右投右打、投手、背番号16
大学時代から好投手として知られ、大学通算36勝、404奪三振の関西六大学リーグ新記録を持つ大学No.1右腕という評判を引っ下げて2005年ドラフト希望枠でBsに入団した
デビュー戦となった試合でプロ初勝利を挙げるとトントン拍子で勝ち星を重ねオールスターまでに6勝したが
中村勝広監督による「新人王を獲らせたい」、「平野を巨人、阪神に優先的にぶつける」、「完投をできるだけ狙わせる」こういった方針が影響したのか疲労で後半戦は失速。
勝ち星を1勝しか上乗せする事ができずシーズンを7勝11敗で終える。(新人王は日本ハムファイターズ八木が受賞)
それでもルーキーながら10試合完投しローテを守った。
翌2007年も開幕からローテに入ったが
コリンズ監督の100球交代主義により完投は2試合と激減。
球数を気にしたのかストライクを安易に奪いにいったところを被弾するパターンでリーグ2位となる18被本塁打を記録した。(ちなみに被本塁打1位は
川越英隆の20本)
奪三振数が増えたものの8勝13敗とリーグ最多敗戦を記録。
また後半戦に失速するのは前年と変わらずエース候補の足踏みにファンには頭の痛いシーズンとなった。
2008年こそと期待された矢先シーズンイン直前に肘痛で離脱。
骨の断片が肘に入っている状態(遊離軟骨)であることが判明。3月27日に神戸市内の病院で遊離軟骨の除去手術を受けた。
二年連続でローテを守った平野離脱のショックは大変大きくこの前後に相次いで
岸田護、
デイビー、
大久保勝信、
ユウキが離脱し早くも2008シーズンはあきらめたという声すらファンから出たほどであった。
シーズン中に一軍復帰するという噂もあったが結局2008シーズンは登板無しに終っている。
2009年は開幕ローテーション入りするも逆流性食道炎の影響で登録抹消。
復帰後も調子を取り戻すことが出来ず3勝12敗と不本意な成績に終わる。
2010年、リリーフ陣の再建を進める岡田監督によって中継ぎに配置転換され、直球で力押しする投球を武器に、岸田、
レスターと共に勝利の方程式を形成。
リーグ3位の39HPをマークし、絶対的なセットアッパーとなった。
潜在能力の高さから先発復帰を望むオリファンもいるが、平野自身はリリーフに関して「(同級生で仲の良い)金子や近藤からバトンを受ける仕事にやり甲斐を感じる」とコメントしている。
2007ファンフェスタの「選手売り子販売選手権」では「サインあげるよ!」の一声で30分内に焼きそば100皿売り1位に輝くダントツの売上で優勝した(相方は
由田慎太郎)
2022年に日米通算200セーブを達成。前述のように2023年10月2日の対日本ハム戦(京セラドーム大阪)で日米通算250セーブを達成した。
最終更新:2024年09月30日 10:45