悪魔城【Noct Queen】ep1

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涙が許されない非常さがある
                酔いたくとも酒を受け付けられない非条理がある

    嗚呼無情なり、我は鬼の子

               渡る道を間違えた愚かな迷い子

        人の世は鬼よりも恐ろしや、我悟りて候







 「知ってるか坊主、いかなる覚悟を決めるにはそう然るべき時と場というものがある
      それは意外にも虎の穴蔵の中に赤子を捨て置くかのように無謀で奇妙にも見えるような瞬間だ
                        教えてやるよ、荒稼ぎを許された黄金の刹那というものを」


 溜池で釣り糸を垂らすその老人はムガデのような背骨を曲げ、藁半紙を丸めたと言った具合に嗄れた声でこう得意げに囁いたのを覚えている
 今思えば迷信じみた話だ。そう思った。ただこれは迷信でもなんでもない、列記とした事実ではあった。 ––––––ただ、少々度が過ぎたというだけのことだ

「いやなかなかお上手で」「妻とは西の方で」「”Peace”が目を光らせてますし」「味方殺しが––––」
 「ギャレッドとは友好な関係を」「売り時といいますかね、まぁ日銭程度にしか稼げませんが」「ご冗談を」

 四方八方から聞きなれない横文字を絡めた言葉がが右へ左へ、さながらピンポンの打ち返しでもやっていいるかのように響き渡っては、
黒服の茂み、着飾られたドレスの花園へ消えていき、そしてまた呼応するようにざわめく
 ここは香水やヤニ、アルコールや香辛料、銭と紙幣の黴くさい悪臭が漂う、騒音の渦の雑木林だ
 真紅のカーペットの上を行き交う人だかりは全て連中にとってはそこそこ、自分にとっては雲の上の人間が纏うようなモーニングスーツやドレスばかり
 ともなれば当然、彼、彼女らの囁く言語はいかにも聞きなれないというよりかは言語なのかすら疑うものばかりである

 上流階層の社交界。つまりここはそういう場所だ、実にわかりやすいというか、むしろそういう雰囲気をありありと描いて優越感に浸ってるとすら感ぜられてならない
 もっとも、それを妬んでいると指摘されればそれまでなのだが

「だがしっかしまぁ、分かりやすいことこの上ない」

 “気取り屋”というのは特殊な生態を持つ生物と大差はないと老人は教えてくれた
 例えばビーバーが川にダムを作る、カメレオンは擬態するという生物の遺伝子に組み込まれた行動パターン、
それは彼らにとって当然であり”そうせざるをえない”当たり前のことなのだ
 彼ら、彼女らが食卓という場において課したルールもまた、人でありながら、『種の識別化』を図るためのそれが存在する
 その内の一つの理解は、ある意味自分たちとは異質が過ぎるため象徴化しやすくある意味飲み込みやすい。それが––––– テーブルマナー

「ひとつ ナプキンを置く位置の左右は、最初に置かれたそれに合わせなければならない それは善悪関係なく彼、彼女らの法則であるからだ」

 食事会が始まった
 誰も彼もがそれぞれ複数配置してある12人掛けのテーブルに座す。後に知ったことだが13という数字は宗教上の理由から縁起が悪いらしい
 ピタリと止む雑音の豪雨
 静粛した暇
 美しくきらびやかに着飾られた貴婦人
 鮮血を浴びたかのように黒く滴るスーツ達
 いわゆる『お誕生日席』に座す男が右にナプキンを置いた。案の定、そのテーブルに座す者は全員が全員そのようにする
誰もがそうする、当たり前のようにそうする。今この場で法則は決定づけられた

「さぁて、日銭だ」

 規則正しく配置されたインテリアのように佇む燕尾服のウェイター達
 その端に控える黒髪の東洋人の青年は口の橋を裂いて歓喜に震える








 ––––––––紳士淑女は食事中に席を立たないものである

 そう、この場にこそ泥というトブネズミがまぎれこんでいようがそのようなことは決してあるはずも無いのだ
 そもそも富豪というのは金目の品には保険金を駆けているはずだし、この収穫で誰かが特別死ぬほど嘆き悲しみ、そして道端に転がって死ぬということはないのである


「如何されましたか、公爵」

「いやぁないんじゃよ」

「デポジットにしといた、ワシの婚約指輪」

「婚約指輪をデポジットってちょっと公爵」

「いやぁ〜〜……これはあれじゃ」



   ネズミじゃな



 その頃
 やったやったやった!と、掠れた民謡の歌声のようにこらえきれない勝利の喜びに満ちた叫びが、
暗がりの草むらをかき分けて何かが駆け抜けるざわめきに紛れて絶えず弾んでいた

 一匹の子鬼は自分の身の丈の倍はある、アドバルーンのように膨らんだ唐草模様の風呂敷を背負って夜の闇を切り裂き、
一陣の風のように軽やかな足取りで駆け抜けていく。その足音に続くようにして、風呂敷の中身の盗品がガシャガシャと赤子のようにやかましく喚いていた

 釣り人?の爺さんが入っていたことは紛れもなく事実であったと、感謝をすると同時に気取り屋の鳩共相手にしてやったりと、
小鬼は木々をかいくぐる折には一度二度と回転して見せたり小躍りでもするかのように舞っていた
 勝利の宴が、旅団の奏でるしらべのように響き渡る

「ししし……弱いねぇ弱いねぇ、人間ってぇのはオツムも身体も軟弱……数だけのダニも同然だぁ!今度引っ捕まえて家畜にでもしてやろうかっ!」

 と、得意げに勝ち誇ってすっかり先ほどまでの気取り屋の巣窟だった屋敷は遠くなり見えない距離まで来た
 人里まで離れてしまえばこちらのもの、行商人に紛れてしまえば例え追ってこれたとしても誰の荷が盗品かなど知るものはあるまい
 そう、タカをくくった頃のコト

「偉く上機嫌じゃないか、そんなに急いで…… そう焦らずとも幸運は逃げたりはしないよ」

 –––––か細い、10にも満たないような幼子の声が一瞬、耳元を過っては虫の羽音のように遠ざかって消えていた

「ッ……!?」

 思わず息を飲み草土を体重を乗せた足で踏みぬき前進していた身体を押しとどめる
 先ほどまでの祭り気分は何処へやら、流れ弾が頬を掠めた獅子のように、ピリピリと頭髪を逆立て感覚を研ぎ澄ませながらも
『姿を見せたなら、屠る』と腹を決め握りこぶしを背後に忍ばせ身構える

「よく吸血鬼と呼ばれるがね、私はあんたをとって食うような趣味も嗜好もないし……まぁとりあえずそいつはしまっておくれよ、怖いったらありゃしないね」

 幼子の声が言うように、殺気らしきそれは一切感ぜられない
 さがそれは逆に、予感めいた恐怖を逆なでするだけだった。彼は知っている、優れた達人というのは殺気を消しただ呼吸するように獲物を命を掠め取っていくのだ
 丁度、視界の中央に佇んで微笑む、純粋無垢という仮面を被ったこの幼い小娘のように

「こんな時間に出歩いているんだ。きっと悪い子に違いないだろうよ。そらもう警戒するに決まってるさね」

 首筋に冷たい感触が伝う。なんとも始末の悪い相手だ
 じっと、獲物か天敵か、判別のしにくいものをを目前に見据えた虎のように毛が逆立つのを感ぜられる
 圧倒的に不利であると即認知できたなら即重い荷を降ろして逃亡と決め込むのもやぶさかではない筈なのだが、
ひょっとすれば軽くいなせる程度の小娘に過ぎないかもしれない
 見栄を張って作って見せた笑みがヒクヒクと痙攣している、少なくとも表情は正直なので駆け引きは利口じゃない

「自己紹介ドーモ、悪童はお互い様。まぁ仲良くやろうじゃないか」

 女狐め。
 青年は内心決して小さくない舌打ちをし眉間に深い皺が刻まれる
 口ではああ言っているがお茶会なら昼間に、それも今宵のような、1秒すらも取りこぼせない夜に……

「ああ、追っ手の諸君なら今頃ひき肉になって家畜の餌か費用にしておいた
 ここらへんの飯はうまいんだ、せめて生産者?にとっての良い肥やしになってくれているだろうよ」

「あ?」

 空気が、急に張り付いていく
 こういった子供は過激なジョークを好んでよく使うし、自分にもその覚えがある
 ただ、この状況下ではとてもソレだと、安心して悠長にしていられるはずもなかった

「日は落ちてるが寝言はベッドに入ってからだぜ、夢遊病者っていうのは無理矢理寝かしつける必要があるようだぁなァ」

 悠長にはしていられない、というのは仮にこの子供がそれだけの力を有していようとなかろうと、
結局の所状況に変化はなくただこうして立っているだけでは状況は重力に従い悪化するばかりだ
 ならば屠るのが早いだろう
 ただの雑魚ならばどうせ追っ手など始末はできていない、それなりの相手ならば実際問題追っ手など気にかけることなくここで全力を出せる


「クスッ 子守唄には昔から厳しくてね。 好いよ。その拳で奏でてもらおうか、この私に相応しいノクターンを」

「ほざけ、クソガキ–––––––!!」






「型があったほうが効率がいいって?」

 遠い追憶
 夏の日照りが激しく熱風は近くで火でも上がっているのではないかと疑うほどに熱気で満たされた真夏の昼下がり
 友人、と言ってもえらく年の離れた自分よりかは倍の体格を誇る鬼はそう指導してきた
 その当時は喧嘩拳法と拳一つで気に入らない奴、邪魔な奴は殴り倒して解決してきたし、
今更そんな物盗りのための拳に、流派なんて大層なものは教わる気はさらさらなかった

「ああ、お前の動きは細やかで荒い割には的確だ。だが一撃一撃に込める力が堅すぎる。
 軟を得なければお前の体はそのうち動かなくなってしまうよ」

「へぇ、じゃあそのゴムみたいな体で人を殺せんのかい。そうは思えないね。爪で引っ掛けるのはその部位が硬いからだろう?」

「その拳を振るえるのは、お前が仏像のような傀儡でない証に他ならんだろう」

「けっ、言ってくれるねジジイ」






「さてさてどうした。お前の拳は、怒りをがむしゃらに空にぶつけて終わりか」

「るっせぇ、今はまだ準備運動だッ!!」

「それは何より」

 まるで腕を前足のようにして、そのコウモリ少女は木々の間を飛び交っては、
さながら妖精の舞を見せつけるかのような優美な動きで空中を舞い、雲のようにこちらが繰り出す一撃一撃を交わしてしまう
 先の廻し蹴りで連なった木々二本がへし折れたが、その頃にはすでに奴は死角に移動していた

 結局のところ、流派こそは体得はしなかったが、戦いにおける『型』は学び取った
 文脈の読み、過不足のない一撃一撃の加減、読みの正確さ
 それらは千人千色、敵の動きを簡単に見切れはしない、だがその場で可能な行動というものは間違いなく限られる
 先人の経験に基づけば、昨日今日と手合わせる相手が違えど、対応はそう変わることはない

––––––それがどうだオッサン、結局軟体だろうが硬体だろうが、
      当たらないもんは当たらないんだろう……

「がッ!!」

 –––––だから”借り物”の型はこのつま先に串刺しにされた地の片割れと共に捨てる

 鬼の繰り出した一撃は格闘技のそれとは無縁のものだ
 最初の踏み込みで地を砕き、亀裂で分断された地表の一部をサッカーボールさながらに、大砲の弾にして蹴り飛ばす
 即興にしてはあまりにも凶暴な飛び道具であろう

「–––––!」

 木の枝の上に留まった彼女も、今回ばかりは意表を突かれたのか瞳を小さくし飛来するその物体に対しおとなしくしていた

(決まったな)

 そもそも、護身術や技というのは技術で力なきものが打ち勝つために用意されたものだ
 しかしそれは相手が力ある脳なき鷹であればこそ通じる話
 こいつは見事な賢い “ヒト”だ。それも、龍のように力強く、花のように美しく繊細な
 であればこそ、そのような水のような存在に形ある物を砕く拳など通用するまい、最も……それは今までの話だ
 叩いて飛沫にする、それで終わりだ

 –––––––月下の森林に砂埃が山のように立ち上り薄れていく
 けたたましい轟音が鳴り響いたかと思えば、緑は静けさを取り戻し余波で微かにざわついていた






 敗北を思い知るに至るまでの道筋は料理本のページをめくりながら順を追って炊事をこなすよりも容易く、
そして明快で、シンプルで、何より理解しがたいものであった
 それはさながら、卵を落とせば床で砕けるという必然であるかのよう
 しかし同時に、中身が溢れないという不自然さも含む

「鬼のタタキの一丁上がり。さぁさ、お代わりでもお上がりになるかね」

 それはさながらに、50m程度のかけっこを終えて一番乗りになったからかどこか嬉しそうに足取りを軽くした少女のようだった
 そんな幼くはしゃぐ彼女の身体は愚か、纏った衣服にすら傷や汚れが無い
 勝負に費やした手数は明らかにこちらの方が圧倒的に多いというのに、かすめることすらできなかった証明に他ならないのだ

「手前、何をしたんだ。どういうことだおい、土手っ腹に大砲打ち込まれたみてぇに体が動かねぇ」

「簡単なことさね、”眼”が良すぎるんだよ私は」

 しゃがみこんで膝小僧に頬杖をついたその少女は自らの目元を指先て引っ張り、舌を覗かせた茶目っ気のある表情でこう返した
 鬼の方はというと、その少女の赤い瞳にいいように見下され、さながら王の墓に埋葬された干物のようにおとなしく仰向けになって動けずにいる
 釈然としない答えに対し難しい表情をしていると、コウモリ少女はすこりと笑み

「どう対応すればいいか詳細に入ってくる視覚情報を元に判別できるってとこさ
 お前の投じた飛び道具は、木に衝突した際に内包していた石などを散弾銃の如く飛ばしてくるが私には砂つぶの一滴まで見分けることができる。
 比較的速度の乗っていない飛来物を蹴り返して土手っ腹に打ち込んでおしまい、簡単だろ?」

 得意げに語る彼女はさながらに、スポーツ中継を見ながら冷静に選手を分析する解説のように、
己よりかは他人の技術を賞賛するでもなく貶めるでもなく淡々と語ってみせるかのようであった
 不思議と、憎らしいという気はまるでしない、いやむしろ-–––––

「簡単に言うなよ」

「事実じゃん」

 ここまで容易く、片手間程度にいなされるともなると、一つの話のタネとして後にお笑い草になるだろうなと、
乾ききった笑いがこみ上げてきて仕方がなかった。穴があれば入りたいというやつだ
 別段油断こそしていなかった、それが返って清々しいものだ。手を抜くまでもなく、全力を出す暇すらもなく瞬殺されたのだから
 その齢でここまで強いというのだから、ここまで美しいというのだからせめて

「お前はもっと誇らしげに言えっての」

 自己評価の低い人間に敗北するというのはあまりにも耐え難い屈辱だ

「お前こそな」

 コウモリ少女は己の力量、勝利という結果よりも己が打ち倒した鬼という、
目の前に向ける目のそれを誇らしげな色に染めて、「取れと言わんばかりに」手を差し伸べていた

「この私にはあまりある角も美しき、凶暴な検べであった
  鬼よ、私はお前が気に入った。お前のことを知りたい」

「そうだな、まずは」

「食いもの。好きなやつだ、なんでもいい言ってみろ、メイドに作らせる」

「音楽は聴くのか? お前の故郷には民謡でもありそうじゃないか」

「ああそうだ故郷といえば、お前自身の家族の話も聞いておきたいな」

「鬼ってちゃんと手洗うのか? 酒には強いと聞いていたがお前もいけるクチなのか」

「それと––––」

心底、うんざりする
こんな外見通りに好奇心の塊、世間知らずそのものであるようなクソガキにいいようにあしらわれる不甲斐なさに

「まずは手前のことから話せよや、俺たちにもそんぐらいの知性はある」

「敗者が指図するんじゃぁない」

 呆れかえりつつも、無視できるような状況ではない
かといってこのまままくしたてられても面倒だと突き放すような物言いをしてみたが、彼女は途端にピシャリと吐き捨て抵抗も虚しく押し黙らされてしまう
 まるで本当に子供だ
 能力のある子供、そのまんま、そういう夢物語に描いたようなクソ生意気な餓鬼
 目の前にいるこれはまさにそれ、面倒なことこの上ない……ただ

 「ただ––––––– 非礼は詫びるとしよう。 そうだな、まずは私のことから話しておこうか」

 「私の名は––––––––」

 月すらも背後に従えるかのように踵を返し、振り向いてみせる彼女の瞳には、
人や鬼の生きる歳月よりも長き時を経て熟された葡萄酒のように、深淵を覗きもうような紅が携えられていた




      「エリザベス?・ヴァン・シュテイン」




*




 見渡す限りの漆黒、見上げれば月は遠く夜は闇色に輝きを放つ
 あの夏終わりの日に、ひぐらしはただ気の向くままに歌を奏でていた
 それは、剣闘士を待つ凡俗の喝采が如く、滑稽で妙に風情のあるものに感ぜられる

「あーあー、缶ビールってのはすぐ生ぬるくなっていけねーや」

 今や悪魔城と呼ばれる古城の門前において、彼は鉄格子に背を預けて一人ごちながら闇夜に開いた白銀の瞳を仰ぎ見る
 その視線の先には、孤独な黒揚羽が月光を浴びて影法師のように横切っていた
 こころなしか、彼女の通った後の風は肌寒く思える

「さてと。 いよいよ御一行様のご到着か、お行儀よくしてねーとなドアマンは」

「リズ、手前は手前の眼を信じていればいい。 後のこと俺たちに預けろ」



        ー鬼は、必ず盟約を守るー










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最終更新:2025年01月21日 03:16