疑似体験がなぜ楽しいのか?

疑似体験がなぜ楽しいのか?


・ドラマ“しても”つまらない日もあるやん

前回(カオスドラマの魅力ってなんだろう)カオスドラマの魅力は疑似体験にあるさらっと説明しました。
しかし、その理念はわかったとしても、なぜそうなる(感じる)のかの原理原則がわからなければ物事は上手に運べませんよね。
ということで今回は、「なぜカオスドラマにおける疑似体験が楽しいと感じるのか」について、掘り下げていこうかと思います。

・疑似体験は現実に即したもの

まず、あたりまえなのですが、疑似体験=無条件に楽しいことではありません。
というのも、僕は前回こう述べました

とまり、憧れのハルヒちゃんだとか孫悟空さんとかと、自分の化身である出演者が共演、お話できるのだから
これをつまらないということは出来ないでしょう。カオスドラマの魅力というのは、出演者を通した疑似体験にあるのではないでしょうか。

疑似体験とはいっても凉宮さんやカカロットだから楽しいのであって、巨大カマドウマに潰される疑似体験とか、フリーザに爆破される疑似体験とか、嫌ですよね。
疑似体験というのですから、当然、楽しい、嫌だ!の基準も基本的に現実に即したものであるわけです。

・疑似体験は理想に即したもの

疑似体験がなぜ楽しいか考えるときに、基盤になっているのは簡単、現実での私たちの感受性と同じであることを説明しました。僕らがやって楽しいことであればいいのです。
さて、今のは疑似体験が楽しいと感じる根本的なことについて説明しましたが、次はその側面について見ていきましょう。
というのも、この側面こそが最大のミソです、先の文を引用します

とまり、憧れのハルヒちゃんだとか孫悟空さんとかと、自分の化身である出演者が共演、お話できるのだから
これをつまらないということは出来ないでしょう。カオスドラマの魅力というのは、出演者を通した疑似体験にあるのではないでしょうか。

ということですが、さて、ここで考えてみてほしいのですが、あなたのご近所に凉宮ハルヒちゃんはいらっしゃいますでしょうか?
カカロットは、どうですか?

そう、彼らは現実に存在していないんですね。

ということは、先に上げた文のような、凉宮氏やゴクウとの共演というのは、これはあくまでただの妄想であり、願望なんですね。

・現実では不可能なことをするからこその疑似体験

現実に存在しない人物に対して、対話や行動を仕掛ける。
あるいは、現実では不可能なことをする(超能力でステンドグラスぶち破るとか)
つまり、カオスドラマにおける疑似体験というのは、「思い描いた妄想(理想)を疑似的に成就させる」ということだったんですね。

理想ってことは、つまり、たとえば「お金持ちになりたい」だとか、「美人なお嫁さんと結婚したい」とか、「イケメンになりたい」とかと同じです。
もしこれらの願望や理想が叶ったとしたら、それはもう、あえて文章にする必要もないほどですよね。
とはいえ、皆さんも日ごろ(妄想を)すると思いますが、それはほとんど地位的や生まれつき、時代などの理由で決して叶わぬ願いであることが大半でしょう。

しかし、それらの願望や理想を、周りが(現実に存在しない)出演者を使う、世界観を整える
あるいは自分が率先して設定、使用していくことによって、疑似的にですが実現可能にすることができるのです。
もはやこれ以上の説明は不要でしょう、疑似体験は、思い描いた理想を疑似的に体験するから面白いのです


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最終更新:2020年09月16日 06:47