「なんだか久しぶりな感じですねー」
「ん~む、仕方が無いのか…」

鎌崎高校での練習試合を終えて、もう一週間。
やる気に火がついた先生がそのやる気のままに、高らかに玉竜旗エントリーを宣言してからも、もう5日が経った。
しかし我等が剣道部の士気は、そんな先生の青春真っ盛り情熱燃焼ぶりとは裏腹に……マイペース、そのもの。
朝練を一時間早く始める様になってからも、その時間に来るのはあたしと精々、ユージくんくらい。
そのユージくんも今日は遅れていて、結果、道場はいま随分と懐かしい事になっている。―――二人、きりの。

「いやーでもなんだか思い出しますねえ」
「まあ…もう随分経つような気がするもんな」

タマちゃん達が入部してから、もう何年も経過したように感じる道場も、
別段壁にかかる絢爛豪華な賞状とかが増えたわけでもなく、相も変わらず殺風景なままだ。
とりあえず床や壁はぴかぴかに磨かれ汚れの一つも無いのが自慢ではあるけども、
この先練習試合の相手を迎え入れる事はあっても、強い高校だとはまず思われないだろう。
その様子は去年と比べてもなんら変わることも無く―――床の輝きも、そのまま。

(本当に、思い出すなあ)


▽▽▽


一年の、まだ春先の頃。

”今日は皆で親睦昼食会するから、道場に集まってね”

朝練の後、女子の先輩からお誘いがかかった。
対象となるのは…目下、唯一の新入部員であるあたし一人。
一人と言う事で随分ちやほやしてもらっている気はするのだけれど、やっぱり少し寂しいのが本音だった。
だからせめて、先輩たちとは仲良くしたい。あたしにとっても、こういうイベントは大歓迎だった。
それに昼食会ともなれば、お惣菜屋の娘としては、ウデの見せ所ではある。
自然と、道場に向かう足も早くなる。

「あ、キリノきたきたー」
「遅いよー」
「まぁまぁ、一年の校舎から遠いもんねここ」

入り口を開くと、3人の先輩が出迎えてくれる。
あたしも加えて、これで4人。団体戦にはまだ足りなくて、少し寂しいけども、これが剣道部女子部の全てだ。
よっこいしょ、と端に腰を降ろそうとするとお尻を叩かれ、上座に促される。

「そんな端っこじゃなくてそっちそっち。今日はあんたがメインなんだから」

そう言ったのは、ツンツン髪の太眉の先輩。
何かノリが軽くて変にあたしに構ってくれる。最初に声をかけてくれたのもこの人だった。
も~、と声を漏らして渋々気味に上座にかけると、隣に座るキツめのメガネ美人、部長が嘆息交じりに呟いた。

「いやー、でもホントにあんたが入部してくれてよかったわ」

室江高校の剣道部では、女子の団体戦の戦績は昨年を境に途絶えている。
今日では剣道部に入りたがる物好きな女子もめっきり少なくなり、
3人では幾らなんでも…という事で去年は一年間、団体戦の出場を見合わせていたのだそうだ。
本当に嬉しそうに話す部長を見て、あたしは密かに願っていた。

(いつかこの人達に、ちゃんとした団体戦させてあげたいなあ…)

多少のアテはある。……サヤを引っ張り込めれば。
それがあたしがこの学校で最初に描いた策謀の図だった。
その内心の計画にふっふっふ、と口角を緩めていると、
更に向かいのややぽっちゃり気味の先輩があたしの重箱を凝視している。

「すっごいね、そのお弁当箱…」

こちらにもまた、ふっふっふ、と余裕のある笑みを見せると、おもむろに包みの布をほどいてゆく。
ぱかっと上蓋を開くと、立ち上る薫りと共に現れる、一人ではおよそ食べ切れない程のお惣菜の数々。
息を呑む先輩たち3人を見て、あたしの中の得意気は更に図々しさを増す。

「あたしんち、お惣菜屋さんなんですよー」

中学時代からの友達と。新しく出来た友達と。そして部活仲間と。
あたしが交友を深める得意パターンの殆どがこの、お弁当爆撃にある。
そしてそんな[個性を際立たせる]自己プロデュースという意味合いでのメリットとは別な所で、
何より自分自身が皆でお弁当をつつくのが大好きだからこそこの行為はもはや日常化しているのであり、
すぐさま始まった「これ貰っていい?」「こっちと交換しよ?」という言葉のやり取りは、あたしにとって何より嬉しい物だった。
そして自分もお箸を割り、いただきまーす、とひとつ。すると遠くで、

「ぐぅううううううう~~」

という、地鳴りのような悲鳴のような断末魔のような、しかし明らかにお腹の音だとわかる轟音がひびいた。
辺りを見渡してみれば、道場の片隅、楷書で書かれた剣道訓の下に何か――――在る。いや、居る?

「あれ、先生…ですよね?」

怪訝な顔で尋ねるあたしに、さも当然という顔で次々に返答をくれる先輩たち。

「あっはっはー、あの人はねえ…お金ない時はいつもああだから」
「ここで動かずにあんな感じで、出来るだけお腹空かないように寝てるのよ」
「あたし達もお弁当残しちゃったらたまにあげてるんだけどね……あれ、キリノ?」

それだけ聞き終えると、あたしは重箱を持って立ち上がり歩きだしていた。
さすがにそれは、捨て置けない。――――惣菜屋の娘としては、沽券に関わる。
……それに前から、気になってはいたのだ。個人的興味が少々。

(なんか、ヘンな人だ…)

当初の先生に対する印象はまさに、そんなものだったかも知れない。
剣道部に入部してまだ2週間と少しだというのに、
廊下や道場で道を譲り合って頭をぶつけたりしたのはもう二度や三度ではない。
休憩中、何の気なしに口ずさんでいた鼻歌が偶然ハモったのだって、同じくらいは。
落ちている竹刀を片付けようとして、手を出そうとした矢先に片付けられてしまった事も、たびたび。
良く分からないけど、そういうものらしい、で片付けるにはこの関係は謎が多過ぎる。そういう段階に来ていた。
ゆっくり近付くと、寝転がる背中の肩の裏辺りを人差し指でつつく。

「せんせー、一緒にごはん食べません?あたしの分けてあげますよ」
「ん?んん?キリノか…くれるの?」
「ええ、昨日のおわびに」

――――そして昨日も、そうだった。
新入部員の少なさに加え、早くもサボり始めた男子部員の一部は決められた掃除の役割を早々とボイコットし、
その結果、この広い道場の翌日の美観は、その全てがあたしの双肩にかかる事になった。
元々そんなに掃除は嫌いな方ではなかったが……流石に広すぎる。
少しウンザリしていた所に何故かハタキを持って帰って来たのが、先生だった。

(なんで一人で掃除してんだ?)
(えー、いやそのー、なんとなくっす)
(ふーん。壁のホコリでも掃っとこうかと思ったんだが…手伝うか、それじゃ)
(え…でも…いいんすか?)
(まぁ別に、ヒマだしな)

特別キレイ好きにも見えないが、少しも苦にならなさそうに掃除をするその姿は、
短い付き合いながらも既にハッキリ見え始めていたその生活習慣のだらしなさとの間に
何か大きなギャップを感じさせ、不思議に思ったのを思い出す。
当の本人は「身についたもんだしな」と言って苦笑していたのだが、その笑顔にも…
何か惹かれるところはあったのは否定できない。
つまる所は、興味。その一点があたしに足を運ばせ、今こうしてお弁当を差し出す動機になっているんだと、そう自分に言い聞かせる。

「…あたし、お惣菜屋の娘なんすよ、ほら」
「じゃあ…いただきます」
「あ。そっちは…」

あたしのお弁当のおかずには二種類ある。
ひとつは、前の日のお店の残り物で拵えたお店の味。
もうひとつは、お店の味を目指して日々進化を続ける…と言うにはまだ遠い、あたしお手製の味。
先生が取ったのは、もちろん後者の方で…折角だから美味しい方を食べさせてあげたいと思ったあたしの思惑は、まずそこでズレた。
しかしもぐもぐとあっという間にそれを食べ尽くした先生の反応は、さらにこちらの思惑とはズレるものだった。

「…うめえなこのメンチカツ!」

お腹がペコペコという事もあったのだろうけど、そのあまりの屈託のない言葉は素直に、

(…うれしい。)

と思えるものであったし、またそれ以上に何か、
友達や家族に褒められるのとは少し違った感じを含んでいるような気がした。
何かこそばゆいような、魂の奥を撫でられるような、奇妙な心地好さ。
その初めての感じに少し戸惑い、あるいは酔いしれていると…
ずんずんと進められる先生の箸の動きに、
あたしのボリュームたっぷりスタミナ弁当はもう底を尽きかけている。

「あーっ、ストップ先生!あたしの分が無くなっちゃいますよう!」
「もご?」

…先輩たちの、ほら見なさい、という感じの苦笑いが遠くで聞こえた気がした。


▽▽▽


それからあっという間に時間は流れ、そして…今。
こうして傍にいるだけで満ち足りた時間を過ごせる喜びは、何処から来ているものか。
ふと今、ぴかぴかの床を覗けば、二人で掃除したあの日が自然と思い出される。
そして…あたしのメンチカツを初めて食べてくれた日のことを。

(あの時もう、あたしの方も一緒に…)

「持ってかれちゃってたのかも知れないっすねー」
「ん?なにが?」
「何でもないっすよー」


道場の外に足音が聞こえる。もうすぐ皆の来る時間。
最終更新:2008年07月09日 00:37