《悟史のテントと墓/英名不訳》 |
少年一人が少女を守る為に自ら命を削ったことにより、死に場所よりも少し離れた場所につくられた墓
そして彼の住居のテント。
テントは今では誰でも入れる状況であり、食事以外はなんとか凌げるほどの原始的な生活ができる
その場で居た人は勿論、彼は命の取引を行ったことにより死亡した為、年に一回の参観でなく
ほぼ毎日墓にくるものもいる。
名所として認められるかどうかの議論もあったが、彼の定義に答える事にした
しかし、2010年12月19日、蓬莱山輝夜の剣術により十文字の刀傷が墓に刻まれてしまった。
最終更新:2025年08月24日 14:31