棒手裏剣 ~Bou Syurikenn~
基本スペックと定義
全長 |
約10~25cm |
重量 |
0.15~0.50kg |
地域 |
日本 |
年代 |
1450頃~1860年頃 |
手裏剣とは日本の忍者の代表的な武器であり、
日本の投擲武器の筆頭といえる武器である。
サイズ的に手の裏に隠れる程度のサイズ、というのが名前の由来である。
流派によって様々な形状があり、大分類すると「
平形手裏剣」と「棒手裏剣」となる。
これらのような、元々手裏剣として作られたものは「忍手裏剣」と呼ばれ、とっさに他の短刀等で代用したものはまた別分類になる。
bukipediaでは、代用したものまで考えてしまうと日用品全てがそうなってしまう恐れがあるため、「忍手裏剣」に限って記載をする。
その他特殊な形状については別項目で説明し、当ページでは「棒手裏剣」について説明する。
棒手裏剣は次の種類に分類される。
これらの棒手裏剣はサイズや重さから持ち運びがしやすいため、最大で20本ほど携帯することが可能だったとされている。
大きければ大きいほど空気抵抗を受けるため、相手に気づかれやすいがダメージは大きい。
逆に軽ければダメージは小さいが見つかりにくい。
時代背景
最古の記録では、後三年の役(1083~1087)の頃の「秀衡の記」に「手裏に小剣を隠して遠きを打つ」という一文がある。
この一文が現すように、語源は短刀等を投げる=手裏剣を打つからきている。
戦国時代には脇差を投げることが多く、それが剣術の「打物」という技術になって武士に広まり、そこから投擲に優れる形状へと変化していった。
矢や槍の利点も取り入れつつ生まれたのが、手裏剣である。
手裏剣術の諸説はいくつか出ている。
一説では中国の投擲ナイフである「ピャオ」から来ている説もあるが、大陸から投擲技術が来た形跡がなく、あまり有力ではない。
むしろ打根や手突矢といった手で投げる矢や、短刀等を投げた打物が最有力だろう。
実際手裏剣の流派の一つ根岸流の「手裏剣術要録」にも、手裏剣術の起源ともいえる記述がされているのが大きな物証である。
また、武器としては明治時代の幕開けと共に使われなくなったものの、現在でも数々の宗派にて、その手裏剣術は伝えられている。
使用用途
投擲方法は大きく二つ。
先端を上に向けて回転させずに投げる直打。
先端を下に向けて(手の平の中に隠して)回転させながら投げる回転打。
どちらが投げ方として優れているかというものはなく、その人それぞれの癖や流派次第で投擲方法は違っている。
投擲方法の詳細については、下記の文献、特に学研様の決定版~には、実際現物を投げている様子や、威力検証を行っているのでお勧めである。
また、一撃必殺的な武器ではないことと、射程が頑張っても14m、普通は3~6m程度である。
トリカブトとかの毒を刃につけていれば、当たったときに十分な致命傷を与えることも出来るかもしれないし、実際やったと思われる。
ただしこの場合、自分も下手すれば毒を受けてしまうため、投げ方は自ずと「刃を触らないように」していただろう。
携帯の方法は通常、懐に隠すのが定例だが、棒手裏剣は形状がシンプルなので色んなところに隠しやすい。
某姉さま萌え萌えの、瞬間移動できるツインテール少女の武器が棒手裏剣(作中では鉄矢)なのだが…
彼女は太ももにつけたベルトに、10本前後棒手裏剣を隠し持っている。
女性ならこの携帯方法はオーソドックスな部類に入るのだが、一般の淑女は余り真似しないようにお願いしたい。
ちなみに筆者は高校時代、棒手裏剣や投げナイフを適当なもので代用して練習したことがある。
そのためかちょっと尖ったもの、刃がついたものであれば代用して使えるぐらい慣れてしまっている。
偶然筆者の動体視力がよかったため、失敗して反射してきたものをとっさに避けられたため大きな怪我はしなかったものの、そうでない人だと失明してもおかしくない状況が多々あった。
若気の至りとしては少々危ないことをしすぎたと思っているので、よい子のみんなは棒手裏剣とかの練習をしないようにして欲しい。
2010年 2月17日更新 10月10日 テキスト微妙に更新
参考文献
新紀元社 |
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武器事典 |
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市川定春 著 |
新紀元社 |
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武器と防具 日本編 |
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戸田藤成 著 |
ダイヤグラム・グループ |
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武器―歴史、形、用法、威力 |
|
田島優 北村孝一 著 |
幻冬舎コミックス |
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図説 武器だもの |
|
武器ドットコム 著 |
学研 |
|
【決定版】図説・日本武器集成 |
|
株式会社 学習研究社 著 |
学研 |
|
【決定版】忍者・忍術・忍器大全 |
|
歴史群像編集部 著 |
最終更新:2010年10月10日 10:20