アットウィキロゴ
「じゃあ行って来る」
「ダメ!一緒に行くんでしょ!?」
「えええ…」

同じドアを開けて、同じ学校の、同じ道場へ。
昨日と違うものは、たったひとつだけ。
もう、この世界に”千葉紀梨乃”は、存在しない―――
ダダをこねる先生の背中を押しながら後ろを振り返ると、表札には。

”石田 虎侍 石田 紀梨乃”

達筆じゃないけど、夕べ苦労して作った、ふたつの名前がかけられている。
へへ、と鼻先を擦りながら、どんどんと渋い顔の先生の背中を押し、これまた同じ車に乗り込むと。

「知らねーぞもう」
「それでこそセンセーっすよ」

そういって先生がアクセルを踏み込むと、流れ出す景色。
朝の光、開いていく町、歩いてる人――――全部がキラキラして見えるみたい。

「わぁ…こんなにも違って見えるんですね…何もかも…」

あたしの言葉に、先生は照れて何も言わずに頬をひとつ掻いた。
それを見てふふっと笑う。
今日は、あたしの2回目の、0歳のお誕生日。
婚姻届を出して受理され、晴れて先生のお嫁さんになれた女の子の、はじめての日。

「で、どうなの?」
「なにがー?」
「とぼけるなっ!」
「ぐふー、ぎぶぎぶ。えっへっへ」

時間は学校の昼休み。
友達がトボけようとするあたしの首にからみつく。
”そのこと”は、まだ一部の先生と、仲のいい友達や部員の皆しか知らない。

「んとねー、昨日はね…」
「うんうん」
「一緒に市役所行って、書類出して」
「うん、うん」
「お店で食べようかって言ったんだけど、先生が
 『お前の手料理がいい』って言ってくれて、あはは…で、つくって、食べてー」
「うんうん!」
「順番におフロに入って」
「うん、うん?」
「朝まで手ーつないで寝ちゃった」
「う…ん?」
「しゃわせぇ…」
「ちょっと待てぇ!」
「それじゃ何も変わってないのと同じじゃない!」
「えー…ダメかなぁ?…じゃあ、どうすればいいの?」

そう言うと友達二人はヒソヒソと、あたしに聞こえないように密談を始めた。
その話が何かまとまると、ぷぅ~とむくれっ面のあたしに、チョイチョイと指をふると。

「あのねえキリノ…」
「それじゃあダメだからさ…耳、貸しな?」
「な、なになに?」
「えっとねえ……ゴニョゴニョ」
「………?」

二人が耳打ちで教えてくれた言葉は、イマイチぴんとこなかったけど。
大切な友達のアドバイスだから、そっと胸にしまっておいた。

気がつくともう授業も練習も、全部終わって二人だけの片付けの時間。
今日の練習もキツかったけど、やっぱり楽しかった。
(見ててくれるだけで頑張れちゃうんだもんねえ…あはは)
不名誉ながら恒例になっちゃった肩揉みも、今日はいつもより真心が篭ってる気がして嬉しかった。
思い出して肩をさすっていたら、モップをかけてる先生からのお達しが飛んで来る。

「おいキリノー、洗濯機回しといてくれー」
「あいよー」

阿吽の呼吸で返事をすると。
更衣室にある、皆のスペアの手ぬぐいや胴衣をかきあつめ、
まとめて洗濯機に放り込んで、スイッチオン。
ごうんごうんと音を立てて回り出した愛妻号をふと、ぼんやりと眺めていたら。
不意にぺたっ、と冷たいものが頬に触れた。

「…ひゃっ?!」
「ほい、さしいれー」
「あ、ありがとうござい…マス」

そう言って、ポカリの缶を手にした先生があたしの横に並ぶと。
今までとは違う距離感に今更ながらにドキドキしてしまう。
じーっと、その横顔を見つめていると。

「うちも、そろそろ買わないといかんなぁ」
「…は、はひっ?!何をですか?」
「愛妻号」
「あ、あぁ…そうっすね」
「これから二人になるんだし」
「そう…ですねえ」

当たり前のような会話に、改めて意味を考えると。
(そういえば、二人分だなぁ…って、ありゃ?)
気がつけば、先生の手に持つ缶がプルプル震えてる。
何か必死に堪えてた物が込み上げちゃってるみたいな…感じ?

「…だあぁっ!」
「ど、どーしたんすか?せんせー」
「お前な、少しは照れたりしてくれよ…」
「照れる?ハテ?」
「必死に余裕ぶって緊張隠してる俺がバカみたいじゃん…」
「あ、あ、あの。二人ってそういう…」
「それ以外にないだろぉ…?」
「あ、あは、あはは。あーあー」

先生の頬が赤くなる。あたしの頬もきっと同じくらい、赤い。
しばらくそのままで黙り込んでいると、ふと、ある事に気付いた。
(先生が項垂れて首曲げてると、丁度あたしの目線に先生の唇が来るんだ…)
ただ見ていると、目が離せなくなって、目線が釘付けにあう。
その視線に先生も気が付くと、視線を返してくれて、それで――――見つめあう。
部屋の窓から西陽が射し込み、オレンジ色の柔らかい光の中で。
先生はあたしの身体を抱き寄せ、あたしはそっと目を閉じる。
するとそこへ。

ぽんぽろろん♪ ぽんぽろろん♪

脱水完了を告げる、洗濯機の気の抜けたメロディが鳴り響き、
肩に掛けられていた腕の力がぐぐっと逆方向のベクトルに転じる。
そして先生は、ぶんぶんと首を横に振り回した。

「ぶああっ!いかんいかん!」
「あ、あららー…こりゃまた。
 …干しましょうか?」
「だ、だな」

そう言って肩から完全に手を離すと、がっくりと屈み込んじゃう先生。
洗濯物を取り出しながら聞き耳を立ててると、
後ろから「俺ってやつは… 俺ってやつは…」だとか聞こえてくる。
そんなに、気にしなくてもいいのに。あたしがまだ、学生だって事なんか。
(………あっ)
不意に、友達の教えてくれた言葉がよぎる。
そうか、あれは、こういうときに使えばいいんじゃないかな。
室内用の物干しに胴衣やら手ぬぐいやらをかけ終わると、
今度は逆に先生の肩に手をかけて、ぽつり。

「えっと。ガ、ガマンは身体に毒ですよ?」
「…おいおい」
「あたしは、いつでも…お待ちしてますから」
「いやいやいやいや」
「だ…旦、那、さま……?」
「ごぶぅッ!」

噴き出すと先生は更に項垂れ、床に手をついて、
サヤが携帯でよく使ってるorzの絵文字みたいになった。
(う、ううー…ダメじゃん…二人のうそつきぃ)
先生のその姿を見て、あたしもドアに寄りかかって落ち込んでいたら。

「…まー、焦る事は無いんだよな…」
「はい?」

後ろで膝をついていた先生がぽつりと、自分に言い聞かせるようにそう呟くと。
勢いよく立ち上がり、あたしの側にやって来て、笑顔で頭をひとつ、撫でてくれた。そのまま。

「こんなのも含めてちょっとづつ、築いていけばいいさ、なぁ……ぉ」
「え…」
「ぉ、お、おお……奥さん」

その言葉を出し切ると、ぷはっ、と溜めていた物を吐き出すように。
先生は一呼吸置くと、あたしの頭に置いた手をわしゃわしゃと乱暴に掻き混ぜた。

「な、何するんですかーもぉー」
「お前ばっか緊張してなくてなんかズリぃからだ」
「してますよぉ…もぅ…」
「へ?」
「してます。ずっと。ドキドキ」

たぶん、先生と同じくらい。
(だって、本当の事だもん。)
でもそう言うと、二人とも魔法にかかったように時間が止まる。
長い沈黙。それを破ったのは――――

『ぐうううぅうううぅぅう~』

相変わらずな先生の、相変わらずなお腹の音だった。
あたしがくすっと笑い、先生が「もう、どうにでもしてくれ」って言う顔でいると。
そのダメな顔が、またたまらなく愛おしくて、可愛くて。自然と顔がにやけちゃう。

「じゃっ、お腹もすいたし帰りましょうか」
「あー、うん…ごめんな」
「ふふふ、今日はカレーにしますか?」
「ああ…肉一杯入れたのがいいな」
「じゃあお肉屋さんよらないと」
「うん…帰るか」

最後の戸締り、道場の入り口の錠をがちゃんと降ろすと。
それからあたし達は帰路に着いた。また、同じ家へと。
駐車場への歩く道、歩幅の広い先生はあたしに合わせてゆっくり歩いてくれる。
それに合わせて、無理をさせないように、あたしもしっかりと歩く。一緒の時間。

「…ねえ、センセー?」
「なんだ?」
「大好きだよっ」
「…俺も」

そんな日々は、これからも続いていく。
多分ずぅーっと、ずぅーっと、いつまでも。



【終わり】
最終更新:2009年01月30日 23:07