”拝啓 コジロー先生―――”
(……違う違う。こんなに硬いんじゃなくて)
ぐしゃぐしゃに丸めた下書きをゴミ箱にポイ。―――外れた。本日3つ目の紙クズがゴミ箱の脇に転がる。
「うにゃう…」
机の上の便箋に向かいながら、しかし両手で頭を抱えてキリノは煩悶する。
(なんで、こんな事してるんだっけ…)
全ては今日の練習中に零した自分の溜息のせいだ。
つまりは、自分のせい。それはわかっているのだけども、考えずにはいられない。
「…そんなに寂しいなら、手紙でも書いてみれば?」
きっかけは、溜息に逸早く反応したサヤの言葉。
確かに、弱っていた―――のかも知れない。
日ごとに募るストレスも、無い、と言えばウソになる。
しかし、そんなみっともなさを他人に晒すのは自分の美学に反するし、隠し通せているという自負もそれなりにはあった。
(―――でも、バレバレだったと。)
この期に及べば、自分でも何故自分がこのようになっているかの理由は想像がつく。
大会には出られずとも充実している今の剣道部に足りないものが、ひとつ。
そのひとの不在が、自分でも良く分からないこの「寂しさ」や「切なさ」を生み出しているのは、もはや明白だ。
今まで感じた事の無い、得体の知れないその気持ちに抱く不安や怖れは、確かにある。――――だけどそれ以上に。
(もう一度だけでも、会って、確かめたいよ…)
今自分が抱えるこの気持ちが、本当は一体どういう物であるのかを。
そして先生と自分の関係とが、どんなものであったかを。
「会い…たい…よ」
つい言葉にしてしまう。が、それと同時に、さっきまでとは違うリズムで心臓が音を刻み始める。
(……そっか、これでいいんだ)
その音に背中を押されるように再びペンを取ると、向日葵の描かれた可愛らしい便箋に向かう。
すると今度は澱みもなく、薄い便箋には確かな文字が綴られてゆく。
<コジロー先生へ。
お元気ですか?あたし達剣道部は、皆元気でやってます。
でも皆から見ると、あたしだけはそうでもないみたいです。自分ではわからないけど…
先生が居なくなった日、あたしね、ちょっとだけ、ほんとにちょっとだけど、そうなるような気がしてたんだよ。
だから、辛いのだって少しの間だけだって。へっちゃらだって、思ってた筈なのに。
皆には分かっちゃうみたい。どうしてだろうね?えへへへ。
……もしかして、このままもう二度と会えなくなっちゃうのかな?
そんなの、イヤだよ。寂しいよ…あいた>
――――ぽたぽたぽた。
不意に、キリノの瞳からこぼれ落ちた雫が、便箋のインクを滲ませる。
その涙に気付いたキリノがぐっと目元をぬぐうと、今度は目に映る世界までもが滲み始める。
(なんでなんだろう…)
悲しい涙のはずなのに、不思議と気持ちはあたたかい。
想えば想うほどに、その涙は悲しさを増幅もさせるのだが、
この新しく見つけた気持ちは、涙の意味がそれだけではない、という事を自分に説いているかのようだ。
(これは…こういうもの、なんだね)
どうにか割り切り、何とか目の前にある文書に目を向けると。
「……っ。こんなの、初めから出せるわけないよね…あはは…」
さながら、これは手紙と言うより…ラブレターのようなものだ。字が滲まなくても、出せるような物ではない。
キリノはそう思い、しかし、その途中までの未完成の手紙を封筒に入れ、大切に机の引き出しに仕舞うと。
(でも…もし、もう一度会えた時に…同じうれしい涙を流せたら。)
その時には、続きを書こう。と一人ごちると、スタンドの灯りを消し、眠りに着いた。
――――――のちにこの封筒が開かれるのは、数ヶ月を待っての事になる。
最終更新:2008年07月28日 18:10