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候補者達が危機に陥る最中、
雑賀衆が控える拠点もまた、 蜂の巣をつついたような大騒ぎになっていた。
雑賀狐 大騎
孫市様、あちこちで火の手が 上がっています!
雑賀孫市
分かった、お前は拠点の連中 と一緒に消火に回ってくれ。
雑賀衆 蛍
孫市様、魔獣群の勢いは未だ衰えず、 西門で多数の被害が出ております。
雑賀孫市
ったく、急に大挙して襲ってきた と思ったら、どいつもこいつも やけに興奮してやがる。
雑賀衆 蛍
拠点での騒ぎに乗じるかのように 攻めてきたのも気がかりです。
雑賀衆 蛍
人為的な何かを 感じずにはいられませんね。
雑賀孫市
とりあえず、西門の守りは下針を 投入してくれ、あいつを暴れさせて 時間を稼ごう。
雑賀衆 蛍
了解いたしました、至急手配します。
雑賀衆 発中
あわわ……いくら撃ち落としても キリが無いです。
雑賀衆 発中
退魔師の結界は どうなっちゃったんですか!?
雑賀孫市
退魔師の連中が全力で復旧中だ! ここはいいから、お前も 援護に行ってやってくれ。
雑賀孫市
どうやら一手……いや、 三手は遅かったみたいだな。
雑賀孫市
孫六、騒ぎを起こした奴らは もう押さえたか?
雑賀孫六
うん、縛り上げてるわ。
雑賀孫六
ただ……
雑賀孫市
どうした?
雑賀孫六
全員が口を揃えて、 何も覚えていないと 言ってるらしいわ。
雑賀孫市
ほう?
雑賀孫市
そこら中に火を放つわ、守りの 要になってる施設を破壊するわ、 好き勝手やってそれか。
雑賀孫市
随分と肝が据わった連中だな。
雑賀孫六
簡単に調べた結果らしいけど、 精神操作の兆候が見られると聞いてるわ。
雑賀孫市
む……?
雑賀孫六
それに、房善って覚えてる? あの出発前の式辞で登壇してた彼。
雑賀孫市
あの爺さんだろ、 覚えてるぜ。
雑賀孫六
この騒ぎの中で行方が分からなく なってるらしいの。
雑賀孫六
でね、ここから重要なんだけど。
雑賀孫六
あの男の現役時代の二つ名は 人形遣い。
雑賀孫六
その名の通り、他人を意のままに 操る術に長けていたらしいの。
雑賀孫六
という事はもう…… 分かるよね?
雑賀孫市
だな、何もかもが上手く 噛み合ってやがる。
雑賀孫市
他の退魔師連中も含め、 俺達はあの爺さんの手で 踊らされてたって訳か。
雑賀孫六
うん。こうなってくると、 継承の儀式とやらも怪しくなって 来るわ。
雑賀孫六
ここが落ち着き次第、真理亜達の 様子を見に行った方がいいかもね。
雑賀孫市
そのためにも、まずは魔獣を追い返し、 拠点を守って足場を固めねえとな。
雑賀孫六
そうね、私も前線の様子を見てくるわ。
雑賀孫市
おう、まだ残弾に余裕はあるか?
雑賀孫六
私は平気、兄さんは?
雑賀孫市
俺も平気だが、補給もままならない 以上は温存しておくべきだな。
雑賀孫市
やれやれ、こんな状況を想定 しての訓練だったが、まさかこんなに 早く機会が訪れるとはな。
雑賀孫六
そうね、これをもって実地訓練の 締めくくりと行きましょうか。
雑賀孫市
おーし、事が終わったら退魔師の 連中に思いっきりふっかけて やろうぜ。
雑賀孫六
いいわねそれ。
雑賀孫市
だろ? 戦功をしっかり稼いで、 雑賀衆ここにありと知らしめて やるとするか! |
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雑賀孫市
なるほどな…… よくぞ無事だった、 とは言えない状況だな。
退魔師 桜
それを言うならお互い様? 随分と派手にやられてるじゃない。
その後、隠し通路を利用し無事に
城を脱出した桜は、拠点に戻り 雑賀衆と合流する。
負傷した紗於奈を治療のために
預けると、互いの状況について 情報交換を行っていた。
雑賀孫六
拠点の守りも固め直したし、 いくら凶暴化してるとは言え、 魔獣についてはもう問題ないわね。
雑賀孫市
真理亜達の様子が気がかりだな、 まだ戻って無いんだろ?
雑賀孫六
残念だけど、そのようね。
退魔師 桜
真理亜なら大丈夫だよ、 あのお調子者と無口も思ったより 出来る奴だったしね。
雑賀孫市
そうか、信頼してるんだな。
雑賀孫市
俺がお前の立場だったら、 今すぐにも飛び出して行っち まいそうだぜ。
退魔師 桜
本音を言うと私も心配だけどね。
退魔師 桜
ブラドリクスが本当に復活する んだとしたら、望みがあるの。
雑賀孫市
件の真祖は気の強い女が好きなのか?
退魔師 桜
うーん、当たらずとも遠からずなのが 微妙……
雑賀孫市
うそだろ!? 冗談飛ばしただけだったのに。
雑賀孫六
他者との闘争に執着を示す……
退魔師 桜
そうよ、詳しいじゃない。
雑賀孫六
ううん、酒場でご一緒した陽気な 人が確かそんな事を言ってた気がして。
退魔師 桜
陽気な人……? まあ、情報の出所は どうでもいいとして、それよそれ。
退魔師 桜
ヴラドリクスは自分が認めた者は 殺さずに配下に加えてたらしいの。
雑賀孫市
なんだ、じゃあ結局女好きって 事じゃないかよ。
退魔師 桜
頭の中が桃色になってる馬鹿は ほっといて。
退魔師 桜
ヴラドリクスの価値観は見た目の 美醜じゃなくて、強さに重きを 置かれてるらしいわ。
退魔師 桜
真理亜ほどの実力なら、奴に 見染められてもおかしい話じゃない。
退魔師 桜
まあ、死ぬよりマシだってくらいの 話だけどね。
雑賀孫六
配下に加えるって…… 真理亜さんは大丈夫なの?
退魔師 桜
強い暗示を与えるんだけど、 術者を倒すと解けるのがお約束 だから平気。
退魔師 桜
実際、大昔に奴が討滅された後は、 多くの退魔師が戦線復帰したと 記録にはあったよ。
雑賀孫市
ならいいんだが、 お前は随分と真理亜を 買っているんだな。
退魔師 桜
当然でしょ?自他共に認める天才の私が 推すんだもん、実力は語るまでも無いよ。
退魔師 桜
(ただまあ……昔にちょっと つまんない事が起きたから、 実力を発揮出来てないんだけどね)
雑賀孫市
どうした急に、 考え事か?
退魔師 桜
あ、ううん、何でも無い。
退魔師 桜
それより今後だけど…… さっきも言ったように 二手に分かれるべきだと思う。
雑賀孫六
城に乗り込んで真祖の相手を する、その間は拠点の防衛を 固める必要もある。
雑賀孫市
戦力の分散は下策もいいとこだが、 人手が足りない以上はやるしか ねえな。
退魔師 桜
蘇ったばかりの吸血種は力が 弱くて、それは真祖であっても 同じ事。
退魔師 桜
だから、力が定着する前に 戦えば私達にも勝機があるの。
雑賀孫市
前線基地になっているこの 拠点はどうあっても落とせねえ。
雑賀孫市
今は落ち着いてるとは言え、 戦力をしっかりと割く必要があるな。
雑賀孫六
後は、万が一私達がしくじった 時の備えとして、城の紫音に 情報を伝えないと。
雑賀孫六
兄さん、伝令局から 預かってるあの子は?
雑賀孫市
無二に準備を進めさせている。
雑賀孫市
なんでか知らんがあいつ、 無二には妙に懐いてやがるからな。
退魔師 桜
あの子って?
雑賀孫六
仙狐族から非常時の連絡手段 として、鳥を一羽渡されているの。
退魔師 桜
要するに使い魔ね、 でも一羽で足りるの?
雑賀孫市
確かに、同じ文を持たせた 鳥を何羽も放つのが常套手段だが。
雑賀孫市
仙狐族が使ってる鳥は大層優秀 らしくてな、そんな保険も要らない んだとさ。
雑賀孫市
それにしてもだ。
雑賀孫市
真祖様の相手をしつつ、拠点は守らにゃ ならんとすれば、手が足りんぜ?
雑賀孫市
拠点に居る退魔師を大量に城に 送り込んで何とかしてもらうのは 駄目か。
退魔師 桜
雑魚相手ならそれが一番だけど、 高位の吸血種……ましてや真祖なら 無理があるよ。
退魔師 桜
だって、送り込んだはずの兵隊が そのままこっちの敵になっちゃうもん。
雑賀孫六
人海戦術は通用しないか、 改めて考えると厄介な相手よね。
雑賀孫市
となりゃあ、城には手練れで乗り込む しかないが、そうなると拠点がなぁ……
退魔師 桜
流石の私も疲れてるし、諸々の準備が あるから城の攻略開始は翌朝を見てるけど。
退魔師 桜
人員の配置については要検討だよね。
紗於奈
失礼します。
雑賀孫市
お前は!? 怪我は大丈夫なのか。
紗於奈
はい、腕の良い治療師に当たりましたし、 鈴門秘伝の回復食もいただいたので。
雑賀孫市
(あの肉か……流石は鈴門だな)
紗於奈
急ぎ城に向かい奴を滅する必要があると 存じます。
紗於奈
私はこの通り動けますので、 同行させていただくべく、 馳せ参じました。
退魔師 桜
駄目よ。
雑賀孫六
あら? 願っても無い増援じゃないの?
退魔師 桜
腕が立つのは認めるけど、彼女じゃ駄目。
退魔師 桜
房善の術が解けてないから、 このままだとまた好きなように 扱われちゃう。
一同は紗於奈が自らの意思に反し、
身体に短刀を突き立てた件を 思い出した。
紗於奈
それは確かに…… でも私は!
退魔師 桜
協力の申し出はありがたいけど、 房善が現れないであろう、拠点の 守りについてもらうのが最善よ。
退魔師 桜
……でも、 それじゃ納得しないんだよね?
紗於奈
はい、この命が尽きるとも、 せめて一太刀は浴びせたく。
退魔師 桜
そっか、そうだよね……
退魔師 桜
分かった、時間が無いから急ぐけど、 私は彼女にかけられた術を解くわ。
退魔師 桜
雑賀衆はその間に、城攻めと拠点 防衛に人をどう割り当てるか決めて おいて。
雑賀孫市
術を解くって、お前そんな 事も出来るのか?
退魔師 桜
私を誰だと思ってるの? 何でも出来るから天才って言うんだけど。
雑賀孫市
そいつは頼もしい限りだな、 紗於奈の事はよろしく頼んだぜ!
退魔師 桜
なにそれ、アンタ達知り合い?
紗於奈
はい。先日、一夜を共に させていただきました。
雑賀孫六
……兄さん?
退魔師 桜
うわ……きったな。
雑賀孫市
待て待て待て! 酔い覚ましに散歩してたら たまたま出会っただけだ。
紗於奈
?
雑賀孫市
お前も不思議そうな顔するな!
雑賀孫市
ったく、いかにも神秘的でございって 空気をまといつつも、一皮剥けりゃあ ド天然じゃねえか……! |
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解呪の準備が整ったと知らされた
紗於奈は、拠点内のとある一室に 招かれた。
何がしかの香が焚かれているのか、
室内には初夏の花畑を思わせる ような、爽やかな香気が漂っている。
退魔師 桜
来たわね。 早速だけど横になって。
退魔師 桜
時間も無いし、説明は 準備しながらで勘弁してね。
紗於奈
分かりました、 よろしくお願いいたします。
寝台に身体を預ける紗於奈には
目も向けず、様々な器具を手際 良く扱う桜。
先ほどの宣言通り手を動かしたまま、
解呪についての説明を行うのだった。
退魔師 桜
試しの間でアンタが自らに 刃を向けたのは、今更言うまでも なく房善の仕業ね。
退魔師 桜
詳しく調べたけど、房善がアンタに 施した術は2種類だったの。
退魔師 桜
「秘密の共有」と「記憶の改ざん」の 併せ技ね。
退魔師 桜
秘密を抱えた同士って、 自然と絆が深まるけど、これを呪いにまで 昇華したのが「秘密の共有」
退魔師 桜
「記憶の改ざん」は…… まあ、読んで字の如くだね。
退魔師 桜
まずアンタと房善の間で 何らかの秘密が共有される。
退魔師 桜
次にその秘密に改ざんを 施して蓋をする。
退魔師 桜
こうすると、アンタは秘密に するべき事を思い出せないから、 絶対に秘密が守られる。
退魔師 桜
そして秘密が守られる限りは、 秘密の共有が解けないから いつまでも術中に陥る訳だね。
紗於奈
では、これから成すべきことは 記憶の封印を解く?
退魔師 桜
ご明察。そうすると後は トントン拍子に事が運ぶ 寸法なの。
退魔師 桜
これってつまり……
桜は、それまで忙しなく
動かしていた手を止めると 紗於奈に向き直った。
退魔師 桜
アンタが抱える何らかの秘密が、 ここで明らかになるって事なの。
退魔師 桜
私は人様の秘密なんて興味無いから、 普段だったら別の手段をとるけど。
退魔師 桜
今は生憎とそんな時間が無い。
退魔師 桜
力技になるけど、アンタの心の 奥底に干渉して、自分で秘密を 喋ってもらう手段を取るわ。
退魔師 桜
だから再度にもう一度だけ 確認させて。
退魔師 桜
このまま進める?それとも止める?
紗於奈
続けてください。
退魔師 桜
だと思ったけど、清々しい までに即答だね。
紗於奈
時は一刻を争います、 私ごときの秘密なんて、 天秤に乗せるまでもありません。
紗於奈
それに、聡明な貴女であれば さぞかし口も堅いとお見受け しますが?
退魔師 桜
墓場までも持ってく 義理はないけど、 そこは一応ご心配無く。
退魔師 桜
よし、私に手綱を握らせる 意思確認も済んだし、 準備は全部整ったから始めるね。
退魔師 桜
とは言っても、アンタはそこで 目をつぶって横になってるだけで いいわ。
退魔師 桜
すぐに眠気が来るから、その時は 抗わないでね。
紗於奈
了解です。
紗於奈
…………
紗於奈
……
紗於奈
…
桜の言葉通り、瞬く暇もなく
訪れた眠気に身を委ね、 寝息を立てる紗於奈。
頃合いを見計らった桜が、香油の
入った瓶を鼻先に近づけると、 紗於奈は静かに語りだした。
紗於奈
父は腕の良い楽器職人でしたが、 人付き合いが苦手で、我が家は 里から離れた所にありました。
紗於奈
作った楽器をお金に換えるのは、 母と私の仕事で……
退魔師 桜
よし! 後は適宜修正を入れつつ……と、 上手く軌道に乗りそうね。 |
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幼い紗於奈
新しい楽器できた? ねえ、できた!?
父親
ああ、見てみるかい?
幼い紗於奈
うん! わぁ、すごくきれい……
父親
表板を保護する溶剤の配合を変えて みたんだが、これが大当たりでね。
父親
十分な強度を確保しながらもこの艶だし、 音の吸収も防いでくれるから、 音像がより鮮明に……
幼い紗於奈
う、うん……すごい、の?
母親
ちょっとあなた、紗於奈が 困ってるわよ?
父親
おっといけない。 ごめんよ紗於奈、まだお前には 難しい話だったね。
父親
堅苦しい話より楽器は音を奏でて こそだ、適当に一曲試してやろう。
幼い紗於奈
やったぁ、お父さんのえんそう好き!
母親
せっかくだから私も聴かせてもらおう かしら。
父親
ああ、あくまで納品前の試し弾き だから、凝った曲は出来ないけどね。
紗於奈
あまり自分の事を語りたがりませんが、 私に接する時は常に笑顔の、優しい父でした。
紗於奈
また、完成させた楽器で試し弾きを してくれる時間が何よりも好きでした。
紗於奈
その曲のいずれもが、父の人柄を 落とし込んだような、優しい旋律だった 事を覚えています。
取引先の商人
ふむ、相変わらず素晴らしい出来だ。
取引先の商人
一線を退いたとは言え、未だ腕は錆ついて いないようですな。
母親
ありがとうございます、夫にも そう申し伝え……えっ?
取引先の商人
どうされましたかな?
母親
こんなに……これはいただけません。
取引先の商人
彼の仕事ぶりには毎度関心しますし、 今回は色をつけさせてもらいましたよ。
母親
いえ、でも流石にこんな……
取引先の商人
それに、紗於奈ちゃんはウチの せがれとも仲良くしてくれるんだ。
取引先の商人
今後もより御懇意にさせて いただきたいのです。
取引先の商人
私の気持ちとして受け取って やってくれませんかね?
母親
分かりました。そこまで言ってくださる のであれば。
母親
こちらこそ、今後ともよろしくお願いいたします。
紗於奈
村にある商人の屋敷まで楽器を運び、 お金に換えるのが、母と私の仕事でした。
紗於奈
まだ幼い私がやっていた事と言えば、 商人の息子と遊んでいたくらいですが、 楽器を卸す際は必ず同行しています。
紗於奈
父が楽器を作り、他の家族がそれをお金に 換える。
紗於奈
今となっては、家族が一丸となって生活を 回すといった教育方針だったように思えます。
紗於奈
そして、あの日が訪れます。
紗於奈
楽器を卸すために村を訪れ、母が商談を まとめている間、私はいつものように 商人の息子と遊んでいました。
幼い紗於奈
ずるい、ずるいよー! まってー!
商人の息子
へへーん、お前がぼうっとしてる のが悪いんだ、悔しかったら 捕まえてみな!
幼い紗於奈
もうっ、ずるいのはダメなんだ からねー!
商人の息子
やばっ、こいつこんなに足が 速かったのか!
幼い紗於奈
まてまてまてー!
商人の息子
くそっ、追いつかれ……
幼い紗於奈
よーし、つーかまーえたっ!
商人の息子
くっそう、こんなに早く捕まる なんてな!
幼い紗於奈
えへへ、わたしの勝ちだね。
商人の息子
だな、悔しいけど全然勝負に ならなかったぜ。
商人の息子
お前、手先が器用なだけじゃなくて 足も速いんだな?
幼い紗於奈
そうなの?
商人の息子
ああ、村じゃあ韋駄天の名前で知られる 僕よりも速いんだ、お前は凄い奴だよ。
商人の息子
ま、男はいつも潔くしろって 父ちゃんが言ってたから、僕も 潔く負けを認めたんだがな。
商人の息子
つまりだ、足が速くて凄いお前より、 潔い僕の方がもっと凄いって事だ。
幼い紗於奈
そうなんだ……? すごいね!
商人の息子
正式に僕の部下に してやる日も近そうだな。
商人の息子
……ん?
幼い紗於奈
どうしたの?
商人の息子
なんか、村の方が騒がしくない?
幼い紗於奈
あ、うん。
幼い紗於奈
それに、胸がなんだかざわざわする。
紗於奈
森で追いかけっこに興じていた 私達が里に戻ると、日常の 景色は一変していました。
紗於奈
村の至るところから、獣の唸り声 が聞こえ、住人達は生気の抜け落 ちた瞳で、辺りを徘徊しています。
紗於奈
遠巻きに見ても分かるほどの異常な 様子は、私達に言い知れぬ恐怖を 与えました。
商人の息子
なんだよアレ! まともじゃない、絶対おかしいぞ!
幼い紗於奈
ううう、みんな怖いよ…… お母さん、商人のおじちゃんは?
商人の息子
分かんないけど、建物の中に 逃げた方がいい。
商人の息子
それに、僕の部屋には鍵がある。
商人の息子
家の鍵と僕の部屋で二つの鍵だ、 絶対に安全だよ。
商人の息子
だから何とかして僕の部屋まで 逃げ込むぞ。
幼い紗於奈
うん、わかった……
紗於奈
母親の安否が心配だった事もあり、 私達は商人の屋敷を目指します。
紗於奈
小さな体が幸いしてか、身を隠せる 物影も豊富にあったため、 辛くも屋敷に辿りつけました。
商人の息子
くそっ! 裏通りまで あいつらが居るのか。
幼い紗於奈
ねえ…… お母さんは? おじちゃんは?
商人の息子
大丈夫だ、父ちゃんは男の 中の男だし、お前の母ちゃんを 守ってくれてるよ。
幼い紗於奈
ほんと?
商人の息子
うん、きっともう家の中だ、 僕達も入れてもらおう。
幼い紗於奈
でも、どうやって?
商人の息子
あいつらは動きが遅いし 頭も悪い、だから……
商人の息子
よし、音に釣られた 隙に行くぞ。
幼い紗於奈
すごい! 大人みたいで かっこいいね!
紗於奈
目を覆いたくなるような惨状の 村を私と彼は進みます。
紗於奈
幼子とは思えない程に、理知的で 勇気のある彼の行動に私は力つけ られたものでした。
紗於奈
そして、幸運にも村の異形達に 気付かれる事も無く、商人の家の 扉まで辿り着いたのです。
商人の息子
あれ? おかしいな……
幼い紗於奈
どうしたの?
商人の息子
鍵がかかって無いんだ。
商人の息子
もしかして、父ちゃん達は 別の場所に逃げたのかな。
幼い紗於奈
はやく、はやく 入ろうよぅ……
商人の息子
うん、そうしよう。
商人の息子
鍵もかけてと…… これでよし。
商人の息子
あとは僕の部屋に隠れて、 助けが来るのを……!?
商人の息子
まずい、隠れろ!
幼い紗於奈
え? あっ……!?
紗於奈
商人の邸宅には、既に 異形と化した村人が侵入していた のです、それも何体も。
紗於奈
施錠されていなかった時点で 警戒すべきでしたが、幼子達に それを望むのも酷な話。
紗於奈
咄嗟に身を隠して以後、 身動きの取れない私達ですが、 状況を打破すべく彼は動きます。
商人の息子
よし、俺があいつらを外まで 引き寄せる。
商人の息子
お前はすぐに鍵かけて、 僕の部屋まで逃げるんだ。
商人の息子
この辺りの道に詳しくないと 逃げ切れないから、 足が速いだけじゃ駄目なんだ。
商人の息子
それに、僕もいつかはお前の 父ちゃんみたいに……
幼い紗於奈
(わたしのお父さん……?)
商人の息子
僕の部屋の鍵だ、 場所は大丈夫だよな?
幼い紗於奈
2階にのぼって、 つきあたりを右だよね?
商人の息子
よし、行けそうだな。
商人の息子
じゃあ僕はこれから、 家の中を走り回って、 奴らの気を引く。
商人の息子
一通り引きつけたら、 外に逃げるから、お前は入口に 鍵かけてから部屋まで逃げるんだ。
幼い紗於奈
でも、外にでても大丈夫?
商人の息子
心配するな、あの森に 僕達の秘密基地があるだろ?
商人の息子
村を出てそこに隠れてるつもりだよ。
幼い紗於奈
うん、わかった。
商人の息子
じゃあ行くぞ!
紗於奈
彼は宣言通り、 派手な物音を立てながら、 奴らをおびき寄せます。
紗於奈
やがて、邸宅の侵入者達を 引き連れた彼が外に出たので 私は指示通り、入口を施錠します。
紗於奈
そして、彼の部屋の中に 逃げ込み更に施錠します。
紗於奈
一息つけた安堵感からか、 私の全身を疲労感と眠気が 襲います。
紗於奈
いくら当面の安全を確保した とは言え、依然として危険な 状況です。
紗於奈
そのまま眠る訳にもいかず、 睡魔に抗い続けますが、 やがて意識が朦朧としてきます。
紗於奈
その時、微かにですが、 外から音楽が聞こえます。
紗於奈
それは今まで聞いたことも 無い程に勇ましく、力強く。
紗於奈
そしてどこか物悲しい旋律でした。
紗於奈
混乱の最中にある村の中で、 誰かが音楽を奏でるなど、 あまりも非現実的です。
紗於奈
そんな夢現の境で、私は やがて意識を手放します。
紗於奈
幾許かの時が流れ、 目覚めた私は協会の退魔師に 救出されます。
紗於奈
それは他でもない、 後の我が師となる房善様でした。
紗於奈
そして聞かされます。
紗於奈
吸血種の戯れで 一つの村が消えた事。
紗於奈
私が全ての家族を失い 天涯孤独の身となった事……
紗於奈
そして、孤児として協会に 保護された私はその恩義に 報いるべく。
紗於奈
また、理不尽な悲劇を これ以上繰り返さない ためにも、決意しました。
紗於奈
退魔師としての道を志した私は、 研鑽を重ね、今に至ります。 |
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