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 出羅攀。首のない竜をシンボルマークにした、少数精鋭の暴走族。
 それが、周鳳狩魔のオリジンだ。
 少年院を出所した狩魔を拾った剛気な総長の旗のもと、彼らは狂犬と恐れられた。

 残忍なわけではない。
 薬物に狂っているわけでもない。
 彼らが恐れられた所以はただひとつ、仲間のためなら何にだろうが喧嘩を売る結束力。
 ひとりの痛みを全員の痛みとし、ひとりの流血を全員の流血とする。
 相手がヤクザだろうが臆さず突っ込んで、詫びを入れるまで徹底的に叩きのめす――チームが解散して数年が経つ今でも、出羅攀の名は伝説として語り継がれている。

 出羅攀が解散してすぐ、狩魔は〈デュラハン〉を興した。
 伝説のチームの一員が創設するチームということで、年下、年上問わず大勢の人間が彼の下に集った。

 その際、彼の右腕を買って出た男がいた。ヤスという男だ。
 狩魔と同じく出羅攀の解散を受け入れられない人間だった。
 この世にはもういない。狩魔がその手で撃ち殺した。

『――なあ、周鳳。オマエそれでいいのかよ?』

 当時揉めていたヤクザ者が、デュラハンの息が掛かった店の不正をダシに強請りをかけてきたのだ。
 組員を攫って拷問すると、情報提供があったことをすぐに吐いた。提供者の身元も。
 椅子に座らされ、拷問を受けた"そいつ"は、憔悴しきった顔でそれでも狩魔へ問うた。

『最近のテメェは金勘定ばっかりだ。トップがそんなだから、ドブみてえな目をした奴らばかり入ってきやがる』
『金がなけりゃ同業者やヤクザにでけえ顔されるだけだ。アンタも分かってんだろ? ヤスさん』

 デュラハンは活動を始めてすぐに、そういう連中のせいで苦境に立たされた。
 だから狩魔は金を集めて地位を広げ、より広い範囲にこのチームの影響力が根付くように舵を切った。
 飲食店や風俗店の経営。麻薬売人への粛清と、後ろ暗いものを抱える者達へのビジネス的恐喝。
 敵対する連中は潰し、吸収して更にチームを巨大化させる。
 そうまでしても敵は尽きないが、昔のように足元を見られ、いいように弄ばれることはなくなった。
 皆で必死に此処までのし上がってきたというのに、今更何を不満がっているのか。

『……俺は、もう少し出羅攀の夢を見ていたかった。
 だからテメェがチームを作るって言い出した時は喜んで賛成したし、命を懸けて支えると誓いもしたンだ。
 けどよ……。周鳳オマエ、今のデュラハンを総長や皆に見せられんのかよ?』
『カタギの名前出して話反らすなよ。俺が言ってんのは――』
『反らしてねェよ。デュラハン作る時、テメェなんて言って俺を誘った?』

 ギロリ、と、紫電の眼光で睨み付けられて狩魔も黙る。
 そこには在りし日の、出羅攀のメンバーだった頃の輝きが迅っていた。

『"出羅攀みたいなチームを作りたいんだ"って、そう言ったろうが』
『……、……』
『ホスト狂いの女を風俗に流すのが出羅攀か?
 強奪したクスリを転売して小銭稼ぐのが出羅攀か?
 土下座して詫び入れた奴を寄ってたかってレンチで殴り殺すのが、俺達の出羅攀だとでも言うつもりかよ?』
『――黙れ、ヤス』

 チャキ、と、銃口を額に押し当てる。
 かつての特攻隊長は、それでも鼻で笑った。

『内輪揉めはご法度だ。総長に知られたら顔の形変わるまでブチのめされるな、オマエ』
『あの人はもう、俺達の世界になんざ興味ねえよ』
『俺はよ、後悔してんだ。あの時俺がすべきは、オマエのチームに入ることなんかじゃなかった。
 ぶん殴ってでも止めることだったんだ。オマエには無理だ、向いてねえ、って一言そう言ってやればよかったんだ。
 いいぜ、撃てよ周鳳。ここにいるのは地獄に向かうテメェの背を押した大馬鹿野郎だ。テメェにはその権利がある』

 奸計を練って敵を排除する。
 新たに立案したシノギで富を集める。
 数多の成功の上に今のデュラハンは成り立っていたが、勝利する度にある疑問が浮かんだ。

 ――総長なら、どうしただろう。

 出羅攀を率いた男は、聡明とはまったく縁遠い馬鹿な熱血野郎だった。
 問題が起きた時にそれを取り除く手腕なら、比べるまでもなく圧倒的に狩魔の方がスマートだ。
 実際、出羅攀時代には何度も警察の世話になったし、ヤクザに目を付けられてほとぼりが冷めるまで隣県にガラを躱したこともある。
 だが、それでも。どうしてか思ってしまう。あの人ならきっと、もっと上手くやれたのだろうと。
 いや、だからこそあの人は、あそこを夢の末尾としたのだろうか。

『さよなら、ヤスさん。今までお世話になりました』

 引き金に指を載せる。 
 裏切り者は赦さない。ましてやヤクザとパイプのある輩など以ての外だ。
 生かしたところでもう誰もヤスを信用しないし、何より狩魔が信じられない。

『周鳳』

 故に殺すことは確定で。その瞬間が間近に迫る中、男は……

『戻ってこいよ、まだ間に合――――』

 何か、わけのわからないことを言おうとした。
 銃声。反動。銃声。反動。銃声。反動。
 三発の銃弾を立て続けに頭蓋にぶち込まれ、見知った顔は潰れたトマトのように爆ぜていた。

『どっか行っちまったのは、アンタらの方だろ』

 どの口で、戻ってこいなどとほざけるのか。
 俺はずっと、あの日からずっと此処にいるのに。
 遠ざかっていったのは、アンタ達じゃないか。
 単車を下りて、チームを捨てて、俺の知らない世界に去っていったのは。

 ――もしも、ひとつだけ願いが叶うならば。
 ――戻りたい。もう一度あの頃に帰りたい。
 ――愛おしい黄金時代(ノスタルジア)。排ガス荒ぶ暴走の時代へ。

 彼はずっと、そう願って生きてきた。



◇◇



「――標的を確認! 『デュラハン』および『刀凶聯合』! これより交戦状態に入る!!」

 現代の日本警察が、その機動隊員が、こんな科白を放っている状況が如何に異質かは語るに及ばないだろう。
 凶悪犯に拳銃を発砲してもワイドショーで取り沙汰されるような平和な国の警察が、たかだか半グレ抗争の鎮圧に完全装備で結集しているのだ。

「両手を挙げて降伏しろ! 繰り返す、速やかに両手を挙げて降伏しろ! 命令に背いた者は即座に射殺する!」

 何度も言うがここは日本で、彼らが鎮圧にあたっているのは半グレの諍いである。
 治安の悪い独裁国家でもなければ、悪名高いテロ組織の拠点を包囲しているわけでもない。
 躊躇なく使われる"射殺"のワード。そして何より質が悪いのは、降伏したところで命を助ける気など欠片もないことだ。
 それは彼らの目を見れば分かる。血走り、見開かれ、ギョロギョロと敵を探して蠢く眼球。
 今も話など聞かずに殺し合っている両組織の兵隊、〈喚戦〉に自我を支配された者達と同じ特徴を、歌舞伎町に駆けつけた機動隊は皆有していた。

「――――降伏は拒否された。撃て! 撃て撃て撃てッ!!
 これは虐殺ではない! 正義であり、大義の制圧である!! 我らにはその権利があるッ!!」

 だが、彼らに限ってはその判断を狂わせているのは〈喚戦〉だけに限らない。
 ある狡猾な暗殺者の宝具であらかじめ支配下に置かれていた国家の守人達が、戦意を燃料に抗争の地表を均す殺戮装置として進軍する。

「半グレ共を鏖殺せよ!!」

 言わずもがな、武装しているとはいえ一介の不良でしかない半グレ達と、国家の機構として訓練を受けている警官の戦力差は比較にならない。
 ましてや数でさえ、現時点で生存しているデュラハン・刀凶聯合両軍の総兵数を大きく上回っている始末だ。
 まさしく彼らの介入は、この抗争を双方に益なく"台無し"にできる最悪の事態であると言わざるを得まい。
 が――

「思ったより少ねえな。もう少し多いと思ってたんだが」
「オレのライダーが好き勝手暴れていたのが功を奏したな……。
 現着前に死んだ者、足止めを食った者が相当数いるのだろう……」

 武装の差、積んできた訓練の差。
 そうした諸々の優位を一瞬で無為に帰せる戦力が、今だけは並び立っている。

 狩魔の放った弾丸が機関銃の如き密度で殺到し、防弾盾(バリスティック・シールド)越しに刹那で数十の機動隊員を虐殺した。
 機動隊が用いる防弾盾はライフル弾の直撃にも耐える強度を持つが、それも魔術により生み出される弾丸の前には紙切れも同然だ。
 瞬く間に血風をあげる肉塊と化していく哀れな正義の残骸達。
 敵ながら悲惨な光景だったが、狩魔の横に立つ征蹂郎も当然眉を顰めなどしない。

「後衛は、任せる……。お前の魔弾を見た後では、鉛弾など脅威とは思えないからな……」
「司令塔っぽい奴から潰していけ。どういう理屈か知らねえが、見たところ指揮系統は生きてるらしい」

 号令を受けるなり、征蹂郎が疾駆する。
 両腕のガントレットで迫る銃撃を弾き、返す刀に『抜刀』。
 効率では狩魔に劣るが、彼に負けじと盾ごと機動隊を爆散させていく。

 周鳳狩魔と悪国征蹂郎。
 互いに互いの存在を許せない、紛うことなき不倶戴天の間柄ではあったが、今は相手に向ける敵意さえ脇に置いていた。
 デュラハンと刀凶聯合、その決着を邪魔立てしようとする端役は一掃せねばならない。
 それは彼らの共通認識であり、よってふたりの王によるあり得ざる共闘戦線が確立される。

 絶え間なく瞬くマズルフラッシュ。
 飛び散る肉片は煙幕になり、征蹂郎が駆ける暇(いとま)を作る。
 いかに超人といえど彼の本領はあくまで暗殺。
 一対一なら遅れは取らねど、多人数の武装した国家権力を相手取るのは旗色が悪い。
 だがその前提を、赤騎士亡き今も生き続ける〈喚戦〉のブーストが覆す。
 強化された凡人と強化された超人のどちらが強いかはこの結果を見れば自明だった。
 銃弾ですら今の征蹂郎は捉えられず、狩魔の制圧射撃も合わさって、ただ無情に正義の使徒"だった"者達の屍だけが積み重なっていく。

 狩魔と盟を交わしたネアンデルタール人達もまた、当然彼らにとっては人智を超えた脅威そのものだ。
 銃弾はもちろん、手持ちの武装が何ひとつ意味を成さないのだから。
 新たな主の命に従い増殖に勤しむ彼らの棍棒が戯れのように振るわれるだけで、人体ができの悪いマリオネットみたいに捻じ折られる。
 状況は圧倒的。大義の前に正義を失った哀れな警察官達は、このようにただ邪魔者として排除されるしか術を持たない。

 それでも――ホムンクルスが手引きしたこの介入は、確かに最悪の一手である。
 征蹂郎と狩魔。ふたりの王はまったく違う観点で、それを噛み締めていた。

(……すまない)

 数百に達する機動隊員の凶弾から、熱に浮かされた仲間達を守るのは不可能だ。
 結果、征蹂郎の手の届かない場所で、聯合の兵隊達は一人また一人と狩られていく。
 レッドライダーの宝具で創造させた重火器も、原人を擁するデュラハンと交戦していた都合、その大半がただの鉄屑に変わっているのだ。
 この状況では神をも恐れぬ狂犬達とて、一介の不良とそう変わらない。
 視界の端で潰れ、踏み躙られていく仲間達の姿に、征蹂郎は果てしない無力感を抱かされる。

 警察の介入は、征蹂郎に残されたか細い希望さえ奪い去った。
 刀凶聯合の壊滅。彼の何より恐れた未来は、現実のものとなってしまった。

(どこの誰が描いた絵か知らねえが……やられたな。
 俺達のどっちが勝とうが、勝利の名誉と同時に大量殺人犯の汚名もプレゼントって魂胆か)

 対する周鳳狩魔は、この戦いが終わった後のことを見据えて舌を打つ。
 針音都市の特徴として、社会基盤の異常な鈍感さが挙げられる。
 都市の一角が物理的に消し飛んでも非常事態宣言のひとつもされていないのがいい例だ。
 ここはあくまでも聖杯戦争を行うための箱庭で、社会もそこに暮らす都民もただの舞台装置でしかない――よって狩魔は、自分達の抗争によって生じる社会的波紋についてはそれほど気にしていなかった。

 が、愚鈍にも限度があろう。
 警官相手に大量虐殺をやらかして只で済ませてくれるほど、この世界が温情だとは思えない。
 狩魔は推測する。これを仕組んだ何者かの目的は恐らくそこだ。
 機動隊動員で自分達を殺すのではなく、自分達に機動隊を迎撃・殺戮させ、既成事実を作ることの方に狙いがある。

 すなわち警官大量殺人の容疑者としての広域指名手配。
 表社会での居場所を剥奪し、世界そのものを道具にして地の果てまで追い立てる。
 これでは抗争に勝とうが負けようが意味がない。
 勝って得られるものよりも、この戦いに絡んでしまったことにより生まれる不利益が巨大すぎる。
 盤外の誰かの手によって、此度の抗争はどうあろうが勝者のいない泥仕合に堕してしまった。
 狩魔が描いていたこの先のプランも、こうなっては軌道修正せざるを得ないだろう。

 狩魔も征蹂郎も、〈はじまりの聖杯戦争〉を知らない。
 社会に潜伏して暗躍し、遂には都市ひとつを己が陣営に取り込んだ暗殺者の存在を知らない。
 彼らは今、時を超えて継代の暗殺者の脅威に蹂躙されていた。
 気付いた時には遅いのだ。社会戦というジャンルにおいて、かのサーヴァントに勝る怪物は存在しないのだ。

 こうして、半グレ達の全面戦争は決着を待たずして悪意に穢され。
 ただの一度も彼らの視界に入らずして、ホムンクルス36号とその英霊は本懐を果たした。


 もうこの抗争に意味などない。
 あったかもしれないそれは、こうして完膚なきまでに失われてしまった。
 であれば後に残るのはただひとつ。互いの意地とプライドだ。
 無意味にして、無益。今此処に、刀凶聯合もデュラハンも、どうあれ皆で敗者となる以外の未来を亡くしたのだった。



◇◇



 夜を切り裂いて、烈風の槍撃が迸った。
 その冴えはスパルトイのものとは比べ物にならない。
 一撃で岩を微塵に砕き、鉄をも斬り抉る英雄の刺突だ。

 そう、カドモスは青銅王であると同時に英雄王。
 神の走狗を調伏し、悲劇の運命を背負った建国の英雄。
 英霊は本来、生前の全盛期を参照して呼び出されるものだ。
 故に老年――楽園に導かれた時点の姿で現れている彼はイレギュラーである。

 肉体も才気も全盛を過ぎ、衰えに蝕まれた老体。
 如何な英雄も寄る年波には勝てず、かつての栄光は見苦しく窶れる。
 彼を前にしてそう軽侮した者の末路は決まっている。

「どうした。そんなものか?」
「く、ッ……!」

 シッティング・ブルは、冷や汗を垂らしながら守勢に立たされ続けていた。
 現代の魔術師を逸脱した実力を持つアルマナが死力を尽くしてさえ、ほんの掠り傷しか負わせられなかった大戦士。
 それが今、降臨した王の槍舞を前に何もできていない。
 霊獣は裂かれ、呪術による小細工は文字通り踏み砕かれ、放った矢は槍の風圧だけでひしゃげて墜ちる。

 完成度が違う。
 踏んできた場数が違う。
 そして生まれた時代が違う。

 神秘の残り香が揺蕩えた最後の時代。
 神が実在し、ヒトに干渉した本場の時代。
 同じ英霊でも、彼らの生まれた時代を隔てる壁の高さは天と地だ。

「期待外れも甚だしいな。儂を城から引きずり出してまで任せる仕事がこのような雑兵掃除とは」
「――来いッ!」

 侮蔑を隠そうともせず嘆息する老王の槍に肩口を抉られながら、シッティング・ブルは叫んだ。
 途端、バッファローの群れが虚空より出現し、カドモスに殺到していく。
 レッドライダーに用いたのと同等の霊獣使役。アルマナと戦っていた時、無自覚に加えていた手心はもうどこにもない。
 当然だ。そんな余分を残してこの王に相対するなど、自殺行為以外の何物でもあるまい。

「そう急くでないわ、見苦しい」

 嗜めるように言いながら、カドモスが霊獣の突撃を薙ぎ払う。
 それだけで群れの半数が両断され、続く刺突で一頭が頭から尻までを抉り飛ばされた。
 仲間の死に憤激しつつ駆け抜け、半面を失いながら王に一撃叩き込まんとする――カドモスは片手で受け止める。

 ダンプカーに最高速度で衝突されたほどの衝撃を受けているだろうに、王は後退りもせず不動だった。
 そのままの格好で広げた掌を握り締め、素の握力だけでバッファローの頭蓋を粉砕。
 飛び散る脳漿を煩わしげに穂先で跳ね除ければ、余波で生き残りの全頭が斬殺された。
 血に濡れ、臓物に濡れ、それでも老王の佇まいには微塵も悍ましさがない。

 彼はどこまでも雄々しく、壮烈な威厳に溢れていた。
 首筋を狙い吶喊してくる鷹を摘み取って、握り潰し打ち捨てる。

「儂は今、貴様達に慈悲をかけてやっているのだ」

 陣地である杉並を出たにも関わらず、これほどの無双。
 雪村鉄志に一撃を許したのは王の悪癖、慢心の賜物だったのだと示される。
 しかし今のカドモスにその手の失策は期待できない。
 王は激怒している。シッティング・ブルは、デュラハンは、絶対に踏んではならない虎の尾を踏みつけたのだ。

「貴様達にも共に経てきた日々があり、戦いがあった筈。
 よってそれを鑑み、感傷を慰めるくらいは許してやろうという儂の寛大だ。
 そら、良いぞ。存分に語らえ。涙を流し、別れを惜しむといい」

 王の靴音が響く。
 激しくはない。
 なのに一歩進む度、途方もない絶望感が込み上げてくる。

 シッティング・ブルは自分が罪人のような心境になっていることに気が付いた。
 大罪を犯し刎頸に処されるのが確定し、後はもうこの首が飛ぶのを待つだけ。
 ごく自然にそんな境地に追いやられていることに気付き、湧き上がる戦慄を堪えられない。

 ついぞ"彼ら"に微笑むことのなかった英雄譚。
 それが、絶対の死となって哀愁の大戦士を追い立てる。
 故郷のため、同胞のため、その誇りのために生きた偉大な男が。
 英雄に討伐される奸賊として、光に吹き散らされようとしていた。

「生きながら八つ裂きにされるのは辛かろう。
 貴様らが如何に許されざる凶賊でも、そのくらいの飴は与えてやらねばな」

 英霊の彼でさえそうなのだ。
 彼に守られている悠灯は、自分が呼吸を忘れていたことに気付いた。

「は――ぁ、う」

 それは、ある意味彼女にとって良薬だったかもしれない。
 死という問題が一時的にとはいえ解決し、鉛のように沈殿していた絶望が取り払われたことによる虚脱感。
 離人にも似た現実と自己の乖離を、カドモスという絶対的な壁の出現が吹き飛ばした。

 血の気が引く。鼓動しない心臓に幻痛が走り、息が苦しくなる。
 ノクトの凶手にかかって以降忘れていた本能(きょうふ)が戻ってくる。
 であれば悠灯が取る行動はひとつしかなかった。
 立ちはだかる障害物をすべてがむしゃらに蹴散らし続けた彼女もこの世界では単なる弱者でしかない。

「――キャスター!」

 縋るような声を受けて、シッティング・ブルが動く。
 戦いの主軸が周鳳狩魔と悪国征蹂郎にある以上、本来ここで全力を出すつもりはなかったが、もはやそう言っていられる状況ではない。

 苦虫を噛み潰し、舌で腔内に塗り拡げるような渋面を浮かべて。
 シッティング・ブルの口が、小さく動いた。
 諳んじるのは詠唱ではない。共に歩み、共に戦い、同じ地獄を見た同族への呼びかけだ。

「……同胞(とも)よ」

 応、と返す言葉はなかった。
 が、代わりに汚穢の具現のような光景が広がり始める。

 糞の詰まった袋をぶち撒けたように、地を這い広がる腐敗の色彩。
 吐き気を催す悪臭が渦を巻き、腐汁の水面から屍達が立ち上がる。
 首のない、個を識別する記号のない、踏み躙られ嬲り尽くされた勇士達の成れ果て。
 首無しの騎士(デュラハン)めいた姿となった先住民の怨念が、今も戦い続ける大戦士の声に呼応する。

 人魂とも自然発火したリンともつかない、蒼白の輝きを頭部の代わりに立ち昇らせて。
 ある悲劇、英雄なき物語の犠牲者達がまろび出た。
 彼らは幻影。されど、かつて確かに存在した"だれか"の写し身。
 タタンカ・イヨタケの見た地獄――彼の心象を再現する幻灯劇(ファンタスマゴリア)。


「――――『謳え、猛き紅馬(グリージー・グラス)』」


 曰く、インディアンは死を畏れない。
 例え肉体が朽ち果てようと、それはただ大いなる理の中に還るだけ。
 誇り高い生き様だ。彼らはどんな恐怖に相対しても、その高潔を失わなかった。

 これはそんな、失われた戦士達の末路。
 或いは、大いなる神秘に揺蕩えなかった男の嘆き。
 朽ち果てた肉体は弔われもせず腐り続け、無念の魂は永劫に救われない。
 後悔と罪業に塗れた穢れの軍勢が、侵略者討つべしと声なき声で勝ち鬨を謳う。

「……、……」

 対峙したカドモスは、ただ無言でそれを見つめていた。
 視線に宿るのは間違いなく侮蔑だったが、その矛先が果たして誰に向けられているのかは定かでない。
 目の前の大戦士か、それともこれを前に既視感を覚えてしまう自分自身にか。

「まさかとは思うが、これは泣き落としのつもりなのか?」

 カドモスにとってこの光景は、馴染み深い地獄絵図だった。
 英雄譚のように華々しく散れる者はひと握りより更に少ない。
 戦場で死ぬ、謀略で死ぬ、不幸な事故で死ぬ、神の科した理不尽で死ぬ。
 救われぬ死など、報われぬ命など、文字通り山のように見てきた。

「なら生憎だったな。この手の悲劇は見飽きている」

 シッティング・ブルは無言のまま、無残な軍勢を突撃させる。
 奇しくも宿敵の少年将校と同種の軍勢展開宝具。
 騎馬を駆りながら赤茶気たトマホークを振るい吶喊する前衛隊が、数でカドモスを圧しに掛かり。
 後衛隊は弓矢とライフルを用い、対処を迫られる敵を射ち殺さんとする。

 かの騎兵隊に数では劣れど、それより数段は優れた連携と技量が彼らの持ち味だ。
 命を失っても尚、同じ大義のもとに団結した先住民達は一蓮托生。
 死でさえ断絶させることのできない絆を元に、この上なく凄惨な交戦を開始した。

「敗北者の将よ。貴様も気付いているのだろう」

 勇猛果敢に吶喊し、近接で挑む者があった。
 カドモスは槍を薙ぎ、それを四散させる。
 飛来する弾丸と矢が、王の急所を狙い澄ましたが。
 カドモスはわずかな体捌きで事もなく回避する。
 生命力を奪い、吸い取って仲間に供給する呪術が五人がかりで行使された。
 カドモスは対魔力スキルを持つ故、こちらは対処する必要さえない。

「こんなもので儂は討てん。敵う筈もないと、既に分かっている筈だ」

 さざ波の押し寄せる浜辺を悠然と歩くように、王は先住民の怨嗟を蹴散らしていく。
 残忍な米国兵にも遅れを取らなかったインディアンの連携が、子どものじゃれつきのようにあしらわれる。
 得物は槍の一本だけ。おまけに背後には、ろくに動くことも出来ない小鳥を抱えている始末。
 そんな付け入る隙だらけの"個"に、宝具まで用いて呼び出した"群"がまるで通用していない。

「一言、女々しい。こんな薄汚い嘆きを糧に、一体何が成し遂げられるというのかな」

 怨念、絶望、無念、怨嗟、そして嘆き。
 あらゆる悪念の凝集体と化したリトルビッグホーンの亡霊達が、声もなく襲いかかる。

 悠灯はそれを、ヘドロの洪水のようだと思った。
 澱み腐った、かつて確かに偉大だった者達の成れの果てが、蛆の涌いた騎馬を駆って這いずるのだ。
 しかしその行進も、結局王のひとりさえ退かせない。
 足は止まらず、彼の闊歩を彩る紙吹雪のようにインディアンの血肉が吹き荒ぶ。

「回答を許そう、負け犬。王たる儂が卑賤な貴様に問いを投げる。
 そうまで落ち窪んだ瞳で、貴様はいかなる未来を視る。
 何を寄る辺に、その老いた躰を引きずっている?」
「――知れたコトだ、英雄王」

 これまで、王が出陣してさえ寡黙を貫いていた呪術師が口を開く。
 この問いだけは、黙殺するわけにはいかなかった。
 そうしてしまえば、きっと己は最後の一線すら保てなくなる。

 同じ悲しみを知る小鳥の一羽に動揺し、愛する同胞達さえ醜く歪めてしまった愚かな男。
 とうに壊れ、破綻した心の中に唯一残っている生きた灯火。
 シッティング・ブルを正気に繋ぎ止めている"唯一(それ)"さえ失ったなら、後に残るのは本当にただの抜け殻だ。
 その時大戦士シッティング・ブルは死に、タタンカ・イヨタケだけが残る。

「……虐げられたすべての同胞に、救いを。
 我らの魂を永久に救い給う、我らだけの新天地を。それだけを目指し、私は――――」
「は」

 紡がれる、決意という名の延命処置。
 彼を彼たらしめる最後の熱を、カドモスは一笑に付した。

「呆れたな、自惚れも甚だしい。逆に聞くが貴様、本気で己にそんな器があると信じているのか」

 竜を殺し、神を識り、国を興して生涯の限り発展させ続けた偉大な王。
 彼の眼光は対峙した者の抱える陥穽をつぶさに見抜く。
 目の前の人間が善か悪か、強き者か弱き者か、見極められぬようでは王など務まらない。

「愛する同胞の姿すら、愛する過日すら歪めてしまうような男が――」
「……黙れ」

 王の言葉は、逃避する者に対しては特に無慈悲に降り注ぐ。
 心の欺瞞を一息に貫き暴く、非情の槍として。

「――いったいどんな理想を為せるというのだ。
 蛆涌き腐臭躍る亡者の國でも作るのか? ああそれも良いかもな。実に貴様らしい」
「黙れ……!」

 シッティング・ブルが吠えた。
 だがそれ以上に、同胞を侮辱された亡者達が憤激している。
 最大規模で行われる『謳え、猛き紅馬』の突撃。
 大戦士の哀しみも、呪術師の苦しみも知らず、賢しらに詰る侵略者へ必ずや報いを与えるのだと死骸が猛る。

「『我過ちし栄光の槍(トラゴイディア・カドメイア)』」

 そのすべてが、君臨者の栄光にねじ伏せられた。
 渦を巻きながら轟いた、竜殺しの槍のひと哭き。
 汚穢の一切を切り祓う刺突が、軌道上の軍勢を全て貫いて炸裂した。

 それは、まさに烈風であった。
 防御も数の多寡も意味を成さない、ただ死せよと命ずる王の決定。
 雪村鉄志に用いたものが個を滅するための一撃だとすれば、今のは群れた賊を一掃しつつ本命を討つための一撃だ。
 英雄として名乗りを上げてから、エリュシオンへの移住を許されるまで、一日も休むことなく鍛え上げてきた槍術。
 個を殺すなら鋭く。群を薙ぐなら烈しく。目的に応じて然るべき技を選ぶことも、カドモスほどの武芸者ならば当然、可能である。

 銃や火薬しか知らない先住民に対し、ミサイル兵器を撃ち込んだようなものだ。
 カドモスの通った進路の形に抉られた亡者達が、一体また一体と崩れ落ちていく。
 そして烈風の行き着いた先には、血を吐いて崩折れる男の姿があった。

「ぐ……は、ッ」

 致命傷は避けたが、腹を抉られたのだろう。
 患部を押さえ、真っ赤な血潮を垂れ流しながら片膝を突くのはシッティング・ブルだ。

 止まらない血が不覚の大きさを物語る。
 責めるのは酷だ。近代の英霊が神代を知る英雄王に楯突いて、此処まで凌いだだけでも称賛に値しよう。
 しかしそんなもの、聖杯戦争では何の慰めにもならない。
 どんなに取り繕ったってこれは殺し合いであり、勝敗以外のすべては余白に過ぎないのだから。

「虚無が喚くでないわ。貴様の言葉はただの残響だ。それ以上でも以下でもない」

 シッティング・ブルが弱いのではない。
 兎にも角にも、相手が悪すぎたのだ。

 境界記録帯の強さは時代の古新に大きく左右される。
 その上カドモスは対魔力を持つ三騎士クラスで、シッティング・ブルはキャスタークラス。
 どれを取っても戦いの結果は見えていた。
 先住民の戦勘がなければ、そもそも戦いにすらならなかったに違いない。

「吠えた理想を心の麻酔に使ってどうする。
 大志を抱いたなら弱さも卑しさも受け止め、超克すると誓ってこそ覇道。
 それが出来ない時点で貴様は論ずるにも値しない。ただの虚無だ」

 アルマナ・ラフィーとシッティング・ブルが、同じ哀しみを飼っているように。
 英雄カドモスと大戦士シッティング・ブルも、同じ願いを抱いている。
 新天地の創造。英雄譚の否定。共通するのは、悲劇の消去だ。

 王はその違いを知覚できるからこそ、目の前の"似て非なるもの"を認められない。
 見ているだけで憤激が込み上げ、必ず殺すと嫌悪の炎が燃え盛る。
 そういう意味でも、カドモスは間違いなくシッティング・ブルの天敵だった。
 同じ種類の願いを抱く、純然たる格上の存在。
 先住民の大戦士は青銅の英雄の前に立った瞬間、年季も実力も劣るただの凡夫に成り下がる。

「故、此処で死ね。貴様は存在自体が無価値である」

 王の判決は揺るぎなく、下奴の誅殺を申し伝えた。
 逃れようのない絶望の君臨に、動こうとしたのは華村悠灯だ。

「っ、令呪を以って――がぁッ!?」

 令呪を起動し、この場からの撤退を命じようとする悠灯。
 だが言い終えるよりも先に、カドモスの槍が彼女の右肩を深く抉っていた。
 痛みで強引に中断される絶対命令権の行使。
 肩を押さえて蹲る少女を見る王の眼光は、彼女の相棒に向けられたのと同じかそれ以上に冷ややかなものだ。

「一目見た時から妙だと思っていたが、やはりそういうことだったか。
 なんとも醜悪な力もあったものよ。それにしても、主従揃って負け犬とはな」

 華村悠灯の肉体は、既に命というものを失っている。
 心臓の鼓動は途絶え、外見上取り繕われてはいるがノクト・サムスタンプに砕かれた頚椎も治癒していない。
 悠灯は今、死にながら動いている状態だ。
 生ける屍。彼女がそういう状態にあることを、王の慧眼は容易く見抜いた。

「ン、だと……このジジイ……ッ」
「英霊も英霊なら主人も主人だ。
 貴様らは主従揃って価値がない。
 生きていても死んでいても同じ、何も為せない存在だ」
「黙って聞いてりゃべらべらと好き放題――」
「では逆に聞くが。娘、なぜ貴様は黙って儂の言葉を聞いていた?
 目の前で自分のしもべをああも侮辱され、ひとつも言い返すことなく指を咥えていたのだ?」

 王の詰問は虚飾を許さない。
 悠灯は侮蔑されることにも、見下されることにも慣れている。
 母の愛人。街角の不良、補導してきた警察官。
 誰もがゴミを見つめるように悠灯を見た。
 だが、今向けられている視線はそのどれとも違っていた。

「お前もまた虚無だ。肉体だけでなく精神までもが前に進む意思を失っている」
「――――」

 ひたすらに無価値なものを見つめる眼差し。
 傷を負った子猫に同情する人間はいても、潰れた蝿にする者はそういない。
 底なしの侮蔑と、それより遥かに深い無関心。
 お前は取るに足らないと、嘘のない苛烈が物語っている。

「或いは、自分自身の性質に最近気が付いたというところか?
 無理からぬことだ、死とは万人の尻に灯る炎である。
 終わりがあるから人は焦り、土を噛んででも成し遂げようと奮迅するのだ」

 その通りだった。
 悠灯はもう、自分に芽生えた――否。
 自分に宿っていた力の真実を知ってしまった。

 死を誤魔化し、生にしがみつく力。
 究極の現状維持にして、最悪の感覚鈍麻。
 進むでなく、戻るでもなく、今いる位置に留まり続けるだけの魔術。

「今の貴様には真実、何もない。
 この都市にごまんと犇めく人形達と何ら変わらん。いや、ある意味あちらの方がまだ生産的な在り方をしているかもな」
「ち、が……アタシ、は……!」
「ほう、違うと? これは異なことを言う。
 では答えてみるがいい。貴様は如何な意思を抱き、この儂を討ち倒さんとするのか。
 回答次第では虚無から道化に格上げしてやるのも吝かではないぞ、餓鬼」

 悠灯とて、理解している。
 この力は決して、不老不死なんて夢のあるものじゃない。
 いずれ、こんなまやかしでは誤魔化し切れなくなる時が来る。
 死は少し遠くに行っただけだ。定められた結末の刻限に、わずかな先が生まれただけだ。

 ――――分かっていても、心は正直だった。

 今までずっと心に渦を巻き、居座り続けていた死の焦燥。
 脱出王の予言。糸が切れるように訪れるという命の終わり。
 それを乗り越えてしまったことで、張り詰めていた糸がぷつんと切れた。
 心に広がったのは安堵。そして、離人症状にも似た脱力感であった。

 華村悠灯は確かに不遇な生い立ちの持ち主だが、しかし破綻者などではない。
 生きたいという月並みな願いを抱いたことがその証拠だ。
 辛ければ曇り、楽しければ笑い、腹が立てば怒るし悲しければ泣く。
 そんなどこにでもいる、普通の少女。都会の狼、ごくありふれたジャンクの一体。

 だからその心の器は、とても簡単に満たされてしまう。
 根本を取り除けたわけでもないのに、目先の願望成就によって安らげてしまう。
 願いも持てない不出来な演者を、針音響くこの都市は歓迎しない。
 恒星の資格者には遠く。はじまりの六人より遥かに救いようがあり。
 蛇の如き歪みを持たず、無論極星になど届く筈もない。
 すなわち虚ろ。虚無だ。華村悠灯という演者はノクト・サムスタンプの魔の手にかかったあの瞬間、すべての価値を喪失していた。

 ここにいるのは衝動の消えた抜け殻ひとつ。
 令呪を持ち、英霊を有するだけの、掃いて捨てるほどいる人形の一体。

「アタシ、は……!」
「悠灯。もういい」

 声を震わせてわななく悠灯を庇うように、シッティング・ブルが前に出た。
 先程一掃されたかと思われた先住民の腐乱死体が、それに呼応して再びまろび出る。

「君は何も悪くない。悪いのは、君をそうさせてしまった私だ」

 念話で、"令呪を使う機を窺うんだ"と端的に伝えるシッティング・ブル。
 既にこの戦いが、勝利をもぎ取れる可能性の極めて低いものであることは分かっている。
 カドモスは最悪の敵だ。すべてにおいて自分達とは相性が悪すぎる。
 無策に令呪を切ろうとしても、老王の槍は言い終える前に悠灯をまた貫くだろう。
 だからこそ好機が生まれるまでは自分が時間を稼ぐ。
 そう判断し、英霊の務めを果たさんとした彼の判断は実に正しい。

 だが――

「違う……違うんだよ、キャスター。アタシ、は……」

 悠灯は、示された自分の体たらくに膝から崩れ落ちそうな思いだった。
 更に言うなら自分を守るために戦う相棒の背中を見ているだけで、情けなさで死にたくなる。

「つまらん。所詮は負け犬か」

 カドモスが悠灯から視線を外し、再び先住民達との戦いを繰り広げ出す。
 その光景を茫然と見つめながら、廃品の少女は自問していた。


 ――――アタシは、何をやってんだ?


 シッティング・ブルの抱える、奈落より深い嘆きを知った。
 知った上で、彼の震える手を取ることを選んだ筈だった。
 なのに今の有様はなんだ。ひとりで満足して、安心して、挙句その腑抜けを敵に指摘されて。
 お前は、何をやってるんだよ? ちょうどその瞬間、脳内にカドモスの言葉がリフレインする。

 "貴様は如何な意思を抱き、この儂を討ち倒さんとするのか"

 死にたくなかった。ずっと、それだけを胸に戦ってきた。
 念願は叶って、自分自身の定刻を超えられた。
 じゃあ、それで満足なのか? 満たされて、後はもう大戦士(かれ)の肩におんぶに抱っこでいいのか。

(――――アタシの)

 悠灯は、機を窺えという指示も忘れて気付けば自問していた。

(アタシの、本当の"願い"って――――?)

 記憶の蓋が開く。
 悪臭と、蟲の涌いたドブのような濁りが溢れ出す。
 追憶。華村悠灯がまだ、不良ではなかった頃の話。

(アタシ、一体、何になりたかったんだっけ)



◇◇



 "自分は生きるに値しない"。
 華村悠灯とシッティング・ブルを結んだ絆(のろい)の名前。
 それを悠灯は、物心ついたばかりの頃には宿していた。

 邪魔くせえな、目障りだからあっち行ってろ。
 そう言って蹴りつけられ、頭から血を流しながらベランダに逃げ出した。
 暴力を振るわれるのはいつものことだったが、その日は些か打ち所が悪かったらしい。
 くらつく頭と、不規則に揺れる視界。吐きそうで仕方なくて、でも吐くともっと殴られるから、仰向けになって空を見上げることにした。

 慣れ親しんだ曇り空。
 最後に青空を見たのはいつだったろうか。
 ぼうと見上げていると、室内の会話が聞こえてくる。

『お前は最高の女なんだけどなぁ。瘤付きなのだけが玉に瑕だわ』
『しょうがないでしょ? 前の旦那、あの子を残して消えちゃったんだから。
 ……私もいい迷惑よ。まだまだ花の盛りだってのに――』

 割れ鍋に綴じ蓋という言葉があるが、悠灯の母とその愛人の関係性もまさにそれだった。

 情はないではないが、子より自分を優先したい母親と。
 子どもに暴力を振るうことに躊躇のない、卑劣な男。
 親に子への情がなくても、子がそうとは限らない、というのはままある話だが――悠灯はそうではなかった。

 ああ、要らないのか、自分は。
 幼いながらに、その認識が胸にすとんと落ちた。
 要らない子。生きている価値のない命。
 呪いは刻印され、されど悲しみや怒りよりも静かな虚しさだけがあって。

 ちょうどそこで――曇天の中を一機の飛行機が飛んでいくのを見た。

 あの飛行機は、どこへ行くのだろう。
 遠い外国だろうか。そうでなくても、自分が見たこともないどこかに飛んでいくに違いない。

 そこにはどんな景色が広がっているのかな、と思った。
 少なくともここよりいいところなことだけは間違いない筈だ。
 母と愛人の食べ残し。安かったからと買い与えられたペットフード。味のしないビスケット。そして、灰色の天井。
 自分の知らない何かが、きっとあの飛行機の行く先には山のようにある。

 ――――うらやましい、と、思った。

 アタシも、そこに行きたい。
 今じゃなくてもいい。
 いつか、この部屋(セカイ)の外に行ってみたい。
 でも旅行なんてテレビの中でしか見たことのない概念だ。
 なら、どうすればいいのだろう。
 脳震盪で痙攣する幼い頭で拙く考えた末に出た結論は、ある意味では身も蓋もないものだった。


 大人になろう。
 母も、あの大嫌いな男も、誰も止められないくらい強い大人になろう。
 そうすればいつかきっと、この狭くて臭い部屋の外に飛んで行ける筈だから。


 生きたい。
 その日まで。
 生きていきたい。
 その先を。


 とくん、という音を聞いた。
 身体の奥から力が漲ってくるような、今まで感じたこともない不思議な感覚だった。
 心臓の音すら楽しい。頭から血が出ているし、立ち上がれないほど気分が悪いのに、なんだか何でもできそうな気がしてくる。

 ドブ底みたいに穢く淀んだ幼少期の中に、確かにそんな日があったことを、悠灯は思い出していた。
 とくん。いつかのと同じ大きな鼓動が、もう動かない筈の心臓を動かした気がした。



◇◇



 死にたくない。
 じゃあ、目先の死を避けられたらそれでいいのか?

 心臓も動かない、血も流れない身体で、仮初めの生に安堵する。
 そんな結末が理想だったのか。こんな身体をずっと求めていたのか。
 違う。断じて違う。再三言われた通り、これじゃただ"死んでいないだけ"だ。

 ずっと忘れていた、華村悠灯という"魔術師もどき"の原点(オリジン)。
 それを思い出した瞬間、はじまりの渇望が記憶のドブ底から一気に浮上してくる。
 握った拳を、悠灯は自分の顔面へ叩きつけた。
 痛みが走り、血が溢れる。惚けていた脳髄が醒めていくのがわかる。

「――――おい、クソジジイ」

 気付けば、半笑いで言葉を発していた。
 シッティング・ブルと、そして老王カドモス。
 二体の英霊の眼差しが、瞬時に悠灯へ集中する。
 骨の髄まで凍り付くような王の眼光は相変わらずだ。

 でも、不思議と今は怖くなかった。
 さっきまでのが何事にも現実感を伴えないからの離人感なら、今のは高揚故の離人感。
 そう。今、自分は柄にもなくハイになっている。
 テンションが上がっていた。長い迷路を脱けたような気持ちだった。

「アタシの願いが知りたいんだろ。
 人に上から目線で聞いといて、せっかちこいてんじゃねえよ。ボケると凶暴になんのは英霊も同じか?」

 死にたくない。
 その願いは、確かに叶った。
 いや、最初から叶っていたと言うべきか。
 晴れて悠灯は刻限を超え、結末の先の世界を歩むことを許された。

 なら、まずはよし。
 安堵を抱き締めながら、次の願いを掲げよう。
 思い出せないほど遠い過去にて抱き、失望の日々の中でいつしか忘れ去った原初の願い。

「良かろう。申せ、娘」

 カドモスが言う。
 彼の態度のすべてが、悠灯に生半な回答を許さないと告げている。
 この期に及んで半端をやれば、度重なる不敬を働かれた王は今度こそ悠灯という虚無を粛清するだろう。

 それすら、上等だ、と思えた。
 何せ、さんざん好き勝手言ってくれたのだ。
 悠灯は不良である。東京に掃いて捨てるほどいる悪ガキのひとりである。
 そういう人種が何より嫌うのは、目上気取りの大人に好き勝手説教されることだ。
 悠灯もそうだった。なので今は恐怖以上にムカついていたし、本懐を思い出したことで余計その感情が強まっている。

 知りたいのなら教えてやる。
 アタシの願い、アタシの〈はじまり〉。

「アタシは、生きていきたい」

 明日も知れない重病に喘ぎ、死にたくないと願う病人が念願叶って寛解したなら、次に願うことはひとつだ。
 凡人の悠灯もまた、例に漏れずそれと同じ願いに辿り着く/思い出す。
 誰だって死にたくはない。死ぬのは怖いし、終わるのは嫌だから。
 では、目先の死が退けられたなら? 不安を取り払われた時、人は何を願うのか?


 決まっている。
 恐怖と訣別し、手にした明日の希望を願うのだ。


「大人になりたい。アタシの知らない何かを見たいし、そこに行きたい。
 クソみたいな親どものせいでできなかったこと、知らなかったこと。全部やりたいし、知り尽くしたい――」

 この国ではつい最近、"大人"の基準が引き下げられた。
 それでも悠灯は十七歳。大人ではなく、未だ子どものままだ。
 たった一年、されど一年。少女はその壁を超えられない筈だった。
 でもいざ挑んでみるとその壁は、実にあっけなく超えられた。
 灰色の天井と空を仰ぎ続けた少女の前に、今は見果てぬ星空が開けている。

「――それがアタシの願いだ。分かったか、クソジジイ」

 生きていこう、曇天の先を。
 いつかの飛行機が飛び去った先の世界を。
 吐いた願いは力になって、屍の魔術回路を駆動させる。

 『謳え、猛き紅馬』の迫る勢いが、その瞬間目に見えて激しくなった。
 悠灯の吐いた啖呵と、生きたいという欲望の熱が伝播したように、穢れた軍勢のボルテージが上昇する。
 しかしカドモスもさる者だ。たかがそれしきのことでは、王の君臨は崩せない。
 槍の一薙ぎで騎兵数体を蹴散らしながら、老いた英雄王の厳しき口が再度開かれる。

「……いいだろう。人形になぞらえたことは撤回してやる」

 だが。

「されど、お前の願いは叶わない。賊の掲げる希望なぞ、王は嗤って踏み躙るのみ」
「は……だと思ったよ。とことん老害だな、王様野郎」

 問答を終え、改めて解き放たれる殺意。
 神代を、神を知る王の意思が、悠灯とその従僕に死を突き付ける。
 肌が総毛立つ。全身が氷点下まで冷えるのを感じる。
 それでも、煮え滾るこの欲望(ネガイ)の方が強い。

「悠灯……君は……」
「悪りいな、キャスター。
 お前の手を取るって言ったのに、そのアタシが腑抜けてたらどうにもなんないよな」

 死なずに済んだなら、次は生きるのだ。
 生きて、あの日の自分が見たかったモノを見る。
 引き続き不良でも、社会に出るでも、あるいは本格的に世捨て人をやるでも何でもいい。
 空へ行こう。鳥のように、飛行機のように遠くへと羽ばたこう。

 では、そのために必要なものは?
 この身は既に生ける屍。
 命は失われ、後は限界を待つだけの身体だ。

 けれどここからでも自分が救われる可能性があることを、悠灯は既に知っている。

「決めたよ。アタシは、祓葉(アイツ)になる」

 路傍の塵。
 誰もがそう嗤った自分に、竹馬の友のように微笑みかけるあの少女を覚えている。
 忘れられる筈もない。あれこそ地上の星だ。あれこそ自由の象徴だ。異国どころか、宇宙の果てまででも飛んでいける飛行機だ。
 あの極星は悪魔なのかもしれない。もしくはもっと悍ましい、言葉にするのも憚られる冒涜的なナニカなのかもしれない。
 それでもいい。一度でも迫る死に怯えた人間は、手段になんて固執しないのだ。

「……それでいいのか。君は」
「いい。アタシなりにいろいろ悩んだけど、たぶんアタシが目指す理想の未来はあの女だ」

 誰より自由で誰より奔放。
 どんな"死"も、その輝きを脅かせない。
 そういう生き物になりたいと、悠灯は想った。

「祓葉になる。祓葉になりたい。
 あんたはいい顔しないかもだけど、やっぱりアイツを忘れられないんだよ。
 それにこの身体じゃそうなる以外に未来もないだろ、首折れてんだぞアタシ。
 ならちょうどいいよ。アタシをこうしてくれたあの野郎は正直ぶッ殺したいけど、おかげで踏ん切りがついた」

 少女が、大戦士に向けて手を伸ばす。
 カドモスはその様子を黙って見つめていた。
 今刃を振るえば自分の誇りを穢すという、彼なりの流儀なのだろうか。

「……ダメかな。だったら言ってよ、知っての通りアタシって馬鹿だからさ」

 へにゃ、と苦笑する悠灯。
 それに対し、シッティング・ブルはやはりいつも通りの仏頂面だった。
 けれどそこには、万感の思いが含まれている。
 彼女を守れず、その決断にまで到らせてしまったことへの後悔。
 同じ呪いを抱えながら、ヒトの身で鬱屈を脱却できた強さへの羨望。
 思うことは数あれど、しかし結論は決まっていた。
 少女のちっぽけな決意に返す答えだけは、決まっていた。

「――――解ったよ。悠灯」

 手を取る。

「君が何を目指そうと、何を願おうと、私も……」

 単なる握手、されど彼らの中でだけはそんな儀礼がカタチ以上の意味/価値を持つ。

「君の手を、取ろう」

 悲嘆と哀愁。
 瞳を介して交わされるふたつの夕陽。
 再度の交錯が、彼らの物語を新たな色に塗り替える。

「……何度見ても不快なものだな。賊が傷を舐め合う姿というのは」

 敵は英雄王。灰色の鉛雲を消し飛ばして輝く、地上の雷霆。



◇◇



(キャスター。アタシのことは気にしないで、持ってけるだけ持ってってくれ)

 悠灯の念話は、彼女の体質を鑑みた上での最善手を指示していた。
 彼女の魔術は限界を無視できる。
 あくまで無視できるだけだが、それでも常識を超える力なのには変わりない。

 シッティング・ブルは一瞬逡巡しかけて、しかしやめた。
 手を取るのだと言った舌の根も乾かぬうちに、彼女の決意を疑ってどうするのか。

「――――行くぞ」

 それは、カドモスへの宣戦であり。
 変わり果てた同胞達へ今一度希う言葉だったのかもしれない。

 腐敗の色彩、英雄なき悲劇の記憶。
 臓物と異臭のデュラハンが、恩讐の沼から立ち上がる。
 彼らは救われなかったモノだ。
 決して報われぬまま、時代の徒花と消えた白黒写真。
 そこにあるのは、ただひたすらの無念と絶望。
 彼らは今も哭いている。
 栄光など望まぬ。静かなる平穏があればそれでいいと。
 こんな姿に成りさらばえても尚、慟哭しているのだ。

 けれど。それとは別にひとつだけ、彼らを燃やす灯火がある。

 対立があった。
 啀み合いもしがらみも星の数ほどあった。
 彼らもまた人間なのだから、社会を築けば必ず生まれる悪徳と無関係ではいられない。

 それでも。

「しかと見ろ英雄の王。これぞ、我らが無念(きずな)である」

 ――彼らは、大戦士シッティング・ブルを愛している。

 だから何度でも立ち上がるし、応えるのだ。
 どれほど見窄らしく穢れ果てても、猛き紅馬は戦士の勝利を謳い続ける。

「法螺ではないな。相変わらず無様な虚勢だが、先程よりは見込みがある」

 敵は虐殺者にも、侵略者にも非ず。
 戦場に乱入した機動隊の群れも、シッティング・ブルの視界にはろくに入っていなかった。
 敵はただひとり。恐るべき異邦の英雄王。
 在りし日のスー族の総力を捧げても押し潰せないだろう神話の住人。

「来い」

 その言葉が、先住民の大進撃の引き金となった。
 駆ける騎馬と霊獣。シッティング・ブル自身も騎馬の一頭を駆る。
 腕の中には悠灯。生の価値に呪われたふたりが今、死に抗うべく共に馳せていた。
 雪崩の如く迫る波を、カドモスが竜殺しの一槍で次々と爆散させていく。

「祝福せよプテ・サン・ウィン。白い子牛の豊穣を、どうか今一度ここにもたらし給え……!」

 紡ぐ呪言は祈りであった。
 これまでは悠灯への負担を考慮して、意図的に封じていた大呪術。
 彼の同胞たるスー族に波及していく豊穣の咒が、戦闘力の向上と耐久値の上昇という目に見える恩恵を運び寄せる。

 ぴぅ、と呪術師が指笛を吹く。
 途端、カドモスの足元に汚泥の沼が生じた。
 先も使った手だが、今度のはそれより何倍も極悪だ。
 無数に突き出したサーベルの切っ先が、王を槍衾に変えんとする。
 先住民にとっての厄災の象徴、侵略者の刃。
 忌まわしい記憶だが、だからこそ敵を害する呪いのイメージに用いるには最適だった。

「やはりな。貴様、そちらが本領か」

 カドモスは足元から襲う剣の山を踏み砕き、真横から迫るそれらを一薙ぎで粉砕。
 引きずり込む底なし沼の引力を素の脚力で引きちぎり、水面を駆けてシッティング・ブルへ迫る。

 ちょうどそのタイミングで、抗争鎮圧の大義に狂った機動隊の一団が彼らに矛先を向けたが――両者とも、やはり一瞥さえしない。

「少し興味が湧いたぞ、虚無の戦士よ。
 その落ち窪んだ瞳の奥に、どれほどの憎悪を飼っている」
「……恥を曝け出して悦ぶ性癖はない。
 折角のラブコールだが、慎んで固辞しよう」

 怒りがないわけがない。
 憎しみがないわけがない。
 深い憂いの奥に秘めたそれを晒せば、大戦士の呪は途端にその毒性を大きく増させる。

 シッティング・ブルの眼球に、民族的な紋様が浮かび上がる。
 Cランクにもなる対魔力の鎧で守られたカドモスに対し、彼の呪術は大半が意味を成さない。
 故に使うならば自己への呪(まじな)い。
 重ねがけを想定されていない別々な術を、後の反動を承知で手当り次第に発現させていく。
 そうでもしなければこの英雄には太刀打ちすることすら困難と判断した。

「不敬なり」
「それでいい。我らが遜るのは、父なる大神秘(ワカン・タンカ)ただ一つ」

 トマホークを振るい、真正面からカドモスと激突する。
 直接相対して分かる敵手の強さに舌を巻いたが、手を止めるわけにはいかなかった。
 一合ごとに手が痺れ、筋肉が悲鳴をあげ、骨が軋む。
 永くは保たない。だが直後、首のない戦士達が王を両サイドから強襲した。
 バイクのウィリー宛らに前脚を跳ね上げた重騎馬による蹂躙攻撃(トランプル)、命も惜しまぬ重量攻撃だ。

「ぬ……ッ」

 初めて、カドモスの眉がわずかに動いた。
 その隙を見逃さず、行動したのはシッティング・ブルではない。

「これでも食らっとけクソジジイッッ!」

 相棒から貸与されたライフル銃を構えた、華村悠灯だ。
 魔力を帯びた長銃から吐き出される弾丸が、カドモスの腹筋に吸い込まれる。

 この不意打ちは悠灯のアイデアだった。
 カドモスは泰然自若を絵に描いたような武人だが、だからこそ予測外の一撃には弱いと踏んだのだ。
 喧嘩でもそうだ。強い強いと持て囃されている奴ほど、弱者の一噛みを受けると激しく狼狽する。

「……大した度胸だ。私は、君を見くびっていたのかもしれないな」
「昔取ったコツヅカだよ。ゴツくてデカい野郎ほど、女のアタシに一発殴られただけで信じられないみたいな顔すんだわ」
「成る程。ちなみに、多分"昔取ったキネヅカ"だ」

 粉塵の舞い上がる中、的確な騎芸で交代しつつ矢を射り続ける。
 流石に銃弾一発で倒せたとは思わないが、今のは直撃だった筈だ。
 無力な負け犬と蔑んでいるからこその油断を、見事に撃ち抜く一発だった。
 わずかに旗色が変わっている。そう感じた彼らだったが、しかし。

「儂も老いたな。小娘の浅知恵に驚かされるとは」

 煙の中から歩み出たカドモスの姿を見て、悠灯は思わず絶句した。
 右手に槍を持ちながら、左手ですべての矢を掴み取り、握り潰している。
 その上腹筋から流れる血は、銃弾が直撃したとは思えないほどわずかだった。
 屈強な筋肉が壁となり、ライフルの弾丸を内臓に達することなく表層近辺で押し留めたのだ。
 矢の残骸を放り、指先で傷から弾を抉り出して潰し、小さく嘆息する老王の姿に悠灯は開いた口が塞がらない。

「……なあキャスター。もしかしてアイツさ、めちゃくちゃバケモノなんじゃねーの……?」
「もしかしなくてもそうだが、絶句している暇はない。しっかり捕まっているんだ、悠灯」

 これが三騎士クラスのサーヴァント。
 悠灯は、自分が如何に現実を知らない餓鬼であったかを思い知る。
 今までずっと遠巻きに見つめるばかりだった聖杯戦争。
 当事者として挑むこの戦いは、こんなにも恐ろしいものだったのかと感じ入らずにはいられなかったが、世界は少女の慣れを待ってなどくれない。

「奴の本気が来る。ここからが本当の英雄譚だ」

 予言のように告げられた不吉は、一秒の経過をさえ待たずに成就した。
 悠灯は、急に嵐が巻き起こったのかと思った。
 それがカドモスの槍捌きひとつで引き起こされた暴風であると気付いたのは、次の瞬間のことだ。

「存外魅せるではないか。良かろう、褒美に栄光(わし)を見せてやる」

 正真正銘、本気の膂力で振るわれる竜殺しの槍。
 巻き起こす爆風めいた烈風は、この場に近付いていた機動隊の一団を圧し潰しながら吹き飛ばした。
 まさに災害と呼ぶべき被害を生みながら、王は賊徒の誅戮に進軍する。
 そこに追い縋る先住民の亡霊達もまた、哀れな機動隊と何ら変わらない末路を遂げていく。
 誰も王を止められない。絆を紡ぎ、加減を止め、秘めた全力を引き出しても尚、本気を出した英雄譚の前にすべて塵と帰す。

「っっっ~~~~~!!」
「袖を咥えて、舌を噛まないようにしておけ。
 背に腹は代えられん、これから少々無茶をする」
「む、ちゃって、なにを――!!」

 絶叫マシンに乗せられたみたいに絶叫する悠灯とは対照的に、やはり彼女の英霊は冷静だった。
 首のない騎馬を駆り、風圧で拉げないよう細心の注意を払いながら、老王とは別な方向に舵を切る。
 逃亡にしては稚拙すぎる。そして実際、この行動は逃げるためのそれではなかった。

 向かう先は、先に蹴散らされたのより更に多くの機動隊がいる方だ。
 狩魔と悪国が連携を取って対処に当たっているのとはまた別な地点。
 しかしそこの戦況は、あちらに比べて更に酷い有様となっている。
 数で圧倒的に勝る筈の機動隊が、文字通り糧(エサ)とされている惨状の中。
 そこが、シッティング・ブルの目指す目的地であった。

「■■■■■■■■」
「■■■■■■■■」
「■■■■■■■■」

 主を喪い、そしてついさっき新たに得た原人――ネアンデルタール人達がいた。
 機動隊は人間相手なら確かに無類の強さを誇る正義の群体だろうが、英霊相手では単なる雑魚の集団でしかない。
 サーヴァントを害するすべのない彼らは、繁殖を命ぜられた原人達のいい獲物以外の何物でもなかったようだ。
 石器武器の一振りで命が弾け飛び、銃弾も制圧も何ら意味をなさず、狂える正義は儀礼の素材に成り下がっている。

 そこに乱入する、悠灯を抱えたシッティング・ブル。
 それを追うのは、惜しみなく全力を振るう老王カドモス。

「考えたな。節操のない男だ」
「考えるさ。泥を啜るのは恥ではない」

 ――このままでは、我々に明日はない。
 ――闇雲に挑むだけでは、進むも戻るも不可能だ。
 ――ならばどうするか。環境を整え、今度こそ彼奴を出し抜いて機を作る。

 原人達は一体一体では弱く、集まってもそれほど強くない。
 シッティング・ブルひとりでも制圧できる程度の戦力だ。
 彼らが持つ"呪い"も、カドモスのような純粋武の化身にはそう意味を成さないだろう。
 だがそれでもサーヴァント。放っておけば厄介な囮(デコイ)としては最適である。

 繁殖の命令を受けているのはすぐに分かった。
 シッティング・ブルは、既に彼らが"殖える"生き物なことを知っている。
 だとしても、近くで暴れ回るカドモスを無視はできない筈。

「済まないな、狩魔」

 つぶやく声が喧騒に溶ける。

「私は、我らの願いのために戦うよ」

 シッティング・ブルもまた、戦争を知る人間だ。
 故に分かる。じきに、どちらが勝つにせよこの抗争は終わるだろう。
 そうなれば自分達と〈デュラハン〉――周鳳狩魔の縁は切れる。

 狩魔が原人を手中に収めれば何が起きるのか、その時何を目論むのかは想像がついた。
 それは避けねばならない事態だった。これ以上、この悍ましい英霊が殖えることを許してはならない。
 これもシッティング・ブルがこの手を選んだ理由だった。
 カドモス相手の策としつつ、かつ未来の厄災に化けかねない原人どもをここで根絶する。

「キャスター……」
「罵ってくれていい。君があの男を慕っていたのは知っている」
「……馬鹿、そんなことしねえよ。
 アタシが言いたいのは、そんなことなんかじゃあないんだ」

 ぎゅ、と。
 自分を抱えて駆ける大戦士の胸を掴む手に力を込めて。

「ごめんな。アタシは、あんたに背負って貰ってばっかりだ」
「気にするな。それがサーヴァントの仕事だ」

 乾いた笑いを零す相棒のいじらしさを、シッティング・ブルは言葉少なく抱き留めた。


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最終更新:2025年09月18日 01:44