33-846

33-846 名前:関白失脚宣言[sage] 投稿日:2006/06/10(土) 21:21:45 ID:???
いい匂いがする。最初に、鼻がそう感じた。
ゆさゆさゆさ
次に、身体は揺れという刺激を受容した。
 ネット界の女王、このちう様の体が軽く揺すられている、
ということが薄ぼんやりとした意識でも理解できた。でも、それだけ。
身体は横になったままで、意識も眠りから完全には抜け出せない。
起きなきゃ、とは思えないからだ。
しかし、あたしのこんな葛藤にはお構い無しに、揺れは止むことがない。
ふと、あたしを起こそうとしているんだろう、ということまで思考が至った。だが、あたしは動かない。何故なら私は女王だから。……なんか変なこと考え出している気がする。ま、いいや。深く考たりしたら、目が覚めちまう。
まだ、揺れは治まらない。起きないとまずい時間なのかもしれない、
と思い至った。
「う……ん……」
33-847 名前:マロン名無しさん[sage] 投稿日:2006/06/10(土) 21:22:17 ID:???
でも、起きない。起きたくない。まだ寝ていたい。
 ゆさゆさゆさゆさゆさゆさ
 目覚めようとしないあたしを、しつこく、だが優しく、
『誰か』は揺り起こそうとする。
「うーーん……うんん……」
ちょっと、起きようかな、という気がしてきた。
ゆっさゆっさゆさゆさゆさゆっさゆさゆさゆさゆっさゆさ
「ううん………う……?」
 揺さぶりが激しくなってきた。
 ああ、ああ、ああ。起きちまう、起きちゃう、起き、起き、起
 ………………………
 起きることにした。起きないと、このゆさゆさは永遠に続きそうだ。
分かったよー。起きますよー、と。
ついにあたしは半身を起こし、そして大きく伸びをした。
すると
33-848 名前:関白失脚宣言[sage] 投稿日:2006/06/10(土) 21:24:02 ID:???
「ごはん」
「……ん」
 突然、『誰か』がお決まりの言葉と共に、
あたしの目の前にお玉を突き出してきた。
お玉の持ち主に目を向けると、そこにいたのはやっぱり、
いつもの奴だった。真っ直ぐにあたしを見るその目。
険しくも柔らかくもないその表情。常識人ならするはずのない奇抜なメイク。近くで眺める回数が随分と増えたその顔を、今日もまた間近に拝んだ。
「分かったよ。起きるよ」
 枕元に置いておいた眼鏡をかけて、返事をした。
朝食ができたのなら、早く着替えないとまずい。
ごはんが冷める、とこいつは必ず文句を言うから。
そう思って、パジャマに手をかけた。のだが、すぐには脱がなかった。
 じっと見られていては、脱げるわけがない。
「何見てんだ、お前は」
 じろり、と睨んでみせた。
 が、こいつは全く怯まない。
「?」
 どうして睨むの、とでも言いたげな顔をする。
なんて神経の図太い奴だ。こいつの無頓着さにはいつもながらため息が出る。
「すぐ行くから。先に食ってろ」
「うん」
 トコトコ食卓に向かっていく。が、あたしが行くまで、
どうせ食わずに待っているのだろう。返事だけなのも、いつものことだ。
33-849 名前:関白失脚宣言[sage] 投稿日:2006/06/10(土) 21:24:53 ID:???
服装変換、完了。朝飯を食う時間は、まだ十分にある。
「……やっぱりな」
 あたしが食卓に着いた時、まだ朝食は誰にも手を付けられていなかった。
やっぱり、あたしのことを待っていやがった。ま、別にいいけどな。
「いただきます」
「おはよう」
 中身のずれた挨拶が、タイミングだけハモった。
「待て待て! 何で『おはよう』なんだ。『いただきます』だろうが」
「まだ、ちさめと挨拶してないから」
 さらっと答えやがった。
「あー、そうですか」
「おはよう、ちさめ」
「おはよう、ピエロ」
「……ピエロじゃない」
「……おはよう、ザジ」
 ピエロ役をやっているくせに、細かい奴だ。もっと精神的余裕を持て。
綱渡りできんぞ、そんな細い神経じゃ。いや、さっきは太かったか。
「綱渡りは得意」
「……人の思考を読むな」
 ザジ・レイニーデイ。それが、今あたしの目の前で、
あたしの部屋で朝食を食っている奴の名前。クラスメイトにして、
現在の同居人。事情はわからないが、修学旅行が終わった日から、
あたしの部屋に住み着きやがった。
 今日もまた一日が始まる。今日もまた、ザジと一緒の朝飯から、始まった。
33-856 名前:関白失脚宣言[sage] 投稿日:2006/06/10(土) 22:53:33 ID:???
「……です! 急いでくださーーーい!!」
 風紀委員だか、なんだかが、登校中の生徒に急ぐよう
呼びかける。今週は遅刻撲滅週間らしいから、
その活動の一環だろう。盛んな呼びかけにつられて、
周りの奴らは大急ぎであたしを追い抜いていく。
 曇り空の下、見知らぬ奴らの群れの中に、あたしはいた。
「馬鹿が……始業までまだ10分近くあるじゃねーか。
なに乗せられてんだか」
 どいつもこいつもマヌケなもんだ。だいたい早く着きたいなら、
その分早く家を出ろ。あたしみたいに、計画的に登校すりゃ問題ないのに。
 文庫本を読みながら、あたしは教室に一歩一歩近づいていた。一人で。
 バコン
「てっ」
 な!?
 突然、後頭部を何かで叩かれた。背後からの一撃だ。
反射的に振り向きかけたのを自制して、あたしは前に走った。
大きなダメージはない。動けるのだから、逃げるのが今は
最良の方法だ。犯人は予想できている。けれど、振り向いてそいつに
文句を言う暇などない。そんなことをしていたら、鬱陶しいこと
この上ないことになる。
33-857 名前:関白失脚宣言[sage] 投稿日:2006/06/10(土) 22:54:48 ID:???
あたしは加速した。
が、目論みは淡い夢として即座に散った。足が重くなって、
動かせなくなったのだ。これは予想外の事態だ。
「くっそ……」
 観念しつつ、せめてもの反撃として怒鳴りつけてやろうと思い、
あたしは振り向いた。が、予想している人物の姿がなかった。
一拍おいてから下を見ると、足が重い理由がしっかり確認できた。
 私は質問した。足元の不審者に。
「一体、何をやっている。ピエ……ザジ」
「復讐」
 ピエロメイクの不審者は、生意気にも自分に正当性が
あるようなことを言い出した。
「……どういう理由で」
「わたしのこと置いていった」
 上目遣いに、あたしの顔をまっすぐ見つめてくる。
「お前の支度するスピードが遅いからだ」
 視線をそらさずに、あたしの正当な主張をした。
すると、ピエロは少し眉をひそめた。心外な、とでも
言わんばかりの顔をしている。
「事実、遅かっただろうが。制服着るだけに、
20分なんてかかりすぎだ」
「……」
33-858 名前:関白失脚宣言[sage] 投稿日:2006/06/10(土) 22:55:45 ID:???
本日の弁論を試みる。目を閉じ、こめかみを押さえながら、だ。
 反論なし。納得したか、と決して思ってはいけない。
こいつは屁理屈を持ち出すから。さて、今日はどう出る……?
 ………………………………………………
 なかなか仕掛けて来ないな。
 ……………………………………
 来ないな。
 ………………………
 と思っていたら、チャイムが聞こえてきた。校舎の入り口を向けば、
学生たちが殺到しているのが見える。
「やばいっ!」
 予鈴じゃねえか!無駄な注意に気がとられていた。
あたしとしたことが……!
 焦るあたしに、腹立たしいくらいに冷静なピエロの声がかかる。
「ちさめは最近ドジばっかり」
「何だとぉ」
 再び下にいるはずのピエロに文句を言おうとした。
が、いない。
昇降口の方を再び振り向くと、一人でさっさと前に行ってやがった。
ちらりと、わざわざ立ち止まってこっちを見た。
「やっぱりドジ。あの先生が来てからは、ずっと」
「な! 待て、こらぁ!」
 ピエロが走り出した。その後姿をあたしが追う形になる。
 全力でピエロを追走した結果、なんとかあたしは本鈴直前に
教室に到着することができたのだった。
33-859 名前:関白失脚宣言[sage] 投稿日:2006/06/10(土) 22:56:35 ID:???
三時間目の授業中。
ちび教師のネギが短い手を伸ばして、できるだけ黒板の高い所に
字を書こうと悪戦苦闘している。
 すると、委員長がしゃしゃり出てきて、ネギを抱えあげた。
嫁か、お前は。
 神楽坂が妨害に入った。こっちか、本物の嫁は。
 喧嘩になった。正妻と愛人の修羅場みてー。
 周りがわいわい囃し立てる。無責任な奴らだ。
 ネギはおろおろするばかり。情けないガキだなぁ……
「馬鹿共が……」
 誰にも聞こえないように、口の中だけで呟いた。
相変わらず漫才みたいなクラスだ。授業やれよ、まったく……
学校来てる意味ねーじゃねーか。
ため息をついて、下を向く。
すると、キラ、とまぶしさを感じた。
窓の向こうで、太陽が輝いていた。
33-860 名前:関白失脚宣言[sage] 投稿日:2006/06/10(土) 22:58:16 ID:???
太陽。
太陽。
お日様。
光。
少しまぶしい、でも見続けていたい金色。
……何だか少し眠くなってきたぞ。
そのうち、金色の太陽から目が離せなくなった。
意識がぼんやりしてきた。退屈だからな、授業。
心が、クラスの馬鹿騒ぎから離れていく。綺麗な太陽へ
飛び立っていく感じがする。綺麗な世界へ。綺麗な所へ。
綺麗な……へ。綺麗な金色へ。……綺麗な………髪の色。
……綺麗な……眼。あたしを見ている、綺麗な、可愛いなあ、ザ……
………………………………
33-861 名前:関白失脚宣言[sage] 投稿日:2006/06/10(土) 22:58:54 ID:???
……………………………………………
…………………………………………………………………ンっ!」
はっ!
「このショタコンっ!!!」
「この老け専っ!!!」
 意識が急にはっきりしだした。
 聞きなれた怒声の応酬が、耳朶を打つ。
何だ、まだあの二人は言い合いしてんのか。
いかん、いかん。このあたしが人前で居眠りするなんて。
万が一にも間の抜けた姿なんてさらすわけにはいかないのだから。
馬鹿喧嘩のおかげで目が覚めた。どのくらい寝てたんだろう。
時計を見ると、さして時間は経っていない。
ちらり、と外を見た。
太陽は雲に隠れたまま、良い天気のままだ。教室内もそのまま、
大荒れのままだけど。
しかし、綺麗だったな…………………………何がだっけ?
33-874 名前:843[sage] 投稿日:2006/06/10(土) 23:44:10 ID:???
結局、三時間目はあのまま終了を迎えた。隣で授業をしていた
新田が馬鹿共を鎮めにやって来たが、チャイムが鳴る直前だったので、
本来の授業を進める余裕はもうなかった。
で、今はその後の短い休み時間だ。
トイレ行くか。
席を立ち、一人で教室から廊下へ、一歩を踏み出した。
後ろ手に扉を閉めた。二人がかりで。
「……」
「私も行く」
 いつの間に出てきたのか、ピエロがあたしの傍にぴったりと
寄って来た。
「勝手に行け」
 あたしは予定を変えて、中庭の方へ足を向けた。別に中庭でなくても
良かったのだが、とにかくトイレに行くことだけは不可だった。
「お手洗いは、こっち」
 ピエロがあたしの腕を掴んだ。
「あたしはそっちに行く気は元々ないんだよ。
行きたいんなら、一人で行け」
「……ついてきて」
「断る」
 ピエロに背を向けて歩き出す。靴が廊下を力一杯、踏みしめる。
 引き戻される力に抗おうとして。
 だが、いかんせん力の面では、あたしとピエロの間には
大きな開きがあった。
 だから
 ざんねん! あたしのていこうはここでおわってしまった!
 ずりずりと強制されるトイレへの移動に憤慨し、あたしは怒鳴った。
「離せ!」
33-875 名前:843[sage] 投稿日:2006/06/10(土) 23:45:27 ID:???
「いや」
「何で!」
「………………」
「何だ、その沈黙は」
「………………たいから」
「何だって?」
「少しでも、一緒にいたいから」
「あたしは、いたくない。二人でいる必要なんかないだろ」
 ピエロの力が少し緩む。あたしは力を入れて、腕を振りほどいた。
「もうすぐチャイム鳴るぞ。行くんなら、早く行ってこい」
「一緒に」
「しつこい」
 食い下がるピエロを一睨みして、教室に引き返した。
何で一緒にいようとするんだよ。一人で十分だろうが。
 ピエロの考えることは、よく分からん。

 昼休み。
『今日はパンを買うか』
 何パンにするか考えつつ、購買へ足を向ける。
 静かな廊下に、足音が響く。
 購買へ行く道はいろいろあるが、いつもこのルートは
何故か静かだ。まるで、魔法でもかかっているかのように、
ここだけ異世界に飲み込まれたかのように、あたしは静かな廊下を
よく一人で歩いていく。
 カツ カツ カツ カツ
 二人分の足音だけが、木霊する。
33-876 名前:関白失脚宣言[sage] 投稿日:2006/06/10(土) 23:46:36 ID:???
あたしの前には誰もいない。つまり、あたしの背後に、
誰かがいる。そいつが何者か、あたしにはよーく分かっている。
振り向くまでもない。
「お」
「今日はパンだ」
 ピエロの言葉を遮り、我を通す。
「おべ」
「だから、あたしは要らない」
「おべん」
「一人で食いきれないなら、運動部の奴らにでもくれてやれ」
「おべんと」
「実は、あたしは本来手作りのものを食べてはいけない体質なんだ」
「……朝ごはんは一緒に食べたのに」
「朝飯は抜くと、美容に悪い。それに、朝は眠たいし、
忙しいからな。自分では作らない。(つーか、作りたくない)
作ってあるから、食べるだけだ」
「……お昼は? ここに作った……」
「今日はパンが食いたいんだ。それに、ずっと誰かの傍で飯を
食い続けるのは、あたしは好きじゃない。
近頃ちょっと鬱陶しいぞ、お前」
 無音。
 口撃が止んだ。あきらめたか?
 ちらっと後ろを振り返ってみる。ピエロの姿はなかった。
 何とか撃退できたか……修学旅行の後、特に最近、
しつこいんだよな、あいつ。
 まあ、どうでもいいや。
 あたしは勝利感を胸に意気揚々と購買へ向かった。

33-877 名前:関白失脚宣言[sage] 投稿日:2006/06/10(土) 23:47:25 ID:???
「大漁、大漁」
 というのは嘘だ。言っていることとは違って、
買ってきた量はそんなに多くない。ネット界の女王が
太るわけにはいかないのだ。メロンパンとクリームパン、
ウーロン茶だけを抱えて、戻って来た。
ガヤガヤガヤガヤ
ザワザワザワザワ
廊下まで来たとき、いつもうるさいクラスがさらに
うるさいのに気が付いた。
バタバタバタバタ
ドタドタドタドタ
みんながみんな雑巾を持って、行ったり来たりしている。
何やってんだ、と最初はのんきに思ったが、あいつらの
持っている雑巾をよく見た瞬間、顔から血の気が引いた。
「な」
 雑巾が真っ赤だった。まるで人の血で染めたかのように。
 困惑して立ち尽くすあたしに、廊下へ出てきた委員長が
冷静に声をかけてきた。
「長谷川さん。見ていないで、手伝ってくださいな」
「え? あ、ああ」
 委員長と入れ違いで教室内に入る。途端に、あたしは絶句した。
 血の海が、床の半分以上に広がっていた。
「何だ、これ!? 殺人事件か!?」
33-878 名前:関白失脚宣言[sage] 投稿日:2006/06/10(土) 23:48:50 ID:???
「そんなもん、このクラスで起きるわけないっしょ」
 朝倉に、突っ込まれた。こいつも手に雑巾を、純白の
未使用なやつを装備している。
「何があったんだ?」
「パルがねー、貧血で倒れたの」
「貧血?……って、まさか」
「うん。これ、パルの鼻血」
「なんて血の気が多い奴だ」
 あきれ返っているあたしの傍を、保険委員が通った。
「ただいまー。パル、何とか落ち着いたわ。今は保健室に寝とる」
「おかえり。あれ、担架役の茶々丸さんと長瀬さんは?」
「保健室行くまでに流れた分の血、拭いてくれてる。
ここと同じくらい量あるから、ウチは追加の雑巾取りに来たんよ」
 あの女、失血死するんじゃねーか?
「こーら、朝倉、長谷川さん、話はあとにして手伝ってよ。
昼休み終わっちゃうわよ。今やっと半分取れたところなんだから」
 床を拭き続けたまま、神楽坂がこちらを睨んだ。
 ここは黙って従おう。見ているだけってのも、ばつが悪いしな。
 あたしが掃除の一団に加わると、朝倉も横に並んで拭き出した。
「ねえねえ、ちうちゃん。パルがこれだけの鼻血を流した理由、
何だと思う?」
「どうせいつものやつだろ。ラブがどうとか」
「鼻血吹きながら『愛を得られぬ、刹那、じゃなくて、
切ない乙女のラブしゅ』とか叫んでたから、そうだろうね」
「くだらねー」
「……ちなみに、その直前に何があったと思う?」
33-879 名前:関白失脚宣言[sage] 投稿日:2006/06/10(土) 23:49:53 ID:???
急に声を潜めて、あたしの耳元に口を寄せてきた。
「? さあな、何かあったのか」
「本当に分からない?」
「分かるわけないだろ。あたしは占いも何もできない、
ごく普通の一般人だぞ」
「普通の人なら、気付いてあげられると思うんだけどなー」
「分からないものは分からないんだよ」
「ザジちゃんがね、教室を出てった」
 ピタ
まぶたが一瞬きする程度の時間、あたしの動作を
止めてしまった。
だが、周りにはそうとは気付かれないほど滑らかに、
手の動きを再始動させる。
朝倉は囁き続ける。
「随分ショックを受けてたみたいだねー。フラフラよろけてたよ」
「……ふーん」
「亜子が保健室に送ろうとしたけど、断ってた」
「……へー」
「立派な御重だけ持って、独りでどっか行っちゃった」
「……そうか」
「独りで大丈夫かなぁ」
「……平気だろ。病気じゃないんだし」
「さすがは同居人。心までは理解できなくても、
健康状態は把握済みですか」
 ピタァッ
 今度はもろに動きを止めてしまった。それほどまでに、
今のは重大で危険な一言。
33-880 名前:関白失脚宣言[sage] 投稿日:2006/06/10(土) 23:50:37 ID:???
「何言ってんだ。あたしは一人暮らしだぞ」
「修学旅行前まではね」
 とぼけようとしたが、軽く一蹴された。さらに。
「今日の夕飯のこと、心配しなくても良いの?
最近はザジちゃんに作ってもらってばかりなんでしょ。
料理の仕方覚えてる?」
「っ!」
「ああ、それより寝るときのことの方が心配なのかな。お泊りも
多かったみたいだし、独り寝は久しぶりなんじゃない?」
「馬鹿にしてんのか」
 怒りを押し殺した声で、朝倉の耳元に囁き返す。
「してないよ。ただ心配してるだけ」
「余計なお世話だ」
 こいつの傍にはもう居たくない。
タイミングよく、掃除終了ーー! と誰かが
言っていたので、雑巾の片付けという形を取って、
この場を離れる。
 が、朝倉はしつこく付いてくる。
「ちうちゃん。何があったのかは知らないけどさ」
「知らないなら、首を突っ込むな」
「……分かった。じゃあ、一つだけ言わせて欲しいんだけど」
「今まで散々言ってるだろ」
 教室へ戻る途中、朝倉の先を歩いて、言い返す。
「結局、お昼は断ったんだよね。ザジちゃんの愛情弁当」
「……ああ」
 愛かどうかは知らんが。
「ザジちゃんがね、この前、珍しくあたしに話しかけてきたんだ。
何を訊きに来たと思う?」
「さあな」
「ちうちゃんの好物教えてくれって」
33-881 名前:関白失脚宣言[sage] 投稿日:2006/06/10(土) 23:51:10 ID:???
話の中身を理解する間もなく、朝倉に顔を覗き込まれ、
追い討ちをかけられた。
「先週なんか、美容に良い料理教えてって、
さっちゃんの所に通ってたみたいだよ」
「……」
 言いたいことを言うと、朝倉はさっさとあたしを追い抜いていく。
「まあ、これは二人の問題だからね。あたしも深入りしたりはしない。
でもね」
 訳知り顔で振り向いた。
「自分がどれだけ人から想われているかは
気付いてあげてられても良いと思うなあ」
「何言っ」
 キーンコーンカーンコーンキーンコーンカーンコーン
「席に着けー。授業始めるぞー」
 教師が時間通りに到着した。これで、この話はお流れとなった。

 五時間目、ピエロは欠席した。
 六時間目も放課後も、ピエロの姿は校内になかった。
33-889 名前:関白失脚宣言[sage] 投稿日:2006/06/11(日) 00:43:06 ID:???
 ガチャ  キィ  バタン
 授業が終わると、あたしは真っ直ぐに部屋へ戻った。
やらなくちゃいけないことがある。のんびり寄り道なんて暇はない。
久しぶりの一人部屋を満喫する余裕も、ない。
 ピッ
 パソコンを起動させる。今日はサイトの更新日だ。忙しくなる。
 他のことに気を散らしてなんかいられない。
 いられない。
 要らない。
 必要ない。
 他のことになんて、気を配る必要がない。
 今はただサイトのことを集中してやれば良い。
あたしの夢、ネット界制覇の為の重要な作業を
一生懸命やることに、後ろめたさを感じる理由は皆無、のはずだ。
 これは、自分の夢を叶えるためなんだから。
これが、自分のやりたいことなんだから。
『…………たいから』
 やりたいことを、自分なりにやっているんだ。今、あたしは。
『……にいたいから』
 他の奴のことなんて気にしてられるか。ピエロとか無視だ、無視。
『一緒にいたいから』
あたしは一人で良いんだ。
あいつがいたって、更新の手伝いにはならないし。
単に飯作るだけだし。黙って近くにいるだけだし。
今までだって、あたしがサイト更新をしている時は、
部屋の端っこでじっとしていただけだし。
33-890 名前:関白失脚宣言[sage] 投稿日:2006/06/11(日) 00:43:54 ID:???
今は、いないけど。
自分のウチに帰ったんだろうな。
……そういや、あいつってどこに住んでいるんだ?
野宿、なわけはないだろう。
……
どうでもいいや。
どこに住んでるか知らなくても、困ることなんてない。
ここに置いといても、毒にも薬にもならんような奴だったから。
元の一人暮らしに戻っただけだ。あたしには何の不都合もない。
その証拠に、更新は滞りなく終了した。
「飯でも作るか」
 軽く伸びをして、キッチンに向かう。
 包丁を使い、鍋を使い、フライパンを使い、久しぶりに自分で料理をした。
 できた品を一気食いして、すぐに寝た。
 気持ちが悪かった。
33-891 名前:関白失脚宣言[sage] 投稿日:2006/06/11(日) 00:44:33 ID:???
光が眩しい。
 窓から射し込む日光に、頭が強制的に起こされた。
 朝日は眩し過ぎるな。時間差で透過する光の量が
変わるっていうカーテンでも買うかな。朝ぐらい、
穏やかに目覚めたいもんだ。
 っと、今何時だ?
 時計を掴んで引き寄せた。短針は長針のすぐ左隣にあった。
長針は12の所にあった。
「………………やべえええええ!」
目覚ましセットするの忘れてた!
最近は目覚まし無しでも起きられたから、うっかりしていた。
布団を跳ね除け、怒鳴る。
「おい、ピエロ! もう十二……!」
 そこまで叫んで、口をふさいだ。声をかける相手は
いないのだから。
 頭を切り替え、これからのことを考える。
飯は抜きだな。
作っている時間なんて、あたしには、ない。
身だしなみも程々に、大急ぎで外へ飛び出す。
「くそっ!」
 一人きりの通学路で愚痴る。
「腹減った!」
 朝飯抜きは体に悪いのに。健康面だけでなく、
美容の面ででもだ。
『この間なんか、美容に良い料理教えてって、
さっちゃんの所に通ってたみたいだよ』
 ……そんなことはどうでもいい。
問題なのは空腹だってことだ。
33-892 名前:関白失脚宣言[sage] 投稿日:2006/06/11(日) 00:45:06 ID:???
空腹なのは、胃袋に入っている食物が純粋に少ない、ってことだ。
 昨日は飯がまずかったから、あんまり食べられなかった。
塩無しじゃ、どうやっても旨いものは作れない。
『ちうちゃんの好物知らないかって』
 ……知るか。
 知るか、知るか、知るか。
 任せっきりだったんだから、知るわけねーだろ。
調味料の場所なんて分かるわけないだろう。あいつが勝手に、
何も言わずに、キッチンの物を動かしやがったんだから。
何も言わずに、ピエロが朝飯を作らなくなったから。
何も言わずに、ピエロが起こさなくなったから。
何も言わずに、ピエロがいなくなったから。
だから、こんなに調子が狂うんだ。
ピエロのせいだ。
ザジのせいだ。
あたしのせいだ。
33-893 名前:関白失脚宣言[sage] 投稿日:2006/06/11(日) 00:45:41 ID:???
「あ、ちうちゃん。珍しいね、遅刻じゃん」
 教室に入ると、朝倉と出くわした。
「ん、どうしたの? 元気ないね。あ、
さてはザジちゃん不在の影響が」
「来てないのか、あいつ」
 朝倉の軽口を中断させて、尋ねた。
「ザジちゃん? うん、今日は来てないよ。
誰か、今日ザジさん見たー?」
 クラス中が否定の仕草をとる。
 それなら、ここに用はない。あたしは教室を出た。
「どこ行くの」
「ザジの所」
「お、それはそれは」
 あたしの回答を気に入ったのか、朝倉が後をついてきた。
「ちうちゃんは、ザジちゃん離れると一日で
だめになっちゃうんだねぇ」
「そうだよ。悪いか」
「へ?」
 朝倉が黙った。いや、黙らなかった。
「いやーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー、
そこまでストレートに言われると訊いたこっちが照れるね」
「うるさい」
 テレテレな顔をする馬鹿を睨みつける。
「で、これからどうすんの?」
 あたしの迫力に怯まず、しかしちょっとだけ
真面目な顔をして、朝倉は問う。
「……飯を食う」
 それだけ答えて、あたしは世界樹の広場へ足を向けた。
33-894 名前:関白失脚宣言[sage] 投稿日:2006/06/11(日) 00:46:48 ID:???
 世界樹広場に着くと、あたしは歩くのを止めた。
まだ朝倉がついてきたが、無視することにする。
 なのに、朝倉は遠慮無しにその決意の垣根を乗り越えてくる。
「ここに、ザジちゃんがいるの?」
「さあな」
「さあな、って……じゃあ、何のためにここまで来たのさ」
「近所迷惑にならないから」
「どういう意味―――?」
 朝倉が尋ねる。だが、垣根の外の雑音にあたしは耳を貸さない。
 ただ一人のことだけを考えていたから。
 一回、深呼吸する。そして。
「ザァジィィィィィィィィィィィ!!!!!!!」
 巨木が、あたしの美声で揺れる。
後ろの奴はびっくりして、耳をふさいだことだろう。
それぐらい大きな声を出した。
でも、それだけだ。他に変化は起こらなかった。
もう一度。
「ザァァジィィィィィィィィィィィィ!!!!!!」
 さらに音量を増した美声で、辺り一帯が震える。
今まで出してことがないくらいの音量があたしの喉から出て行く。
 木が大きく揺れ、葉っぱが幾らか散った。
 後ろで何かが倒れる音がした。
 まだ、それだけだ。
 もう一回。
 息を吸いこんだ。
「ま、待って……ちうちゃん。一体、何やってんの」
33-895 名前:関白失脚宣言[sage] 投稿日:2006/06/11(日) 00:47:30 ID:???
「呼び出してるんだよ」
「待ち合わせしてたの? 場所、ここ?
じゃ、もっと小声で良いんじゃ……」
「してねーよ」
「はい?」
「待ち合わせの約束なんてしてない、って言ったんだ」
「ここ、待ち合わせ場所じゃないの!? それじゃあ、
いくら大声出しても意味ないじゃん。
学校中に聞こえるわけじゃないんだから、来るはずが」
「ある」
 確信があった。ザジはきっとここへ来る。
「あたしが呼んでる所に、あいつは来るんだよ」
 ザジは『一緒にいたい』と言っていた。
なら、来い。
一緒にいたいんなら、あたしの所に、今すぐ来い!
来い。
来い。
来い

来て。
ガサリと、頭上で葉がまた揺れた。あたしの声のせいでは
なくて、あたし以外の誰かのせいで。
ひとりの、小柄な少女の動きによって。
葉っぱは揺れた。
それは、長谷川千雨によるものではなく。
それは、ザジ・レイニーデイによるものだった。
「ザジ」
「……ちさめ」
 ザジが地面に降り立つ。
 自然に、あたしたちは見つめあう。
33-896 名前:関白失脚宣言[sage] 投稿日:2006/06/11(日) 00:48:12 ID:???
 ザジは常の通りあたしの顔を真っ直ぐ見つめてくるが、
その瞳にはいつものような覇気、というか元気がなかった。
 見ていて辛くなる、そんな目だった。
 だから、聞いた。
「あたしと一緒にいたいか?」
「うん」
 唐突な質問に窮することなく、ザジは認めた。
「そうか。それなら、あたしたちの利害は一致するな」
 ザジが目を瞬かせる。どういう意味なの、って顔だ。
「あたしはいろいろ誰かにしてもらいたい。
飯作ってもらったりとか朝起こしてもらったりとか、
そういうことをな。自分でやる気にはなれないんだ。
朝早く起きるの面倒だし、サイト更新もしにくくなるし、
自由時間も減るし」
 ザジは悲しげな目をした。言っている意味を
そのまま受け取ったのだろう。
 でも、まだ聞いてくれ。あたしの願いを、聞いて。
「誰かにそういうことやってもらえたら、
あたしはすごく楽ができる」
ザジの髪を撫でながら、語り続ける。
自分勝手な話なのは分かってる。
「誰かがあたしと一緒にいてくれると、すごくいい。
一人じゃなくて、二人でいるのが、一番いい。
打算とかも、確かにある。けれど、誰かにいてもらいたい
と思うのは嘘じゃないんだ。誰かがいてくれると、
気持ちがちょっと変えられるんだ」
33-897 名前:関白失脚宣言[sage] 投稿日:2006/06/11(日) 00:49:15 ID:???
ポリポリと、あたしは自分の頭をかく。
「よーするに、まあ、その、なんだ」
 言いづらいなー。朝倉の絶好のネタになっているの、
間違いないし。
「……連れが欲しいんだ。あたしと一緒に生活してくれて、
あたしを幸せな気持ちにしてくれる奴が。どうしても欲しい。
そいつがあたしの趣味・嗜好をもう知ってる奴だったら、
もっと欲しい」
 ザジの目が輝いたように見えた。金色の瞳が太陽に見えた。
「その点では、お前が一番、理想に近いんだよ」
 ザジの目が見開かれた。太陽の瞳から雲が晴れた。
「だから」
あたしはザジへ手を差し出す。
「帰ってきてください」
 刹那の間もなく。
「はい」
 ザジは、あたしの手をとってくれた。
 この時、遠くから「ラーブゥー……!」とか
「また鼻血の海がぁーーー!」とか何とか聞こえてきたが、聞き流した。
 あたしたち二人は二人の部屋に戻った。
 部屋に着くと一番に、飯を作ってもらったのは言うまでも無い。
33-898 名前:関白失脚宣言[sage] 投稿日:2006/06/11(日) 00:50:14 ID:???
 その日の夜のこと。
 何となく離れる気にならなかったので、今夜はあたしのベッドに
ザジを入れてやった。
「ち さ め……」
 甘えたザジの声。
「好き」
 短い感情表現。口数の少ないこいつには、精一杯の言葉。
「ちさめは好き?」
「…………………………まあ……好き、だな」
「本当?」
「好きの度合いがどれぐらいかは分からないけど、嘘じゃない」
「………………しあわせ」
 ザジは、ぎゅっとあたしのパジャマを握った。伸びるつーの。
ザジはそれから、手をゆっくり伸ばして、あたしの胴を両手で囲んだ。
「おい……この手はなんだ」
「ぎゅってしてるの」
 ちょっと長めの、簡素なザジの解答。
あたしは思わず苦笑してしまった。まあいい。
ザジの好きにさせてやろう。
 この晩、あたしたちはずっとこのままだった。
 明日も、こうだろう。
 たぶん、これからずっと
………いや、一ヶ月ぐらいかな、この形を許してやるのは。
 夏になったら、暑苦しいし。夏には絶対離れさせる。
 離れさせて、傍にいさせる。
 近くから離さない。
 ここに、いてもらう。いて、欲しい。
 それは、ずっと。

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最終更新:2007年07月29日 02:32