室江高校、校舎の西のはずれにある、小さな教室。
――で、これから行われようとしている授業。
受験科目に選択する生徒は比較的多いのだが、
それは「つぶしが利く」であったり、「常識があれば得点できる」といった受験テクニックの上での話で、
高校の授業でわざわざ選択するのはよっぽどの物好きか――やはり、よっぽどの物好きしかいない。

ともあれそういう科目である「政治経済」を選んだ物好きな――
どちらかというと後者の意味での”物好き”な少女が一人。
教室移動を終え、友達と共に1限目の授業のチャイムを待っていた。
その友達の一人、ショートカットに、端正な顔立ちの女の子が、少女の左手に違和感を見つける。

「わー珍しいね、きれいな指輪ー」
「なんか、高そう…あんたコレ、ってまさか」
「へへー、なんだろうね?」

少し前まで、笑顔は見せるものの……
それは見るからに痛々しく、沈んでいたはずの少女が、笑顔を取り戻し――
いや、今までのものとも、この半年間のものとも違った種類の、
難解な笑顔を見せるようになったのが、ちょうど1週間ほど前の話。
それからどこか、九州の剣道大会に出向き、戻って来たのが、昨日。
するとその笑顔は更に種類を変え、かつてのソレを遥かに上回る勢いでその輝きを増しており…
今朝から続くその鬱陶しいまでのニコニコぶりは留まる所を知らない。

その笑顔の主――キリノがふふん、といった顔で机に置いた左手に光る指輪を見つめていると。
友達のもう一人、3人の中では一番長い黒髪を真ん中で分けた女の子が、
「それ」を必死に言語化しようと努める。

「抜け駆け……いや、でも…ってゆーか……」
「まあとにかく、おめでと、だよねー」
「…そうそう、おめでとう、キリノ」

相方のショートに全部持って行かれ、やや膨れっ面の黒髪を尻目に。
ふたりの友達に満面の笑みで答えるキリノ。

「……ありがとう!」

―――キーンコーン、カンコーン
そうこうしているうちにチャイムが鳴った。だが担当の教師はまだ現れない。
そのまま、教室中がお構い無しに談笑を続けていると……
5分遅れで勢いよく引き戸を開けて飛び込んで来る顧問、ではなくて、教師――コジロー。

「わりーわりー、遅れた!……ぶがっ!」

入って来るなりキリノの指に光るモノを見つけ、盛大に吹きだし、入口で固まっている教師に。
何やってんのセンセー、遅刻だよ、と教室中から暖かい声が掛かる。
そのまま教壇につき、多少バツの悪そうにキリノの方をムッ、と睨むと…
当のキリノの方は意味が分からず猫口で大きな「?」を浮かべていた。


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「お前さー…学校ではしてなくていいって言ってるだろ…」
「えー、でも…別にジャマにはならないし」
「…これから1年間、俺にずっとあんな授業させるつもりかよ…」

完全に上の空の授業が終わり、ほんの少しの休み時間。
おそらく誰も、今日の授業の内容なんか覚えちゃおるまい。
チョークは5本は折った。黒板消しを3回は落っことした。おまけに教壇から足を踏み外すこと2回。

(――ていうか、俺自身がなにを教えてたか覚えちゃいねえ。)

大体、持ち物検査とかあったらどうすんだよ、と心配顔のコジローにきょとんとするキリノ。

「やだなーもう、今時指輪くらいで何も言わないですってー……って、友達が言ってましたよ?」
「んな訳にいかないだろぉ……お前、俺をまたクビにでもしたいのかよ?」

その言葉に多少カチン、と来たキリノは無造作にコジローの背広のポケットに手を突っ込むと…
相変わらずそこにある――キリノの手により補修された――長官マスコットを取り出して見せる。

「…ポケットにマスコットなんか忍ばせてる可愛い先生に言われたくないっすよ」
「ゔ…いやしかし、世間の目というものがだな…」
「……それなら、そんなに気にしなくてもいいんじゃないっすか、ほら――」

はっ、と現実に戻り、コジローが教室を見渡すと。
今、教壇の前でやり取りをしている自分たちを見つめる――目という、目。
休み時間ももう半分を過ぎているというのに、ほぼ全員が教室に帰らず、固唾を飲んでこちらを見守っている。

――そう、この学校で。
――わざわざ教師の分かっている政経の授業を選ぶようなのは……
――よっぽどの物好きしか、居ない。

キリノがにこやかに左手の指輪とマスコットを掲げ、ぶんぶん、と振り回すと…
一度どっ、と沸き一斉に二人に拍手を贈る教室。次の授業まではもう3分を切っている。

(何なんだ、この学校は…)

コジローが肩を落とし呆然となる中、ぎゅっ、とその腕を掴むと、駆け出すキリノ。
二人が出て行くと、それを眺めていた他の生徒たちもすずろに移動を開始する。
――ああ、いいもん見れたな、という満足を、それぞれに抱えて。

「……お、おいどこ連れてくんだよ」
「次の授業っす!教室!」
「俺次のコマ入ってねぇって!」
「だったら、教室までエスコートって事でお願いします!」
「どっちがだぁぁあぁぁぁ」

やがて走るキリノに引き摺られながら……コジローが、呟く。

「…なんかお前、いきなり元気になり過ぎだろ…」

それを聞き、足を止めたキリノが、一言。

「だって、先生、言ったじゃないですか」



「―――”お前はそのくらいの方がいい”って」
最終更新:2008年04月20日 13:26