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#setmenu(第二回三国合同ねとらじメニュー) *ハンガリーからの10曲 &bold(){日本語ページ:[[日本の10曲>http://www33.atwiki.jp/clickvip/318.html]] / [[ハンガリーの10曲>http://www33.atwiki.jp/clickvip/334.html]] / [[台湾の10曲>http://www33.atwiki.jp/clickvip/332.html]]} English Page:[[Japan 10 songs>http://www33.atwiki.jp/clickvip/pages/325.html]] / [[Hungary 10 songs>http://www33.atwiki.jp/clickvip/335.html]] / [[Taiwan 10 songs>http://140.114.212.133/ccc/main_en.htm]] -曲の順番は協議中です。 -アーティストごとの看板も作成中です! +[[Hooligans (フーリガンズ) - Tartson örökké (永遠なれ) >http://www33.atwiki.jp/clickvip/pages/334.html#LI1]] +[[Kispál és a Borz (キスパール・エーシュ・ア・ボルズ) - De szeretnék (願い) >http://www33.atwiki.jp/clickvip/pages/334.html#LI2]] +[[Quimby (クインビー) - Autó egy szerpentinen (曲がりくねった道を行く) >http://www33.atwiki.jp/clickvip/pages/334.html#LI3]] +[[Zsédenyi "Zséda" Adrienn (ジェーデニ・“ジェーダ”・アドリエン)- Motel (モーテル)>http://www33.atwiki.jp/clickvip/pages/334.html#LI4]] +[[Ákos (アーコシュ) - Ilyenek voltunk (オレたち、そんな感じだったよな) >http://www33.atwiki.jp/clickvip/pages/334.html#LI5]] //+[[赤とんぼ / 作詞:三木露風 作曲:山田耕作>http://www33.atwiki.jp/clickvip/pages/334.html#LI6]] //+[[粉雪 / レミオロメン>http://www33.atwiki.jp/clickvip/pages/334.html#LI7]] //+[[Help me, ERINNNNNN!! / COOL&CREATE>http://www33.atwiki.jp/clickvip/pages/334.html#LI8]] //+[[負けないで / ZARD>http://www33.atwiki.jp/clickvip/pages/334.html#LI9]] //+[[時代 / 中島みゆき>http://www33.atwiki.jp/clickvip/pages/334.html#LI10]] #aname(LI1) ***01.Hooligans (フーリガンズ) - Tartson örökké (永遠なれ) &ref(http://click.hitobashira.org/up/src/hanocha5657.jpg) このグループは1996年、若いが経験豊かなミュージシャンによって結成された。彼らは幼少時代から楽器を演奏していた。彼らの最初のアルバムは、新しいベースギタリスト加入後の1997年にリリースされた。初期の彼らの音楽はファンクロック的で、有名アーティストがアルバムやPVにゲストとして参加した。彼らは優れたアルバムを何枚もリリースし、2回のViva Comet ベストグループ賞を含むたくさんの賞を獲得し、今ではハンガリーで最も人気のある男性グループになった。彼らはメロディアスでファンキーを取り入れたロックサウンドと、“Bad-Boyスタイル”で、たくさんのファンを獲得した。2007年にメンバーの一人は脱退したが、彼らは活動を停止しせず、最新のビデオクリップはファンとともに作成した。 このエモーショナルな曲は、あるシンガーの生活について歌っている。彼の毎日はとても楽しいもので、彼はそれが終わらないでほしいと願っている。自分を取り囲む素敵なものが、いつまでも変わらないでいてほしい、それだけが彼の唯一の願いなのだ。 ***92.Kispál és a Borz (キスパール・エーシュ・ア・ボルズ) - De szeretnék (願い) &ref(http://click.hitobashira.org/up/src/hanocha5665.jpg) Kispál és a Borz は1987年に結成された。だが、最初のレコードがリリースされたのは1991年、彼らがコンサートバンドとしてハンガリー全土に知られるようになってからである。 90年代中盤、Kispál はナショナル・ミュージック賞を受賞、ハンガリーで最も重要なオルタナロックバンドの一つとなった。20年の間にバンドのメンバーはしばしば交代した。彼らの特別なオルタナティブロックサウンドと、変則的でアーティスティックな歌詞は今日たくさんのファンを獲得している。また、Kispál はハンガリーでもっとも精力的にライブを行うバンドであり、年間約100回の公演を行っている。 この曲『De szeretnék / Wish I』は、ハンガリーのバンド Anima Sound System のボーカルであるNémeth Juciとともに録音された。Kispál の他の曲と少し異なり、この曲はオルタナロックとドラムンベースの共演という特殊なスタイルをとっている。 ***03.Quimby (クインビー) - Autó egy szerpentinen (曲がりくねった道を行く) &ref(http://click.hitobashira.org/up/src/hanocha5659.jpg) Quimbyはおそらくハンガリーで最もよく知られたオルタナロックバンドで、1991年に結成された。 初期には彼らは英語でしか歌わなかったが、のちにハンガリー語の曲を多く作るようになり、人気を博していった。1998年には何人かのメンバーが交代したが、アルバム『Dilligramm』により彼らは有名になった。彼らはさらにリミックスアルバムも作成し、継続して毎週のようにライブを行った。 しかし、その音楽スタイルにより、彼らはアンダーグラウンドシーンに留まり続けた。スタイルは苦渋と憂鬱に満ちているが、曲は悲劇的だが素晴らしい。それが彼らが広範な人気を獲得できない理由だが、本当にたくさんのファンが熱狂的に彼らの曲を支持し、時には感動の涙を流しさえする。 しかし、この曲『Car on a Serpentine』はいくぶんハッピーで、アイロニックだ。アルバム『Breath Out』はバンドの転換点となった。彼らは過去を「殺し」、新しい音楽を始めたのだ。歌詞はアーティスティックだが、内容は非常にシンプルか、またはまったく意味を持たないものだった。この曲では、「人生は車のようなものだ。車は過去を後ろに残し、高速で走っている」と歌っている。 ***04.Zsédenyi "Zséda" Adrienn (ジェーデニ・“ジェーダ”・アドリエン)- Motel (モーテル) &ref(http://click.hitobashira.org/up/src/hanocha5664.jpg) Zseda はごく平均的な家庭に育ったが、彼女は子供の頃からシンガーとしての道を歩みはじめた。彼女は最高の先生のもとで学び、非常に若くしてステージ上で歌っていた。彼女は人から注目されるのが好きだったので、数年間女優として活動し、劇場でたくさんの役を演じた。彼女の外見が高貴かつ優雅なレディのようなのはそのためだ。 その後、彼女は4人組の音楽グループ「Cotton Club Singers」に加入、グループは1997年から2000年にかけて何枚かのアルバムを発表した。彼らは最初、1930年代から1940年代の音楽風だったが、のちにはもっと現代的なものになった。 2001年、彼女はソロ活動を開始し、翌年にはファーストアルバムを発表する。アルバムは大成功をおさめ、彼女は数々の賞を受賞、以来彼女はハンガリーの女性歌手のNo.1であり続けている。また、ハンガリーの昼ドラマの主題歌に採用されたことが、彼女の知名度と人気をさらに押し上げることとなった。彼女のコンサートはたいてい劇場で行われ、観客を大いに魅了するパフォーマンスを行う。 この曲『Motel(モーテル)』は非常にエモーショナルで、ほとんど感傷的と言っていいほどだ。歌詞は過ぎ去りし人生への愛と悲しみに満ちている。私達はたとえそうしたいと願っても、一人の人とどれだけ愛し合い続けることができるかわからないのだ。 私達は私達の人生の時間を決めることはできない。しかし、愛する人と部屋で過ごす1時間は人生全てのように感じる。そしてその時間が終わると、私達は「次の」人生を待つほかないのだ。 ***05.Ákos (アーコシュ) - Ilyenek voltunk (オレたち、そんな感じだったよな) &ref(http://click.hitobashira.org/up/src/hanocha5656.jpg) 1987年、AkosはDepeche Modeの影響を受けBonanza Banzaiというグループを結成し、90年代初頭に有名になった。彼の家族はAkosがミュージシャンになることを望んでいなかったが。そのグループは1995年に解散し、彼は国内外を股にかけてソロミュージシャンとしてのキャリアを開始した。 彼は歌うだけでなく、自分で作詞作曲をする。演劇用に曲を構成し、詩を書いたりもする。彼はシリアスで詩的なポップスでよく知られており、安っぽく記憶に残らないヒット曲を出す他のポップシンガーとは一味違い、広く人気のあるアーティストである。 この曲「Ilyenek voltunk」は一組の老夫婦の歌である。彼らはきらきらと輝いていた若い頃のこと、そして彼らがつくった大切なものたちのことを回想している。とても幸福であるというわけではなく、シリアスな意味合いを持つ歌だが、おそらく彼らの作品の中でも最も人気の高いものである。 ***Rúzsa Magdi (ルージャ・マグディ) - Unsubtantial blues (空虚なブルース) &ref(http://click.hitobashira.org/up/src/hanocha5660.jpg) Ruzsa Magdiは最近デビューした新人だが、短期間でトップスターに成長した。 彼女のキャリアはメガスター・シンガーコンテストからはじまった。彼女は2006年にコンテストに優勝したが、それ以前から毎週のように名曲を歌い続けてトップスターに肩を並べるほどのファンの数を獲得していた。彼女は新聞、テレビ、ラジオに取り上げられ、彼女が1位になることは明らかだった。その後、彼女は最初のアルバムを作成、またコネクションコンサートの20万の観客の前で歌うなど、たくさんのライブを行った。また、彼女はプラチナ・ディスクなどたくさんの賞を獲得した。そして、ヨーロッパ全土から訪れた他の有名歌手と競演したユーロビジョン・コンテストでのステージも成功させた。 この曲は彼女の初期のオリジナル楽曲の一つ。それまでは有名アーティストのヒット曲を歌っていた。この曲は悲しみと怒りに満ちている。彼女を裏切って他の女に走った恋人に、どうして去っていくのか、理由を尋ね、不平を言う。なぜなら、彼なしでは彼女は孤独だからだ。 ***Torres Dani (トレス・ダニ) - Euro Punk (ユーロ・パンク) &ref(http://click.hitobashira.org/up/src/hanocha5661.jpg) Torres Daniも2005年メガスターシンガーコンテストに出場していた。 彼は勝利することはできなかったが、それは問題ではない。なぜなら彼は決勝の部隊でたくさんのファン(ほとんどが10代の少女)を獲得することができたからだ。コンテストの栄冠なくとも、彼が音楽の道で生きていくことができるだろうことは明らかだった。 しかし彼が、彼のグループ Veni Styx とともに、最初のアルバムをリリースするまでには1年を必要とした。アルバムは大ヒットし、彼のキャリアは本当にスタートした。アルバムはたくさんの賞を獲得した。彼の音楽のユニークなスタイルはほとんどの人に気に入られたし、歌詞は機知に富み、「ナンセンスなポップソング」の常識をはるかに上回っていた。 彼は歌の中でポップカルチャーをパロディ化したり批評する。たとえば今回紹介するこの曲“ユーロパンク(Europunk)”では、「人工的に造られたポップスター」とプロデューサー、そして音楽業界を現在のようなものにしているプロデュースとまがいものたちを批判している。 ***Vad Fruttik (ヴァド・フルッティク) - Sárga zsiguli (サールガ・ジグリ) &ref(http://click.hitobashira.org/up/src/hanocha5662.jpg) Vad Fruttikは1996年に結成されたグループで、初期は他のアーティストのカバーをしていた。彼らは頻繁にライブをし、新人向けのコンテストをほぼ総ナメにした。2006年に1stアルバムをリリースし、より有名になりもっとライブをするようになった。彼らの音楽はギターポップと電子的なサンプリング、そして時折ジャズやボサノヴァの要素が融合したものとなっている。 この曲「Sárga zsiguli」はジプシーの語りの引用やエスペラント語のラップといった面白いパートを持ち、80年代のブダペストにあった貧民街のストリートの空気をまとっている。詞には直截な意味は一切なく、ほとんどが普通の人々の生活にある普通のことについて、言葉遊びをしている。 ***Yonderboi (ヨンデルボイ) - People always... (人はいつも・・・) &ref(http://click.hitobashira.org/up/src/hanocha5663.jpg) Yonderboiの経歴はとても面白い。彼は1980年に生まれ、13才の時から音楽を作り始めた。1999年に1stアルバム「Shallow and Profound」をリリースしたがハンガリーでは成功しなかった。その代わり、西ヨーロッパをはじめ世界的な大ヒットとなった。海外でスターとなった一方、ハンガリーではほとんど無名に近い状態だった。幸い、後年映画の主題歌やコンサートに使われて自国でも有名になった。彼の2ndアルバム「Splendid Isolation」(2005)はさらに評判を呼んだが、ハンガリーでの知名度と彼の実力はまだ見合っていなかった。 彼を一言で表すと「アンダーグラウンド」である。TVにはほとんど映らないが、フェスやクラブに来る人々にはよく知られている。彼の音楽はハイテンポではなくソファーでくつろぎながら聞けるようなものだが、想像の世界へ自由にいざなってくれる。彼の曲はハッピーではなく、少しダークだ。雨降りの日曜の午後、雨雲と空から滴り落ちる雫を窓越しに眺めているような雰囲気である。 この曲「People always talk about the weather」はそんな雰囲気を最もよく表している1曲である。この曲は2ndアルバムに収められており、その中で恐らくもっともヒットになったものだ。ボーカルにハンガリーの人気グループ Heaven Street Seven のメンバーを招いている。この曲を聴いて、雨の秋の日のような心境を感じてほしい。 ***Jecy mix (イェツィ・ミックス) このハンガリーのダンスミックスは、ハッパーJecyがミックスしたぜ! 最近のハンガリーのクラブじゃどこでもかかってるようなやつばかりだ。 使った曲は以下の通りだ。 Forró nyár (Hot Summer); Yellow Gas Station - Újra kék az ég (The sky is blue again); Freddy Vears & Tomy Deep - Justitia; Re-Play - Szerelmes Dal (Love Song); Dance4Ever - Nem feledem el (I don't forget); DJ Suda - Ma Éjjel (Tonight); Re-Play - Ez az ami kell (This is what I need); Aljas Kúszóbab - Bringa király (Bicycle King); それじゃ、ショーを楽しんでくれ!
#setmenu(第二回三国合同ねとらじメニュー) *ハンガリーからの10曲 &bold(){日本語ページ:[[日本の10曲>http://www33.atwiki.jp/clickvip/318.html]] / [[ハンガリーの10曲>http://www33.atwiki.jp/clickvip/334.html]] / [[台湾の10曲>http://www33.atwiki.jp/clickvip/332.html]]} English Page:[[Japan 10 songs>http://www33.atwiki.jp/clickvip/pages/325.html]] / [[Hungary 10 songs>http://www33.atwiki.jp/clickvip/335.html]] / [[Taiwan 10 songs>http://140.114.212.133/ccc/main_en.htm]] -曲の順番は協議中です。 -アーティストごとの看板も作成中です! +[[Hooligans (フーリガンズ) - Tartson örökké (永遠なれ) >http://www33.atwiki.jp/clickvip/pages/334.html#LI1]] +[[Kispál és a Borz (キスパール・エーシュ・ア・ボルズ) - De szeretnék (願い) >http://www33.atwiki.jp/clickvip/pages/334.html#LI2]] +[[Quimby (クインビー) - Autó egy szerpentinen (曲がりくねった道を行く) >http://www33.atwiki.jp/clickvip/pages/334.html#LI3]] +[[Zsédenyi "Zséda" Adrienn (ジェーデニ・“ジェーダ”・アドリエン)- Motel (モーテル)>http://www33.atwiki.jp/clickvip/pages/334.html#LI4]] +[[Ákos (アーコシュ) - Ilyenek voltunk (オレたち、そんな感じだったよな) >http://www33.atwiki.jp/clickvip/pages/334.html#LI5]] +[[Rúzsa Magdi (ルージャ・マグディ) - Unsubtantial blues (空虚なブルース) >http://www33.atwiki.jp/clickvip/pages/334.html#LI6]] +[[粉雪 / レミオロメン>http://www33.atwiki.jp/clickvip/pages/334.html#LI7]] +[[Jecy - Jecy mix (イェツィ・ミックス)>http://www33.atwiki.jp/clickvip/pages/334.html#LI8]] +[[Vad Fruttik (ヴァド・フルッティク) - Sárga zsiguli (サールガ・ジグリ)>http://www33.atwiki.jp/clickvip/pages/334.html#LI9]] +[[Yonderboi (ヨンデルボイ) - People always... (人はいつも・・・)>http://www33.atwiki.jp/clickvip/pages/334.html#LI10]] #aname(LI1) ***01.Hooligans (フーリガンズ) - Tartson örökké (永遠なれ) &ref(http://click.hitobashira.org/up/src/hanocha5657.jpg) このグループは1996年、若いが経験豊かなミュージシャンによって結成された。彼らは幼少時代から楽器を演奏していた。彼らの最初のアルバムは、新しいベースギタリスト加入後の1997年にリリースされた。初期の彼らの音楽はファンクロック的で、有名アーティストがアルバムやPVにゲストとして参加した。彼らは優れたアルバムを何枚もリリースし、2回のViva Comet ベストグループ賞を含むたくさんの賞を獲得し、今ではハンガリーで最も人気のある男性グループになった。彼らはメロディアスでファンキーを取り入れたロックサウンドと、“Bad-Boyスタイル”で、たくさんのファンを獲得した。2007年にメンバーの一人は脱退したが、彼らは活動を停止しせず、最新のビデオクリップはファンとともに作成した。 このエモーショナルな曲は、あるシンガーの生活について歌っている。彼の毎日はとても楽しいもので、彼はそれが終わらないでほしいと願っている。自分を取り囲む素敵なものが、いつまでも変わらないでいてほしい、それだけが彼の唯一の願いなのだ。 ***92.Kispál és a Borz (キスパール・エーシュ・ア・ボルズ) - De szeretnék (願い) &ref(http://click.hitobashira.org/up/src/hanocha5665.jpg) Kispál és a Borz は1987年に結成された。だが、最初のレコードがリリースされたのは1991年、彼らがコンサートバンドとしてハンガリー全土に知られるようになってからである。 90年代中盤、Kispál はナショナル・ミュージック賞を受賞、ハンガリーで最も重要なオルタナロックバンドの一つとなった。20年の間にバンドのメンバーはしばしば交代した。彼らの特別なオルタナティブロックサウンドと、変則的でアーティスティックな歌詞は今日たくさんのファンを獲得している。また、Kispál はハンガリーでもっとも精力的にライブを行うバンドであり、年間約100回の公演を行っている。 この曲『De szeretnék / Wish I』は、ハンガリーのバンド Anima Sound System のボーカルであるNémeth Juciとともに録音された。Kispál の他の曲と少し異なり、この曲はオルタナロックとドラムンベースの共演という特殊なスタイルをとっている。 ***03.Quimby (クインビー) - Autó egy szerpentinen (曲がりくねった道を行く) &ref(http://click.hitobashira.org/up/src/hanocha5659.jpg) Quimbyはおそらくハンガリーで最もよく知られたオルタナロックバンドで、1991年に結成された。 初期には彼らは英語でしか歌わなかったが、のちにハンガリー語の曲を多く作るようになり、人気を博していった。1998年には何人かのメンバーが交代したが、アルバム『Dilligramm』により彼らは有名になった。彼らはさらにリミックスアルバムも作成し、継続して毎週のようにライブを行った。 しかし、その音楽スタイルにより、彼らはアンダーグラウンドシーンに留まり続けた。スタイルは苦渋と憂鬱に満ちているが、曲は悲劇的だが素晴らしい。それが彼らが広範な人気を獲得できない理由だが、本当にたくさんのファンが熱狂的に彼らの曲を支持し、時には感動の涙を流しさえする。 しかし、この曲『Car on a Serpentine』はいくぶんハッピーで、アイロニックだ。アルバム『Breath Out』はバンドの転換点となった。彼らは過去を「殺し」、新しい音楽を始めたのだ。歌詞はアーティスティックだが、内容は非常にシンプルか、またはまったく意味を持たないものだった。この曲では、「人生は車のようなものだ。車は過去を後ろに残し、高速で走っている」と歌っている。 ***04.Zsédenyi "Zséda" Adrienn (ジェーデニ・“ジェーダ”・アドリエン)- Motel (モーテル) &ref(http://click.hitobashira.org/up/src/hanocha5664.jpg) Zseda はごく平均的な家庭に育ったが、彼女は子供の頃からシンガーとしての道を歩みはじめた。彼女は最高の先生のもとで学び、非常に若くしてステージ上で歌っていた。彼女は人から注目されるのが好きだったので、数年間女優として活動し、劇場でたくさんの役を演じた。彼女の外見が高貴かつ優雅なレディのようなのはそのためだ。 その後、彼女は4人組の音楽グループ「Cotton Club Singers」に加入、グループは1997年から2000年にかけて何枚かのアルバムを発表した。彼らは最初、1930年代から1940年代の音楽風だったが、のちにはもっと現代的なものになった。 2001年、彼女はソロ活動を開始し、翌年にはファーストアルバムを発表する。アルバムは大成功をおさめ、彼女は数々の賞を受賞、以来彼女はハンガリーの女性歌手のNo.1であり続けている。また、ハンガリーの昼ドラマの主題歌に採用されたことが、彼女の知名度と人気をさらに押し上げることとなった。彼女のコンサートはたいてい劇場で行われ、観客を大いに魅了するパフォーマンスを行う。 この曲『Motel(モーテル)』は非常にエモーショナルで、ほとんど感傷的と言っていいほどだ。歌詞は過ぎ去りし人生への愛と悲しみに満ちている。私達はたとえそうしたいと願っても、一人の人とどれだけ愛し合い続けることができるかわからないのだ。 私達は私達の人生の時間を決めることはできない。しかし、愛する人と部屋で過ごす1時間は人生全てのように感じる。そしてその時間が終わると、私達は「次の」人生を待つほかないのだ。 ***05.Ákos (アーコシュ) - Ilyenek voltunk (オレたち、そんな感じだったよな) &ref(http://click.hitobashira.org/up/src/hanocha5656.jpg) 1987年、AkosはDepeche Modeの影響を受けBonanza Banzaiというグループを結成し、90年代初頭に有名になった。彼の家族はAkosがミュージシャンになることを望んでいなかったが。そのグループは1995年に解散し、彼は国内外を股にかけてソロミュージシャンとしてのキャリアを開始した。 彼は歌うだけでなく、自分で作詞作曲をする。演劇用に曲を構成し、詩を書いたりもする。彼はシリアスで詩的なポップスでよく知られており、安っぽく記憶に残らないヒット曲を出す他のポップシンガーとは一味違い、広く人気のあるアーティストである。 この曲「Ilyenek voltunk」は一組の老夫婦の歌である。彼らはきらきらと輝いていた若い頃のこと、そして彼らがつくった大切なものたちのことを回想している。とても幸福であるというわけではなく、シリアスな意味合いを持つ歌だが、おそらく彼らの作品の中でも最も人気の高いものである。 ***06.Rúzsa Magdi (ルージャ・マグディ) - Unsubtantial blues (空虚なブルース) &ref(http://click.hitobashira.org/up/src/hanocha5660.jpg) Ruzsa Magdiは最近デビューした新人だが、短期間でトップスターに成長した。 彼女のキャリアはメガスター・シンガーコンテストからはじまった。彼女は2006年にコンテストに優勝したが、それ以前から毎週のように名曲を歌い続けてトップスターに肩を並べるほどのファンの数を獲得していた。彼女は新聞、テレビ、ラジオに取り上げられ、彼女が1位になることは明らかだった。その後、彼女は最初のアルバムを作成、またコネクションコンサートの20万の観客の前で歌うなど、たくさんのライブを行った。また、彼女はプラチナ・ディスクなどたくさんの賞を獲得した。そして、ヨーロッパ全土から訪れた他の有名歌手と競演したユーロビジョン・コンテストでのステージも成功させた。 この曲は彼女の初期のオリジナル楽曲の一つ。それまでは有名アーティストのヒット曲を歌っていた。この曲は悲しみと怒りに満ちている。彼女を裏切って他の女に走った恋人に、どうして去っていくのか、理由を尋ね、不平を言う。なぜなら、彼なしでは彼女は孤独だからだ。 ***Torres Dani (トレス・ダニ) - Euro Punk (ユーロ・パンク) &ref(http://click.hitobashira.org/up/src/hanocha5661.jpg) Torres Daniも2005年メガスターシンガーコンテストに出場していた。 彼は勝利することはできなかったが、それは問題ではない。なぜなら彼は決勝の部隊でたくさんのファン(ほとんどが10代の少女)を獲得することができたからだ。コンテストの栄冠なくとも、彼が音楽の道で生きていくことができるだろうことは明らかだった。 しかし彼が、彼のグループ Veni Styx とともに、最初のアルバムをリリースするまでには1年を必要とした。アルバムは大ヒットし、彼のキャリアは本当にスタートした。アルバムはたくさんの賞を獲得した。彼の音楽のユニークなスタイルはほとんどの人に気に入られたし、歌詞は機知に富み、「ナンセンスなポップソング」の常識をはるかに上回っていた。 彼は歌の中でポップカルチャーをパロディ化したり批評する。たとえば今回紹介するこの曲“ユーロパンク(Europunk)”では、「人工的に造られたポップスター」とプロデューサー、そして音楽業界を現在のようなものにしているプロデュースとまがいものたちを批判している。 ***08.Jecy - Jecy mix (イェツィ・ミックス) このハンガリーのダンスミックスは、ハッパーJecyがミックスしたぜ! 最近のハンガリーのクラブじゃどこでもかかってるようなやつばかりだ。 使った曲は以下の通りだ。 Forró nyár (Hot Summer); Yellow Gas Station - Újra kék az ég (The sky is blue again); Freddy Vears & Tomy Deep - Justitia; Re-Play - Szerelmes Dal (Love Song); Dance4Ever - Nem feledem el (I don't forget); DJ Suda - Ma Éjjel (Tonight); Re-Play - Ez az ami kell (This is what I need); Aljas Kúszóbab - Bringa király (Bicycle King); それじゃ、ショーを楽しんでくれ! ***09.Vad Fruttik (ヴァド・フルッティク) - Sárga zsiguli (サールガ・ジグリ) &ref(http://click.hitobashira.org/up/src/hanocha5662.jpg) Vad Fruttikは1996年に結成されたグループで、初期は他のアーティストのカバーをしていた。彼らは頻繁にライブをし、新人向けのコンテストをほぼ総ナメにした。2006年に1stアルバムをリリースし、より有名になりもっとライブをするようになった。彼らの音楽はギターポップと電子的なサンプリング、そして時折ジャズやボサノヴァの要素が融合したものとなっている。 この曲「Sárga zsiguli」はジプシーの語りの引用やエスペラント語のラップといった面白いパートを持ち、80年代のブダペストにあった貧民街のストリートの空気をまとっている。詞には直截な意味は一切なく、ほとんどが普通の人々の生活にある普通のことについて、言葉遊びをしている。 ***10.Yonderboi (ヨンデルボイ) - People always... (人はいつも・・・) &ref(http://click.hitobashira.org/up/src/hanocha5663.jpg) Yonderboiの経歴はとても面白い。彼は1980年に生まれ、13才の時から音楽を作り始めた。1999年に1stアルバム「Shallow and Profound」をリリースしたがハンガリーでは成功しなかった。その代わり、西ヨーロッパをはじめ世界的な大ヒットとなった。海外でスターとなった一方、ハンガリーではほとんど無名に近い状態だった。幸い、後年映画の主題歌やコンサートに使われて自国でも有名になった。彼の2ndアルバム「Splendid Isolation」(2005)はさらに評判を呼んだが、ハンガリーでの知名度と彼の実力はまだ見合っていなかった。 彼を一言で表すと「アンダーグラウンド」である。TVにはほとんど映らないが、フェスやクラブに来る人々にはよく知られている。彼の音楽はハイテンポではなくソファーでくつろぎながら聞けるようなものだが、想像の世界へ自由にいざなってくれる。彼の曲はハッピーではなく、少しダークだ。雨降りの日曜の午後、雨雲と空から滴り落ちる雫を窓越しに眺めているような雰囲気である。 この曲「People always talk about the weather」はそんな雰囲気を最もよく表している1曲である。この曲は2ndアルバムに収められており、その中で恐らくもっともヒットになったものだ。ボーカルにハンガリーの人気グループ Heaven Street Seven のメンバーを招いている。この曲を聴いて、雨の秋の日のような心境を感じてほしい。

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