「ねえセンセー?あたしらっていつ頃から知り合いだったんでしょうね?」
「いつ頃からって、そりゃ、お前…」
相変わらず突拍子もない事を言い出す奴。
コジローはいつも通りそんな風に思った、が…
(ん…いつ、だ…?)
よくよく考えてみれば、自分にはこれまで高校時代の記憶から、先輩をあしらって来た記憶。
それに剣道部の顧問になってからの記憶は勿論あるものの、その周辺部分の記憶がひどく曖昧だ。
キリノと知り合った時―――どうだっけ。何故思い出せないんだ、クソっ。
…とコジローが頭をかきむしると。
「ん?ん?まさか思い出せないんですか?」
「い、いやっ!そんな事は無いぞ、そんな事は…」
答えを待ちながら、ニコニコしているキリノ。―――早く答えなくては。
しかし焦れば焦るほどに、たった数年間の記憶が靄に霞んだように遠ざかっていく。
(何だ、こりゃ…俺、このトシで健忘症にでもなったのか?)
勿論、思い出せるキリノとの記憶は沢山ある。
自分達二人だけだった剣道部、それからユージ達が加わり部活らしくなった剣道部、先輩との試合、それから―――
しかし出会った時の事は、何故かどうやっても思い出せない。自分はそこまで薄情な奴だったか。
だが、認めなくてはいけないのだろう。
「…ごめん、思い出せん…」
「やっぱり、先生もっすか…」
”やっぱり”。そう言うとキリノは、少し落胆の表情を覗かせ―――
しかし、すぐにそれを笑顔に変えると。
「あたしも、思い出せないんですよね。なんででしょうね?大事な事なのに…」
「大事な事……そりゃまあ、な」
本当に体験していたのかも曖昧な記憶。
でもその瞬間は、確かにあったのは間違いない。でなければ…
お互いに、今こうして隣に居る事は、考えられないのだから。
ともあれうんうん、と必死に頭を悩ますコジローが滑稽に見え、少し笑顔を深くするキリノ。
「まぁでも…そのうち思い出す事もあるんじゃないですか?ある日突然フッ、って感じとかで…」
「そんな…いきなり書き加えられたりするようなもんじゃないんだからさ」
まだ釈然としない様子のコジローに…
自分で話を振っておきながら、ますます楽しそうなキリノ。
「それに、もし出て来なくなって…大丈夫ですよ。今―――いるだけで。それだけで、十分なんですから」
そう言い切るキリノに、いつまでも拘っている自分が馬鹿馬鹿しく思える。
確かに今、傍にキリノが居る事…それは間違いが無いのだから。
「あぁ…そうだな。大事なのは今、か…」
そうして、ようやくコジローが割り切ったという笑顔を覗かせると、
キリノは更に笑顔を深めながら問い掛ける。
「じゃあ、いっそ二人とも…思い出した中で、”一番、最初の思い出”がその瞬間、っていう事で、どうっすか?」
「う~む、最初の思い出……あっ、ああ。それでいいけど…」
自分の提案にニヤニヤとするキリノに対し……コジローの方の歯切れは悪い。
それはどちらかと言うと恥ずかしい―――でも、”最初の思い出”と言えば、それ以外にないシーン。
自分の中に浮かんだ映像が、キリノと同じ物であるかどうかという疑問はこの際抱かなかった。というよりは、抱けなかった。
幾度も経験した事のある、キリノとの奇妙な意識の共有感…つまりは確信がそれを遮っていた、と言い換えてもいい。
とは言えまごつくコジローを尻目にあくまで陽気なキリノは、その陽気を少しでも伝染させようと仕向けてくる。
「……じゃあ、一緒に答え合わせ、してみましょうか?」
「おっ、おい?……言わせるつもりなのかよ?」
「もちろんっす!いきますよ…」
「せーのっ!」
”…あのさ…キリノ、うるさい”
”コジロー先生、駄目ですよちゃんと顧問しなきゃ!”
『………ぷっ』
くははは、とたちどころに笑いが漏れ出す。
コジローは照れ笑い、キリノはお腹を抱えた大笑い、という違いこそあったが…
結局のところ、その笑顔の源には―――同じ想いがある。そこから始まる…一番楽しかった時の、記憶。
「…あーあ、ダメな先生だったよな俺…」
「そんな事も…無かったんじゃないですか?
先輩たちもサヤも、タマちゃんや皆だって…剣道、楽しかった筈ですよ」
「そう…だといいけどな、はは」
「あたしだって…」
「…うん」
そっと、コジローがキリノの頭を撫でる。
その手には……研鑽を積みあげた堅さと、年輪を経た慈しみが一杯に詰まっている。
「さて…もう、寝ようか、キリノ」
「うん。おやすみなさい、あなた…」
――――――”いま”から10年後、昔のアルバムを開きながら…ふと当時を懐かしんでみた夫婦のお話。
おわり
最終更新:2008年06月07日 16:30