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そして彼らは小羊に戦いを挑んだ。小羊は彼らに打ち勝つ。小羊は万の主、王の王であり、彼と共にいる者たちは、召され、選ばれ、忠実な者である。
They will make war on the Lamb, and the Lamb will conquer them, for he is Lord of lords and King of kings, and those with him are called and chosen and faithful.
――ヨハネの黙示録
◇◇
視界に映るその光景を、鏖殺の十字軍を率いた将のひとりたる聖騎士でさえ未だ信じられなかった。
七つの頭で七つの王冠を戴く、燃え盛るように赤い体躯を持った異形の竜。
預言者ヨハネが暗示した、いつか来たる黙示録の時を先取りしたアークエネミーがそこにいる。
大淫婦を伴っていないのはせめてもの幸いか。そう呟いて、ゴドフロワ・ド・ブイヨンはいつも通りの薄い笑みを浮かべた。
将とは常に笑うものだ。そうでなくては後に付き従う惰弱な部下達を焚き付けられない。
すべては合理。いかなる狂気も数理の如く、法則で以って運用できれば最高だ。
そういう生き方を選んだゴドフロワは、このまさに破滅と呼ぶべき状況を前にしても変わることなく不動だった。
「さあ、臆している場合ではありませんよ皆の衆。むしろこの試練を与えられたことを栄誉と思うべきです」
我に従う光の騎士達を――そして自分自身を鼓舞するために呟いて。
ゴドフロワは己に這い寄る人間性を破棄し、踏み潰す。
大義の前にヒトの弱さなど一切不要。贅肉と分かっているならば、削ぎ落とすのが合理的に決まっている。
「いざや預言を超える時。神世を穢す掟破りの厄災を、我らが信心に誓って討ち滅ぼすべし」
言うなり、白騎士は地を蹴り駆けた。
それに続くは光の十字軍、『同胞よ、我が旗の下に行進せよ(アドヴォカトゥス・サンクティ・セプルクリ)』。
統一された背丈と武装の軍勢が、かの神を崇める同胞達が、赤き竜に向けて颯爽と進軍を開始する。
「――――愚カ、脆弱。闘争ヲ超克シ得ル人類ハ存在セヌ」
その勇猛に対し竜は、嘲笑うように七頭のあぎとを開いた。
横溢するは戦禍の記録(レッドアーカイブ)、人類の過ちと躍進の集積。
滅びを識らぬ人類の原罪が、血花咲くように迸る。
オッペンハイマーの過ち、原子爆弾製造理論。
竜のブレスとして解き放たれた人類科学の功罪が、此処に神話の形を成した。
触れれば穢される汚染物質が、赤き炎と化して迫る十字軍を焼き払わんとする。
火力は当然のように対城相当。狂った赤騎士の振り撒く戦災に限界は存在しない。
「切り払いなさい。恐れることはない」
だがゴドフロワは、短くそう言い放ちながら黙示録の火炎放射(ドラゴンブレス)と相対した。
彼もまた境界記録帯、人智を超えて輝く人理の影法師。
狂化の恩恵を受けて並以上のスペックを得ているとはいえ、その規格はサーヴァントの枠組みを出ない筈。
しかし相手がヨハネの預言に伝え聞く厄災となれば話は別だ。
期せずして遭遇した生涯最大、聖地占領にさえ勝る大義を前にゴドフロワ・ド・ブイヨンは過去最高のモチベーションを得ている。
それがもたらすのは最高到達点を超えた限界突破。
後先を度外視し、狂気のままに目の前の聖戦に没頭すればこそ初めて実現できる無理無体。
「我らは神の使徒、ヒトの身にありながら世を導く使命を仰せつかった敬虔な教徒なれば。
恐れるな畏れるな、敗北など断じて認めるな。
主の御心のままに駆け抜け、サタンの奸計を打ち砕く十字軍たれ――!」
輝ける十字軍が、津波のように押し寄せた炎禍を文字通り切り裂いて空に躍った。
風を切り、音を切り、進む彼らの性能もまた将たるゴドフロワの高揚に従って著しく強化されている。
少なくとも、刀凶聯合の雑兵達を作業的に炙り出しては虐殺していた時とは比にならないパワーアップを受けているのは確かだ。
ならば無論、彼らを牽引するゴドフロワ自身の強さがそれを遥か超えて強まっているのは道理であった。
その上、ネアンデルタール人という防衛装置が彼我の戦力差を極限まで削ぎ落とす。
炎の波を超えたゴドフロワ達は、そのまま足取りを緩めず黙示録の赤竜に向かっていく。
対して異形竜が繰り出したのは、竜という姿形(フォルム)からは想像も付かないほど現代的な攻撃だった。
機銃掃射である。
竜の鱗のひとつひとつに蓮種を思わす無数の銃眼が生まれ、そこから万を超える魔弾がフルオートで連射され出したのだ。
地上に存在するどの機関銃より早いレートと威力で殺到するこれを無策に浴びれば、英霊だろうとありふれた射殺体のひとつに成り下がろう。
「戦争の騎士たる者、遣う兵器に古新はないと」
ゴドフロワはこれに対し、電瞬の判断で十字剣を振り上げた。
退く択など端から持ち合わせていない。
狂戦士の戦場とは常に不退転。目的地を見据えたのなら、後は足が擦り切れようが歩み続けるのみ。
「舐められたものだ。こんなもの、露払いどころか羽虫も殺せないでしょうに」
剛の一閃が激烈な衝撃波を生み、迫る魔弾の嵐を着弾前に空中で圧し潰す。
一瞬で潰れたポップコーンのようになって散らばっていく鋼鉄が、彼の言葉が虚勢でないことを物語っている。
侮慢の報いだと突きつけるように、ゴドフロワは続く一閃で竜の玉体を引き裂いた。
溢れ出す血液は紛れもない本物。新宿を現在進行形で満たし続けている洪水と同種の液体だ。
流れた以上は傷であるに違いないのだが、しかし彼ほどの戦士の渾身を受けたというのに、竜――レッドライダーは呻き声ひとつあげなかった。
代わりに零れたのはひどく機械的で、それでいて無力な小虫を憐れむような声音。
「カ弱イ」
次の瞬間、七頭が持つ十四の眼球が一斉に騎士を見つめた。
恐れを知らない狂戦士が総毛立つ。
反射的に背筋を伝った汗の正体を、ゴドフロワはすぐに理解した。
「補正器の類か!」
この赤竜/赤騎士は荘厳な外観に反して非道くシステマチックだ。
実際、機械的と表現したのは合っている。
無数に書き込まれたプログラムの中から、状況によって最適な武装を取り出し行使する人類史の武器庫。
戦争という概念に用いられた全技術を記録するこれは、その分野限定の"根源"と形容しても間違いではない。
照準完了(ロックオン)。
対空射撃兵器の照準器に用いられる超高度命中補正機能を、竜はすべての眼球に搭載していて。
今、そのすべてが大将首であるゴドフロワを捕捉した。
保証される極限の命中精度。誤射の可能性を絶無とした上で、黙示録の竜が大きく羽ばたいた。
「まったく、悪い冗談だ……!」
さしもの彼も死を覚悟する光景が、赤い空を切り裂いて飛来する。
視界を覆い尽くすほどの数の、弾道ミサイルの群鳥だ。
速度も威力も、弾薬などとは一線を画する。
先のが対人規模ならこちらはまごうことなき対軍対城規模、その次元の攻撃が必中と化し彼ひとりを追い立てる。
「総軍、陣形ッ!」
だが、這い寄る死の悪寒でさえゴドフロワの聡明を崩せない。
竜に纏わり付き、各々傷を刻み体液を飛沫かせていた狂光の十字軍が、将の号令を受けて一気に後退。
彼を中心に据えた陣形を構築し、空から来る精密絨毯爆撃への対応準備を完了した。
「偽りの神罰など片腹痛し。天使神々の下す裁雷に比べればこんなもの、屁にも劣る!」
応と叫ぶ声が聞こえたのは、かつて彼らを率いたゴドフロワだからであろう。
この光軍はあくまで道具。使い潰すことに微塵の躊躇も覚えないが、それでもゴドフロワは正體なき彼らにも尊い信仰の火が灯っていると本気でそう信じている。
なればこそ、軍勢は騎士の命に則って曰く偽りの神罰に覇を吼えた。
剣だけを武器として、現代最新の叡智が惜しげなく注ぎ込まれた破壊の雷を一発残らず撃墜していく。
無論起爆は避けられず、光はひとつまたひとつと消えていったが、マスターである狩魔の備蓄が続く限り十字軍の残兵が尽きることはない。
範囲を収縮させたとはいえ核兵器を放ちながらたかだか満身創痍程度の負担で済ませるレッドライダーと比べれば流石に劣るが、ゴドフロワもまた一般的な基準に照らせば相当燃費のいいサーヴァントだった。
よってこの破滅的と言ってもいい戦法、陣形が成り立つ。
逆にそうでもなければ、今のは到底防げる攻撃ではなかったろう。
「さて――」
ゴドフロワに安息の時間は一秒たりとも与えられない。
人間の分際でガイアに弓引いた応報とばかりに、次から次へと赤い厄災が降り注いでくる。
今度は七頭から放たれる火炎放射が、彼とその軍勢すべてを焼き払うべく吹き荒んだ。
先のドラゴンブレスと比較すれば威力では劣るものの、これもまた同じく高濃度の放射能を含んでいる。
原人の呪いに頼っても完全には殺しきれない、規格外と呼んで偽りのない大火力だ。
サーヴァントのゴドフロワも完全な無影響ではいられず、実際彼は込み上げてくる吐血をずっと堪えていたが、それでも剣を振るう手は鈍らない。
天高く振り上げる剛閃で炎壁を斬滅し、代わりに神の奇跡をなぞるような光の柱を空に聳え立たせた。
彼が見つけた聖十字架は嘘偽りなく本物の聖遺物であり、その上宝具に昇華までされているのだから武器としての性能は極上だ。
炎熱の地獄を破却したゴドフロワは、空から落ちてくる無数の円錐状の物体を視認した。
幸いにも港区で使われたような核爆弾ではない。が、瞬間的な破壊力で言えば間違いなくそれに迫る。
――地中貫通爆弾(バンカーバスター)。その釣瓶撃ちである。
鼓膜が吹き飛び、脳にまで不可逆の障害を負わせるような轟音が連続する。
いかに無双無道を誇る十字軍といえど、この全弾を捌き切ることは特攻を前提にしても不可能だ。
彼らの抵抗を無視し、いや踏み潰して、無数の円錐が碇(アンカー)のように地へ突き立った。
瞬間、爆裂。大地が文字通り捲れ上がって、極小規模のカタストロフを引き起こす。
天まで貫く粉塵の嵐は津波のように無数の不純物を含んでおり、触れた者の肉を抉り取る死の烈風に他ならない。
だからこそ、その只中を引き裂いて輝く十字の光は本物の奇跡に比肩する荘厳を纏っていた。
「承知で挑んだつもりですが、まったく雲を掴むような戦いですね」
剣を握り、破壊された大地に立つ美しい白騎士の息は既に喘鳴の域に達している。
呼気は乱れ、口元は鼻血と吐血でみすぼらしく汚れ見るに堪えない。
「げに恐ろしきは悪魔の醜悪……か」
十や二十では利かない数の骨が折れ、内臓に突き刺さっているというのに、しかしゴドフロワは笑っている。
それどころか、こうして焼け野原以上の地獄絵図と化した地上に立つ彼は、貞淑とは縁遠い高揚に浮かされていた。
この悪夢としか表現の仕様がない光景の、何がそんなに彼を唆らせるのか。
答えは明白。問うことすら愚かしい。
「私も大概俗人ですね。
なんとも情けのない話ですが、私は今、過去例を見ないほど燃え上がってしまっている。
こればかりはこの悪徳の都市に責任をなすり付けるわけにもいきませんね、聡明なる神は若輩の虚飾など、容易く見抜かれるでしょう」
今ここで剣を握り、悪魔を模倣した醜悪な大災害に挑む自分こそは、正しいことのために剣を執る神の使徒である――そう信じられるからだ。
虐殺ではなく。征圧でもない。ここには御為ごかしでない本物の大義があり、その重責が自分を限界を超えた彼方まで燃え盛らせてくれる。
「恐ろしくて堪りませんよ、赤騎士(レッドライダー)」
「哀レナ事ダ。星ヲ体現スル偉業モ叶ワヌ羊ガ、滅ビニ逆ラウ事ガ如何ニ愚カシイカ――」
「あぁいえ、誤解させてしまいましたね。
すみません、"あなた"が怖いのではありませんよ」
七首の中央が語る温度のない憐憫を、ゴドフロワは一笑に伏す。
「この戦いの後、我が友にどんな嫌味を言われるか。それだけが恐ろしくて仕方ないのです」
その遠回しな挑発に、厄災竜レッドライダーは言葉では応じなかった。
道理の解らぬ哀れな子羊に絶望(ほろび)を与える、さらなる兵器の開帳で応じるのであった。
◇◇
現在進行形で血風吹き荒ぶ路地裏を吹き抜ける風は重く湿り、血と硝煙の残り香を漂わせていた。
先手を取ったのは狩魔だった。静寂を裂くように乾いた銃声が響く。
周凰狩魔が放つ魔弾はまるでそれ自体が意思を持つかのごとく軌道を変じ、悪国征蹂郎の巨体を正確に追い詰める。
建物の壁面を掠めて跳ねた弾丸は鋭い火花を散らし、その全てが一撃必殺の確信を孕んでいた。
征蹂郎は無言のまま、当然のようにその凶弾を回避する。
見るからに鈍重な大柄の体にも関わらず、無駄を削ぎ落とした動きは静かで迅速。射線を読み切ったかのように身を滑らせる。
時に手を壁に掛けて反動を利用し、時に地を強く蹴って一気に間合いを詰める。
間に存在したデュラハンの兵士は、彼の躍動に巻き込まれるなり軽自動車に衝突されたみたく吹き飛んだ。
そうして距離を確実に詰めようと画策する征蹂郎に対し狩魔は退くことなく、次々と弾丸を紡ぐ。
魔術回路を駆動させ、手中の銃は終わりなき死の雨を吐き出す兵器と化す。
魔力を材料に弾丸を生成している以上、弾切れは事実上期待できない。
跳弾は曲線を描いて虚を突き、征蹂郎の死角を正確に抉る。
だが征蹂郎の眼差しは一切揺らがず、複雑怪奇を極めた魔弾の軌道さえすべて計算づくで動いていた。
その圧迫的な銃火の嵐を抜ける刹那、征蹂郎の掌が形を変える。
指先を刀の切っ先に見立て、もう一方の掌を添えて力を溜め込む。
居合めいた静寂の後、一閃。風を裂き、肉を断つその軌跡は音に迫る勢いで狩魔の眼前へと迫る。
僅かに遅れて魔弾が発動する。
狩魔の思考が導く弾丸は、狙い違わず征蹂郎の頬を掠め、鮮烈な痛みと共に血を散らす。
だがその瞬間、悪国の手刀もまた狩魔の首筋を掠めていた。浅い傷口からは赤い筋が滲み、冷ややかな血の線が肌を伝う。
互いの殺意は一瞬の交差の中で実体を得た。
決戦場の空気は張り詰め、わずかな呼吸さえも響くような緊張が満ちる。
〈喚戦〉にあてられた両陣営の兵隊による怒号や咆哮が喧しく響いているというのに、彼らは互いに肌を裂くような静寂を共有している。
悪国征蹂郎の頬を赤く濡らす雫と、周凰狩魔の首筋を刻んだ細い傷痕。互いにわずかに距離を取り、眼光と眼光が正面からぶつかり合った。
「――シィッ!」
抜刀。出し惜しんでいる余裕はなかった。
これに対し狩魔は、驚くでもなく煙草を咥えながら発砲。
銃声が再び歌舞伎町を震わせた。だが、先程までの狙い澄ました一撃ではない。
周凰狩魔は引き金を絶え間なく絞り続け、その拳銃から吐き出される魔弾はもはや銃火器の域を超え、機関銃の乱射に匹敵する弾幕密度を実現していた。
鉄と魔力が融合した硝煙の嵐が、怒涛の勢いで悪国征蹂郎へと殺到する。
「外道め」
「自覚してるよ」
味方の兵士を巻き込むことすら躊躇わない。
〈喚戦〉にあてられ狂乱のまま突撃していたデュラハンの兵士達が、次の瞬間には狩魔の弾雨に呑み込まれ、肉片となって四散した。
狩魔は呵責を抱く様子さえ見せない。
この場で最優先すべきは大将首であり、征蹂郎を討つためなら雑兵の犠牲は何の問題にもならないという冷徹な考えが透けている。
罵倒しながらも征蹂郎の足は止まらない。
返り血と土埃に塗れた姿のまま、彼は嵐の如く歩を進める。
時に倒れたデュラハン兵の死体を抱え上げ、弾丸を遮る盾とする。
次の瞬間には崩れ落ちる死骸を踏み台にして跳躍し、殺到する魔弾の嵐を切り裂くように跳ねる。そうして進撃を続けていく。
巨躯の男が弾幕の只中を抜けてくる様は狩魔でさえ怪物のようだと感じる。
だが次の瞬間、彼の瞳はさらに大きく見開かれることになった。
「マジかよ」
征蹂郎は両腕を十字に組み、弾幕を正面から受け止めたのだ。
乾いた衝撃音と共に、無数の弾丸がその腕を叩く。
だが肉を裂く音はせず、代わりに硬質な金属音が辺りに響いていた。
服が破け、袖の下に潜ませていたものが露出する。
――レッドライダーが創造した、極薄軽量のガントレットが、彼の前腕を覆っていた。
皮膚の延長のように仕込まれたそれは反動を受け流しつつ弾丸を弾き飛ばす。
紙のような薄さで狩魔の魔弾をすべて防いでのける機能性が規格外であるのは言うまでもない。
「チッ……羨ましいぜ、チート野郎が。
生身で挑まされるこっちの身にもなってほしいね」
狩魔の喉から鋭い息が漏れる。
己の放った必中の魔弾が真正面から防がれた事実に少なからぬ動揺が走った。
わずか一瞬の硬直。だがその刹那を、征蹂郎は逃さない。
「が……!」
巨体が弾丸を裂いて突進し、放たれた前蹴りが狩魔の腹を抉った。
鈍い衝撃音が響き、狩魔の口から鮮血が吐き散る。
されどその肉体は倒れず、しなやかに弾むように後退する。
背後の空間を蹴って描いた軌跡は、美しくも獰猛な宙返り。
吐血の痕跡を空に散らしながら、彼は再び銃を構えていた。
「魔術による肉体強化か……器用なことだ……」
「昔から多芸が取り柄でね」
次の瞬間銃口から放たれた弾丸は、これまでの嵐とは一線を画す光を纏っている。
魔力を極限まで圧縮し、ひとつの"死"の結晶と化したかのような――文字通りの魔弾。
命あるものを消滅させ、この世から痕跡ごと抹消する最大火力だった。
放たれた瞬間、征蹂郎の肌が粟立つ。
幼い時分から死に親しみ続けてきた純粋培養の暗殺者、その直感が告げる。
これを喰らえば、いいや掠めただけでも恐らく即死だ。
どれほど鍛えていようが、人体はこの一撃に耐えられない。
それだけの威力がある。よって征蹂郎は深追いせず身を翻し、疾駆。
魔弾はその即断を嘲笑うように軌道を変えた。
曲がる。追尾する。軌道上の物体を消しゴムにかけたみたいに力ずくで消し去りながら、死の疾風と化し追いかけてくる。
(この威力の弾丸でも、軌道を操れるのか……!)
征蹂郎の歯が食いしばられ、奥歯が軋む。
あれほどの威力を持つ魔弾でさえ狩魔は自在に操る――分かっていたことだが、やはりこの凶漢は恐るべき相手と言う他ない。
しかし次の瞬間、さらなる衝撃が彼を待っていた。
本来なら射撃戦を維持すべき狩魔が、己の弾丸の陰を縫うようにして疾駆し、間合いを詰めてきたのだ。
「……!?」
悪国征蹂郎の眼が驚愕に見開かれる。
馬鹿な、と零しかけた。殺人拳を持つ暗殺者に肉弾戦を挑むという明らかな自殺行為。
迷わず迎撃しようとする征蹂郎だったが、今度は彼が一瞬の判断の遅れに足を引かれる番だった。
「ぐ、ッう……!?」
鋼鉄を叩き込むような衝撃が征蹂郎の胸板を打ち据える。
肺が一時的に潰れ、息が詰まる。
呻き声が喉奥から漏れ、食いしめた歯の隙間から血反吐が溢れた。
屈強な巨体が後退する。踏み締めるアスファルトが砕け、足元に亀裂が走った。
たたらを踏み、荒く呼吸を吐く悪国征蹂郎。
弾丸と拳を併せ持つ狂気の射手が、その眼前に立っていた。
「クソ硬ぇな。何で出来てんだよお前」
「……さぁ、な。憎しみと殺意、とかじゃないか」
「へぇ、つまらん堅物かと思ってたが、意外とジョークもイケるクチか」
咥え煙草のまま拳銃片手に嗤う狩魔は、顔を歪めた征蹂郎に比べて余裕に見える。
が、それはあくまで不敵以外のものを表に出していないだけだ。
焦燥に駆られているのは彼の側も同じであった。
(分かってたつもりだが、命が幾つあっても足りねえな。
肉体強化をフル稼働させて、全力で銃弾ぶっ放して、そこまでしてようやくパンチ一発。こんな割に合わねえ喧嘩をやらされるのは初めてだ)
やれやれ、と心中で毒づく。
狙い澄ました魔弾を掻い潜り、嵐のような連射を真正面から防ぎ切り、なおも歩を進めてくる。
狩魔はこれまで征蹂郎という男を"暗殺者"と形容してきたが、実際対峙してみて、その肩書き自体が罠であったことを思い知った。
この男は、暗殺者(アサシン)である以前に殺人者(エリミネーター)だ。
鍛錬で磨き上げた身体能力と天性の戦闘センスを常に百パーセント発揮して襲いかかってくる、ヒトの形をした重戦車。
戦いが長引けば、自分はいずれ此奴の魔拳に呑まれるだろう。
タイムリミットは近い。そう思いながら、狩魔は靴底で煙草を揉み消した。
(一撃でも抜刀を通せれば、それで終わる筈だが……遠いな……)
――胸骨の奥で鈍い痛みが軋む。
暗殺者とは一撃必殺を是とするもので、事実征蹂郎もそのように戦ってきた。
そんな彼にとって、これほど長く壮絶な正面戦闘を演じるのは初めてのことだった。
周鳳狩魔は傑物だ。認めるのは癪だが、事実そうなのだから仕方がない。
逃げ場を与えぬ追尾の殺意を振り翳しながら微塵も慢心せず、手段に固執することなく喉笛に喰らいついてくる殺し屋。
あれほどの火力を自在に操れる魔術師が、なぜ自ら死地に飛び込み拳を振るう判断を下せるのか。
狩魔が賭け札にするのは他人の命だけではないのだと知った。
彼にとっては自分自身のそれさえ、機を見て投資するチップに過ぎないのだ。
まさに異能と狂気の融合だ。不用意に長引かせれば、張れるチップの数で劣る自分がババを引くことになるのは間違いない。
互いに認識は同じ。
"この男相手に時間はかけられない"。
手札を惜しまず短期決戦に持ち込み、可能な限り迅速に首を獲らねばこちらが食われる。
それに、目の前の敵以外でも懸念はあった。
地鳴りのような音と、肌が焦げ付くほど濃密な魔力の気配が遠く離れた此処まで香ってくる。
戦っている。ゴドフロワ・ド・ブイヨンと、レッドライダーが神話の如き交戦を繰り広げているのだ。
(ライダーが負けるとは思えない。だが……今のアイツは暴走している)
征蹂郎は、港区の時のような魔力消費が一切自分を襲っていない事実を逆に不気味と感じていた。
遠巻きにも分かるほど無茶苦茶な戦闘を行っているのに、皆無(ゼロ)と言っていいほど負担がないのである。
魔術の知識に乏しい征蹂郎でも、自分のサーヴァントが道理を逸した、埒外の怪物であるということは理解できる。
だからこそ、このまま自分の目がない場所でその暴走が進行し続けた時、果たして何が起こるか判断がつかない。
そういう意味でも、早く目の前の怨敵を殺して事の収拾に当たりたい気持ちがあった。
嫌な予感がするのだ。自分はひょっとして、とんでもない間違いを冒してしまったのではないかという恐怖心。
聯合の王云々を度外視し、ひとりの人間としての本能で、征蹂郎はレッドライダーの招く未来を不安視していた。
(賭けだな。ゴドーがアレをどこまで足止めできるかで、俺らの未来は変わる。
あの化け物がゴドーを潰してこっちに介入し出したら詰みだ、百パーセント勝ち目はない)
一方の狩魔も、当然としてレッドライダーの存在に頭を悩ませていた。
あのサーヴァントは正真正銘、戦力としての桁が二つ三つは違う大量破壊兵器だ。
ゴドフロワが突破されたその瞬間、陣形も人員もすべてが無為と帰す。
原人達の存在も、本気の赤騎士の前ではわずかな足止めにしかなるまい。
それに赤騎士が介入してくれば、流石のシッティング・ブルも悠灯を連れた戦線離脱を即決するだろう。
よって、その前に何とかして悪国征蹂郎を殺さなければならない。
銃把を強く握り締め、脳内のバルブをより緩めて濁流宛らの勢いで狂気を滲出させる。
間違いなくこれまでの生涯で最大の修羅場だ。乗り切るためには、閾値を超えたガソリンが必要だった。
「考えることは一緒だろ、悪国」
「……不服ではあるがな」
「ならもう、チマチマと細けえのはナシだ」
視線と視線が、交差。
刹那、ふたりの王は殺し合いを再開した。
「――さっさとケリつけようぜ。これ以上最悪なコトになる前に」
「そうしよう。……オレも、そろそろ貴様の澄まし顔が目障りになってきたところだ」
魔弾が爆ぜる。
ヒトの形をした殺戮装置が跳ねる。
無数の屍の上で、王達は喰らい合っている。
◇◇
アルマナ・ラフィーもまた、その短い生涯で最大の集中を以って現状へ臨んでいた。
魔力を惜しまず廻して最大加速し、風のように邪魔なデュラハン兵を蹴散らしていく。
しかし雑兵狩りは本題ではない。
自分の行動圏を広げるため、たまたま行く先にいた彼らを鏖殺しているだけに過ぎない。
本来の目的は言うまでもなく、逃げることだ。
逃げつつ、敵方の隙を突いてこの状況を打破することだった。
「く――ッ」
いつの間にか、自分の足にコブラが巻き付いている。
背筋を粟立たせながら、全力で蹴りを放って振り落とし、踏み潰して殺した。
だがその時には眼前に、無数の兵隊を轢き潰しながら巨大なバッファローの突進が迫ってくる。
「はぁ、はぁ、は……!」
いずれも、ただの野生動物などではない。
これは霊獣だ。神秘を宿した、遥かの古から自然界に居座る先人達だ。
アルマナの故郷にも、こういった存在は密やかに生息していた。
幼い頃は見た目とは裏腹に心優しい虎の霊獣の背に乗って、日が暮れるまで野山を駆け回っていたものだ。
まさかそれが敵として自分の命を奪いに現れる日が来るとは思わなかったが。
(驚くほど指揮の質が高い――恐らくあの英霊は、アルマナ以上に"大いなる神秘"と親しんで育っている)
獣達の進軍を掻い潜って、宙に身を躍らせる。
かのマジシャンのお株を奪うような軽業だったが、芸に免じて許してくれるような相手ではもちろんない。
行く手を阻む隼の群れを、片手に創造した光弾で手当たり次第に迎撃する。
無論、魔力の消費を惜しんでいる余裕はなかった。
針の穴を通すような絶望的な戦いなのだ、後先を考えていればすぐに磨り潰される。
(どこ……?)
アルマナは、褐色の肌に汗を伝わせながら目を凝らして探していた。
尋ね人はただひとり。シッティング・ブルを使役するマスター、華村悠灯である。
華村悠灯は惰弱なマスターだ。
少なくとも地獄に変じたこの新宿でひとりにしておけるような強者ではない。
なら必ず、この場もしくはすぐ近くに彼女も来ている筈なのだ。
いつ何があってもすぐにシッティング・ブルが駆けつけられる位置に、かの大戦士のアキレス腱は必ずいる。
それを探し出すことだけがアルマナ・ラフィーにとっての活路。
しかしさしもの彼女でも、首尾よくとは行かなかった。
「ぁ……、……きゃう、ッ!」
ぬらり、と虚空から這い出るように戦士がアルマナに接近していた。
胸元に迫るトマホークの一撃に対する防御がもしわずかでも遅れていたら、今頃少女は即死していただろう。
咄嗟に展開した防御魔術を踏まえて尚、胸郭全体が尋常でない痛みを訴えている。
「は――、ぁ――、……っ、■■■!!」
口頭でのみ伝わる、文字に起こすことの出来ない古の呪言を吟じて光弾を炸裂させる。
その威力は、現代の魔術師を基準にするなら確実に上位ひと握りに入れる威力だ。
だが――
「…………」
近距離で直撃を受けた筈のシッティング・ブルは、事もあろうに無傷だった。
真実、わずかほどの手傷も負っていない。
彼がこの決戦に臨むにあたり作成、装備していた、精霊の祝福を帯びた幾つかの魔防具。
これが擬似的な対魔力スキルを実現し、アルマナの乾坤一擲を無情にも阻んだのだ。
「く……!」
歯噛みしながら身を翻して、蟀谷に回し蹴りを叩き込む。
だが痛んだのも軋んだのも、アルマナの細足の方だ。
神秘さえ宿せれば徒手で英霊を殴ることも可能だが、触れられることと殴り砕けることはまるで違う。
「ぎ――が、あ……!」
返す刀で足を握られ、そのまま真っ逆様に地面へ投げ落とされた。
肺の空気が逆流し、喉が焼け爛れたかと思うような痛みが走る。
それでも休んでいる暇はなかった。
真上から、シッティング・ブルが倒れた己に弓を向けているからだ。
咄嗟に身を転がしたことが少女を救う。
須臾の後、彼女の頭があった場所を岩をも砕く先住民(インディアン)の矢が撃ち抜いていた。
(やはり、真面目に挑んでは勝ち目はない……!)
息を整えながら、アルマナは光弾を放って牽制しながら駆け回る。
どこだ。華村悠灯はどこにいる。
見つけ出さないことには話にならない。
どう足掻いても犬死にだ。それだけは、絶対にあってはならない。
(アルマナの勝利条件はふたつだけ。
アグニさんが周鳳狩魔を斃すか、華村悠灯を材料にこのキャスターを足止めするか)
叶わなければ死ぬことになる。
踏み潰された家族の無念を晴らせぬまま、この造り物の街で塵と消えることになる。
それだけはできない。
絶対に、その未来だけは受け入れられない。
その一心でアルマナは死力を尽くし、この絶望的な戦いに身を投じ続ける。
もっとも利口な選択肢を無意識に排してしまっている事実に気付かないまま――小鳥は傷つきながら翔んでいく。
そんな姿を見下ろすシッティング・ブルは、ただ無言だった。
言葉なきままに、あがきもがくアルマナの姿を見つめていた。
彼は寡黙な男だ。少なくとも、狩魔のように饒舌な舌鋒で嬲る嗜好は得手としない。
だが今の彼が抱く寡黙の意味は、単なる性格上の問題とは明らかに違っている。
分かるのだ、目の前の少女が何を想って戦っているのかが。
幼い双肩で背負う過去の輪郭と、そこにかける想いの程が我が事のように伝わってくる。
であれば語ることなど、語れることなど、ある筈もなかった。
その愚を犯せば、シッティング・ブルはきっと耐えられなくなってしまう。
弓に矢を番え、秒速にして十を放つ。
彼は呪術師であるが、それ以前にひとりの戦士だ。
野生に親しみ育った先住民の雄である彼は、当たり前にあらゆる武器の扱いを心得ている。
わざわざ行わないだけで、その気になれば剣術でさえ一定以上の腕を披露できるだろう。
アルマナは速い。攻撃は通じず守りもまともに機能しない現状では、それは彼女が唯一誇れるアドバンテージと言ってよかった。
未開の集落で自然を友人に育ったが故の身体能力、当たり前に体得している達人級の身のこなし。
それらを魔術で底上げすることによって、英霊でも容易には捉えられない流麗を体現している。
死の網目を縫って羽ばたく小鳥の姿を追いながら――、シッティング・ブルは過日のことを思い出していた。
重なる。どれだけ気を逸らそうとしても、どうしたって重なってしまう。
大戦士ジャンピング・ブルのひとり息子として生まれ、跳ねるアナグマの名を与えられたこと。
美しく囁くバッファローの霊獣に、座せる雄牛の名を贈られたこと。
姉と共に草原を走り、暴れ牛と恐れられていたバッファローの幼童を乗りこなし友にしたこと。
あらゆる思い出が、今となっては何ら価値を持たない記憶が、脳裏に去来して胸を疼かせる。
己にもかつて、そんな頃があった。
この娘のように稚く、野山を駆け回っていた時代があった――
(なぜ、逃げない)
言葉にはしない。してはならないから。
されど、心のなかでは問いかけていた。
(娘よ。君は、分かっているはずだ。
力ですべてを奪い去らんとする侵略者の出現に対し、虐げられる側がどうするべきなのか)
シッティング・ブルは、戦士だった。
奪われる故郷の土地を、見捨てることができなかった。
そういう魂(スピリッツ)を、座せる雄牛(タタンカ・イヨタケ)は当たり前に有していて。
それ以上に、見え透いた結末に向けて進撃する同胞達を見捨てられなかった。
この無益な戦いの行く末に何が待っているのかを知っていながら、律するという道を選ばなかった。
けれど。
彼はそうあると同時に、人間だから。
どうしようもないほどに、人間だったから。
どうしても、空想してしまう。
もし己が、己の同胞達が、すべての矜持を捨てて逃げ出していたならというイフを。
(君は――――逃げ出すべきだろう)
それは、もはや空に絵を描くが如き荒唐無稽。
そう分かっているのに、目の前のいじらしい幼童に悔恨を重ねてしまう。
そういう意味では、アルマナ・ラフィーは間違いなくシッティング・ブルに有効打を与えていた。
もしも彼女が"虐げられし者"でなかったなら、この呪術師はもっとずっと完璧に目の前の小鳥を蹂躙できていた筈なのだ。
彼の問いは当然の疑問であり、狩魔ほどでないにしろ合理を是とするアルマナの陥穽を暴く指摘でもあった。
悪国征蹂郎が周鳳狩魔を討つか。
華村悠灯の居所を暴き、目の前の英霊の弱みを握るか。
それ以外にももうひとつ、彼女には手立てが存在している。
征蹂郎を見捨て、この戦場を離脱することだ。
そうでなくても一旦前線を離れ、事の趨勢を見守るのが最善であるのは言うまでもない。
彼女の目的はレッドライダー。聖杯戦争の原則をも破壊し得るあの大兵器を確保するのなら、征蹂郎の生死は必ずしも必然ではない。
そのことを踏まえて利口に立ち回る手段など腐るほどあろう。
悪国征蹂郎の生死さえ度外視すれば、彼女の前には無限の可能性が開けている筈なのだ。
なのにアルマナはこうして不合理極まりない奮戦を演じ、今まさに窮地に立たされている。
(逃げる。利用する。漁夫の利を狙う。
何だってできる筈だ。なのに何故、君は愚直に私へ挑むのだ)
アルマナは、それが不合理であること自体まだ認識していない。
彼女はこれが最善と信じて、盲目のままに鈍った判断に従って生死の彼岸で食らいつき続けている。
愚かだ。馬鹿げているし、大義のために人並みの感情さえ捨てた彼女らしからぬ体たらくだ。
けれどもしそれがなければ、彼女はとうに大戦士の靴底の露と消えていたに違いない。
その不合理こそが、この大戦士の歯車を狂わせる毒として機能していたから。
「か、ふ……! ――ぁ、あぁあああ、ぁあああぁあぁあああああッ……!!」
通じもしない魔術を撒き散らしながら、アルマナは必死であがいている。
彼女が頼ったメンタルコントロールは忘却。
感情を麻痺させ、抱いた悲憤を忘れ去り、人形に徹することで胸の張り裂けそうなトラウマを脱却した――と、それを信じているのは本人だけだ。
同じ痛みを知る男には、その痛ましさは殊更はっきり浮き上がって見える。
いっそ何もかも捨ててしまえば楽になれるのに、どうしてもそれができない矛盾。
強さによく似た弱さを、シッティング・ブルもまた病巣として抱えていた。
もういない同胞達も、誰もがみんなそうだった。
果てなき荒野は帰らない。文明は神秘を必ず喰らい尽くす。
自分達がどんなに抗い血を流しても、それはわずかに"その時"を遅らせる延命処置にしかならない。
分かっているのに、何も得られないと知っているのに、誘蛾の戦火に向かっていくしかなかった歴史の敗残者達。
(止まれ。逃げ出せ。諦めてしまえ。その先に道はないんだよ)
隼の翼がアルマナの肩口を切り裂いた。
呻き声と共に疾走が傾く。
そこに向けて、シッティング・ブルが接近。頭蓋を砕く手刀を放つが。
「ふ……ッ!」
歯を砕けんばかりに食い縛りながら、頚椎が千切れるのではないかというほど激しく首を横に振って掠り傷に留める。
返す刀でシッティング・ブルの胸に手を当て、ゼロ距離で光弾を炸裂させた。
(――――こんなもので)
だが、攻撃の成果は無情なほどに薄い。
皮膚からわずかな白煙をあげただけで、吐血ひとつしていない。
(こんなか弱い光で、何を切り拓くつもりなのだ)
苦渋の表情を浮かべたアルマナに、シッティング・ブルのトマホークが振るわれる。
致命傷は防いだが、それでも幼い身体は紙切れのように吹き飛んだ。
その軌跡を目で追いながら矢を番え、射撃。
内心の鬱屈とは裏腹に、彼の手はゾッとするほど正確だった。
――アルマナ・ラフィーは壊れかけの人形だ。
けれど、完全に壊れきってはいない。
制御しているつもりの心の奥から、涙の雫が水漏れしている。
――シッティング・ブルは壊れた老人だ。
もう一から十まで破綻しきった、矛盾だらけの大戦士。
漏れる涙も涸れ果てた男は、アルマナ・ラフィーの未来である。
互いに、相性は最悪だった。
アルマナはシッティング・ブルに決して勝てないし。
シッティング・ブルはアルマナを見ているだけで古傷が開いていく。
身体と心を削り合う戦い。栄光とは無縁の、泥臭いを通り越して錆びついた仁義なき野戦。
ぴぅ、と指笛の音が合図をする。
アルマナの真横に、空から新たな獣が落ちてきた。
山のような巨躯を持つ、漆黒の体毛をした熊であった。
「く……ぁ……!」
規格外の重量が間近に着地したことで地面が揺れ、さしもの小鳥も強制的に足を止めさせられる。
地面に縫い付けられたように動かない両足を叱咤する余裕はない。
アルマナが何をするよりも早く、黒熊の剛爪が彼女を引き裂くべく振るわれていた。
霊獣の中でもひときわ剛力に優れた熊の一撃は、いかにアルマナが優秀でも容易くは防げまい。
仮に防げたとしても、動きを止められた時点でその詰みは確定している。
シッティング・ブルが、再度矢を放つ。
ただし今度は、確実に少女の命を奪い去るだろう凶矢が。
「……終わりだ」
ようやく出した声は死の宣告。
押し殺した感情(ねつ)の中に憐憫を滲ませて、大戦士は小鳥の末路を見届けんとしたが。
あがった血飛沫はアルマナのものではなく、彼が喚んだ熊の霊獣のものであった。
青銅の兵士が突如として割って入り、霊獣を斬殺した後、シッティング・ブルの矢までも弾いたのである。
王から貸与されたスパルトイ、その最後の一体。
狂戦士の足止めという難行から唯一生き延びた青銅兵の到着が、ギリギリのタイミングで間に合った。
「……、……」
確かにこれで、アルマナひとりで戦うよりは幾分マシになるだろう。
だが、それでも――
「降伏しろ、魔術師」
彼我の戦力差は未だ歴然。
シッティング・ブルは、息を切らして自分を睥む少女に勧告していた。
この戦いは聯合の王を討つためのもの。
悪国征蹂郎はデュラハンの鏖殺を望んでいるのかもしれないが、周鳳狩魔は必ずしもそうではない。
恭順の姿勢を示せば取引にくらいは応じるだろうし、一時の苦渋を飲み込めば此処で無為に死なずに済むぞと。
持ちかけて――すぐに気付いた。
というより、思い出したのだ。
決して忘れられない"宿敵"の顔。彼が傲慢に自分達へ言い放ったその言葉。
『"選ぶべし。降伏か、死か"』
嗚呼。
今の私と、あの残忍な白人の。
一体、なにが、違うというのか。
「――――お断りします」
分かりきった答えを返して、小鳥は再び先のない空に翔び立つ。
スパルトイの斬撃をトマホークで受け止めながら、シッティング・ブルは感情のない顔でそこに存在していた。
その顔は断じて、勝利者と呼べるそれではなかった。
◇◇
一方的と呼ぶしかない戦況だが、死物狂いで喰らいつき拾えた理解がいくつかある。
まず、防戦は圧倒的に愚策。
通常攻撃がすべて対軍・対城規模にあるこの赤竜を前に耐えを選ぶのは時間と魔力の浪費でしかない。
よってゴドフロワら十字軍は現在、竜の爆撃で巻き上げられた瓦礫を足場にしながら討竜成すべく天へ駆けるという常軌を逸した芸当に興じている。
飛来する弾丸や爆弾をねじ伏せながら勇ましく進軍する信仰(ヒカリ)の軍勢。
赤竜討つべし。たとえヒトを在るべき結末に導かんとする機構であろうと、預言を逸して暴走し始めたのなら是非も無い。
ましてや神の敵たる赤き竜、サタンの化身を象った時点で処断は確定された。
聖地占領の使命のために赤子も老人も斬り殺した狂気の如き信心の騎士が、その不遜を許容できる道理は皆無だ。
そうして無謀と分かりきった突撃を敢行しながらも、狂気を飼い慣らすゴドフロワ・ド・ブイヨンは、熟練の策謀家を思わす冷静さでひとつの疑念を確信の域まで持ち上げていた。
(やはり可怪しい。狩魔から伝え聞いた、ロッポンギを焦土にしたという死毒爆弾――何故それを使わない?)
マスターである悪国征蹂郎への負担を鑑みてのことと考えるのが普通なのだろうが、ここまでの無茶苦茶をやっている時点でその可能性は排した。
レッドライダーは完全な暴走状態にある。恐らく悪国征蹂郎も、もはやこのサーヴァントを事実上律せていない。
であれば手段を選ぶ理由はなく、しぶとい敵を効率よく滅する手段として核兵器を選択するのはむしろ道理に思える。
が、赤騎士は依然としてそれをしていない。これをゴドフロワは、"しない"のではなく"できない"のではないかと考えた。
覚明ゲンジとバーサーカー。
華村悠灯とキャスター。
彼らが臨んだ第一陣の戦闘で、レッドライダーは祓葉の衛星である老人のサーヴァントに一撃で撃退されたという。
赤騎士が不滅の特性を有する以上、それは非常に不可解な話だ。
ほぼ間違いなく、蛇杖堂寂句の英霊は純粋な破壊力とは異なるベクトルで敵手を害する力を有していたと考えられる。
後遺症。そんな単語が、ゴドフロワの脳裏をよぎる。
(蛇杖堂寂句のサーヴァントに撃退されて以降、赤騎士は目に見えて無軌道な暴走を始めた。
機械は無機質故に合理的なものだ。であればきっとその暴走行為にさえ何かしら理由がある)
蛇杖堂寂句のサーヴァントに刻まれた手傷が、それだけ致命的だったのではないか。
打算的な考えのすべてを捨て去り、すべてをかなぐり捨ててでも破滅を到来させねばならないとの結論に至るほどの負傷。
それが騎士の竜化とこの馬鹿げた大破壊を招いたのだとすれば、先に述べた不可解の正體も見えてくる。
(不滅は既に剥がされている。
その上で現在進行形で、赤騎士はタイムリミットに急かされ続けている――)
レッドライダーは、こうして自分達と矛を交えている今も崩壊の只中にある。
避けられない運命の時を引き伸ばすため、自分自身をリソースとして延命処置を施し続けているとすればどうだ。
(――素晴らしい。天はやはり私に微笑んでいるようだ)
ゴドフロワの推測は当たっていた。
レッドライダーの霊基は、天蠍アンタレスの宝具による存在放逐に蝕まれ続けている。
不滅の鎧をも貫通し、横紙破りの超越者を葬らんとする星の強壮剤。
レッドライダーはそれに抗うべく、砂時計をひっくり返したように、貯蔵されている戦争のレコードを消費しているのだ。
核兵器の記録はとうに延命に使われ遺失した。先ほどゴドフロワ達を蹂躙したバンカーバスターも、既に赤騎士の中から消えている。
時が経てば経つほど、比喩でなく一秒ごとに失われていく戦禍の記憶達。
その欠損は本来埋められないほど大きな力の差を埋め合わせる、極上の台(うてな)として騎士を助けていた。
「ぜ……、あぁあああぁあああッ!」
対戦車砲の弾幕を十字架の輝きで消し飛ばし、裂帛の気合を込めてゴドフロワが加速する。
遂に七頭の間近まで辿り着いた白騎士の剣戟が、手始めに右から二つ目の頭に向けて振り下ろされた。
唐竹割りにされ、飛び散る赤き脳漿。
黙示録の竜の完全性が、神を敬慕する狂戦士の一刀によって損なわれる。
七頭は六頭と化し、幸いにも失われた頭が再生する兆しはなかった。
好んで選択した厄災のアバターの破損を修復する余裕さえ、天昇の圧力に逆らい続ける赤騎士には残されていないらしい。
「貴方は私を羊と呼んだが、私なりのも言って差し上げましょう。
私の眼には恐ろしい悪魔など映っていない。今私の眼前で蠢いているのは、死に怯え見苦しくあがき続ける図体のでかい羽虫です」
老若問わず、誰もが見惚れるような美しい顔で紡がれる嘲笑は美画を切り出して用いたよう。
されど赤き騎士竜は機械であり、よってそれに動じる機微など持ち合わせていない。
返答は言葉ではなく、次なる武力の開帳で行われた。
無色透明の風が、六頭になった竜の鼻息という形で吹き荒れる。
ゴドフロワは反射的にすべての呼吸を止めた。
その判断は正しい。
化学兵器――神経剤、窒息剤、血液剤。サリンに代表される負の化学技術が竜の呼気として放たれたのだ。
元の凶悪性に加えてサーヴァントをも害し得る神秘を帯びた猛毒の風、吸い込めばゴドフロワといえどただでは済まなかったろう。
しかし吸い込まなければそれで済むというほど、人類が突き詰めた"勝利"への欲望の底は浅くない。
「ぐ……ッ。が、ぁッ……!」
竜の鼻息には、触れるだけでも致命的な種類の毒も混ざっていた。
びらん剤と呼ばれる、接触した体表や組織を害する殺人毒だ。
ゴドフロワの顔や身体に爛れた火傷が浮かび上がり、誇張でなく沸騰を始める。
十字架剣を感光させて爆熱で吹き流すのが間に合ったからよかったが、そうでなければたちまち肉塊だったに違いない。
少なからぬ負傷を食いながらもなんとか留まったゴドフロワであったが、しかし次の瞬間、彼の胴に五体が四散するほどの衝撃が押し寄せた。
「ご、あああああァッ!!!」
竜の尻尾が薙ぎ払われ、苦境の騎士を打ち据えたのだ。
堪らず血を吐き、吹き飛ばされるゴドフロワ。
本人の意志でなく後退させられる美しきシルエットに、あぎとが開かれ爆炎が迸る。
「――侮るなッ!」
刹那、しかし彼の握る十字架が十三倍のサイズに膨張した。
アンバランスなほど長大化した聖剣の薙ぎ払いが、化学の毒を含む竜炎を押し流す。
返す刀でゴドフロワは、その目を瞠るほど長い十字架を一閃。
赤竜の巨躯を袈裟懸けに切り裂いて、赤い血潮を撒き散らさせながら、一切の邪悪を赦さない聖光の熱で竜を焼き焦がした。
だがやはり恐るべきはレッドライダー、黙示録の赤騎士。
不滅という絶対性を失って尚、これは一介のサーヴァントでは及びもつかない総体規模を有している。
よって無傷。ほぼそれと同然。でろでろと滝のように流れ落ちる血糊を放置しながら、六頭が次のブレスを放つ。
クラスター爆弾。
無数の小型爆弾を溶かし込んだドラゴンブレスを、ゴドフロワは先と同じく十字架の閃撃でことごとく打ち払う。
当然のように混ぜられた放射能で皮膚が部分的に溶け、血は零れ眼球が血走るが、すべて無駄と断じて無視する。
離された距離を一足跳びで埋め合わせ、続き振るう一閃でまた一本の首を今度は根元から切り飛ばした。
レッドライダーが恐るべき存在であることに疑いの余地はないが、ゴドフロワもまた間違いなく規格外の狂気を宿した英霊だ。
額面上のスペックでは絶対に及べないほど差があるこの厄災を、彼は今極限まで研ぎ澄ました使命感と信仰心のみを武器に狩猟しているのだ。
天晴なり、ゴドフロワ・ド・ブイヨン。誉れと悪名高き聖墳墓守護者の敬虔は、本物の聖者や聖人の領域にさえ達しているのか。
「善因善果、悪因悪果――どの口がと怒られてしまうでしょうが、悪魔に相応しい有様ではないですか。えぇ? 黙示録の赤騎士よ」
まだ首は五つ残っているが、この十字剣が悍ましき竜を刎頸に処すに足る得物であることは既に証明された。
有難きは光の神韻。十字軍に微笑み、ゴドフロワの聖道を助けた神なる十字架。
そして原人の呪い。文明を否定する敗北者の詛呪は今も彼を助け続けている。
不具と化した五頭竜に爽やかな嘲りを向けながら、聖騎士は再び地を蹴って跳ねた。
その軌跡を追いかけるように続く魔弾の飽和射撃。
騎士は、主であり友でもあるあの青年の部屋で手慰みに遊ばせて貰ったシューティングゲームなる娯楽機械のことを思い出していた。
ただし画面上の自機を動かして挑むのと、自分自身の肉体ひとつで挑むのとでは言わずもがな天と地ほども違う。
「……まったく」
頬を掠めた弾丸の熱を感じつつ、改めて神敵を睥睨する。
二頭が欠け、己と同胞達がつけた傷からどろどろと赤い体液を垂れ流している、そんな無様と言ってもいい姿であるというのに。
「少しは堪えた顔のひとつもしてほしいんですがね。せっかくのマイクパフォーマンスが台無しだ」
空の高みから見下ろす赤竜の威容に漲る途方もない桁違いの存在感は、微塵たりとも衰えていなかった。
狂っている。これ自体もそうだし、これに挑もうとする発想もまた理性のボタンをかけ違えているとしか思えない。
既にサーヴァントの枠組みなど、この赤騎士は超越しているのだろう。
境界記録帯という鋳型を超えてとめどなく溢れ止まらない【赤】い洪水。
始まった戦火が地図を塗り潰し拡大していくように、狂乱した終末装置は暴挙に次ぐ暴挙でガイアの秩序そのものを圧してやまない。
十字の光閃が、ゴドフロワの腕に従って煌く。
それを合図に竜へ群がっていく十字軍。
爪を穿ち砕き、羽の皮膜を引き毟り、鱗の継ぎ目に切っ先を突き立てる。
鬼気迫る猛攻だったが、それさえこの竜にとっては蟻の群れに集られているような心地でしかないのか。
「■■■■■■■■■■――――!!!」
響く咆哮。
威嚇とも取れる轟音は、しかし物理的な破壊力を伴って纏わり付くゴドフロワの兵隊達を爆散させた。
肉体なき光の兵士を内側から破裂させた現象の正体は、マイクロ波を応用して生成した指向性エネルギー兵器に他ならない。
レッドライダーは自身の咆哮そのものを超高出力の殺人電波に変え、ゴドフロワの率いる軍隊を即座に鏖殺せしめたのだ。
露払いと呼ぶには剣呑すぎる手段を行使したかと思えば、次は赤騎士の眼球すべてが神々しく煌いた。
青白い輝きだった。美しい南国の海中深くのような、霊峰から拝む吹き抜ける快晴の青空のような。
ともすれば我を忘れて見惚れ、ほう、と感嘆の吐息を漏らしても不思議ではない美がそこにはあった。
が――次の瞬間、ゴドフロワの口からごぼりと大量の血潮が漏出する。
「ご、ぉ……!? が、ぎ、ィぁあぁああぁあああッ……!!?」
苦痛など物ともしない筈の聖騎士が、苦悶の絶叫をあげてその場で膝を突く。
内臓をすべて吐き出したくなるような吐き気と、脳を直接シェイクされているような激しい目眩。
その上で身体中の穴という穴からドス黒い血が溢れてくる。
体内の組織すべてを一瞬にして毒物に置換されたようだとゴドフロワは感じていたが、あながちその形容は間違いでもない。
「ぜ、ぁ……ッ、ぐ、ぉ……! は、ぁ――ッ」
先の青い眼光の正体は、チェレンコフ光と呼ばれる化学現象だった。
荷電粒子が光速を超える速度で空気中を進んだ際に発生する蒼白の光輝。
故にゴドフロワが視認した時点で、レッドライダーの攻撃は完了していた。
その時には既に、魔力を帯びた放射線という究極至高の有害物質が彼の霊基を通過した後だったのだ。
閾値を超えた放射線を浴びた代償が、今のゴドフロワ・ド・ブイヨンである。
体内を余さず毒で冒され、諸々の過程を吹き飛ばして致死的な急性症状をもたらしていた。
新宿のマスター達は皆、この邪竜を単身迎撃させる英断を下した狩魔に感謝するべきであろう。
如何な魔術師だろうと恒星の資格者だろうと――この臨界放射攻撃に直面したなら、全員即死だったことは想像に難くない。
「"誰ガ、コノ獣ニ匹敵シ得ヨウカ"
"誰ガ、コレト戦ウコトガデキヨウカ"」
淡々と紡がれる黙示録の一節。
赤き竜が権威を与えたという獣はここにはいない。
故にその礼賛は、これら兵器技術を生み出した人類にこそ与えられていた。
人類という霊長(ケモノ)が作り上げた新時代の戦争。
誰が、彼らの叡智と愚かさに匹敵できるだろうか。
誰が、これと戦うことができるだろうか。
謳い上げる終末装置に、しかし地から空まで斬り上げる光が一筋。
「あなたは、黙示録を読み直した方がよいでしょう」
竜の眼光が、幾度目か、地の騎士を見下ろす。
「あなたが力の象徴に選んだ竜(それ)は、御使の鎖に繋がれた哀れな負け犬の偶像でしかない。
預言の成就に狂うあまり、かの預言にて明確に否定された存在に縋るなど……愚かなまでに本末転倒だ。
同情しますよ、赤い馬の騎士。悪魔、異教徒、無神論者――この世に悪徳は数あれど、信仰を履き違えた者はそれらに劣らないほど哀れだから」
実のところ、レッドライダーが臨界放射という手を切った理由は十字軍の殲滅だけではなかった。
彼らがダメージコントロールに利用しているバーサーカー、忌まわしき原人達を屠る手段を用立てたかったのである。
原人の呪いはあらゆる文明の叡智を否定するが、しかし元からあったもの、自分達より古いものには無力だ。
だから特定の兵器に依らない放射性物質の臨界現象という"理屈自体はずっと自然界に存在した"法則を引き出し、これを用いて周囲に潜伏している原人達の一掃を試みた。
それは成功し、とうとうゴドフロワの十字軍は赤騎士の暴威を防ぐ風除けをも失った。
彼に付き従った原人は全滅。全個体が血を撒き散らす肉塊と化し、断末魔をあげることもできず消滅してしまった。
最終防衛ラインの消失。
ゴドフロワは、彼の十字軍は、今や丸裸にされたも同然だった。
光の軍勢は補充が利く。が、レッドライダーにしてみれば彼らなど鼻息程度で吹き散らせるような雑魚の集団でしかない。
状況のすべてが赤騎士に味方している。
だが、いいや、だからこそ――
「………………?」
不可解と、既視感。
二種の三文字が、騎士の思考回路にノイズを走らせた。
「そんなに意外ですか、私が立ち続けることが」
ゴドフロワは微笑っている。
傷だらけになり、血を吐き、素人目にも致命傷と分かるだけの汚染を受けているにも関わらず。
剣を落とさず、身体を震わせず、二本の足で大地を踏みしめ、十字架を握ってあがき続けている。
「それとも、誰かと重ねてしまっているとか?」
図星だった。
心なき黙示録の騎士に、本来その概念はない。
なのに一瞬、眼下の虫螻(ヒト)が放つ言葉に空隙を作られた事実。
それはこの世に存在するいかなる表現よりも如実に、今の赤騎士(コレ)の陥穽を指摘していて――
「我らは常に流されるもの。示された預言が揺らぐことはなく、その時は必ず訪れる」
騎士は、血みどろになりながら尚も歩みを進める。
空を見上げて、魔王の化身を模倣した愚かな機構を射竦める。
「だが。神を冒涜し、教えを嗤う運命などには――決して負けない。それが私が立つ理由で、あなたが私に敗北する理由だ」
幾度打ちのめしても、焼き払っても、斃れず食い下がってくる白い剣士。
重なる。否が応にも、あの偽りの白騎士(ホワイトライダー)を思い出してしまう。
「さあ、剣を執り続けなさい赤騎士よ。
私はあなたが用いるすべての奸計を打ち砕き、この穢れたソドムにて、己が信仰を証明する」
"シロ? 違うよ! 私はね、祓葉っていうの。神さまが寂しがって祓う――"
無邪気に笑いながら、何もかもを切り払って君臨する白色を憶えている。
おぞましい生き物だった。だが同時に、その何倍も神々しい存在だった。
だからこそ赤騎士は本能として、それを醜穢と呼んだ。
不遜なるデミウルゴス。支配はなく、戦争はなく、飢饉はなく、総ての死は凌辱される。
認めてはならぬ跳梁があった。
理解してはならぬ輝きがあった。
それはある種、チェレンコフ光と同じたぐいのヒカリ。
見てしまった時点で終わりという分かりやすい破滅の象徴。
レッドライダーよ。預言の終末装置よ、その役割に取り憑かれ破綻した狂竜よ。気付いているのか。
おまえもまた、かの六凶と同じ轍を踏んでいることに。
地母神の設計図(プログラミング)はバグに冒され、出自も性別も違うただ死ににくいだけの相手にさえ誤作動を晒してしまうほど壊れ果ててしまっていることに――過去最高に出力を向上させている現在ですら、気付いていないのか。
「何を呆けている。私は"来い"と言ったぞ」
「ォ、オ――オオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」
戦況の優劣は完全にあべこべ。
追い詰められている狂戦士が煽り、圧倒的優位に立つ赤騎士が吼える。
弾丸、爆弾、砲弾に化学兵器。
霊長の叡智の釣瓶撃ち、武器庫をひっくり返すが如き火力の大乱舞。
それは正しく流星群だった。千ではとうに利かない数の絨毯爆撃が、街をゴドフロワごと蹂躙していく。
「醜穢、汚濁、不遜、冒涜――ッ、許シ難キ悪徳ゾ疾ク死ニ絶エヨ朽チロ朽チロ朽チロ朽チチチチ朽朽朽朽朽朽朽朽朽朽朽朽!!!」
発狂と呼んでもいい咆哮。
同時に落ちる火力は対城に匹敵して余りある。
が、ならばそれに正面から拮抗していくゴドフロワは何なのか。
道理の無視、あるべき力関係の破壊。すべてを信仰の二文字で破壊していく姿はまさしく狂気の使徒の面目躍如だ。
想いの力、狂気を燃料として従える者達が為せる極限のパフォーマンス。
目の前の目的に対して必要なだけバルブを開いて狂気を引き出すのが彼らの常ならば、今のゴドフロワはそれを完全解放していた。
どれだけあっても足りないのなら、もう何の加減も必要ない。
魂の内から溢れ出す狂奔を余すところなく肉体に反映して剣を振るい、身体を動かし、新たに生み出した光軍にさえ伝播させていく。
十字軍は全兵器をねじ伏せて、確実に進軍している。
ゴドフロワの限界点はとうに超えられ、余力は風前の灯も同然だというのに、残り一ミリの蝋燭が溶かし切れない。
「手ぬるいぞ、レッドライダー」
こうなると、不利なのは明確に赤騎士の側であった。
何故なら彼はこうしている今も、武器庫の中身を失い続けている。
天蠍の毒は未だ健在。
比喩でなく一秒ごとに押し寄せる天昇に抗うため、本来無限に等しいリソースを注ぎ込み続けてなんとか存在を保っているのが現状だ。
ゴドフロワに甚大な損傷を与えた臨界攻撃や、対城クラスの破壊力を持つバンカーバスターを再利用しないのがその証拠。
再利用しないのではなく、そもそもできない。如何にガイアの怒りの具象化と言えど、英霊の型に嵌められた以上無い袖は振れないのだ。
もはや打ち出せる火力は一般的な弾薬と爆弾が大多数。無論、あらゆる死を超えてここまで生き延びた十字軍の長を打倒するには著しく不足である。
「この程度で十字軍(われら)の信仰を阻めると思っているなら片腹痛い。
壊れた終末装置など恐れるに能わず。聖墳墓守護者(アドヴォカトゥス・サンクティ・セプルクリ)を舐めるなよ、冒涜者ッ!!」
放たれた対艦ミサイルを一刀にして撃滅し、ゴドフロワは赤竜を超える高度にまで跳ね上がった。
自由落下を味方として墜落しながら、三本目の首を刎ね飛ばす。
そこで十字剣の切っ先を竜の躰へ突き立てて立ち止まり、そのまま斬り上げて四本目を誅する。
「白――」
「誰(どこ)を見ている」
漏れ出た言葉/妄執を、騎士は一蹴。
「貴様の相手は、十字軍(われわれ)だ」
次いで、薙ぎの一閃で二本を纏めて切り飛ばした。
哀れ、黙示録の赤き竜。
七頭の内六頭が切り落とされ、残るはわずかに一頭。
サタンの末路が如く、惨めでみすぼらしい姿。
「極星も針音も我らの運命には関係ない。
貴様が何を見たのか、何に狂わされたのかなど些末。
重要なのは貴様が預言を穢し、神の法理を冒涜したその事実のみ」
最後の一頭へ、最後の斬撃が振り上げられる。
誓うは神敵必滅、よって実現すべきは一撃必殺。
たとえ目の前にいるのが正真正銘の魔王(サタン)であろうが斬り伏せてやると、聖騎士の気迫は断じていた。
「――――"救いと栄光と力とは、われらの神のものである"ッ!」
いざや滅ぶべし、冒涜者(レッドライダー)。
増長のもとに失墜し、悔恨のもとに地獄の底へと沈んだものよ。
赤騎士は不滅。
されど、尊き機構は天蠍の毒に穢された。
七つの頭はそっくりそのまま、この終末装置の寿命に等しい。
すなわち黙示録の竜が討たれれば、もはや戦禍の厄災はその預言(しんわ)を保てない。
よってこれは、まさしく詰みの一瞬であった。
大いなる役目に対して落ちる断頭台が、ここにすべてを終わらせる。
だが――
「 ―――――― 梵 天 ヨ 、 地 ヲ 覆 エ ( ブ ラ フ マ ー ス ト ラ ) 」
まさに地獄の底から響くようなその声が、ゴドフロワ・ド・ブイヨンの勝利を無情なほど冷たく否定した。
最終更新:2025年08月30日 01:16