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台湾からの10曲セットリスト - (2007/08/26 (日) 12:42:59) のソース

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+[[老人飲酒歌>http://www33.atwiki.jp/clickvip/pages/276.html#LI7]]
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+[[僕は期待している(我期待)>http://www33.atwiki.jp/clickvip/pages/276.html#LI9]]
+[[再出発(再出發)>http://www33.atwiki.jp/clickvip/pages/276.html#LI10]]


#aname(LI1)
***Singer: 伍佰(ウー・バイ) &br()Song Name: メイド・イン・タイワン(台灣製造)
#ref(http://click.hitobashira.org/up/src/hanocha4853.jpg,,title=伍佰)

次に紹介する歌手は伍佰(ウー・バイ)と、彼のバンド China Blueです。
伍佰は台湾で人気のあるロックスターの一人で、台湾語と中国公用語両方で歌を書く数少ない歌手でもあります。異なる方言で自然な歌詞を書くのは難しく、かつそれで人々を感動させるのはさらに困難なことですが、伍佰はそれをやってのけました。
彼の中国語歌は故郷を離れ異国で働く人々の心情ををくっきりととらえ、台湾語歌は台湾人の魂の奥深くを嵐のごとく揺さぶりました。
特に台湾南部の都市・高雄(カオシュン)から来た人々は故郷を思い出し、胸を強く打たれました。
台湾語歌のメロディーは都会の生活を送る人々をロックミュージックでスピーディに力強く描いています。それまでの面白みのかけらもない台湾語歌とはまったく異なり、失恋、港街の景色、酩酊の高揚に溢れています。しかし、 どこか馴染みやすい台湾の味が含まれているので、台湾では幅広い年齢層で人気を得ています。
伍佰は『ノルウェイの森(Norwegian wood)』と呼ばれる歌を書きました。
彼は、「この歌は日本の小説家・村上春樹と、同名の作品『ノルウェイの森』に影響された」といいます。私は村上氏の小説がビートルズの『ノルウェイの森』に影響されたか否かは詳しく知りませんが、恐らくVIPPERの誰かが教えてくれるのではないでしょうか。
もしこれが真実ならば、一つの音楽が小説家に影響を与え、その小説家がまた別の音楽家に影響を与えて、全員が『ノルウェイの森』の名を作品につけている…なんて、なんとも興味深いですね。
この歌は、ミディアムテンポのロックの歌で『メイド・イン・タイワン』と言います。この裏には台湾の伝統的な行事 a march of spirits' patrolman や、光で彩られる山車などの要素が多く歌に含まれています。
この歌は台湾の祝典の楽しい雰囲気を表しています。
歌詞は、あらゆる天然ものが世界の色々な国々にあるけれど、最高級の品物は台湾に集うという内容で、OEM(相手先ブランド製造)王国という台湾の経済形態の比喩となっています。
伍佰はこれが理想の台湾の形だとしています。


#aname(LI2)
***Singer: 江惠 (ジャン・ホイ)&br()Song Name: 妻(家後)
#ref(http://click.hitobashira.org/up/src/hanocha4857.jpg,,title=江惠)

「妻(家後)」という歌は神秘的な台湾の作詞家 ジェン・ジンイーによって書かれ、台湾の歌姫ジャン・ホイによって歌われました。これは台湾の伝統的女性と彼女の結婚について歌ったものです。いったん結婚すると、台湾の伝統的女性は常に夫と家族のために少しも後悔すること無くすべてを捧げます。私たちは歌詞の中の夫婦の会話から彼らの日常的な幸せを感じることができます。

ここにこの曲の背景となった実際のお話を紹介します。
「貧しい少女が、無理矢理彼の息子の嫁になるようにと裕福な男の元に売られました。けれど、裕福な一家が没落した後も、彼女は一家を支えることに打ちこみ続けました。この話の夫婦は一般的な台湾の夫婦、または普通の人生を生きている世界中のすべての夫婦にさえ似ています。彼らは些細なことで口喧嘩し、彼らの子供の将来について心配したかもしれません。でもある日夫婦がもっと年を取った時、すべての子供たちは家をでてそれぞれの家庭を築きました。少年と少女、おっと忘れちゃいけません、年取ったおじいさんやおばあさんは人生最後の日まで穏やかで幸せな人生を共に暮しました。それはこのお話の本当の結末です。」


#aname(LI3)
***Singer: 黃克林 (ファン・ケーリン)&br()Song Name: 下がれ!(倒退嚕)
#ref(http://click.hitobashira.org/up/src/hanocha4858.jpg,,title=黃克林)

“倒退嚕(下がれ!)”は台湾の伝統曲の中でとりわけ人気のある歌で、宗教行事、結婚式、葬式などの場、特に[[盂蘭盆>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%82%E8%98%AD%E7%9B%86]]で度々用いられています。台湾の民族音楽と宗教音楽を融合し、伝統的な台湾スタイルの歌になっています。私たちと一緒にこの歌、“倒退嚕”を楽しんでください!

この歌は台湾の歌手、ファン・ケーリン (黃克林)によって書かれました。ファンはラジオ放送の司会からそのキャリアを築き上げました。彼の独特にして巧みな話術によりラジオ番組は台湾社会で人気を博していきました。多くのイベントやナイトクラブからステージ出演の依頼がありましたが、彼はその全てを拒みました。一つにはラジオ番組の仕事が多忙だったため、さらには、「誰もが収入を得られるように、自分はラジオの世界にだけ留まっておくべきである」という彼の価値観による考えからでした。

ファンはラブソングばかりが人気の台湾音楽界に息苦しさを感じていました。事実、台湾ではラブソングが蔓延していました。これに対抗するかの如く、ファンは“倒退嚕”を作詞。

1990年にリン・シャン(林強)が“向前走 (進め!)”と言う、独特のロックンロール風の曲を書きました。これが台湾の音楽業界の一つの道標となりました。この変化に応じて、ファンは“倒退嚕”を書き上げました。彼はラジオ・リスナーのウケを狙ってこの歌を流していたのですが、これがヒット! 大絶賛。

そこで彼はこっそりと、宣伝や目立つ放送はせず、この曲をベースとしたアルバムをリリース。ハンは作曲家としての道を歩みだしましたが、彼自身が全てを作曲したのは数曲だけ。しかし、彼自身が書いた曲は殆どが社会へ向けたアドバイスや、モラルの向上について歌ったものでした。「意味のある歌だけが永遠に生き続けるんだ。人気曲なんてすぐに消えてしまうのさ」。そう彼は言います。

この歌は伝統的な台湾文化においても人気となり、冒頭にあげたように様々な伝統行事などで用いられるようになりました。この曲こそ本当の台湾ロックンロール!


#aname(LI4)
***Singer: 夾子電動大樂隊 &br()Song Name: 回れ!ディスコボール(轉吧!七彩霓虹燈)
#ref(http://click.hitobashira.org/up/src/hanocha4860.jpg,,title=夾子電動大樂隊)

伝統的な台湾文化において、結婚式とお葬式は等しく重要です。したがって、それらの儀式は通常参加者すべてにとって贅沢でお金のかかるショーです。
庶民文化に由来する電動式の山車が閃光のようなダンスの少女と騒々しい楽隊そして歌手たちを運びます。
歌や踊りと連動したカラフルなライトと飾りがあらゆる街角から人々を引きつけます。
かつて電動式の山車はポルノや堕落を象徴したものでしたが、最近ではそれは娯楽会場へと変わりました。
「轉吧!七彩霓虹燈(回れ!ディスコボール)」という歌は「夾子電動大樂隊(The Clippers)」によって演奏されます。あなたをまぶしく豪華な電動式山車の世界に連れ出してくれるでしょう。 


#aname(LI5)
***Singer: 交工樂隊(Labor Exchange band)&br()Song Name: 菊花夜行軍
#ref(http://click.hitobashira.org/up/src/hanocha4859.jpg,,title=交工樂隊)

親愛なるVIPPERとHUPPERの皆さん、最も代表的な客家(ハッカ)ソングの一つを紹介します。曲名は「菊花夜行軍」。

菊は幾千もの花びらからなる花で、「客家」は台湾の一地方の言葉です。
この曲は「交工樂團 (Labor exchange Band)」によって作曲されました。
交工樂團は1999年、5人の若者によって結成。
メンバーはボーカル:林生祥、ベース:陳冠宇、ドラム: 鐘成達、スオナ(チャルメラのあれ)奏者の一人:郭進財、作詞家の一人:鐘永豐。
彼らは客家族の伝統音楽とロックをミックスし、精巧な作品に仕立て上げる試みをしました。


#aname(LI6)
***Singer: 王芷蕾(ジャネット・ワン)&br()Song Name: タイペイの空(台北的天空)
#ref(http://click.hitobashira.org/up/src/hanocha4855.jpg,,title=王芷蕾)

ジャネット・ワンは、いくつもの映画とテレビシリーズの主題歌を歌い、30枚以上のアルバムを発表して90年代の台湾の有名な歌手になりました。この曲、『タイペイの空』は、1985年の『ジャネット・ワンの空』といアルバムに収録されています。

『タイペイの空』は、故郷から遠く離れ、長い間一生懸命働き、そして故郷に戻ってきた男について歌っています。彼はその間に自分がなしたことすべてについて思い、そして故郷こそが一番の場所だと知るのです。

ジャネットは2006年に再レコーディングを行い、この曲をロックバージョンに仕上げました。オリジナルバージョンに興味がある方は、探してみるのもいいでしょう。それでは楽しんでください。ジャネット・ワンで『タイペイの空』。


#aname(LI7)
***Singer: 郭英男 (kuo Ying-nan / Difang DuanaSong) &br()Song Name  : 老人飲酒歌 (Elders Drinking Song)
#ref(http://click.hitobashira.org/up/src/hanocha4861.jpg,,title=郭英男)

郭英男 (民族名:Difang Duana、中国名:Kuo Yin-nan、日本名:かくひでお)は、1921年、台東のアミ族のマ・ラン村に生まれました。16歳のとき、彼は部族のaccenter(歌唱リーダー)になりました(彼らの伝統では、それは名誉なことでした)。彼は歌うことを愛しており、アミ族の音楽をもっと広めることができればと、つねづね考えていました。

その夢は、彼が57歳になる1978年になるまで実現しませんでした。1978年、国の伝統音楽調査チームが、彼らの音楽を録音するためにマ・ラン村を訪れました。その結果は、決して予想されていなかったものでした。

その時から、彼は「高位の民族音楽家」と呼ばれるようになり、続く数十年、彼は公の場で歌うようになりました。1988年、彼はフランスにパフォーマーとして招待を受け、センセーションをまきおこしました。1993年、ニューエージバンド、エニグマ(Enigma)は『老人飲酒歌(Elders Drinking Song)』をサンプリングし、彼らの歌『Return to innocence』([[Youtube>http://jp.youtube.com/watch?v=YkaY_lc_2UM]])に取り入れ、2ndアルバムに収録しました。その曲は1996年のアトランタ五輪のメインテーマ曲となりました。世界中のよりたくさんの人々が Kuo の素晴らしい歌を聴くようになりました。2002年、この非常に尊敬された歌い手は、敗血症と肺炎により、80歳で亡くなりました。

ほとんどのアミ族の音楽は、メロディーを持ちますが、決まった歌詞を持ちません。歌い手はメロディーだけを歌うか、自分自身で作った歌詞を使います。この歌では、酒を飲み交わしたあとの、同世代間の暗黙の理解と、年長の人たちの宴の喜びについてを描いています。

脚注: 
アミ族(阿美族)は、年齢によって、社会的階層を持ちます。それぞれの階層は、村全体に対して、それぞれ別の責任を持ちます。同じ階層に属する人たちはみな同じ仕事を共有し、外敵から身を守り、そしてその序列に絶対的に従います。彼らは、暗黙の理解と感情を育むため、互いに気遣いあう責任を持っています。

アミ族は主に海を基盤にして生計を立てています。彼らが歌う聖歌はあたかも潮流と波のようであり、軽快でバリエーションに富んでいます。歌詞には「ホー・ハイ・ヤン」といった合いの手が大量に用いられますが、しかしそれでたくさんの伝説的な聖歌を作ることができます。歌い手たちはまず1人か1グループから歌い始め、別の歌い手は後からそれに続くか交代して歌います。これは"Hahai"と呼ばれます。

参考リンク
-[[CD購入>http://www.amazon.co.jp/Circle-Life-%E9%83%AD%E8%8B%B1%E7%94%B7/dp/B00005EU6N]],[[関連記事>http://www.roc-taiwan.or.jp/news/week/1887/112.html]]
-[[アミ族wikipedia>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9F%E6%97%8F]],[[アミ族について>http://wee.kir.jp/taiwan/twn_ami.html]],[[アミ族写真>http://wee.kir.jp/pictures/pict_ami_001.html]]


#aname(LI8)
***Singer: 陳昇(Bobby Chen) &br()Song Name: 鼓聲若響(When the Drum Rolls)
#ref(http://click.hitobashira.org/up/src/hanocha4856.jpg,,title=陳昇)

シンガーソングライターの陳昇 (ボビー・チェン)は20年間、音楽業界にたずさわってきました。彼の歌声はいつも独特の哀愁を帯びています。
シンガーソングライターの賞を受賞したとき、彼はまだ若い感性を保っていました(訳注:成功したのは30歳を過ぎてから)。彼は毎年の大晦日に、こじんまりとした会場で公演を行い、ファンとともに新年の訪れを祝います。この曲、『鼓聲若響 (ドラムが鳴るとき)』は1994年、ボビーと彼のバンド“新寶島康樂隊(New Treasure Island Band)”によって作曲され、彼らのキャリアで最高のヒットとなりました。

曲はこんなふうに始まります。

 「さようなら、お父さん/さようなら、お母さん/さようなら、僕の愛/僕はもう戻りません」

この曲は、食べていくために故郷を離れようとする、さすらいの歌手を描いています。ドラムが鳴り出し、彼はステージの上で、彼の夢と郷愁について歌います。ボビーは自身のつらい経験を元にしてこの曲を書きました。一方で歌は、故郷を離れて外国で骨の折れる仕事に従事する、たくさんの台湾人の物語も伝えています。


#aname(LI9)
***Singer: 張雨生(Chang Yu-sheng)&br()Song Name: 我期待(I Expect)
#ref(http://click.hitobashira.org/up/src/hanocha4854.jpg,,title=張雨生)

この曲「我期待」は1994年、台湾のシンガー張雨生(Chang Yu-sheng)によって作曲されました。アルバム「.拉OK Live.台北.我 (Live! Karaoke.Taipei.Me)”」に収録されています。
彼は初期は独特の高い声で有名になり、後期はプロデューサー兼作詞家としてよく知られるようになりました。

張雨生は歌い手としてだけでなくミュージシャンとしての才能にも溢れています。
アルバム「Live! Karaoke. Taipei. Me」では作詞・作曲・そしてプロデュースの全ての作業を自分で行い、自身のライブバンドで演奏しました。そして特徴的で魅力溢れる作品を作ることに成功したのです。

1997年、張雨生は過労から自動車事故を起こし、この世を去りました。31歳の若さでした。
死後、彼の所属していたレコード会社は張の親友Tao Jing-yingを招き、この曲「我期待」を再レコーディングしました。より新しいレコーディング技術を用い、張のオリジナルの歌声にTaoの歌声をミックスしました。この曲はantiphonal style(交唱聖歌スタイル)で再リリースされ、これまで以上に評判を集めました。

歌詞の主な箇所を抜き出します。

いつか僕は子供みたいな輝きを取り戻し、世界で一番深い愛を知ることを願う
この無力さが春の夜の音楽に変わることを願う
そして今もこれからも秋の爽やかな空気に包まれていることを願う
この気持ちをしっかりと自分のものにするんだ
さよなら、さよなら 
顔を上げて歩きだすよ、振り返らずに


#aname(LI10)
***Singer: 任賢齊(Richie Ren) &br()Song Name: 再出發(Take the Road Again)
#ref(http://click.hitobashira.org/up/src/hanocha4852.jpg,,title=任賢齊)

任賢齊 (Richie Ren)は1996年に発表したアルバム”心太軟 (SoftHeart)”でアジアで有名です。
台湾では1998年のアルバム“愛像太平洋 (Love, is Like Pacific Ocean)”が中国から彼の故郷の台湾へと広がる形で人気を得ていきました。
体育科ということや、スポーツへの情熱・様々な知識があることで、彼は台湾野球協会主に、2001年の野球の国際大会world baseball championship(注:恐らく第34回IBAFワールドカップのこと)へと招待され、テーマソングとなったこの曲、【”再出發 (Take the Road Again)”】を披露しました。
台湾の野球の歴史に関して言うと、world baseball championshipは最も大きな国際試合で、皆の熱狂は、現在我々が参加しているClick3に匹敵するほどです。
16カ国が参加するこの大会で、開催国台湾の野球ファンは誰よりも熱狂的にこの大会を迎えます。(34回大会では、)3位決定戦で台湾と日本が戦いました。
このテーマソングがファンや選手を盛り上げ、台湾は見事日本を破って3位を勝ち取りました
大会が終わった後も、この歌は感動や熱狂を呼び起こしてくれます。このラジオでこれを流すことで、皆さんの後押しになればと思い、私たちはこの曲を選びました。
それともう一つ。台湾はアジア選手権とworld baseball championshipの開催国となります。私たちは、あの熱狂を再び感じられ、野球への愛が世界へ広がることを信じ、願っています。
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