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以下は、私が思索した〈恒星〉についての論考である。
祓葉が持つ異能〈光の剣〉。そして彼女が秘める、敵の強さに応じて自己を強化し覚醒させる異常体質。
これらは既存の魔術では説明がつかない。
当然だろう、想いひとつで無限に強くなれるなら誰も苦労はしないのだから。
しかし科学とは再現性。そこに法則らしいものがあるならば、如何に奇々怪々たる力だろうが科学することは可能と踏んだ。
その一過程で私が仮定した概念を、宝具類似現象(アストログラフ・ファンタズム)と呼称する。
幻想の天体写真。恒星の重力。星を星たらしめる、世界を圧する異能。
大まかに言えば、個人が理屈に依ることなく既存世界の道理を破壊する現象の総称だ。
これを私は当初、祓葉という超生物を語るために生み出した。
科学者の職業病だ。理解不能なものを解らないままにしておけない。
それに、祓葉を理解することは私が聖杯を獲得し、理想の文明を生み出す上で必ずや役に立つと確信していた。
が、作業は難航の上に遅々を極めた。
祓葉が凡そ知性という言葉と縁遠い野生児なのもあるが、どう推論を立てようにも参考値(データ)が不足しすぎる。
よって私は第二次聖杯戦争を祓葉を解する試金石とし、否が応でも予定調和とは行かないだろう此度の戦いに期待をかけていたのだが。
それで正解だった。
〈恒星の資格者〉なる、不愉快な紛い物が計画に紛れ込んできたからだ。
祓葉の特性によって介入を許されなかった抑止力、惑星秩序の悪あがき。
しかしかくも愚鈍。冠位の代役を非凡な人間に託そうという他力本願が、私を確信に至らせる。
恒星の娘達は、紛れもなく神の卵だ。
きっかけがなければ目覚めることのない休眠卵だが、一度殻に罅が入れば先に待つ事態は想像を絶する。
祓葉がひとつの運命をねじ伏せたように、針音都市に迷い込んだ星屑達もまた、比喩でなく世界を破壊する力を秘めているのだ。
宝具類似現象の本質とは"我思う故に我あり"――圧倒的な自我(エゴ)の発露だろう。
要するに、ままならない現実を無理やりぶち壊して自分の理想をたぐり寄せる力。
性質としては子どものわがままに近い、ひどく幼稚で傍迷惑な権能だ。
負けたくないから強くなる。
助けたいから強くする。
腹が立つからぶち壊す。
どうにもならないからどうにかする。
気に入らない概念を、そもそもこの世から消し去ってしまう。
こんな力を持った人間が、それを自覚して蛹を脱ぎ捨てたならどうなるか。
論ずるまでもない。秩序の崩壊であり、世界の滅亡だ。
彼女達は己が持つ可能性で人類の未来を閉ざし得る。
この一日で見えた萌芽の兆しを経て、私は是が非でも無限時計文明を完成させ、既存宇宙のすべてに勝つ備えを完了させねばならぬと悟った。
恒星は私の傍にもいる。
原初の星にして、狂死の光を振り撒く太陽。
資格者を鏖殺して終わりではない。むしろそこからが我々の〈はじまり〉なのだと理解した。
理をねじ伏せ、思うがままに未来を閉ざす女達。
魔術に、いや、この世界の仕組みに少しでも精通する者なら誰しも疑問を抱く筈だ。
なぜ抑止力は、そんな生命体が生まれ、育っていくことを許しているのかと。
私の答えはこうだ。
許してなどいない。
あれらはただ黙認しているだけ。
歪な枝はいつか切り取ってしまえばいいのだから、その時が来るまで静観しているだけ。
結論を言おう。
私は、この世界が剪定事象であろうことを確信している。
そして、だとすれば終わりは近い。
神寂祓葉が羽化してしまった。
〈恒星の資格者〉が目覚め始めてしまった。
この世界が次の百年を超えることはない。
よって、編纂が実行されるまでに文明を完成させ、霊子記録固定帯の先に進む必要がある。
そのためにも、永久に救済された無限時計文明が必要だ。
光で光を制し、星で星を制する星間戦争が始まる。
そこからが第二幕。世界の終わりのその始まり。
私は――ボクは、勝たなければならない。
己のため、愛する文明のため。
この孤独に価値をくれた彼女のために。
◇◇
先手はオルフィレウス。
地を這う大蜘蛛の機神、セラフ=デメテルの体節から触手めいたコードが伸びて地面に突き立つ。
瞬間、発生したのは激震。デメテルとは地母神の名、よって引き起こすのは震動に由来する異常現象だった。
「きゃ――っ!?」
「ちょ、嘘……っ、洒落になってないでしょこれ……!」
阿鼻叫喚する仁杜と小都音の反応は正しい。
トバルカインは彼女達を油断なく守りながら、苛立たしげな視線をロキに向ける。
彼はこの激震の中でさえ小揺るぎもすることなく笑い――
「で?」
とん、とステップをひとつ。
それだけで揺れる大地を鎮め、地母機神の権能をかき消した。
鎮圧されたと見るや、一秒以下の即断で蜘蛛が摩天楼の壁面を這う。
頭部の単眼が赤く感光し、放たれたのは超熱量の熱線光であった。
蜘蛛の単眼は八つ。数としては大したことないが、セラフ=デメテルの移動速度は音速を超えている。
総重量数十トン以上の機神がその速さで縦横無尽に駆け回りながら閃光を乱射してくるのだ、脅威は銃眼の数では測れない。
熱線に巻き込まれた建物は、光条の直径を明らかに超える面積の大穴を空けて蒸発した。
機動力、破壊力、いずれも並の英霊を凌駕――それどころか数騎を同時に相手取れる領域に達して余りある。
これが〈Seraph=Δημήτηρ〉。
豊穣の女神を発想の原型とした地上殲滅機動兵器。
オルフィレウスの永久機関を炉心に搭載することで当然のように燃料切れとは無縁。
初撃から殲滅完遂まで最高出力を維持し続ける、無限時計文明の使徒である。
「ビックリメカとしても落第だな。安直、安易、華がない」
だが、敵は古代を超えた神代。
ウートガルザ・ロキの顔を歪ませるには、そこまでして尚役者が足りない。
ロキは億劫そうに頭を掻きながら、片手に真紅の剣を呼び出した。
伊原薊美に貸与した『災禍なる太陽が如き剣(レーヴァテイン)』と同型だが、好敵手と認めた彼女へ贈ったのとは込めた幻の精度が違う。
言うなれば劣化品なのだが、ロキは自分に向け迫る数十条もの光線に向け、雑にそれを一振り。
たったそれだけで溶接光に似た極光が弾け、局地的な世界の終わりを思わす紅蓮の大爆風が迸った。
「自由研究としちゃまあまあかな?」
『ほざけ』
余技程度の一撃で当然のように相殺したロキに、オルフィレウスの苛立たしげな声が響く。
次の瞬間、彼の頭上の雲が張り裂けた。
デメテルの撒く破壊を隠れ蓑に空の高みへ跳躍していた機械武者の斬撃が、地を割る紅蓮の一撃となって奇術王を襲う。
「ミストルティン」
対城宝具の解放にも匹敵する超破壊力の一閃を、ロキはヤドリギの槍で受け止める。
が、その腕が伝播した衝撃で小枝みたいにグシャグシャとひしゃげた。
お、とロキの眉が動く。
『言った筈だぞ。おまえの幻想(てじな)は割れている』
造物主、〈この世界の神〉の片割れであるオルフィレウスは万を超える瞳を飼っている。
箱庭に生じた事象のすべてを、誇張でなくあらゆる視点からリアルタイムで解析する彼の視座は奇術・幻術に対し極めて強力だ。
種の暴かれた手品ほど惨めなものはない。
ウートガルズの大幻術は彼の前では枯尾花に堕し、よって自己の性能をヒトの信心に大きく依存してしまうロキの肉体強度も否応なしの低下を余儀なくされてしまう。
『本来は別な敵を想定しての備えだったが、害虫駆除という意味では大差ない。
いや、逃げに徹する能がないだけおまえの方が容易いな。
滑稽だよ奇術王。おまえの手品は現代のマジシャンにも劣るようだ』
機の戦神――〈Seraph=Αρης〉の剛剣がロキの片腕を事実上、奪った。
祓葉のように即座の再生とはいかないことは確認済み。
なら再生が終わる前に畳みかけ、一気呵成に攻め落としてしまえばいい。
『滅び去れ、道化――!』
アレスの剣閃が、デメテル以上の巨体からは想像も出来ない絶速で閃く。
これはいわば、超巨大な体躯を持つ大剣豪に等しかった。
永久機関を各所に搭載して挙動(モーション)の限界を撤廃した機械武者に不可能はない。
模造品にして達人以上。多重次元屈折現象とはいかずとも、逃げ場のない斬撃の檻を形成する。
そこに時を同じくして再び炸裂する、デメテルの熱線光。
百を超える音速攻撃に曝されるロキを前に、彼の運命が悲痛な声をあげた。
「ろ、ロキくん……!」
「大丈夫。ことちゃんにしっかりくっついてな!」
しかしロキ、尚も笑む。
優しい微笑で仁杜を宥めながら、無事な片手で虚空をなぞる。
記すは炎熱のルーン。そこに己が幻を織り交ぜて放つ、彼だけの大魔法。
「――――黄昏の煉獄(ムスペルヘイム)」
瞬間。
先ほど炎剣で生み出したものを十倍以上に跳ね上げたような、"神殺しの火"が具現した。
『ッ――』
六本木を襲ったレッドライダーの核攻撃にさえともすれば匹敵するだろう炎。
北欧神話に語られる九つの世界が一つ、灼熱の国ムスペルヘイム。
渋谷で〈蝗害〉潰しとして魅せたニブルヘイムとはわけが違う。
あの時ロキは氷獄の環境そのものを再現したが、今回は彼が知る炎獄の熱量、そのすべてを一点に束ねて放出したのだ。
アレスの猛追を押し流し、デメテルが這う摩天楼の木々(ビルディング)さえほんの一撃で融解させる。
とはいえ、所詮はたかが夢。
ウートガルザ・ロキの幻術は、種が割れていれば威力を落とし弱体化する。
しかし彼の抱えるその弱点は、今や幻自体が持つ常軌を逸した魔力量によって克服されていた。
「発想としては悪くない。
ただ驕りが過ぎるな。殴りかかる気概があるんなら、ぶん殴られる想定もしとけって話」
此処にいる彼は、彼であって彼ではない。
ウートガルザ・ロキという英霊が持つ性能の限界を、軽く見積もって数段以上は突破している。
オルフィレウスの解析は確かに有効。
〈蝗害〉とテーバイの無敗将軍、そして陰陽道の極致たる老人が三騎がかりでようやく痛打を与えられたロキに、わずかな時間で二度も血を流させたのだから疑いの余地はない。
確かにオルフィレウスの機神達は、交戦を続けていればいつかこの奇術王を殺せるだろう。
だがそれは、ウートガルザ・ロキを一度も攻撃に転じさせず戦えるのならばの話。
「これが俺の"運命"だ。分かったらさっさとお前のを出してきやがれ」
星に愛された奇術王の幻は、理屈を超えて現実を蝕み始めている。
もはや認めるべくもない、今のウートガルザ・ロキは針音都市最強の英霊だ。
相性。対策。それらを万全に尽くしてようやくスタートライン。
「あんまり冷めさせるようなら、纏めて潰しちまうぞ?」
『ほざけ』
〈はじまり〉から現在まで、彼らの運命線上に並んだどの英霊よりも強く理不尽。
夢見る月姫の身勝手な楽園を守り続ける、無法の防人。
月の天上楽土は際限ない現実逃避に守られている。
理屈などない、故に限界もない。彼女が思い描く夢のカタチに秩序はないから、それを共有する彼は常にあらゆる現実を圧し続ける。
よって――
『おまえに言われるまでもなく、とうにでしゃばり出している』
そんな同族を前にして、自由奔放、無体無法を地で行く白き極星が我慢などできるわけもなく。
ムスペルヘイムの残り火と熱が消える前に、熱風の壁を一足飛びに蹴破って、純白の神子が参戦した。
光の剣の一薙ぎで調伏される煉獄の余韻。
二体の機神を一蹴した怪物へ特攻しながら、その顔に浮かぶのは遊園地に来たみたいな屈託のない喜悦一色。
「とぉぉりゃぁぁぁ――ッ!」
少女の剣の重さは、セラフ=アレスの機械剣の一体何百分の一だろうか。
だというのに挨拶代わりの一振りで、打ち合ったミストルティンが音を立て砕け散った。
「真打ち登場、か」
腕が千切れ飛びそうな衝撃に歯噛みさえせず、ロキは地を蹴り、ポケットに両手を突っ込んだまま後退する。
そこに振るわれる光剣はすべてが空を切ったが、逆に言えば当てさえすれば、一撃でロキの命脈を断てる凄味があった。
ロキもそれを分かっているから、ただのハッタリとは思っていないから、余裕を見せつつも回避に神経を費やしている。
彼は強者故に傲慢を是とするが、馬鹿ではない。
先の機神どもなど、これに比べればつまらない木偶人形だ。
「ヨハンのこと、あんまり煽らないであげてほしいな。
あの子、私と違ってちゃんといちいち怒るし気にするんだよ」
「ははは、ごめんよ。ビッグマウスは職業病でね」
旧知の仲のように他愛なく語らいながら、ロキはひょいひょいと神の剣を避けていく。
そうしつつ、片手に顕現させるのは一振りの槍。
『大神宣言(グングニル)』。北欧における最高存在、大神オーディンの愛槍に他ならない。
つまり、かの神話における武装の最高位(ハイエンド)のひとつ。
大神の意思を代弁する神槍、キリスト教におけるロンギヌスの槍にも引けを取らない"格"を宿す一槍。
これを抜いたということはすなわち、ロキが一切の油断を排して相対していることの証明だ。
「なあ君、今からでもウチに加わんない?
にーとちゃんは君のコト、結構気に入ってるみたいなんだよね」
「え~? そういうこと聞いちゃう? んー、どうしよっかな……」
「そんな陰気でガキ臭い黒幕とは袂分かってさ、こっちのチームに入んなよ。
別に服従とか寒いこと求めたりしないからさ。加入の条件はひとつだけ」
少女の細腕で繰り出す斬撃は、とうに機神達の攻撃速度を超え始めていた。
それを事もなく片手でいなすロキの技量も驚愕だが、人間の身で英霊の世界に入門を果たしている神の非凡さが光りすぎている。
「一生楽しく呑気に、あの子の友達であってくれればそれでいい。
聖杯戦争も君らの運命も全部忘れて、月の光を受け入れなさい。
そうすれば俺達は、生涯君の良き隣人であり続けよう」
「ごめんね。それなら無理かな」
残念そうに溢した少女の光剣が、ロキの喉笛を掠める。
傷は浅いが、確かに垂れた血糊が奇術王の失敗を物語っていた。
ただの人間。それがこの世界における"最強"のひとつを明確に害したのだ。
「こんな私だけどね、ちゃんと夢はあるんだよ」
瞬間、目に見えて彼女のギアが上がった。
数秒前の時点で音を置き去りにしていた剣戟が、いよいよ英霊の動体視力でも目視不能の域に達する。
その一閃一閃が機神の剛撃に匹敵、あるいはやはり凌駕する膂力で振るわれているのは何の冗談か。
「だからやっぱり、にーとちゃんの仲間にはなれないかな。
その分楽しく遊ぼうよ、友達のカタチってそういうのもアリでしょ?」
「うーん残念。なら殺すしかないな」
否、冗談でも何でもない。
神寂祓葉とは、万物万象にとっての理不尽だ。
戦えば戦うだけ強くなる。相手が強ければ理屈なく同じ土俵まで駆け上がる。
故に負けない。故に誰も、この白い神を斃せない。
そんな悪夢を前に、ロキは肩を竦めて。
次の瞬間、彼の握る槍がぱっと姿を消した。
「が、ふ――!?」
「それに、そういう思い上がりは好きじゃない」
大神宣言。
因果を無視して主神の敵を誅戮する神槍が、光剣を握る祓葉の腕を切り飛ばした。
技ではない。理(ルール)だ。
よって対処は不能、目視はおろか認識すら不可。
「先達が必ずしも後発に勝ち続けるなんて道理はないだろ。
この世に星は天枷仁杜ただひとり。何が言いたいかって言うと、そうだな」
なんてことのない前蹴りが、紙切れみたいに祓葉を跳ね飛ばす。
宛ら、最高速度で疾走する列車に撥ねられたような絵面だった。
これで即死しないのも大したものだが、此処までは前フリに過ぎない。
「たまたま最初に名乗れただけのまがい物が、いつまでも威張り腐ってんじゃねえってコト」
ロキの手元に戻った『大神宣言』が、今再び世界の因果を棄却する。
たかが夢。されど夢。
月のお姫さまがそれを信じるならば、すべての夢は理屈を無視して現実になる。
再びかき消えた神槍が、祓葉の心臓を目掛けて速度の概念を超克した。
同時に確定する少女の死。
が、そんなもの誰も信じなどすまい。
そして事実、現実はそのようにねじ伏せられた。
『祓葉。斬れ』
「言われなくてもそのつもりぃ!」
光剣、一閃。
不安定な姿勢で放ったそれは、一見するとただの苦し紛れだったが。
因果逆転の神槍が、彼女の太刀筋の中に当然のように捉えられる。
硝子の割れるような音と共に破砕する、オーディンの幻想。
奇跡と呼ぶにも生ぬるいこの光景は、とある絶望的な事実を物語っていた。
「なんかヘンな手応えだったけど、どうにかなったしオッケーかぁ!」
祓葉の"抑止力への耐性"は、因果律操作の類にさえ適用される。
グングニルだろうがゲイ・ボルクだろうが、誰も祓葉をルールで縛ることはできない。
見えようが見えまいが、カタチがあろうがなかろうが、本気(むちゅう)の祓葉はすべて破壊する。
「やれやれ。分かっちゃいたが本当に無茶苦茶だな。そりゃ誰も勝てないわけだ」
口では嘲弄するロキだが、それはあくまでオルフィレウス単体が相手ならばの話。
そこに祓葉というイレギュラーが混ざることで、奇術王の想定する天秤はたやすく狂う。
オルフィレウスは今、当然のように祓葉へ因果逆転の一槍を斬れと命じた。
つまり彼は、おそらくこの都市の誰より己が相棒たる"原初の極星"を理解しているということ。
究極の理解度で祓葉と連帯してくる、機神軍団の大元締めと。
理など息するように踏み砕く、白い現人神。
間違いなく強敵だ。雷神と道化の神を嘲った時でさえ、こうまで綱渡りは強いられなかった。
とはいえ負けるつもりは微塵もない。
ロキは仁杜と認識(ユメ)を共有している。
彼女が信じているならば、ロキも己のすべてを盲信する。
のだが――しかし。
「惜しいよ。どうせやるなら、完全な君と戦いたかった」
この戦場において、刃を研いでいるのは彼らだけではない。
『――祓葉!』
「へっ?」
斬れると分かっているグングニルに対するよりも、何倍も警戒を含んだ一声だった。
それに呆けた声を漏らす祓葉。その両足が、刹那と見紛う速度で膝から寸断される。
「ひ、ぎゅ……!?」
以前までの祓葉なら、こんなものは窮地にすらならなかった。
何故なら不死、不滅。どんな傷も命を害せないのだから、あらゆる傷は無意味に等しい。
だがそれも、ある老人が命を賭して手術に臨むまでの話。
「ぁ、ぐ――ぅ、ぅううううううううぅッ……!?」
吹き荒れる剣風が、現人神の肉体を微塵の血霧に変えていく。
咄嗟の剣戟で心臓と脳への被弾だけは防いでいたが、そこには明らかな焦りが見て取れた。
「はぁ、はぁ……! 君、は……っ」
そう。今の神寂祓葉は、もはや不死身の神などではない。
極星は穢され、神のカラダは有限に堕ちた。
であれば彼女の天敵とは、全能たるロキに非ず。
「何か言いたげだが、文句ほざいたらテメェから殺すぞ」
「粋が分かってないねぇ。俺はおたくも大概野蛮人だと思うよ」
如何にすれば命を壊せるか。
ヒトとは、どこをどうすれば死に至るのか?
それを知り尽くしている、"専門家"に他ならない。
「よう。昼間ぶりだな、白んぼ」
この針音都市には、様々な英霊が存在する。
無法の極みの奇術王。物量において事実上無限大の蝗達。
冬の巨人、虐殺将軍、戦禍の赤騎士、竜殺しの青銅王、偽りの悪魔。
まさに多種多様、十人十色。
しかし堕ちた不死者に対し、誰より強いのは間違いなくこの女だ。
「いい加減お前らに振り回されるのは飽き飽きしてんだよ。
完膚なきまでに殺してやるから、なぁ、私とももっかい遊んでくれや」
生き竈、原初の殺人鬼――トバルカイン。
死の専門家、職業病で人を殺す流血の極み。
死を熟知し、人体に偏在するそれをなぞるだけで命を奪える彼女は、まさしく神の天敵に他ならない。
「にーとちゃーん。なあなあ、連携プレーってアガる~?」
「アガる~っ! ロキくんもセイバーちゃんもふぁいとおー!!」
「あいよ。いいってさ」
「最初から許可なんざ求めてねえよ色ボケ共が」
最強、ウートガルザ・ロキ。
神の天敵、トバルカイン。
「っひー……。
……へへ。恨むぞぅ、ジャック先生」
受けて立つは〈この世界の神〉、神寂祓葉。
そして。
『塵どもが。少し足元を掬った程度でいい気になるなよ』
もうひとりの神、無限時計文明を編む科学者。
オルフィレウスの殺意が呟かれると共に、戦場を極大の重力場が支配した。
「チッ。小細工まで一丁前か」
「最初から出せって話だよな。目測を盛大に外しといて、よくもああまでイキれるもんだ」
圧力を仁杜、小都音の位置まで及ばせていない理由は、それだけこの二体が脅威であることの証左だ。
その甲斐あってか地に膝を突く無様は犯さねど、ロキとカインは現在進行形で動きに多大な制約を食らっている。
ロキは全身からの魔力放出で軽減し、カインは卓越した体捌きで重力の影響を最小限に留めているに過ぎない。
「アレが奴さんの本命だと思うが、どう見るねカインちゃん」
「真名で呼ぶなカス殺すぞ。……ああいうデカブツの相手は専門外だ、お前に譲ってやるよ」
三対六枚の白翼を背負う最古の熾天使。
始まりの大巨人、〈Seraph=Ζήνων(セラフ=ゼノン)〉。
救済機構と青銅王との交戦を経て改良されたかの機神は、ギリシャ神話の最高存在の権能を搭載している。
それを手繰る水髪の少年こそ、神寂祓葉の半身。
科学者オルフィレウス。かつて〈はじまり〉を制し、ゆくゆくは遥か遠未来までを支配せんとする厭世の造物主だ。
『いくぞ、祓葉。好きに暴れていいが、邪魔だけはするな』
「――なにげにこうしてまともに共闘するのって初めてだよね。へへー、なんか嬉しいや」
『言っている場合か、バカ。もうあの頃のように無敵じゃないことを忘れるなよ』
黒幕という仰々しい言葉に似合わない、どこか青臭く初々しいやり取りを交わしつつ。
「さあ、おいで」
『さあ、来い』
〈はじまりの聖杯戦争〉における勝者。
第二次聖杯戦争、針音の箱庭を生み出した神々が牙を剥き出す。
各所で繰り広げられた神主導の乱痴気騒ぎとも、杉並の機神戦争とも質は比べ物にならない。
「『――――私/ボク達に勝てるものなら』」
彼らが並び立ってしまった事実は、それだけで既存のあらゆる脅威を凌駕する。
これぞアストロマキア。これぞラグナロク。
赤騎士亡き地平で、またひとつ、レッドラインは超えられたのだ。
◇◇
(おい。お前、マジで噛まねえ気なのか?)
失望も露わ、といった調子で飛蝗の声が響く。
魔女はそれを黙殺し、先とは打って変わって能面のような無表情で眼前の神話大戦を見つめていた。
(元カノを喰うにしろ、奴らと組み直すにしろ、静観だけはねえだろ。虫の頭でも分かることだぜ)
この戦争は間違いなく、針音の聖杯戦争が始まってから最も大規模なものになる。
影響を及ぼす範囲は微細かもしれないが、級位で言えば新宿の赤騎士決戦を凌駕するだろう。
何しろ神と神。星と星。偽りなれど、そう名乗るに足る力を持った怪物同士の正面戦闘なのだ。
よってこれが持つ意味、そこに介入できる意味は途方もなく巨大である。
神寂祓葉にしろ天枷仁杜にせよ、彼女達のどちらかが潰れれば聖杯戦争における最強格の敵がひとつ消える。
シストセルカの言う通り、静観の択はない。あらゆる選択肢の中で、それが一番"無い"。
にも関わらずイリスは、何の指示も下すことなく、ただ立ち尽くして呆けていた。
(お前らの女々しい因縁に興味はねえけどよ。あのメス、弱くなってんだろ?)
(……、……)
(狙いの餌を横取りされちまうなんて最悪だ。それより不快なことはこの世にねえ。
お前は人間にしちゃ珍しく、そこんところを分かってる奴だと思ってたんだが)
戯言が常のシストセルカだが、今だけは彼の言うことが正しい。
祓葉は弱くなった。以前ならいざ知らず、不死を失った彼女は最強(ロキ)に敗北し得る。
だから彼女との因縁を重んじるなら、彼らと戦って運命を守るべきだ。
逆にすべてをここで清算する気なら、肩入れするのもアリだろう。
オルフィレウスはロキの相手で手一杯だろうし、祓葉との一対一を組むのも難しくない筈だ。
過去の友より現在の友を大事にしたっていい。
だとしてもやはりロキに助力すべきで、〈蝗害〉を擁する魔女が加勢すれば旗色は一気にそちらへ傾く。
それほどまでに、楪依里朱がこの場で保有する価値は高い。
なのに当の彼女はこの有様で、何をするでもなく棒立ちを晒している。
シストセルカが興醒めになってしまうのも無理からぬことだった。
(ま、大将はお前だ。お前が戦わねえってんなら、それでも俺はいいけどよ)
ふう、とらしくない溜息をつく虫螻の王。
一見気の抜けるような仕草だが、その音にイリスはかつてない殺意を聴き取った。
彼らの暴れる姿など何度となく見てきた魔女をして、背骨が凍りつくような戦慄を抱く。
(釘は刺しとく。あんま萎えることばっかしてると、まずテメェから喰っちまうぞ?)
虫螻の世界に忠義はない。
シストセルカ・グレガリアを真の意味で平伏させるなど、この世の誰にも不可能だ。
(俺がお前とつるんでるのは美味い餌にありつけるからで、テメェが面白えメスだからだ。思春期やるのはいいが、それだけは忘れんな)
食い扶持も寄越さない退屈な人間では、彼らを従えることはできない。
よって蝗害の魔女が戦意を失った時、彼女を待ち受ける結末は飛蝗達による捕食と決まっている。
言うなればこれもまた悪魔との契約。
その言葉が虚仮威しでないことを理解しつつ、それでも、イリスは何も言わず押し黙ったままだった。
走馬灯のように、思い出達が脳裏を飛び交っている。
あの村にいた頃のものなど、ひとつもない。
あるのはすべて、この空気の不味い大都市での記憶だ。
土に塗れ、血に塗れ、それでも生き抜いてきた日々のこと。
狂気に汚れて元の願いさえ失って、それでも縋り付きたかった過日のこと。
述懐を繰り返しながら、色のない世界にて魔女は佇む。
夜空を見上げる星見人のように、この場で最も幼い少女はそうしていた。
◇◇
セラフ=ゼノンの重力が支配する中、空からの砲撃が一瞬で都市を地獄絵図に変えた。
逃げ場はない。そんな世界の中を、ロキは悠然と歩んでいく。
吹き飛ばされた位置から復帰したアレスの斬撃を、今度は受けるのではなく流す。
片手に神界(アースガルド)の水を纏わせて薄膜を形成、摩擦係数を極度に低下させることでそれを可能とした。
その上で背後の空間から、数百を超える神器の槍衾を出現させる。
ミストルティン、レーヴァテイン、グングニル、ミョルニル、魔剣グラム、フルンティング、ティルフィング――
どれ一つ鈍らはない。最高の幻で現世に投影した、北欧最高の武具の数々。
それをロキは、惜しげもなく初撃から全弾発射した。
白み始めた宵の空を引き裂いて迸る神剣魔剣の一斉掃射。
武者の機神は卓越した剣技で次々打ち落としていくが、一秒ごとにロキとの距離を引き離されていく。
が、そうはさせじと無限時計文明の主神(ゼノン)が名乗りをあげた。
スラスターから莫大な量の魔力を放出し、超音速戦闘機を優に追い越す速度で吶喊。
体当たりめいた突撃だが、本領は威力ではなく急接近による重力の強化にあった。
一秒前の数十倍まで引き上げられた重力に、さしものロキも動きが止まる。
そうして隙を晒させた上で、純白の鉄腕が遂に武装を開帳した。
形状は雷の剣。実体のない、エネルギーの武装。
見てくれは剣であるが、実情はむしろ回転鋸(チェンソー)に近い。
対城級の魔力を雷として噴出させ、かつ飛ばすのではなく一定の周回軌道で回しているのだ。
その回転を以って刃とする。赤雷自体が持つ破壊力と、回転のエネルギーの二段階で万物を断ち切る、魔導科学の聖剣である。
「やれやれ、防いじゃ駄目ってのは面倒だな」
ロキはオルフィレウスの機神に対し、事実上防御の策を取れない。
ならば迎撃か回避しかないが、好きな女の前だ。
即断で前者を選択し、次の奇跡/奇術が鳴動する。
「まあいいや。力貸せ、筋肉馬鹿」
片手に顕現させたのは槌(ハンマー)だった。
先程アレスをいなすのに射出した神器の中にも含まれていた、北欧で最も高名な雷神の商売道具。
が、ロキが握った以上展開される事象は単に射出したのとは訳が違う。
真名、偽装解放。これより出現するのは正真正銘、彼が知る神代の一風景に他ならない。
「『悉く打ち砕く雷神の槌(ミョルニル)』――!」
曰く、その雷は万物を破壊し圧し潰す。
物質を破砕させるのはもちろん、それを構成する霊子さえ根源的に砕く打撃の究極。
地から空に立ち昇る雷霆という不条理を、この奇術王は当然のように実現させる。
赤雷と神雷の激突に、世界は一足早い真昼を迎えた。
膨大な魔力の波動に、巨大隕石の激突を思わすクレーターが形成され都市を呑み込んでいく。
巻き込まれた者がいたなら、英霊だろうが跡形も残らず粉砕されていただろう。
オルフィレウスの事象解析がなければ、彼の機神達でさえ例外ではなかった筈だ。
古き神秘と最新の神秘。
二つの激突は、やはりというべきか徐々に序列を明確にし始める。
ゼノンの鉄腕が軋み、血飛沫の代わりに火花を散らしていた。
このまませめぎ合いを続ければどちらが勝つかは明白だったが、オルフィレウスが主神の銘(ざ)を任じた機神は伊達ではない。
『防御用重力壁を解除の後転用――疑似星団形成、コズミック・シーマイン展開』
端的な指揮と共に、ゼノンの防御に使われていた重力壁が消失。
代わりに、ロキの周囲を囲うようにして大小様々な、総数数千もの黒い球体が出現した。
奇術王が舌を鳴らす。これらがまさしく無数の星から成る"星団"であると理解したからだ。
ミョルニルを握る彼の腕が何かに弾かれたように逸れ、次の瞬間には原型を失うほどグシャグシャにひしゃげていく。
球体の正体は重力球。本来形ないものである重力を球状に成形し、自ら莫大な圧力を放つ星の群れとして用立てた代物だ。
方向も性質も違う数百種の重力に晒されたことで、ロキは全身を蹂躙されるような苦痛と破壊に襲われる。
神秘の格は低いものの、それでも数が膨大すぎる。四肢を破壊し、攻撃の向きを変えるくらいなら造作もない。
『続けて全方位砲撃。コズミック・レイストーム』
次いで全砲門解放、ゼノンの最高火力が吹き荒れる。
デメテルの高速移動乱射など比にもならない。
威力が違う、数が違う。よって桁が違う。
救済機構(デウス・エクス・マキナ)らとの交戦データを基に改良されたゼノンの性能は、あらゆる面で昨夜のそれを遥かに超えていた。
が、オルフィレウスは慢心しない。
自身が全力を賭して改良したこれでも尚、目の前の最強を討つには不足があると判断。
『アレスは突撃。デメテルは仮想宝具:イミテーション・エレウシスの発動準備』
残る二神も同時に動かす。
攻性においてロキは脅威だが、防性はたかが知れている。
よって数と物量に物を言わせた同時攻撃こそ、巨人殺しの最適解。
「舐めんなって言った筈だけど?」
が――ウートガルザ・ロキ、やはり嘲笑!
小規模なムスペルヘイムを編み上げ、焦熱地獄に吹く爆炎の乱気流により重力球を一掃。
一切の縛りから解き放たれた身で、一足飛びで天まで跳躍する。
「根暗が知恵凝らした結果がそんなもんか? ガンダムでも見て勉強しとけよ」
セラフ=ゼノン、アレス、デメテル。
いずれも並の英霊では歯牙にも掛けられないだろう超兵器だが、ロキに言わせれば陳腐が過ぎる。
発想が合理的過ぎるのだ。性能と搭載された兵器に製作者の意図が滲みすぎており、言ってしまえば読みやすい。
これほどのスケールを見せられて尚、ロキはオルフィレウスの兵器群をつまらないと認識していた。
真の兵器とはひと目見た瞬間に圧倒され、戦慄を超え思わず笑みを浮かべてしまうような超絶な代物だ。
その点この機神共は、ロキに言わせれば小僧の背伸びだった。
最愛のお姫さまのもとで現代文化にかぶれ、現世で大人気のサブカルチャー……ロボットアニメを山ほど貪ってきたから尚更である。
陳腐。チープ。浪漫もなければ実用性でも自分の首を取るに程遠い落第点。
であればできの悪い後進に、いざ本物の兵器というものを魅せてやろうと幻を編み始めたところで。
「――あ?」
突如として、ロキの胴体に幾つもの穴が空いた。
「チ。なるほどね、隠し玉があるのは想定してたが」
傷口の内側で、数ミリ~数センチほどのなにかが蠢いている。
感触からして機械なのは分かるが、眼下の機神どもに比べるとあまりに小さい。
典型的な巨大兵器という印象さえ隠れ蓑にした、オルフィレウスの秘策。もとい、伏兵。
「言うに事欠いてパクリとはな。節操がねえなぁ、小人(ドヴェルグ)!」
『その手のプライドに興味はない。優れた発想は進んで取り入れ、実用化するべきというのが持論でな』
これは、虫だ。
純粋な頭数を兵力と見立てるならば、間違いなくこの針音都市で最大の規模を有するだろうとある英霊の模倣(イミテーション)。
――《Seraph=Ψυχή》。
セラフ=プシュケー。
無限時計文明の叡智を用い兵器化された、人工の蝗害である。
ロキは瞬時に体内で魔力を回し、食い込んだ機械虫達を全壊させる。
時間にして数秒にも満たないわずかな隙だったが、それでもオルフィレウスの想定より遅い。
彼が求めていた隙は一秒。ほんの一秒稼げれば、ロキを地に叩き落とすには十分と判断していた。
『射殺せアルテミス――――イミテーション・オルテュギュアー』
そう。
オルフィレウスが今回ロキ討伐のために投入している機神の数は、三体ではなく五体。
ゼノン、アレス、デメテル、プシュケー。そして最初にロキを射撃した五体目、〈Seraph=Ἄρτεμις〉。
オルフィレウスの工房より更に上空、外界の彼方から地上に照準を合わせた機神射手(アーチャー)。
星を穿つ黄金の閃光が、虫達に縫い留められたロキを呑み込んで在るべき大地に引き戻す。
咄嗟に盾の神器を呼び出して防ぐが、やはり機械の解析はロキの防御力を著しく奪っているらしい。
光の熱を殺し切れず半身が焼け焦げ、それどころか炭になって崩れ落ちた。
そんな有様ではアルテミスの神罰を凌いで空に在り続けるなど不可能。
火の点いた蚊蜻蛉のように地へ堕ちていくロキの姿に、姫の悲痛な声が虚しく響く。
『失せろ骨董品。ボクの造る未来に、貴様ら旧型の席はない』
未だ降り注ぎ続けるゼノンの砲撃。
その合間を縫い、爆速で間合いを形成するアレス。
そして豊穣の大蜘蛛デメテルは、総体から幾本ものケーブルを地に接続。
岩盤にまで先端を到達させ、造物主の命令通り兵器としての最大権能を解放した。
既存の文明を大地から撹拌し、揺らして消滅させる対地上都市の究極兵装。
名をイミテーション・エレウシス、偽られたる豊穣。
原典となった豊穣神の慈愛を、この機神は破滅という形に反転させている。
『ついでに言うとまどろっこしいのも嫌いでな。よっておまえ諸共、この場の全員を処刑することにした』
すなわち――地の激震という大災害。
滅びの絵図としては普遍的だが、故に無駄がなく効率もいい。
非現実的なまでの破壊力で、しかして局地的に炸裂する未来科学の人工地震(アースクエイク)。
建物はすべて崩落し、大地も遥かの低みまで陥没するから誰も逃れられない。
この瞬間ロキの敗北を待たずして、天枷仁杜の陣営の壊滅が確定し。
『拝跪しろ。これが無限時計文明――ヒトの歩みのその垓てだ』
以って星の大戦は終わりを迎える。現行の神が旧い秩序を排するという、最も身も蓋もないラストシーンで。
されど――ああ、されど。
『――――な』
響くのはロキの断末魔ではなく、滅びを下した造物主の驚愕。
「ん、誰を何するって?」
下した滅びを凌がれた、のではない。
確定した筈の滅亡が、そもそも起こりすらしなかった。
東京の大地を貫くように、あまりにも異質な物体が生えている。
木だ。尤も若者の待ち合わせに使われる街路樹……ソメイヨシノやプラタナスとは訳が違う。
その大木は、機神達の背丈すら超えて雲の先まで貫いていた。
這う根はアスファルトを引き裂き、どことも知れぬ地中に命脈を埋めていた。
巨大という言葉を使うのも生易しく思える威容は、しかしこれでも原典の数万分の一以下を切り出したに過ぎない。
「とはいえ今のはなかなか見事だった。まさかこの俺が、こんな搦め手じみた真似をさせられるとはね」
デメテルが引き起こす筈だった大破壊は、この木によって堰き止められた。
強制励起させられた地脈に根を広げて縛り付け、震動さえ行えないほど強く戒めたのだ。
呼び出すにあたり些かのスケールダウンは強いられたが、それでもひとつの"世界"である。
事実地上は微動だにしておらず、機神駆りの少年神は盛大に思惑を空かされた形になる。
「――『世界樹(ユグドラシル)』。やるじゃないか自称神、流石にこいつを出したのは初めてだよ」
九つの界を内包する世界樹を召喚し、荒ぶる機神を宥め賺した。
言葉で言うのは容易いが、それがどれほどの偉業であるかは言うに及ばず。
「俺もようやくノれてきた。どれ、少しギアを上げようか」
世界樹が貫いた空の彼方から、厳かな帆船が姿を表す。
神々の最高傑作。北欧最強の大戦艦(スキーズブラズニル)。
空を覆う船体が、無骨な砲門を幾つも覗かせた。
『……怪物が』
「いいや、主人公だよ」
アルカイックスマイルが夜空に弾ける。
「この都市のすべてが彼女の見る夢だ。
なら俺は、それを永久に守る者でありたい」
やがて砲門を満たす黄金の閃光。
すべてが神気。再現された幻の神威であれど、彼が描けばそれは虚実ではなくなる。
「愛を謳えよオルフィレウス! おまえの運命はそんなもんかぁ!?」
『つくづく、不快な男だ――!』
セラフ=ゼノン、感光。
神に相応しからぬ幼稚な自我に、挑発を買わない択はない。
空に黄金、地に赤雷。
重力場が乱れ狂う彼は誰時の大戦は、違うことなく過去と現在、主役達の生存競争だった。
『言われなくとも謳ってやろう。真の運命も知らないおまえに、ボクらの神話を討てると思うなッ!』
◇◇
その戦闘を一言で語るなら、"残酷"以外の形容句はまず思いつくまい。
それほどまでに一方的で、容赦のない蹂躙が繰り広げられていた。
褐色の矮躯が跳ねる度に十を超える斬撃が奔る。
いずれも急所のみしか狙っておらず、極限の技量に裏打ちされているから隙はない。
一発たりとも無駄はなく、ミクロン単位で見てもまったく狙いを外していない。
対し、凶剣の暴威に晒されている方はほとんど為す術もなく踏み躙られている。
身体が蒸発するのではないかというほど血を撒き散らし、肉を削がれ、一秒ごとにヒトの輪郭が崩れて消える。
一撃で頸動脈を寸断。
二撃で鳩尾を引き裂いて腸を引き出す。
三撃で両目に横一線のラインを引き。
四撃でこめかみを抉る。
五撃で喉笛を切除。
六撃で両腕を消し飛ばし。
七撃で肺を貫通。
八撃で背骨を腹筋ごと寸断。
九撃で脊髄を走る神経網を乱雑に破砕させ狂死の苦痛を与え。
十撃で上下の半身を泣き別れにする。
ここまでで、わずか一秒。
疾風より疾く、血霧を咲かせる殺人鬼。
生命を効率的に殺傷する手段の追求に心血を注いだ凶人は、真実、超越者の天敵だった。
祓葉は英霊さえ超越する力を持つが、反面技というものにひどく乏しい。
端的に言うと才能がないし、それを埋め合わせるだけの経験もないのだ。
恒星の異能とオルフィレウスの炉心を寄る辺に暴れ狂う美しき破壊神。
核弾頭の炸裂さえ剣の一振りで薙ぎ払う彼女は確かに脅威だが、武人としては論外だ。
その上、今の祓葉は不死性を大きく落としている。
昼間の交戦で彼女がトバルカインに食い下がれた理由は、言わずもがなその反則級の耐久力。
結局、何をしようが殺せないというのは、殺し合いにおいて比類しようのない強さなのである。
しかし反面、それさえなければ勝負の様相は一変する。
堕ちて尚即死以外の傷はことごとくねじ伏せて立ち上がるのが祓葉だが、そんなこと、トバルカインに言わせればもはや何の障害にもならない。
最良の殺人法とは一撃必殺。
人殺しを極めた者は誰しも必ずそこに到達する。
原初の鍛冶師(トバルカイン)はそれを深く理解しており、故に彼女は殺し合いに無駄を持ち込まない。
全撃が必殺。全撃が即死。
例えば両目を潰した時も正確には脳の破壊を狙っていたし、喉笛を抉る際などは斬首を試みていた。
秒ごとに無数に繰り出される殺しの手管を一発でも凌ぎ損ねれば、その時点でゲームオーバー。
祓葉は死ぬ。呆気なく滅びる。天蠍の毒によって零落した今の彼女は、以前では想像もできないほど脆く不確かな存在だ。
「――、――」
言葉を弄する暇もない様子の祓葉を見つめながら、トバルカインは僅かほども手を緩めない。
完璧な照準で刃を振るい、再生した端から祓葉の肉を削いでいく。
祓葉も光剣で応戦してくるが、時に軽く捌き、時に躱して、まったく相手にしない。
圧倒的。その一言に尽きる状況が、かれこれ一分近く続いている。
あまりの悲惨さに、祓葉の脅威性も忘れ同情してしまう者もいるだろう。
それでもトバルカインは、少女の身体を刻み続けるのだ。
何故ならそうでもしていないと、徐々に増してくる気味悪さに耐えられなくなりそうだから。
「どこまでもいけ好かねえ」
確かに、祓葉は為す術もなく圧倒されている。
一分もの間、常人なら何百回と死んでいるだろう人体破壊を受け続けている。
そんな状況に焦りを抱けていたのは、恐らくトバルカインただひとり。
「どこの誰だか知らねえが、やるんならきちんと殺し切れよ。
半端な仕事しやがって、ケツ拭く側の身にもなってみろってんだ」
何故、この状況が一分も続いているのか。
信じ難いことだが、祓葉は全身を毎秒原型を失うほど切り刻まれながら、即死に繋がる攻撃だけはすべて防ぎ躱し続けていた。
技術ではなく本能。しかしその冴えが、もはや理屈で語れないほど頭抜けていた。
トバルカインでさえ、自分が相手取っているモノの不可解さを言語化できない。
死を。生き物を殺すということを、知り尽くした者であればあるほど実感する、耐え難い不気味さ。
しかしトバルカインには、殺し続ける以外のカードがない。
零落した神に自分が打てる最適解を、ただ淡々と打ち続ける。
斬首。脳破壊。心臓破壊。押し付ける死因は何でもいい。
一度でもそれらが叶えば、神寂祓葉はそれで死ぬ。
そんな甘い考えを、トバルカインはとうに捨て去った。
その判断は正しい。慧眼と断ずる。
生き物は殺せば死ぬという当たり前さえ、この白き神に当て嵌めるべきではないのだ。
「――――は」
声がする。
同時に、肉を裂く感触が目に見えて減った。
「――――あ、は」
代わりに響くのは、ガキン、ガキン、という衝突音。
血霧の中から響くそんな音と、火花であろう赤白い輝き。
人体破壊の緩慢化に伴って、声帯の無事な時間が増えたのだろう。
神の声が、愚かな殺人鬼の耳朶をけたたましく揺らす。
「あははははははははは――――!」
「……ッ、ちィ!」
攻撃が、防がれ出している。
数秒前までは対応すらままならなかった殺人剣が、急速に対応され始めた。
相変わらず稚拙なままの太刀筋を、振る腕の速度を超絶の域まで高めることで強引にカバー。
その上で、先程までは致命の回避にのみ使っていた獣じみた生存本能を迎撃に転用する。
よって理屈のないまま、神寂祓葉はあっさりトバルカインに追いついた。
「気持ち悪い女だ。興味はねえが、テメェが生きてちゃいけねえ奴だってことだけは分かる」
「ひ、っ、ど、い、な、ぁ!」
学習のプロセスを吹き飛ばして対応。
もはやそれは因果の逆転に等しい。
中間地点を無視して、対応したという結果だけを強引に引き出している。
何故そんなことができるのか。
問うのも愚か、神寂祓葉に限界はない。
理不尽とは祓葉のためにある言葉だ。
望んでもいないのに何もかもが自然とうまくいく。
かつてその体質は、少女に深い諦めを抱かせたが。
今や祓葉は喜々として限界を超え、現実を踏み潰す。
遂に閃いた一閃が、トバルカインの頬を浅く切り裂いた。
「――界統べたる(クロノ)」
そして、絶望の詠唱が紡がれる。
一気に肌を覆う鳥肌は、祓葉の神秘を見た者にとって共通の反応。
神を畏れる心に、天才も非才もありはしない。
「勝利の剣(カリバー)――!」
溜めの時間0秒で放たれる、通常攻撃さながらの必殺技。
爆光を撒き散らしながら炸裂した剛剣が、殺人鬼の矮躯を輝きの中に隠した。
されどトバルカインは、事もなく返しで祓葉の腕を切断する。
宙を舞う光の剣。ありゃ、という気の抜けた声。
振り抜かれた蹴り上げが喉を叩き潰し、続く斬撃で胴体両断。
瞬殺と見紛う華麗な殺陣は、しかしこれも主役のための踏み台。
下半身を失い地面へ沈んでいく中で、再生を終えた利き腕で光剣を握り。
地に突き立てると同時に、再びの真名解放。
「界統べたる勝利の剣」
「――――!」
瞬間、地を刳りながらの大爆発。
本来の威力ではないが、間合いが間合いだ。
この程度の爆発でも十分に凶悪で、爆風がトバルカインの肌を焼く。
「っふふ、ふふふ、うふふふふ――!」
その間に全身の再生完了。
地から這い上がった祓葉の一閃がトバルカインを狙う。
問題なく受け止めたが、走る衝撃に生き竈が目を見開いた。
「ご、ッ――が――!?」
Aランクの筋力を持つトバルカインが、鍔迫り合うことすら許されなかった。
吹き飛ばされ、無理やりに足で大地を踏み砕き、骨折覚悟で杭にして踏み止まる。
しかしすぐに、瞬速で駆け寄った祓葉の猛攻に晒される。
もう打ち合うのもままならないほど強化された光剣は、彼女のお株を奪う一撃必殺。
技なく、造詣なく。ただその力ひとつで触れた生き物を叩き潰す神の凶剣だ。
「……はあ。やってらんねー」
思わず溜息が漏れる。
その仕草を見取ってか、祓葉は心底嬉しそうに破顔した。
「楽しいね。もっと遊んでほしいな」
「楽しい、か。お前、だいぶ歪んでんなぁ」
「?」
が、いつもの文句に対し返ってきた言葉は辟易と。
それだけでなく、どこか哀れみを秘めたもので。
「前の時にも思ったが、お前、本当にこれで楽しいのか?」
変わらず剣を振り続け、光剣と打ち合いを交わしながら殺人鬼は言う。
いつしか攻める側と凌ぐ側があべこべになっていたが、それに動じることもなく。
「死なない。滅びない。どんな傷でも立ちどころに治る。
おまけに自分は理屈なくどこまでも強くなる、そのままゴリ押して磨り潰す。
戦闘狂の類は腐るほど見てきたけどナ、お前のは矛盾だらけだ」
「……ふうん。そういう風に考えるんだ?」
「勝てさえすれば何でも楽しいって輩もいるけどよ、お前はそういうタイプじゃねえだろ。
他人が好き、敵が好き。自分と遊んでくれる奴が好き。そいつらと一緒に過ごす時間が好き。
ガキみたいに無邪気に楽しんでるのは分かるよ。けどなら尚更、お前の戦い方はそこの筋が通らん」
ここまで神を見てきた率直な感想、という名の刃をその心に向けて振るっていく。
世界の主役の内心と、彼女の出自に纏わる真実は未だブラックボックスの中。
〈はじまりの六人〉でさえ知り得ない神の在りし日(オリジン)に、トバルカインは自分が肉薄しているのを感じていた。
こいつはどう考えてもおかしい。
肉体もそうだが、精神にも確実に何か破綻を抱えている。
戦狂いのようなことを言いながら、二重の安全圏(セーフティー)を敷いて常勝を重ねる。
その上で狡猾さなど微塵も見せず、心胆から目の前の戦いを楽しめる。
不気味だ。どこかでボタンを掛け違えているとしか思えない。
トバルカインは、人間の感情になどさして興味がない。
知人ならまだしも見ず知らずの相手、ましてや敵など虫と同じ。
なのに彼女が他人を理解しようとし出したなら、意味するところはひとつ。
「ところで、気付いてるか?」
「へ?」
「剣速がずいぶん落ちてンぞ」
「あ――っ、ぎぃ……!?」
"目の前の命を奪うために、必要だから"。
指摘と共に祓葉の胸を引き裂き、トバルカインは確信した。
ようやく見つけたのだ、この現人神を真に崩すための道筋を。
「やっぱりな。何が神だよ、そんなもんこの時代に生まれ落ちるわけがねえんだ」
その名を、トバルカインは知らないが。
蛇杖堂寂句はよくやった。
だが一手足りなかった。
彼のアプローチでは、神堕としの先に辿り着けない。
現代の神、都市の極星を真に超えるのに必要なのは失われた頁に迫ること。
すなわち、神となる前の祓葉。
かつて少女だった頃の星屑を暴かなければ、どうあっても舞台の根幹を崩せないのだと得心する。
トバルカインが、此処で初めての後退を取った。
反撃の一閃を躱し、数メートル後方で着地。
した瞬間、彼女の周りを囲むように無数の武具が顕れる。
百、千、万――展開される剣の山嶺。
そのいずれもが、かつて彼女の手で鍛えられた凶器であるなどと誰が信じられようか。
だが事実だ。なぜなら彼女は生き竈のトバルカイン。
挫折したいつかの日まで昼も夜もなく、一心不乱に人を殺す道具を造り続けた原初の鍛冶師であるのだから。
さりとてこれは彼女にとって失敗の歴史、恥の記憶。
よって進んで抜きたがりなどしないのだが、今だけは高揚が羞恥を凌駕した。
「望み通り遊んでやるよ、人間(ばけもの)。こちとら人殺しの専門家だ」
これぞ、死の河。奈落の山。
無限ならぬ、有限の剣製。
「――――そんで、ちゃんと終わらせて(ころして)やる」
『死河山嶺(リミテッド・ブレイドアーカイブ)』。
神を人として殺す、試行錯誤の死界が花開いた。
◇◇
「つ、強っよ……。分かったつもりになってたけど、マジで化け物じゃんアイツ……」
「ふっふーん。当たり前じゃん! わたしのスパダリサーヴァントですよことちゃんさん!」
目の前で繰り広げられる戦いは、高天小都音の常識を現時点でさえいくつもぶち壊す壮絶なものだった。
冗談みたいなロボット軍団に対し、ロキはまったく引けを取っていない。
強い。強すぎる。追い詰められたかと思えば次の不条理を出してくるので、敵方が後手後手を強いられている。
この都市の黒幕らしい人物が奇術師の荒唐無稽に翻弄されている光景は、痛快を通り越して絶句するしかない。
改めて、自分がにーとちゃんの友達でよかったと思ったし。
早い段階で彼女を見つけ、立場を共有しあえてよかったと思う。
もし自分というストッパーがいない状況であの怪物を振り回しまくっていたらと考えるとゾッとした。
その場合何の誇張でもなく、現時点で半分ほどは生き残りの頭数が消えていたのではなかろうか。
「いけいけー! やっちゃえロキくーん! ……あっ、セイバーちゃんも頑張れー! ざくざく行っちゃおー! 今夜は焼き肉だー!」
「おまえ今うちのサーヴァント忘れてたな?」
「そ、そんなことないよー? カインちゃんのこともしっかり応援してたよー?」
目を泳がせながら言う仁杜に自然と溜息が漏れる。
溜息(これ)なしでこのちいさな友人と付き合うのは非現実的だ。
何せ、目の前がこの有様でもこうして普段と変わらずあーぱーを丸出しにできるような女である。
常識で推し測ってはならない。そしてそんな奴と出会えたからこそ、ウートガルザ・ロキは最強の座に上れたのだろうと理解する。
――運命。彼女と彼もまた、確かにそういう間柄なのだ。
そう考えると、正直少し複雑な気分になる。
うざったい独占欲なんか出すのは本懐じゃないのだが、やはり自分にも、この難物と長いこと付き合ってきた自負があるらしい。
「にーとちゃんはさー」
「んー?」
「アイツのこと、好きなの?」
「ほえっ!? な、なんて時になんて質問するのことちゃん。世の中にはTPOってものがあってだねぇ……!?」
現実の男に、アニメキャラのようなスーパーダーリンなんてそうそういない。
なのでいつかろくでもない男に惚れるんじゃないかと思っていたが、その予想がものの見事に、それでいて予想以上の形で的中してしまった。
天枷仁杜はクズである。
ウートガルザ・ロキも絶対にクズである。
人の不幸を手叩いて笑える。
視界外の他人の生き死にを何の問題とも思わない。
いつだって世界は自分と、自分の好きなものだけのワンルーム。
つまるところ似た者同士だ。仁杜にとってロキは、さながら鏡の向こうの理想の自分、なのではないだろうか。
「で、どうなのさ。答え如何では私の今後の態度が多少変わるわけだけど」
「質問したくせに脅し!? ……ぅー……」
もじもじ、と胸の前で指を絡ませる仁杜。
イライラする。でもこのくらいでイライラしてたら、こいつとは一日も一緒にいられない。
「わ……」
ロキもロキだ。
こんな女のどこがそんなにいいのか。
はっきり言うがこいつ、悪いところがいいところの百倍くらいあるぞ。
すぐ泣くし、わがままだし、時間もルールも守らないし、他人の地雷を平気で踏み抜くし。
根気はないし意思は弱いし、そもそも物理的に弱いし、歩くの遅いし食べるの遅いし生きるの下手だしいっつも酒臭いし。
「わかんない……。こういうの、はじめてだし……」
いいところなんて、顔くらいだ。
ぽっと頬を染めて、目を逸らしながらもじもじする姿を見て、小都音は「はぁあぁあぁあぁ……」とがっくり項垂れて溜息をついた。
たまに思うが、この女は自分の顔のよさを自覚してるとしか思えない。
涙うるうるさせて上目遣いしてきたり、ふにゃっと笑って意味もなく見つめてきたり。
そしてこいつにそういう顔をされると、イラついたりモヤついたりしてる自分が馬鹿みたいに思えてくる。
「やさしいし、一緒にいると楽しいし……わたしが何を言っても聞いてくれるし……」
「最後の一言で台無しだわ」
ぽふんと頭に手を置く。
友達になった頃から変わらない、ふわふわの手触り。
ついでに背丈もほぼ変わってない。高校生基準でも小さかったあの頃のままだ。
「じゃ、一緒に応援しよっか」
「――! うん!」
ロキのことはやっぱり気に入らないが、彼には勝ってもらわないと困る。
何せ敵、あのオルフィレウスとかいうサーヴァントの狙いはロキ以上に仁杜だ。
ロキが討たれれば、自分達はあの機神軍団に為す術もない。
いざという時があればどうするかは決めているけれど、そうならないに越したことないことは言うまでもなく。
だから今は我が陣営が誇る性格最悪のイケメンチート野郎を全力で応援するだけだった。
トバルカインの方も注視はしているものの、やはり戦場の主役は彼だろう。
ロキがオルフィレウスに勝てば、次はあの奇術王が祓葉戦に加勢することになるのだから。
月の興亡はこの一戦にあり。
ギャラリーながらに兜の緒を締め直し、改めて奴らの戦う空を見上げて――
「……は?」
「え、えぇ……?」
小都音と仁杜は、ふたり揃って、信じられないものを見た。
最終更新:2025年12月26日 01:18