度、その真意を尋ねた事もあったが、「もう『防人衛』という名前は捨てる事にしたんだ」と
ニコリともせずに返されただけだった。
“防人君は、防人君なのに……”
やがて飛行機はその高度を更に下げ、着陸に備え始めた。
――イングランド南部 ウィルトシャー州ケンネット地方 錬金戦団私有飛行場
三人は飛行機を降りると、そのまま滑走路に立ち尽くしていた。
周りを見渡してみても整備員だけで、迎えの者が来ている様子は無い。
「坂口戦士長の話では、確か英国支部の戦団員が迎えに来てくれるはずなんだけど……」
千歳が不安げにそう言った矢先――
「やあ、皆さん! イングランドにようこそ!」
三人が振り向くと、一人の若者がブンブンと手を振りながら、満面の笑みで近づいてくる。
年の頃は二十歳そこそこだろうか。西洋人は日本人に比べて実際の年齢より老けて見えるというから、
もっと年下なのかもしれない。
身に着けている黒のスーツと黒のタイが似合わなくなる程の、人懐っこそうな笑顔。
おそらくコステロを気取っているのであろう黒縁眼鏡はどう見ても“生徒会長”だ。
そして、本当に戦団員かと怪しくなる幼さを残した快活ぶり。これもお国柄か。
三人の前に立った若者は、一応戦団員らしく気を付けの姿勢で型通りの挨拶をした。
「遅れて申し訳ありません。皆さん、はじめまして。
僕は錬金戦団大英帝国支部のジュリアン・パウエルです。どうぞ、よろしく」
口上は儀礼的だが、その笑顔は先程から変わっていない。
大きな丸い眼には未知の国から来訪した戦士達への興味がありありと浮かんでいる。
「楯山千歳です。よろしくね」
ジュリアンは差し出された千歳の手を取ると、手の甲に軽くキスをした。
「よろしく、千歳サン。すごくキレイな方ですネ。大戦士長がよく『日本女性は美人が多い』と
言ってたのは本当だったんだ。淑女(レディ)の国の我が英国女性も敵わないなぁ」
「や、やだ、もう……。お上手ね」
千歳は顔を真っ赤にして恥ずかしがりつつも、エヘヘと顔を緩ませた。満更でもない、どころか
言葉通りに受け取ってしまっている。
突然、千歳とジュリアンを遮るようにして、火渡が間に立ちはだかった。
そして鋭い眼つきで必要以上にジュリアンに顔を近づける。
いわゆる“ガンをくれる”というヤツだ。
「火渡赤馬」
巻き舌で無愛想にそう言うと、ジュリアンの手を力強く握る。
「よ、よろしく……火渡サン……。いててて!」
大袈裟に手を振って痛がるジュリアンに、防人が握手を求めた。
「大丈夫か? 俺はキャプテン・ブラボーだ。よろしく」
「え……?」
ジュリアンはなるべく言葉を選び、恐る恐る切り出す。
「……あ、あの、日本人ですよね? ブラボーサンは……」
防人は質問の意味には気づかず、至って当たり前に答えた。
「もちろん。何か?」
「い、いえ、何でもアリマセン……」
日本からやってきた錬金の戦士は、社交辞令を本気で受け取る純粋な女性戦士と
『トレインスポッティング』のロバート・カーライルみたいなチンピラ、
それにド派手なシルバーのコートと帽子で身を固めたアメコミヒーローマニアか。
“あの”大戦士長が気に入るくらいなのだから、やはり日本の戦士はどこか変わっている。
それが防人達を目の当たりにした、ジュリアンの正直な感想だった。
だが、彼が防人達に抱く興味はいささかも失われてはいない。むしろ、ますます膨れ上がっている。
それは、“あの”大戦士長が気に入るくらいなのだから、やはり優秀な戦士達に違いない、
という自身の上官に対する尊敬心や、生来の楽天的なプラス思考から来ているものなのだろう。
「あっ、いけない」
ジュリアンははたと自分の務めを思い出し、遥か後方に停めてある車を指した。
「長旅で疲れているところ申し訳無いのですが、早速本部の方へご案内します。こちらへどうぞ」
車は黒塗りのロールス。“自国を誇る”というヨーロッパ式の考え方が、戦団の公用車にも表れている。
四人を乗せた車は、広大な草原に引かれた一本の道路を走っていた。遥か遠くには
なだらかな丘陵が見える。
車中でもジュリアンは沈黙を知らなかった。ハンドルを握りながらも、顔は右へ後ろへと忙しい。
常々、尊敬する上官の話題に上る日本の戦士が相手という事で、彼は溢れる好奇心を
抑えられないようだ。
それに彼自身、元々話好きなところもあるのだろう。ただ、“饒舌”というよりも“おしゃべり”
といった印象ではあるが。
やがて話は今回の任務への協力を要請した欧州方面大戦士長に及んだ。
「大戦士長が皆さんと会うのをすごく楽しみにしてましてね。今日は朝から『まだ着かないのか』の
一点張りですよ」
ジュリアンの言葉を受けて、助手席の防人はこの任務を聞かされた時から抱いていた疑問を彼にぶつけた。
「今回の協力要請は大戦士長直々の物だと聞いたが、何故彼はそこまで日本の戦団にこだわるんだ?」
至極当然の疑問に、ジュリアンがまるで自分の事のように嬉しげに答える。
「彼は大の親日家なんです。任務でもプライベートでも、何度も日本に行ってますし。
食べ物、音楽、芸術品、建築。あらゆる日本文化を愛しています」
ジュリアンは防人の方へ笑顔を向けて、話を続ける。この若者の特技は“前を見ずに車の運転が出来る”
のようだ。
「もちろん、優秀な日本の錬金の戦士もね。亜細亜方面大戦士長とも仲が良いらしいし、
あなた方の上官である坂口照星戦士長とも面識があるみたいですよ。
よく、『照星の奴は俺が仕込んでやった』って言ってますけど」
大戦士長クラスの戦団幹部にここまで見込まれるのは、戦士冥利に尽きると言うべきか。
ただし火渡の態度は、話の中の照星のくだり辺りを聞いてから、どんどん不機嫌さを増しているように
見える。
「そうそう、日本製のコンピューターゲームも大好きなんですよ。
この前は、『水晶のドラゴン』や『星をみるひと』を作った奴には騎士(ナイト)の称号を授与すべきだ、
なんて言ってましたし。
僕はそういうのが苦手なので、何を言ってるのかサッパリですけど……。」
幼い頃を戦団の養護施設(ホーム)で過ごし、現在は任務に追われている三人にもサッパリだ。
その時、ジュリアンが何事かを思い出したかのように素っ頓狂な声を上げた。
「あ、そうだ! 肝心な事を言い忘れてた。僕も今回の任務に参加させて頂きますので、
よろしくお願いします。皆さんの足を引っ張らないように頑張りますね!」
「そうなんだ! じゃあ、ジュリアン君も錬金の戦士なの?」
千歳の何気無い質問が、ジュリアンの表情に一瞬、影を落とす。
「あー……あの、その……。僕は錬金の戦士ではないんです。情報部門のエージェントでして、
ハイ……」
ジュリアンは女性のショートヘア並みに髪の伸びた頭を掻きながら、申し訳無さそうに
笑って答えた。
そこへ、またも防人が疑問をぶつける。
「それにしても、ホムンクルス討伐に直接、一般戦団員が加わるのは珍しいな。
やはりテロリストが絡んでいるからなのか?」
「いやあ、その……。実は現在、英国内にいる錬金の戦士はジョン・ウィンストン欧州方面大戦士長と
マシュー・サムナー戦士長の御二方だけなんです。
残りの戦士達は、他の欧州支部の戦士と連携を取りながらヨーロッパや中近東を飛び回ってまして……」
笑顔を崩さぬよう、こっそりと吐いた溜息に三人は気づかない。
「なので、今回の任務はサムナー戦士長の指揮の下、皆さん方三人と僕というチーム編成になってます。
何と言うか……慢性的な人手不足でして……」
火渡は背もたれから身体を離して運転席のジュリアンに近づくと、たっぷりと悪意を込めて
彼を責め立てる。
「わざわざ日本に応援を頼んで、おまけにエージェントなんぞを人数に加えなきゃやってらんねえ、
ってワケか。情けねえ話だな、オイ」
「やめろよ、火渡」
また始まったか、と防人は火渡をたしなめる。
「ええ、まあ……。その通りです、ハイ……」
図星を突かれ、ジュリアンは泣きそうな顔で肩を落とす。末端戦団員である彼に責任は無いというのに。
「大体よぉ、何で能無しのテメエらの尻拭いをこの俺がしな――痛ってェ!! 何しやがる、千歳!」
火渡の尻を強烈につねくった千歳は、知らぬ存ぜぬで窓の外に広がる広大な草原を眺めている。
彼女は完全にこの戦団英国支部所属の若者の味方のようだ。
初対面の挨拶が如何に重要かを知る事が出来る光景である。
車は尚も長い一本道を延々と走り続ける。
――北アイルランド アントリム州ベルファスト カフェ・ヨシュア・トゥリー
北アイルランド最大の都市の中心街にある、優雅なカフェに二人の男がいた。
一人は高級ブランドであるサヴィル・ロウのスーツに身を包んでおり、話す際の身振り一つ取っても、
また時計に眼を遣る動作さえも洗練されているように見える。
もう一人は対照的に、着古した丈長のアルスター・コートにジーンズというラフな格好。
だが、下品さは感じられない。
どちらも目の前に置かれている飲み物には手をつけていなかった。
「“彼ら”の調子はどうかね? パトリック君」
スーツの男に“パトリック”と呼ばれた相手は笑顔で、しかし油断の無い眼つきを崩さず答えた。
「 ウィリアムとノエルの“ギャラクシアン兄弟”に関してはすごぶる快調だ。
元々有能な部下だったが、ホムンクルスになってからは更なる飛躍を遂げてくれたよ。
このまま英国(ブリテン)の連中と一戦やらかしてもいいくらいだ。
だが、あんたが連れてきた“シャムロック”の方は問題が多すぎるな」
パトリックの言葉に、男は脚を組み右手を口元に当てた。思慮深げな様子だが、その実、
大して重要とは思ってないようにも見える。
「ふーむ……。まあ、彼に関しては無理な施術が多すぎたからな。多少、まともな人間に
見えない点は大目に見てくれたまえ」
「多少、どころじゃない。まるっきりイカれて見えるがね」
「フハハッ、そうかそうか。フハハハハハハハ」
男は突然、低い声で上品に笑い始めた。パトリックの返答がコメディアンのジョークにでも
聞こえたのだろうか。
「……」
パトリックは無言で、笑う男を睨みつける。
実のところ、パトリックは初めて会った時からこの男が気に入らない。
ストイックな姿勢で祖国統一に身を捧げている自分から見れば、裕福そうな身なりやキザったらしい態度が
何とも鼻持ちならない。たとえ自分の組織の協力者といえども。
男はパトリックの思惑を知ってか知らずか、いわゆる“鼻持ちならない”態度を崩さずに話を続ける。
「フフフ……。だが、心配は御無用だ。頭に小型制御装置を埋め込んであるから、万が一にも
暴走の危険性は無い。
君達の命令には絶対に逆らわないし、それに最優先に君の命を守るようにプログラムしてある」
「そいつは実にありがたいことだ。……それにしても分からんね。アイルランド人でもない
あんたが、何故俺達にここまでしてくれる?」
この男は、今まで見た事も聞いた事も無いホムンクルスという強力な生物兵器を提供してくれた。
のみならず、部下達を人間をこえる存在に改造して見せた。
それでいて見返りはそいつらを使った作戦行動の詳細な映像だけでいい、と言う。
パトリックにしてみれば不思議なのは当然だろう。
しかし、男は簡単な論理で答える。
「これは仕事さ。私の組織は研究熱心でね。ホムンクルスの生物兵器としてのあらゆる可能性を
追求しているのさ。そして、私にとっては――」
男はゆっくりと脚を組み替えた。
「――仕事が全てなのだよ。『男は仕事を一生懸命しろ』とアンディ・ウォーホールも言っている」
「誰だ? それは」
初めて聞く名にパトリックは眉をひそめる。革命家やテロリストにそんな奴いただろうか。
「知らんのかね?」
男は呆れたように肩をすくめ、首を振る。多分に芝居がかった動作だ。
「君達、ヨーロピアン・テロリストもアメリカン・ポップ・アートに興味を持った方がいい。
民主資本主義、大衆文化の持つ大量消費、非人間性、陳腐さへの邁進、空虚、普遍性……。
英国の百姓貴族共には無い素晴らしさだ」
何を言っているのかパトリックにはまるっきり理解出来ないが、これだけは分かった。
“こいつは、この俺を、コケにしている”
「フン……まあいい。あんたが何者で何をしようとしているかなんて、俺達は興味が無いね。
俺達には俺達の使命がある。それに協力してくれる点には感謝しているがな」
「そういう事だ。私は君達にホムンクルス実験体を提供し、その実戦データを得る。
君達はホムンクルスを使い、闘争によって祖国の統一を果たす。
フフ、完璧じゃないか。ギブ・アンド・テイク、これぞ商取引の基本中の基本だ」
男は楽しそうに両手を軽く広げる。
「……ああ、そうだな」
パトリックは思う。
“ホムンクルスが物になると分かった時点で、こいつは殺してやる”
男はコーヒーカップを持ち上げ、パトリックの方へ差し出した。カップの中はベイリーズ・
アイリッシュ・クリームを垂らしたコーヒーで満たされている。
「乾杯といこうじゃないか」
パトリックも同じ物の入ったカップを差し出す。
「祖国に」
「仕事に」