美空ウイルス.exe【ver:11.1】---------------------------------------------------------------
「シスター…M、ですか?」
静まりかえった教室に、ネギの声が寂しく響いた。布擦れの音ですら耳に煩い。
そんな緊迫した空気の中、朝倉は説明を始めた。
「昨日の夜、ラジオ番組の『ネギまほラジオ/ゆえパル分析隊』
放送前に、何者かによる放送電波ジャックがあってね…
それによれば、ゆえパル分析隊のランキングで最下位に数えられたキャラは
消えてしまうらしいんだ」
「あ…あの、"消えてしまう"って、どういう意味ですか?」
ネギは信じられないといった風な顔だ。
魔法使いが信じられないとは、これはどんな大事件だろう?
「それがポイントなんだよね」
朝倉は続ける。
「昨日の出席確認の時、村上のこと、覚えてた人いる?」
誰一人として反応しない。
しかし、沈黙の圧迫感を恐れず、朝倉は無言の時間を捌いていく。
「実は、私も覚えてなかったんだよね、村上のこと。
ネギ先生も、そうでしょ?だから、名簿を書き直した」
ネギが無意識に頷く。
「ところが、今日は村上がいないことに気付けた。つまり、
村上が消えていたことに気付いた。これが"消えてしまっていた"って事だと思うんだよね。
存在が消える、いないことになる」
「消えてしまう…って、そんなこと出来るわけないじゃないですか!」
朝倉の言葉を遮って、ネギは怒鳴った。
「まぁ、ネギ先生、落ち着いて…」
「落ち着いてなんて…いられませんよ…」
朝倉のなだめる声も意味を為さない。
「僕は…僕は大切な自分の生徒を忘れてしまっていたんですよ…」
声が震えているのが分かる。俯き、影となった目元に悔しさが滲み出る。
「朝倉さん…僕は、先生失格です」
その時、教室のドアが突然開け放たれた。密閉された空間に、風を携え、彼女たちは現れた。
美空ウイルス.exe【ver:11.2】---------------------------------------------------------------
「先生失格…そうかもしれない。でも、そうだとしたら、私も友達失格ね」
那波千鶴が教室の出入り口を塞ぎ、廊下から射し込む光に影を浮き立たせている。
「那波さん!」
しかし、ネギの驚く声とは反対に、千鶴は冷静だった。
「ネギ先生、すいませんでした…遅刻してしまって」
そう言って千鶴がドアから離れると、教室から一気に喜びの声が沸き起こった。
千鶴の後ろに続く二人の人影…あやかと、夏美だ。
「村上さん!」
ネギに続いて、皆はそれぞれに彼女の名前を口にした。
まるで、それを確かめるように。
「ごめん、みんな。心配かけちゃって…」
照れたような夏美の声が、教室を一時、得体の知れない恐怖から遠ざけた。
誰もが、友人の帰還にしか気付いていない。朝倉和美と、本件の関係者を除いては。
溢れる盆の如く、教室には明るい声が満ちた。
だから、誰もその音に気付かなかったのだ。
思い人を忘れるという辛さと悔しさに奏でられた、歯ぎしりの音に…。
葉加瀬聡美の心は、この時から静かに荒れ始めていた。
【つづく】
美空ウイルス.exe【ver:12.1】---------------------------------------------------------------
葉加瀬と夏美の仲は、クラスに広く知られたものだ。
昼時は昼食を共にし、帰り道では影を並べる。
葉加瀬が研究所に泊まる日は、夏美が夕飯を届け、
夏美が試験勉強に頭を悩ます時は、葉加瀬が教えた。
そのピュアな友情は固く結ばれ、緩みほどけることなど有り得ない。…はずだった。
時間では既に一時限目が始まっていたが、英語を担当するネギ先生の考えにより、
授業は休講となり、ホームルームに変わった。もちろん、昨日の事件について調べるためだ。
那波千鶴は友人が消えてしまう様子を、村上夏美は消えていた間に、何を見、
何を聞いたかを皆に話した。
ネギ先生はそれぞれの言葉にしっかりと耳を傾け、聞き入っていた。
やがて、ネギの質問はラジオ番組のDJを勤める面々に及んだ。
宮崎、綾瀬、早乙女の三人はラジオの原稿についてネギに教え、謎の小包が
スタジオに届いた事実を伝えた。
自分の家を臨時スタジオに勝手に仕立てあげられたエヴァは、
私は関係ないし何も知らない、
とコメントを断った。
「では、最後に朝倉さん」
朝倉はゆっくりと席から立ち、皆を見回した。胸元に固く握った拳を押し付け、
瞼を閉じ、何か言葉を二三呟いて深呼吸をする。そして彼女は口を開いた。
「皆は覚えてないだろうけど、このクラスには相坂さよ…っていう娘がいたの」
そこまで言って、朝倉はネギから名簿を受け取り、
ページを開いてクラスメイト達に見えるように掲げた。
「名簿には残ってる。ほら、ココ。出席番号1番、相坂さよ」
教室はどよめいた。朝倉には和泉が
「どうしよう…うちら、本当に忘れてしまってるんや…」
と声を出すのが聞こえた。
「つまり、一人戻って来たら、代わりに他の一人が消えるってこと」
はっきり朝倉は言った。
美空ウイルス.exe【ver:12.2】---------------------------------------------------------------
朝倉の発した言葉の残酷な余韻が教室から消え去った後、まき絵が手を挙げ質問した。
「なんで、一人戻ると一人いなくなっちゃうの?」
「ラジオで発表されるランキング最下位が消えるんでしょ?でも、最下位は一人だよね
だから、最下位じゃなくなった人は戻ってくるけど、新しい最下位の人は消えるみたい」
朝倉は答えながら、まるで自分が悪役みたいだ、と思った。
「あの、今夜もラジオ番組はあるんですか?」
ネギが訊き、夕映が答える。
「はい。そういう予定です。
でも、このような事態なので、放送を中止することもできるです」
桜子が急に一声発した。
「ダメだよ。そんなことしたら、さよちゃんが消えたままになっちゃうよ」
確かにそうだ。
「わかったです。それでは、ネギ先生、今夜はどうするですか?」
夕映からバトンを受け取ったネギが、最後にまとめた。
「まずは、今夜、ラジオが始まる1時間前に、この教室に集合しましょう。それから、
ここで、何が起きるのかを実際に目にしないと、僕もどうしていいか分かりませんし」
ネギの意見も間違ってない。ここでの議論は推測の領域を出ないのだから。
「それじゃあ、これで僕の話は終わります」
教室が休み時間へと移り、生徒はそれぞれに動き出す。
葉加瀬は、長谷川千雨が先生に何かを話しに近付くのを見た。
そして、思い人の方へと視線を移す。
そこには千鶴になだめられて、やっとの思いで自分を留めている夏美の姿があった。
「大丈夫よ、夏美ちゃん。あなたの性じゃないわ」
「…でも私の代わりに、相坂さんが…」
涙に顔を歪ませる彼女を見つめ、葉加瀬は心の中で呟いた。
『大丈夫だよ、夏美。私が、何とかするからね』
美空ウイルス.exe【ver:12.3】---------------------------------------------------------------
教室を去ろうとするネギを千雨は呼び止めた。
「先生、ちょっと話があります」
「はい、なんですか?千雨さん」
ネギはいつもの笑顔で振り向いたが、千雨にはそれが作った笑顔だとわかった。
だから、千雨は躊躇いもなく告げた。
この一件に深く関係しているだろうコンピュータ・ウイルスについての話だ。
「私の持っているPCの中に、あるウイルスに感染したものがあるんです」
そこでネギが話を身振りで遮った。
「あの…すいません、僕あまりコンピュータには詳しくなくて…」
恐らく、ネギは例の事件について考えるのに必死で、
他のことまで考える余裕がないと言っているのだろう。
ならば、直接話してしまった方が早い。
「シスターMに関係があるみたいなんですよ、そのウイルス」
ネギの表情が鋭くなる。
「どういうことですか?」
千雨は腰に手を置き、ネギに揃えた真剣な口調で語ることにした。
「私のPCにウイルス、つまり、悪質な働きをするプログラムが侵入してきたんです。
そこにも、昨日のラジオ放送で流れた電波ジャック犯の発言とほぼ同じ内容のことが
書かれていたんです。そして、ラジオ放送に伴って、昨晩もプログラムが勝手に起動し
ていました。あの事件に何か関係があるはずです。」
しばらくネギは千雨の胸元あたりを見据え、ぶつぶつと考えを口にしていた。
そして、顔を挙げ、やはり笑顔で、千雨にこう告げた。
「ありがとうございます、千雨さん。あの、そのPCを後で見せてもらえませんか?」
…。
「そのつもりです。
…あ、あと、私は別に礼を言われる様な特別なことをした覚えはありませんから」
「…?」
「いえ、なんでもないです。それじゃあ、また後で」
「はい、お願いします」
そう言って、ネギは教室から出て行った。
美空ウイルス.exe【ver:12.4】---------------------------------------------------------------
『真っ白な霧だらけの場所』
夏美はクラスで、自分が閉じ込められていた空間をそう証言した。
そして、そのように形容されるだろう代物の存在を、葉加瀬は知っていた。
自分も、数少ない箇所ではあるが、制作に関わった覚えがある。
今は夕刻。ラジオ放送が始まるまでは、大体、時計の時針が一周ほど残っている。
葉加瀬は誰とも影を並べず、一人で、ある所に向かっていた。
朝、あの話を聞いたときから決心していた。
もちろん、恐怖もあった。クラスの皆と同じような恐怖に加え、他の恐怖も。
それでも、葉加瀬は確かめずにはいられなかった。
自分は裏切られたのではないと、確かめなければならない。
葉加瀬の意思通りに研究室の扉は開いた。
照明の消えた室内には、デタラメに積み上げられた資料や実験器具が所狭しと置かれている。
そこに埋まったデスクの中から、葉加瀬は"ある人"のデスクを見つけ、その前に立った。
他人の机の中を漁るなんて真似は、もちろんしたくないし、されたくもない。
そういった理性が、何度も葉加瀬の手を引き出しの取っ手から離させた。
しかし、最後には思い人を苦しめたものへの怒りが勝った。
開き放された引き出しの中には、様々な書籍やメモが入っていた。
葉加瀬はそれらに軽く目を通し、安堵の溜め息をつく。
良かった。犯人はこの人じゃなかった。
「ヒトの机の中を勝手に覗くなんて、葉加瀬は悪趣味ヨ…」
超が研究室の出入り口にいた。気配がまるで無かった。怖い……ぇ…超さんが怖い?
「ごめんなさい…私、あの…どうしても気になって…」
超は、やれやれ、といった様子で口を開いた。
「まだ、一番下の引き出しが、閉まったままネ」
【つづく】
美空ウイルス.exe【ver:13.1】---------------------------------------------------------------
研究室の出口を塞ぐ超は不気味に揺らめいた。
「どうしたネ、葉加瀬。早く一番下の引き出しを開けたらどうヨ?」
促す超を葉加瀬は睨み返した。その瞳には様々な感情が入り混じっている。
超はそこから明らかな敵意を感じ取った。最早、自分と葉加瀬は敵対する存在なのだ。
「もう、完成していたんですね…、位相操作の技術は…」
葉加瀬は寂しげに呟いた。まだ引き出しは開けていない。
「まだ未完成ヨ」
超は無感情に答えた。それを聞き、葉加瀬は怒った。引き出しを調べる必要もない。
「それで、夏美で実験したんですね?」
葉加瀬の問いに、超は静かに頷いた。
「済まないとは思たネ。
しかし、最下位になってしまた以上、システムは夏美さんを選ぶヨ」
「相坂さんは、どうなるんですか!?」
聡美は声を張り上げた。こんなに感情を露にする葉加瀬を見るのは、超も初めてだ。
「大丈夫ヨ。システムは被験者を痛めつけることはしないネ」
バシン!
聡美は超に飛び込み、顔を平手打ちした。超が瞬間、無言になる。
「これは夏美の分!」
バシン!
「これは相坂さんの分!」
全部で葉加瀬は二度、超を打った。よろけた超の体はやや傾き、しかし、踏み止まった。
研究室に強烈な沈黙が訪れる。心臓の高鳴りしか聞こえない。
「葉加瀬…痛いネ…」
赤く染まった頬の超が、歯のわずかな隙間から漏らした。
「夏美は、相坂さんは、もっと辛い目に遭ってるんです。超さん、あなたの性で」
体勢を立ち直した超が、練習を重ねたような流暢さで話し始めた。
「位相操作システムは害を及ぼさないヨ、これは本当ネ。
それを村上さんが実証してくれたヨ」
葉加瀬は再び超を打ちそうになったが、話の先を聞き出すことを思い出し、止まった。
美空ウイルス.exe【ver:13.2】---------------------------------------------------------------
「科学は、人の暮らしを、人生を便利に、快適にするためのものです。それを、あなたは…」
超は葉加瀬を制した。
「そう、人の暮らしを、人生を素晴らしいものにする…その使命を、位相操作システム
は叶えているヨ。魔法使いたちが住むという別の位相にある世界、それと同じ安全を一般
人も得ることができる…素晴らしい発明だとは思わないカ?」
その通りだ。そして、その考えに賛同して、自分も手伝っていた。超は続ける。
「人体実験を行うことに反対するのなら、それは葉加瀬の言えることではないヨ」
「で…でも…」
言い淀む葉加瀬に、超は構わず告げた。
「私は葉加瀬を拘束するつもりはないネ。だから、ネギ先生たちの味方をするも良し、
私と共にシステムを完成させるも良し、自由な選択権を私は葉加瀬に与えるヨ」
少しの時間、葉加瀬は真剣に悩んだ。
自分も夏美を、相坂さんを苦しめたシステムの創造主なのだ。
そして、答えは簡単に出た。
「私は、ネギ先生と、クラスの皆と一緒に戦います」
超は首を振った。
「わかたネ」
超は研究室の出口を空ける。
「ならば、教室に行くと良いヨ。研究室は私の砦ネ」
葉加瀬は部屋を出るとき、擦れ違い様に、超が言葉を発するのが聞こえた。
「残念ヨ」
私こそ。葉加瀬は振り返ることなく、研究室を後にした。
超は一人、研究室に残された。しかし、そこで会話は行われた。
「これで私の望みは叶ったネ…」
【つづく】