■




 センターポジション、ライトアップ。ステップ、ターン、フルアウト。


 その瞬間、体は一本のネジになる。


 誰であろうと有無を言わせぬ存在感。
 舞い上がる衣装(はね)と甘美な笑顔(やじり)で胸を貫く。
 熱響を煽る全身の躍動。意志を束ねる空気の振動。
 光輪を冠し。逆光(ステージ)に晒される星の偶像。
 彼岸の闇を独占する、唯一種の色彩(ケミカルライト)。
 ここは無間の大宇宙。スポットライトの中心で、今日も私は孤立する。


 なのに染み込む泥が私を変えた。
 不格好なダンスシーケンス。
 耳障りなブレシ―サウンド。
 胸の真中に自覚した、あってはならない醜悪なエモーション。


 墜落の間際にきつく目を閉じる。


 その時。
 私は初めて、羽の砕ける音を聞いた。





 ―――――― P.VS .P





 ■


 えーどうも、お久しぶりです。
 みなさん、お元気ですか?
 私、煌星満天はとってもとっても憂鬱です。

 現在、私を乗せた車は台東区から出発し、北西方面に進行中。
 その目的はスバリ、近頃この東京を蝕んでいる厄災、蝗害の調査!
 幾つかの襲撃地点を巡りつつ、最後の目撃情報があったとされる渋谷を終点として、午後から移動を続けております。

 えー、はい、勿論、この調査に伴う危険は理解してます。
 発生から僅か一月、蝗害が都心に及ぼした被害は人的、物的共に途方もなく、失われた人命の数は計り知れません。
 もちろん私も、遭遇した場合の安全の保証なんてありません。

 命がけの突撃リポートをアイドルにやらせるなんて企画考えた人はちょっと正常ではないと思いますというか普通にめちゃくちゃ怖いです。
 逃げ出したいくらい恐ろしいです。
 正直、今すぐ帰りたいです。帰してください。

 ……えー、ですが!
 煌星満天は挫けません!
 せっかく頂いたこのお仕事!
 私は絶対やり遂げます! 
 なぜなら私は、アイドルだから!
 史上最凶のアイドルだから!
 この街の皆さんのため、夢と希望を届ける、アイドルだからーーー!(だからー! ダカラー! ダカラー! エコー)

「煌星さん、先程から思考されているそれは、いったい誰に向けたメッセージですか?」

「うわぁぁぁっ! 現実逃避してる乙女の空想(イメージ)を勝手に覗くなバカキャスター!」

運転席から投げられたキャスターの声によって我に帰ると同時、先ほどまでの益体ない思考を読まれていた恥ずかしさにかあっと顔が熱くなる。
 後部座席からちらっと前を伺うと、バックミラーにはハンドルを握るファウストの目元が映っていた。
 相変わらず底の知れない真っ黒な瞳だ。

「気を紛らわすための取り留めのない思考にまでいちいち口を挟む気はありませんが、一応言っておきます。
 先程の思考内容でリポートのコメントを行うつもりならやめてください。スタジオが凍りつきます」

「い、いやいや、ほんとにアレで行くわけないじゃん。分かってるよ……はは」

「それとフィラー、つまり『えー』が多すぎます。
 人に聞かせるコメントだということを意識して、落ち着いて短く、何を話すかを決めてから発声してください」

「のっ……ぎ……ぐぬぬぬぬぬ」

 脳内の喋り方にまでダメ出しすな!
 と、反射的に言い返しそうになって、堪えて、結果として震えながら異音を発するなんか小さくて変な可愛いやつになってしまった。

 ともあれ悔しいけど、やっぱりキャスターは正しいのだった。言い方こそ例によってちょっとキツめだけど、指摘も、アドバイスも、相変わらず的確だ。
 現実逃避なんて言って、頭の中でリポートの練習をしていた事もきっとバレていたのだろう。
 だからやるべきことは反論じゃなくて、改善なのだ。

「難しく考えすぎなくても結構です。コメント内容については、適宜サポートするので問題ありません。
 ……それに、気晴らしなら、あなたにはもっと別の案件があるでしょう」

 それは彼にしてはちょっと珍しい、気遣いというものだったのかも知れない。

「渋谷に入る前に、会合を済ませます。そろそろ、約束の時間ですから」

「ふ、ふーん、そうなんだ」

 気のない返事をしてみても、浮き上がる心は誤魔化せない。
 蝗害調査の移動の合間に設けられた一つの会合。
 同盟を結んだ陣営との接触。
 色々あり過ぎた今日の中で、唯一、全肯定で喜べること。
 アイドル、輪堂天梨。推しとの、対面。

 そう、天梨。
 天梨ちゃん。

 蝗害、狂人、戦争、理解の追いつかない出来事が次々起こってばかりだけど。
 あの天使と、ちゃん付けで呼び合える仲になれた事に勝る衝撃はない。
 それだけでなく、今日また、直接会って話せるのだ。しかも仕事で一緒になるとかじゃない。プライベート……っていうのも違うかもだけど。
 とにかく、あの天使とまた会える。確かに、これに勝る気晴らしはない。
 ないの……だけど……私には今、少し悩ましきことがありまして。

「どうしました? まさか自信が無いとは言わせませんよ。
 あなたはアイドルとしても、マスターとしても、今や対等な立場として、彼女の前に立たなくてはなりません。
 たとえ現時点で、実際の力量差にどれ程の開きがあったとしても」

 うん、それは分かってる。分かってるんだ。
 だけど、悩んでたのはそういう話じゃなくて。
 いや悩みというか、期待というか、これは展望というか、うーん、天梨、天梨ちゃん……天梨……。

「では、どのような?」

いやー、つまり、その、

「えっとぉ……ちゃん付けから呼び捨てへの移行って、どれくらいで許されるのかな? エヘヘ」

 バックミラーに映ったキャスターの眉間に、強烈な皺が刻まれた。
 次いで、一言。

「距離感」

 たった一言で、私の胸に見えない釘がぶっ刺さった。ぐはっ。


「コミュニケーション能力の欠如、その最たる事例を改めて教えましょうか?」

「あ、いえ、大丈夫です」

「他者との距離感覚の錯誤です。
 少し仲良くなったと思ったら必要以上に一方的に気を許し、他人の領域に無遠慮に立ち入ってしまう。
 結果、対面する相手に距離を空けられ、途端に嫌われたと思い込み今度は逃げるように疎遠になる。
 ……と、今挙げたのはほんの一例ですが、心当たりがありませんか?」

 ごふっ!
 あの、やめよ?
 人を言葉の鞭でめった打ちにするのは。

「つまり、そういうところ、です。煌星さん。
 舞い上がる気持ちは分かりますが、何度も言ったように、焦りは禁物です」

 うぅ……確かに、調子に乗ってました……。
 分かってるよぉ。私もちょっと感覚ミスってるような気はしてて、だから聞いたんじゃん。
 ていうか、こんなふうに浮かれ過ぎちゃうのも分かってたら、考えないようにしてたのになあ。

「じっくりと関わることです。仲良くなりたいなら、結局それが一番の早道でしょう。
 そろそろ高速に乗りますので、シートベルトをお願いします」

「うん……」

 ぐうの音も出ない私は後部座席にへばりつくようにして、ぐったりと窓の外を眺める。
 夜はもう、すぐそこまで。

 路上の街灯、オフィスビルから溢れるLED電灯、対向車両のヘッドライト、暗闇の到来を前に、街は既に明かりを灯し始めている。
 淡い尾を引いて過ぎて行く幾つもの閃光、徐々にスピードを上げる車内から、それは流れる星々のようにも見えた。


「きらきらひかる おそらのほしよ」


溢れるように、声に乗ったその歌は小さい頃、よく歌った童謡。
 初めて聞いたのは確か、両親の帰りを待ちながら、一人でぼんやりと教育テレビを観ていた時だったっけ。 


「またたきしては みんなをみてる」


 過ぎ行く光を眺めながら思う。
 はたして、私は、そのように在れるのだろうか。

「ね、キャスター。前に言ってたこと、憶えてる?」

 不明瞭な問いかけ。
 だけど彼には十分だと知っている。
 何故なら彼は、私の心が見えるから。不器用な私の言葉の先を、知っているから。

「この街の人々を元気づける為、ですか?」

 アイドル業について、彼はたしかそう語った。
 それは狂戦士を丸め込むための、方便だったのかもしれない。
 だけど、本当にそれを願うことが、偶像(アイドル)に課せられた仕事だとしたら。
 この街で起こっている異常を知る私の、役割なのだとしたら。

 ――イナゴがよ……俺の親の家を全部食っちまったよ……親父もお袋も見つからねぇ……。

 日中、街で遭遇した誰かを思い出す。
 家も家族も失って、怒りのぶつけ先も分からなくなった人がいた。
 蝗害の調査、ここに至る道中、壊滅した住宅街をいくつも抜けてきた。
 多くの人が泣いて、途方に暮れていた。
 ……どうしても、考えずにはいられなかった。

 これ程の災厄を前に、私なんかに、ほんとに出来ることがあるのだろうか。
 じっとしていたくない、何かやらなきゃという焦りと、きっと何もできない現実に、息が苦しくなる。

「今の私に……何ができるかな……」

「今は何もできなくてかまいません。一つ一つ、できることを増やし続けてください。
 焦らなくてもいい、あなたは、一歩ずつでも前に進んでいる」

「だけど……このままじゃ……さ」

 1ヶ月前より、私の力はずっと強くなった。それははっきりとわかる。
 だけど、足りない、こんなんじゃ全然及ばない。アイドルとして、天使の足元にも届かない。
 そしてそれは、聖杯戦争を戦うマスターとしても、不足していることを意味するはずだ。

 天使を救えるのは人間の煌星満天であると、従者(キャスター)は告げた。
 だけど、今のままじゃ、助けるどころか、勝負にもならない。
 もどかしいよ。私はもっと、もっと、成長しなきゃいけないのに。

 この街の人たちのために。
 輪堂天梨を救うために。
 世界中の全てを、魅了するために。

 なにか、ないのかなあ、なんて。
 成長の秘訣、躍進の階、あるはずのない劇薬(チート)に思いを馳せ。
 これまた現実逃避じみたぼやきを一つ、

「あーあ、強くなりたいな」

 こぼした私へと、キャスターは暫し考え込むように黙った後。
 ゆっくりと息を吸い、声を―――

「ならば恋を知るといい!! 僕のジュリエット!!」

「ウワァァァァァァァ!!」

 突如として真横から差し込まれた不意打ちに、私は悲鳴を上げながら飛び退いた。

「落ち着いてください、煌星さん。ビビり過ぎです」

 いやいやいや、ビビりますわよ。
 後部座席左側、つまり私の真横に突如出現した狂戦士の青年は相変わらずの豪奢な外套と甘いマスク。
 背景を強制的に花畑に変えてしまいそうなイケメンオーラをあらゆる方角に放っているものの。
 上気した頬と爛々と輝く瞳の狂気に、やはり私は見惚れる前に身の危険を感じざるを得ない。

 気配遮断スキル恐るべし。
 狭く逃げ場のない空間で、様子のおかしい人(やわらかな表現)がいきなり真横に現れて話しかけてくるの、怖すぎる。
 シートベルトしてなかったら座席から転げ落ちていたかも知れない。

「やあ、ジュリエット。ようやく邪魔者が居なくなったね」
「ババ、バ、バーサーカー……」

 恋のバーサーカー、ロミオ。
 いろいろあって私を恋人(ジュリエット)だと思い込んでいるらしい、レンタルボディーガード。
 契約によって、緊急時を除き人前では姿を現さない事になっているのだけど。
 車内という、私とキャスターのみとなったこのタイミングで出てきたようだった

 大丈夫。大丈夫。落ち着け。
 バクバク鳴る胸を撫で下ろしながら平静を装う。
 キャスターの言う通り、ビビり過ぎだ。
 怖いけど。彼は私に触れられない。そういう契約になっているのだから。

「嗚呼……ジュリエット……」

 あ、めっちゃこっち見てる。あ、凄っっっごく見てる。あっ、身を乗り出してきた。あー怖い怖い怖い。

「僕の愛する人、美しき花よ。バラ……ヒマワリ……コスモス……いいや、どれも違う。
 困ったな……どんな花も、君の美を譬えるには不足している。
 その可憐さの前ではどんなに綺麗な花弁も嫉妬に枯れ、萎れて頭を垂れるだろう……!」

 ずいっと肩を寄せてきたロミオは、その白く長い指先を私の手元に伸ばしてきた。

「ちょっ……あのっ……接近禁止……接近禁止……」

「君は星……天に輝く一等星。夜空の宝石。
 その蠱惑な煌めきを眩した光で僕の心を狂わせる」

 耳元で囁かれる甘い口説き文句にゾゾゾと(恐怖で)鳥肌を立てている間にも、彼の指は私の指先から腕へと撫でるように這い上がる。
 ちなみに彼は器用にも、指を私の身体にギリギリ触れない1センチ手前で留めながら動かしていた。
 たしかにこれだと触れてはいない、ギリギリとはいえ『接触しない』という契約は守られている。
 いや……守られている……けども……。

「僕の手……足……心臓……全ては君のものだ。
 なのに愛する妻よ……君に触れられない日々が辛い……」

 接近禁止令からまだ半日ですよね。
 ところで、あの、私、いつ結婚したんですか?

「誓うよ。君が夢を叶えた時、僕達を阻む障壁が取り払われたその時。
 僕は、もう二度と、君を離さない。君を傷つける全ての悪夢から攫ってみせる。行こう、今度こそ。
 キャピュレット家でもない、モンタギュー家でもない、どこか遠い、二人だけの寝室(らくえん)へ」

 あー、そっか。
 そういえばロミオとジュリエットは劇中で物凄いスピード婚を決めていたっけ。
 つまり彼の中では、私は彼女というかもう奥さんなわけか。
 はは……なるほど、そういうことか……ははは……タスケテ。

「もちろん、僕は君の夢を心から応援するよ。
 だが運命の星よ……これ以上僕らの愛を阻むなら……!」

「なぜ、恋を知るべきと?」

 そこで、見るに見かねたキャスターから、ようやく助け舟が渡された。

「なんだって、ヨハン?」

 どうやら非常に的確な横槍だったらしく、ロミオの注意がキャスターの方に向く。
 流石、恋に狂えるバーサーカー。恋の話題はスルー出来ないみたいだ。

「あなたは先程、煌星さんに『恋を知るべき』と言った。
 その理由を尋ねたく。
 ちなみにロミオさんも、霊体化を解くならシートベルトをお願いします。警察に停められては面倒なので」

『煌星さん、調子を合わせてください』

「そうだよ、ロミオ。ちゃんとシートベルトしなきゃ危ないよ」

「おっと、これは失礼」

 すると素直に私から離れ、きちっとベルトを絞めるバーサーカー氏。ちょっとシュールだ。
 この程度の拘束には何の意味もないと分かってる。
 でもシートに固定された姿を見ると、ちょっとだけ精神的に落ち着くことができた。

「一応、アイドルは恋愛厳禁とされる時代ですがね。
 あなたの助言となると、聞き流すことも出来ないので」

 いまキャスターの言った事はきっと、殆ど嘘なのだろう。
 彼が、バーサーカーにアイドル活動に有効なアドバイスを期待しているとは思えなかった。
 会話によって、ロミオの気を逸らしているだけなのだと。

 そう思う一方で。
 私は少しだけ、聞いてみたいと感じてもいた。

「なぜ? そりゃあだって、彼女は言ったじゃあないか。強くなりたいと」

 そう、言ったのはたしかに、他ならぬ私自身だから。

「恋愛が駄目だというなら、親愛でも、友愛でも構わない。
 でもやっぱり、一番いいのは恋することさ。不治の熱病にように燃え上がる恋。
 一度、本気で誰かを愛してみるといい。
 誰かを、自分だけのものにしてしまいたいと。狂おしいほどに、求めてみるといい。
 そのとき、きっと君に不可能はないだろう。なぜなら―――」

 キャスターや、ノクト・サムスタンプのような、計算高い人たちが聞けば一笑に付すような。
 狂人の理論。盲目の戯言。なのに、なぜか。

「愛の力に、際限など無いのだから」

 彼が語ると、無視できない凄みを感じてしまう。
 なぜなら彼自身が、今にもそれを証明してしまいそうな情念を、常に身に纏っているから。

『煌星さん、わかっているとは思いますが』

『うん、ちゃんと聞き流してるよ。本気にしてないから、安心して』

 事前に教えられていた取り決めを思い出す。
 本当の意味で狂人とコミュニケーションを取ることはできない。
 取ろうとしてはならない。このやり取りは全て、上辺だけのもの。

 いまキャスターが行っているのは誘導であって会話じゃない。
 ロミオの気が済むまで、あるいは目的地に到着するまで、意識を上手く逸らしているだけ。
 分かってるよ。恋も、愛も、それが齎す無限の力も、ぜんぶ非論理的な幻想だ。
 ファウストはそういった根性論的なものを、私の育成方針から徹底的に排除してきた。

「なるほど、貴重なアドバイス、ありがとうございました」

 歌やダンスのレッスンも、日々の(そんなに多くないけど)仕事の進め方も。
 とにかく現実主義のロジカルなプロデュース。ただそこに、退路が無いというだけの。
 と、そこまで考えて、私は僅かに引っかかりを覚えた。
 いったい何に対する疑問なのか、分からないままに。

「ところで、ロミオさんは今、どうして出てきたのです?」

 話題はするりと次へ移ってしまう。
 恋を知る云々で引っ張るのは難しいと判断したのか。
 方向を変えた問いにロミオは、

「ああ、そうだ! 思い出したよ!」

 また私を見た。
 なんだかとっても、嫌な予感がするんですが。

「恋の歌の、続きが聞きたかったんだ!」

「歌って……もしかして、『きらきらぼし』のこと?」

 ええっと、たしかに先ほど、少々口ずさみましたけども。

「あの素敵な歌は、『きらきらぼし』というのかい?」

「うん、でも別に恋の歌ってわけじゃないし、私の歌とか聴いても全然楽しくな―――」

「いいや、あのメロディーは恋の音色さ。
 それにジュリエット、君の歌声は僕を癒やす唯一にして最上の福音なんだ。
 どうか、続きを聞かせておくれ、君の恋歌を……!」

「でもでも歌詞聴いてたなら分かると思うんだけど本当に恋の歌じゃないし、私は」

『煌星さん、諦めて調子を合わせてください』

「恋の歌です。一生懸命歌います。ハイ」

「嗚呼、嬉しいよ。ジュリエット」

 抵抗虚しく、恐れていた流れになってしまった。
 ロミオは既にシートに深く身体を沈め、目を閉じて聴き入る体勢に移っている。
 たしかに、これで目的地に着くまで、彼を大人しくさせられるかもしれない。

『でもさあ、キャスター。あとどれくらいで着くの?』

『だいたい15分程度ですね。出来るだけ急ぐので、頑張ってください』 

 ちょっとまってほしい。
 あと15分も、煌星満天ソロリサイタルで間を繋げというのか。
 この恋に狂える戦士を、恋歌ならぬ星の童謡で宥め続けろと。
 そして、これからもずっと、魅了(だま)し続けろと。

『アイドルとして、この街の全員を魅了するのでしょう?
 彼もまた、ファンの一人。やってみせてください、それが契約です』

 こんのっ、あーーーもう!
 上等だっての! やってやるわよ!
 なんて、差し込まれた発破に分かりやすく乗った私は、やけくそ気味に咳払い。
 狭い車内で深く息を吸い、しっかりと喉を開いて、あどけない歌詞を声に乗せる。 

 幸い渋滞もなく、私達を乗せた車は目的地に向かってスムーズに進んでいた。
 窓ガラスの向こうでは、ゆっくりと太陽が沈んでいくのが見える。
 懐中時計の針は天頂を目指して動き続けている。

 夜はもう、すぐそこまで。
 路上の街灯、オフィスビルから溢れるLED電灯、対向車両のヘッドライト。
 淡い尾を引いて過ぎて行く幾つもの閃光、それは流れる星々のようにも見えた。

 もうすぐ、空にも本物の星々がやってくる。
 いや、それすら街と一緒に作られた、偽物の空なのかもしれない。
 だけど本物であれ偽物であれ、夜が連れて来る闇の恐怖に差異はなく。


「きらきらひかる おそらのほしよ」


 にじり寄る影を払うように私は歌う。
 初めてこの歌を聴いた日のことを思い出しながら。


「またたきしては みんなをみてる」


 あれは確か、両親の帰りを待ちながら、一人で教育テレビを観ていたとき。
 いいや、違う。あのときじゃない。


「きらきらひかる おそらのほしよ」


 テレビを観て、初めて"その旋律(メロディ)の曲名を知った"けど。


「みんなのうたが とどくといいな」


 初めて"その旋律(おと)を聴いた"のは、もっとずっと、前のこと。


「きらきらひかる おそらのほしよ」


 暗い闇の中、初めて聴いた。
 その声は、テレビから流れるものではなかった。
 その声は、日本語ではなかった。
 その声は、人間のものですらなかった。
 その声は―――その歌は―――その、旋律(けいやく)は―――





 Twinkle, twinkle, little star, / 煌々瞬く小さき星よ。


 How I wonder what you are. / 汝の正體を此処に顕せ。


 Up above the world so high, / 天蓋穿つ遥か彼方。


 Like a diamond in the sky. / 宙に臨む光彩の如く。


 Twinkle, twinkle, little star, / 煌々瞬く小さき星よ。


 How I wonder what you are. / 汝の正體を此処に顕せ。





 時刻は日没直前。港区北エリア。

 住宅地から少々離れた場所に位置するその区民センター周辺は閑散としており、近隣ではもうじき閉館されるのではないかと噂されていた。
 出勤時間を除けば人の声や車両の音が聞こえることは極稀で、今も周辺を飛ぶカラスの鳴き声しか聞こえない有り様。
 利用者の足は絶えて久しく、一方で無断で欠勤するスタッフは数を増すばかり。
 実際、来週には施設利用を一部休止する予定が告知されており、今のところ再開の目処は立っていない。

 蝗害をはじめとした様々な異常因子は東京という都市を蝕み、着実に社会機能を殺し始めていた。
 少女の我儘から産み出された都市は、他ならぬ少女の呼び寄せた怪物共によって静かに死へ向かっていく。
 やがて行き着くは〈1度目〉と同じ、無法の応酬、破滅の荒野へと転がり落ちる。

 しかし今はまだ、狭間の期間。
 細々と、それでもしぶとく、人の営みは理外の怪物達に無言の抵抗を続けている。
 火を絶やすな。文明社会を維持せよと。それは無意識下に共有された集合意識が織りなす指令によるものか。

 この区民センターもまた、残り僅かな期間なれど、今はまだほぼ完全なカタチで機能を維持している。
 そして今日、出勤していた数少ないスタッフは驚いたという。
 朝からほぼ一台も駐車のない機械式駐車場に、夕方になってスモークフィルムを貼り付けた高級車が二台も入庫したのだ。

「煌星さん、申し訳ありませんが、前言を撤回します」

 それは彼等が、待ち合わせ場所に到着する直前のことだった。
 磨かれた革靴で駐車場の砂利を踏みしめながら、スーツ姿の男は細い指先で黒縁メガネを押し上げる。
 視線の先では、ゴミ捨て場にたむろしたカラスの一群が、沈む陽光を背景に飛び立っていた。
 車外に出ると同時に、狂戦士が霊体化するのを確認し、
 キャスター・ファウストを騙る悪魔、プリテンダー・メフィストフェレスは背後に立つ己がマスターに告げた。

「ここは気晴らしにはならない。
 むしろ最悪の場合―――戦場になります」

 日中の時点で、区民センターのホールと貸し会議室を数部屋ほど押さえていた。
 その会議室の一つ、施設2階の大会議室が、同盟相手となる輪堂天梨との会合場所。
 満天も天梨も、それぞれ夜から別の場所でアイドルとしての仕事が入っている。
 よってこれはスケジュールの狭間に差し込んだ密会。
 そして同時に、近い将来に予定されている"対談にして対決イベント"の事前インタビューや簡単なPV素材を収録してしまう予定だった。

 なんにせよ、会合のメインとなる内容は『輪堂天梨の置かれている状況の打開』。
 まず輪堂天梨の契約した悪魔。メフィストに言わせれば、まがい物、偽物なれど、偽物が本物より悪意と武力に優れぬ決まりなどない。
 彼はそれを理解している。そして実際に感じ取っている。数度遠目に伺うだけで分かるほどの、凶悪な存在規模を。
 そして天使が晒されている無貌の悪意。顔の見えない無数の誰かが、天使を堕とさんと投げかける汚泥の礫。
 メフィストの協力によって、これらを解決、あるいは好転、満天にとってのラスボスに足る天使の延命を図るのが、会合の主目的であるはずだった。

『い、いきなり戦場って……どういう意味?』

『なんの比喩でもありません。状況が変わったんです』

 施設に入り、広いエントランスを抜ける間にも、メフィストは満天に状況の要点を叩き込む。
 当初はこの場所で、満天にアイドルとしての試練を与えるつもりだったが、もはやまるで話は変わっている。
 これはアイドル活動ではなく、単なる殺し合い、戦争の領分。
 つまりプロデューサーではなく、サーヴァントとしてのメフィストの仕事だ。

『いいですか? 会合の間、今から私が言うことを絶対に最後まで守ってください。
 "勝手に話さない。勝手に動かない。勝手に魔術を使わない。"
 会話や動きは、基本的に私の指示に従うこと――わかりましたか?』

『分かったけど、せめてもうちょっと状況を教えてよ。
 天梨ちゃんに……なにかあったの?』

 人気のない階段ホール。
 早足で進むメフィストを小走りで追い抜くようにして、満天が正面に立つ。
 その不安げな表情を見返して、ファウストは少しだけ足を止めた。

『直接会うまで状況は分かりません。ですが、私のスキルの一つに、気配感知を包括したものがあります』

『え、なにそのスキル、初めて聞くんだけど』

 メフィストフェレスは単体武力に乏しい反面、特殊技能と隠匿、索敵、状況分析に突出したサーヴァントである。
 直接戦闘ではなく、擬似的な気配遮断、気配察知、契約魔術と契約宝具による狡猾な立ち回りが彼の真骨頂だ。
 特にスキル〈愛すべからざる光〉による情報隠匿はマスターにすら作用しており、満天はその全貌を把握していない。

『今は時間もないので説明を省きますが、そのスキルにサーヴァントと思しき魔力が掛かりました。
 重要なのはその魔力が、輪堂天梨の契約しているサーヴァントと別個体であること。
 そして、接近して初めて察知できたということ。つまり、ロミオさんのような、気配遮断スキルを有する。
 この施設には、アサシンかそれに近い特性を持つサーヴァントがもう一体紛れ込んでいる』

 ピリ、と。満天の表情にも緊張が走った。
 つまり考えられる可能性は2つある。

 一つ、満天と天梨、2つの陣営とは別の第3陣営が暗殺に優れた従者を連れて潜んでいるとしたら。
 まずこの可能性を考慮しているために、メフィストは逃げの手を打てない。
 満天陣営があからさまに撤退すれば、第3陣営は先に施設に到着している天梨の暗殺を狙うかも知れない。
 そうなれば天梨が単身で対処できる可能性は非常に低い。

 そして2つ、こちらのほうがより深刻な状況だ。
 他ならぬ輪堂天梨が別の陣営と結託してこの場に臨んでいるとしたら。
 はっきり言って、接触には相当の危険が伴う。
 なぜならば、輪堂天梨が事前にそれを知らせて来なかったという事実を考慮するに。
 天梨は既に別陣営のコントロール下にある可能性が非常に高いということになる。

 天使を取り巻く状況は変わってしまったのかも知れない。
 この、たったの数時間で。
 そしてもう一つ大きな懸念点がある。
 状況が変わったとすれば、それはこちらの陣営も同じことだ。

『大丈夫……かな』

『幸いにも、今の我々にはロミオさんがいます。
 万が一、戦闘に発展した場合も対応は可能でしょう。
 少なくともあなたの身の安全は―――』

『そうじゃなくてっ! 天梨……ちゃんは、大丈夫なのかな?
 暗殺者のサーヴァントがいるかもしれないって、早く教えてあげないと!』

『……そうですね。では急ぎましょう。
 くれぐれも、先程の決め事は守るように』



 ■


 そうして、陽の日が遂に沈む頃。
 たどり着いた大会議室にて、彼等は対面する。
 2つある入口の内、西側から入室した煌星満天とそのサーヴァント、ファウストを騙るメフィストフェレス。

 反対側、一足先に東側から入室していたのだろう、防音加工が施された壁際に一人の少女が立っていた。
 若干地味めな私服、帽子とサングラスで変装した姿であっても、その存在感を消し去ることはできていない。
 ドアの引かれる音に気付いた少女がくるっと振り返る。
 カールした薄紫色のショートカットが揺れ、それにあわせて背負っていた大きめのリュックサックが弾む。

「おはようございます。
 満天ちゃん。
 それから、満天ちゃんのプロデューサーさん」

 二人に向き直った輪堂天梨は微笑みながら、ぺこりと頭を下げた。

「おはようございます。輪堂さん」

「お、おはようございます。天梨……ちゃん」

 時刻は日没直前であったものの、『業界での挨拶』を交わし、彼等は向かい合う。
 互いに距離を縮め、5メートル程度の地点で、両者、一旦足を止めた。

「満天ちゃん、わざわざ港区まで、ごめんね。
 私の仕事の都合に合わせてもらっちゃって……」

「……あ、ううん!
 実は私の仕事も……夜から渋谷で……あっ、と、通り道だったから」

「そうなんだ。私は新宿でラジオ収録なんだ。
 ふふ……満天ちゃんは渋谷なんだ。隣の区だね」

 現時点で、誰も知らないことであったが、このとき、既に役者は揃っていた。
 しかし少女二人と、それ以外の存在との認識は大きく乖離している。

 純粋に再会を喜ぶ二人の偶像(アイドル)。
 これより始まる爆心の真ん中で、中心たる彼女たちのみが何も分かっていない。
 天梨も、満天も、共に後見人から念話で戦略的な指示・アドバイスを受けながら話している。
 しかし互いに純真な心でコミュニケーションを図る彼女たちは、それぞれ微妙に指示者の意図を汲みきれていなかった。

 異様なる状況。嵐の前の凪。事の全てを把握している者はただの一人もなく。
 ただ、カードが捲られる時を待っている。
 この会合が2陣営、いや4陣営による熾烈な情報戦に雪崩込む事など、未だ誰も完全に読み切ってはいなかったのだ。

 しかしこの時点で、波乱の予兆はあった。
 メフィストフェレスは人知れず、その衝撃に瞠目する。

(まさか……これは一体……どういうカラクリだ……?)

 察知と分析に長ける彼は"今の天使の姿"を見た瞬間、状況の大枠を理解したのだ。
 これは第3陣営による介入などではない。
 つまり想定していたパターンの後者、天使の状況が明確に変わったのだと。

(馬鹿げている。これが昼の電話の後に起こった事象だとすれば。
 たった半日にも満たない時間で、一体何があった)

 輪堂天梨が、想定を超えるレベルの羽化を開始している。
 そうとしか表現できない。


 当初危惧していた転変は起きていない。
 彼女は天使のまま、誰も焼かない優しき陽のままで。
 "愛されるべき光"という在り方を変えぬままに、存在規模と階位が跳ね上がっている。
 しかし限度というものがある。このまま高度を上げ続ければ、それは空に有る者としての格に留まらぬ飛翔。
 天の翼。つまり彼女もまた―――星に届き得る核を持ちうると。

(クソが、全く嗤えねえ。誰がガキに劇薬(チート)を与えた)

 これはこれで、シナリオに変調をきたしかねない。
 空を超えて星に至る物語が、星と星の喰らい合いに様変る。
 そして何よりも、"万が一それが転変したときの被害規模は、想像もつかない次元である"ということだ。

「あの、プロデューサーさん。
 実は本題に入る前に、紹介したい子がいるんです」

 目前の事態に高速で思考を回すメフィストへと。
 さらなる追撃を加えたのは、何ら悪意もない少女の声だった。
 いつもの天真爛漫な調子を少し萎めた、彼女にしては若干珍しい様子。

「伝えるのが遅くなってごめんなさい。
 ホントは会う前に、このコト、連絡しなきゃいけないって分かってました。
 でも『どうしても会うまで言わないでほしい』っていう、この子のお願いを優先したんです。
 絶対に危ないことはしないって約束したけど、その上で私が決めたから。だからこの子は悪くなくて、悪いのは私です」

 気まずさ、申し訳無さを覗かせるそれは、何者かにコントロールされた様子には見えない。
 輪堂天梨は輪堂天梨のまま、純真なる心のままで、それを成し遂げてしまった。
 それこそが狡猾なるメフィストフェレスをして、危機的状況に陥る最たる理由であると、少女は知る由もない。

「ほむっちも、いい? 大丈夫?
 ん、分かった。じゃあ開けるね」

 『よいしょっ』という、可愛らしい動作でリュックサックを背中から胸元に一回転させ。
 傍らの机にそっと置いた天梨は、チャックを解き、中に詰められていたモノを取り出していく。
 するりとビニルの繊維が捲れるのが、悪魔には何故か緩慢な動きに感じられ。

「ほら、満天ちゃんにも紹介するね。
 この子は、『ほむっち』」

 そうして天使の微笑みと共に開帳された瓶詰めの爆弾が、

「私の、友達」


 止めるまもなく起爆した。



『――――【索敵/掌握(searching)】』







 超々至近距離で起爆した不意打ちに、悪魔は驚きを通り越し驚嘆の念すら感じていた。
 善意の運送人(キャリアー)とはかくも鮮やかに奸計を果たすか。

(――――やられたな)

 それは反情報爆弾、或いは"情報爆縮"と呼称される。
 ホムンクルス36号に搭載された機能の一つにして、1度目の聖杯戦争においてガーンドレッド陣営が最も多用した基礎的な付加技能(オプション)であった。
 即ち彼が平時から誇る超高性能な魔力感知。その全力展開ならぬ全力収束。
 瓶の内側から半径数キロにも及ぶ広範囲の魔力情報を一気に吸い上げ、持ち前の解析力で余さず咀嚼する。

 攻撃魔術を一切使用できないホムンクルスの、しかしこれは最も単純にして強烈な情報略奪。
 彼の索敵範囲内では原則的に魔術を纏う存在はその隠匿を許されない。
 距離が近いほどに解析精度は高まり、近距離であれば気配遮断すら貫通する。
 つまり、今このとき、不意打ちの上に超至近距離で被爆したサーヴァントにとっては当然ひとたまりもなく。
 放たれた光彩が、いざ悪魔の正体を暴かんと迫りくる。

(――――いや、まさか、まさか、"ここまでやる"のか、輪堂天梨!)

 してやられた悪魔は今度こそ、少女の成し遂げた暴挙こそを喝采した。
 こんな化け物をどうやって手懐けた。こんな鬼札をどこから取り出した。
 何よりこれら一切を、洗脳されているでもなく、誰の策に操られるでもなく、少女自身による100%の善意でもって動かした。
 それは策士を殺す一手。策謀ですらない、純真なる心がもたらした奇跡を予見することなど、本物の悪魔にすら不可能だ。

(お前はもう魅了してやがるのか、この凶星を。嗤えねえにも程がある)

 天敵と言っても過言ではなかった。
 偶然にも、隠匿および索敵の能力面において彼等は似通った特性を持つが、一つ決定的な差異がある。
 サーヴァントは魔力で編まれた存在である以上、どれほど気配を遮断しても魔力量をゼロにすることは出来ない。
 一方、マスターであるホムンクルス36号は生まれもった極小の魔力を、瓶中に留める技術に優れている。
 よって、気配感知をもってしても気づくことが出来なかったのだ。

 メフィストも警戒を怠っていた訳ではない。
 アサシンの気配を感じ取った瞬間から、敵マスターの気配を常に探っていた。
 しかしそれが、輪堂天梨のリュックサックから不意に現れ。
 突如にして、これほど偏った特性を開帳するなどと。

(―――だが舐めるなよ人形。それで俺の手を見たつもりか?)

 対抗処置。咄嗟の判断による、複合スキルの全力励起。
 メフィストは略奪間際に、宝具を含め致命的な情報を高速で改竄してみせた。
 数枚の札は抜かれたが、すんでのところで、悪魔は正体を白日の下に晒される事態を回避したのだ。

『――――ふむ』

 ややあって、全員の思考に直接届く念話。
 それは机の上に置かれた瓶の中、逆さに浮かぶ赤子から発されたものだ。
 ホムンクルスはぐるりと室内を見回し、おもむろに口を開いた。

『この距離で私の掌握を躱すか。
 キャスターのサーヴァント、ヨハン・ゲオルク・ファウスト。
 其方、気配遮断、察知に優れるサーヴァントと理解した』

 情報爆縮から逃れたという事実だけで分かるものもある。
 放たれた一矢。既に戦いは始まっている。先の爆縮によって、既に開戦の火蓋は切られている。
 二人の少女が事態に追いつけぬままに、メフィストとホムンクルス36号にとって、此処は既に戦場に変わっているのだ。

「こちらが名乗る前から随分な挨拶ですね。ほむっちさん?」 

『ホムンクルス36号だ。其方らはそう呼ぶといい』

「ええ、そのほうが良いでしょうね、お互いに」

「ねえ、ほむっち。今のなに?」

「キャスター、これ……赤ん坊……?」

 一拍遅れ、少女二人がそれぞれの疑問を言葉にし。

『天梨。私は彼等を"物理的には"傷つけない。
 事前の取り決めだ。違えることは決してない。
 だがこうも言ったはずだ。私の目で、彼等を見極めたいと。君はそれを了承した』

『ホムンクルス。魔術師が生み出した人造生命体です。
 それも非常に古い、瓶詰めタイプの。彼について今できる説明は以上。
 それからもう一度言いますが、煌星さん、あなたは勝手に喋らないでください。
 自覚していないようですが、既に我々は攻撃を受けています』

 それぞれのブレーンが押し留める。

「確かに……信用するかはどうかは、ほむっちが判断していいって言ったけど。
 でも相手の人たちに失礼ないように、とも言ったよ?
 私はいま、ほむっちが何をしたのか分からないけど、ぶしつけなことしたのはわかるよ」

『ならばそれは済まなかったと、謝罪する。
 私にとっては、天梨と私の安全確保のために、最低限やらねばならない状況掌握だったのだ。
 偽るつもりが無かったことは、いま私がこうして話し続けていることで、証明とさせてほしい』

「ちょっとズルいと思うな、それ」

『重ねて、済まない』

 サーヴァントから二度も釘を刺され、押し黙る満天とは対象的に、天梨はホムンクルスに対して疑問を投げ続けている。
 同じ高さで言葉を交わし合う彼等を見てメフィストは状況を再確認した。

 やはり天梨はホムンクルスのコントロール下にはない。
 アドバイスや忠言こそ行っているが、ホムンクルスが上位ではなく、なんならホムンクルス側が天梨に気を使っている節まである。
 ならばこの先どのような流れになるか、彼には予想することが出来た。

『しかし、これから話す事項は非常に重要だ。掌握の結果が出た。
 たとえ天梨の感性で、彼らに対し失礼に当たるとしても。
 私は我々の安全の為に言わねばならない。どうか、御身の許しを得たいと思う』

 メフィストフェレスは先程の情報爆縮を切り抜けた。
 読まれたのは一部スキルとステータス、そして改竄後の第一宝具の内容と改竄後の真名とクラスのみ。
 正体を特定する情報は渡していない。だがそれをもって完全に回避したとは言えなかった。
 何故なら、メフィストは自身の情報だけを隠せば良かったわけではないのだ。

「うん、じゃあ一旦聞く。
 ほむっちを信じるって決めたのは私だし。
 でもほんとに、失礼ないようにだよ」

「善処する」

 よって組み立てねばならない。
 この先起こる状況への対処を。

「満天ちゃん。それから、プロデューサーさん。
 勝手なことばっかり言って、本当にごめんなさい。
 私、今日、ここに来る前に、この子と出会って。
 それでたくさんお話しをして、友達になるって決めたから。
 だからもうちょっとだけ、この子の話を聞いてあげて欲しくて」

「構いませんよ。既に流れは決まっていますから」

 心底申し訳無さそうな天梨にそう返し。
 なにか言いたげな満天を目で制しながら。
 メフィストはホムンクルスへと、言葉の続きを促した。

『では、話そう』

 そうして切り出された一言目は、大方予想していた通りの物だった。

『単刀直入に言う。私は彼らとの同盟に強く反対する。
 天梨、君は即刻この場を離れ、以後彼らとの交流は一切断つべきだ』 

「―――!」

 衝動的に反論しそうになったのも、予想通り天梨と満天の二名。
 天梨は一旦聞くと言った自らの言葉を思い出して堪え。
 満天は普通にメフィストに制止されて涙目になっていた。

「なるほど、やはりそのように判断されますか」

『ああ、其方は一切信頼できない。
 まずキャスター。
 自らのマスターにすらクラスを偽り、正体を隠し続ける存在をどうして信頼できる?』

「……え?」

 差し込まれた情報の刃に、分かりやすく反応したのはメフィストではなく、そのマスターだった。
 ホムンクルスの言う意味が飲み込めず、少女は自らのサーヴァントを見上げる。

「あなたは私のステータスを殆ど覗けなかった筈だ。
 適当な言葉でマスターを混乱させないでほしいのですが」

『別にカマをかけたつもりもない。事実、其方はうまく情報を隠しきった。見事な手際だ。
 認めよう、スキル、クラス、宝具、どれも私が読み取った際には既に改竄された後だった。
 しかし"改竄された跡"までは完璧に消す時間が無かったようだな?
 其方のクラス、〈キャスター〉には改竄された形跡があった。にも関わらず先程、そこにいるマスターは、其方をキャスターと呼んだ』

「キャスター……それってどういう……」

『マスターも調子を合わせて、改竄後のクラスで呼称しているなら納得する。
 しかし、その様子を見るにどうやら違うようだ』

「はあ……教育に悪いですね。あなたは」

 ため息を一つ。
 ホムンクルスへ向け鋭利に変じた視線が、背後の少女には見えぬよう注意を払い。
 彼はいつも通りの落ち着いた声音で言った。

「煌星さん。質問なら後で受け付けます。が、今はその時ではありませんので」

「……うん。わかった」

 意外にも素直に引き下がった少女に背を向けたまま。
 メフィストは話の続きを促す。

「うちのを揺さぶっても無駄です。さっさと本命の理由を言ったらどうですか?」

『では続けさせてもらおう』

 事実として、それがホムンクルスにとっての核心。
 瓶の中で彼はくるりと回転し、天梨へと向き直り言った。

『彼等はノクト・サムスタンプと通じている。
 天梨、私は御身に強く忠言する。
 絶対に、奴の息がかかった陣営と関わってはならない。絶対にだ』

(やはり、そうだったのか)

 状況が予想通り混迷していくことに、メフィストは心中で再度ため息を吐き出した。
 と同時に、組み立てていた仮説に確証が得られる。

(ノクト・サムスタンプの存在を把握しているだけでなく、非常に強く警戒している。
 このホムンクルスは十中八九、前回の参加者か)

『なぜ気づいたかは、其方には説明するまでもないだろう』

「ですね」

 ノクト・サムスタンプ。魔術使いの傭兵にして契約魔術のプロフェッショナル。
 かの男の剣呑さについては、直接対面したメフィストも理解している。
 故にこそ、ホムンクルスの警戒も分かるのだ。

 と言うよりノクトを知ったうえで自由意思を維持できた者は皆そう判断する。
 詐欺師を信用してはならない。それは詐欺師と通じてしまったものも同様にだ。
 僅かでもノクト・サムスタンプと関わってしまった者は、既に手遅れと判断して交流を切る。
 それが唯一安全な選択であると。

 そして、ホムンクルス36号/ミロクは、ノクトの危険性を最もよく知る六人の一人だ。
 彼は許容しない、ノクトと繋がっているメフィストと満天を。
 つまりこの同盟は、ノクトとミロク、二者の陣営に分かれてしまった時点で、既に破綻していたのだ。

「やれやれ……使いたくない手だが、他に道は無いか」

 たった数時間で激しく変化してしまった状況。
 混迷深める聖杯戦争の渦中。
 破綻した二陣営のつながりを、しかし彼はまだ諦めていなかった。
 ここで天使との交流を絶たれてしまう事態は、シナリオを大きく遅らせてしまいかねない。

 男は計略を巡らす。
 悪魔、メフィストフェレスは思考する。
 行き詰まりの同盟。破綻した関係を修正するべく。

 この状況を打開する一手を。

「……私から一つ、提案があります」

『断る』

「せめて内容を聞いて下さい」

『何を言うかは分かっている。故に、断ると言っている』

「だとしても、決めるのはあなた一人ではないはずだ」

 促すように輪堂天梨を見れば、合わせるように一声。

「……ほむっち。
 プロデューサーさんは、ほむっちの話を最後まで聞いてくれたんだから。
 私はプロデューサーさんの話も、ちゃんと聞くべきだと思うな」

『…………』

 メフィストにとって満天がウィークポイントになり得るように。
 ホムンクルス36号にとって天梨がそれに当たると見たのは、そう間違ってもいないようだった。

『危険だと判断すれば、輪堂天梨の意思を問うまでもなく。私はすぐさま行動に移す』

「それで構いませんよ」

 コツコツと外から窓ガラスが叩かれるのと。
 メフィストの手元にあるスマートフォンが震えたのは、ほぼ同時だった。
 窓を開け放つと黒い影が会議室の中に舞い込んでくる。

 それは一羽のカラスだった。
 ぐるりと部屋の中を旋回した後、メフィストの手前、つまりホムンクルスの対面の机に降り立った。
 ようするに、そのカラスこそ、彼等とノクト・サムスタンプとの繋がりを掴む証拠になっていたのだ。

 懸念通り、因果は確執として表面化した。
 状況が変わったのは天梨だけではない。満天の陣営もまた、ノクトとの協定という、大きな動きがあったのだ。
 ノクトは契約した大量の使い魔を利用して、東京中に監視の目を配置している。
 ならば同盟相手である満天とメフィストの周囲に、その目が配置されていない道理がない。
 メフィストも目が在ることは分かっていた。気づいていても、それらを爆縮から逃す手立てが無かった。
 秘匿できたのはメフィストの情報のみ。
 周囲で監視していたカラスの使い魔はもれなくホムンクルス36号の探知に引っかかり、こうして2陣営の軋轢に至っている。

『あー、あー、聞こえてるか? 目と耳はカラスで足りてる。
 が、発声の契約までは結んでねえ。悪いがスマホのスピーカーで頼むぜ』

 危険は承知している。
 それでも、やるしかない。
 引き裂かれる2陣営を繋ぐ、これが最後の一手。

 通話越しに聞こえてくるのは軽快な口調。
 反して低く重い男の声に、ホムンクルス36号の警戒が極限まで高まっていく。
 メフィストは通話を繋げたまま、スピーカーモードに切り替えたスマホを机の上に、侵入してきたカラスの前に置く。
 カラスは大人しく机に止まったまま、対する瓶の中の赤子はその赤い目を見据えて言った。



『―――ノクト・サムスタンプ、か』

『―――よぉ、ホムンクルス。
 正直いって驚いたぜ。引きこもりを卒業したとはな』



 こうして、幕を開けた夜の入口にて。
 4陣営、4人のマスターが一堂に会していた。




 大会議室の中心にて配置された机は4卓。
 陣営ごとに独立してはいるものの、方角は大きく2卓ずつに分けられている。

 東側の2卓――輪堂天梨とホムンクルス36号/ミロク/ほむっち。
 西側の2卓――煌星満天(代理人:メフィストフェレス)とノクト・サムスタンプ。

 まず最初に口火を切ったのは、この状況を構築した悪魔、メフィストであった。
 彼は心理戦の手管に乏しい満天の代理を務める従者として、この場に臨んでいる。

「急な参加になりましたが、お時間は大丈夫ですか? ノクトさん」

『少しくらいなら構わねえよ。が、ぼちぼち俺も忙しくなる時間帯でね。
 あまり長くは無理だし、会合が終わり次第、おたくらに付けた目(かんし)も切らせてもらう』

「そうしていただいて結構ですよ。
 いちいち防音魔術を行使したり、動物の目を避けて話すのも面倒でしたから」

『やっぱり気づいてやがったのか。食えねえ奴だ』

「あなたにだけは言われたくありません」

『それで? 話し合いをするんだろ? さっさと始めようぜ』

 期せずして開始された2同盟対抗の討論(ディベート)。
 メインテーマは『天梨陣営と満天陣営による同盟の是非』。
 接触直前に相容れぬ2者同士と結びついたしまった彼等の、着地点の探り合い。
 それは水面下で4陣営による、特に内3陣営による壮絶なる腹の探り合いへと発展していた。

 表向きのテーマこそ同盟の是非であるものの。
 到達目標はこの時、各個で全く異なっているのだ。

 まずホムンクルス36号/ミロクは現時点で、この同盟の成立を完全に見限っていた。
 彼は天梨を説得し状況から離脱することを第一目標に行動している。
 施設に接近した時点で、ノクトの使い魔を検知した彼は天梨に即刻退避を提案していた。
 メフィストへ事前通知させずに姿を現したことすら、どうしても会いたいという天梨に対して、最大限譲歩した結果だったのである。
 彼はサブミッションとしてノクト側の情報を引き出す試みを行う構えこそ在るが、それ以上に接触を続けるリスクを重く見ている。

 次に満天の代理たるメフィストは反対に同盟成立に向けて弁舌を振るう。
 変貌しつつあるとはいえど、天使は今も、彼の育てる悪魔にとって成長するための重要なファクターなのだ。
 ノクトをテーブルに付けたのはギャンブルになる側面があったが、それでも必須であると判断した。
 同盟成立には満天陣営がノクトと対等な関係であることの証明が前提条件。
 故に彼はこの場にいなければならない。

 そして唯一リモートで参加しているノクトと言えば、彼は最も気軽な心持ちで臨んでいる。
 何故なら、彼はこの中で最も抱えるリスクが少ない。
 戦闘に発展しても被害は無いし、同盟の成否はどちらに転んでも彼にとって益がある。
 故に彼は、会合を通じて只管に参加者の情報を舐め尽くす算段である。

 最後に、天梨は息の詰まる思いで、ホムンクルスとメフィストを交互に見ていた。
 過去の因果と拭えぬ懐疑。部屋を満たす張り詰めた空気に心が沈む。
 彼女は、こんなことになるなんて思っても見なかったのだ。
 仲間が増え、協力の輪が広がるはずだった。そこに希望を見ていたのに。

「ほむっち……私、満天ちゃんとプロデューサーさんのこと、信じたいと思ってる。
 あなたのことを信じるって決めたけど、同じくらい、この人たちのことも信じたいよ。
 ほむっちが私こと心配して言ってくれてるのは分かるけど、なんとか仲良くできないのかな、みんなで」

『御身の気持ちは承知している。
 御身にすれば、そもそも決まっていた同盟に私が割り込み、妨害している形になっている。
 天梨が信じるというなら、煌星満天とキャスターを名乗るサーヴァントの事を、私も信じてみよう。
 ―――しかし、この男は別だ』

 平和的解決を望む天梨に、ホムンクルス36号は断固とした意を示す。
 カラスの赤い目を指し、

『ノクト・サムスタンプが背後にいる以上、御身の友人は既にヤツの支配下にあると見ていい。
 本人達は自覚していないかも知れないが』

 そして最大の侮蔑と共に、それを告げた。

『この男は"前回の聖杯戦争の参加者"にして。
 結果的に、戦争期間中、最も多くの一般人を死に至らしめた凶悪な詐欺師だ。
 断言する、この東京で最も警戒すべき危険人物の一人だと』

 あまりの誹議に、流石に天梨の顔色も変わる。

『ここは一旦避いて、期を改め、サムスタンプの洗脳から君の友人を救い出す。
 そういう話なら、私は協力を惜しまない』

『おいおい、とんだ風評被害だぜ。
 前回、無関係な人間をお構いなしに殺しまくったのは他ならぬ、お前のサーヴァントだったろうよホムンクルス』

 しかし等の本人は涼し気に、倍の口数で打ち返す。

『アレは非道かったよなあ。
 ガーンドレッドの阿呆共がバーサーカーを動かす度に、いったい何人踏み潰されたか憶えてるか?
 お前らは攻撃と補給(たまぐらい)が同時に出来て効率的とさえ考えたんだ。極東の猿が何匹死のうがどうでもいいよと。
 なあ嬢ちゃん? 俺はそれを止めようとしてたんだぜ。本当さ。
 教えてくれよ。この人でなしは、今度はいったいどんな悪辣なサーヴァントを呼んだんだ?』

 カラスの無感情な目が少女を射抜く。
 たじろぐ天梨を庇うように、ホムンクルスの念話が割り込む。

『天梨、間違ってもこれと口を効くな。一言も信じるな。これは言葉で人を飲み込む怪物だ。
 ……それとガーンドレッドの……簡単に一般人を巻き込んで殺害するような魔術師達はもういない。
 私はそのような戦い方はしない。御身が今、疑義を持ったとすれば、それは杞憂だ……』

『―――へぇ、お前、まさか本当にガーンドレッドを切ったのか!?
 そこの嬢ちゃんのリュックから飛び出たときも驚いたが、いやこりゃ傑作だぜ。
 祓葉の玩具からアイドルのペットに転職できたわけだ。大躍進だな』

『―――黙れ』

『さっきから俺や、そこのエセプロデューサーの事を、信用できないだのなんだの好き放題言ってくれたがね。
 こいつらとは対等な同盟関係だぜ。心配しなくても洗脳なんかしてねえよ。
 俺にとっちゃあ業腹ながら、ちゃんと二人とも認めてやってる。
 ま、疑われている根本の俺が言っても、信用できるわけねえか?
 だがよ、そこの可愛い嬢ちゃんこそ、自分が誰と組んじまったか自覚してるのかい?
 そいつこそ、そんなナリだが腐ってもかつての聖杯戦争を破綻させた怪物の一人。
 ホムンクルス36号、ガーンドレッドの奇作、人ならざる思考回路で動く人形に、あんたこれからずっと、命を預けられんのか?』

『そこまでだ。ノクト・サムスタンプ』

 冷えた声音。
 常に平坦だったホムンクルスの念話に、僅か、色が交じる。

『次、天梨に言葉(しせん)を向けたとき、私は実力を行使する』

 機械的だった言葉のペースに隠せぬ感情が走っている。
 それは彼が本気であることを物語っていた。

『やってみろよ。このうえ手札を晒してくれるなら大歓迎だぜ、こっちはな』

「―――ノクトさん」

 故に止めるならここであった。
 起爆寸前まで緊張した空気の中で、メフィストは己が一手が正しかったことを確認した。

「ここは会合の席です。挑発はやめましょう」

『そうだったな、悪い悪い』

 示し合わせたように引き下がるノクト。
 この男を会合に参加させたのはある意味でギャンブルだった。
 彼の存在は大きなリスクを抱えている。
 しかし今、状況を留めているのもまた、ノクトの存在に他ならない。

 会合において、ホムンクルス36号は大きな弱点を抱えている。
 それは彼が、自らの力で実行力を示すことが出来ない点だ。

 繰り広げる弁舌の席に、常に伏せられしカードが存在する。
 暴力、つまりは強制力だ。
 戦争において、全ての交渉はそれを背景に行われる以上、誰も無視できない。

 同盟の破棄を望むホムンクルスは天梨の説得を抜きにして、いつでも目的を達成する手段を抱えている。
 即ち、実力による会合の強制終了。
 ノクトを一番に警戒する彼に対し、ノクト本人を会合に引き入れた時点で、それを行使される可能性は五分だった。

 しかし、今を持って事は起こっていない。
 彼にとっても、ノクトと交流させられているこの状況は看過できない筈だ。
 それでも未だに実行に移さないのはなぜか。

 決まっている。彼にとっても、それはリスクであるからだ。
 自力で動くことすら出来ないホムンクルスが扱う暴力とは、自らのサーヴァントによるモノでしかありえない。
 よってそのカードの表面は、可能な限り見られたくない筈だ。
 特に彼が最も警戒する敵の一人、ノクト・サムスタンプには。

 その予測をもって、メフィストはリスクを承知で、会合にノクトの目を差し込んだ。
 ホムンクルスの行動を縛るために。
 状況が推量の正しさを証明し、事の輪郭をクリアにしていく。

(―――結果として、ヤツのサーヴァントがアサシンである可能性はより高まったな。
 ロミオや俺のような変則的な気配遮断を持つタイプなら、多少は武力の示唆を行うはずだ。
 ここまで出し渋るということは、余程タネを知られたくないか、他の事情があるか。
 いずれにせよ、俺とノクト・サムスタンプの視界を同時に塞ぐ出力は無いと見ていい。
 そも、マスターがあの魔力保有量だ。派手な運用は制限されて然るべきか)

 そして実際に彼の予測は当たっていた。
 ホムンクルス36号がノクトを警戒する理由は、ノクト本人の悪辣さに限らない。
 アサシンのサーヴァント、継代のハサン。
 その存在は、他ならぬノクト・サムスタンプにだけは、絶対に知られてはならないのだ。

(現在、私のアサシンの正体を知るは4陣営のみ。
 まずアンジェリカ・アルロニカと輪堂天梨とは同盟関係にある。
 脱出王と蛇杖堂寂句は敵対関係にあるが、仮に彼らがどこかでサムスタンプと通じていたとしても、
 情報がもれる事は無いだろう。なぜなら彼らも私と同じことを考えている筈だ)

 継代のハサンが2度目の聖杯戦争に連続して召喚されている。
 それをノクトに知られる事態だけは避けなければならない。
 彼が継代の存在を知れば何を考えるか。そしてまかり間違って再び手に入れてしまえばどうなるか。
 社会を蹂躙した未曾有の混沌。その再演が行われるのは火を見るより明らかだった。

 結果として、ホムンクルス36号は強制力を封じられた状態で、会合の席から逃れられずにいる。
 そして舌戦の分に置いて、彼は決して弱いわけではなく、むしろ明晰な頭脳と状況把握能力を備えた強者であった。
 それでも、この場においては、一歩劣ることは否めない。

 ここまで交わされた僅かなやり取りだけで、彼は幾つもの情報を引き抜かれていた。
 契約を極めし正真の悪魔、かつて一つの社会基盤を崩壊に追い込んだ詐欺師。
 かれらを同時に相手どるのは、狂気のホムンクルスにも至難であったのだ。
 このまま討論のフィールドにおいて戦い続けても趨勢は明らかであり、

『ではこちらからも問うが』

 故に、彼が打ち込んだ反撃は実に見事な着眼である。

『其方らが対等な同盟関係だと仮定しよう。
 であれば、そこの異様なるサーヴァントを、ノクト・サムスタンプはどれほど理解している?
 何を根拠に信用に足ると判断した』

『ほお、興味深い話だ。
 俺の目からは典型的な支援型宝具を扱うタイプのキャスターに見えたがねえ?
 お前は違うのかよ、ホムンクルス』

『彼は少なくとも自らのステータスを改竄するスキルを所持している。
 それも相当の高ランクだ。
 見かけの数値は全て信用ならない』

『―――へえ、そりゃいいこと聞いたな』

 話の水向きが変わった。
 会合において、ノクトが引き出そうとしている情報は、ホムンクルス36号のものだけではない。
 善意によって嘘のない同盟を結んだ天梨陣営に対し、ノクトとメフィストの同盟は今もビジネスライクな腹の探り合いを含んでいる。
 ホムンクルスはそこに、敵陣営の弱みを見た。

「支援、補助型の能力にとって情報は命です。
 改竄スキルの搭載はむしろ自然な部類でしょう」

『自身を召喚したマスターすら欺く改竄は自然の域か?』

『夢(げんそう)を守るのもお前の役目ってわけだ。
 仕事が多いなプロデューサー』

「それが必要なことなら」

 ノクトは正面のホムンクルスからの質問に答える体で、

(―――エセプロデューサーのやつも、ホムンクルスの探知能力は想定していなかった筈だ。
 ステータス改竄が本当なら、宝具以外の情報は修正するべきだな。
 しかし奴はどこまで正体に近づいた?
 例の他者強化型宝具の詳細につながるヒントを、奴を介して得るチャンスはあるか?)

 横方向にいるメフィストの能力に探りを入れる。
 これがメフィストにとっての、ノクトのリスクに他ならない。

「先程からこちらの陣営ばかり質問を受けていますが。
 私が気になるのはむしろ、あなたの立ち回りですよ。
 ホムンクルス36号さん。こちらの目線では、あなたが輪堂さんを抱え込んだ経緯は不明瞭だ。
 あなたが現在も――そう、『フツハ』さんの指示で輪堂さんを操っていない保証を得られていない。
 ともすれば、糾弾されるべき立場は逆転するでしょう?」

 それは先程の彼らの会話の中でこぼれ落ちた『"祓葉の玩具"(キーワード)』を装填した、即席の狙い撃ち。
 メフィストもまた、ノクトの方を向かぬままに反撃を返している。

『……茶番だな。だが、答えてやろう。
 私の忠誠は常に神寂祓葉の元にある。
 しかし、それは友誼の締結を損なうものではあり得ない』

 亡霊たちは誰一人、"彼女"に関する問いかけを無視できない。

『友誼によって得た光を、忠誠によって天上へと昇華させる。
 この身体に、二心はない』

 ノクトの零した名前から探る、始まりの情報。
 ホムンクルス36号は既にノクトから開示されている情報と判断し、それを引き出される。

(なるほど―――"カムサビフツハ"。それが白き少女の名か)

 そして、伸ばす手はここで満足しない。 

「では、"あなたも"……?
 その少女が、輪堂天梨が、"彼女"に届くと?」

『……………』

 ホムンクルスは答えない。
 しかし沈黙はときに、声よりも雄弁に語るものだ。

(なるほどな。お前たちのことが、また少し分かったよ)

 "神寂祓葉という宿命から、彼ら六人は決して逃げられない"。
 かつて身を焼き尽くした極光を忘れられない彼等は今も、燃えながらに求め続けている。
 彼女に届く程の光を。

 彼等の狂気はそれぞれ別の色に染められている。
 星に至る可能性を探求し続けるもの。
 あの星に並び立つ可能性など、何処にもないと切り捨てるもの。
 或いは自ら、新たな星を擁立しようとするもの。

 恒星の資格者。
 ノクト・サムスタンプが十二時過ぎの悪魔にその可能性を見たように。
 このホムンクルスは天の翼、日向の天使に―――

『―――はッ』

 空気を切り裂いた嘲笑。
 メフィストは違和感を覚える。
 なぜなら、それは、かの合理的な男にしては非常に珍しい。
 ありえないと言っていい程の、不必要な仕草だったのだ。

『そのガキが……か?』

 ノイズ混じりの音声。
 装飾された感情に、ほんの僅か、地金が乗る。
 先程のやりとりとは真逆だ。

『お前はそのガキに資格があると? 祓葉を堕とすに相応しいと?』

 カラスの眼が、輪堂天梨を見据えている。
 内側を見通すように、穿つように覗き込んでいる。

『そいつは有名人だからな。俺も今日まで、何度か調べさせてもらったが。
 ……哀れなもんだ。ガーンドレッドの名作はとっくに壊れちまったわけだ。
 なるほど保護者をぶっ殺したことを含めて、合点がいったな。
 お前、とんだ見当違いだぜ』

 先ほど、己の中の神寂祓葉に触れられたときに、ホムンクルスが見せた感情(しんい)。
 それと同種の何かを、男は今、無自覚に発している。
 哀れみ、嘲り、怒り、どれも違う。

『直接手を下すまでもなさそうだ。
 予言してやる。
 お前の末路は自滅だ。前回と同じだよ、ホムンクルス』

 狂気。これこそが彼等の狂気だ。
 "彼女"が関わったとき、"彼女を通じて繋がっている彼等"が関わったとき。
 それは激しく発露する。
 合理の数式を、無垢なる生命を、それは酷く歪めてしまう。

『天使だと?
 こんな紛い物が、話になると考えたのか?』

 これがあの光に至ると?
 俺達を焼いた熱に届くと?
 天使が、神寂祓葉と同じ高度に至ると?

『可愛そうなお嬢さん。あんたはただの良く出来た偶像だ。見てられねえな、心が痛むぜ。
 悪いことは言わねえよ。壊れちまった人形からは距離をおきな』

 冗談じゃない。
 同じ熱を受けた一人として、到底看過できない恥辱だ。
 このような偽物を、あの光と並べるなどと。


『――――私の光を、そして友人を、侮辱したな』

 だがその狂気の理論は逆の立場にも適用される。

『壊れているのはお前の方だ。ノクト・サムスタンプ。
 合理の数式が今や見る影もない。
 それを自覚すらしていない、醜悪な詐欺師の末路がそれか』

 このホムンクルスもまた狂していた。
 視線は、悪魔憑きの少女にむけられている。

『その少女に資格があると? 神寂祓葉に並び立つと?』

 自らを捧げた忠誠に。
 輪堂天梨に勝る器が、コレにあると言うのか。

『私の掌握は、其方の少女をも巻き込んだ。
 故に、揺るぎない結論を伝えよう。
 ―――まるで話にならない』

 煌星満天を指し、無垢は断ずる。
 彼は心から、それを言い切れる。

『悪魔だと?
 このような凡俗を彼女にあてがうなど、見当違いも甚だしい。
 どうやら、サムスタンプの妖精眼(グラムサイト)は腐り落ちてしまったようだ』

 これがあの光に至ると?
 我等を焼いた熱に届くと?
 悪魔が、神寂祓葉と同じ高度に至ると?

『この娘は狂った詐欺師と得体のしれないサーヴァントに唆された、哀れな凡人にすぎない』

 冗談ではない。
 同じ熱を受けた一人として、到底看過できない恥辱だ。
 このような偽物を、あの光と比べるなどと。


『会話にならねえな』

『同感だ』

 ノクトの参加については結局のところ、これが真のリスクだった。
 はじまりの六人。
 彼等は決して相容れない。
 部分的に一致する側面があったとしても、最終的には根本の狂気が互いの存在を許容しない。

 中でも、"彼女の解釈"だけは、天地が反転しようとも一致することはないのだ。
 それはつまり、彼女に届く者、恒星の資格者の解釈についても同義であることを意味する。

 共に、やがて太陽に届きうる資格者を見初めた狂気の衛星。
 天使の少女を擁立した忠誠。
 悪魔の少女を擁立した渇望。
 彼等はそれぞれ認めた星が、太陽に届くことを期待している。

 しかして、彼等が"他の資格者"を認めることは絶対にあり得ない。
 自分以外の、異なる狂気が見出した色を彼等は決して容認しない。
 他の星(かいしゃく)が、神寂祓葉の隣に立つ未来など、認められるわけがない。

 つまり、何処まで行っても、狂気に燃える二者の言葉は平行線。
 この会合は最初から―――

『限界だな。それに―――次は無いと言った筈だ』

『だったらどうする、ホムンクルス? 勝負(ベット)するか?』

『そのようにしよう。警告だ。其方ら、使い魔を含め、全員即刻この場を立ち去れ。
 5つ数えても退去を開始しない場合。実力行使を開始する』

 こうなる宿命にあったのだ。

「ノクトさん、流石に挑発が過ぎます」

『いいじゃねえか、プロデューサー。俺達の目的に、あの天使(ガキ)は本当に必要か?
 それに、ここでホムンクルスの手札(サーヴァント)が見れるなら損はない』

「ほむっち、本気じゃないよね?
 駄目だよ……そんなことしたら……」

『心配ない。私も、私のサーヴァントも、決して彼らに危害は加えない。
 約束は守る。虚言はない』

 膨らみきった緊張は臨界を迎え、遂に弾ける。


『―――そもそも、限界を迎えたのは私ではないのだ』

「……え?」

 その時、天梨の背後。
 防音加工を施された壁が一瞬にして落ち窪み、同時、天井まで漆黒の火炎が吹き上がった。
 次いで空間を引き裂くような風切り音と、金属を引きずるような高周波の悲鳴が遅れて飛来する。
 黒と銀の閃光。衝突が齎した火花によって天梨の視界が僅かに眩んだ次の瞬間には、その状況が目の前にあった。

 会議室の東側と西側、両陣営に挟まれた中央にて、激突する2騎の英霊。
 共に、その手に握る得物は剣(つるぎ)。
 片や、歪にねじ曲がった血濡れの妖刀(イペタム)。
 片や、装飾絢爛きらびやかに輝く細剣(レイピア)。
 しかしてどちらも、剣士(セイバー)のサーヴァントではない。

「下らない戯言を吐き散らしやがって、これ以上は耳が腐る。
 そこの人形(ニポポ)に同意するのは癪だが、俺にも我慢の限界ってもんがあるんだよ」

「駄目! アヴェンジャーっ!」

「愚図が、決められないなら俺が裁断してやるよ」

 権謀術数飛び交う会合。それは彼にとっての特大の地雷だった。
 知略を武器し言葉を毒とする者たちの腹の探り合い。
 人を利用し、騙し、操り、裏切り、浅ましい勝利にありつこうとする醜悪な詐欺師の弁舌。
 それらがどれほど、彼の神経を逆撫でしたかは想像に難くない。

「お前らは全員、手足のついたクソだ。死に果てろ」

 東側、復讐者(アヴェンジャー)のサーヴァント、シャクシャイン。 
 突如として霊体化を解き、対面する陣営に襲いかかった青年は、主の制止を無視したまま、自らの剣を受け止めた者を見定めた。

「気狂いか。話す価値もない」

「……急に怒り出してどうしたんだ君、危ないじゃないか」

 西側、狂戦士(バーサーカー)のサーヴァント、ロミオ。
 静かに怒りを滾らせるシャクシャインに対し、彼は平時の朗らかな笑顔のまま――否。

「それと……勘違いじゃなければ君……いま、ジュリエットに触れようとしたのかい?」

 彼の頬が歪んでいる。
 それは笑みではない、あまりの怒りに、顔面の筋肉が釣り上がって見えるだけだ。

「ああ? そこの薄汚い和人(シャモ)のことか?
 ちょっと誂おうとしただけさ」

「……今、彼女を愚弄したか?」

「他にどう聞こえたんだよ、盲人(シクナク)」 

 熱病に浮かされたように赤らんだ頬が震える。
 美麗なる顔貌が怒りによって信じがたい形相を作り出す。
 血走った眼光が強烈な光を放ち、均整の取れた体躯に雷撃の如き衝動を送り出す。
 恋に狂える青年のそれが、狂戦士足らしめる所以であった。

「―――取り消せ」

「断ると言ったら?」

「僕が死をもって償わせるッ!!」

 爆裂する狂戦士の殺意。
 応じて剣戟を放つ復讐者の怨念。
 開かれてしまった戦端、もはや状況は止まらない。
 混沌の淵へと転がり落ちていく中で、取り囲む策謀の声は未だに止んでいなかった。

『この通りだ。残念だが私の手札は開かれない。
 代わりにおそらく、お前のカードが捲れたな、サムスタンプ。
 恋に狂ったロミオ。真名のわかりやすいサーヴァントだ。
 バーサーカーが新しい従者とは、壊れたお前に相応しい』

『お前の手だって十分透けたさ。精々アサシンかキャスターってところだろ。
 なんにせよガーンドレッドを切った以上は真っ当な戦力じゃねえ。
 それに生憎と俺のバーサーカーは見せ札に近い。
 ハ……復讐者か、お嬢ちゃんのサーヴァントだって十分な情報だろうが』

『負け惜しみなら自由に述べるがいい。
 だが忠告しておく。
 そちらのバーサーカーが持ちこたえている間に逃げておけ』

『言葉をそっくりお前に返すぜ。
 アヴェンジャーが殺されねえうちに逃げておくのが身のためだ』

「あ」

「そうか―――君もまた愛のために剣を握る騎士かッ!」

「死ね」

「愛ゆえの怒り、悲しみ、憎しみ、分かる! 分かるぞ!
 だが、僕はッ! 僕はッ! 君を許すことが出来ないッ!」

「アヴェンジャー、止まってッ!」

「ノクトさん、バーサーカーを止めてください」

『プロデューサーサン、悪いがそりゃ出来ねえ相談だ。
 ああなったバーサーカーは誰の話も聞きゃしねえよ。
 まあ、令呪でも使えば話は別だがね。もちろん、無料(ダタ)ってわけにはいかねえがな。
 簡単な契約を結んで貰えば一画くれてやらんでもない。
 どうだ、買うかい? 安くしとくぜ』

「こんな時まで交渉ですか……食えない人ですね」

『お前に言われたくはねえな』

「あの」

「愚かな罪人よ、我が妻の名誉を傷つけた咎、冥府で裁かれるがいいッ!」

「ぬかせ、膾切りにしてやるよ」

『天梨、やはり撤退するべきだ。
 アヴェンジャーが君の友人を傷つけてしまう前に』

「アヴェンジャー! いい加減にしないと私も―――!」

「うう」

「どうする? 暴走したロミオは天使を巻き込んじまうかも知れないぜ?
 その前に買っといた方が良いんじゃないか?
 悠長してると値上げしちまうぞ、エセキャスター?」


「うーー」


「必要ありません、ご心配なく」


「うーーーーー」


「悪よッ! 愛の前に消え去るがいいッ!」


「るーーーーーーーー」


「クソども、一秒たりとも息を―――」



「さぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁいッッッッッッ!!!!!!!!」




 きぃん、と。
 高らかな絶叫とハウリング。
 スピーカーもない部屋の中心で、突如発生した大爆発と大爆音。

 その時、その場、全員の声が止んでいた。
 剣戟を交わし合っていた二騎ですら、鍔迫りあった姿勢で固まっている。 

 爆心地。

 静寂の中心に、全員の視線が一点に集まっていく。
 そして、その渦中に一人立つ、角と尻尾を生やした黒髪の少女は、


「全ッ! 員ッ! うるさいッッッ!」


 ―――煌星満天はブチギレていた。


「資格がどーだの、知らない誰かと比べてどーだの―――」


 勝手に叫んで、勝手に動いて、勝手に会議室を爆破して。


「天使だの悪魔だの太陽だの星だのあーだのこーだのぐちぐちねちねちごちゃごちゃうるさーーーーーいッッッ!!」


 悪魔の少女は、大きく息を吸って、その場の全てに告げる。


「いい!? これはッ! 私と!」


 自らの胸をドンと叩き。


「天梨の!」


 対面する少女をビシッと指し。


「私と天梨の同盟なんだ!」


 この場で唯二人だけの主役を名指し。


「あんたらなんかに横から指図される筋合いない!」


 その他全ての、端役共に宣言する。





「外野は全員―――すっっっっっこんでろッッッ!!!」







 暫しの間。
 しぃんと、流れた静寂に、どれ程の間があっただろうか。
 ことの再開は怨念に塗れた男の口から発せられた。

「おい。つけあがるなよ、和人の餓鬼が」

 鍔迫りあっていたイペタムの刀身が高速で延長される。
 ロミオの細剣を刀身で抑え込んだまま、切先は満天の喉元に突き刺さる寸前で静止した。

「―――っ―――ぁ」

 同時に飛来する津波の如き殺意の奔流。
 襲いかかる恐怖によって、一瞬にして、少女は呼吸すら覚束ない。
 動けない。少しでも動けば喉笛を穿くと殺意が告げいている。
 いや、動かずとも―――

「お前の身体はもう半分以上も人間を辞めてる。
 つまり『対象外』って解釈でいいか、なあ?」

 この距離からでも狙うことは可能だった。
 彼の宝具の特性をもってすれば、しかし、

「いい加減にして」

 その前に、もう1人の少女の声が、喧騒に終止符を打っていた。

「アヴェンジャー、これ以上続けるなら私も、"令呪をもって命じる"―――」

 輪堂天梨は既に令呪発動段階に移行している。
 あと一言、具体的な指令を述べれば、それは強制力を持ったカタチで復讐者に降りかかるだろう。
 それがたとえ、彼の生を、彼女の悪夢を終わらせる指令だったとしても。

「は―――止めたいなら好きにやれよ。
 ただし俺を殺すなら、その表情をちゃんと見せてくれよな」

「いけません、輪堂さん」

『止まれ、天梨。御身が動くことではない』

 肯定が一つ。
 否定が二つ。
 それぞれの表情を見回して、天梨はゆっくりと首を振った。




「―――"私の大事な人達を、傷つけないで"」




 こうして、混沌を極めた4陣営の会合は、ようやく終わりを告げたのだった。



「同盟の形は私が決めます。それで良いでしょう?」



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最終更新:2025年01月21日 02:27