”かっ、ぽーん。”

厳しい練習に耐え、そして過酷な大食い対決を終え…
制服を脱ぎ捨てた五人は、まず湯舟に飛び込みたい気持ちで一杯であった。
だがしかし、少し待って欲しい。
ご飯を食べる前には、感謝の気持ちを両手に合わせるように。
プールに入る前には、入念な準備運動が欠かせないように。
銭湯には、銭湯なりの、東西問わずどこの名湯・秘湯にも共通するルールと言う物がある。
湯舟に浸かる前に、まずは洗い場にて、一日の汚れを落とし尽くす事。そして入る前には必ず掛かり湯を。
その流儀が分かってないような悪い子は、うちの湯に浸かるには10年早い!
…とは、銭湯「うみねこ」の名物・番台のおばちゃんの言である。
当然、良い子揃いの室江高校剣道部にはそんな悪い子は居ない。
そう…伝統の洗いっこ、の開始である。

        ※        ※        ※        ※

ごぼ、ごぼ、ごぼっ。

年代物なのか、シャワー併用だと水の出の極端に悪い蛇口から少しづつ桶にお湯が溜まる。
そうして溜まったお湯は頭から足元へ、これまた水はけの悪いヌルヌルした床へと流れ行く。
溜まる、流れる、溜まる、流れるの繰り返し。その順番の合間に身体を洗い、また流す。
その動作の中で、ふとした瞬間にサヤの目線は釘付けにされた。

隣で髪を洗う、キリノの後姿――――
背中を伝う水が、玉になって流れて行くのを目で追う。
寝不足の自分の肌や、タバコが祟っているミヤミヤのものとは異なり、
キリノのそれはどちらかと言うとタマちゃんのに近い…いや、下手をすればもっとか。
まさにベビースキンとでも言う様なツヤと輝きを残していた。
その美しさに、思わず人差し指を伸ばして背中をなぞる。

「ひぁうっ!…え?え?サヤ、なに?」
「いや…あんたの肌、きれいだなーって」

びくん、と背中を仰け反らせつつ身構えるキリノ。
もちろんシャンプーの泡まみれの両手は頭の上に残したままだ。
唐突に投げ掛けられた「綺麗」の言葉に頬を桜色に染めながら、
何がなにやら分からないまま言葉を返す。

「そ、そうかなあ?サヤもあんま変わんないんじゃ…」
「バッカだねー、あたしやミヤミヤなんて見てみなよ!
 今日びの女子高生はあんたみたいに堂々とすっぴんでなんていられないの!」

サヤの隣でさとりんの髪を洗ってやっているミヤミヤが、自分を指すその言葉に敏感に反応する。
あァ?今なんつった?…とばかりに。素顔で破壊力倍増の凶相と、その背後に浮かぶドス黒いオーラに震え上がる二人。
ビビって思わず目を逆方向に背けると、またも見慣れない姿があった。河童?エリマキトカゲ?
…いや、違う。タマちゃんだ。しかし何故かシャンプーハットをしている。
どうやら、さとりんがおやつのドーナツと間違えて持って来たのを借りたらしい。
懐かしいから、使ってみたいと。しかしその姿は…似合いすぎている(笑)
一気に和んだ二人は再び髪を洗いながらさらに話を続ける。

「でもさー、サヤもミヤミヤも、あたしより出るトコ出てるじゃん。おあいこだよ!」
「こぉんなものあったって何の役にも立たないの!重いし、肩こるし、痛いしさー、ねぇミヤミヤ?」

…ミヤミヤと、一緒に洗いっこしていたはずのさとりんの姿は既にない。二人は呆れてさっさと湯舟に行った様だ。
口は猫の形のまま、大きく開けて笑みを零れさせるキリノに、業を煮やしたサヤは。

「だ、大体ね、アンタだってそれなり位はあんだから、胸なんてものはこうすりゃ大きくなんのよ!」
「うぁ!?を?こ、こしょばゆいよ~、サヤ、ばかぁ」

まだ洗髪中のため、両手を頭から離せず無防備のキリノの胸を背中から揉みしだき、そのまま抱き付く。
ちょうど身体を洗っている最中で自身も全身泡まみれのサヤが全身を押し付けると、あたり一面は泡天国と化した。

「うりゃ、うりゃ~」
「…ちょっと、サヤ!いい加減にしないとあたし怒るからね?」

ふん、怒れるもんなら怒ってみなさいよ、とばかりに。
普段滅多に怒りを見せないキリノのそういう態度に二重の興奮を覚えたサヤは、
お構いなしに床へと両方の身体を押し倒し、更に身体を絡める。
端から見た光景はさながら…二匹の猫が身体を泡まみれにしてじゃれあってる、といった趣きだろうか。
だが、先に入っていた老婦人たちが出払った今は、見慣れた光景に反応もしない剣道部員以外に観客はいない。

「でもこれはこれで一緒に身体が洗えていいじゃない、ねっ!?」
「よくないってば!あたし身体はもう洗ったのに~もぉ!」

………ひゅるるる。
ヌルヌルの床に倒れ込み、すっかりじゃれ合う二人の上空に、湯舟の方向から何か飛来する物があった。

――――バシャッ、と言う音と共に全身の泡は流れ落ちる。
そして更にその音の数秒後、何が起こったのかも理解できない二人を極寒が包む。
冷たい。冷たい冷たい冷たい!こりゃお水だ!お水が飛んで来た!?でもどこから。

「あ、あわわわわ、ごっごごごめんなさいっ!先輩がた」

その声の主はさとりん。ミヤミヤと一緒にてきぱきと身体を洗った彼女は先に湯舟に浸かって十分に温もり、
デトックスだとばかりに水風呂に入ろうとかけ湯をしようとした所で足元の石鹸にスッ転び…
手から放たれた水風呂の、お湯と言うには冷た過ぎる冷水が二人を直撃した、と言うわけである。
ともあれ、まだ湯舟に浸かる前の温まってもいない二人にしてみれば、たまったものではない。

「…うーむ、これぞ伝統の水入りってやつ?」
「アンタ、上手い事言ってないって!へ、へ…」

『ふあっくしょん!』

その後。
身体の芯まで凍え、もう耐えられないとばかりに、
掛かり湯もせず湯舟に飛び込んだ悪い子二人に…
名物のおばちゃんの大目玉が下ったのは、言うまでもない。
最終更新:2008年04月20日 13:50