中村 勝広(なかむら かつひろ)
↓こっちの人 ↓紛らわしいので注意
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- 故人。12年9月から阪神GMに就任。それなりに仕事はしていたものの優勝を見ることなく15年9月23日、都内のホテルで急逝。享年66
- 現役時代は、一番打者で、やたら球を見る人だった。守備も上手く典型的なバイプレイヤータイプ。
- 当時は阪神に中村姓の選手が他にもいたことから一般的に「中村勝」と呼ばれていた。
- 内野手でありながら投手番号の14を現役時代ずっと背負っていたが妙に似合っていた。
- 監督としては暗黒時代の監督の代名詞的存在で、名前に引っ掛けて負広などと呼ばれていた。
- ただ誤解されることが多いが、やる気マンマンだったノムさんが3年連続最下位に沈んだり、日本一監督のムッシュ吉田でもどうにもならなかったりといった日々で、成績と能力そのものは暗黒時代では一番マトモな監督であった。
しかし当時からのファンの中には「長期政権になったのは、フロントのいいなりで扱いやすかったからだ」とか、「山下大ちゃんの方がマシだ」とか無茶苦茶言う人も多い。
- なまじマトモだった結果長期政権になってしまったことや、他の監督がノムさんに鬼平、2代目ミスタータイガース、よっさんといったレジェンドだったこともあって集中放火を浴びているようだ。本当に無能で2年程度で終わっていれば、1992年戦士を育てた隠れ名伯楽のような扱いを受けたかもしれない。
- 95年 当時の久万俊二郎オーナー(故人)に「スカタン」発言をされ、シーズン途中で休養(オフ辞任)。
- 2002年、後にオリックスにGMとして迎え入れられ、06年には監督、07年からは球団本部長を務めた。球団合併騒ぎもひと段落した2008年には2位になったが、09年限りで解任。
- なお、入れ替わるようにどんでんが10年からオリックス監督に就任した(W大学つながりであろうか)。果たして檻の暗黒は晴らせるのであろうか・・・と思われたがダメだった。
- どちらかといえばオイシイ立場にもかかわらずオリックスファンにも負広という呼び名が定着してしまったが、とにかくツキが無かったことが原因であろうか。監督・GMとしてドラフトの抽選を外す、トレードを失敗するなど、そのツキの無さを列挙すると
- 89年ドラフトにて野茂英雄を抽選で外す ハズレ一位は葛西
- 90年ドラフトにて小池秀郎を抽選で外す ハズレ一位は湯舟
- 90年オフ(神)池田・大野・渡真利・岩切 = 藤本修・西川・吉田博・近田・右田(ダ)の大トレードを実施、池田、大野らは活躍したが頂いた皆様はさっぱり
- 同年(神)遠山 と高橋慶彦(ロ)をトレードするも、まったく振るわず2年で引退(1年目以降さっぱりで当時は解雇寸前だった遠山を交換要員に出来ただけマシだったかもしれないが・・・)。
- 91年ドラフト 一位萩原誠 掛布の後を次ぐ背番号31 ハズレ四位に桧山進次郎
- 91年オフ 立花義家獲得 ちなみに同年パチョレックを獲得
- 92年ドラフト 抽選で松井秀喜を外す ハズレ一位で安達智次郎(一軍登板無し)
- 92年 亀新コンビの台頭や仲田・湯舟・田村勤らの活躍で優勝かと思われた年 ストッパー・田村の故障 湯舟リリーフの誤算 9.11八木の幻のホームラン などで優勝を逃す
- 同年オフ 藤本修・金森を放出、それぞれ西武・ヤクルトに移り再起
- 同時期 (神)野田 = 松永(オ) のトレード 松永は出だしこそ順調だったが故障後はあまり働けず、オフにFA行使して1年でダイエーへ逃げられる。逆に野田は一気に大ブレークして球界を代表する投手の一人に成長。
- 93年オフ 松永がFA行使でダイエー移籍 石嶺(オ)FAで獲得、翌年松永は3割を打ちASにも出場 石嶺は2割5分を切る
- 94年オフ オマリー放出ヤクルトへ、翌年オマリーはヤクルト日本一に貢献しセントラル・AS・日シリのMVPを獲得 山沖(オ)FAで獲得(一軍登板無し)
- などなど、枚挙すればいとまが無い。まぁ、鬼平時代の神のお告げがあった人やノムさん時代の星の王子さまなど、暗黒時代の阪神の金の出し方は一貫してひどく、外れで獲得した選手が活躍しているケースも少なくないが、松永と野田のトレードのように成立時点では好評だったトレードが大失敗するケースが続いてしまうと、中村の幸の薄さに矛先が向くのも仕方ないといえよう。
最終更新:2024年11月08日 12:34