――かつて東京で開催されたその聖杯戦争は熾烈を極めた。


 〈熾天の冠〉をめぐる争いは、神秘の秘匿や裏側の倫理といった大前提を加速度的に崩壊させていった。
 恐らくそれを監督しようとしていた側さえ想定していなかった、魔術師たちの増長。
 結果として東京は、まさしく針音の仮想都市さながらに日を追って地獄へ変じていく。
 最終的に首都を壊滅させるにまで至るその戦いに列席した者は、七人。


 楪依里朱――そのサーヴァント・セイバー。
 蛇杖堂寂句――そのサーヴァント・アーチャー。
 赤坂亜切――そのサーヴァント・ランサー。
 〈脱出王〉――そのサーヴァント・ライダー。
 神寂祓葉――そのサーヴァント・キャスター。
 ノクト・サムスタンプ――そのサーヴァント・アサシン。
 ホムンクルス36号――そのサーヴァント・バーサーカー。


 陰謀、策謀、呉越同舟の温床。
 野望と願望の竜戦虎争。
 熾天を前にしての、悍ましき王位継承戦。
 いずれすべてが特異点(バグ)に呑まれるなどとは露知らぬまま。
 魔術師たちは、己のすべてを懸けて勇ましく戦った。
 そうやって少しずつ、静かに、灼けていった。



◆◆



 午前二時三十分。
 板橋区の一角が、異界に変じていた。

 〈異界〉。
 その光景を表現するには、こう表現するしかなかった。
 住宅街が丸ごとひとつ、凍土と化している。
 霜が降り、吹雪が荒び、そこかしこに氷像と化した民間人の姿が見て取れる。
 そんな光景なのに、あちこちでごうごう、ぱちぱち、めらめら、と、炎が燃えている。
 真冬の大火事。それだけならば、まだ起こり得る事態かもしれない。今が五月で、此処が日本であることを除けばだが。

 しかし――それに付随しているもうひとつの"異常"は、完全に常軌を逸していた。
 砂嵐が吹いているのだ。まるで吹雪と世界の版図を争い合うように、茶色い砂塵が荒れ狂っている。
 いや、砂ではない。よく見れば、砂に見える粒のひとつひとつが小刻みに動いているのが見て取れるだろう。
 動いている。蠢いている。そして、鳴いている。音を立てて。キチキチ、と。

 これは、砂嵐ではなく。
 地平の果てから来たりてすべてを食い尽くす、〈蝗害〉であった。
 即ちサバクトビバッタ。神代から現代まで世に蔓延り続ける、不滅の厄災なり。
 触覚を動かし、羽を震わせ、キチキチと鳴く飛蝗の軍勢が数億数十億の群れを成して冬を食らっている。

 間違いなく、此処までのひと月を総計しても最大の規模に達するだろう激戦。
 その主たちは、異界の只中にありながら身を震わすこともなく対峙を続けていた。
 片や、狂おしく微笑むダークスーツの青年。仕えるは、女性離れした長身の弓兵。
 片や、総身で白黒色彩(ツートンカラー)を体現した少女。仕えるは、蝗害を背負って嗤う暴食の騎兵。

 〈はじまりの六人〉。
 〈はじまりの聖杯戦争〉を共にした、旧知同士の殺し合い。
 しかし旧知と一口に言っても、その関係性は殺し合っていることから分かる通り決して穏便ではない。

「最悪。よりによってあんたみたいなキモい奴まで蘇ってるとはね、アギリ」
「非道い言い草じゃないか、イリス。一度は"彼女"共々共闘した仲だろう?」

 蝗害の魔女――イリスは、毒虫でも見つけたように嫌悪を露わにし。
 凍原の赫炎――亜切は、まさに旧い友人との再会を祝するように笑う。

 イリスが、亜切の言葉に眉根を寄せた。
 それと同時に爪先でこつん、と凍った地面を叩く。
 瞬間、凍土と蝗害に侵された世界が二色に分割される。
 一面の白。あるいは黒。楪の魔術師は〈色彩〉を操る。
 自身にとって致命的な事象が到来しようとしていることを知りながらも、しかし亜切は不変だった。
 その魔眼由来の炎を爆発的に放出させ、迫る魔女の魔技をもろともに焼き払う。

 次いで、億の飛蝗が生み出す竜巻を巨人の剛矢が一撃のもとに吹き散らした。
 刹那に到来する蝗害の主、飛蝗の魔人が繰り出す一振りを凶暴な笑みで受け止める。
 共に歯を剥いて笑いながら、〈災い〉と〈神〉が殺し合う。
 そんな神話もかくやの光景にすら、ふたつの骸は顔色ひとつ変えない。

「僕は君のことを、まあそれなりに気に入ってる。
 "お姉ちゃん"としては論外だけど、"妹"としてはなかなかの素質だ。
 成績優秀じゃないけど単位は取れるって感じだね。だからうん、そう、七十点くらいの――」
「死ね変態」

 色彩の槍が、亜切を囲み。
 炎の爆噴射が、イリスを呑む。
 それなのに。互いに、無傷を保ち続けている。

「"あいつ"に何を見たのか知らないけど、そうまで堕ちたら大人しく死んだ方がマシでしょ。
 生き恥って言葉知ってる? 少しは歳でも考えたらいいんじゃないの。ああ目が焼けてるから自分を客観視することもできない?」
「なかなか手痛い指摘だが、僕も君には言われたくないね。
 お姉(妹)ちゃんにフラれたのを未練がましく引きずって、まさしく女の腐ったみたいじゃないか」

 殺意の桁が、一段上がる。
 ブロックノイズのように世界を喰む色彩が、異界の悍ましさに拍車をかけていた。
 彼らは共に狂人。論理は破綻し、感情は狂気に変転し魂にまで焼け付いた。
 だからこそ、そう、このように。表面上友好的に見えたとしても、決して芯から相容れることはできない。

 彼らは、〈はじまりの六人〉は、根本的に互いの存在を認められないのだ。
 同じ星に焦がれた恋敵など。死んでくれるに越したことはないのだから。

「――アガってきたところだが、そろそろ宴も酣だね」
「は? 逃げんの?」
「相変わらず子どもだなあ。そういうところが妹ポイント高いんだけど」

 けらけらと笑いながら、最初に矛を収めたのは亜切だった。
 イリスは口ではそれに敵愾心を示すが、彼女もそこで攻撃の手を止める。
 イリスもまた、亜切と同じことに思い当たっているのは明白であった。
 そう。このまま続ければ、自分達はどちらが死ぬまで止まらない。

 それ自体は望むところだが、如何せんまだ時期が早い。
 この刻限から総力戦をしてもぎ取る勝利の価値は、どちらにとってもそれほど高くない。
 何せ今回の聖杯戦争は前回以上の異常形。"彼ら"にとっても、この先何が起こるかは未知だった。
 無論負ける気は微塵もしないが、同時に彼/彼女を殺し切るとなれば無視できない損耗を被るのは必至。
 であれば此処は狂気と同族へのみなぎる殺意をぐっと堪えて、痛み分けという形で手打ちにするのが利口と、双方共にそう判断したのだ。

 色彩が剥がれ落ちる。
 炎が、消える。
 吹雪と蝗害だけが、世界に未だ残り続けている。

「さっきはああ言ったけどね。僕は実のところ、お姉(妹)ちゃんを巡って雌雄を決するなら君がいいと思ってるんだ。
 他の奴らと来たらどいつもこいつもしみったれてるからね。斜に構えちゃって、まったく実にみっともない。
 そんな奴らを最後の障害に据えてもこっちの気が削げる。せっかくの〈運命〉が台無しだ」
「……、……勝手に人の戦う理由を決めないでほしいんだけど?」

 そうは言うがイリスとしても、後半に関しては同意見だった。
 この狂人と共闘するつもりは毛頭ないが、逆に言えば分かりやすく壊れていない他の連中の方が薄気味悪さでは勝っている。
 そちらの方が遥かに鬱陶しく、そして苛立たしい。
 先刻亜切はイリスを"女の腐ったよう"と評したが、イリスに言われれば他の四人は"男の腐ったよう"な連中の集まりだった。

「……何か情報は取れてるの?」
「ジャックの奴は居所を隠そうともしてないね。あいつは面倒だからな、早めに潰したいと思ってるよ」
「もしやるなら教えて。あんたと共闘する気なんてさらさらないけど、あのヤブ医者は生かしとくとこっちも具合悪い。嫌なこと思い出す」
「強かったもんなあ、あの医者。思えばお互い、あいつのサーヴァントには手を焼いてたっけ」

 昔話に花を咲かせているようにしか見えない光景。
 だがその"昔話"が、そもそも途方もない量の血と戦火で構成されている。
 好意は行き過ぎると敵意に変転するように。
 敵意も、度を過ぎれば気安さに変転するのかもしれない。

「ミロクはどうせ引きこもりでしょ。ノクトはお得意の交渉とか契約に奔走中ってとこだろうし。となると、気持ち悪いのは――」
「同感。〈脱出王〉だね。ただ僕としても彼はどうも苦手でなあ。君んとこの蝗害でどうにかならないかい、アレ」
「……どうだろ。まあ見つけたらやってみるけど、期待はしないで」

 先に踵を返したのは、イリスの方だった。
 これ以上話すことはない、と行動でそう示す。
 それに対し亜切は苦笑して肩を竦めた。
 相変わらずつれないねえ、と言わんばかりの態度だが、イリスは振り向こうともしない。
 が、おもむろに足を止めた。
 そして振り返らないままで、ふ、と小さく笑う。

「少なくとも妹としては合格なんだっけ? 私」
「まあね。悪くはないよ。それがどうかしたかい?」
「じゃあさ、わざわざ祓葉の尻なんて追っかけないで私にしといたら?
 そしたら私も殺す障害がひとつ減って万々歳なんだけど」
「ははは」

 イリスの言葉に、亜切も笑った。
 そして。

「寝言は寝てから言えよ。焼き殺すぞ?」
「こっちの台詞。次は殺すからね、変態野郎」

 ――お互い笑顔で殺意を突き付け合って。
 深夜の決戦、災禍吹き荒ぶ異界の邂逅は嘘みたいにあっさりと幕を閉じた。



 ……去っていくイリスの背中を見送り。
 赤坂亜切は、ふうとため息をつく。

「思春期が悪化してるね。あれでよく僕のことをとやかく言えたもんだ」

 とはいえ、先に言ったように亜切の中ではイリスこそが一番"マシ"な相手だった。戦力ではなく、心象の話である。
 他の四人は亜切に言わせれば、どいつも性根が腐り果てている。
 しみったれた負け犬どもめ、と亜切は彼らを隠そうともせず侮蔑していた。
 故に焼き払う。運命が許すならば、愛しの姉/妹を奪取する前の最後の障害は彼女がいいものだと思う。
 そんな亜切の横で、二メートルを超す長身の美女……凍土の弓兵、スカディが伸びをしていた。

「ん~~……。なかなかしんどい狩りだったねえ。
 まあせっかくの大舞台なんだ。あのくらい骨があるくらいが丁度いいと言われりゃそうなんだが」
「しょうがないさ。見たところイリスのライダーは個じゃなくて群体だ。
 特定の核を持たないから、君の"両眼"で射抜いたところで何にもならない。
 冷気で総軍ごと凍て殺すのが一番手っ取り早いんだろうが……うん、次にやるならイリスを徹底的に狙った方が良さそうだ」
「にしてもずいぶんと剣呑な娘っ子じゃないか。他の四人もああなのかい?」
「彼女は分かりやすくて可愛い部類だよ。姉力は皆無だが妹力はなかなか高い。他は論外の玉無しどもだから、話す価値もないね」

 それにしても、と亜切は言葉を区切る。
 両手を広げ、天を仰いだ。
 夜空の果て、星空の輝きさえあの日見た光に比べてなんとか細いことだろう。

「ああ……感じる。この空の下に君がいるのを、強く強く感じるよ」

 また始まった、とスカディが面倒臭そうな顔をする。
 だが、亜切の視界/世界に今や彼女は存在さえしていなかった。
 彼が想うはただひとり。彼が視るのも、ただひとり。
 あの日――あの炎の中で、赤坂亜切の運命は"固定"されてしまった。

 それきりだ。
 今もずっと、亜切は理想の家族を追っている。

 いつか、魔術師の家族を殺したことを思い出した。
 〈はじまりの聖杯戦争〉よりずっと前のことだ。仕事として、確かロンドンで働いた殺し。
 魔術師でない末子はその場にいなかったのもあって対象から除外したのだったと記憶しているが、はてさて何処でどうしていることやら。
 美しい家族愛の忘れ形見たる彼女も、今は自分のように失ったものを追い続けているのだろうか。
 なんて思い出しはしたが、しかし感傷に浸らせてくれるほどの記憶ではない。端的に、どうでもいい思い出だった。
 今の自分に必要なのは過去ではなく未来。果たすべき理想の未来が、今の赤坂亜切にはあるのだから。

 届かぬ天の星のように、目映く尊い姉/妹を。
 今度こそ掴んでみせるのだと、星空に手を伸ばす子どもは繰り返している。

「さあ、お姉(妹)ちゃん――――すぐに行くよ。捕まえてあげる。
 そして僕と、幸せな家族(きょうだい)を始めよう」



◆◆



 都内某所。
 某、民間総合病院の一室にて。
 蛇杖堂寂句は、少女と相対していた。

 目の前の椅子に座った少女の手には、ぐったりとした一羽の雀の姿がある。
 時折動くがどうにも弱々しく、何らかの異常が生じていることは明白だ。
 ちなみにだが、この病院は動物病院ではなく。
 そして寂句は、医師ではあるが獣医ではない。"人"を相手に技術を高めてきた人間だ。
 つまり、何から何までお門違い。
 なのだが、寂句が忌まわしげに眉を顰めてこめかみを指で叩いている理由はそこではなかった。

「分かっていたつもりだが、改めて目の当たりにすると辟易するな。貴様はどこまで阿呆なのだ?」

 目の前の少女が、よりにもよって自分の前に座っている事実そのもの。
 蛇杖堂の主の顔を顰めさせている要因は、ひとえにそれだ。

 白髪の、起伏に富んだ肢体の少女だった。
 頭の上からぴょんと跳ねたアホ毛はどうにも威厳というものを感じさせない。威厳に満ちた寂句とは正反対だ。
 鉄火場だろうと天真爛漫に笑うその顔は落ち込んだようにしゅんとして、手の中の雀に視線を落としている。
 どうやら彼女は本当に、この弱った小鳥が理由で寂句のもとを訪ねてきたらしい。

「うーん……だって、私の知ってる限りジャック先生がいちばん腕がよさそうだったし。
 この子ったらお水飲ませようとしてもぜんぜん飲んでくれないし、私居ても立っても居られなくなっちゃって」
「……これが〈禍炎〉や〈魔女〉であれば瞬時に激昂しているだろうな。
 自分が冒涜した相手の前にのこのこと現れて、お前など眼中にないと挑発しているようなものだ。貴様のやっていることは」
「そんなぁ……。私、そんな捻くれたこと考えるような子じゃないよ」
「物の喩えだ、間抜けめ。あの三流英霊も貴様のお守りにはさぞ苦労しているだろうな。初めて同情の念を覚えたぞ」

 そう、寂句は知っている。
 それくらい月並みな思考回路の相手であったらそもそも苦労はしないのだ。
 この少女の恐ろしいところは、ふざけた言動も行動もすべてシラフでやっていること。
 手を差し伸べ救った相手を、心を痛めながらされど迷わず殺せる精神性。
 破滅的純真無垢。――この、神寂祓葉という娘が持つ〈異常〉を、魔術師である以前に医者である寂句が理解できない道理はない。

 室内に沈黙が満ちる。
 時間にして、数秒。
 結局、それを破ったのは寂句の側だった。

「弱ってはいるが目立った出血は見られない。
 恐らくドアなり窓ガラスなりに衝突し、その衝撃で脳震盪を起こしているのだろう」
「……治せそう?」
「それにすら及ばん。一時間程度休ませていれば自然に回復して飛び立っていく。診断は以上だ」

 寂句の担当は人間相手の外科だが、彼ほどにもなると専門外の分野に関しても一通りの知識を蓄えている。
 ましてや今目の前にいる"患者"の症状は獣医学の初歩の初歩だ。
 もっとも本当に重病の容態だったとしても、この老人ならば何とかしてしまっただろうが。
 それはさておき、寂句の診断を聞いた祓葉はほっと胸を撫で下ろした。そして、気が抜けたように言うのだ。

「よかったあ……」
「とんだマッチポンプだな。貴様が作り、やがては破綻させる手筈の世界に生きる畜生に慈悲を示すなど、まったく以って理解に苦しむ感性だ」
「まあ、それを言われたら弱いんだけどね。でもほら、本物だろうとそうじゃなかろうと、苦しそうにしてたら可哀想でしょ」
「そういう台詞を臆面もなく本心で吐けるところが、貴様が最悪の生物たる所以だ」

 無能め、というお決まりの台詞は出なかった。
 当然だ。天変地異を相手に才の有無を論じる高度/無駄な感性を寂句は持ち合わせていない。
 安心したように手の中の雀へ顔を寄せる少女に、老人はため息混じりに問いを投げる。
 これを相手に何を語りかけようが意味はないと分かっていたが、それでも何ら益なく振り回されるだけで終わるのは癪だった。

「会ったのは私が最初か?」
「うん。会いに行こうと思えば行けるけどね、我慢したよ」

 その方が楽しいからね、と言って祓葉は笑う。
 天使のように。女神のように。そして、少女のように。
 太陽みたいな顔で、ひどく醜悪な言葉を吐く。

「貴様の魂胆はまるで理解できんが、喜べよ天地神明の冒涜者。事は貴様の想定通りに運んでいるぞ」
「あは。そうみたいだね」
「貴様という〈光〉に被曝した我々は、無様なまでに人間として破綻した。
 この私もその例外ではない。我らはじまりの遺骸(レムナント)は、狂気のままに貴様を追い落とす」

 貴様の望み通りにな、と寂句。
 万感の殺意を込めて放ったその言葉も、特異点たる少女には暖簾に腕押しだ。
 だが、それでも構わない。最初から、彼女に届くものがあるなどとは思っていない。
 あるとすればそれは、自身の狂気の集大成たる天蠍の一刺しのみ。

「みんながみんなそうってわけじゃないかもよ?
 私より先に、まずジャック先生みたいな厄介どころから片付けたがるかも。アギリとか、露骨にそういうタイプじゃない?」
「逆に問うが、その何が問題なのだ?
 むしろ手間が省けて助かる。どの道、貴様の蒔いた種は摘み取るつもりだ。そうでなければ私の〈狂気〉は果たされない」
「うふふふ。先生は相変わらずだなあ」

 ぱたぱたと、楽しそうに足をばたつかせる祓葉。
 寂句はその姿を、既に焼き付いているその形を、改めて今一度凝視する。
 それは自傷行為にも等しい。この恐ろしきものを、悍ましきモノを、改めて直視するなど。
 神をも恐れぬ傲岸不遜な名医が、唯一心の胆から慄いた人の形をした恒星。
 必ず遂げると、そう誓い直す。己の狂気に。そして世界すべての〈正常〉に。〈生〉に。忌まわしき、〈死〉にさえも。

「ありがとね、先生! ……あっ、お金はどうしよっか。ここ獣医さんじゃないし、誰にどう支払えば」
「要らん。用件が済んだなら疾く帰れ」
「ほんと!? よかったー、持つべきものは友達だね! ――それじゃ、またいつか!」

 優しく雀を抱えながら、ぽてぽてと歩いていく祓葉。
 すべての元凶。彗星の尾。太陽。もしくは、クラリオン。
 寂句は、自分の腕に目をやった。老いを感じさせない張りのある肌は、ぶわりと粟立っている。
 だがそれを情けないと自罰する気にさえなれない。
 自尊心や矜持を持ってあれと相対することに意味はないと、知っているからだ。
 神寂祓葉。誰も彼もが変わり果ててしまったこの第二次聖杯戦争で、彼女だけは、ぞっとするほどにあの時のままだった。

「……化け物め」

 吐き捨てるように、呟く。
 独り言でしかなかった声に、しかし返事があった。

「まったく同感だな。前以上に眩しく見える」

 その男は実のところ、ずっと隣室にいた。
 恐らく祓葉も気付いていたことだろう。
 気付いた上で、あえて素知らぬフリをしていた、というところか。
 その方が面白いから。だから、蛇杖堂の主が先刻まで交わしていた"悪だくみ"を見逃すことにした。
 つくづく舐めた小娘だと思うが、やはり怒りは今更沸いてこない。
 寂句の思考は冷たく冴え渡ったまま、恙なく"彼"との対話に意識を切り替わらせた。

「それで、どうだね蛇杖堂の暴君殿。あんたにとっても決して、悪い話じゃないと思うんだが……」
「若造が。私の足元を見たつもりか? 詐欺の手管はもう少し磨いておくべきだな」

 屈強で大柄な、トレンチコートを着た男だった。
 蛇杖堂寂句はこの男を知っている。無論相手も、寂句のことを知っていて此処を訪れている。

 彼もまた、寂句と同じ〈はじまりの六人〉
 最初の聖杯戦争で光に呑まれ、されど安らかに眠ることを許されなかった狂気の遺骸。
 名を、ノクト・サムスタンプという。寂句の痛烈な指摘を受けて、ノクトは苦笑しながら頭を掻いた。

「相変わらず怖いお人だな、御老体。あんたの指摘となると肝に銘じないわけにもいかん」
「心にもないことを。詐欺師の謙遜ほど白々しいものもないな」
「ああ、そうさ。まああんたに通じるとは端から思っちゃいなかったが、"仲良くやる"のを前提にした部分の話は全部方便だ。
 だが、全部まるっきり嘘ってわけでもない。あんたは"彼女"にああ言ったが、同時に理解もしてるだろう?」
「……、……」

 寂句は不要な嘘は吐かない。
 見栄を張り虚勢で自分を大きく見せるのはまさしく無能の所業だ。
 だからこそ、先ほど祓葉へ言ってみせた台詞は本心から来るものである。
 他の遺骸どもが自分を追い落とそうとするのなら、探し出して殺す手間が省ける。
 そして自分は、この狂気は、他五つの屑星に劣るなどとは毛頭思わない。
 故に彼の言葉は誓って本心。客観的に自己を見つめ、そこにあった事実を論じただけに過ぎない。

 ただ。
 勝利することはできたとしても、それを無傷で遂げられるとまで寂句は思い上がっていなかった。

「それに、敵は何も俺達だけってわけでもない。
 俺もついこの間、刃物ぶん回すちびっ子に殺されかけてね。
 どうやら祓葉の造ったゲーム盤は、必ずしも俺達を旧友として特別扱いしてくれるわけじゃないらしい」
「当然だな。依怙贔屓などする柄ではあるまい、あの娘が」
「だからこそ、俺も早めにある程度持ちつ持たれつやれる協力者ってのを持ちたいと思っててね。
 一から探して落としてもいいんだが、やはり実力なら〈はじまりの聖杯戦争〉にいた連中は捨て難い。
 ただ問題は人格だ。イリスや赤坂に"持ちつ持たれつ"なんてことができるとは思えないし、ホムンクルスと手品師はそもそも論外。
 となると実力、頭脳、合理で物事を判断できる人格。全部備えてるのはあんただけだったってわけさ、御老体」
「ふん。相変わらず、跳梁することは得意のようだな。算盤弾きめ」
「耳が痛いよ。で、返答は如何に?」

 壁に凭れたノクトの姿は、虎を思わせる彫りの深い容貌も相俟って西部劇のカウボーイのように見える。
 そんな鼻持ちならない男に、ふん、と寂句は鼻を鳴らした。
 回答は決まっている。わざわざ罠の箇所を指摘したのは、あくまで相手の無能を突き付ける身に染み付いた行動でしかなかった。
 ノクト・サムスタンプが自分の元を訪ね、話を持ちかけてきた時点で――蛇杖堂寂句の返答は決まっていたのだ。

「私に切り捨てられるその時まで、せいぜい役に立つことだ」
「いいね、契約成立だ。――お互い様で行こうぜ、御老体よ」

 〈蠍飼う暴君〉、蛇杖堂寂句。
 〈盲目の数式〉、ノクト・サムスタンプ。
 互いの生存を許せぬ者達による、いずれ裏切りで破綻することを前提にした協力関係。
 すべては狂気の行く末に至るため。星は、今標的となる。


『――よかったのですか、マスター・ジャック』
『何がだ』
『先の邂逅は、我々にとって千載一遇の好機だったのでは?』

 〈天蠍〉の問いかけを、寂句は一笑に伏した。
 若輩が珍しく進言するとは、と思って聞いていれば何ということもない。
 所詮は小娘だな、と老人は学ぶ魔獣、天の星座へと端的に回答する。

『貴様に思いつくような案でどうこうできる相手なら、この都市は誕生すらしていない』

 神寂祓葉という少女の、特異な点を、敢えてひとつに絞ってあげつらうならば。
 寂句は、これを挙げる。祓葉の前では、いつも理屈の天秤は狂うのだ。
 絶対に勝てない。絶対に逃げられない。絶対に、免れない。
 その理屈が、絶対の詰みが、なぜか、狂う。
 一引く一は零という幼児でもわかる数式の答えが、なぜか万になる。それが、正解になる。

 断ずる。
 神寂祓葉は、天地神明、万物万象に対する冒涜者だ。

 彼女の前で、理屈は妄言に変わる。
 世界の法則が、彼女という存在のために辻褄を合わせる。
 歪む。すべてが、歪んでいく。祓葉への忖度に走る。
 まるで。彼女こそが、世界の絶対的な主役であるとでも言うように。

『今は時を待て。そして貴様も、奴を学習するのだ。
 かつて我らがそうだったように。学び、しかして灼かれることなく好機を探れ。
 求むはそれこそ"千載一遇"。その瞬間にこそ、すべてを賭する価値がある。その瞬間にしか、価値はない』

 ――首を洗って待っていろ、神寂祓葉。
 私はこの〈畏怖〉で、必ずやすべての正常を救済する。
 暴君の宣戦布告は音もなく。天蠍の尾はまだ、研磨の途上に留まった。


 そして。
 もうひとりの男も、当然にして思考する。


(やれやれ、狸め。まったく生きた心地がしない)

 蛇杖堂寂句を古狸と呼ぶならば、ノクト・サムスタンプは狡猾な狐だ。
 狐狸が手を取り合うことはない。常に腹の中では互いを化かすために必死。
 ノクトは少なくとも契約がやっと結ばれたこの瞬間から、目の前の古狸を殺す術に思いを巡らせている。
 心を開き懐柔するなんて正攻法の通用する御仁ではない。
 手をこまねいていればいずれは彼の胃袋の中だ。
 つくづく不味い仕事だと、そう思わずにはいられなかった。

 その時。
 彼の従僕が、美しき青年(ロミオ)が、打算の打鍵音を遮った。

『思ったよりも初心なんだね、キミは』
『いきなり何の話だ。こっちは今考え事の真っ最中なんだ、無駄話なら後にしてくれないか』
『無駄話? 何を言うんだ、とんでもない!
 キミの恋路の話をしようというんだよ。これが無駄話である筈がないだろう!』

 呆れ返るほどの恋愛脳。
 文学史で最も有名な"恋の虜囚"は、嘆かわしいとばかりに声を荒げる。
 頭が痛くなる一方で、心の中の古傷ともつかない何かがズキリと疼いた。
 その意味を、まだ、ノクト・サムスタンプは、合理の狐は理解できない。

『あんなにも近くに、美しい想い人がいたのに。
 ああ、なんてもったいない。火急の恋路において奥手はむしろ悪徳だよ、マスター』

 ……まさか"ロミオとジュリエット"の登場人物から恋路の如何を説かれるとはな。
 ノクトは苦笑したが、そこには彼自身も意図せぬ、自嘲の色が混ざっていた。

 そこでふと、思い立つ。
 これほどまでに惚れっぽい男。
 恋という胡乱な概念に、どうしようもなく縛られている狂戦士(バーサーカー)。
 その口振りからするに、彼は祓葉を視たのだろう。
 にもかかわらず――彼は、祓葉に対して発情を見せる気配がない。

『……なあ。それより、お前は彼女がお気に召さなかったのか?』
『まさか! 実に美しく、尊いお嬢さんだと思ったとも!
 キミが惚れるのも頷ける。恋に落ちるのは実に道理だ!
 あれこそまさに至高の美。天に瞬く星と呼んでも過言ではないだろう! ただ』
『ただ?』

 ノクトの興味本位の質問に、ロミオは答えた。
 事も無げに。何でもないことのように。
 とても彼らしくないことを――言った。

『彼女はジュリエットではなかった。ただ、それだけさ』

 ノクト・サムスタンプ。
 〈数式〉。されど、盲目。
 その心の視力は既に、恒久的に奪われている。
 狂気という名の、病痾によって。
 そんな彼はロミオの言葉に対して、それ以上何も応えなかった。
 そしてロミオも、そんな彼に何か言葉を投げかけようとは、しなかった。



◆◆



「ああああ、待って待って!
 違うんだよ、殺し合いに来たわけじゃないんだ!」

 あるホムンクルスが潜む拠点に、足を踏み入れようとした少女がいた。
 当然にして、その若い身体から命を奪い取るべく凶手が振るわれる。
 振るったのは暗殺者のサーヴァント。暗殺教団の中興の祖、三代目のハサン・サッバーハ。
 〈継代〉のハサン。その御業は言わずもがな人智を超えており、彼が命を奪うと決めたならあまねく命はただ散るより他にない。

 だというのに、継代の刃は空を切った。
 驚いたのは、打って変わって暗殺者の側だ。
 あり得ない、と思う。
 間違いなく、彼が殺そうとしたのはただの少女だったからだ。
 その筈なのに、自分が初撃……気配遮断の生きている内の一撃でさえ仕留め損ねた。

「ここに知り合いがいるんだよ。あ、いや姿は変わっちゃってるんだけどさ。
 誓って敵意はない。顔見知りと、ちょっと話をしに来ただけなんだ」
「……それを信じろって? おいおい、馬鹿げてるぜ。信じてほしかったらせめて、一撃目は受けるべきだったな」
「そんなことしたら死んじゃうでしょ。それに、脱出(これ)は職業病みたいなものなんだ。大目に見てもらえると嬉しい」

 何か特異な魔術が行使されている形跡は見て取れない。
 暗殺教団の三代目、偉大なるハサン・サッバーハは当然に慧眼だ。
 なのに、仕損じた。その事実がますます警戒心を加速させる。
 響く警鐘。何か分からないが、此処で狩れとハサンの暗殺者としての、そして〈山の翁〉の勘が告げている。
 故にすべてを戯言と断じ、宝具の発動をさえ視野に含めて交戦の構えを取ったところで。


『――いい。通せ、アサシン』
『……通せ、って。なあ、マジで顔見知りなのか?』
『顔は違うが、言動からして〈はじまり〉の断片だろう。
 となれば素性にも予想はつく。少なくとも今この場では、過剰な警戒には値しない』


 〈主〉の声が響き、継代のハサンは静止する。
 つくづく、分からない。
 ひと月という期間を経て主たるホムンクルスについては相応に理解を深めたつもりだったが、それは〈はじまりの聖杯戦争〉にまつわる諸々の事柄を一切含めない場合の話だ。
 先の大戦。そして死の淵から再生させられた、六人の魔術師。
 極めつけに、神寂祓葉。賢明にして無欲なる主が、唯一理屈でない忠誠を示す何者か。
 これらが関わってくると、途端に継代は自分の主が分からなくなる。
 それこそ、時に不忠の案さえ脳裏によぎるくらいには――彼は困惑を重ねていた。

「……大将の許しが出た。通してやるから、怪しい真似は決してするな。
 もしも少しでも不穏な素振りを見せれば、その瞬間に我が総力を尽くしてあんた達を殺す」
「オッケー、了解。それでいいから、"彼"のとこまで通してくれる?」
「……あいよ。じゃあ付いて来な」

 継代が返答するや否や、少女の傍らに奇矯な容姿の少年が現出する。
 恐らく彼が、彼女のサーヴァントなのであろう。
 猫耳と猫の尻尾を生やした、どこか諦観を感じさせる少年だった。
 マスターであろう少女に比べて脅威を見出だせないのは、あるいはその認識自体彼女たちの術中に嵌っているのか。
 警戒心は微塵も崩すことなく、継代は歩き出す。
 主は面会を望んでいる。であれば従者たるこの身は、それに従う以外にない。
 〈はじまりの六人〉。奇妙にして奇怪な同胞関係にますます疑問を深めながら、彼は主命に従った。


 ――そして。
 以降は何の波風も立たぬまま、旧知同士の再会が相成る。


「や。久しぶり、ホムンクルスくん。
 いや――此処はあえて、ミロクと呼んだ方がいいかな?」
『呼称に執着する感性は持たない。
 好きに呼べ、〈脱出王〉。相変わらず奇怪なあり方をしているようだが』


 訪問者、〈脱出王〉。山越風夏。あるいは、ハリー・フーディーニ。
 迎え入れるは、〈無垢〉。ホムンクルス36号。あるいは、ミロク。
 苛烈にして際物揃いの狂気の輩(ともがら)ども。〈はじまりの六人〉。
 その中でも際立って異質な、忠義と自由のレムナントが密やかに対峙していた。

『あいも変わらず戯言を弄し、童子のように踊り続けているのか。
 つくづく理解に苦しむ。せめてもう少し"まとも"であったなら、おまえも彼女の希望に沿えただろうに』
「ちっちっち。分かってないなあ、祓葉は忖度されて喜ぶような子じゃないよ。
 あなたは自然体で彼女の要望に沿えるだろうし、私もそれと同じさ。
 あなたは彼女への〈忠誠〉で、私は彼女に〈再演〉を誓う。それだけで彼女は手を叩いて喜んでくれるよ」

 ミロクは〈脱出王〉の、風夏の言を否定しなかった。
 納得の行く言葉だったのだろう。だからこそ、沈黙という名の同意を返す。
 ただ、その上で続く言葉を放つのもまたミロクであった。
 釘を刺すように、あるいは否定を許さず糺するように、彼は瓶の中から厳かに言う。

『して、何をしに来た。よもや本当に旧交を温めるため、というわけではあるまいな』
「つれないなあ。半分は本当にそういう理由だから、そうまっすぐに睨まれると傷ついちゃうよ」
『……では、もう半分は?』
「うーん、そうだね。確認に来た、って感じかな。あの〈はじまり〉を経て、きみが得た狂気の色彩(いろ)を」

 色彩を論ずるのはイリスの領分だけどね、と肩を竦める風夏。
 ミロクはそれに対し、またしても沈黙で続きを促す。
 そこにあるのは、同じ戦場を、同じ物語を共にした者への負の信頼だった。
 〈はじまりの聖杯戦争〉。首都ひとつを地獄に変えた、制御不能の大戦。
 その中で、ただひとり。すべての陣営を平等に翻弄し、祓葉以外の誰にも敗北せず。
 その上で、ただの一度の勝利も得ることなく――奇術の披露に徹して生きた、〈脱出王〉への負の信頼。

「当ててあげようか。君の狂気は〈忠誠〉だ。それも、うんと盲目な」
『然り。それを悪徳と、私は思わない』

 予想のできた指摘に、ミロクは即答する。
 風夏は「変わらないねえ、ほんと」とけらけら笑った。

「まあ悪徳とは言わないさ。だけど、惜しいな、とは思うよ」
『惜しい、とは?』
「君がその型から〈脱出〉できたなら、それはまさしく彼女が望む"未知"だ。
 私も職業柄、驚く顔を見るのは好きだからね。だから惜しいと思う」
『もう一度言おうか。理解に苦しむ』

 奇術師の言葉に、ミロクは端的だった。
 考えるまでもなくそれは当然のことだ。
 〈はじまりの六人〉は狂人の集い。そう成り果てた先の大戦のレムナント。
 彼らの狂気は並立を許容できず、故に他者の、ましてや同族の戯言など耳には入っても心には届かない。

『私は神に傾倒しない。だがそれが王であるなら話は別だ。
 神寂祓葉に勝る優れたる者を私は知らない。存在するとも思わない。
 であればそれに膝を突き、忠を尽くすことのどこに誤りがあるのか』
「うぅん。ミロクに限った話じゃないけどさ、きみらってどこかで頭が固いんだよね」

 仕方のないやつ、とでも言うように奇術師は鼻を鳴らす。
 確かに、その形容にはミロクも頷く部分がある。
 ただそれは、この〈脱出王〉があらゆる意味で型に嵌まらなすぎるというのを前提とした話だ。
 熾烈を極める聖杯戦争の只中にありながら、ひとり自分だけのマジックショーを演じ続けた怪人。
 そしてその末に、星の輝きを見誤り地に伏した愚かな少年。
 馬鹿は死んでも、とはよく言ったものだと、ミロクは思う。
 どうやら万象を欺く奇術師の悪癖は、一度や二度死んだ程度で治るものではなかったらしい。

「君も、みんなも。あの子の何を見てきたんだか」
『では、おまえは何を見たという』
「笑顔、かな?」
『笑顔?』
「そ。あの子ってよく笑うでしょ。だけどあの子がいちばん楽しそうな顔をする時があるんだ。ミロクは分かるかい?」
『……、……』

 無言を否定と看做して。
 〈脱出王〉の少年改め少女は、にやりと笑った。

「――予想外のことに、振り回されてる時さ。
 あの子は未知を愛している。だから僕にとって祓葉は最高の観客なんだ」
『成程。ふざけた理屈だが、言わんとすることは理解した』

 確かに、"らしい"と思う。
 その理屈には説得力があったし、忠誠に生きるホムンクルスには盲点の視点だった。
 だが、そもそも〈はじまりの六人〉とは互いに決して相容れぬもの。
 であればこそ、続くミロクの言葉には無機質ながら厳かな重みが宿っていた。

『おまえは、我らを凡庸だと嗤っているのか』
「言い方は悪いけどそうなるね。
 職業柄、"ありきたりなもの"を見るともったいないなあって思ってしまうんだよ。
 あなたたちほどの役者が揃っていながら、演じる台本がありきたりだなんてもったいないが過ぎる。
 特にきみはそうだ、ミロク。過去の焼き直しなんてやめた方がいい。今のままでは、君の忠義が行き着く着地点は前と同じだろう」
『笑わせる。忠とは尽くすもの。
 自己の結末の禍福に私は固執しない。それが彼女のためになるのなら、私は喜んで三流の台本に殉じよう』
「は~~~、もう。そういうところがお固いって言ってるんだけどなあ」

 心底呆れた、とばかりの態度を見せる〈脱出王〉。
 とはいえこれ以上は平行線だと、彼女も分かったらしい。

「ま、今日会いに来たのはほんの親切心。
 私としても舞台は華やかであるに越したことはないからね。
 あなたがあっと驚く大確変を起こしてくれたら、それだけで〈脱出王(わたし)〉の得になる」

 そう言って、連れ立ったサーヴァントに「帰ろう。袖にされちゃった」とへらり笑う。
 人に偉そうなことを言っておきながら、彼女の方こそあり方はまったく変わっていない。
 常に踊り、常に舞台上。あらゆる柩から自在に抜け出すマジシャン。
 脅威としては程度が低い。〈はじまりの六人〉の中では、間違いなくもっとも警戒に値しない相手。
 だが逆に。ある意味では最も、屠り去ることが困難な手合いでもある。
 奇妙にして不可解。タネのない奇術のように、山越風夏は得体というものを悟らせない。

 まさに彼女こそは〈脱出王〉。
 敵も味方も、彼女には等しく観客でしかないのだろう。
 それは、ミロクにはまったく理解不能の精神構造だった。
 自分などより余程、彼女の方が生物として破綻している風に思う。
 だからこそ。


『話は済んだ。殺せ、アサシン』
『あいよ、御意に』


 此処で殺せるならそれに越したことはないので、ミロクは〈継代〉へ命じた。
 刹那、これまで静観を保っていた髑髏面の黒影が疾風(はやて)と化す。
 〈継代〉の魔技は英霊や、それとパスの繋がったマスターを直接害せない。
 だが、それは彼の脅威度を何ら低下させるものではない。
 魔技に頼らずともハサン・サッバーハは暗殺者の極み。
 躍る凶刃はミロクの意向に従い魔術的設備を十重二十重に施したこの"工房"の中で最大の脅威として振るわれる。

 走る銀閃、軌跡はいずれも急所狙い。
 人を一瞬で九度殺す、生存を決して許さない殺人技巧。
 であるにも、関わらず。

「すまないね。九生の果ては私にはまだ早く、彼にはもう間に合ってるんだ」

 当然のように、その一言だけを残して。
 刹那の後に、ふたりの〈脱出王〉はミロクの穴倉から消失を――いや、"脱出"を果たしていた。
 沈黙する〈継代〉。ややあって、彼は主へ判断を仰ぐ。

「……追うか?」
『いい。恐らく徒労に終わる』

 殺さぬ手はなかった。
 だから命令したわけだが、やはりこうなったか、と心の中には納得があるのみだ。
 〈継代〉のハサンの技と手管は見事であるが、如何に彼と言えども備えがなければ彼女の奇術には届かない。
 やるのならば最低でも万全以上の準備を講じ、徹底的に脱出経路を押さえて策を弄しなければ不足であるのは見えていた。

『忌まわしい男(おんな)め。おまえは断じて〈主役〉などではない』

 この舞台に〈主役〉は徹頭徹尾ただひとり。
 神寂祓葉を除いて他にはない。
 奇術師の出番などありはせず、その暗躍が未知とやらをもたらすこともない。
 〈無垢〉は純真故に、〈脱出王〉のすべてを否定する。 
 その小さな姿を、暗殺者は黙して見つめていた。

 ――過去の焼き直しなんてやめた方がいい。今のままでは、きみの忠義が行き着く着地点は前と同じだろう。

 ミロクが一蹴した山越風夏の言葉に、説得力を感じてしまったことは。
 結局、言い出せないまま。



「どうだった?」
「特に何も。感想としては、キミが言ったのと変わらないかな」

 九死に一生を得て尚、恐れ慄くでもなく変わらぬ笑顔で微笑む〈ハリー・フーディーニ〉に。
 猫耳と尻尾を揺らして侍るもうひとりの〈ハリー・フーディーニ〉は、淡々とそう言った。

「舞台に必要なのは"変化"だ。そうでなければ、観客の真の驚きは引き出せない」
「うん、同感。だからこそ私もミロクにお節介を言ったんだけどね」
「……何のために、と問うのは愚問だね。僕もキミの考えは分かる。かつての僕ならそうしただろう」

 舞台とは、最高のマジックショーとは、必ずしも奇術師の腕だけで成されるものではない。
 会場の広さ。レイアウト。照明の強さ。観客の数。裏方の人数、経歴、発想。
 一流ならば、すべてにこだわる。そして〈王〉ならば、零から創り出す。

「最高の舞台を目指すなら、役者が秀でているに越したことはない。そうでしょ?」

 反論はない。
 同時に、理解した。
 山越風夏は――"いつか"のハリー・フーディーニは、舞台を育てている。
 開演の時を待ちながら、神寂祓葉のための仕掛けを揃え続けているのだ。
 あのホムンクルスへの接触と助言もその一環。〈脱出王〉は己の舞台を、決して妥協しない。
 たとえ九生に至り、失望と諦観に染まった少年と成り果てたとしても、その一点だけは不変だった。
 だからこそ、ハリー・フーディーニの舞台は当然として前回とは比にならないほどに研ぎ澄まされていく。

 決して捕まらず、跳ね回り、踊り舞う〈脱出王〉。
 猫のように、うさぎのように、子どものように。
 あまたの仕掛けで、未知を欲しがる"誰か"を魅了する。
 故に彼ら/彼女らはトリックスター。〈はじまりの六人〉の中でも最たる異質。
 純粋な武力の桁と、狂気の程度では表現しきることのできない――異形異端のレムナント。

「さあ、始まるよ――私たちの〈そのあとの聖杯戦争〉。
 第二次聖杯戦争が、始まる。此処からが、大舞台の幕開けだ」

 楽しんでいこう。
 私も、あなたも。
 そして、みんなも。

 そう言って山越風夏/ハリー・フーディーニは、夜空に語りかけた。
 此処にいない見えざる観客さえ、見ているかのように。



◆◆



 術式の飛躍的な伸びを感じる。
 楪依里朱は、先の戦いを振り返ってそう思った。

 〈色彩〉を操る魔術。
 白黒の二色に神秘を見出す楪家の固有魔術は、本来決して抜きん出た強力さを持たない。
 良くも悪くも複雑で、その割に叩き出せる結果は知れている。
 要するに、無駄の多い魔術。自分達は特別だと悦に浸りたい非才の凡夫が、過剰な難易度と縛りを自分に課して自尊心を慰める惨めな力。
 イリス自身、そう思っていた。現に事実として、かつてのイリスは他の魔術師を相手に正面戦闘できるほど強くはなかったのだ。
 楪家の才媛として多少の心得はあったものの、それでも亜切や寂句のような本物の使い手には数段劣る。
 その程度の実力だった。なのに先ほど、イリスは狂気に堕ちた亜切と互角の戦いを可能としていた。

 これは。
 彼女自身にとっても、想定外の事態であった。

「……ムカつく」

 だが、心中は決して穏やかではない。
 まるでこれでは、祓葉の手のひらの上だ。
 あの女の期待に応えるために、自分が強くなっていくかのよう。
 その皮肉が何とも腹に据えかねて、イリスは苦い顔でそう零した。

 〈蝗害の魔女〉の目的は、生きてこの世界を出ることにある。
 誰も好き好んで死にたいわけではない。
 形はどうあれ拾った命、持ち帰りたいと思うのは当然だろう。
 それと同時に、魔女は太陽を射落とさねばならぬと憎悪を燃やしてもいた。
 人でなしの太陽。狂気の彗星、天地神明の冒涜者。
 神寂祓葉を、倒す。そのためならば世界など、いくらでも飛蝗の餌に変えて構わない。

「――、」

 そんな彼女の隣を、頭の後ろで腕を組んで歩いていた青年。
 もとい、青年(ヒト)の姿を模倣した虫螻の集合体たる彼が。
 おもむろに、何かに気付いたように表情を消した。
 だがそれもつかの間、すぐにいつもの好戦的な笑みが戻ってくる。

 笑みの理由を、彼はイリスに打ち明けない。
 欺く形だが、悪意があってそうするわけではなかった。
 単純明快な話。彼女に知られると、確実に"つまらないことになる"確信があったからだ。

「悪り。ちょっと先帰っててくれよ」
「……なんで? マスターをほっぽり出してどっか行かないでほしいんだけど」
「野暮用を思い出した。まあ、朝には帰るからよ。もし何かあったら令呪でも使って呼びな」

 だから、この"気付き"は独り占めすることにした。
 彼は虫螻の王。暴食者にして簒奪者。
 極上の餌を前にした時、他人にそれを分けてやる気概など彼らにはない。
 粗野だが端正な顔立ちの青年、という姿かたちが砂のように崩れて群れに変わる。
 一瞬にして消失を果たした〈蝗害〉に、魔女はうんざりしたように嘆息した。

 ――彼女は知らない。
 ――彼女だから、シストセルカは教えなかった。

 虫螻の王が察知した気配。
 人間にしては大きすぎ、英霊にしても眩しすぎる光の兆しを。
 東京中に存在を拡大/拡散している飛蝗は、決して見逃さなかった。
 すべての役者が出揃い、後は銅鑼を鳴らすだけという局面に至って。

 そんな段取りを塗り潰し、喰らい尽くすように――神代渡りの厄災が、出撃する。



◆◆



 ――神寂祓葉が、北北東の空から迫る"それ"を認識すると同時に。
 暴食の砂嵐を切り裂いて、虫螻の王がバットを片手に飛び出した。

「!」

 歓喜に染まる、祓葉の顔。
 無邪気な笑顔を湛えて、彼女は右手に出現させた光剣を用い王の先制攻撃を受け止める。
 気の利いた口上などあるわけもない、喰うか喰われるか以外に争点の存在しない殺し合い。
 その幕開けは唐突で、そして悍ましいまでに劇的だった。

 ……この聖杯戦争には、祓葉と〈はじまりの六人〉を除いてもいくつかのイレギュラーが存在する。
 それは通常なら、物語の席次を与えられるはずのない者達。
 破綻。制御不能。そして規格外。祓葉の箱庭は自業自得として、それらを無秩序に招き寄せた。

 例えばそれは、"もうひとつの特異点となる可能性を秘めた女"であり。
 例えばそれは、"人類へ滅びを運ぶ赤き終末の騎士"であり。
 例えばそれは、"すべての物語を恒久的に完成させる終末機構"であり。
 例えばそれは、"千の貌を持つ少女喰いの支配蛇"であり。

 そして――

「イリスが世話になったらしいな。ぜひぜひ俺とも遊んでくれや、神寂祓葉」
「いいよ。ふふっ、イリスったらすごいの引いたんだね。さすが私の一番の親友だあ」

 ――"人"と"神"、その双方を暴食する、黒き終末騎士の原型(アーキタイプ)である。

 耳障りな音と共に、瞬く間に世界を満たす飛蝗の大群。
 そこに核たりえる箇所および個体は存在しない。
 彼らはレギオン。大勢にして個たる矛盾を体現した無限の軍勢。
 一枚の葉と、一体の神を同一のルールで食い尽くす天地神明の暴食者。
 砂漠の飢えたる風(シストセルカ・グレガリア)は止まらない。
 祓葉に対し振るう一撃一撃が悪食家の飛蝗を万ほど内包しており、浴びればその傷から肉を忽ち喰われることになろう。

 それほどの危険度を持った攻撃が、微塵の消耗もなく高速で連打されるのだ。
 それもその筈、群体であるシストセルカは疲労という概念を事実上克服している。
 動けなくなった個体は切り捨て次に補充し、そうして戦いながらも繁殖と生死のサイクルを無数に繰り返し新生する厄災。
 故に出し惜しみ、ペース配分などという概念をこれは持ち合わせていない。常に全力全開、そしてそれが決して途切れない。

 それこそが〈虫螻の王〉――都市喰いの大蝗害の、最も悍ましく絶望的な真実だった。

「っ……! く、ぅ……!」

 当然として、打ち合い続ける戦い方にはすぐさま限界が来る。
 曲がりなりにも人の身で"打ち合えていた"事実がまず驚嘆に値するが、そんなことはこの地獄の中では何の慰めにもならない。

 構えた光剣が弾かれ、バットの先端が祓葉の腕を掠めて皮膚を肉ごと抉り取った。
 その刹那、それ自体も無数の飛蝗で構成されているバットから新鮮な餌の気配に歓喜した"彼ら"が傷口に頭を突っ込み群がり始める。
 少女の生肉を喰らい、生き血を啜り、英霊化した飛蝗が傷口から体内へと潜り込まんとし始めた。

「ふ、っ……! ああ、もう……! いったい、なあ……!!」
「ハッハッハッハッ! 存分に食えや同志ども! 旨えか旨えよなあ、何せ現人神の血肉だもんなあ!!
 羨ましいぜ、ああ食いてえ! なあちょっと摘ませてくれよ、涎が溢れて止まらねえぜ!!」

 哄笑と共に、シストセルカの一撃が祓葉を受け止めた光剣ごと数メートルも吹き飛ばした。
 無様に転がれば、土埃と飛蝗の死骸でその天使のような身なりが汚される。
 一瞬にしてぼろぼろの浮浪児めいた姿に成り果てた祓葉を、哀れな少女を喰らうべく虫螻の王が飛び掛かる。
 大上段からの一撃、脳天をかち割って脳味噌を喰らうことを狙いにしたそれを、祓葉は片手持ちの剣身で止めた。
 そしてそのまま、シストセルカが振り下ろした乾坤一擲を力任せに弾き飛ばすことに成功する。

 ニィ、と。仕留め損ねて尚、笑みを深める飛蝗。
 ほら、もう早速ひとつ不条理が起きた。

 さっき、この少女は自分の猛攻を凌げず、まんまと腕を貪られたのではなかったか。
 なのに何故、さっきより格段に不利な状況で、確殺狙いの一振りを当然みたいに防げるのか。
 面白い。面白い。高揚は群れの全体にすぐさま伝播され、世界を覆う億超えの飛蝗達が一様にキチキチと音を奏で始める。
 嗤っているのだ。もはや無我ではない虫螻どもが、尊く美しい目の前の"餌"の芳しい香りに歓喜している。

「やられっぱなしじゃ、かっこつかないからね……」

 先ほど負わせた右腕の手傷が、時計の針を戻すように癒えていく。
 体内へ潜り込んでいた筈の飛蝗どもが、ぶちぶちと肉の再生に巻き込まれて潰れていった。
 再生が完了するのを待たずに、祓葉は身を起こすと全体重を乗せてシストセルカへ切り込む。
 速度、重さ、いずれも先ほどまでとは確実に二段階は強化されているその反撃に、しかしシストセルカも譲らない。

 祓葉の加速に対し、ならば俺も魅せてやるぞとギアを上げる。
 最初から本気を出すのが前提の群体運用にも関わらず、やろうと思えばその上すら用立てられる。
 これこそが数の強み。事実上無限の"個"を有し、運用できるからこそ彼にとって限界とはひどく低く儚いハードルでしかなかった。
 時代を経るにつれ毒性の増す殺虫剤へ、わずかな世代交代(サイクル)で耐性を備えていくように。
 "限界"へ適応し、種の全体として進化する。
 神代から現代までを渡り歩く奈落の虫は、現人神と呼ばれる少女の"冒涜"さえ冒涜し返し涜すのだ。

「メスが一丁前に魅せてんじゃねえ――そいつは俺様(オス)の領分だ! 人間の常識ちったあ学べよ、化け物!!」
「やだね! ふふ、うふふふふ――私は楽しく遊ぶためなら、なんだってやっちゃうタイプなの!」

 されども相手は神寂祓葉。
 〈はじまりの聖杯戦争〉を制した美しき怪物。

 破壊した限界が、瞬く間に圧し返される。
 際限なく殖える軍勢が、弱肉強食の型へ押し嵌められていく。
 光剣がバットを破砕させ。
 次を用立てるまでの一瞬で、シストセルカの胴を袈裟懸けに斬り裂いた。

「……! ハッ、いいねえ!!」

 瞬間味わう痛み。昆虫に痛痒の概念は存在しないが、英霊となった今なら別だ。
 細胞を裂かれ生命を削られる痛みに、高揚のボルテージが跳ね上がる。
 それを証明するように、シストセルカの身体から音に迫る速度で百匹ほどの飛蝗が飛び出した。

「――っ!」

 祓葉は咄嗟に光剣をめちゃくちゃに振り回す。
 あくまで反射的な、苦し紛れの防御行動だ。
 故にそれはたかだか九割ほどを減らす結果しか生めず、彼女の身体を飛蝗の弾丸が撃ち抜いて主要臓器に風穴を空ける。
 こぽり、と、少女の口から黒く濁った血液が溢れ出した。

「ぅ、う゛、ぁ、あぁぁあぁぁっ……!?!」

 しかし、彼女を待ち受ける地獄はそれだけには留まらない。
 体内へ入った飛蝗はせいぜい十匹前後。
 にもかかわらず祓葉のか細い肢体が、純白の皮膚が、内側からぼこぼこと奇妙な爬行痕を浮き上がらせて内出血でドス黒く汚れていく。

「人間は慎ましいよなァ。俺らはその点、どいつもこいつも繁殖(こづくり)のハードルが低くてよ!
 旨ぇ餌があって、そこにオスとメスが居合わせたなら……なりふり構わず殖えちまうのさ」
「は、ぐ……っ、ひ、ぁ……! げ、ぇえぇぇえぇぇっ……!!!」

 それは、少女の身体で演じられる惨劇としては間違いなく最上の地獄であったに違いない。
 筋肉、内臓、血管に押し入った飛蝗達が体内で"出会い"、その場で生殖活動を行う。
 卵を孕み、卵が孵り、子が産まれて新鮮な餌を喰らい瞬く間に成長する。

 いま、神寂祓葉はサバクトビバッタの苗床と化していた。
 飛蝗どもの寝台(ベッド)にされ、そして餌にされて、栄養価に優れた葉として貪られながら文字通り削られていく。
 よろよろとたたらを踏んで、光剣を取り落して膝を突く祓葉。
 その姿はあまりに悲惨で哀れがましく、とても神と、星と、災いと称された存在とは思えない。

「……っ、あ……」

 手を伸ばして、辛うじて光剣を拾い上げることには成功したものの。
 シストセルカの追撃がない代わりに、祓葉はひとつの巨大な渦の中に捕らえられていた。

「お前にゃどうでもいい話かもしれないが、俺にも今は立場ってもんがあってよ。
 こっそり独断でつまみ食いしに来て、食えもせずに追っ払われて帰ってきましたじゃ通らねえンだ」

 万など優に超え、億に、ともすればそれ以上の単位にさえ届くだろう飛蝗の大群。
 それが渦潮のように渦動し、中心に祓葉を置きながら徐々にそのサイズと密度を高め上げていく。
 自然界のサバクトビバッタは肉を食わず、環境に生息数を左右され、叩けば潰れるか弱い昆虫でしかない。
 ある程度強靭で数が多く、災いのような侵略と暴食を可能にするとはいえ、それでもその本質はただの虫螻の域を出ない。
 しかし英霊の座からまろび出た、〈厄災〉としてのシストセルカ・グレガリアは違う。
 彼らはすべてを喰らう。生態を無視して殖える。蝗害の実績と刻んだ歴史を笠に着て、あらゆる形で増長し続ける黙示の虫だ。

 ――蜂球、という生存戦略を持つハチがいる。

 天敵であるスズメバチから巣を守るために、大勢の同胞で敵を包み込み、その体温で熱死させる驚異の戦技だ。
 今飛蝗どもが行っている行動は、絵面とメカニズムだけ見ればそれに似ている。だが実情は、それに幾重も輪をかけて醜悪で凶悪だった。
 彼らは、球ではなく渦を描いているのだ。囲み、包み、その上で妥協なく数を増やし続けながら廻り続ける。
 それは、まさしく。昆虫の進出など到底不可能、それどころか人類でさえ未だ自由に泳げているとは言い難い空の果ての大海。
 宇宙という黒き大海原に確かに存在するという天体現象――そう。



 ブラックホールと呼ばれる現象(もの)に、酷似していた。



「イリスの失恋に捧げる、俺なりの手向けの花ってやつさ。
 さあ、派手に死んでいけよ神寂祓葉! その肉、血潮、脂の一片まで残さず、蝗害(おれたち)に献上しな……!!!」

 万、億、兆を超えてなお留まるところを知らない増殖と合流。
 群れは拡大し続け、その一方で中心に向けて渦巻き続ける。
 既に中心の熱量は天文学的な数値に達し始め、そうでなくても圧力と摩擦が祓葉の全身に生存の可能性を一切許さない。

 神寂祓葉の異能は〈再生〉だ。
 原理は知らないし興味もないが、とにかく彼女は人間として規格外の再生能力に守られている。
 あの無謀なまでの愚直な戦闘スタイルも、ひとえに再生を前提としている故の恐れ知らずなのだろうと理解した。
 であれば恐らく、祓葉を普通の手段で殺傷することは不可能。
 シストセルカはそこで思考を停滞させず、かと言って婉曲な策略やら概念勝負に持ち込むこともせず。
 ただ純粋に、それでいて最悪に――"殺す"ということを先鋭化させることを選んだ。

 その結果が、このブラックホール。
 熱、圧力、摩擦による物理的損傷。
 三種の死を極限域で束ねることで、強引にでも再生を押し破る。
 馬鹿、愚直、それでいて呆れ返るほどに合理的な捕食方法だった。

 祓葉は、渦の中から抜け出せない。
 これはもう、剣を振ってどうこうできる次元を数百段は超えている。
 哀れなことに未だ死ねずにいるらしいが、それも時間の問題だろう。
 神さえ貪る飛蝗の群れは、いずれ必ず永遠の否定に辿り着く。
 そしてその瞬間こそが、神の不在証明が果たされる時。
 神寂祓葉というひとつの〈神話〉が死に、世界が真の混沌に突入する瞬間だ。

 かくして、結末は定まる。

 〈虫螻の王〉は、〈太陽〉を喰い殺す。
 針音の仮想都市の大前提を揺るがす番狂わせ。
 太陽へ飛び立ったイカロスの翼が、見るも無残に溶け落ちるが如くに。
 人として生まれながら、神のように生きた少女は――虫螻の渦の中に散っていった。



◆◆




 問1。
 あなたは、神寂祓葉をなんと形容するでしょうか。



 楪依里朱。
 「星」

 蛇杖堂寂句。
 「化け物」

 赤坂亜切。
 「太陽」

 ハリー・フーディーニ。
 「極点」

 ノクト・サムスタンプ。
 「夢」

 ホムンクルス36号/ミロク。
 「光」



 問2。
 あなたは、神寂祓葉をどう思いますか。



 楪依里朱。
 「最低のクズ」

 蛇杖堂寂句。
 「世界への脅威」

 赤坂亜切。
 「家族」

 ハリー・フーディーニ。
 「最高の観客」

 ノクト・サムスタンプ。
 「特異点」

 ホムンクルス36号/ミロク。
 「主君」



 問3。
 あなたは、神寂祓葉の何を恐ろしいと感じますか。



 回答。全会一致。



◆◆



 ――彼女のために、世界が狂うこと。



◆◆



「……あ?」

 響いたのは、少女の断末魔ではなかった。
 常に嗤うべき虫螻の王、シストセルカ・グレガリア。
 その口から漏れ出た、訝しむような声だった。

「……、……?」

 眉間に皺が寄っている。
 彼は今、不可解を覚えていた。
 今も拡大と収束を続けている飛蝗の天体現象が。
 史上最大であろう破滅的蝗害、その光景が。
 彼の想定と、著しく異なる展開を見せ始めていたからだ。

 キチキチキチキチキチ。
 キチキチキチキチキチ。

 飛蝗が鳴いている。
 ブラックホールが鳴いている。
 いや、違う。鳴いているのではない。
 これは――泣いているのだ。

 中心へ向けて縮むばかりの渦が、唐突にその向きを反転させた。
 中心から外側へ。現象の理屈そのものが、シストセルカの総体意思を無視して変更される。
 それはまるで、事象法則とかエネルギー理論とか、そういう諸々が目の前の"現実"の突飛さに耐えかねて逃げ出したかのようだった。
 そしてその推測が的を射ていたことを証明するように。
 次の瞬間、兆を超す個体数を用い描かれた疑似天体現象(ブラックホール)が、内側から轟いた光の軌跡に裂かれて崩壊した。

「―――――、―――――」

 言葉を失う、という経験を。
 この時、〈虫螻の王〉は初めて味わった。

 何が起きた。
 いや、何が起きている?
 ひとつたりとも説明がつかない。
 そんな彼のらしからぬ姿を、嘲笑うように。
 三種の死に饗され、原子の一片も残さず暴食される筈だった少女は、そこに立っていた。

「おまえ――――"何"だ?」


 ……絶対に勝てない。絶対に逃げられない。絶対に、免れない。
 その理屈が、絶対の詰みが、なぜか、狂う。
 一引く一は零という幼児でもわかる数式の答えが、なぜか万になる。それが、正解になる。

 故に。ある男は、こう言った。
 ――神寂祓葉は、天地神明、万物万象に対する冒涜者であると。

 彼女の前で、理屈はただの妄言に変わる。
 世界の法則が、彼女という存在のために辻褄を合わせる。
 歪む。すべてが、歪んでいく。祓葉への忖度に走る。
 まるで。彼女こそが、世界の絶対的な主役であるとでも言うように。


「私? 私はね――祓葉。神寂祓葉。神が寂しがって祓う葉っぱ、って書いて、祓葉」


 微笑む白に、王は即決した。
 死の予感。無限の軍勢を持つ者には決してあり得ない筈のそれが、今この瞬間に駆け巡ったのだ。
 シストセルカ・グレガリアという"種"そのものが、此処での死を直感している。
 だからこそ次に生み出した光景は、空を覆う飛蝗の大隕石(メテオ)という更なる殺戮手段であった。

 空から、虫螻の集合体が落ちる。
 単なる質量はもちろん、接地と同時にすべての個体が散弾と化して飛び散るきわめて広範囲に対する虐殺攻撃だ。
 狩りそのものに悦楽を覚えるシストセルカにしては実にらしからぬ、無粋極まりない殺し方。
 故に彼が自らのあり方を進んで崩したその事実は、この世の何よりも目の前の少女の脅威度を保証していた。

 少女は、祓葉は。
 微笑みと共に、光剣を掲げる。
 〈光の剣〉。少女が握る、ただ一振りの得物。
 魔術を扱えず、暗器の携帯もしていない彼女は、それでも勝ち続ける。
 形を持たず、祓葉の意志だけを糧に顕現するこの〈一縷の光〉が。
 〈主役〉を前にしてあがくあらゆる事象(アドリブ)を、一刀のもとに両断する。


 疑似宝具、否。
 "宝具類似現象(アストログラフ・ファンタズム)"、解放。


「遊んでくれてありがとう。
 もしまた会えたら、次はもっと楽しくおもてなししてね」


 奏でるは針音の調べ。
 戯れる星の悪戯。
 時計の針を廻せ。



「界統べたる、勝利の剣(クロノカリバー)――――――――!!!!」



 光の剣、轟いて。
 この夜、とある区に版図を拡げようと目論んだ〈蝗害〉は痕跡さえ残らずその姿を消した。



◆◆



「っは――……あー、死ぬかと思った。
 なんだよアレ。バケモンか? いやバケモンだな、うん。それは知ってたけど」

 結論から言えば、シストセルカ・グレガリアは絶滅の末路は免れた。
 とはいえ負った損害は非常に重い。蝗害の侵食はこれまでよりも緩やかになり、当面は侵略や暴食よりも繁殖に力を入れねばならないだろう。

「イリスの奴、よりにもよって数いるメスからアレを選ぶかね。
 俺ぁ断じてゴメンだな、うん。メスとしては魅力的だけどよ、喰い殺してくるタイプは勘弁だわ。カマキリじゃねえんだからさあ」

 神寂祓葉は、期せずして英雄となった。
 彼女の活躍により東京を食い尽くす蝗害は緩慢化する。
 これぞまさに、〈はじまりの聖杯戦争〉で彼女が見せた奇蹟の体現だった。
 何故か勝つ。何故か、彼女の行動で予定調和の歯車が狂う。
 かくして、〈虫螻の王〉は針音の主、その片割れの脅威を知った。
 群れる虫螻たる彼は、狂気に染まることこそないが。
 それでも――あの"脅威"は、ひとつの"種"に永久に刻み込まれた。それだけは、確かであった。

「……さてと。イリスになんて言い訳したもんかね。
 あのメンヘラ、ナチュラルに圧迫面接してくっからなあ……は~~、人間のメスは面倒臭くて敵わんね」



◆◆



『――かわいそうに。運がないんだね、きみは』

 最初はただ、哀れだと思った。
 誰の目にも分かる、明らかな致命傷を負って倒れ伏す少女。
 己の運命に見放された彼女に残っていたなけなしの幸運も、ものの見事に空を切っていた。

 男は、知っていたからだ。
 自分という英霊が、いかに弱く脆いものであるかを。

 世界を救いたいと、かつてそう思っていた。
 世界を救えると、疑いもせずそう信じていた。
 星空に手を伸ばして、いつかきっと届くだろうと。
 曇りなく想う幼子のように、夢だけを見据えて走ってきた。

 けれど、結果はどうだ。
 理論は破綻していて。
 成果物は、実用に値せず。
 己の孤独を、失敗でもって突き付けられた。
 世界を救う偉業の代わりに負ったのは詐欺師の汚名。
 人類史に名を残す、大言壮語の大法螺吹き――永久機関など、机上の空論に過ぎないのだと。
 誰もがそう言った。世界さえそう笑った。だからこそ、男はもう何にも期待などしていなかった。自分自身にさえも。

『……死神? にしては、ずいぶんかわいいけど。
 もしかして天使さま? ふふ、だったら、嬉しいなあ……』
『生憎だけどどちらでもないよ、ボクは。
 ボクはただの、つまらない詐欺師さ。何物にもなれない、なることもない、掃いて捨てるほどいる三流英霊さ』

 男は厭世家だった。
 人間が嫌い。他人を信じない。その無能さが理解できない。
 自分はこうも優れているのに、何故誰ひとり自分と同じ視座に立てないのだと思って生きてきた。
 劣っているなら導いてやらなければならない。せめて自分が救ってやらねば、こんな生き物たちには生まれてきた意味すらないだろうと。
 ひとりで使命感さえ覚えて、すべて見下していた。
 本当は、見下されるべきは自分だったのに。誰もが、自分のことを滑稽な夢想家と笑っていたのに。

 夢醒めて見つめる現実はひどく無味乾燥として見えた。
 だから目を閉じることにした。
 そうして、詐欺師と謗られたまま英霊の座の片隅に召されて。
 悠久の年月を超えて――今、科学者はここにいた。

『ふふ……そうかなぁ……。
 私は、そうは思わないけど……』
『……なんで、そう思うんだい?』
『私ね、運がいいんだぁ……。昔から、なんかね、肝心なときだけはツイてるの。
 だから、この今際の際であなたに会えたことも……何か、すごく幸運なことなんじゃないのかなあ、って。
 やっぱり、あなたは……私の、天使さまなんじゃないかなあ。ふ、ふ。だったら、いいなあ……』

 世界に対しても。
 自分に対しても。
 もう、なにも期待などしていない。
 だから最初は、この少女を嘲笑いでもして座に還ろうと思っていた。
 永久機関は存在しない。空の星に伸ばした手は、何にも触れることはない。
 ならば、すべては無価値だろうと。
 そう腐っていた心(むね)に――震える手が伸ばされて、そして、触れた。

『……ふふ。英霊さんも、ここはあったかいんだね』

 この身にもまだ、人の感情というものが残っていたことを男は初めて知った。
 だからこそ、だろうか。
 気付けば、口を開いていた。そして慰めにもならない、恥の上塗りを口にしていたのだ。

『――自分は幸運だと、そう言ったね』

 ならば、試してみるかと。
 三流英霊が持つ、唯一無二の三流宝具。
 可能性などない、慢心と掛け違えの賜物たる機構を取り出した。

『それ、は……?』
『夢の残骸さ。これを受け取れば最後、きみはどうあれヒトではなくなるよ』

 それは、人類を救える筈だった発明。
 星を手に掴み、ヒトの未来を永久に支える筈だった歯車。

『ボクを天使と呼ぶのなら。試してみるかい?』

 その言葉は、ただの戯言。
 残り少ない、なけなしの心を慰めるための情けない言葉。
 けれど、少女は微笑みながら手を取った。
 歯車を握る、その細い手を。
 自分の胸元へ、そっと導いた。

 ――きみだって、あったかいじゃないか。そう思った。

 そして、物語は破綻する。
 〈主役〉は完成し、地上の星が生まれた。
 それが、すべてのはじまり。
 〈はじまりの聖杯戦争〉の、あるいはおしまいの瞬間。


 ――ある少女と、少年の、〈はじまり〉だった。



◆◆



「ただいま、ヨハン」
「おかえり。どこほっつき歩いてたの?」
「んー。バッタの王様と遊んできた感じ」
「きみは実に馬鹿だな。分かってたけどさ」

 サーヴァントは、睡眠を必要としない。
 それでも、今も時々夢に見ることがあった。

 あの日の光景を。あの、〈はじまり〉を。
 結論から言うと、祓葉の言葉に嘘は何もなかったのだ。
 祓葉は、奇蹟を起こした。破綻した理論をねじ伏せて、呑み干した。
 そして。少年の言う通りに――彼女は、人間ではなくなった。

「ジャック先生にも会ったよ。話はしなかったけど、ノクトもいたと思う。
 ふふ、イリスもアギリも、ミロクもハリーも元気そうだし。
 他の子達だって、とっても頑張って生きてくれてる。やっぱり素敵だね、聖杯戦争って」
「そう思うのはきみだけだろうね。イリスに聞かれたら殺されるんじゃない?」

 少なからず濃い時間を過ごしてきた相棒としての贔屓目を抜きにしても、断言できる。
 神寂祓葉は今、誰にも打倒することのできない存在となって久しい。
 抑止力からの完全な解脱。世界の法則を、存在そのもので否定する生き物。
 だからこそ、この針音の聖杯戦争が抑止力の手にかかり止まることもあり得ない。
 祓葉は誰にも止められない。そう信じる。合理も、そして感情も、少年にそう告げていた。

「ねえ、ヨハン」
「なに?」
「ありがとね。連れてきてくれて」
「きみが勝手に、ボクの手を引いて駆け出しただけだろう。責任転嫁も甚だしいね」

 いま、すべての役者は出揃った。
 亡霊(レムナント)が六人。
 演者(アクター)が十七人。
 そして主役(ヒーロー)が一人。
 合計二十四人、二十四組。
 規模は単純計算で〈はじまりの聖杯戦争〉の四倍。
 針音の仮想都市は、廻り続ける時計機構は文字盤の完成を迎えてとうとう大願へと向かい始める。

「救うの? 世界を」
「救う。それがボクの目指した夢だから」
「そんなに人間が嫌いなのに、人類が未完成なことは許せないんだ」
「……断っておくけど、ボクは人類が嫌いだが信じていないわけじゃないよ。
 彼らはボクが何かしなくても、いずれこの幼年期を飛び出していくだろう。
 何千年後か、何万年後か、あるいはそれ以上か。
 分からないが、〈それ〉はいつか必ず訪れる結末だ。問題はただひとつ。そこまで辿り着くのに、あまりにも多くの歩数と犠牲を要すること」

 〈はじまりの聖杯戦争〉は、結果はどうあれ最初から破綻していたわけではない。
 ただ巡り合わせと、何より運が悪かっただけだ。
 もしも祓葉の存在さえなければあの戦いは筋書き通り誰かの手で完遂され、冠は然るべき人間の手に渡っていただろう。

 だが、この〈第二次聖杯戦争〉は違う。
 最初から、舞台が誕生した瞬間から破綻している。
 これはどだい戦争などではなく、あるひとりの男による巨大な実験だ。
 今度こそ、天の星へと手を伸ばし。
 人類を救う、そのための物語。
 そのためだけの、物語。

「人類の完成に、耳触りのいい讃歌も世代を越えた技術の継承も必要ない。
 ハッピーエンドが見たいのならば、本を最後の頁まで読み飛ばしてしまえばいい」

 きみには理解できないだろうけどね。
 そう言って、オルフィレウスは街を俯瞰した。
 うん、ぜんぜんわかんない。
 へにゃりと笑って、祓葉も彼の隣に立った。

 並ぶと、その姿は体格差で姉弟か何かのように見える。

「ボクは、世界を救う。
 人類文明を"完成"させ、すべての歩みを終わらせる。
 誰もが足を止められる世界。理想の結末は、この手で紡ぐとも」

 ……オルフィレウスは人類の可能性と、その未来をこの世の誰よりも憂い追い求めている。
 だからこそ彼は世界を救うことを目指す。
 夢破れ、英霊の座の隅で燻っていた科学者は"答え"を得てしまった。

 そう、オルフィレウスは世界を救うだろう。
 人類という生物を、可能性の最果てへと飛び立たせるだろう。

 それがたとえ、ヒトの歩む過程と尊いイマのすべてを薪木として燃やし尽くす所業だとしても。
 物語の過程すべてを読み飛ばして、ラストページだけを読むような所業だったとしても。
 オルフィレウスは必ず成し遂げる。彼の目的は、物語を終わらせることにある。

「行こう、祓葉。ボクの〈ヒーロー〉。 
 きみとボクで、物語の終わりを見に行くんだ」
「もちろん。一緒だよ、ヨハン。私の〈天使さま〉。
 あなたの望むハッピーエンドを、どうか私に見せてみて?」

 演目の名は〈幼年期の終わり〉。
 これは、世界を、完成によって終わらせる物語。



◆◆




 ――マテリアルが更新されました。



【名前】
 神寂祓葉/Kamusabi Futsuha
【性別】
 女性
【年齢】
 17
【属性】
 混沌・善
【容姿・性格】
 純白の長髪。頭のてっぺんには大きめのアホ毛がぴょんと立っている。
 衣服は都内高校の制服。上は紺色のブレザーで下は緑と茶色のチェック模様のスカート。
 底抜けに明るく、よく笑いよく泣く。喜怒哀楽がはっきりしている。
 露悪的な振る舞いは好まず、敵を殺す時もいつもさっぱり。
【身長・体重】
 160kg/45kg
【魔術回路・特性】
 質:E 量:E 
 きわめて質が低い。
 祓葉は魔術を必要としない。
【魔術・異能】
◇『神寂祓葉』/〈理の否定者〉
 あらゆる能力値で普通の人間を逸脱している。
 それは純粋な身体能力だけに留まらず、およそこの世の全才能に通ずる存在。
 理屈ではなく理としてある人間。さながらそれは、世界そのものが彼女のためにあるようだと評される。

 ――その有様はさながら、〈世界の主役〉。
 彼女が生まれ持った真の異能は、"抑止力へのきわめて高度な免疫"である。

 『神寂祓葉』は、生まれながらに抑止力の介入を受け付けない突然変異種。
 世界から取り残された、理としての神の視界に入らない存在。
 だからこそ彼女には際限というものがなく、何に邪魔されることもなく奇跡を行使することができる。
 とはいえ、祓葉自体はあくまでもただの人間に過ぎない。
 生まれながらに、人より少しだけ"奇妙な幸運"を感じることが多いだけの普通の少女として祓葉は育った。

 聖杯戦争さえなければ。
 死に際の彼女と出会ったのが、星に手を伸ばした科学者でさえなければ。
 神寂祓葉は自身の異常を自覚することも、誰かの人生を狂わせることもなく、普通に生きて死んでいたことだろう。
 そんな彼女が、運命に出会ってしまったこと。それが、この世界にとっての一番の不幸。

◇万能型永久機関・『時計じかけの方舟機構(パーペチュアルモーションマシン)』
 キャスター・オルフィレウスが死に際の彼女に埋め込んだ絵空事の科学技術。
 すなわち永久機関。オルフィレウスが成し遂げられなかった偉業、人類救済の御業そのもの。
 人間には決して扱えない、故に実用に値せぬとの烙印を押された歯車に、祓葉はその特異性故に適応を果たしてしまった。

 機能は無制限の肉体再生と、同じく無制限のエネルギー供給。
 死を超克した祓葉は唯一の弱点であった"人間であること"をも同時に克服してしまった。
 あらゆる攻撃で死なず、再生しながら奇蹟を起こす。
 ただの少女として生きられたはずの娘を完成させた、最後のピース。

◇『界統べたる勝利の剣(クロノカリバー)』
 永久機関移植後、体得した異能。魔術とも似て非なる幻想。宝具類似現象(アストログラフ・ファンタズム)。
 祓葉のその時"到っている"領域に合わせた出力を引き出す。
 その斬撃は概念切断・事象破却の機能を帯びており、理(ルール)を――ないしそれに準ずる詰みを斬り伏せる。

【備考・設定】
 特異点。彗星の尾。絵空。狂気の如きクラリオン。唯一神の否定者。そして無神論。
 様々な名で呼ばれるが、絶対的に共通していることはひとつ。
 彼女はきっと、生まれながらに主役となる星の元に生まれている。
 世界が彼女のために道を空けても空けずとも、彼女はそれを力ずくでこじ開けて進んでしまう。
 不可能が、彼女の前でだけは可能になる。
 存在そのものが世界の剪定に繋がる、人類史のエラー。もしくは、人類種の最終到達点。
 無数の勝利を重ね、無数の狂気を生み出しながら、ただ世界の果てを夢見る娘。
 誰かにとっての救世主であり、誰かにとっての悪魔でもある存在。
 〈はじまりの聖杯戦争〉にて、祓葉は他の六陣営すべてを屠り聖杯を手にしている。

 聖杯は彼女とそのサーヴァントたる科学者の手に渡り、改造された上で使用された。
 そうして生まれたのがこの物語の舞台となる仮想世界――針音仮想世界〈東京〉である。
 祓葉はゲームマスター。しかし彼女は監督役の立場に留まらず、積極的に舞台へ介入する。
 自分で仕掛けたゲームで、本気でもう一度玉座を目指すという矛盾し放題の出来レース。

 それでも。
 神寂祓葉は、すべての演者(ともだち)を愛している。
【聖杯への願い】
 相棒であるヨハン(オルフィレウス)の願いを叶えること。
 ただ、基本的には楽しく遊べればそれでよし。なのでやりたいようにする。
【サーヴァントへの態度】
 自分に新しい世界を見せてくれた親友。
 口は悪いけどかわいいところもあるんだよなあ、と思っている。

 さあ、いつまでも夢を見ようね。
 ヨハン。
 私の、私だけの、天使さま。


【クラス】
キャスター

【真名】
オルフィレウス

【属性】
秩序・善

【ステータス】
筋力E+++ 耐久E+++ 敏捷E+++ 魔力D+++ 幸運D 宝具EX

【クラススキル】
道具作成:EX
 魔力を帯びた器具を作り上げる。
 魔術の心得は多少あるので、武装や霊薬なら低ランクだが作成可能。
 一流の魔術師には到底及ばない精度だが、にも関わらず規格外のランクを持っている理由は〈永久機関〉の創造を可能とする点にある。

陣地作成:E
 発明および研究のために必要なラボを作り上げる。
 散らかってるし、他人のことを考えないので狭くて歩きづらい。

【保有スキル】
一意専心:B++
 一つの物事に没頭し、超人的な集中力を見せる。
 自身のモチベーションと合致する事柄に関しては特に先鋭化する。

星の開拓者:E-
 最低ランク。人類史においてターニングポイントになる可能性があったというだけのなけなしのスキル。
 彼は誇りではなく、一握りの天才ゆえにそのきざはしに手を掛けたし、そういう意味でも納得の低ランクである。
 人類を救えるかもしれなかった、それだけの男。

ネガ・タイムスケール:C
 人類の『歩み』と『過程』を否定する権能。
 人類種からの"不完全性を有する"攻撃・干渉行動に耐性を持つ。
 人類は生物として愚かだが、その文明は美しい。
 きわめて傲慢で、故に余白のない最新最後の救世神話。

【宝具】
『時計じかけの方舟機構(パーペチュアルモーションマシン=Mk-Ⅱ)』
 ランク:EX 種別:対人宝具 レンジ:- 最大捕捉:1人
 Perpetuial motion Machine-Mark-Ⅱ。すなわち、永久機関の創造を可能とする。
 人類にとって永遠の悲願であり、あらゆる技術的問題を恒久的に解決する可能性を秘めた夢の機械。
 キャスターはかつてその創造のきざはしに手をかけ、ふたつの現実に阻まれて失意の中で表舞台を去った。
 ひとつ目は彼の性格ゆえの問題。そしてふたつ目は、彼の開発した永久機関はそもそも人間に扱えるスペックをしていなかったということ。
 エネルギー供給を必要とせずに永久動作を続けるという点は真実だったが、しかしその挙動はあらゆる面で常識を超えており、人間が下手に触れれば良くて肉体が爆散。最悪の場合、機関の運動に呑まれて肉体・意識・果てには存在性そのものが無形の永久運動エネルギー体に変貌。生死の境すら超えた"現象"とでも呼ぶべき存在に成り果ててしまう。
 サーヴァント化した現在でも発明の欠点は据え置き。それどころか英霊にさえ扱える代物では到底なく、基本的にまったく実用に値しない。

 筈だった。

 しかし、神寂祓葉というモデルケースを得たことでオルフィレウスの理論は急激に加速。
 〈はじまりの聖杯戦争〉で降臨した聖杯〈熾天の冠〉を機構の一部に取り込むことで、彼の永久機関は真の完成を迎えた。
 誰であろうと装着でき、誰にであろうと無限の力を供給する人類の理想(ユメ)そのもの。
 機能は無制限の肉体再生と、同じく無制限のエネルギー供給。生物を"完成"させる、熾天の時計。

『■■■■■■■■』
 ランク:EX 種別:対文明宝具 レンジ:1~12800000 最大捕捉:∞
 ――それは、幼年期の終わり。
 ――それは、大人になるということの意味。
 ――それは、物語の最後のページ。終端(オメガ)の戴冠。

【weapon】
 永久機関搭載兵器

【人物背景】
 本名、ヨハン・エルンスト・エリアス・ベスラー。
 ドイツ南部の街で細々と研究を続けていた科学者兼発明家であり、永久機関の開発に成功したと豪語したことで一躍注目を浴びる。

 間違いなく優秀な男だったが厭世家であり、おまけに傲慢。
 彼には人の心というものがおよそ分からず、単なるシステムの脆弱性としか認識することができなかった。
 だからこそオルフィレウスは数多の疑心と裏切りに遭い、信用がなかったから誰も彼の発明の瑕疵を指摘してもくれず、結果としてその生涯は詐欺師の汚名を被り続けることとなった。

 しかし、彼の発明は確かに遠未来に至るまであらゆる人類を救う可能性を秘めていた。
 彼に足りなかったのは理解者と、人類救済装置たる自動輪を"実用"できる人間の不在。
 夢を阻んだふたつの現実は、彼にとってあまりにも大きな壁であった。
 故に英霊の座へ招かれたオルフィレウスはすっかりふて腐れ、聖杯戦争に呼ばれた際にはあらん限りの悪態とやさぐれを披露した――のだが。

 男は知ることになる。
 人間の可能性を。
 男は得ることになる。
 はじめての理解者を。
 男は、至ることになる。
 人類の昇華。かつて掲げた古い理想を遂げる、理論の果ての到達点へ。


『ボクは今度こそ人類を救う。ヒトはどうしようもなく愚かだが、その文明には価値がある』


 世界に失望し、人類に諦観を抱き、それでも世界を救わずにはいられなかった少年科学者。
 ヒトの不完全を許せず、故に時計の針を廻す者。
 針音の主。ヒトを愛さず、だが導き、やがて救う存在。

 星の開拓者など偽りの名。
 其は物語の頁を飛ばす者。
 幼年期を終わらせて人類を最も完全に救う、終端(オメガ)の――


【容姿・性格】
 薄い水色のボブヘアーに、だぼだぼのジャケットを纏い袖を余らせている。
 言われなければ少年とも少女ともわからない、中性的な容貌の科学者。
 性格は人嫌いで偏屈。おまけに毒舌。友達がいないのも頷ける人物。
 その瞳には、実際に時刻を記録する時計の紋様が浮かんでいる。

【身長・体重】
 150cm/40kg

【目的】
 人類救済。
 この美しく、そして愚かしい人類文明を今こそ巣立たせる。

【マスターへの態度】
 理解不能な生物。マジで頭も身体もどうかしてると思う。
 基本的に辛辣だが、およそ友達というものを得たことのない男なので実は結構ツンデレ気質。
 やっていることは本当に心の底から馬鹿だと思っているが、その実『祓葉が負けることはあり得ない』ということは誰より信じている。

 ……行くよ、ボクの〈ヒーロー〉。



◇◇




Saber
高天小都音&セイバー(トバルカイン)

Archer
赤坂亜切&アーチャー(スカディ)
アンジェリカ・アルロニカ&アーチャー(天若日子)
神寂縁&アーチャー(天津甕星)

Lancer
レミュリン・ウェルブレイシス・スタール&ランサー(ルー・マク・エスリン)
アルマナ・ラフィー&ランサー(カドモス)
蛇杖堂寂句&ランサー(ギルタブリル/天蠍アンタレス)
高乃河二&ランサー(エパメイノンダス)

Rider
楪依里朱&ライダー(シストセルカ・グレガリア)
伊原薊美&ライダー(ジョージ・アームストロング・カスター) 
山越風夏&ライダー(ハリー・フーディーニ) 
悪国征蹂郎&ライダー(レッドライダー(戦争)) 

Caster
神寂祓葉&キャスター(オルフィレウス) 
天枷仁杜&キャスター(ウートガルザ・ロキ) 
香篤井希彦&キャスター(吉備真備) 
華村悠灯&キャスター(シッティング・ブル) 

Assasinn
琴峯ナシロ&アサシン(ベルゼブブ/Tachinidae)
ホムンクルス36号/ミロク&アサシン(継代のハサン)

Berserker
ノクト・サムスタンプ&バーサーカー(ロミオ)
周凰狩魔&バーサーカー(ゴドフロワ・ド・ブイヨン)
覚明ゲンジ&バーサーカー(ネアンデルタール人/ホモ・ネアンデルターレンシス)

EXTRA
輪堂天梨&アヴェンジャー(シャクシャイン) 
煌星満天&プリテンダー(ゲオルク・ファウスト/メフィストフェレス) 
雪村鉄志&アルターエゴ(デウス・エクス・マキナ) 




◇◇



 ※投下にあたり、拙作のキャスター(オルフィレウス)のステータスを一部修正しました。

 ※〈はじまりの六人〉は全員が前回の記憶を取り戻しています。

 ※いくつかの区が蝗害で甚大な被害を受けています。
 ライダー(シストセルカ・グレガリア)が回復を完了するまで、進行速度は遅めです。



次の話(時系列順)

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最終更新:2024年08月29日 23:55