天野 浩

【生年月日】

1960年9月11日

【出身地】

静岡県浜松市

【肩書】

名古屋大学大学院教授
赤﨑記念研究センター センター長

【学歴】

1983年 名古屋大学 工学部電子工学科 卒業
1988年 名古屋大学大学院 工学研究科 電気工学・電気工学第二及び電子工学専攻 博士後期課程 単位取得満期退学。

【予想授賞理由】

窒化ガリウム (GaN) の結晶化に関する技術を開発し、世界初の高輝度青色発光ダイオード(青色LED)を実現させた(1989年)。
※共同研究者の赤崎 勇、そして同じく青色LEDの研究をした中村 修二とともに受賞する可能性がある。

【受賞歴】

2002年 武田賞

【主要業績】


【研究内容】

LEDが実用化されたのはいまから50年前の1962年。このときは赤でした。そして、6年後の68年に緑色のLEDが生まれるのですが、あとが続かない。世界中の研究者・技術者が、残りの青色LEDの開発にしのぎを削りました。私の恩師である赤﨑先生もその一人で、学部4年のとき私は赤﨑先生の研究室に入ります。赤﨑研が世界にないものを作っていることに加えて、青色LEDの研究は「きっと世の中の役に立つ」、そう思ったからでした。
実は、有望な素材は分かっていたんですよ。それが窒化ガリウム(GaN)なのですが、多くの研究者は窒化ガリウムを素材にすることを諦めてしまい、セレン化亜鉛など他の素材に移っていきました。理由は質のいい結晶(元素がきちんと整列した状態)をつくりだすことが難しいから。一方、赤﨑研は窒化ガリウムにこだわって研究を進めました。実際、赤﨑先生は窒化ガリウムの結晶化には成功していました。ただ、それには職人技が必要で、とても実用化には耐えられない。質の高い窒化ガリウムの結晶を、もっと簡単に作る方法はないか――赤﨑先生と一緒に結晶化の方法を考え、実験を繰り返しました。しかしながら、失敗、失敗、失敗の連続。正直、諦めようと思ったこともありましたね。
そんなある日のこと、実験用の炉が必要な温度にまで上がらなくなったんです。普通だったら炉を調整したり修理したりするところなんですが、このとき、ふと、あるアイデアを試してみようと思ったんです。それが、サファイアの基板の上に窒化アルミニウムの薄膜をつくるという方法。このやり方で、それまでの擦りガラスのような曇ったものではなく、無色透明な窒化ガリウムの結晶(高品質窒化ガリウム単結晶)ができ上がったんですよ。我が目を疑いましたね(笑)。まさか、こんな方法で実現できるなんて、思ってもみませんでしたから。
これが、赤﨑先生と私が開発した「低温バッファー層技術」というものです。さらに、私たちは難しかった窒化ガリウムのp型化にも成功し、これら2つの研究成果をベースに中村修二先生(現・カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授)が商業ベースにかなった画期的な製造法を編み出して、青色LEDは商品化されたわけです。

これこそ低温バッファ層の発明であり、この発明により均一でクラックのない窒化ガリウム薄膜が再現性よく得られるようになり、青色発光デバイスの研究が急進展する大きい成果であった。このとき赤﨑58才そして天野は博士課程の一年で弱冠24才であった。

【関連書籍】


【本人HP】


【その他】


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最終更新:2013年12月21日 16:09