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*クリックマスラジオ2008 #center{&ref(http://click.hitobashira.org/up/src/hanocha6489.jpg,,http://www33.atwiki.jp/clickvip/pages/499.html)} 楽しくクリックしながらクリスマスを過ごそう!というラジオ企画です。 今回は3カ国ではなく国内向け放送ですので日本語オンリーです。 放送予定日は後日お知らせします。 詳細は順次発表! **第1部概要  第一部では1958年から1984年の8曲をご紹介します。  (途中で何か起こるかも!?) **第1部プログラム(予定) ***イントロ(挨拶) ***01 洋楽 Blue Christmas by Elvis Presley (1957)(02:08)  1957年にリリースされたエルビスプレスリーのブルー・クリスマス。  アメリカのカントリー歌手アーネスト・タブが1948年にリリースしたカントリーミュージックをエルビスがカヴァーし、以後エルビスの曲として定着しています。  歌詞ではクリスマスシーズンを前に恋人と別れ、一人寂しくブルーな気分で過ごす主人公が  「君は楽しくホワイトクリスマス。    僕は寂しくブルークリスマス。      切ない切ないブルークリスマス。」  と歌っています。 ***02 洋楽 HappyXmas War is Over  ジョンレノン&オノヨーコ(1971)(03:35)  ジョンレノンとオノヨーコで「ハッピークリスマス ウォーイズオーバー」。  ビートルズが活動休止した1966年にジョンレノンとオノヨーコは出会い、その3年後の1969年に二人は結婚しました。  1960年頃から始まったベトナム戦争は、1969年当時アメリカ国内でも多くの反戦運動が行われるようになり、ヒッピーやフラワーピープルといったムーブメントを産み出しました。  ジョンとヨーコは新婚旅行先のアムステルダムで「戦争をする変わりにベッドで過ごそう 髪を伸ばそう 平和になるまで」とベッドで抱き合ったままメディアに登場し、世界に大きな衝撃を与えました。  この曲はそんな二人の反戦活動の中から産まれた曲です。  二人の活動は若者達を戦争反対へと動かす大きなムーブメントを起こしましたが、その影響力の大きさにニクソン政権が驚異を感じFBIの監視や盗聴を受けることになりました。  1971年にはアメリカから一端国外追放されましたが、闘争の末にアメリカ永住許可証のグリーンカードを手にするといった出来事もありました。  ジョンは1980年12月8日 マーク・チャップマンという一人の男の凶弾に倒れましたが、彼の死には未だに多くの謎が残っています。  この「ハッピークリスマス」の中でジョンは次のように歌っています。   「戦争は終わった…もしも君が望むなら」 ***03 邦楽 恋人がサンタクロース by 松任谷由実(1980)(05:05)  1980年にリリースされた松任谷由実の「恋人がサンタクロース」。  1987年公開の日本映画『私をスキーに連れてって』の劇中歌に使われ、今ではクリスマスの定番曲の1つとなっています。  「私をスキーに連れてって」は原田知世主演の恋愛映画で、映画の中の彼女の“ニット帽にゴーグル”スタイルは当時の女性に大流行し、「ゲレンデ美人」という言葉も生み出され、バブル景気まっただ中の1990年代スキーブームのきっかけとなりました。 ***04 邦楽 クリスマス・イブ by 山下達郎(1983)(04:14)  1983年にリリースされた山下達郎の「クリスマス・イブ」。  1988年にJR東海の「クリスマス・エクスプレス」CMソングに使用された事で一躍有名となり、現在ではワム!のラストクリスマスと並ぶクリスマスの定番曲となっています。  この曲は2007年12月16日に行われた第三回三国合同ねとらじでも、日本の10曲に選ばれハンガリーや台湾に向けて放送されました。 ***05 邦楽 Merry Christmas Mr.Lawrence (戦場のメリークリスマス) by 坂本龍一(1983) (04:46)  1983年にリリースされた坂本龍一の「メリークリスマス ミスター・ローレンス」。  映画『戦場のメリークリスマス』のオリジナルサウンドトラックの1つとして作曲され、彼の曲の中でも最も有名な1曲です。  映画自体のある種の非現実感から影響を受けて、西洋から見ても東洋から見ても“どこでもないどこか”、そして“いつでもない時間”をコンセプトに作られれました。シンプルで覚えやすいメロディで国内外の多くのアーティストにカバーされています。主旋律の音色はワイングラスのサンプリングが使われているそうです。  同名のアルバムは英国アカデミー賞作曲賞を受賞しています。  この曲も第一回三国合同ねとらじで、日本の10曲のラストを飾る曲として選ばれています。 ***06 洋楽 Last Chiristmas by Wham! (1984)(06:44)  1984年リリースのワムのラストクリスマス。クリスマスソングの中でも最も有名な1曲といっていいでしょう。  ワムはイギリスのジョージ・マイケルとアンドリュー・リッジリー の2人によるデュオで、1980年代前半から中盤にかけ大ヒット曲を連発し、ポップで快活な曲調と二人のルックスの良さでアイドル的な人気を誇りました。  この曲は過去に織田裕二もカバーしていますが、今年EXILEが日本語詞でカヴァーし、話題となっています。 ***07 邦楽 ファンキー・クリスマス by 中原めいこ(1984)(07:47)  1984年にリリースされた中原めいこの「ファンキー・クリスマス」。  中原めいこはアニメ『ダーティペア』の主題歌「ロ・ロ・ロ・ロシアン・ルーレット」や、アニメ『きまぐれオレンジ☆ロード』の主題歌「鏡の中のアクトレス」で覚えている方もおられるのではないでしょうか。  1980年代を中心に活動し、ラテン音楽を取り入れたポップスやバラード、都会的でスマートな曲を数多く作り、歌いましたが、1992年に歌手活動を休止しました。 ***08 洋楽 Do they know it's christmas by Band Aid (1984)(05:07)  1984年にリリースされたバンドエイドの「ドゥーゼイ ノゥ イッツ クリスマス」です。  バンドエイドはアイルランド出身のロックグループ、「ブームタウンラッツ」のヴォーカリスト、ボブ・ゲルドフの呼びかけでエチオピア飢饉救済のチャリティーレコードを製作する為に集められたスーパーバンド。  このプロジェクトにはポール・ヤング、カルチャー・クラブのボーイ・ジョージ、ジョージ・ワムのマイケル、U2のスティング、ボーノ、フィル・コリンズ、デュラン・デュラン…などイギリスのトップスター達が多く参加しています。  この成功の後、USAフォーアフリカを始め、アーティスト達によるチャリティーレコードが数多く作られるようになりました。  Band Aid は結果的に500万ドルの義援金を集めることに成功し、ボブ・ゲルドフは活動が認められノーベル平和賞の候補にもなりました。 2004年にもスーダンのダルフール紛争での難民救済のために再結成され、ポール・マッカートニーを始め多くのアーティストが参加しました。  歌詞では  「食糧を世界に。食糧を世界に届けよう。    食糧を世界に。彼らにクリスマスを知らせよう。     食糧を世界に。またクリスマスが来る事を知らせよう。」  と歌っています。
*クリックマスラジオ2008 #center{&ref(http://click.hitobashira.org/up/src/hanocha6489.jpg,,http://www33.atwiki.jp/clickvip/pages/499.html)} 楽しくクリックしながらクリスマスを過ごそう!というラジオ企画です。 今回は3カ国ではなく国内向け放送ですので日本語オンリーです。 放送予定日は後日お知らせします。 詳細は順次発表! **第1部概要  第一部では1958年から1984年の8曲をご紹介します。    曲の合間のどこかでラジオドラマが入ります!!お聴き逃しなく!! **第1部プログラム(予定) ***イントロ(挨拶) ***01 洋楽 Blue Christmas by Elvis Presley (1957)(02:08)  1957年にリリースされたエルビスプレスリーのブルー・クリスマス。  アメリカのカントリー歌手アーネスト・タブが1948年にリリースしたカントリーミュージックをエルビスがカヴァーし、以後エルビスの曲として定着しています。  歌詞ではクリスマスシーズンを前に恋人と別れ、一人寂しくブルーな気分で過ごす主人公が  「君は楽しくホワイトクリスマス。    僕は寂しくブルークリスマス。      切ない切ないブルークリスマス。」  と歌っています。 ***02 洋楽 HappyXmas War is Over  ジョンレノン&オノヨーコ(1971)(03:35)  ジョンレノンとオノヨーコで「ハッピークリスマス ウォーイズオーバー」。  ビートルズが活動休止した1966年にジョンレノンとオノヨーコは出会い、その3年後の1969年に二人は結婚しました。  1960年頃から始まったベトナム戦争は、1969年当時アメリカ国内でも多くの反戦運動が行われるようになり、ヒッピーやフラワーピープルといったムーブメントを産み出しました。  ジョンとヨーコは新婚旅行先のアムステルダムで「戦争をする変わりにベッドで過ごそう 髪を伸ばそう 平和になるまで」とベッドで抱き合ったままメディアに登場し、世界に大きな衝撃を与えました。  この曲はそんな二人の反戦活動の中から産まれた曲です。  二人の活動は若者達を戦争反対へと動かす大きなムーブメントを起こしましたが、その影響力の大きさにニクソン政権が驚異を感じFBIの監視や盗聴を受けることになりました。  1971年にはアメリカから一端国外追放されましたが、闘争の末にアメリカ永住許可証のグリーンカードを手にするといった出来事もありました。  ジョンは1980年12月8日 マーク・チャップマンという一人の男の凶弾に倒れましたが、彼の死には未だに多くの謎が残っています。  この「ハッピークリスマス」の中でジョンは次のように歌っています。   「戦争は終わった…もしも君が望むなら」 ***03 邦楽 恋人がサンタクロース by 松任谷由実(1980)(05:05)  1980年にリリースされた松任谷由実の「恋人がサンタクロース」。  1987年公開の日本映画『私をスキーに連れてって』の劇中歌に使われ、今ではクリスマスの定番曲の1つとなっています。  「私をスキーに連れてって」は原田知世主演の恋愛映画で、映画の中の彼女の“ニット帽にゴーグル”スタイルは当時の女性に大流行し、「ゲレンデ美人」という言葉も生み出され、バブル景気まっただ中の1990年代スキーブームのきっかけとなりました。 ***04 邦楽 クリスマス・イブ by 山下達郎(1983)(04:14)  1983年にリリースされた山下達郎の「クリスマス・イブ」。  1988年にJR東海の「クリスマス・エクスプレス」CMソングに使用された事で一躍有名となり、現在ではワム!のラストクリスマスと並ぶクリスマスの定番曲となっています。  この曲は2007年12月16日に行われた第三回三国合同ねとらじでも、日本の10曲に選ばれハンガリーや台湾に向けて放送されました。 ***05 邦楽 Merry Christmas Mr.Lawrence (戦場のメリークリスマス) by 坂本龍一(1983) (04:46)  1983年にリリースされた坂本龍一の「メリークリスマス ミスター・ローレンス」。  映画『戦場のメリークリスマス』のオリジナルサウンドトラックの1つとして作曲され、彼の曲の中でも最も有名な1曲です。  映画自体のある種の非現実感から影響を受けて、西洋から見ても東洋から見ても“どこでもないどこか”、そして“いつでもない時間”をコンセプトに作られれました。シンプルで覚えやすいメロディで国内外の多くのアーティストにカバーされています。主旋律の音色はワイングラスのサンプリングが使われているそうです。  同名のアルバムは英国アカデミー賞作曲賞を受賞しています。  この曲も第一回三国合同ねとらじで、日本の10曲のラストを飾る曲として選ばれています。 ***06 洋楽 Last Chiristmas by Wham! (1984)(06:44)  1984年リリースのワムのラストクリスマス。クリスマスソングの中でも最も有名な1曲といっていいでしょう。  ワムはイギリスのジョージ・マイケルとアンドリュー・リッジリー の2人によるデュオで、1980年代前半から中盤にかけ大ヒット曲を連発し、ポップで快活な曲調と二人のルックスの良さでアイドル的な人気を誇りました。  この曲は過去に織田裕二もカバーしていますが、今年EXILEが日本語詞でカヴァーし、話題となっています。 ***07 邦楽 ファンキー・クリスマス by 中原めいこ(1984)(07:47)  1984年にリリースされた中原めいこの「ファンキー・クリスマス」。  中原めいこはアニメ『ダーティペア』の主題歌「ロ・ロ・ロ・ロシアン・ルーレット」や、アニメ『きまぐれオレンジ☆ロード』の主題歌「鏡の中のアクトレス」で覚えている方もおられるのではないでしょうか。  1980年代を中心に活動し、ラテン音楽を取り入れたポップスやバラード、都会的でスマートな曲を数多く作り、歌いましたが、1992年に歌手活動を休止しました。 ***08 洋楽 Do they know it's christmas by Band Aid (1984)(05:07)  1984年にリリースされたバンドエイドの「ドゥーゼイ ノゥ イッツ クリスマス」です。  バンドエイドはアイルランド出身のロックグループ、「ブームタウンラッツ」のヴォーカリスト、ボブ・ゲルドフの呼びかけでエチオピア飢饉救済のチャリティーレコードを製作する為に集められたスーパーバンド。  このプロジェクトにはポール・ヤング、カルチャー・クラブのボーイ・ジョージ、ジョージ・ワムのマイケル、U2のスティング、ボーノ、フィル・コリンズ、デュラン・デュラン…などイギリスのトップスター達が多く参加しています。  この成功の後、USAフォーアフリカを始め、アーティスト達によるチャリティーレコードが数多く作られるようになりました。  Band Aid は結果的に500万ドルの義援金を集めることに成功し、ボブ・ゲルドフは活動が認められノーベル平和賞の候補にもなりました。 2004年にもスーダンのダルフール紛争での難民救済のために再結成され、ポール・マッカートニーを始め多くのアーティストが参加しました。  歌詞では  「食糧を世界に。食糧を世界に届けよう。    食糧を世界に。彼らにクリスマスを知らせよう。     食糧を世界に。またクリスマスが来る事を知らせよう。」  と歌っています。

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