/Versus Ⅰ




「うわぁ、結構広いねえ」

「ほんとだ……」 

 二人で一緒に、重くて大きな扉を押し開けると、私達の間を木の匂いを含んだ空気が吹き抜けていった。
 目の前には斜め下への階段状の傾斜と見渡す限りの椅子の背中、そして更に向こうには幕を開けっ放しにした舞台がある。 
 立ちすくむ私とは対象的に、隣の女の子は軽やかに階段を降りていった。

 光量の変化に目が慣れない。明るかった廊下に比べて、ここは薄暗い。
 このホールの客席は400人以上も収容できるらしく。
 多分それなりの音響設備と照明が整っている。
 だけど今は舞台の周辺にしかライトは当たっておらず、客席の後方はかなり暗かった。
 ふるりと、私の背中に寒さに似た緊張が走る。

「でもここ、もう来週から利用できないんだって」

「そ、そう……なんだ、なんだかもったいないね……」

「ねー」

 足元を見ながら舞台の方へテクテク歩いていく天梨を、私も急ぎ足で追いかけた。
 暗い場所には、なるべく居たくない。

「ほら、満天ちゃん、前の方まで行ってみよ」

「……うん」

 もめにもめた会合がようやく終わって、私と天梨は二人だけで区民ホールに移動する事になった。 
 私と天梨の、というか天梨の毅然とした宣言によって、最終的に同盟はこのような取り決めに纏まった。

 同盟は4陣営の連合ではなく、あくまで"輪堂天梨と煌星満天の個人的な同盟"であるとする。
 4陣営は休戦協定を結ぶが、直接接触する場合は天梨と満天の2者間でのみ。
 電話やメッセージなどの遠隔的連絡も必ず本人らが直接行う。
 ノクト・サムスタンプの陣営とホムンクルス36号の陣営はやり取りに一切関与しない。
 細かい注釈は幾つも付きそうだけど、大きな要素は大体そんなところ。
 これ以上は天梨が一切譲らなかったので、ホムンクルスも渋々了承したらしい。

 そんなわけで今はまさにその、2者間における直接対面の時間。
 お昼の時点ではキャスターも参加するはずだったのだけど。
 私達が会う時は緊急時以外はお互いのサーヴァントも姿を現さないと決めたので、今は本当に私と天梨の二人きりだ。
 他の人達はいま、2部屋ある楽屋に各同盟ごとに分かれて待機している。

「見てほら、舞台も結構大きい」

 先にホールの端までたどり着いた天梨が壇上に登って待っている。
 客席に比べればまだ明るいけど、どうやら発光している投光器の数が少ないみたいで、薄い影が出来る程度の光だった。
 安心させてくれるには、まだちょっと頼りない。

 私もおずおずと壇上に上り、こっちこっちと手招きする天梨の隣に立つ。
 二人で並んで、無人の客席を眺めた。

「満天ちゃん」

「ハイ」

「誰もいないね」

「ソウデスネ」

「あ、そうだ、楽しみだね! 対談イベント。
 そろそろ会場も決まって、早ければ明日にでもやるってマネージャーさんから聞いたよ?
 満天ちゃんのプロデューサーさんとスケジュール調整してくれてるんだよね?」

「ウン」

 もっとなにか気の利いたこと言わないと。
 あの、えと、その、あの。
 ていうかこの状況、え?
 バレてないと良いんですけど、実はですね、私はあの、その、あの。

「満天ちゃん」

「ハイ」

「ふふ……緊張してる?」

「……ハイ」

 普通にバレてた。
 いや無理無理無理無理。
 お昼は電話だったからまだ喋れたけど直接会ったら無理無理無理。
 私いま、あの輪堂天梨と、ドームですら余裕で満員御礼だったスーパーアイドル・エンジェの天使と並んで舞台に立ってる肩並べてる凄い凄い凄い緊張する。

 うぅ、あんなに色々大揉めして、せっかく掴んだ時間なのに。
 どうしよう……キャスターも居ないし……。

「もう……さっきは怖い人たちに凄い啖呵きってたくせに」

 ……いや駄目だ、キャスターも言ってた。
 私はもう、この子の前に、対等に立たなきゃいけないんだ。
 アイドルとしてまだまだ勝てなくても、マスターとしては同等に。

 いいやアイドルとしても、真正面からぶつからないと。
 たとえ、まだ勝てなくても、私はまだ、負けてない!

「ほら、こっちむいて」

 そうだ。
 ちゃんと正面から顔見て。
 彼女としっかり話いや距離近、アッ、カワイッ、ワァ……。

「喉……大丈夫だった?」

「――――っ」

 伸ばされた天梨の手が、私の首元に触れた。
 同時、あの恐ろしい復讐者の切っ先が、私の喉に触れた瞬間の冷たさを思い出す。
 身震いするほどの怨念と殺意、あの時、男は本気で私を殺そうとしていた。
 今日始めて会う私のことを、心の底から恨んでいるのが伝わって。
 本当に、怖かった。

 だけど今、私の頭を冷やしたのは、あの瞬間の恐怖を思い出したからじゃなくて。
 天梨の手に刻まれた赤い画の、カタチを見たからだった。

「ごめん……」

 ようやくマトモに話せたのは、そんな言葉。

「どうして謝るの?」

「だって、令呪……」

「……令呪?
 こんなの全然、謝ることじゃ――」

「謝ることだよ!」

 申し訳なくて、さっきとは別の意味でちゃんと話せてない。
 天梨の令呪が一画減った。
 それがどれほど深刻な意味を持つのか、馬鹿な私にだって分かるよ。
 キャスターからも聞いてた通り、彼女はあんな危険なサーヴァントと1ヶ月も一緒にいたんだ。
 令呪は、たった3回しかない命令権。それは天梨が復讐者を抑え込む、唯一の方法なのに。

 私は何も分かってなかった。
 天使は無知な大衆の声に苦しめられてる。
 それだけじゃなかった。
 根拠のないスキャンダル、誹謗中傷、心無い声に責め立てられながら。
 あんなにも恐ろしい、殺意を振りまく存在を身近に置いて抑え続ける。
 それは、一体、どれほどの地獄の日々だったろう。

 私は本当に大馬鹿だ。
 今日の会合だって、キャスターが天梨の置かれた状況を打開するために設けた場だったのに。
 私がキャスターの言いつけを破って、出しゃばって、余計な事して、全部めちゃくちゃになってしまった。
 彼女の助けになるどころか。彼女に助けられて、令呪まで削らせて。
 私が天梨を追い込んだ。怒られて、ぶたれて帰られても文句言えないのに。

「満天ちゃん」

 きっと、私はどこかで調子に乗っていたんだ。
 この頃ちょっとだけ仕事が増えて、少しずつ上手く行き始めて。
 キャスターに、天使を救えるのは私だって言われて、舞い上がって―――

「満天ちゃん、聞いて」

「ふえ?」

 不意に、天梨の手が、私の手を掴んで引き寄せて。


「―――ありがと」


 私の左手を両の手で包み、彼女は真っ直ぐに私の目を見て、そう言った。


「……天梨ちゃん?」

「今日は、ありがとね。お礼を言いたかったんだ。
 だって満天ちゃんのおかけで、私も勇気を出せたんだよ」

「なんで……私、結局なにも……」

「やっとこれ、使えたんだ」

 私の手を覆う天梨の手に、その令呪は今もまだ刻まれている。

「言葉だけは、ずっと前から考えてたんだ。
 本当はもっと早く、言うべきだったことなの。
 でも、ずっと勇気がなくて、だってほら、減っちゃうのが怖かったから。
 それでこの一ヶ月、あの人に守ってもらうばっかりで、何も答えられなかった」

 赤い光とともに一つ弾けて、残り2つの命令権。
 天使の、命綱。

「私、あんな迷惑な人を呼んでおいて、自分は死ぬのが怖いんだ。ずるいでしょ?」

「そんな、こと……」

 怖いのは当たり前だよ。
 私は運が良かったんだ。私の味方になってくれるキャスターが来てくれて。
 だけど天梨は、復讐者を傍に置くしか無かった。
 他人のための令呪なんて、簡単に使える訳がない。

「それにアヴェンジャーだって、元は悪い人じゃなかったんだ。
 たしかに怖いけど、それよりもずっと、悲しい人なの、だからどうしても……私は……」

 なのに天梨は、ずっと考え続けていたのか。
 自分以外の、周囲の人達のこと。
 この街の人達のこと。私なんかよりもずっと、前から、あんなにも苦しい環境に置かれながら。
 アヴェンジャーのことだって、恨み言一つ言わずに、令呪で縛ることもなく今日まで交流を続けてきた。

 いま、やっと分かった。
 輪堂天梨は強い。強くて凄いって、前から知ってはいたけど。
 パフォーマンスや美しさだけじゃない、本当の意味での天使の強さに、私は触れたんだ。
 それは想像を超えた心の強さ。

「今日だって、状況に流されるばっかりで、どうしようどうしようって、混乱するだけで。
 だけど、そんなときに、満天ちゃんが目の前でどっかーんって言ってくれたから」

「ウン……ソノセツハスミマセン」

「なにも知らないやつらは、外野はすっこんでろって。
 あれ、ちょっと嬉しかった。
 だから私もやってみようって、思えたんだよ」 

「……天梨ちゃん」

「ふふ、別に"天梨"でもいいよ。さっきみたいに」

「アッ……イヤ……アレハイキオイデ……」

「ほんとにいいのに……。
 とにかく! そういうことだから。満天ちゃんは謝る必要なし!」

 ぱっと手を離した天梨がこちらを見たまま、数歩後ろに下がる。

「出発まで、あとどれくらい時間ある?」

 いたずらっぽく微笑みながらゆっくり後ろに下がり続ける天梨を見ながら。
 私はネックレスに繋げた懐中時計を懐から取り出し、覗き込んだ。
 だけど周りの光が足りず、時計の針を読み取るには不足している。

「わ」

「あれ」

 目を寄せていると、上からいきなり強い光が当てられた。
 急激な光量の変化に一瞬目が眩む。
 調節を終えた視界で表示された時刻を確認し、もう一度、天梨の方を見ると―――

「あと、10分くらいだけど……まぶしっ……なにこれ」

「なんだろうね?」

 舞台の中央、西と東、私と天梨の立つ丁度2箇所に、舞台のスポットライトが当たっていた。
 ちりちりと身を焼くような眩い光が、私と天梨の全身を包み込んでいる。 

「照明さんがいるのかな? それならちょうどいいや」

 誰がやったのだろう。
 キャスターか、区民ホールのスタッフか。
 なんてことを気にしている私の前で、天梨は光の中心でくるっと軽やかに一回転し、


「ね、ちょっと勝負しよっか?」


 なんか、とんでもないこと、言った。



 ■



 二人のアイドルの対決。

 その直前、ホールに隣接した西側の楽屋にて。
 彼等の戦いは継続していた。

『大切なアイドルに付いててやらなくていいのかよ?』

「今、彼女らの舞台に私の存在は邪魔になるだけです。
 舞台を整えるのが私の仕事。舞台の上はもう、彼女らの戦場です。
 輪堂天梨に伝えるべき助言は託しましたし。 
 時間は限られている、効率的に進めましょう」

 楽屋の中、一人佇むスーツ姿の男―――メフィストフェレス。
 彼は今、スマートフォンが発する電波の向こう側にいる男――ノクト・サムスタンプとの情報交換を続けていた。

 メフィストが直接、天梨に接触することは叶わなくなった。
 よって、アドバイスを2つ送るに留めている。
 それは残り2画の令呪の切りどころ。悪神を抑える2札の指南。
 とはいえ、本来は3画で完成するはずの策が、先程破綻してしまった。
 やはり悪魔の成長を急がねばならない。天使が天使(ラスボス)であるうちに。

「それにしても……まったく嫌われ者にも程があるでしょう。
 お陰で大変苦労させられました。
 前回なにをやらかしたんですか? あなたは」

『……俺のせいでお前らの交渉が拗れたのは素直に詫びるさ。
 だが結果的に上手くやったじゃないか。
 流石は俺の見込んだプロデューサーとアイドルだ』

「お世辞は結構です」

『世辞じゃねえよ。これでも結構、俺は本気で関心してるんだぜ?』

 カラスの使い魔は既に施設を飛び立っている。
 今はスマホにる通話のみで、彼等は会話を続けている。

『さっきお嬢ちゃんがぷっつんした時には驚かされた。
 確かに一瞬でしかなかったが、起こった現象はしかと見せてもらったぜ。
 お前の触れ込みは間違っちゃいなかったようだ。
 そのうえで、一つ分かったことがあるんだが。
 お前の言った他者強化型宝具―――ありゃブラフだな?』

「ふむ……なぜそうお考えに?」

『そりゃ俺の得意分野だからだよ。
 見立てがズレてなきゃ、おそらく世にも珍しい契約宝具だ。
 そいつがお嬢ちゃんの身体―――いや魂と融合してる』

 メフィストはメガネを押し上げる。
 そして再確認する。こいつは、やはり危険な男だ。
 幾ら契約魔術のプロといえど普通、使い魔越しの視線で見抜けるものではない。
 今後も最大の警戒をもって接した方が良いだろう。

『それ以上のことはさっぱりだが。
 やはりお前らの契約は俺が横から手を出せる代物じゃねえな。
 末恐ろしい奴だ、まるで悪魔の所業だよ。
 お前があの天使(ラスボス)とやらに拘るのもこの辺が理由か―――』

「そうかも知れませんね」

『あるいは、それが"お嬢ちゃんのルール"に関係するのか』

「――――」

『おっと、電波が悪いな。
 それともこの話はタブーだったか?』

 通話の向こうで、声の調子が少し変わる。
 そう、これは未だに、戦いなのだ。

『あのイカれたホムンクルスも役に立つことがあるもんだ。
 お陰で随分と観察できたよ。
 アンタじゃない、俺は会合の間ずっとお嬢ちゃんに注目してたんだぜ?』

 彼等は同盟関係にあるが、決して味方ではない。
 腹の探り合いは、騙し合いは、今日の昼から一度も途切れることなく続いている。

『煌星満天。本名、暮昏満点。
 対人能力に重大な欠陥を持つアイドル志望の女子高生。その程度のことは会う前に調べたさ。
 暮昏のスペアにもなれなかった出涸らしが、なんでこんな所に居るのか気なってはいたが』

「なにか驚くような情報でもありましたか?」

『いいや全くだった。
 それに実際見ても、ロクに魔術も継いでねえ、なんのことはない普通のガキだった。
 見る目のねえホムンクルスの言った通り、ぱっと見は凡俗極まりない。
 だが、さっきの様子で俺には少しだけ読めたぜ。実に興味深いハナシだ。
 確かに、あの娘は元々不器用で、コミュ障で、なんら特殊な能力を持たない、つまらねえ凡人だった。
 それでも、あいつにはただ一点、他の人間と違う部分がある』

「……あなたへの認識を少し、改めましょう」

「そりゃ光栄だ」

 差し込まれたメフィストの声音には何の変化もなかった。

「女王との契約は不便でしょう」

「……そうなんだよ。分かってくれるか?」

「ええ、妖精眼(グラムサイト)は有用ですが、そのために昼の行動を制限されるのは辛い筈だ」

「まあな。ホムンクルスが口を滑らした件で察してくれたのかよ?」

「いいえ、ひと目見たときに気づきましたよ。
 妖精眼だけじゃなく、夜そのものとの調和すら結んでいるはずだ。
 私の目から見ても驚くほどの一体化を果たしている」

「流石の観察眼だ。恐れ入る」

「それはこちらのセリフです。夜のあなたは、おそらく相当に強いのでしょう。
 魔術師としては少々、規格外と言えるほどに。だからこそ不可思議です。
 夜に愛された目で、あなたは太陽を見上げている。
 夜に愛された身で、あなたは太陽を掴もうとしている。
 "それ"は、それほどのモノなのですか、あなたに夜を忘れさせるほどに」

「…………そんなんじゃねえよ。
 さて、そろそろ俺も動かにゃならん。
 先に言っとくが、しばらく電話は繋がりにくくなる。
 日付が変わってからは、最悪の場合、朝まで連絡が途切れる可能性すらある。
 蝗害調査の結果は終わり次第メールで送ってくれ」

 暫しの膠着を抜け、彼等の通話は終わりに向かう。

「分かりました。
 そちらも半グレ調査の結果は朝にでも共有してください」

「お互い、朝まで生きてたらな」

「そうですね。では」

「じゃあな」

 ようやく、化かし合いの延長線に一旦の区切りが打たれようとしている。
 その間際。

「――ああ、そうだ」

「なんだよ?」

 メフィストフェレスは、誘惑の悪魔は、告げるべき言葉を送り、会話を打ち切った。

「最後に、これだけは言っておこうかと―――」





 ■


 同時刻、ホールを挟んで反対側に位置する楽屋においても、一つの同盟間による交流が為されていた。
 もっとも彼等のやり取りは西側で行われたそれに比べ、露骨に険悪なものであったが。

『不用意だったな。それとも意図してか。
 どちらにせよ愚かな行動だった』

「君、死にたいならもっと分かりやすく言ったほうがいいよ。
 そうすれば望み通り細切れにしてやるから」

『それが出来なくなった事は、貴殿も理解している筈だ』

 楽屋の机の上に置かれた瓶詰めの赤子。
 対面するは復讐者のサーヴァント。
 シャクシャインは机の手前にあぐらをかき、握る妖刀を瓶に軽く当てている。

「叩き割ってやろうか?」

『やはり天梨による令呪の効力範囲に、私も含まれているらしい。彼女に感謝だな』

 彼等はこのように張り詰めたムードのまま、楽屋の中で天梨の帰りを待っていた。
 令呪によって、シャクシャインはミロクを殺傷する事が出来ない。
 よって、このように二人きりなっても、ミロクは余裕を崩さずに居る。

「……くそ、不愉快だ」

 その反対に、シャクシャインは未だに溢れる憤怒を抑えきれていなかった。
 楽屋に入ってからも、ミロクへと殺意を向けることで発散しかけたが、令呪の拘束がそれを許さない。

『なぜ発動まで止まらなかった?
 私を殺そうとした時のように、堪えることも出来たはずだ』

 そんなシャクシャインに、何故かミロクは話しかけ続けている。
 彼の怒りを煽る行為にであると承知した上で。

『そんなにも、この国の民が憎いのか?』

「当然だろ。俺は――」

『それとも、ノクト・サムスタンプの挑発が余程気に触ったか?』

「…………」

 シャクシャインは質問に答えない。
 代わりに沈黙が意を示す。

『"天使だと? こんな紛い物が、話になると考えたのか?"
 などと宣ったな、あの男は。天梨を侮辱し、取るに足らないと嗤った。
 そして貴殿は、彼等の偶像を害そうとした』

「何が言いたい?」

『輪堂天梨は貴殿にとって、もはや他の者とは違う、例外の存在と化している』

「……馬鹿が。あれは単なる引き金として取って置いてるに過ぎないよ。
 あの女の堕落は、この醜く汚れた国土を裁断する、日ノ本を炎に焚べる号砲となる。
 それだけって話だ」

『ふむ、しかし、それを例外というのだろう?』

 シャクシャインはある意味で、輪堂天梨を認めている。
 認めているからこそ、堕とす価値があると考えている。
 そうでなければ、天梨に取るに足りない他の和人と同等の価値しか見出していないなら。
 とっくの昔に彼女の命は絶えていたはずだと、ミロクはそのように考えている。

「さっきから何がしたいんだお前。
 殺されかけた腹いせがしたいなら良い線いってるが。
 俺の苛立ちが令呪の拘束を上回る前に止めておけ」

『挑発でも報復でもない。
 私は単に貴殿の誤解を解いておきたかっただけだ』

「…………?」

『輪堂天梨は素晴らしい。
 天使は、天の翼は、やはり私の主の望む輝きに届き得る。
 昇る新星は空を超えるだろう。
 それを私は先ほど、より強く確信したのだ』

 始まりの六人の内二名を含む、混乱に満ちた会合を平定し、自らの意を通した姿。
 ミロクの主の放つ強烈な極光とは似て非なる、優しき日向の光。
 その輝きに、彼は自らの選択は正しかったと確信した。

「だから、俺の目的とは相容れない。そういう話だろうが」

『だから、それが誤解だということだ』

 訝しむシャクシャインへと、ミロクは平坦な調子で言った。

『我々の目的は、その実、競合していない。
 彼女の回路に無遠慮に触れたことは改めて詫びよう。
 だが、私は今後、積極的に貴殿の邪魔をするつもりもない。積極的に協力することもないが』

 その言葉が何を意味するのか、シャクシャインは理解して、呆れ返った。

「お前、天使が堕ちようが構わないって言いたいのか」

『少し違う。私は天使が完成することを希求している。
 必ずかの翼を、極天に羽ばたかせる。
 そして叶うなら彼女の友人として、いつか我が主に名を示す栄誉を夢見ている。
 しかし、優先するのはあくまで忠義だ。それを果たせるならば、私は、"翼の色には拘らない"』

 白い翼が天に至るなら、それは素晴らしいことだ。
 黒き翼が天に至るなら、それでも主が喜んで下さるなら。
 どちらの未来も受け入れよう。たとえ、友から恨まれることになろうとも。

 星の完成に、尊きモノの戴冠に、正しいも間違いもないのだから。
 無垢なる狂気は、本気でそう思っている。

『私が唯一恐れるのは、あの素晴らしき翼が志半ばで折れることだ。
 天梨を、あの美しき光を、我が主に捧げられるべき翼を守らねばならない。
 他の星に食い潰される未来だけは避けねばならない。
 特に、他の恒星の資格者。
 あの悪魔もどき―――煌星満天のような、他の衛星に擁立された紛い物共に』

 擁立された恒星同士は原則的に共存できない。
 同星系に現れた複数の太陽は互いに喰らいあって膨張し、やがてどちらかを飲み込んでしまう。

『紛い物の恒星は危険だ。
 無論、それを見出す他の衛星も同様に。
 天梨に危害が及ぶ前に積極的に切除するべきだ。
 彼女の安全のために、この点においては、むしろ我々は協力さえできるだろう』

 当然、天梨がシャクシャインに示した令呪の効果範囲に、それが含まれていたとしても。
 刺せる、ミロクのサーヴァントならば。

『天梨の成長の為にも、彼女らの同盟は有効に利用する。
 そのうえで―――』

 他の衛星達と同様に、彼等の擁立した偽りの恒星は期を見て全て切除する。
 全ては自らが信じる星の完成の為。
 ホムンクルス36号/ミロク。
 彼もまた、始まりの六人。
 無垢なる生命は焼け付いた熱によって、異質なる狂気を受けている。
 忠誠という、ある意味最も直線的な狂気を。

「お前の言いたいことは分かったが」

 意を受けたシャクシャインは気怠げな表情で瓶から視線を外した。

「やはり不快だ。話しかけるな」

『そのようにしよう。連携を検討してくれた時はいつでも伝えてくれ』

 そしてようやく、彼等の冷え切った会話に一旦の区切りが打たれようとしている。
 その間際。

「――ああ、そうだ」

『なんだ?』

 シャクシャインは、憎悪の悪魔は、告げるべき言葉を送り、会話を打ち切った。


「一応、これだけは言っとくか―――」




 ■







「最後に、これだけは言っておこうかと―――」

「一応、これだけは言っとくか―――」






 この時、東と西、2つの部屋で。
 2騎の悪魔がそれぞれ衛星へと告げた言葉は、奇しくも全くの同音であった。








「――――あいつは俺の獲物(モノ)だ。

 燃え滓如きが二度と知った口で語るなよ」









 ■


 /Versus Ⅱ



 センターポジション、ライトアップ。ステップ、ターン、フルアウト。
 その瞬間、体は一本のネジになる。

「対談イベント。プロデューサーさんとスタッフで、色んな演出を企画してるんだって。
 マネージャーさんに教えてもらったんだ。
 やっぱり"バトル"っていうんだから、対決要素は取り入れたいって」

 準備運動のようにくるりと舞う天使の姿に、私が見蕩れている余裕などない。
 その筈なのに、惚れ惚れするようなクイックターンが網膜に焼き付く。
 顔を背けることが出来ない。それだけは、してはならないと知っている。
 だって私はまだ、死にたくないから。

「こういう箱、懐かしいなあ。
 満天ちゃん、私ね、中学の頃の学祭で、やったことあるんだよ」

 悪意なんて何処にも見えない。
 120%の善意、いや、ほんの少しのいたずら心、なのだろうか。

 彼女はそれを提案した。
 クスリと笑って一歩後ろ、彼女に用意されたスポットライトの端まで引き。

「"ああ、ロミオ、ロミオ……あなたはどうしてロミオなの?"
 "どうかその名をお捨てください。あるいは私の恋人だと誓ってください"
 "そうしていただけるなら私も、キャピュレットの名を捨てましょう!"」

「……え」

「ほら、受けて」

 彼女のやりたいことは理解できた。
 私も丁度、移動中にスマホで見ていたので、多分ついていくことはできる。
 この次のセリフは確か、そう。

「"もう少し聞いていようか、それとも話しかけようか"」

「"敵はあなたの名前だけ"
 "あなたがモンタギューでないくとも、あなたであることに変わりはないわ"
 "名前ってなにかしら、それは手でも足でも顔でも体のどの部分でもないのに"
 "ロミオがロミオでなくとも、あなたの美しさは変わらない"
 "ロミオ、どうか名を捨てて、代わりに私を受け取ってください"」

 ロミオとジュリエットの有名なセリフだ。
 腕を伸ばし、語りかけてくる天梨(ジュリエット)。

 上手い、と思った。
 いや、演技の質とか私には正直よくわからないけど。
 天梨は生粋の舞台役者じゃない。でもエンジェの大ブレイク以降、ドラマや映画の出演経験だって豊富だ。
 瞬間的に全てが切り替わっていた。彼女はいま、マスターじゃなくて、アイドルとしてここに居る。
 纏うオーラと雰囲気だけで、私は圧倒されてしまった。

「なんてね」

 ジュリエットのセリフ。
 このタイミングで実演する意図は明確だ。
 私はなんだか顔が赤くなってくる。
 だって、

「あのすっごくカッコいいサーヴァントの人。満天ちゃんのことジュリエットって呼んでたね」

「あ……うん、でも勝手に呼んでるっていうか、勘違いしてるっていうか、違うって言っても聞いてくれないっていうか。
 えと、間違っても私が呼ばせているわけではないので、そこのところはご理解いただけると」

 しどろもどろ。
 レンタルとはいえ連れてるサーヴァントにジュリエットって呼ばれてるの、よく考えるとめちゃくちゃ恥ずかしい気がしてきた。
 対して天使は「そんな感じだったね」と少し笑いながら。

「中学生のとき以来だけど、結構セリフ憶えちゃってたや」

 そっかあ、ジュリエット役をやったのか。
 似合いそうだなあ。
 クラス会議で満場一致で選ばれてる様子が目に浮かぶなあ。

「でも、私、ほんとはロミオがやりたかったんだ」

「そうなんだ」

「だから、はい、交代」

「……ん? え、私もやるの!?」

「そうだよー」

 勝負なんだから。
 と、やはりいたずらっぽく微笑む彼女は可愛い。
 可愛いんだけど、そんなこと言ってる場合じゃない。

 舞台演技をやるのか。輪堂天梨の前で。
 私ドラマとか出たことないよ?

「緊張しないで。私だって、そんなに沢山出演できてるわけじゃないし。
 この間も連続ドラマにゲストで出た回、ボコボコに叩かれてたし」

 なんかちょっと、笑顔が怖い。

「はい、どうぞ」

 うう、結局逃げ場はないようで。
 ええいままよ、と。

「"ああ、ロミオ―――"」

 やけくそ気味に言ってみた演技(セリフ)は、声が裏返って自分ですら聞けたものではなかった。

「うんうん、引き分けってとこかな」

 そんなわけないでしょって突っ込む余裕も既にない。
 辛い。今すぐここから逃げ出したい。
 はたから見れば、女子二人が楽しく遊んでいるように見えるのかも知れないけど。
 私に限っては、全くもって冗談じゃなく、危機的状況なのだ。

「次はどうしよっかな」

「ええまだやるの!?」

「うん、まだ時間残ってるでしょ?
 あと2回、踊りと歌、これでどうかな?」

 どうやら演技合戦をするつもりじゃないらしいけど。
 そうか、ああ、そういうコト。
 勝負、か。

 演技、舞踏、歌唱。
 代表的なイメージの3本勝負。

 私達はアイドルだ。
 元は役者じゃない、ダンサーじゃない、歌手じゃない。
 一本の道を極める求道じゃない。だけど、その全てに手を抜けない。
 舞台の上、持てる選択肢の全部で競う、いわば芸能の総合格闘技。
 自分の全部をもって、他者の全部を飲み込む覇道。
 だからこそ、本当の意味で、ここは私の戦場だった。

 たじろいで、後ろを見る。
 舞台の上、私と天使を照らす2つのスポットライト。
 それ以外の光源は全て絶えている。
 闇に包まれた無人の観客席。
 舞台袖に続く筈の、背後にあるのも同じ、酷く静かな無間の黒。

 私を照らすスポットライト、半径30センチの真円領域(バトルフィールド)。
 その外には、何も無い、恐ろしい闇が広がるばかり。

 だから逃げ場なんて何処にもなくて。
 喉が乾く。襲い来る寒気に身震いする。
 全身から冷たい汗が吹き出て、気が遠くなる。

「どっちが先攻にする?」

 止めることも出来ず。
 そうして、天使の舞が展開される。
 特別な衣装もなく、豪華な音響もなく、派手な光彩もなく。
 舞台の上、スポットライトの真中で、それでも彼女は美しかった。

 輪堂天梨。
 日向の天使。
 エンジェのセンター。
 アイドルになるために生まれてきた少女。

 誰であろうと有無を言わせぬ存在感。
 変装用の地味な私服すら、彼女が纏えば特別な意味を宿してしまう。
 舞い上がる衣装(はね)と甘美な笑顔(やじり)。
 光輪を冠し。逆光(ステージ)に晒される星の偶像。

 ああ、綺麗。ああ、美しい。ああ、羨ましい。
 私は、こうなりたかった。こう在りたかった。
 今更、手の届かない光の直視に、乾いた視界が悲鳴を上げている。

 一歩、足が後ろに下がる。もう一歩。あと一歩、スポットライトの外側へ。
 逃げたい。逃げて何が悪い。だって意味がないじゃないか。
 私は決してこうはなれない。無理だって分かってる。
 その道は最初から絶たれていたんだ。
 だったら、もう―――このまま光の外へ落ちたって―――

 ―――終わり?

 ああ、来た。

 ―――もう終わり?

 あいつだ、あいつが取り立てにやってきた。

 ―――やっと夢を諦めた?

 背後の深淵から、無数の黒い腕が伸びてくる。

 ―――俺に、魂をくれる?

 夜に外に出てはいけないと、小さい頃に教えられた。

 ―――それじゃあ、いただきます。

 悪魔に出会ってしまうからね、と。


「が――――ぁッ」

 心臓を掴み上げる黒い腕を振りほどく。
 下がりかけていた足を、30センチの真円からはみ出ようとした、崖っぷちの体を引き戻す。

「―――はぁッ―――はぁッ―――は――――」

 煩いくらい激しい動悸、額をべたべたに濡らす冷や汗、痺れて感覚を無くす手足と乾く喉。
 怖い。怖い。恐ろしい。
 この恐怖が、いつも私を引き戻す。私に逃避を許さない。

 夢を諦めたら、死ぬ。
 足を止めたら、いつかの悪魔に追いつかれる。  
 それが私の、私だけの法則(ルール)だ。

 舞い終えて。少し息を切らせた調子で私を見る、天使の姿。
 ほんの少し汗に濡れ、上気したその笑顔は、普段以上に彼女の魅力を高めてしまう。

 その背には、淡く輝く翼があった。
 無意識なのだろうか、活動によって励起され、背中から体外にまで拡張された非常に薄い魔術回路。

 それが生み出す光は優しく、柔らかな日向の暖かさを湛えている。 
 自らの道を進むため障害を燃やす、そういう激しい光ではない。
 誰も灼かない光。愛されるべき光。全ての人を優しく包む救いの光。

 ―――そう、ただ一人、煌星満天のみを例外にして。

 天の光が私に告げる。
 絶望せよ。
 これほど正しき光を前に、お前の夢は叶わない。

「どうだった? 満天ちゃん」

「綺麗だった」

 ―――ね、天梨、知ってる? あなた今、私を殺そうとしてるんだよ?

「じゃ、交代だね」

「うん、負けないから」

 ああ、怖い。
 死にたくない。死にたくない。死にたくない。
 だけどそれ以上に、私には怖いものがある。

「私、絶対に、負けないから」

 凍えるほどの恐怖によって、やっと私は前を向ける。
 目の前の天使に立ち向かえる。
 凡人の私は、偽物の私は、むいてない私は、ずっとそうやって、みっともなく足掻いてきた。

 いつだって私にあるものは恐れだけ。
 そしてこの恐怖が、私をここまで連れてきた。

 ―――輪堂天梨を救える"人間"が居るとすれば、それはあなたが適任でしょう。

 私は、天使を超えて魅せる。
 絶対に負けない。
 絶対に救う。
 絶対に、私は夢を諦めない。
 だけど本当は、

 ―――ならば恋を知るといい!!

 誰かを愛することなんて、私には無理だってわかってる。
 私が可愛いのはいつだって、私だけ。
 私が守りたいのはいつだって、私だけ。
 だって、自分の生命の保証一つ持てない存在に、誰かを欲するなんて贅沢が、許されている筈もないから。

 何が私を生かしているのか。
 何が此処に、私を立たせ続けているのか。
 それが愛なんて、綺麗な感情じゃないことは明らかで。


「―――勝負だ、天梨」


 絶対、負けない。 
 死ぬのは実は、意外とそれほど怖くない。

 だけど暗い場所は怖いから。
 辿り着きたい、光のもとへ。

 私ずっと、魔法が解ける日を夢見てる。











 ■




「ごらん、星が燃えているよ」

 舞台(ステージ)の外。
 闇に包まれた観客席、そこに佇むモノがある。

「2つの星が激しく瞬き、ぶつかりあっている。
 嗚呼―――なんて胸を震わせる演目だろう」

 狂戦士の青年は謳い上げるように、その光景を喝采していた。

「いがみ合う二家に抱えられた、ふたりの逢瀬。
 悪戯な運命の星が、気まぐれに操る数奇な筋書き。
 これは悲劇か? それとも喜劇か? 嗚呼、なんて切ない物語だ」

 舞台の上では今まさに、2つの恒星がその版図を競うかのように輝きを増している。
 天使の翼は成長を止めず、光に追い込まれた悪魔もまた、抗うように過熱した。
 その熱に当てられて、更に天使の光が強くなる。
 またしても追い込まれた悪魔は、今度こそ潰れるかに見えたが、再び土壇場で立ち上がる。
 まるでハウリング。恒星の核は共鳴し、互いの力を引き出し合う。

 これは、人知れず行われた前哨戦。
 本番の前のリハーサル。
 それを、気配を遮断し、客席に忍び込んだ彼だけが、観客として見届けていた。

「なあ、君もそう思うだろう?」

 否、ここに、もう一騎。

(―――こいつまさか、俺様が見えてんのか?
 いや、流石に、そんなわけねえだろうが)

 気配を消して存在していた彼もまた、この邂逅を見届ける証人だった。

(―――勘がいいのか鈍いのか、得体のしれないバーサーカーだ。
 ここじゃ"悪いこと"はできねえな。
 相手にしないに限る。無視だ無視っと) 

 継代のハサンは少し離れた席から、ロミオと同じく、その相克を観ていた。

「だんまりかい。誰かと感想を話したかったんだが。
 しかたないことか、演劇鑑賞の楽しみ方は人それぞれさ」

 狂戦士の言葉を無視したまま。
 彼は今も、在りし日の答えを追い続けている。

 壇上で歌う天使を、ホムンクルスは友と呼んだ。
 信じるに値すると。ならば彼女を知れば、少しでも分かるのだろうか。
 あるいは、やはり光の根源を見る必要があるのだろうか。

 この世界の神。
 最も多くの星々から信仰を集める少女。

 仕えるとは、信じるということだ。
 ならば新たに、己が信じられるものを見つければ。
 あの日、信じていたものを知ることが出来るのだろうか。

(なんて戯言か。
 俺様もこいつらに当てられて、ヤキが回ってきたのかね)

 気配を遮断した彼らに気づくこともなく。
 演者の熱(ボルテージ)は高まっていく。

 客席は今も、漆黒の闇に包まれて。
 演目を終えた少女たちが、別々の舞台袖へと別れるまで。
 数少ない観客達は、静かにその舞台(ステージ)を見つめていた。







 ■


 東京の夜を滑るように走る車両の中、ラジオのローカル放送がノイズを混じらせながら響いている。
 区民センターを出立した天梨は新宿に向かう車の後部座席から夜景を眺めていた。
 膝の上にリュックサックを置き、窓の外を飛び交う光で瞳を満たしている。
 ラジオから流れる音楽はどれも海外の古い曲ばかりで、頭頂部を滑って抜けていくように耳に入ってこなかった。
 天梨にとって激動の日が漸く暮れた。今日は本当に色々あった。色々あり過ぎて心の整理が追いつかない。

 昼間から勝手にアヴェンジャーが戦って、
 プロデューサーのサーヴァントと電話で話して、
 恐ろしい蝗害に襲われて、
 不思議な赤ん坊と出会って友達になって、
 魔術を教えられて、
 大変な会合に出ることになって、令呪が一画減って、そして―――


「悪魔の少女のことを考えているのか?」


 膝の上から声がした。
 抱えたリュックの口は開かれ、そこから透明なガラス瓶が顔を出している。


「……うん、やっぱりあの子。すごいや。
 最凶アイドルかあ。今日は生(ライブ)で見ちゃったし、ますます推しちゃうなあ。
 私もぼんやりしてる場合じゃないなあって、どんどんモチベ上がってくるんだ」

「……意見するわけではないが。
 私の見立てでは、あの少女の輝きは実に凡庸だ。
 御身の足元にも及ばない。この先も、御身を脅かす存在にはなりえないだろう」

「ほむっち、なんかちょっと怒ってる?」

「私は怒ってなどいない。
 そも、私に怒りという感情機能は備わっていない。
 私の感情は天梨のような純正な人間が獲得した物に比べ起伏に乏しく、薄いものだ」

「じゃあ誰かを好きになることも、嫌いになることもない?」

「人間の一般的な恋愛感情、親愛感情、性愛感情という意味ではそうだ。
 善人も悪人も、本来、私にとって区別はない」

「でも……ほむっちは、ほむっちの仕える主人様? のことが、大切なんだよね」

「確かに私は、かの光を何よりも優先する。
 その意向を余すことなく叶えたいと願う。
 私にとって他者とは"彼女"か、"彼女以外"だけだった。御身に会うまでは」

 それは矛盾だ。
 無垢。全てを平坦に俯瞰していた筈の観測機に起きていた、重大なエラーに他ならない。
 天梨ですら違和感を覚える言説に、しかしミロクは気づくことすらない。
 それ程に、かの光に仕える事は、彼にとって至極当然の帰結であり、絶対の法則に等しいのだ。

「だが、私は今日、久方ぶりに新たな感情を知った」

「そうなんだ。どんな気持ち?」

「憎悪だ」

「ええ……」

「先ほど、私の中で渦巻いた精神の揺らぎを自らの知識と照合した結果、判明した。
 私は今日、憎しみという感情を知ったのだ。これは尋常な変化ではないぞ、天梨」

「もうちょっと、ポジティブな感情を学んだ方が良いと思うけどな……」

 少し引いてしまったけど、本人がなんだか嬉しそうにも見えたので、天梨は何も言えなくなってしまった。
 代わりに瓶を抱え上げ、少し高い位置で浮かぶ赤子を見つめてみる。
 両の手のひらで挟まれたガラスのなかで、彼はふわふわと揺らいでいた。

「ね、もう一度聞かせて。どうして私なの?」

「眩しかったから」

それは既に交わされたやりとりをなぞる様に。

「やっぱりわかんないや、なんでそんなにも信じてくれるのか。
 私なんかより、あの子の方が―――」

「違う。御身こそが我が主にふさわしい。
 悪魔など、誑かされた哀れな被害者に過ぎない。
 そんな偽物すら、あるいは君ならば救うことが出来るだろう。
 白き極光とは似て非なる。日向の陽光よ」

「救う……? 私が、あの子を?」

「正しき光は歪みを祓う。
 君を信じることに根拠が欲しいなら見るといい。
 私こそ、その証明なのだ」

 走行する車両の窓から飛び込んでくる街の光。様々な色のカケラが抱えた瓶の中でキラキラと弾ける。
 短い両腕を広げ、小さな指先をガラス瓶の両端に付ける。
 その動作を見て、天梨もようやく気づいた。

「ほむっち……もしかして、ちょっと大っきくなってる!?」

「その通り、これこそが、君の為した奇跡だ」

 どこか誇らしげなホムンクルスは瓶の中でクルクルと回転しながら、己が肉声で語る。つい昨日までは叶わなかった筈の、空気振動で。

「君の歌は私を成長させ続けている。
 その意味を理解しているか? 君の力はガーンドレッドの軛をも超越し、私は身をもって奇跡を体現している。これに勝る根拠はあるまい」

 瓶の中で短き一生を終える筈だった生命が成長を再開した。
 それがどこまで続くのかは分からない。
 いずれにせよ、少女の歌は不可能を可能にしたのだ。

「……ほむっち、私、怖いよ」

「君にとっても突然のことだ、混乱するのも無理はない」

 抱え上げていた腕を下ろし、リュックに入れ直してから膝の上に戻した。
 天梨は背中を丸め、リュックを抱き締めるように両腕を回す。

「怖いよ」

 ずっと、顔の見えない誰かの声が怖かった。所在のわからない誰かの視線が恐ろしかった。
 だけど今、自分自身の力が怖い。どこからきたのかも分からない、自らの異常なる力。
 それが周りに与える影響が恐ろしい。

「あの子は……怖くないのかな」

 都心の夜は明るい。
 車道を外れさえしなければ、今まだ人工の灯りの中で守られるだろう。
 社会の篝火は未だ絶えていない。それがいつまで用をなすかは、誰にも分からない事柄であったが。

 夜はもう、ここに。
 時計の針が天頂に近づくにつれ深まっていく。
 高層ビルの点滅灯、繁華街のネオン、先行車両のテールライト。
 窓の外を流れ飛ぶそれらは、闇を彩る光虫のように見えた。



 ――――Ah ! Vous dirai-je, Maman,



 そのとき、ふと、ラジオの音が耳に入る。




 ――――Ce qui cause mon tourment ?



 なぜだかその歌が気になった。
 先ほどまで全く入ってこなかった放送が、急に鮮明に聴こえた。
 きっとそれは、天梨の知っている音だったから。
 聞いたことのない歌詞、そもそもフランス語で歌われていて、何を言っているのかも分からない。
 初めて聴く歌、なのに知っている。

「ああそっか、歌詞はわからないけど、メロディは聴いた事があるんだ」

 音階で言えば、ドドソソララソ。
 全く違う歌詞で、しかし全く同じ曲を知っている。
 それも2つ。
 一つは子供にアルファベットを教える時に聴かせる歌。所謂、「ABCのうた」。
 そして、もう一つは―――

「――きらきら星」

 先ほど別れた少女を連想させる、星の童謡。

「いや、これはその原曲だ」

 腕の内側、瓶の中のホムンクルスがこぽりと音を立てて回るのを感じる。

「"Ah ! Vous dirais-je, Maman(あのね、お母さん)"。
 18世紀フランスで流行したシャンソン。
 そのメロディは後に英国に流れ着き。
 有名な『ABCのうた』や『"Twinkle, twinkle, little star(きらきら星)"』の源流となる一曲だ」

「すご、ほむっち詳しい」

「私はかつて索敵と共に敵の真名情報の解析も行うべく。
 多岐にわたる知識を入力されて生まれたのだ。
 時事はともかく、この程度の雑学は今も記憶域に残っている」

「言われてみれば、ロミオとジュリエットもちゃんと知ってたもんね」


 天梨は膝上の瓶を撫でながら、その歌に聴き入っていた。
 フランス語の意味は分からなくとも、耳に心地よいソプラノに、きっと優しい言葉なのだろうと思った。



 ――――Depuis que j'ai vu Silvandre,



「じゃあさ、これはどんな歌なの? きらきら星とは違う歌詞なんだよね?」

「全く違う。
 たしか……小さな女の子が、母親に自分の気持ちや悩みを打ち明ける、そんな歌だったはずだ」


――――Me regarder d'un air tendre ;


「気持ちって、どんな?」

「初恋だ」


 夜は徐々にその深みを増していく。
 人の営みは死んでゆく。
 おそらくこの先も、聖杯戦争は激化を極める。
 混沌の拡散は、近い将来、不可逆のモノとなるだろう。


――――Mon cœur dit à chaque instant :


 つかの間の猶予に、天梨はラジオから流れる歌に、自分の声を重ねてみる。
 フランス語は話せない。
 だけどメロディーなら知っている。
 なので小さく揺れるハミングを。
 離れていくもう一つの星へ、ささやかな祈りを込めながら。


――――「Peut-on vivre sans amant ?」


 どうか、私の大切な人達が、幸せでいられますようにと。






 ■






 Ah ! Vous dirai-je, Maman, / ねえ、きいてよ、お母さん。


 Ce qui cause mon tourment ? / 私の悩みがなんなのか。


 Depuis que j'ai vu Silvandre, / 優しい瞳のシルヴァンドル。


 Me regarder d'un air tendre ; / そんな彼に出会ってから。


 Mon cœur dit à chaque instant : / 私の心はこう言うの。


「Peut-on vivre sans amant ?」 / 「みんな好きな人なしに、生きていけるのかな」って。






 ■






【新宿区・路上/一日目・日没】

【輪堂天梨】
[状態]:精神疲労(小)、高揚
[令呪]:残り二画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:たくさん(体質の恩恵でお仕事が順調)
[思考・状況]
基本方針:〈天使〉のままでいたい。
0:またね、満天ちゃん。
1:新宿区で夜からお仕事を開始する。
2:ホムっちのことは……うん、守らないと。
3:アヴェンジャーは恐ろしい。けど、哀しい。
4:……私も負けないよ、満天ちゃん。
[備考]
※以降に仕事が入っているかどうかは後のリレーにお任せします。
※魔術回路の開き方を覚え、"自身が友好的と判断する相手に人間・英霊を問わず強化を与える魔術"を行使できるようになりました。
 持続時間、今後の成長如何については後の書き手さんにお任せします。
※自分の無自覚に行使している魔術について知りました。
※煌星満天との対決を通じて能力が向上しています(程度は後続に委ねます)。
※煌星満天と個人間の同盟を結びました。対談イベントについては後続に委ねます。

【アヴェンジャー(シャクシャイン)】
[状態]:苛立ち、全身に被弾(行動に支障なし)、霊基強化
[装備]:「血啜喰牙」
[道具]:弓矢などの武装
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:死に絶えろ、“和人”ども。
1:鼠どもが裏切ればすぐにでも惨殺する。……余計な真似しやがって、糞どもが。
2:憐れみは要らない。厄災として、全てを喰らい尽くす。
3:愉しもうぜ、輪堂天梨。堕ちていく時まで。
4:青き騎兵(カスター)もいずれ殺す。
5:煌星満天は機会があれば殺す。
[備考]
※マスターである天梨から殺人を禁じられています。
 最後の“楽しみ”のために敢えて受け入れています。

※令呪『私の大事な人達を傷つけないで』
 現在の対象範囲:ホムンクルス36号/ミロクと煌星満天、およびその契約サーヴァント。またアヴェンジャー本人もこれの対象。
 対象が若干漠然としているために効力は完全ではないが、広すぎもしないためそれなりに重く作用している。


【ホムンクルス36号/ミロク】
[状態]:疲労(中)、肉体強化、"成長"
[令呪]:残り二画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:なし。
[思考・状況]
基本方針:忠誠を示す。そのために動く。
1:輪堂天梨を対等な友に据え、覚醒に導くことで真に主命を果たす。
2:アサシンの特性を理解。次からは、もう少し戦場を整える。
3:アンジェリカ陣営と天梨陣営の接触を図りたい。
4:……ほむっち。か。
5:煌星満天を始めとする他の恒星候補は機会を見て排除する。
[備考]
※アンジェリカと同盟を組みました。
※継代のハサンが前回ノクト・サムスタンプのサーヴァント"アサシン"であったことに気付いています。
※天梨の【感光/応答】を受けたことで、わずかに肉体が成長し始めています。
 どの程度それが進むか、どんな結果を生み出すかは後の書き手さんにおまかせします。

【アサシン(ハサン・サッバーハ )】
[状態]:ダメージ(小)、霊基強化、令呪『ホムンクルス36号が輪堂天梨へ意図的に虚言を弄した際、速やかにこれを抹殺せよ』
[装備]:ナイフ
[道具]:
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:マスターに従う
1:正面戦闘は懲り懲り。
2:戦闘にはプランと策が必要。それを理解してくれればそれでいい。
[備考]


【渋谷区・路上/一日目・日没】

【煌星満天】
[状態]:健康、恐怖、高揚
[令呪]:残り三画
[装備]:『微笑む爆弾』
[道具]:なし
[所持金]:数千円(貯金もカツカツ)
[思考・状況]
基本方針:トップアイドルになる
0:またね、天梨ちゃん。
1:渋谷区にて蝗害の現地調査を行う。
2:魅了するしかない。ファウストも、ロミオも、ノクトも、この世界の全員も。
3:輪堂天梨を救う。
4:……絶対、負けないから、天梨。
[備考]
 聖杯戦争が二回目であることを知りました。
 ノクトの見立てでは、例のオーディション大暴れ動画の時に比べてだいぶ能力の向上が見られるようです。
※輪堂天梨との対決を通じて能力が向上しています(程度は後続に委ねます)。
※輪堂天梨と個人間の同盟を結びました。対談イベントについては後続に委ねます。

【プリテンダー(ゲオルク・ファウスト/メフィストフェレス)】
[状態]:健康
[装備]:名刺
[道具]:眼鏡
[所持金]:莫大。運営資金は潤沢
[思考・状況]
基本方針:煌星満天をトップアイドルにする
1:輪堂天梨との同盟を維持しつつ、満天の"ラスボス"のままで居させたい。
2:ノクトとの協力関係を利用する。とりあえずノクトの持ってきた仕事で手早く煌星満天の知名度を稼ぐ。
3:時間が無い。満天のプロデュース計画を早めなければならない。
4:天梨に纏わり付いている復讐者は……厄介だな。
[備考]
 ロミオと契約を結んでいます。
 ノクト・サムスタンプと協力体制を結び、ロミオを借り受けました。
 聖杯戦争が二回目であること、また"カムサビフツハ"の存在を知りました。


【バーサーカー(ロミオ )】
[状態]:健康、恋、超ごきげん
[装備]:無銘・レイピア
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:ジュリエット! 嗚呼、ジュリエット!!
0:素晴らしい歌劇だった!!!!10000000000000万ロミオポインツ!!!!!!!
1:ジュリエット!! また会えたねジュリエット!! もう離しはしないよジュリエット!!!
2:キミの夢は僕の夢さジュリエット!! 僕はキミの騎士となってキミを影から守ろうじゃないか!!!
3:ノクト、やっぱり君はいい奴だ!!ジュリエットと一緒にいられるようにしてくれるなんて!!
[備考]
 現在、煌星満天を『ジュリエット』として認識しています。
 ファウストと契約を結んでいます。


【???/一日目・日没】

【ノクト・サムスタンプ】
[状態]:健康、恋
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:莫大。少なくとも生活に困ることはない
[思考・状況]
基本方針:聖杯を取り、祓葉を我が物とする
1:当面はサーヴァントなしの状態で、危険を避けつつ暗躍する。
2:ロミオは煌星満天とそのキャスターに預ける。
3:とりあえず突撃レポート、行ってみようか?
4:当面の課題として蛇杖堂寂句をうまく利用しつつ、その背中を撃つ手段を模索する。
5:煌星満天の能力の成長に期待。うまく行けば蛇杖堂寂句や神寂祓葉を出し抜ける可能性がある。
6:満天の悪魔化の詳細が分からない以上、急成長を促すのは危険と判断。まっとうなやり方でサポートするのが今は一番利口、か。
[備考]
 東京中に使い魔を放っている他、一般人を契約魔術と暗示で無意識の協力者として独自の情報ネットワークを形成しています。

 東京中のテレビ局のトップ陣を支配下に置いています。主に報道関係を支配しつつあります。
 煌星満天&ファウストの主従と協力体制を築き、ロミオを貸し出しました。

 前回の聖杯戦争で従えていたアサシンは、『継代のハサン』でした。
 今回ミロクの所で召喚された継代のハサンには、前回の記憶は残っていないようです。



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最終更新:2025年02月01日 03:37