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 スキーズブラズニルの大砲撃が夜空を引き裂き、黄金の大嵐を吹かせた。
 見てくれはカルバリン砲に似ているものの、威力はそれの比ではない。
 むしろそちらが只の劣化コピーでしかないと思わせるほど、これの火力は常軌を逸している。
 その証拠に、人類が叡智を尽くして繁茂させてきたコンクリートと鉄筋の森が、一秒ごとに姿を消していくではないか。

 余人の常識を破壊しかねない荘厳な光景だったが、無限時計文明の機神達も負けてはいない。
 現代の科学では不可能なほど超高度に最適化されたオート操縦で砲撃の隙間を縫いながら吶喊する。
 被弾して吹き飛んだ箇所は、永久機関による自動修復で即座に持ち直す。
 超巨大な不死の戦団という悪夢で、未来は神代(かこ)に肉薄していた。

 セラフ=アレスが魁を努め、剛砲の荒ぶ中を摺り足に似た歩法で突撃していく。
 船体に近付けば近付くほど生存圏は目減りしていくが、アレスは此処で今まで隠していた防御武装を開陳していた。
 装甲の内部に仕込まれた刃を媒体に魔力を走らせ、周囲に全自動で大小無数の斬撃を放ち続ける。
 機械武者の見てくれでありながら他者との対話を拒絶する、未来科学の防衛システム。

 これにより、アレスは迫る砲撃のすべてを触れないままに迎撃していた。
 斬滅の檻を纏いつつ、音の壁を突き破りながら接敵。
 間合いに入ったと判断するなり、その大剣を水平に構える。

『イミテーション・フォトンレイ――突き破れ』

 刹那、汚濁色の魔力光を纏いながらアレスが閃光と化した。
 斬撃の属性はそのままに、自らを超巨大な徹甲弾に変える離れ業。
 貫通力という一点において、戦神の剣は並ぶものがない。
 スキーズブラズニルの砲煙弾雨を物ともせずに蹴散らし、神々の帆船を破壊せんと迸る。

「大神宣言・多重投射(グングニル・ファンタスマゴリア)」

 巨大な船体を覆うように、数え切れないほどの神槍が出現する。
 対〈蝗害〉においてもロキはスキーズブラズニルの近衛兵にワルキューレ達を用いたが、今度のは文字通り幻の質が違う。
 真作の『大神宣言』を幻影で濫造し作り上げた、北欧最高峰の槍衾。
 それが、死刑宣告のように彼の指が下ろされると同時に一斉に解き放たれてアレスを襲う。

 この上ない絶望的な光景は、まさしく死の宣告に等しい。
 しかし、オルフィレウスは恐れることをしない。
 彼は理解しているからだ、幻は所詮幻、泡沫の夢幻だと。

『残念だったな。アレスの対物破壊能力はゼノンを超えている』

 ウートガルザ・ロキの手品は既に種の有無などあるやなしや。
 威力の減衰には期待できないが、そこに付随する"性質"なら攻略できると針音の科学者は踏んでいた。
 全手段を用いて目の前の槍衾を解析し、極限まで理解を深めて夢の深度を落とす。

 そうして、遂に戦神の剣がグングニルの群れと激突する。
 果たして結果は、彼の思う通りになった。

 多重観測による神秘剥ぎで、因果逆転の性質を無いに等しいほどまで零落させ。
 その上で吶喊する偽りの軍神剣は、無数の神槍を爪楊枝のように折り砕きながら進んでいく。

「へえ、お上手」
『すべてが思い通りにできると思うな。おまえなど、所詮端役のひとりに過ぎない』

 最後の一本を破砕させるなり、剣の切っ先がスキーズブラズニルにとうとう接触。
 耳を劈くような轟音を炸裂させながら、オルフィレウスの機神が最優の船をぶち壊す。
 船首から船尾までを引き裂くような亀裂が広がっていき、砲門も衝撃に耐えきれず次々と砕けていった。

 状況の均衡が崩れる。
 待望の一瞬を、オルフィレウスは見逃さない。

『次の手品を見せてみろ。
 尤も、できるものならだが』

 ゼノンの赤雷が、神罰宛らに降り注ぎ。
 デメテルが飛び散る瓦礫の上を巨体からは想像もできない俊敏さで跳び回り、繋がれれば破壊の震動を送り込まれる無数の導線を放ってくる。
 その上遥かの上空にはアルテミス。仁杜のお株を奪う月乙女の精密射撃は、ロキでさえ容易には回避できない。

 未来を統べる神々の暴威、そのすべてがロキに襲いかかる。
 遂に断ち割られたスキーズブラズニルは、断末魔に似た音をあげながら崩壊した。
 これでアレスもまた、ロキに対する包囲戦線に加われるようになる。

「フェンリル、ヨルムンガンド、ニーズヘッグ――」

 白狼。毒蛇。貪りし竜。
 三体の見知った怪物を呼び出すが、それさえ悪あがきに過ぎない。

 ゼノンの重力放射が三体を顕現した瞬間に戒め、デメテルの糸が絡め取って震動を流し込む。
 全身を内部から撹拌されて噴血する彼らを、アレスが神速の連撃で瞬く間に肉片へ変える。
 ここまで、ものの三秒とかからなかった。

「クソどもめ。俺の友達を雑魚キャラみたいに扱いやがって」
『事実だろう。そして』

 丸裸にされたロキは、まさしく裸の王様だった。
 仮初の王位で権勢を振り翳し、自分こそ最強と酔う不埒者。

 己の思い描く未来文明こそ最高と謳うオルフィレウスにしてみれば、彼の存在はすべてが愚かしい。
 不遜な言動も、その自負も、天枷仁杜などという屑星を信奉している思考回路も。
 すべてが愚鈍、愚昧の極みであり、だからこそ底なしの侮蔑を込めて言い放つのだ。

『おまえも、今からその同類になる。
 よかったな。せいぜい霧の国で、幻どもと傷口を慰め合うといい』

 瞬間――あらゆる暴力がロキを襲った。
 持ち前の幻術(なんでもあり)で対抗するが、それが功を奏するかどうかなどオルフィレウスにとってはどうでもいい。
 何故なら本命は地上に非ず。宇宙より来たる、最速最上の一撃なれば。

 天が、再び瞬いて。
 鋼にて再現された月乙女の機神が、虚仮の巨人を打ち貫く神罰を下す。
 あまねく幻を引き裂いて迸る閃光に、何の抵抗もしないほどロキは馬鹿ではない。
 ただし、今の彼は神々に存在のすべてを暴かれている。

「――――がッ」

 空へ擲った神器が、確かにセラフ=アルテミスの光矢を受け止めたが。
 そんなことは読んでいたとばかりに光の一部が枝分かれし、流星群めいた曲光となって彼へ降り注いだ。
 そのほとんどを咄嗟の迎撃で捌いてのけたのは流石としか言いようがない。
 が、そんな出鱈目を乗り越えた一発の矢が、ロキの胸を肺ごと撃ち抜き風穴を空けた。

 それを皮切りにして、一気に牙城が崩れる。
 重力が縫い止め、迫るのはセラフ=アレスとセラフ=デメテルの巨体。
 逃げ場などない、何をしたところでもはや間に合いはしない。
 身の程知らずの傲慢を神々が諌め、いざや英霊の座へ叩き返さんとした。

 が……。


「やっぱり視野が狭いな。もうちょっと遊びを覚えろよ、ちびっ子」


 その猛進を、目に見えない球状の力場が城壁の如く押し止めていた。
 いや、違う。正確には目にも見えている。ただ、それを"防御手段である"と認識できないだけだ。

 先ほどアレスによって破壊されたスキーズブラズニルの瓦礫。
 木材、鉄材、布材から現代に存在しない神代原産の物質に至るまで。
 あらゆる塵(デブリ)が、ロキを守る殻となって機神達を阻んでいるのだ。

『……、どういうことだ――』

 オルフィレウスの当惑も無理はない。
 スキーズブラズニルはアレスの最大出力で破壊できる、言うなればその程度の夢幻でしかなかった筈。
 なのに何故、その瓦礫ごときが機神達が全力で行う同時攻撃を防げるのか。
 まったく不明な事態だったが、当のロキはくつくつと喉を鳴らすのみ。

「俺が故郷の武器だの現象だのを使うのは、正直ただの格好つけなんだ。
 極論、出すのは箒や蠅叩きだって構わない。
 道具が何だろうと結果は同じさ。俺が思った事象を、俺が望んだ通りに顕現させる。それがこの俺、ウートガルザ・ロキの幻術だ」

 グングニルやレーヴァテインといった名のある概念を取り出してみせることさえ、ある種の芝居(フェイク)。
 幻術の真髄とは自在であること。肉を焼く水、人を溺死させる炎、手の届く空に底のない大地。
 そうした無理無体を実現させるからこその、幻。夢。故にロキにとって、神話の総力戦めいた戦い方も遊びの範疇に過ぎない。

 真に恐ろしい幻術とは、まったく新しい概念を実現させること。
 見る者の常識を破壊し、狂乱させ、腰砕けにして無様を晒させられたら最高だ。

「奇術師の仕事は夢を見せること。
 だいぶひん曲がってる自覚はあるが、俺だってそのモットーを忘れたことはないつもりだよ。無論、今この瞬間もね」

 だが、それだけではない。
 今口にしてる科白だって、半分以上は方便だ。

「君が必死に頑張るのを見て、ただ殺すってのも味気ない気がしてきた。
 せめてその凝り固まった脳みそに、本当のロマンってヤツを教えてやるよ」

 彼を知る者なら誰だって分かる。
 ウートガルザ・ロキの人格はどこまで行っても悪意の塊。
 他人の吠え面が大好きな彼が、自分に牙を剥いてきた相手に慈悲などかける筈がない。

 オルフィレウスは――瞬時に、ロキの狙いを理解する。
 覚えたのは怒りではなく、これまでで最大の危機感。
 殺さねばならぬと理解する。彼の狙う"それ"が成就する前に、何としてもこの英霊を針音都市から抹消する必要があると。

 何故なら、もし"それ"が遂げられてしまったのなら。
 もはや自分の手では、どうやってもウートガルザ・ロキを止められない。

「グングニル、レーヴァテイン、ミストルティン、フルンティング、ティルフィング、グラム、グレイプニル、スヴェル、ミョルニル、ダインスレイヴ、ヤルングレイプ、ギャラルホルン――生まれて砕けろ、死を以って麗しの月に奉公するがいい」

 生み出す。砕く。生み出す。砕く。
 一見すると単なる魔力の無駄にしか思えない創造と破壊が、瞬きの内に繰り広げられていく。
 砕け、割れた武器道具の残骸が、魔法の帆船の瓦礫と混ざって、名状し難いひとつの渦を作り上げる。

 狂っている。その手段も理屈も、何もかもが常軌を逸していたが。
 だからこそこれから起こる事象は、ロキが目的を達成する上でこれ以上ない最高の手法だった。

 数多の残骸が、幻想を潤滑油に形を結び出す。
 今この瞬間も材料になる神器魔剣を追加して、科学では決して解明できない神域の"建造"が行われている。

「にーとちゃんの布教精神はすごくてさ。
 往年の名作から最新作まで来る日も来る日もおすすめされて、いざ観てみるとこれがなかなか面白い。
 最初は話を合わせるために観てたのに、気付いた時にはすっかりハマっちゃってね。
 なんでも現代の"おたく"は面白いと思ったら他人に広めるのが美徳らしい。そこで俺も、いつか彼女の真似をしてみようと思ってたんだが」

 もはや機神達の攻撃は、届かないどころか押し返され始めていた。
 建造に際して発散される幻影のエネルギーだけで、オルフィレウスが全霊を尽くして造った未来兵器達の足並みが崩れていく。
 新天地の創造めいた荘厳さで紡ぎあげられていく新たな玩具。
 それはその仰々しい製造工程とは相反して、目を疑うほど頓狂な出で立ちをしていた。

「その点、君はちょうどいい機会を恵んでくれた。
 次があったらぜひこれに学び、少しは浪漫の分かるガキんちょになってほしい。
 心配するな、小人(ドヴェルグ)のオタク気質は今も昔も変わらない。君ならきっと、この敗北もバネにしてくれるだろう」

 腕が生える。
 足が生える。
 そのようにして巨体が生まれる。

 体躯はセラフ=ゼノンと同じく数十メートル規模。
 目を逸らすなど不可能なほどの存在感で、最高最上の幻想は築き上げられた。

「さあ、お前の方こそ拝跪しろ。
 これぞ星を見つけ、新たな地平に到達したウートガルザ・ロキ。
 古今東西新旧あまた、あまねく奇術の最果てたる――」

 色彩は、黄金。
 各部位を繋ぐ関節部のみ白銀。
 照りを返さない部位は一寸たりともない。

 地鳴りを引き起こすほどの大重量が、地に落ちる。いや、地に足をつける。
 聳え立つ巨体は神の如く、君臨する姿は戦士の如く。
 命なき鋼の身でありながら、二本の腕と足を持ち。
 今その生誕を高らかに、巨人の王は謳い上げる――!!



「北欧機動戦神――――スキーズブラズニル・ガグンラーズだ!!!」



 構成材質、すべてが幻。
 そして神器、魔剣、神話に綴られる数多の奇跡!

 かの神話を総括して立つ、ラグナロクを超えて立つ機械神!
 黄金のままに君臨し、白銀のままに覇を吼える鋼の益荒男!

 北欧機動戦神、スキーズブラズニル・ガグンラーズ!

 その名が意味する言霊はひとつ――"勝利を決める者"!



「……、……」
「……、……」

 ロキが親愛する堕落の月と、彼女の親友である凡人もそれが生まれる瞬間を見ていた。
 高らかにかの名を謳い上げるロキの声を、聞いていた。
 ふたりの口は、あんぐりと開いていた。
 言葉を失うとはまさにこのこと。あまりに情報量が多すぎて、脳が処理落ちを引き起こしていた。

「あ……」
「……あ」

 仁杜が、幾ばくかの沈黙の末にようやく音を発する。
 それに続くように、小都音も同じ音を出した。

 やはりウートガルザ・ロキは怪物であると確信する。
 こんな真似ができるサーヴァント、他のどこにも居やしないだろう。
 オルフィレウスの機神のどれをも凌駕する絶対的存在感。
 凄まじい。頼もしい。凄まじく、頼もしい。

 だけど、ああ、だけど。
 それはそれとして、いまいちばん言いたいことは――


「「あったま、わるぅぅぅ――――――!!??」」


 まったくの同タイミングで響くカイン除いた女性陣の声さえどこ吹く風。
 いいや、それらすら応援の言葉と受け取って、ロキはガグンラーズの頭部に仁王立ち。
 腕組みしながら、高笑いを決めてみせる。

「はははははははは――! いや、存外に気分がいいなこれは! 感謝するよオルフィレウス、君は俺に最高の見せ場をくれた!!」

 圧倒的! 絶対的!
 これぞ星の守り人、運命(ヒロイン)の隣人たる主人公(ヒーロー)の姿と心得る!

「それじゃ始めようか、悪役ども」

 勝利の化身めいた姿形の巨神を従えて、ウートガルザ・ロキは宣言する。
 かつての聖杯戦争を制した"主役"達に、己が愛する"イマ"を宣誓するのだ。
 過去とは常に超えられるもの。
 己もまたその産物であったが、得難い出会いがそれを超克させてくれた。

 針音響く都市で交わした出会いに感謝を。
 嘘偽りなく抱くからこそ、ロキは目の前の神々を決して逃さない。

「お姫さまの夢に、無粋なモブは必要ないんだよ」

 拳を握り、親指を突き出して、それを下へ。

「跪け。てめえら揃って、俺様のやられ役だ」

 敵は拝跪しろ。
 愛する者達は歓喜しろ。

 これぞ新時代、最新最高の英雄譚。
 全能無敵の最高神を駆り、恋を知った道化師は主役と相成る。



◇◇



 黄金より尚尊く、白銀より尚美しい。
 色とりどりの武具を粉砕して混ぜ合わせたガグンラーズの剣はまさに至高の幻想(ファンタズム)。
 挨拶がてらに振り下ろされたその一閃は、初撃から奇跡を具現した。

『――アレスッ』

 勇敢にも先陣に立って受け止めた機械武者の剛剣が、触れた瞬間に砕けて散る。
 激突の衝撃でアレスの足が地から浮き、そこに向けて放たれるのは機動戦神のビーム兵器。
 眼球部から迸った黄金光が、真の戦神とは何たるか教授するように無限時計文明の防人へ大穴を穿った。
 胴体に直径数メートルにもなる風穴を覗かせ、もんどり打って吹き飛び、セラフ=アレスは沈黙する。

 オルフィレウスの機神は永久機関を炉心に搭載し、エネルギー問題を完全に解決している。
 そのため機体の損壊さえ時間経過で回復させることができるが、当たり前の道理として損傷が大きければその分修復には時間を要した。
 祓葉のようにサイズが人間大であれば修復箇所も微々で済むものの、巨人の背丈を有する人型機動兵器となれば――

 最低でも、数十秒。
 場合によってはそれ以上。
 機神の一体が落ちた事実に歯噛みするオルフィレウスが、次の一手を繰り出すのをロキは待たない。

「花を持たせるのはもう終わりだ。そろそろ正式に逆転といこうじゃないの」

 黄金の戦神が、瞬間移動にも近い速度で一気にゼノンの元まで距離を詰める。
 咄嗟に重力場を最大展開するが、ガグンラーズの動きは微塵も減衰しない。
 物理法則すら無視しながら、至高の閃撃が機神の王を斬首せんと放たれた。

 ゼノンは此処で初めて、戦闘にその多翼を投入する。
 熾天使(セラフ)の象徴たる三対六枚、これは飛行機構であると同時に刃だ。
 翼のシルエットがかき消え、迫る不敬者を断罪すべく多段から成る斬撃を見舞っていく。
 果たしてその斬波は、余さずロキを乗せた機動戦神に打ち込まれていったのだが――

『……馬鹿な!』

 傷がない。
 機体を破壊するどころか、わずかな亀裂さえ入れることができない。
 オルフィレウスの驚愕を心地よさそうに聞きながら、ロキは首を掻き切るジェスチャーをして。

「ここからずっと、俺のターンだ」

 斬撃とはこう斬(や)るのだと、師事するように烈風の剣閃を吹かせた。
 応戦したゼノンの翼が砕け散り、袈裟懸けに機体が割れて紫電が爆ぜる。

 形勢不利と見たオルフィレウスは、魔力の逆噴射によって強引に間合いを取るのを選んだ。
 下がりつつ、引き撃ちで赤雷の光線を幾つも幾つも打ち込んでいく。
 その姿に、もうあの隔絶された威厳は存在していない。
 新たに登場したこの"馬鹿げた機神"が、未来兵器すら過去にして、このイマに最高を謳い上げている。

 機関銃の掃射に匹敵する発射レートで殺到してくる雷の魔弾を、ガグンラーズは自身の機剣で悉く切り落とした。
 雷を斬る、などという超人技すら朝飯前。何故ならこれもまた夢幻の産物であり、よって限界など端から未実装の概念なれば。

『コズミック・レイストーム――!』
「もう見た」

 火勢は衰えるどころか更に増し、一度はロキさえ相対するのを避けた滅びの流星群が再来する。
 が、気のない返事と共に、オルフィレウスにとっての悪夢が花開く。

「おたくのノリに合わせてやるよ。
 全門解放、ワルキューレ・システム過剰励起――ラグナロク・リーヴスラシル」

 体内に無数の『大神宣言』を内蔵したガグンラーズにとって、それらはもはや弾丸でしかない。
 機銃を乱射するのと同じ感覚で宝具を打ち込み、ガトリング射撃を叩き込んでくる。

 雷神の火と戦神の槍が、この世の終わりめいた音響を奏でながら喰らい合う。
 無論、戦いのレイヤーは一枚ではない。
 ゼノンは絶え間なく火力を放ちながらも、一度ロキを捉えた重力球の小銀河を再形成。
 機体ではなく頭上に立つウートガルザ・ロキの制圧を狙って、ガグンラーズに凶悪な重力場の洗礼を浴びせかけていた。

「そっちから売ってきたんだ。お前も踊れよ、なぁ――!」
『ぐ……ッ』

 が、此処でも一手上を行くのはロキ。
 これまではただ釣瓶撃ちで放たれていただけの神槍が、途端に陣形の相を帯び始める。

 しかもその上で、ゼノンのレイストームとの拮抗をまったく崩していない。
 この機動戦神の残弾は一体どれほどあるのか、問うことはしかし完全なる無駄だ。
 夢見る気持ちに際限はなく、堕落の月は魔力の消耗という概念とどういうわけかほぼ無縁である。
 すなわち弾数無限。それが誇張だとしても、弾切れを戦略に含められないほどの残弾があることは確実だった。

 時に直線、時に流線型。
 時に因果逆転、時に弾幕。

 一瞬も止まない制圧射撃は、此処に来てオルフィレウスがロキに対し持っていた唯一の優位を失わせ始める。
 観測が追いつかないのだ。観て、測り、分析して夢を暴き枯れ尾花に堕とす。
 奇術王を討てると判断した最大の根拠が、システムの限界点を超えるパターン数によって徐々に破綻の様相を呈していく。

 永久機関により数百、数千年単位で進化した科学技術をさえ、ロキは笑いながら冗談みたいな方法でぶち壊してくる。
 その事実に屈辱を禁じ得ず、科学者は深く歯噛みした。
 侮られている。舐められている。戴冠を経て神となったこの身を、たかが人理の影法師風情が嗤っている。

『――調子に乗るなよ、芥が』

 神寂祓葉の半身(あいぼう)を、見下している。
 何よりそれが許せなくて、オルフィレウスは噴飯と共にまたひとつ切り札を抜いた。


『限定解除、イミテーション・ケラウノス!!』


 セラフ=ゼノンは、最も最初に製造された機神である。
 そのコンセプトは〈万能(オールマイティ)〉。
 たとえ他の機神がどれだけ破壊(こわ)されようと、これ一機残っていれば事足りる全能神。それこそこの機体に任ぜられた役割だ。

 オリュンポス十二神をなぞりたいわけではないが、やはり合理性を突き詰めると、かの宇宙艦隊に似通ってしまうのは否めないらしい。
 悠久の時を経た未来、己の手で再構築される文明の防人たる機械神の軍勢。
 それを統べるモノの名こそ〈Seraph=Ζήνων〉。
 天空神の後継として生み出された傑作機の能が、絨毯爆撃だけなどと誰が言った。

 ゼノンの右腕から、ガグンラーズの長剣にも匹敵するサイズの金槍が出現する。
 これぞセラフ=ゼノンの最大武装にして、一振りですべての用を成す万能兵器。
 デウス・エクス・マキナ戦で使用しなかったのは、切り札は極限まで伏せるべきというセオリーに則っただけに過ぎない。

『殺せ。跡形も残すな!』

 造物主の声を受け、苦境にあった巨体が逆転劇を巻き起こす。

 金槍(ケラウノス)を起点とし、赤い稲妻が大瀑布となり轟いたのだ。
 神槍が消し飛ぶ。破損を免れたものも、片っ端から雷撃の熱量に耐えられず溶解していく。
 夢も醒めるほどの熱さ、ヒトの被造物がどれほど神に迫れるかという問いへの解。
 一瞬にしてワルキューレの布陣を打ち破ったゼノンが、その槍をガグンラーズに向け雲耀の速度で突き穿った。

 対し、ガグンラーズは同速以上の剣閃で食い下がるが――
 速度でも力でも決して劣っていない筈なのに、徐々に後退させられるという不条理に行き当たる。

 理由は出力。段階を前倒しし、現時点での全力をさらけ出した全能神の圧倒的火力。
 一撃一撃にA++ランクに匹敵する赤雷の魔力放出が付与され、攻防に介在する全要素をねじ伏せている。

『おまえはシストセルカ・グレガリアに虫螻が何とかと吠えていたが、ボクに言わせれば等しく同じだ』

 神寂祓葉という、後にも先にもいない最高のモデルケースを参考に設計された科学の理論値。
 それが、神代の粋を。自分達の中でだけなら万願をさえ成就させる奇術師の夢を、邪魔だどけと踏み潰す。
 ガグンラーズの巨体が傾ぎ、剣舞が崩れる。そんな一瞬を、無限時計巨人は見逃さない。

『ボクらが取り寄せ、蒔いてやった虫卵から這い出て蠢く醜い蟲ども。おまえ達はどこまで行っても羽虫の群れだ。思い上がるな』

 イミテーション・ケラウノスに、これまでで最大級の魔力が漲る。
 この解放を以って、オルフィレウスは勝利宣言をする。
 渋谷区を丸ごと消し飛ばして余りある極大規模の雷霆を一点に集約し、目の前の害虫を駆除するために注ぐのだ。
 逃げ場はないし逃がしもしない。不遜の報いは、最も屈辱的な敗北で雪がせてやる。

『この宇宙から墜落し、ふさわしい地獄で涙を流すがいい――消え失せろッ!!』

 斯くして放たれる、終末の天雷。
 天空神の権能を継承した巨人の、最大最強の一撃。
 無様に立ち尽くす黄金の戦神、その心臓を貰い受けると神々しく咆え上げて。

 ……世界が、紅の光に包まれる。

 いかなる人間も英霊も、等しく蒸発するだろう灼熱を対人の規模に集約させた大破壊。
 これぞまさしく星を裂く雷霆(ケラウノス)。
 遠未来の王が遠い過去の王に告げる、無慈悲なる訣別であった。

 渋谷の空から、あらゆる雲が消える。
 余波の熱風が、夜明けの空を飛ぶ鳥々を悉く黒炭に変える。
 箱庭の神の怒りを買ったなら、誰も生き残れはしない。
 そんなごく当然の道理のもとに、最大の不埒者への処断はつつがなく完遂された。







「それで?」






 ……その筈、だった。

 光が晴れた時、そこにあった光景に今度こそオルフィレウスは言葉を失う。
 或いはそれは、彼が神となり■となってから、初めて味わう"驚愕"だったのかもしれない。

 他のすべてが薙ぎ払われた空の只中にて。
 黄金の巨神は、仁王立ちの姿勢で佇んでいた。
 その頭頂には、傷一つなく直立した奇術師の王。
 あらゆる叡智を尽くして撃滅した筈の王者が、悠然と立っている。

「自称神様のビックリロボットショーは、もう品切れかって聞いてんだけど」

 この時オルフィレウスはようやく、己の判断の正しさと、そして誤りを悟った。
 正しかったのは、天枷仁杜とウートガルザ・ロキを排除すべき脅威とみなし、介入を決めたこと。
 間違っていたのは、現状の軍備でそれが成ると早合点してしまったこと。

 ウートガルザ・ロキという英霊は、自身の契約者と現実への認識を共有する。
 操る異能が夢幻である以上、けしかける側である彼らは常に夢を見ていなければならない。
 一点の曇りなく現実を拒絶し、どんな荒唐無稽も笑顔で受容する、そういう人間でなければロキの真価は引き出せない。

 よってこの時代、神秘の失せた現世において、彼は本来強い英霊にはなれない筈だった。
 何故なら現代人は誰しも、心のどこかで冷めている。現実を見ている。夢は夢なのだと諦めてしまっている。

 なのにその前提を、ひとりの社会不適合者が破壊してしまった。
 天枷仁杜はウートガルザ・ロキを愛していて、ウートガルザ・ロキは天枷仁杜を愛している。
 まさに幻想の比翼連理。二人三脚で夢の果てに駆けていく彼らは最初から最強だったし、仁杜が星として覚醒していけばいくほど強くなる。
 だから、介入するなら進化の兆候が見え始めたこの瞬間がベストだった。そこの判断は、間違っていない。

 誤算は――今この時点でさえ、ウートガルザ・ロキが世界を恣にできる力を手に入れていたこと。

 仁杜と彼の同調はオルフィレウスの想定を超えていた。
 世界さえ謀れる孤独な王さまが、唯一無二の友を得てしまった。

 ――恋を、してしまった。

 その事実が。
 そんなふざけた現実が。

 無限大の幻想を呼び込んで、神々の箱庭に超新星を産む。


「あっそ、だんまりね。なら次はこっちの見せ場に付き合って貰うよ」


 ガグンラーズが、ゼノンから視線を外し、上を向く。
 自分達がいる空の、更に上。天空。そのまた上。
 箱庭の外側――そこに坐して地上を見下ろす神(アルテミス)を視る。

「さっきからさぁ。ずっと邪魔臭えと思ってたんだよね」
『ッ――止めろ、ゼノン! デメテル! アレスッ!!』

 発言の意図を理解したオルフィレウスが、忘我の境地から解放されて叫んだ。

「いいリアクションするじゃん。今の君なら、ちょっとは好きになれそうだ」

 殺到する三機神。
 ゼノン、デメテル、そして修復をまさに今しがた完了させたアレス。
 全能、地母、もうひとつの戦神。
 どれひとつとして生易しい敵ではないが、ロキは臆することなく踏みしめた大地――ガグンラーズの頭を蹴った。

 宙に躍る。
 夜空を舞うステージスターのように。
 己が機神と敵方の"それら"の間に割り込んで、幻想を展開する。

「――あの贋物(ゴミ)、ブチ抜け。ガグンラーズ」

 稼いだ時間は、奇しくも一秒。
 その一秒が、彼我の命運を分ける。

 黄金の巨神、ガグンラーズの瞳が光を湛え。
 まさに極光と呼ぶべき一条の流星を、天へと放つ。
 矛先は空の彼方、地を睥睨するセラフ=アルテミス。
 何としても女神を死守せんと割って入った機械虫(プシュケー)の群れを物ともせず爆散させながら、光は王の命令を果たし――


 ――初夏の夜明けに、花火を咲かせた。


 永久機関炉心を以ってしても復元不能なほど木っ端微塵に爆散して四散したアルテミスが、鋼の臓腑を撒き散らした。
 大半の残骸は大気圏で焼き尽くされたが、それでも大きな部品は突破して、色とりどりの火に包まれながら墜ちてくる。

「あ……」

 呟いたのは、天枷仁杜。
 彼女は、ある記憶を思い出していた。
 かけがえのない記憶だ。まだ子どもの頃、親友と共に山の上で見た絶景。

 空を走る、流星の雨(スターマイン)。

 故にこの時、知らず仁杜は隣の小都音の手を握りしめる。
 小都音もまた、言葉も忘れてその光景を見上げていた。

「きれい……」

 呟く仁杜の顔は、本当に、夢でも見ているみたいで。
 それを見て小都音は、ああ、敵わないなあ、と負けを認めた。

 自他を明確に区別して、そこに極大の断絶を如く仁杜のあり方は、言うまでもなくろくでなしのそれだ。
 でも此処だけの話、小都音は心のどこかでそのことを強く責められない。
 だってそう想っているのは、たぶん自分も同じだから。

 にーとちゃんがいて。私がいる。
 私がこの世界に求めているのは、突き詰めるとそれだけなのだとどこかで悟っていた。
 きっかけは流星群の夜だったかもしれない。もっと後かもしれないし、逆にもっと前かもしれない。
 確かなことはひとつ。自分は、このどうしようもないダメ人間がいないとダメな人生にされてしまった。

 なので、内心はロキに対し忸怩たるものを抱いてもいたのだが。
 こんな顔を見せられたら、そんなちっぽけな嫉妬心も根負けしてしまう。
 きっと自分には、彼女のこんな顔は引き出せないだろう。
 だから勝負は私の負け。あの腐れ外道の勝ちなのだ。



「――――にーとちゃん」


 空から地へと、声がする。
 オルフィレウスも、その機神達も大半が健在。
 まだ決着は着いていないというのに、既にロキは"彼女"以外を見ていなかった。

 燐光の尾を引いた女神の亡骸が降り頻る天空。
 或いは、神の流星が降り注ぐ夜明けの空。
 そこに、他の誰より圧倒的な存在感で君臨して。
 ウートガルザ・ロキは、何の悪意もなく、純粋な好意のみを湛えて微笑む。
 にっ、と白い歯を覗かせて。混じり気のない"好き"を、眼下の主に呼びかける。


「どうだい――――かっこいいだろ!」


 それを見て。
 声を、聞いて。
 夢見る月のお姫さまは、ぱあっと微笑んだ。


「――――うん!!!」


 その瞬間、決戦の勝敗が確定する。

 ウートガルザ・ロキとオルフィレウス。
 双方が、己の勝利/敗北を悟った。


「……ははっ」

 アレスの一刀を、片腕で受け止める。
 オルフィレウスの解析によって防性を著しく落とされている筈が、もはや薄皮一枚張り裂けない。

「はは、はははは」

 次いで、振り上げた爪先が剣ごと機械武者の巨体を浮かせた。

「ははははははははは――!!!」

 無防備な頭蓋に踵落としを叩き込む。
 構えようとした防御姿勢をまたも剣ごと、しかし今度は粉砕して、アレスを奈落まで叩き落とす。
 無限時計文明の戦神を二度目の行動不能に追いやった事実など、もはやロキは認識さえしていなかった。
 そんなちいさなことなんて気にならないほど、彼は今幸福の絶頂にあったから。

「は、は、はは、はははは…………さて」

 漏れて止まらない笑いをどうにか収め。
 満足げな吐息を零して、ロキは細めた瞳に最大の嘲笑を過ぎらせる。

「じゃ、そろそろ畳むか」

 王者の眼光が見据えたのは、地母神を騙る蜘蛛の機神。
 セラフ=デメテルが、プログラムを超えた危機感に素早く跳ねる。
 音速を突破する多角的移動はこの機神の華だったが、もうそんなもの曲芸にもならない。

 進行軌道上に、当然のような顔でロキが顕れる。
 彼は目の前の機神に対し、もう名有り(ネームド)の神秘を用立てることさえしなかった。

 右手の五指を開き、それこそ羽虫を払い除けるように雑に振るう。
 それだけだ。なのにそれだけで、事のすべては決着してしまった。
 振るわれた指の軌道そのままに、セラフ=デメテルが引き裂かれる。
 八つ裂きならぬ五つ裂きにされ、演算の余地もなく塵と化した大蜘蛛は、修復の余地なくロキに消された。

「あ。そういえば、挨拶がまだだったかな」

 ――そう。
 もうこの世の誰にも、ウートガルザ・ロキは止められない。

 故にこれは、オルフィレウスが最も避けたかった展開そのものだった。
 ロキが仁杜を惚れさせてしまう。彼女の親愛を、この期に及んで更に彼方まで跳ね上げてしまう。
 そうなってしまったら、この怪物が一体どこまで上り詰めてしまうのか、彼の叡智を以ってしても予測がつかなかったから。

 だから防ぐために全力を尽くし、失敗した。
 その顛末として今、〈はじまり〉にさえ並ぶモノのなき、最強の英霊が立ち上がる。

「俺の真名は、ロキ。ウートガルザ・ロキ」

 天体学の常識を無視し、恒星の座を獲得した麗しき月の。
 彼女の右隣に侍り、あまねく現実からそれを守る、防人。


「――天枷仁杜にすべてを捧げる、空前絶後、最強無敵のサーヴァントだ!」


 もはや、取り返しはつかない。

 終末のドミノは、この瞬間を以って倒されたのだ。



◇◇



 貫かれた胸の感触(いたみ)を、今でも夢に見る。

 それは、すべての終わりの日。
 誰も彼もが斃れて。
 何もかもが裏切られて。
 都市の全員が、己の間違いを自覚した最後の日。

 展開した色彩が消えていく。
 誰であろうと斬り、毅然と説教を垂れてきた鬱陶しい男(セイバー)はもういない。
 もう、誰も、なにも取り返せない。
 世界は終わるのだと確信した。
 そしてもちろん、私自身も。

『な――ん、で――』

 貫かれたまま、私は未練がましい言葉を漏らしていた。
 わかっていた筈だ。これは聖杯戦争、殺し合いなのだから。
 昨日まで隣で笑っていた人間が、明日自分の敵に変貌しても何も不思議ではないと。
 そう肝に銘じて戦ってきた筈なのに、いざ目の前に現出したソレに、私は悲鳴をあげていた。

『なんで、よ……祓、葉……っ』

 予兆は、たぶんあったと思う。
 私の後をくっついて歩くしか能のないぼんくらが、いつの間にか先頭を歩いてた。
 私の魔術を警戒していた人間が、いつからかこいつの方を警戒するようになってた。

 おまえは呪いだ。あってはならない。
 おまえは災いだ。あってはならない。
 そういう言葉を吐きながら、誰もが斬り伏せられていった。

 ジャックも。
 アギリも。
 ハリーも。
 ノクトも。
 たぶん、ミロクも。
 全員が、こいつと関わったばかりに死んでいった。

 そうして最後は、きっと、私。

『言った、じゃん……私と、どこへでも、行ってくれるって……』

 思うに私は、ずっと目を逸らしていたのだと思う。
 人畜無害な顔をして隣を歩くこいつが、実は誰よりも有害なこと。
 芽吹かせてはならない可能性を秘めた、爆弾であることから。

 目を逸らし、知らないふりをして、隣を歩いてきた。
 その結果がこれだ。盲目をよしとした愚か者は、当然のように自分が蒔いた種に足を絡め取られて、死ぬ。

『わたし、は……』

 なんたる無様。なんたる間抜け。
 楪の老人共は頭を抱えて嘆くだろう。
 でもそんな未来に恥じ入る余地もなく、私はただ目の前の女に嘆いていた。

 ほんのちょっぴりでも、親友だと思っていた女に、女々しく思いの丈をぶつけていた。

『あんたのことが、好きだった』

 嘘じゃない。
 最初は、鬱陶しかった。
 弾除けにでもなればいいと思って同行を許した。
 なのにそんな打算はいつの間にか、私の唯一の執着に変わってた。

『あんたさえいればいいと、思ってた』

 無邪気に微笑む顔が好きだった。
 世界の残酷さなんて微塵も知らない、その無垢な横顔が好きだった。

『聖杯なんか手に入らなくても、あんたさえいればそれでいいって、そう、思ってたんだよ……?』

 私達は最強だと、信じてた。
 私がいて、祓葉がいる。
 祓葉がいて、私がいる。
 それなら誰にも負けないと。

『なのに、ねえ、どうして……ひどいよ、こんな……』

 世界のどこでも、私達を止められる者なんていないと信じたんだ。

『なんとか、言ってよ……ねえ、祓葉……ッ』

 負け犬の遠吠えよりよっぽど惨めに喚く私に。
 祓葉は、決して多くを語らなかった。
 ただ、困ったように。もしくは脳天気な馬鹿なりに悲しそうに。

 そういう顔で、ただ一言。

『――ごめんね。大好きだったよ、イリス』

 微笑みのままに、そう言ってのけたのだ。



◇◇



 ――勝負は、きっと決まった。

 これで終わりだ。小都音は、贔屓目抜きにそう認識した。

 ウートガルザ・ロキが目覚めてしまった。
 "その先"に、辿り着いてしまった。
 最上の相方を得た、運命に巡り合った彼に、最後の起爆剤を与えてしまった。

 全能になった奇術王をもう誰も止められない。
 オルフィレウスは敗れ、聖杯戦争は月によって調伏されるだろう。
 悟った小都音が抱いた感情は、"本当にこれでいいのか"という今更なものだった。

「……うーん」
「どしたのことちゃん、そんな難しそうな顔して」

 それを察してか、にゅ、と横から仁杜が顔を出す。
 かわいい。ただ抱いた感想を気取られるのは癪なので、これみよがしに咳払いをした。

「いや、ほんとににーとちゃんが聖杯掴んだらまずいなあって」
「今そこ!? だ、大丈夫だよ、流石に人類皆殺しにしまーすとか言わないから……。
 ちょっと非課税の5000兆円もらって、全世界がわたしの足元に跪くようにするくらいで……」
「十分まずいだろ」

 仁杜の発言はおそらく伊達でも酔狂でもない。
 願望器を手にした彼女は、一切の呵責なく私利私欲のためにそのすべてを使い潰すだろう。
 ただ、長い付き合いなので知っている。確かにこの女はとんでもない俗物(クズ)だが、ストッパーの言葉には弱い。根が小心者なのだ。

 自分が聖杯を手に入れた仁杜の横であれこれ口出しすれば、そこまで世界を歪めない範疇には収められるはずだ。
 何なら前半、5000兆円云々の部分は小都音としてもぶっちゃけ満更ではない。
 働きたくない、だけど死ぬほど金持ちになって豪遊三昧のまま一生を終えたい。それは大多数の人間に共通する悲願だ。小都音も例外ではない。

 なのでまあ、仁杜が聖杯を手に入れても上手く行くとは思う。概ね。
 ロキは不平を言うかもしれないが、そこはそれこそストッパーたる自分の腕の見せ所だ。
 だからいい。何も問題はない。少なくとも怪しげな黒幕に願望器の行く末を委ねるよりかは、よっぽどマシな未来の筈。
 そう分かっているのに、なんだろうか。心の中から一抹の不安が消えないのは。

「……ねえ、にーとちゃんさ」
「うん?」

 答えが出ない気持ち悪さに耐えかねたのか。
 小都音は、仁杜にふと脈絡のない問いを投げていた。

「にーとちゃんは、私が邪魔になったら殺しちゃう?」
「え。な、なに。急に。も、もしかして裏切りフラグ? そういうのはもうお腹いっぱいなんだけど……!?」
「違う違う、例えばの話ね。にーとちゃんが聖杯を手に入れて理想の世界を作ったとするじゃん。
 でも私が、隣でうるさくあれこれ言ってくる。それでうわ、こいつ邪魔だなー……って思ったら。
 にーとちゃんは私のこと、ばっさり切り捨てちゃう感じなのかなー、って。ちょっと気になってさ、何しろこの状況だし」

 言ってみて、自分で"うわ、何めんどくさいこと聞いてんだろ私"と我に返る。
 これでは面倒臭いメンヘラ女宛らではないか。
 されど覆水盆に返らず。吐いた唾は飲めなくて、返ってくる言葉は――

「……むぅ。そんなことしないよ」

 心外、とばかりに唇を突き出しながらの、そんな言葉だった。

「それは――どうして?」
「だってことちゃんは、わたしの……」

 ぽう、と頬に朱が差す。
 それは、ロキの勇姿に目を輝かせていた時のとはまた別な紅色で。

「はじめての……友達、だから」
「――――」

 そんな顔でこんな科白を言われてしまったものだから、流石に言葉を失ってしまう。
 同時に自分が馬鹿なことを聞いたのを自覚し、苦笑した。

「何さ。たまには真っ当に可愛いこと言えるんじゃん」

 私にとって、こいつは"はじめて"ではなかったけれど。
 でもあの夕日の教室でのことを、私達の出会いとそれからのことを、にーとちゃんなりに大事に思ってくれていることが嬉しい。

 さっきも言った、天枷仁杜の数少ないいいところだ。
 この女はなんだかんだで、身内には優しいのである。

「そっか。じゃあ、しょうがないからもうちょっとついてってあげる」

 聖杯の月姫になったこいつが、どんな世界を望むのだとしても。
 それが天国でも地獄でも、私だけはこのちいさな手を握っていてやろう。

 怪物どもの戦闘で物理的に開けた都市の彼方から、日の出を告げる光が射し込む。
 ふたり分の影が薄く伸びて、繋がれた手のかたちが大地に浮き上がる。
 そんな時の、ことだった。

「……あれ」

 決着は近い。
 ロキとオルフィレウスの方はもはや消化試合。
 トバルカインも、宝具を解放していよいよ祓葉を追い詰め始めている。

 そうまで佳境なのに、今に至るまで沈黙を守り続けていた最後の役者。

「いーちゃん?」

 楪依里朱が、ふたりの前方に立っていた。



◇◇



 ――纏うのは剣の河。拡げるのは殺意の嶺。

 宝具を解放したトバルカインの剣戟は、既に型というものを大方捨て去っていた。
 祓葉のように稚拙なのではなく、先鋭化されすぎて余人には理解できないというのが正しい。
 死を追い求め、他者をそこに送り込むことだけを一意専心考え続けた鍛冶師の殺戮技巧。
 彼女が長い研鑽の末に至り、今なお道の途中にある、殺人という原罪の極致が花開く。

 神速の太刀を二、三振るったかと思えば捨て、足元の剣を拾い上げて斬っては捨て。
 文字通り得物を取っ替え引っ替えしながら、踊るように殺し抜く。

 多動のように忙しなく、しかしミクロ単位でも一切の無駄がない。
 通常の脳構造では、たとえ百年を費やしてもこの舞の一割も理解できまい。
 ならば、それを事もなく、板についた動きで叩き込めるこれは一体何なのか。

 殺人鬼。
 生き竈の、トバルカイン。

「やっぱりな。お前は才能がないんじゃねえ」

 冗談でなく一秒で十人を活け造りに変えられるだろう死の渦の中、超再生ありきとはいえ未だ原型を保っている祓葉は流石の怪物ぶりだが。
 敵に応じて強くなり、常識の壁を飛び越えるのが十八番の彼女ですら、冷や汗を流しながらなんとか耐え凌いでいるのが実情だった。

 対応、理解、順応、覚醒でさえもう追いつけない。
 力ではなく技の究極と呼べる銀の死嵐が、光が強まる都度、強迫症めいた執拗さでそれを覆い隠してくる。

「単に停まってるだけだ。そんでお前自身、現在地から先に進むつもりがない」

 『界統べたる勝利の剣』を暴発でも何でもさせ、目の前の状況をリセットするのが最善手。
 だが現状、祓葉は不死者お得意の自爆技さえ封じられていた。
 発動の予兆がわずかでも見えた瞬間に腕を落とされる。足を落とされる。四肢を削られ姿勢そのものを壊される。

 以前までの彼女ならば、そんなもの知ったことかと強行することもできたろうが――。
 不滅を奪われた今の祓葉は、兎にも角にも自分の命を守るための行動を取らなければならない。
 そしてトバルカインは、一撃たりとも無駄な剣を放たない"専門家"である。
 祓葉から不死が消えた事実は誰もの想定を揺るがす異常事態だが、その恩恵を最も受けた英霊は間違いなくこのトバルカインだ。

「笑えるな。ちゃんと自己評価できてんじゃねえか。確かにお前、にーとのクズとそっくりだよ」

 圧倒的な優勢を維持しながら、しかしこれではまだ勝てないと殺人鬼は踏んでいた。
 だって証拠に、かれこれ数分間も殺し切れていない。
 おそらくこの優位すら、じきに呆れるような無法技でぶち壊されるのだろう。

「お前も、大人になりたくねえんだろ」

 故に必要なのは、肉体ではなく心への切開なのだ。
 現人神の殻の内に、まだ残っている人間(しょうじょ)の部分。
 そこを露出させることこそ、神殺しに欠かせない工程であると確信している。

 心の臓をめがけた刺突を、神業めいた直感で逸らされる。
 肺を抉った感触があるが、即死以外は掠り傷にもならない。
 即座に長刀を捨て、槌を拾って蟀谷に叩きつけた。
 手応えが浅い。インパクトの瞬間、わずかに首を逆方向へ反らしたか。
 そうと見るや柄で眉間を打ちつつ武器替え、双剣に切り替えて斬波の雨で諸共挽き肉に変えていく。

「瞬間よ止まれ、汝は美しい(Verweile doch,du bist so schoen)――だったか?
 事情は知らんが羨ましいよ。お前にとって前回の聖杯戦争は、よっぽど楽しい祭りだったみたいだナ」

 祓葉はそれを、千切れかけているのも無視して、ズタズタの両腕で無理やり光剣を構えることで防いだ。
 同時に光剣の出力上昇。
 『界統べたる勝利の剣』解放の予兆と判断、武器変更で曲刀を拾得し一薙ぎで腕ごと飛ばす。

「どうだよ。なんとか言えや、カミサマ」

 不具にしてやったところで斬首を狙うが、やはりそれだけは通らない。
 もはや見慣れた展開だが、今回のはこれまでに輪をかけてめちゃくちゃだった。

「――――!」

 空に躍る光剣の柄を、口で受け止め上下の歯で噛み締める。
 そのまま宝具類似現象、発動。
 反動で首の骨が砕けるのも無視しながら、切り上げの斬滅光でカインの牙城をようやく崩す。

 さあ、来たぞ。
 辟易としたものを感じつつ、潮目の変化に思考を動かす。
 ただし口に湛えるのは、確かな手応えを見て取ったからこその笑み。

「言わねえのな。てことはなるほど、図星か」

 神寂祓葉は、永遠の子ども(ピーターパン)でありたがっている。
 先の茶会と、こうして剣で語り合って引き出した地金を符合させ、トバルカインはそういう結論に達した。

 祓葉の願い。
 オルフィレウスの悲願に寄り添う傍ら、彼女自身が抱いている、彼女だけの願望。
 〈はじまりの六人〉ですら知る由もない秘密の箱に、とうとう刀鍛冶はその手をかけた。

「悪いが、化け物に同情するほどお優しくないんでね。
 まだまだ暴かせてもらうぞ、神寂――」
「うぅん。別に隠してたつもりはないんだけど」

 そこで、再生を終えた腕で光剣を握り直しながら、困ったように神が言う。

「でも名推理。にーとちゃんと私が似てるって言ったのは、まさにそういう理由だよ」

 大人になれない、大人になりたくない、永久の子ども達。
 彼女たちは似ていないようで、とてもよく似ている。

 他者を圧する自我を持ち。
 世界を圧する権能を持ち。
 価値観を灼く輝きを持ち。

 そして、明日が来るのを拒んでる。

「楽しい時間には、過ぎ去ってほしくない。
 遊びの終わった後の世界に、"もう一度"があるとは限らないから」
「いつだって同じ夢を見られるわけじゃない、と」
「そういうこと。醒めたくないくらい素敵な夢なら、ずっと見続けてた方がラクでしょう?」

 その願いは、オルフィレウスの理想と相反するものかもしれない。
 正確なところを知るのは、人類救済ならぬ人類完成を掲げる彼だけだ。
 そしてそんな命題の答えも、祓葉はきっと、馬鹿なりに知っているのだろう。

(……クソ。まさか"そういうこと"か?)

 トバルカインの脳裏によぎる、あるひとつの可能性。
 が、それは此処まで淡々と断割/切開に臨んできた彼女の顔を顰めさせる程度には、碌でもないものだったらしい。

 神寂祓葉を討ち、かつその上で、もう二度とこの世に蔓延らせない方法。
 これなら筋が通る。ただ、通るだけだ。
 はっきり言って本末転倒、なんの解決にもなっていない。

 "それができるなら誰も苦労はしない"。
 そういうテの回答だったから、もう少し別解を漁ってみようと決めた。

 ――そう、まさにその時だ。


 決まりかけていた趨勢を揺るがす、そういう出来事が。
 トバルカインだけに感じ取れる莫大な死の気配と共に、地獄の釜から溢れ出してきたのは。



◇◇








 ああ、青春よ! 青春よ!
 お前はどんなことにも、かかずらわない。
 お前はまるで、この宇宙のあらゆる財宝を、ひとり占めにしているかのようだ。
 憂愁でさえ、お前にとっては慰めだ。悲哀でさえ、お前には似つかわしい。
 お前は思い上がって傲慢で、「われは、ひとり生きる――まあ見ているがいい!」などと言うけれど、その言葉のはしから、お前の日々はかけり去って、跡かたもなく帳じりもなく、消えていってしまうのだ。
 さながら、日なたの蝋ろうのように、雪のように。

 ……ひょっとすると、お前の魅力の秘密はつまるところ、一切を成しうることにあるのではなくて、一切を成しうると考えることができるところに、あるのかもしれない。
 ありあまる力を、ほかにどうにも使いようがないので、ただ風のまにまに吹き散らしてしまうところに、あるのかもしれない。


                                                   ――ツルゲーネフ『はつ恋』








◇◇



 その足取りは、酩酊したようによろついていた。
 機嫌はどうあれ、いつも明瞭に自我を誇示する白黒の魔女らしからぬ姿。
 これまで、この戦いにまったく関与していなかったというのに。
 ロキよりも、トバルカインよりも、祓葉よりも、ともすればオルフィレウスよりも憔悴して見える。

 なのに不思議なのは、そんな彼女の口元が、浅く緩んでいることだった。
 ちいさな笑み。かすかな笑み。見ようによっては、壊れてしまったみたいな、そういう表情。

「……いー、ちゃん?」

 仁杜が、恐る恐るといった様子で問いかける。
 それに、魔女イリスは応えなかった。

 けれどその代わりのように、進む足を止める。
 彼我の距離は五メートルというところだろうか。
 そんな間合いで立ち止まり、魔女は、口を開いた。

「私は、さ」

 小都音は、声色を聞いた瞬間に危険信号を認識した。
 理屈があるわけではない。強いて言うなら、本能の警鐘だ。
 どうしようもなく捨て鉢になった人間は、何かやらかす前にこういう顔をするのではないか。
 そう思ったから、仁杜の手を引く。でも、仁杜が拒んだ。動かなかった。

「うん、なに……?」
「たぶん、どっちでもよかったんだよね」

 呟くイリスの声音は、らしくもなく寂しそうだった。
 もう届かない何か、どうやっても取り返せない遠くに語りかけるような。
 故人を偲んで悔恨を綴るような、もしくは遠い日の初恋を想うような。

「初めに会ったのがあいつでも、あんたでも、どっちでもよかったんだ」

 かつて少女は、"籠の中の鳥"だった。
 閉塞した村。色彩を神と呼び諂う村。
 届きっこない終点を諦められない老いさらばえた負け犬達。

 そんな鳥籠の中でわずかな餌を貪り、格子の隙間から空を見るしか許されなかった小鳥が。
 なんの因果か、外の世界に羽ばたく好機を得た。
 所詮役目は伝書鳩の域を出なかったが、初めて目にする自由な世界はすべてにおいて新鮮で。

 だからこそ、苛立っていた。
 世界を知れば知るほど、自分の孤独を実感させられるから。
 この街には数多、数え切れないほどの人のつながりがあって。
 なのにそこに、自分の座る席はない。
 どこまで行っても客人(まろうど)でしかない自分は、籠の外でも一羽ぼっちの鳥。
 孤独は深まる。別段痛くもなかった傷口に、自ら粗塩を擦り込んでいくような日々だった。


『ねえ、その髪――きれいだね。どうやって染めてるの?』

 あの女が、現れるまでは。


「私は要するに、寂しいのが嫌だったんだね。
 情けないけど今なら分かるよ。私はずっと、私を解ってくれる他人(だれか)を求めてた」

 不世出の天才。楪の悲願を遂げる者。
 人はそう褒めそやすが、当のイリスはそんなことどうでもいい。

 胸の中にずっと傷があるのだ。
 それはふとした拍子に疼き出して、だからつい腹を立ててしまう。
 その傷が疼くと、どうしたって冷静ではいられなくなる。
 今、その病名がようやく分かった。

 ――〈孤独〉。
 そんな二文字こそ、楪依里朱の〈はじまり〉。

「祓葉でも、あんたでも、他の誰かでも別によかった。
 私は、何度鬱陶しいって振り払ってもちょこちょこ後を付いてくる、そういう他人が欲しかった。
 まあ、要するに……」

 道理で祓葉と引き合ったわけだ、と思う。
 他人に理解されない孤独を、あの女もまた抱えていたから。
 運命というのが実在するなら、自分達はこれ以上なくおあつらえ向きなふたりだったに違いない。

 仁杜に惹かれたのだって、もはやイリスにとっては不思議でも何でもない。


「私は、友達が欲しかった」


 仁杜は、〈NEETY GIRL〉は、ずっと友達には優しかったから。
 月のお姫さまは嫌いなものを見ない。でも好きなものにはとことん寄り添ってくれる。
 研ぎ澄まされた孤独が、運命を経て尚癒えない傷跡が、その引力に引き寄せられただけに過ぎない。

 なんて、愚かな話。
 魔女は笑わずにいられない。
 こんな簡単なこと、もっと早く気が付けばよかった。
 自分はどこまでも馬鹿だから、気付いたところで見ないふりをしたのだろうけど。

「いーちゃん……」

 仁杜が、口を開く。

「いーちゃんは、わたしの、友達だよ?」

 ただ、手を差し出していた。
 これもまた理屈ではなかった。
 純粋に、彼女にはそんな顔をしてほしくなかったのだ。

 こんな悲しいほど弱々しい顔で、泣きじゃくるみたいに笑ってほしくなかった。

「ねえ、いーちゃん、泣かないで」

 伸ばした手。伸ばされた手。
 魔女が、少しずつ、歩を詰めた。

「いーちゃんがそんな顔してたら、わたしも悲しいよ」

 周りの声はもう聞こえない。
 そういう意味でもやはり、天枷仁杜は友達思いだったのだろう。

 普段はあれこれ振り回しても、いなくなるのは嫌だし泣く。
 本当に悲しい顔をしてたら、話くらい聞いてあげたくなる。

「――だって、友達なんだから」

 その言葉に一瞬、少女の歩みが止まる。
 それはまさしく、少女・楪依里朱としての躊躇。
 裾を引かれたように、イリスは刹那だけ止まったが。

「ごめんね、にーと」

 呵責を振り払って、覚悟を決める。 / 少女を終わらせて、魔女になる。
 だって、自分はもう少女ではないのだから。
 私は、白黒の魔女。
 〈未練〉の狂人、楪依里朱。

 なら、やるべきことなど、最初から決まっていた。
 アギリの言う通りだ。私はきっと、もっと早く、もう一度祓葉に会うべきだったのだ。

 今まで頑なに呼ばなかった愛称(なまえ)を口にして。
 イリスは、くしゃりと笑った。
 それは魔女が初めて誰かに見せた、心からの笑顔だったのかもしれない。

「私は、そっちには行けないよ」

 だからこそ。

「――――さよなら」

 さよならなんだ。
 私の、もうひとりの友達。





「令呪を以って命ずる。ライダー、此処に総軍を結集し――」





.



「おい」

 最後まで命令が紡がれる前に声が割り込んだ。
 純然たる殺意は、声音すらひとつの刃に変えるらしい。
 祓葉の元から踵を返し、魔女の懐に辿り着くまででさえ一瞬の内。

 刀を握ったトバルカインが、破滅が訪れるその前に現着する。

「させるわけ、ねえだろうが――!」

 トバルカインの殺陣を凌げたのは、ひとえに相手が祓葉だからだ。
 その剣はすべてが必殺。魔眼ではなく技術で直死を体現する死の究極。
 本職の剣士でさえ打ち合うことを躊躇するだろう、モノを殺すということの一到達点。

 たかが魔術師に、これと相対する術はない。
 狙われた時点で終わり、間合いに入れたなら言うに及ばず。

 だが――

「ッ……!?」

 その剣を、自動で何かが迎撃した。
 帯だ。黒と白、もはや見慣れた"色彩"の帯。
 しかし不可解。楪依里朱が如何に卓絶した魔術師であろうと、所詮それは人間が到達できる範疇に過ぎない。

 英霊の剣、ましてやトバルカインの死剣を防げる筈などないのだ。
 されど事実として白黒は彼女の必殺を弾き、更には強烈な衝撃でたたらを踏ませた。
 防がれた一閃。驚愕に染まる鍛冶師をよそに、魔女の口元が小さく現象の真実を吟じる。


  セット   フルパレットオープン
「全色解放、獣化術式起動」


 色間魔術は使いこなせさえすれば万能に等しい魔術だ。
 故にその秘奥は英霊を通り越し、極星の域にさえ手をかける。
 稀代の天才の手によって、楪家は過去最強の色彩を有するに至った。

 イリスの全身に、白黒のブロックノイズが侵食していく。
 純白と漆黒の二色構造が少女の姿を凌辱するように変革する。
 影とも靄ともつかない色の奔流を、尾鰭のように瞬かせて。
 此処に魔女は、己が深奥を開帳した。

 ――獣化術式・黒白の魔女(ビーステッド・ツートン)。

 他者ではなく自らの肉体に色彩を割り振ることで、己自身を超常の存在に変える奥義。
 空間や物質には抵抗力というものがあり、色間魔術の習得難易度を高くしている要因の一つだったが。
 自分自身の身体に割り振る分には、色付けに対する抵抗反応が発生しない。
 代償として日常生活の全てで色と親しむ必要があるものの、楪家の最終兵器であるイリスにとってはそれすら呼吸と何ら変わらない。

 そしてトバルカインが逃した好機は、その代償に最悪の存在を招き入れてしまった。


「――"Killer! We are the killer!"」


 羽音がする。
 死の羽音だ。
 嵐の演奏だ。
 これは、彼らは、貪る者(ワイルドハント)だ。


「――"My name is killer! Even your killer!"」


 殺戮者だ。俺達は、殺戮者だ。
 我らは大勢。我らは暴食。
 すべてを食らう、絶滅を識らない大厄災。


「――"Do it!"」


 故に覚悟しろ。
 こうなった以上、此処にはもう草の根ひとつ残らない。

「――"Killer! We are the killer!"
 ――"My name is killer! Even your killer!"
 ――"Do it!"」

 魔女の獣化と同時に、令呪による命令は達成されていた。
 "令呪を以って命ずる。ライダー、此処に総軍を結集しろ"。
 東京の地に蔓延る侵略的外来種、暴食のサバクトビバッタ。
 一地区あたりの個体数でさえ億を優に超す彼らのすべてが、ただ一点に集約されたならどうなってしまうのか。

 その答えは、考えられる限り最も破滅的な形で顕現した。

「ぅ、がッ、あ、ああああああ――!」

 もはや爆発に等しい勢いで増殖した蝗の嵐が、トバルカインを立ちどころに呑み込んでいく。
 触れた端から斬殺しているのは大したものだが、終わりの見えない物量攻撃は彼女に防戦以外何も許さない。

 宝具『死河山嶺』により手数を跳ね上げて尚、一歩も先に進めない袋小路。
 肩が弾ける、腹が抉られる、一秒刻みに命が散っていく。
 既に美しい明け空さえ蝗に覆われ、髑髏を模した巨大な顔がケタケタと嗤っていた。

「邪魔臭えぞ虫螻風情がぁ! クソ、消えろ、消えやがれ――!」
「ハハッ、ヒャハハハハッ、ヒィーッハッハッハッハッハァ!!
 やるじゃねえかイリスッ、ああ、やっぱりお前は最高の女だなァ!!
 気分がいい、歌うぜお前らッ。Violencer,That's fallin'pain――!」

 高笑いしながら、数も知れない飛蝗の嵐を撒き散らし。
 シストセルカ・グレガリアの総体意思は喜悦の極みに至る。
 過去最大の大蝗害を発生させたのだ、このわずかな時間で一体どれほどの命が食い尽くされたのか想像もできない。

 だがそれすら、これから起こる出来事の背景に過ぎないのだ。
 だからトバルカインは、自らの窮状も顧みず叫んでいた。

「畜生……が、ッ! 令呪を使え、コトネ――!!」

 彼女は叫び。
 そして――



「……何」

 天の高みにて、ウートガルザ・ロキの顔がとうとう曇った。

(計算外だ――いや、そうか。そうだった!
 何を勝ち誇っていやがる馬鹿野郎。
 最初から、真に警戒すべき相手はひとりしか居なかったろうが!)

 神寂祓葉は規格外。が、同じ星である天枷仁杜を擁している以上勝てない相手ではもはやない。
 オルフィレウスは成長の途上。どこまでもお利口な天上の神は、奇術王の無茶苦茶についてこれない。
 故に現在、都市の最強の座を恣にしているウートガルザ・ロキには、この戦いの結末など見えていたのだ。

 楪依里朱もまた例外ではない。
 シストセルカ・グレガリアはもはや敵でなく、戦ったとて負ける気がしない。
 おまけに魔女はただの跳ねっ返りな子ども。あんなもの、今更論ずるにも値しないだろうと。そう高を括っていた。

『見事だ、イリス』
「――邪魔すんじゃねえ負け犬が……!」
『勝敗はこれから決する。
 ボクとしては些か不本意だが、もはや手段を選ぶつもりなどない。
 認めるよ、おまえは強い。ボクが知る限り、"さっきの"おまえ以上に強い英霊は存在しないだろう。だが』

 幻術の矛先を地上に向けようとした矢先、彼を縛るのはセラフ=ゼノンの重力場。
 先ほどまではこんなもの水の抵抗より尚軽い障害でしかなかった筈が、何故かそれにさえ足を取られてしまう。
 その事実は、今まさに下で起こっていることの深刻さを物語っているようで。

『ひとつだけミスをしたな。
 おまえは障害を排除することを怠った』

 オルフィレウスの指摘に、今度は返す言葉も見当たらない。
 そう。ウートガルザ・ロキは、ひとつだけミスをしていた。
 それさえなければ、楪依里朱の乱心など問題にもならなかった。
 この場において、ウートガルザ・ロキを敗北へ導くもの。
 それはオルフィレウスでも、神寂祓葉でも、楪依里朱でも、天枷仁杜でもなく。

 ――たったひとつ彼が許した、ある"余分"の存在。

『おまえの負けだ、ウートガルザ・ロキ』

 奇術王は強かった。
 だが、惚れた女に優しすぎた。
 そして、己の矜持に囚われ過ぎていた。
 彼がプライドというものを知らない真の愚物だったなら、この悲劇は起こらなかったのかもしれない。



◇◇



 〈蝗害〉の総軍が出現し、すべての障害は除かれた。

 白黒――否。黒白の魔女は、瞬きの内に彼我の距離を走破する。

 もはや彼女は、ただ一筋の旋風。

 友情の取捨選択を決意した魔女に、もはや少女らしい弱さはなく。

 その進路上には、何がなんだか分からない、といった顔で自身を見つめる天枷仁杜の顔がある。



 ああ、これは今だから言えることで、今言ってももう遅いことだけれど。

 実のところ、そんなに悪くはなかった。

 だる絡みされるのも、ちょこちょこ付いて回られるのも、クズすぎる一挙一動にドン引きするのも。

 いーちゃん、と呼ばれ微笑みかけられるのも、たぶん、満更ではなかったのだ。

 私は自分で思っていた以上に、"にーとちゃん"という人間のことが好きだったらしい。

 これでは伊原薊美を笑えないなと苦笑したくなったけど、その時間はもう残されていなくて。



 黒き刃が、白き刃が、ひとつの形を結んで奔る。

 それは、月を穿つ殺意。

 星を射殺す、魔女の一撃。

 避ける手段はない。避けさせなどしない。必ず殺すと、既にそう誓っている。

 だけど、ああ、だけど。

 やっぱり私はどこまで行っても未練がましい、女々しくて情けない子どもだから。


『きれい』
『きれいだね、いーちゃん』


 あの言葉は、本当に嬉しかったな、と。

 述懐して、一瞬――ほんのわずかだけ手が鈍った。

 そうして。



 魔女の一撃は、ひとつの命を、貫いていた。



◇◇



「ぅ、……あ、ぐ……ぃ、ぎ……!」

 地面を転がり、女は痛ましく鳴き声をあげる。
 叩きつけられた拍子に顔を打った。
 そこで石か何かが眼球を直撃したらしい。
 だらだらと血とそれ以外の何かが流れてくる右目を抑えながら、ひぃ、ひぃ、と喘鳴を漏らして顔を上げた。

 痛い。
 痛いよ、ロキくん。いーちゃん。
 助けて。
 いつもみたいによしよしして。

 ねえ、―――――と。
 もうひとりの名前を呼ぼうとして、そこで。

「え?」

 天枷仁杜は、それを見た。
 見て、しまった。

「……、ぁ……?」

 見覚えのある顔が、忘れるなんてできるわけもない誰かが、黒白二色の刃で貫かれていた。
 背中から切っ先が突き出ている。胸を貫通され、どう見ても致命傷だ。
 昔から変わらない茶髪が血飛沫で赤く汚れていて。
 ぁ、とか、ぅ、とか、そんな弱々しい声がごぼごぼという水っぽい音と一緒になって聞こえてくる。

「は? ぇ? なんで? なん、で……?」

 刃が、抜ける。
 それを振るった筈の魔女は、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

 べちゃり、と。
 貫かれていた彼女が、自分の目の前に倒れてくる。
 何度も飛び込んできた胸の真ん中に孔が空いていて。
 そこから、どくどく、だくだく、夥しい量の血が溢れて止まらない。

「なんで、ねえ、起きてよ、起きて――」

 これは、夢?
 いいや、違う。
 夢とはしあわせなものだ。
 いつまでも浸っていたくなる、そうまさに、みんなで過ごしたつい数時間前のようなことで。

 だからこれは、たぶん夢なんかじゃなくて。

「ことちゃん……!」

 どうしようもない現実として、天枷仁杜の親友がそこにいた。

「やだ、やだやだやだやだやだ!
 こんなのやだよ、ひ、ひあ、っ、ああああああ……!!」

 とにかく血を止めないと、そう思って手を傷口につける。
 全力で押さえれば止まるかもしれない。
 そう信じたい自分に、頭の中の誰かが、無理だよ、と冷めた声で言ってくる。

 うるさい。黙れ。
 そんなわけがない。
 だってことちゃんとわたしはずっと一緒で。
 あの日からずっと、これからもきっと、何があっても親友で。
 喧嘩しても、雨の日でも風の日でも、春でも夏でも秋でも冬でも、ずっとわたしの傍にいてくれて……

「ろ――ロキくん! ロキくんっ! たすけて、ことちゃんが……ことちゃんが死んじゃう!!!」

 潰れた右目の痛みなんて、もう気にもならなかった。
 それ以上に胸が痛くて堪らなくて、仁杜は劈くように叫んだ。

「ぁ……ぅ、……に、……と、ちゃ……」
「ことちゃんっ……! 大丈夫だよ、絶対大丈夫! 今、いまロキくんが助けてくれるから……!」

 だから、行かないでよ。
 ことちゃんがいないとわたしは駄目なの。
 知っての通り馬鹿でクズだから。
 ひとりじゃなんにもできない、この世で最も弱っちい生き物だから。

「ひとりに、しないでよぉ……!」

 叫んで、縋り付いて、わんわん泣いて。
 いつもみたいに手を握って。
 そんな仁杜の耳に、ようやく言葉らしいものが届いた。

 だけどそれは、おそらく最期の。


「が……、……」


 そうしてまたひとつ、誰かの青春が死ぬのだ。


「――――、――――――」


 言葉が紡がれ、糸が切れる。
 瞳から光が失われ、命が消える。
 文字通り事切れた身体は、もううんともすんとも言わない。

 小都音の最期の言葉を聞けたのは、仁杜だけだった。



◇◇



 にーとちゃんがいると分かった時から、いつかこうなるんじゃないかと心のどこかで思ってた。

 なので正直、あんまり驚きはなかったりする。
 だって私、なんだかんだでお人好しですから。
 散々振り回されて、周りの誰に付き合うのやめろって言われても、学生時代から今までずぅっといっしょに居続けたわけですし。
 ぶっちゃけこいつのために命を投げ出すなんてことは、私にとってそれほどハードルの高いことじゃなかったのだ。
 にーとちゃんのいない世界は、どうやったって退屈そうだしね。

 だからそうなるくらいなら、まあ。
 安いもんですよ、こんなつまらない女の命くらい。

 にーとちゃんが狙われてると分かった瞬間、世界がスローモーションに見えた。
 楪依里朱が一瞬、理由は分からないけど躊躇ってくれたのも助かった。
 おかげで私は、にーとちゃんに手を伸ばすことができて。
 そのちいさな身体を突き飛ばし、退場役を代わりに引き受けてあげられた。

 とはいえ、死ぬのって思ったより痛いんだね。
 それだけはちょっぴり計算外。
 吐血がひどくて言葉もうまく喋れないし、格好つかないったらありゃしない。

(コトネ――この、馬鹿野郎ッ!)

 ああでも、意外と意識は明瞭だった。
 脳裏に響く念話が、私に過去最大の怒りを爆発させている。

(なんで庇った! 馬鹿かお前は!? 令呪を使えば――ッ、お前だけなら助けられたんだぞ……!!)

 絹を裂くような声は、どうにも我が相棒らしくなくて。
 彼女にこんな声出させてる事実に、申し訳なくもなったけど。
 でも、こればかりはこんな馬鹿に呼ばれたのが運の尽きと思って諦めてほしい。

 私やっぱり、最初っからにーとちゃんに灼かれてたんだろうね。
 いざとなったら、身を挺することに何の迷いも浮かばなかった。
 たとえ状況が違っても、過ぎた時間をもう一度やり直せても、私は同じことをしただろう。同じ人を助けて、死んだだろう。
 にーとちゃんより自分を取れる私なんて、それはもう私じゃない。

(どいつもこいつも馬鹿じゃねえのか。
 手前が死んでどうするんだよ。
 そんなコトしたって――死んだらもう、お前らは何もねえんだぞ――!)

 そう言われて、大事なことに気付いた。
 死んだら何も残らない。でも、死ぬ前に残すことならできる。
 令呪だ。令呪がまだ、死にゆくこの身には残っているじゃないか。

 ごめんね、セイバー。
 あんたと過ごした一ヶ月は、なんだか妹ができたみたいで楽しかったよ。
 だけど、私が此処で死ぬのはきっと無意味なんかじゃない。
 そのことを、今まさにあんたが気付かせてくれた。

 これから抜け殻になって、朽ち果てていく私が。
 この世界にまだ、生きた証を残せる唯一の方法。

 右手が熱くなる。
 もう、画数を惜しむ理由もないもんね。
 全部使っちゃおう。
 もしかすると、初めてマスターらしいことしてるかも。

(……あのさ)

 ねえ、セイバー。
 あんたも、ちょっとは分かってくれてると信じるよ。

(令呪、全部使うから……お願い、聞いてくれる?)

 にーとちゃんは、天枷仁杜は、ほんとうにどうしようもない人間です。
 根気もないしすぐ泣くし、弱っちいのにやたらと向こう見ず。
 否定されるのが嫌いな割に、他人のことはすぐ否定するし。
 大体の不幸が自分のせいで、なのにちっともそれを顧みないダメ人間です。

 だけどね、たまにはいいところもあるの。
 なんやかんや友達思いだったり、時々すっごい冴えてたり。
 だから根気強く関わってると、意外と病みつきになるんだよ。
 後かわいい。兎にも角にも顔がいいので、疲れたときとかぼーっと見てると結構目の保養になります。

(セイバー)

 にーとちゃんの未来は、私の未来。
 あの子のいない世界を、私は認められない。

 だからあの子のために死ぬなんて、正直ぜんぜん惜しくない。

 そんな私が、最後にあなたにしたいお願いは。
 ……あは、もうわかるよね。

(にーとちゃんを、守ってあげて。
 あの子を、ひとりにしないであげて。
 私の親友がずっと笑って過ごせるように、助けてあげて)

 頭の中に凄い勢いで罵詈雑言が響いてくる。
 ごめんて、ごめんったら。
 もしまた今度の機会があったら、なんでも好きなもの作ってあげるからさ。それで許してよ。

 ――目の前に、にーとちゃんがいる。

 泣いてる。誰だ、にーとちゃんを泣かせたのは。私か。はは。

「ぁ……ぅ、……に、……と、ちゃ……」

 私のために泣くその顔は、いつものとは少し違って見えた。
 顔の後ろには、蝗に埋め尽くされた空が広がってる。 
 せっかくロキが綺麗にしてくれたのに、これじゃ台無しだ。
 でもよかった。星ならもう見たし、もっときれいなものを私は知ってる。

 ――ああ、流星群、きれいだったな。
 ――もっと優しくしてあげればよかった。
 ――もっと一緒にいてあげればよかった。
 ――ずっと、一緒にいたかった。

 ――たとえ世界が終わるとしても。
 ――私達だけは、変わらないんだと思ってた。
 ――なんて、幼稚。なんて、馬鹿げた考え。
 ――にーとちゃんのが、うつったのかな。

 ――きれい。
 ――きれいだよ、にーとちゃん。
 ――世界の誰より、あなたがきれい。
 ――私達の、お月さま。
 ――ううん。
 ――私の大事な、たったひとりの親友。


 最後にかける言葉は、もうずっと前から決まってたような気がする。
 言いたいことは山ほどあるし、全部言ってたら一日あっても足りない。
 だから、ひとつだけ。
 なるべく安心させてあげられるような顔を作って、肝煎りのヤツをひとつ言おう。

 うん、よかった。
 唇も、まだ動いてくれる。

 それを、に、と横に伸ばして。
 親友という名の、満月(ほし)を見ながら。


「……がんばれ、にーとちゃん」


 よかった。
 言えた。

 ……へへ。私のがんばり、無駄にすんじゃないぞ、ばか。



【高天小都音 脱落】



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最終更新:2025年12月26日 01:20