簿記の始まり

≪簿記の歴史≫

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会計の歴史は文明の歴史であるともいわれておりますが、その歴史の中で簿記は、貨幣経済の誕生・発展の中で貨幣の量の勘定・記録が必要となり発明されました。ローマ時代の古代彫刻の中に商業帳簿が彫られていることが確認されており、その歴史は古代へさかのぼると推察されています。ローマの他、ギリシャ・バビロニア・アッシリア・エジプトなどでも古代の時点で簿記が存在していたことが推定されています(その頃の簿記は、まだ単式簿記でした)。14世紀から15世紀にかけてのルネッサンス期ヴェネチア商人によって複式簿記が発明されたと考えられています。ちなみに東洋では、三国志で有名な関羽が中国式簿記法を発明したと伝えられています。

●日本での簿記の始まり
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江戸時代に大福帳(売掛金元帳)などによる算盤(そろばん)使用に適した独自の帳簿システムが確立しており、その中には複式簿記の萌芽も見られましたが、本格的な複式簿記の導入は欧米からのものだったようです。福沢諭吉が、アメリカの簿記の本を翻訳したのが始まりといわれています。


●複式簿記とは?

複式簿記とは、12世紀頃のアッバース朝イスラム商人によって発明されました。リスク、チェック(小切手)などの言葉もアラビア語由来であり、起源はイスラム世界である。その後、複式簿記のしくみはヴェネチアやジェノヴァの商人を経てヨーロッパにもたらされました。
ちなみに、簿記には「複式簿記」・「単式簿記」の二種類がある。現在は簿記といえば『複式簿記』が主流である。
※複式簿記(ふくしきぼき、米:Double-entry system)とは、簿記において、単式簿記と異なり、すべての簿記的取引を、資産、負債、資本、費用又は収益のいずれかに属する勘定科目を用いて借方(左側)と貸方(右側)に同じ金額を記入する仕訳(しわけ)と呼ばれる手法により、貸借平均の原理に基づいて組織的に記録・計算・整理する方法のことをいう。今日、たんに簿記といえばこの複式簿記を指す。会社の決算報告では複式簿記の原則により作成された損益計算書、貸借対照表の公表が義務付けられている。
※単式簿記(たんしきぼき、米:Single-entry bookkeeping system)とは、複式簿記とは異なり、その対照的に、簿記的取引をただ一つの科目に絞り記録・集計する方法のことをいう。
資金の収支を重視し、財産・債務については収支の結果とする簿記方法である。


★世界最古の簿記文献

スムマ(ズンマ) 1494年
ルカ・パチョーリ(ルカ・パチオリ)
(Luca Pacioli) 1445-1514
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スムマ(ズンマ)とは、1494年ウルビノ公グイドバルドの後援によりベニスで刊行された世界最古の数学書で、その中の一編が、世界最古の複式簿記の文献です。その一編に「計算および記録要論」として記されました。そのスムマの筆者がパチョーリです。
※パチョーリとは、ルネッサンス初頭のイタリアの著名な数学者で、かつ世界最初の印刷された複式簿記の著者である。このズンマがパチョーリを「会計の父」と呼ばれるようになった由縁である。}
 パチョーリは、カトリック・フランシスコ派の修道僧であり、数学を教えていた大学教授でした。数学・哲学・神学に造詣の深い彼がなぜ商人の間で用いられていた複式簿記に関心を抱くことなったのかというと、若い頃にベニスのある裕福な商人の家に住み込み家庭教師をしていた頃、家庭教師のかたわらで商人たちの手伝いをすることがあり、その際に複式簿記に接したことからと言われています。簿記はパチョーリが開発したものではなく、当時の北イタリアの商人の間では、「儲けるためには簿記を知れ」というくらいに発達していたもののようです。「ズンマ」は、ウルビノ公グイドバルドの後援によりベニスで刊行され、当時の算術・代数・三角法などの知識を集成したものでした。
 また、パチョーリはその生涯において多くの著名人と親交があり、中でもレオナルド・ダ・ヴィンチとの親交は有名です。1497年の「神聖比例論」の挿し絵はすべてダ・ヴィンチによるものでした。
 パチョーリは、ペルージャ、ナポリ、ピサ、ボローニア等の大学で教壇に立ち、1514年には法皇レオ十世よりキリスト教世界最高の大学の地位である、ローマのサピエンツァ大学の数学教授に任命され、最高の栄誉を担ってその生涯を閉じたと言われています。

世界最古?

パチョーリよりも更に36年前、ベネデット・コトルリ(1416-1469)が複式簿記について言及した書物を書いたが、出版がそれから115年後にされたために世間の目に触れることは長い間なく、パチョーリが複式簿記について言及した最初の人物とされている。

★日本で最初の複式簿記書

複式啓蒙記簿楷梯/石井義正編;白井屑校
別書名=複式啓蒙記簿法楷梯:完
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日本人が最初に編集した複式簿記書。初歩的な複式簿記の入門手引書です。
明治6年以後、シャンド、マルシュ等主要簿記書が翻訳されたが訳書は大部なので簡略化が必要になりました。その後諸書をミックスし、アラビア数字を使用したものが出版されていきますが、この本ではアラビア数字はまだ使用していません。
※著者等
著者石井義正は静岡県士族、名は始め徠司。早くから西洋簿記を学び、大蔵省で伝票・記簿を担当した。ポルトガル人プラガの講習を受けて、大蔵省記録寮簿記課、伝票課に勤続、明治19年退職し、東京小石川に大日方簿記講習所を開く。

★簿記の栞(少年商業文庫)の一文

簿記の栞/天城安政著  東京:博文館,1904.4
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 次郎は太郎の小遣帳の眞似をして、始めは鉛筆で罫を引きましたが、お店の帳簿を見てから急に其通りに赤い線で拵えて見様と思ひまして、西洋の罫紙を買つて來まして、お店から赤インキと、丸定規とペンとを借りて、線を引いてみましたが、丸定規がごろごろして如何しても眞直に線がひけません。途中まで引くとごろごろと廻はつて仕舞つてだめになります、三度も四度もやつて見て漸く、上手に引けましたから、お店の人のする様に、ごろごろと廻はして次の罫を引こーとしましたら、前に引いた時に、丸定規を好く拭いて置かなかったものですから、紙の上にべつたり赤いインキが付いて仕舞いました。
 簿記は六ケ敷ものではないのですが、最も丁寧に、清潔にやらなければならないもので、罫を引くことすら満足にできない様では中々大変です、先罫引の稽古から、数字の勉強、是が第一に必要です、罫は凡て二重に引くのが通常で、金銀と圓と銭の堺だけを一本に引く事になつて居ります(後略)
※簿記棒(丸定規)・・・記帳の際罫線を引く為に用いる棒。

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最終更新:2010年03月11日 14:56
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