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 星が昇っていく。
 渋谷の上空を、青白い光が駆けていく。

 午前4時35分33秒。
 終末星―――"スターゲイザーⅠ"の顕現を観測。

 観測機、セラフ=プシュケーが収集した情報は以下の通り。

 上記、発生時刻から間もなく、渋谷区中心街からやや南方のオフィス街を起点にして、薄黄色の発光と共に巨大な立方体が出現。
 幾何学模様の立方体が無数に組み合わさり、ルービック・キューブのように噛み合って形成された建造物は、スターゲイザーに備わった宝具『月姫真体・堕落恒星(ムーンセル・オートマトン)』の外殻であると推定される。
 それは発生源である恒星真体(アリスィア)、即ち天枷仁杜の身辺を囲うように組み立てられ、展開から僅か27秒後には渋谷の地下霊脈を簒奪。
 更に19秒のインターバルの後、渋谷直上に限定した天候異変を発生させると同時、立方体――堕落恒星の形状変化、旋回しながら薄黄色の月光を投射し始める。

 現在、月光は一定の速度で異星の陣地を広げつつ、針音都市を侵食中。
 渋谷全域を包み込み、空間隔壁遮断の後、区外にまで影響を及ぼすまであと―――

「―――ちッ」

 思考に直接流れ込む情報の羅列に強い不快感を覚え、オルフィレウスは観測機との接続を断った。

「うわー!!」

 忌々しい。腹立たしいこと、この上ない。
 今まさに、眼下で奪われていく渋谷の土地。

 杉並に続いて二度までも、しかも今回は建国王のケースとは大きく意味合いが異なる。
 彼の矜持、信じた星の在り方を揺るがしかねない事態が起こっているのだから。

「うわーーーーすっっっごい!!」

 目の前で覚醒した恒星の真体。
 その力の規模は現時点で、業腹ながら彼の信じる現人神を上回っている。
 終末の星に至った少女は、神の土地を奪うにまで至ったのだ。

 自ら作り上げたゲーム盤の一部から排斥される屈辱。
 ああ忌々しい、腹立たしい、あとついでに。

「ほら見て見てヨハン!! 地上のお月様! めっちゃ綺麗だよ!! すっごいねえ~!!」

 隣の女がやかましい。

「……あのなあ、君。感心している場合じゃないだろう」

「そうだね! さっきは負けちゃうかと思った!
 でもほら、あんなにも鮮やかで綺麗なんだから、ヨハンもちゃんと見なきゃ勿体ないよ」

 オルフィレウスは目頭を抑えながら隣を見やる。
 上昇を続けるセラフ=ゼノン、空を往く巨大機械人形の肩上で、神寂祓葉は目を輝かせながら直下の悪夢を眺めていた。
 機械人形の肩の上に腰掛け、健康的な脚をぷらぷらと振っている。

 渋谷の地はまもなく、月の姫によって好き放題に作り変えられ、ゲームマスターの手すら及ばぬ異星の領地となるだろう。
 住人は一人残らず月の眷属に堕ち、いずれ空間隔壁によって制空権すら奪われる。
 その内界は厚い雲と月光に囲われた、常夜の堕落領域、神殿ならぬ正しく異星の地と化す。
 よって区外まで離脱するべく。この聖杯戦争の黒幕たる彼らは、根城たる天空工房へと退避する最中であった。

「すごいなあ、にーとちゃん、すごいなあ。さすがはイリスの友達、だね」

 杉並を支配する建国王の暗躍。衛星の擁立する恒星の発芽。不死を零落させたジャックの計略。そして極めつけに、月姫の覚醒。
 こんな筋書き、シナリオの何処にもありはしない。
 トラブルだらけ。想定外の連続に、分かりやすく苛立つオルフィレウスに対し、祓葉は相変わらずの様子で喜んでいた。

「あははははっ! それにしても私たち、ほんっと思った通りに行かないねっ!」

 役者の好演を、友人の奮戦を、相方の計算外を、ままならぬ想定外(イレギュラー)こそを。
 圧倒的な未知を。
 にこにこと満面の笑みで、頬を少し上気させ、はしゃいだ様子で歓迎している。

 あの頃と同じように。
 一度目と同じように。

「祓葉」
「ん?」

 失敗ばかりだったあの頃。
 神たり得なかったあの頃。

「嬉しいかい?」
「うん!」

 勝ち目のない戦いに放り出された、ただの少女と三流英霊だった、あの日々と同じ笑顔で。
 今も変わらず笑っている。

「……そうか」

 だからそれ以上、オルフィレウスは何も言わず、そうして上昇する機体の上、再び自らの思案に没頭していった。
 渋谷、杉並、六つの衛星、恒星の資格者。
 手を打つべき凶兆は山ほどある。

 目下最優先で対処すべき問題は言うまでもなく。
 現れた終末星、スターゲイザーⅠに違いない。
 だが、終わりの星は凶兆であると同時に、彼に可能性を示した。

 スターゲイザーの顕現。
 恒星には"先"があることが証明された。
 それ即ち、神寂祓葉もまた発展途上、幼年期にあるのだと。
 覚醒の条件は星によって様々だと仮定しても、天枷仁杜のそれが今だったことが偶然とは思えない。

 六凶の一角たるイリスとの接触に加え、祓葉との戦い、天枷仁杜が選んだ運命の死。
 あまりにも揃いすぎており、条件の特定は出来まいが。
 もし、祓葉との接触が天枷仁杜を次に進ませた要因の内の一つだったとすれば、逆もまた然りである筈だ。

 つまり祓葉もまた、他の恒星との接触から得る物がある。
 資格者の存在は多大なリスクではあるが、相応のリターンも存在する。

 素材は多く得られた。これらを念頭において、早急に準備を進めなければならない。
 撃破されたセラフの再生産と改良。新作の開発。
 そしてなによりも、工房に残してきたモノの完成を急がなければ。

「―――――あーーー!!!」

 と、そこで再び、横から上がった大声によって、彼の思案は中断させられた。

「うわ、なんだよ急に」 

 何かに気付いたような、というより思い至ったような、ついうっかり寝過ごしていたことに気づいたような、間の抜けた響きに、なぜか嫌な予感を覚える。
 それは一回目の時にも聞いたことのある音だったからか。
 結構長い付き合いである彼には、このあとパートナーがなんと続けるか、分かる気がした。

「忘れてた!!」

 実際に何かを思い出したのか、それとも月光に塗りつぶされていく渋谷に何かを見つけたのか。
 定かではなかったが、ある種のパターンに入ったことだけは理解できた。
 だから事が起こる前に、オルフィレウスはため息を吐く。

「ごめん、ヨハン、忘れ物しちゃった!」
「……おい、何を馬鹿なこと考えてるか知らないが。一応言っておくけど、ボクが渋谷に直接手を入れられる時間は幾ばくもない。臨界点を越えたら空から拾うことも――」
「先に行ってて!」
「聞けよっ!」

 つまり想定外の来訪である。
 たんっ、と。止める間もなく、ゼノンの肩を蹴り飛ばす靴音が鳴った。
 月光に侵されていく渋谷へ、自ら落ちていく少女。

 祓葉は自由落下しながら、常通りの呑気な表情で手を振っている。
 呆れ返りながら、叱るように彼は告げた。

「いいか、10分だ! 観測機で拾えるのはそれが限界、オーバーしたらもう知らないからなっ!」
「はーい!」

 朗らか過ぎて、起こる気も失せるような返事を聞きながら、オルフィレウスは今後の思索に戻る。
 まったく、馬鹿め。とこめかみを叩きながら。
 その実、今起こったことに関しては、彼の心は微塵も動揺していなかった。

 頭の悪いマスターが、何を考えているのか知らないが、こんなことはいつもの事だった。
 そう、一度目の頃から、ずっとそうだ。
 いつもそう、彼女こそが、計略を狂わせる。彼女こそが、彼の想定を覆す。
 既定路線の筋書きを叩き壊し、誰も知らない展開を見せてくれる。

 建国王の侵略、恒星の資格者、六凶の計略、恒星真体の覚醒。
 全て、全て、何するものぞ。
 彼にとって一番のトラブルメーカーは、ずっと隣にいたのだから。

 神寂祓葉、彼女は全ての友人を愛している。
 招かれし演者たちを、皆平等に慕っている。

 故に、向かうところにはあるのだろう。
 彼女の望む縁、彼女の招いた演者たちとの邂逅。

 新たな、出会い。
 あるいは、別れが。




 ―――あなたは、どんな大人になりたいですか?

 そんな一文に、苦い記憶を思い出す。

 小さい頃、たった一度だけ、母親を殴ってしまったことがある。
 理不尽な折檻に抵抗して、無茶苦茶に振るった拳が偶然にも頬にぶつかっただけ。
 それだけで、女は呆気なく床にひっくり返った。

 アタシが産まれて初めて行使した、それが暴力だった。 
 赤く腫れた顔を押さえながら、こっちを見上げた女の瞳は怒りに歪んでいたけれど。
 その奥に、隠しきれない恐れを潜ませていたことを、アタシは見逃さなかった。

 吐き気がした。
 ひりつく拳の感触。ヒステリックな金切り声。これから起こるだろう事態への恐怖。
 なによりも、その瞬間に走った、アタシ自身の考えに。

 ―――なんだ、これでいいじゃないか。

 殴って、黙らせれば解決してしまう。
 怖いものも、痛いものも、気に入らないものも、理解できない何もかも。
 嫌いな奴を上回る力でぶん殴れば、それだけで振り払えるなら、世界はとても単純に出来ていて。

 ―――違う!

 自分の思考をすぐさま否定する。
 弱いものを力任せに捻じ伏せる。そんなのは、だって、アタシの嫌いなあいつらと一緒じゃないか。
 嫌いな奴らから逃れる手段が、嫌いな奴らと同じになるしかないなんて。

 そんなのが正解だったなんて、認めたくなかった。 
 だけど、だったら、どうすればいい?
 あの頃どうすれば良かったっていうんだ、アタシは?

「あの……華村さん……?」

 突然上から降ってきた声に、机を睨みつけていた目線をそのまま向ける。

「……なんすか?」
「いや……その……」

 睨めつけられた児童養護施設の係員は、びくりと固い笑顔を引きつらせ、座ったままのアタシの手元を指さした。

「……これ、難しかったかな?」

 アタシはもう一度、手元のプリントに目を落す。
『人を叩いてはいけません』『人を騙してはいけません』『人に優しくしましょう』。 
 いろいろ書いてあるけど要約すればそういう類のこと。
 施設に引き取られる前のアタシが、教えられることも無かった"当たり前"。

 道徳教育。
 寂れた施設でも、保護者の居ない子供に最低限の教育を施そうという試みの一環。
 生きていくための常識を教え、少しでもマシになるように、と。
 人としての常識が書き綴られたそのプリントは最後に、こんな質問と空欄で締めくくられている。

『あなたは、どんな大人になりたいですか?』

 答えられなかった。 
 どれだけ机に向かって考えても、空欄を埋められなかった。
 しびれを切らした係員が声をかけるまで動けなかった。
 だってアタシには、自分が大人になる姿なんて、どうしたって想像できなかったから。

「無理して書かなくても大丈夫よ。そういう子、たくさんいるし……提出は、いつだっていいんだから」

 その日、アタシはよく分からない苛立ちを抱えたまま施設を抜け出して。
 無軌道に街を彷徨った挙げ句、偶然ぶつかった不良集団と喧嘩になった。
 事のキッカケなんて覚えちゃいなかったけど、多分酷くつまらないインネンだったと思う。

 痛みに強い身体は、当然のように相手をぶちのめしていく。
 冬の寒さを紛らわすように、熱に任せて腕や足を動かすのは、問いの答えを見つけるよりもずっと簡単だった。
 こっちも何発か良いのをくらって、掴み合った服はボロボロになって、青痣が幾つも出来て、口の端が切れて血が滲んで。

 散り散りに逃げていく不良どもの一人が道に落としてったタバコを拾い上げ、歩きながら一本取り出して火を点ける。
 擦り切れた口の中で、ヤニと血の味が混じり合った。

『あなたは、どんな大人になりたいですか?』

 やっぱり分からなかった。
 だけど自分が、自分の嫌いな大人に近づいていることは分かる。
 見上げた空はどこまでも青く澄んでいて、なのにどこにも続いてなくて、行き場がない。

 このまま、アタシの嫌いな奴らみたいに、なってしまうくらいなら。  
 いっそのこと、その前に消えてしまえたら―――

「―――! ―――ぃ!」

 ふと、聞こえた声に足を止める。
 アテのない放浪の結果、アタシは自分がどこを歩いているのかも分からなかった。

 痛む首を曲げ、声のした方を見れば、大きな黒い格子が視界に飛び込んできた。
 堅牢で、どこか威圧的な石造りの連なり。よく見れば、それは校門の柵だった。
 すぐに分からなかったのはアタシの知る物よりずっと大きくて、豪華で堂々とした作りだったから。
 あまりにも風格と威圧感に満ちた門扉が、一瞬、牢獄のそれに見えたのはなぜだろう。

「―――ぃ! ―――み先輩!」

 私立の女子中学校。
 場所も名前も思い出せないけれど。
 それが所謂お嬢様校と呼ばれるような、アタシには縁遠い場所だったコトは分かっていた。
 聳え立つ城のような校舎に掲げられた登りには、綺羅びやかな文字で『卒業式』と刻まれている。

 飛び交う黄色い歓声は格子の奥から。
 公演場のような大きな建物から、いくつかの人影が吐き出されるのが遠目に見えた。

 その先頭を歩く集団。
 中心に立つ少女の姿に、視線が引き寄せられる。

 両手いっぱいに花束を抱えた少女が、ゆっくりと校門にむかって歩いてくる。
 白くピカピカの制服、中心に付けられた燃えるように真っ赤な華が眩しい。
 その周囲を、取り巻きの女子達が歓声とともに追いかけ、我先に話しかけようと身を乗り出している。

「首席卒業、おめでとうございます!」
「先輩、卒業講演、素晴らしかったです……」
「あの……あの……わたしっ……靴紐を……」

 周囲の歓声に小さく応え、手を振りながら、少女はゆっくりと歩いていく。
 格子の向こう側を目指して。
 その先に道が続いていると、輝かしい将来が待っていると何一つ疑わない、自信と確信に満ちた歩調で。

「わたし……信じてますから……先輩はきっと夢を叶える……トップスターになるって……!」

 格子越しに一瞬、視線が交錯したように感じたのは気のせいだろうか。
 あまりにも離れた距離で声も聞こえない、表情すらよく見えない。
 それでもなお、僅かな間だけ、目があったと。

 門を開くために誰かが近づいてくるの感じ取って、アタシは身を翻した。
 自分がどれほど場違いな場所に居るかは分かっていた。
 居る資格のない場所に立つほど、気持ちの悪い体験はない。

 薄汚れた身体を引きずって、施設への道を戻る。
 その日、アタシは初めて知った。
 暴力には、腕も口も必要ないんだって。
 他者よりも美しく、優れている。誰かを踏みにじるには、たったそれだけでいい。



 ―――あなたは、どんな大人になりたいですか?



 空欄は今も、埋められてない。





 午前4時05分49秒。
 渋谷区、北東。まだ空が青みがかるには、ほんの少し早い時刻。
 その決闘に臨む二組の役者達は、どこまでも対象的な姿形をしていた。

《Instead of spa we'll drink down ale(水の代わりに酒を干そう)――》

 停電地帯。人工の光の絶えた一帯に、原始の炎が整列している。
 国内屈指の交通量を誇るその幹線道路は今や、車の一台も走っていない。
 されど静寂とは全く無縁の様相であった。

《and pay the reckoning on the nail(勘定は必ず即金と決まってる)――》

 歌が聞こえる。
 コンクリートで舗装された道を埋め尽くすようにして、ずらりと騎馬が並んでいる。

《no man for debt shall go to jail(借金で捕まるような者はない)――》

 隊列、その全てが隙なく青い軍服を纏う、伝説の騎兵隊。

《from Garryowen in glory!(そう我ら、栄光の第七騎兵隊では)――!!》

 極東の街を写し取った虚構の世界を、現代史の中心たる合衆国の軍歌が踏み鳴らす。
 それは近代地平を切り拓いた、絢爛なる連隊歌の調べ。
 後方に随伴する音楽隊。小太鼓と喇叭、兵たちのコーラスが明けの明星を迎えるように歌い上げる。

 背負うは栄光。
 その前線にて、過去の輝きを今に宿すべく、威風堂々たる将軍(ジェネラル)は馬上にて、胸を張って敵に臨む。
 騎兵(ライダー)の英霊、ジョージ・アームストロング・カスター。

 ―――キン―――キン―――キン。

 対して、迎え撃つ彼岸の彼らは、綺羅びやかな騎兵隊とは真逆の性質を有していた。

 ―――コン―――コン―――コン。

 赤く焼けた腕が掴んだ棍棒や手斧、手のひらを打ち付け、硬質な音を鳴らす。

 ―――カン―――カン―――カン。

 そこに、かつてあった歌やフルートの旋律は加わらない。
 彼らにはもう、それが叶わない。

 掲げられた松明の火が、理由を鮮明に照らし出す。
 道路にずらりと並んだ先住民(インディアン)の戦士達には、既に首がなかった。
 ここで落とされたのではない。呼び出された最初から、備わっていない部位であるが故に。

 背負うは哀愁。
 その前線にて、過去の無念を今に掬い上げるべく、厳粛端正たる大戦士(アキチタ)は、地に根を張るように敵を待つ。
 呪術師(キャスター)の英霊、シッティング・ブル。

 将軍(カスター)と大戦士(ブル)。
 最早言葉で語る段階に非ず。宿敵である彼らの戦いは、いま佳境に入ろうとしている。
 前線(フロントライン)で向かい合う彼らの、しかし更に半歩前に人が立っていた。
 そう、残影を率いる彼らですら、今は最高司令官ではない。

 最前線にて向き合う二人の少女(マスター)。
 彼女らもまた、従者に負けず対象的な二人。

 炎剣を携え狩人のように優雅に立つ、伊原薊美。
 空手の四肢で地を掴み獣の如く唸る、華村悠灯。

 二人を挟んで、ライフルを向け合う従者達は直感する。 
 この戦いの果てに、明確な決着が訪れる。
 ライダーか、キャスターか。
 どちらか一方の陣営が勝利を得るまで、決闘は終わらない。
 翻せば、どちらか一方は、ここで―――

「“Take the reins!(手綱、取れ)”」

 炎の剣が指揮棒(タクト)の如くに振り上げられる。
 女王の令により、背後に居並ぶ兵たちの身体に力が漲る。

 ―――では演じ切って魅せたまえ、傲岸なる令嬢(トゥーランドット)よ。星に至るならまず私を食う程に舞ってこそ。できるかね?

 ―――ふふ、誰に言ってるんです、ライダー?

 従者の視線を背に受けながら、薊美は実に堂に入った、優雅な所作で火を掲げた。

「“Prepare to fire!(撃ち方、用意)”」

「へっ、カッコつけやがって」

 一方、迎え撃つ悠灯は飾らない。
 自然体に、ぶっきらぼうに、パキパキと拳を鳴らしながら。
 背後で支えてくれている戦士から、力ある言葉を受け取る。

 ―――さあ来るぞ。共に迎え撃とう、悠灯。

「ああ、やってやろうぜ、キャスター」

 そしていま、振り下ろされる切っ先、突き出された拳と共に。

「―――“Charge!!(突撃!!)”」 

「―――あいつらぶっ倒すぞォッ!!」

 両軍、最後の突貫を開始していた。






 跳ね回る銃弾と蹄の音が、コンクリートの荒野を疾駆する。
 正面から接近していく軍勢の間を火砲の光が交錯し、その都度に肉が弾け、骨が砕かれ、屍が積み上がる。

 額をトマホークで割られた騎兵が落馬し、魔力の粒子となって消えた。
 胸をライフルで撃ち抜かれたインディアンが崩れ落ち、魔力の粒子となって消えた。
 一人、また一人と、両群ともに、接敵を前に倒れていく。
 その都度、新たな兵が彼岸から舞い戻る。

 討ち、倒れ、現れ。
 討ち、倒れ、現れ。
 そして、遂に、両者、衝突の時を迎える。

「“Draw sabers!(サーベル、抜刀!)”」

「うぉおおおおおおおおオラァッ!!」

 最初に激突したのは無論、最前線に立っていた彼女ら二人。
 悠灯の突き出した徒手空拳を、薊美の振るう炎剣の刀身が受け止める。
 その一瞬の後、両軍全体が接敵し、銃撃の間合いから白兵戦へと移行。
 幹線道路は敵味方入り乱れる混戦状態と化していた。

 合戦の中央にて組み合う少女二人は、それでもなお止まらない。
 ライダーとキャスター。共に軍勢を使役する従者のマスターである両者。
 それが前線を張るという不合理を、彼女らは全く別の理由で覆していた。

「―――つァらッ!!」

 対空していた悠灯の身体が跳ね上がり、絶妙な体幹移動で炎剣を飛び越え上を取る。
 燃え盛る激痛の剣が腕を焼き続けていたとしても、黙殺。爛れた先から再生させ、動き続ける。
 そのまま大車輪の如くに空中で一回転した両膝が、たっぷりと遠心力を溜め込みながら、薊美の無防備な背に叩きつけられた。

「―――っ!」 
「おいおい、どうしたァ? 喧嘩は苦手かお嬢様!?」

 咄嗟に張られた境界防御、色間魔術の障壁を安々と突き破り、衝撃によるダメージを貫通させる。
 感じた痛みをおくびにも出さず、振り向きざまに振るう炎の斬撃、しかしそこにもう獣はいない。
 差し込まれたカスターの援護射撃すら空を切り、視界から消え去った姿は瞬く間に死角から再来する。

 闇の中から首を薙ぐようにして撃ち出されたハイキックを炎剣が受け止めた。
 しかし今度は蹴りの勢いそのままに、力任せに振り切られる。
 後方に飛ばされた薊美は騎兵を巻き込んで転倒するかに見えたが、これまた雅を損なわぬ所作で踊るように馬の上に直立してみせた。

「――まったく馬鹿力め」

 一撃が重い。そして、速い。
 マスターとして図抜けた俊敏性と、洒落にならない火力を持って、華村悠灯は前衛を成立させている。
 その上、不完全なりにも身体修復まで行っているのだから始末に終えない。

 ついでに本能任せの我流喧嘩術は技巧も何もあったものじゃないが、だからこそ薊美の意表を突き、反応を上回っていた。
 防ぎきれず、追いきれない。これが死狼魔術。土壇場で目覚めた獣は手強い。
 現状、一対一の正面戦闘では不利であろう。そこは薊美も認めるしか無かった。

「よお、降参するか?」
「冗談」

 だが忘れるなかれ、彼女もまた最前線で踊るマスター。
 覚醒は獣の専売特許ではない。天を目指す人工の鋼星は、今なお学び吸収し続けている。
 己が勝利する為に、最適な在り方を。その役柄を。

「“Take heart, Soldier Blue.(奮い立て、我が青き兵たち)”」

 髪をかき上げながら、王子は居並ぶ兵に発破をかける。
 戦場の中心、伊原薊美を爆心にして、波紋のように高揚の輪が広がっていく。

《Yeeeeeeeeeeeeaaaaaaaaah!!!!!》

 騎兵隊の士気が引き上げられ、飛び交う弾幕と剣戟の音にキレが戻る。
 さらに、畳み掛けるように。

「“Kneel, you foolish rebels.(そして跪け、愚かなる抵抗者ども)”」

 瞳から放たれたカリスマの煽動、重力を万倍にするような圧迫感。
 女王は敵対者の死を望む。
 高揚魅了と攻勢魅了の重ねがけ。味方には活力を、敵には重力を。

 何人かのインディアンが足を縫い止められ、勢いづく騎兵に飲み込まれる。
 悠灯は気合を総動員して魅了を跳ね飛ばす。
 しかし彼女とて、両肩にのし掛かる重力までは無視できなかった。

「て……めぇ……ごちゃごちゃと鬱陶しいんだよ……!」
「不服かな? なら抗ってみて」

 一瞬、動きの鈍った獣を見逃さず、炎の剣が高速駆動の先を捉える。
 よって今度は悠灯が受ける番になった。
 超強化された拳を突き出し、回り込んだ炎剣を迎撃し、腕を燃やされながらも致命傷を回避する。

「ライダー」

 だが女王は冷酷に追撃の令を下す。
 動きの鈍った一瞬を突かれ、飛来するカスターの援護射撃を今度は躱せなかった。
 銃弾が悠灯の脇腹を貫通し、肉の焦げるきつい匂いの中で、血の花びらが散る。

 いくら再生能力を備えた魔術に目覚めたとはいえ、狼の不死は不完全。
 薊美は既にその特性をある程度見切っていた。
 なぜなら彼女は本物を知っている。太陽の光とは比べるべくもない。

 死狼と言えど、脳や心臓のような重要臓器を破壊されてしまえば、死に至るか、少なくとも即時の戦線復帰は困難となるだろう。
 そして再生可能な総量には魔力という限界があり、手足といった末端の再生であっても、削られ続ければ燃料の方が底をつく。
 つまり、適切な距離を保って戦う限り、女王の優位は揺るがない。

「もう降参?」
「するかバァカ!」

 射撃に晒されていた悠灯の身体が宙に逃れた。
 しかし彼女の危機は終わっていない。
 足がかりのない空中は、敵にとって絶好の狩り場であるのだから。
 隙を逃さず、駆けつけた騎馬隊がいざ仕留めんと銃剣を構えている。

「キャスター!」

 突き出された銃剣を踏み割りながら狼が吠える。信頼する相棒への呼びかけ。
 それに応えるように飛来したトマホークが、悠灯に接近する騎馬たちに命中し、地面に引き倒した。
 次いで、立ちこめる粉塵を突き破り、首無しの兵が二人、女王の背後から飛びかかる。

 走り込んできた騎馬隊がインディアンの一体と絡み合いながら倒れ、もう一体を薊美の炎剣が両断する。
 この瞬間、フリーになった悠灯が一気に反転攻勢を仕掛けていた。
 絶妙なタイミング。剣を先住民の肉体に埋めた状態の薊美に、迫る狼を迎撃する手段は無い、かに見えた。

 キリキリキリ、と弾倉が回転する音が連なった。
 女王の右手が掴んでいた炎剣。その逆、たったいま懐から抜き取られ、伸ばされた左手に握られた凶器がある。
 騎兵隊の六連装拳銃、カスターから受贈されてた砲が火を放つ。

「ぐ―――ぁ!!」

 不意の銃撃によって肩口を貫かれ、体制を崩した悠灯に更なる鉛玉が殺到する。
 飛来する掃射を、狼は身体を捻って回避した。
 しかし真に彼女を動揺させたのは、次に起こった事象だった。

「―――!」

 炎剣が目前に迫っている。拳と剣が再び衝突する。
 つまり、薊美の方から距離を詰めたのだ。
 近接戦闘は彼女にとって不利であることは、明らかだった筈なのに。

「言ったでしょう?」

 にも関わらず、銃撃の距離間という優位を自ら捨てた、その理由とは。

「"徹底的に打ち負かす"って」

 右手に炎剣、左手に拳銃、両の瞳に茨の魅了。
 ある時は剣士、ある時は射手、将兵、王子、そして女王。
 クルクル役柄を変えながら、変幻自在の舞台女優(アクトレス)は、夜の境界で華麗に舞う。

「ちゃんと、あなたの土俵で踏み潰してあげる」

 これより始める獣狩り。
 闇を引き裂く炎の軌道。
 恐れし狼が逃げるなら、それを銃口が追い立て仕留める。
 さあ、受けて立つか。

「ナメんじゃねえ」

 駆動する獣の四肢、旋回する剣と銃。
 陽炎の向こう、挑発的な女王の瞳を見返して、狼は獰猛に牙を剥く。

「いい度胸じゃねえか、ナルシスト。今に吠え面かかせてやるよ」

「"吠え面"は君の専売特許だろう。それまで取り上げるのは可哀想だ」

「はっ―――ぶっ潰す」

「できるものなら」

 混戦の中央、超えるべき宿敵のみを視界に収め、二人の演者から立ち昇る戦意は両軍全体に伝わっていた。
 騎兵隊と先住民、双方の総数は徐々に減っているが、それでも士気は高まるばかり。

 決着が近づいている。
 夜明けを目前に、戦場の熱は際限なく高まっていく。







「いよいよ佳境だなぁ―――キャスター!」
「そのようだ、ライダー」

 戦場の中心地、マスター同士による決戦から少し距離を空け、従者達もまた激突を続けていた。
 騎兵隊を指揮する将軍。首無しの先住民と共に立つ大戦士。

「なあキャスター、泥臭いな。我々の戦いは」

 カスターとブル、因縁の二人に、未だ決着は訪れていない。
 しかしそれもあと僅かの間。
 いずれ、どちらかが勝者となり、敗者がこの世界を去ることになる。

「ロキと蝗害の戦は見ていたかね?
 神代の戦はかくも凄まじい。それに比べれば我らはどうだ?」
「…………」
「君は聖杯戦争に勝ち残れると思うか。
 我々の決闘を制した後も、この街に蔓延る神の如き怪物達を前に、君とあのマスターはいつまで戦える?」
「分からない。だが、悠灯は言ってくれた。友として私の手を取り、この街を生きていくと。ならば応えるのが戦士の務めだ」
「ふむ、君らしい解答だな」

 互いに銃創を刻み合い、斬撃を叩きつけ合い、双方が同程度の負傷を抱えている。
 どちらも戦闘を続けながら、抜け目なくマスターの様子を伺っていた。
 前線に立つ二人の少女。
 隙あれば彼女らを援護することで混戦を制し、マスター戦で勝利をものにすれば趨勢は決定的となるだろう。

 しかし、未だどちらも成功してはいない。
 互いの存在が互いの抑止力となり、戦況は拮抗している。
 故に、残る決着は二通り。

 己のマスターが勝利することを信じるか。
 あるいは、それを待つことなく、ここで―――

「話すのもきっと最後の機会だ。聞いておくか」

 己の宿敵を討ち倒すか。

「君は私が憎いかね。“座する雄牛(シッティング・ブル)”よ」

 将軍の纏う青い軍服には、この戦闘で幾つかの切り傷が刻まれている。
 軍帽を取り落とし、サーベルは折れ、銃弾は尽きようとしている。
 それでもなお、男は華やかな笑顔で胸を張っていた。

「先住民を追い立て、女子供を踏み潰し、それを正義であると謳う私が」

 自らの歴史、その栄光の矛盾を語るようでいて。
 男の声に自省や後悔の色は微塵もなかった。
 むしろあえて、そのように表現することで、相手の感情を見極めんとしているようだった。

 シッティング・ブルは思う。
 この場で肩を並べる、多くの戦士たち。首を失った先住民の誰もが、口を利けたならこう答えるかもしれない。
 目の前の男が憎い、許せぬ、討たねばならぬ。忘れることなど出来ない。
 血で染まった川の色。蹄に潰された赤ん坊。燃えるテントの中で蒸し殺された女子供の叫び声は、彼の耳にも残っている。

『―――今の俺は、悪霊だ』

 この街で出会った、復讐者の焔を覚えている。
 己が同じモノになり得る未来があったかもしれない。
 だけど、それでも―――

「今の私に、君という個に対する憎しみはない」

 大戦士はそう答える。
 大いなる神秘(ワカン・タンカ)の前に、人はみな平等だ。
 違う神秘に生きる者達であったとしても同じ。
 大地の上で全てを共有し、大地に生かされている。

 全ては等しく共有されている。
 故に、インディアンの世界で、我欲は排斥されるものとされる。
 個に対する怨念もまた、我欲に他ならない。

 戦う理由は戦わねばならぬから。
 今はただ、それだけなのだと。

「そう、自然の前に人は皆平等。率いる者などいない。それが君等の在り方だったな」

 それを、将軍は大仰に頷いて受け止め。
 しかし一瞬、苦みを滲ませたのは錯覚だろうか。

「ふむ、実はな、私も君のことは、それほど恨んではいなかったのだ」

 リベンジの機会こそ窺っていたがね、と。
 将軍もまた、そう語る。
 奪われたもの、殺されたもの。
 双方ともに流血を伴う因縁で繋がりながら、互いの存在に対する憎悪は無いという。

「だがなあ、死後に関しては話が別だ」

 将軍はサーベルを抜き、突き付ける。

「君、なぜ伝説から降りた?」

 大戦士は巌のような表情を動かさず、じっと将軍を見つめている。

「なぜ歴史上の、"リトルビッグホーンの戦い"から消えている」

 この戦闘が始まってから、初めて滲む。
 それは怒りの色だった。

「なぜ、このカスターを討ち倒したという栄光から、君は背を向けたのだ」 

 将軍にとって、これほどの侮辱はなかった。
 殺されたことよりも。
 死後、輝かしき歴史が曇り続けたことよりも。
 自らを打ち負かした者が、武功を誇らなかったこと。
 それこそが何よりも、許せぬ裏切りだったのだ。

 シッティング・ブルの耳に、かつての仲間の言葉が返ってくる。
 ――もういいんだ、シッティング・ブル。
 ――もうこれ以上、呪われなくていい。
 心から魂を案じてくれていた同胞たち。
 だけど分かっていた。本当は―――

「当ててみせようか? 君はとっくに壊れている。
 恨みなどないだと? 違うね、貴様は諦めているだけだ。ただ、枯れているだけだ」

 ただ、それだけのこと、だったとしたら。

「どだい壊れた器に、"カスター殺し"の栄光は収まるまい」

 カスターの全身に青い魔力が充足する。
 それは決着に向かう意思を示していた。

「"大いなる神秘の前に、全ては等しく共有されている"。
 "先住民(インディアン)に上下の概念はない"。
 欺瞞は聞き飽きたさ。それでも、君は彼らの上に立つべきだったのだ。
 君の名のもとに栄光を束ね、君という伝説のもとに人々を導く。先住民を救うために。
 ―――それこそが、あの時代における君の『望まれた姿』ではなかったのかね?」

 カスターが誇る、第二宝具の全力起動。
 ならば、それに応える宝具は唯一つ。

「結局、君は逃げたのだ。人々に望まれた姿から。私を討った先に待つ栄光から!」
「違う―――私は―――」

 大戦士の手のひらから垂らされた血が、地面に黒い染みを作り出す。
 円形の染みは拡大を続け、彼らと、戦場の全てを飲み込んでいく。

「ハッハッハッハッッハ!!
 そうだよなあ、あるよなァ、貴様がそれを持たぬはずがないのだから!」

 シッティング・ブルの第二宝具。
 墜落の幻視。或いは第七騎兵隊の死そのもの。
 にわかにたじろぐ騎兵隊へと、将軍は鬨の声を上げた。

「私は君とは違う。ここで運命を制し、新たな伝説を打ち立ててみせよう。
 "Fire a volley, boys!"(さあ、行くぜ野郎ども、一斉射撃だ!)」

 残る第七騎兵隊に、最後の突撃命令(Charge)が下された。
 敵を取り囲むように銃撃領域が出現し、虚無からの掃射が開始される。

 同時に、もうじき登る朝日に先駆け、偽りの紅い太陽が照り輝く。
 崩れて消える先住民たちと入れ替わりに、墜落の結界が開かれる。

「好きに語れ。君とはやはり価値観が違いすぎる。
 それと今の言葉、君にとって不吉ではないのか?」 

「ハ―――ッハッハッハッッハ!!!!
 わからんかね!?
 不吉を越えてこそリベンジは成る、そういうものだよ!!」


 因縁の決着はここに。


「―――『朽ちよ、赤き蛮族の大地に(インテンス・ソルジャーブルー)』」

「―――『墜ちよ、蒼き荒鷲(ウィワンヤンク・ワチピ)』」


 同時に発した二者の詠唱が、戦いの最終局面を告げていた。




 紅と深緑の混じり合う大地が、どこまでもどこまでも続いてる。
 空はからりと晴れ渡り、乾燥した風が草の匂いを乗せて通り抜けていく。

 荒原には誰もいない。
 同胞の姿も、敵の姿も、人影の一つもない。
 ただ、雄大な自然だけが広がっている。

 シッティング・ブルは巌のように厳しい表情を動かさず、眼下の景色をじっと見つめ続けていた。
 砂と、草と、木々と、風と、その中で、一人ぽつねんと丘に立つ自分自身。
 もう何度この夢を見たのだろう。この先何度見るのだろう。
 遠い故郷。在りし時代の景色、失われた世界の残影。

 英霊と呼ばれる存在になって以来。
 どれほど長い時間、これを見続けているのか。
 彼にはもう分からなくなっていた。

 夢には力がある。
 彼の信じた神秘には、そういう教えがある。
 彼自身、生前何度となく、意味のある夢を見た。

 そのヴィジョンによって、部族を導いてきた。
 そんな彼であっても、今見ている夢の意味は掴めていなかった。

 ――永遠の保護区など嘘っぱちだった。
 ――白人たちはまた約束を破ったのだ。
 ――なあ、我らはあと何度、裏切られる? 

 一体、何のために。

 ――女子供まで容赦なく轢き潰す外道共め。
 ――もはや戦うしかないのだ。
 ――我々の土地を守るために。

 何のために夢を見る。
 何のために戦い続ける。
 何のために、ここに居る。
 何のために―――己は、英霊になったのか。

 ――だが、どうすればいい?
 ――タタンカ・イヨタケ、我々は。
 ――故郷を失った我々は、いったいこれから、どこへいけばいいんだ?

 同胞達を救いたかった。
 この大地で踏みにじられた彼らを。
 荒野に置き去りされたままの彼らを。

 だけど最期まで救い方が分からなかった。
 救えなかった。
 支えることが出来なかった。

 なぜなら、部族の中で、彼だけは分かっていたから。
 夢によって未来を見通す力を持つ彼は、誰よりも知っていたから。

 荒野を蹂躙する白人たち、テントを踏み潰す蹄の音。
 それは単なる外敵ではない。文明という、神話の更新。
 古き神秘を一掃する。次の時代の潮流だった。

 先住民の神秘は、新しき文明によって押し流されていく。
 雄牛(タタンカ)の群れは戯れに撃たれ、数を減らしていく。
 文明の侵略は止められない。

 ――教えてくれ、座する雄牛よ。
 ――我々は、どこへ行けばいい?

 故に救いなどないことを。
 どこにも、行き場などないことを。
 最初から全部分かっていたのに、なぜ抗う。
 見せかけの希望すら示せずに、なぜ戦う。

「よ、キャスター」

 沈痛に落ちて行くばかりの思考を打ち切ったのは、傍らから聞こえた声だった。
 景色に対しては少し場違いな服装、ジーンズとスニーカーが視界に映る。

「……悠灯か」
「また見てたんだな、夢」
「ああ、君もな」

 若いマスターが隣に立つ気配を感じる。
 そちらには目を向けず、じっと荒野を見つめ続ける。
 傍らで悠灯もそうしているのが分かる。

「仮眠だよ。もうすぐ聯合とドンパチ始まるみてえだし」

 伸びをしながら、少女は大きく息を吸って。
 いつかのように、ひょいとタバコを差し出した。

「アンタの夢、ちゃんとタバコの味するから得だな」

 にし、と。
 あどけなく笑う表情を直視できない。

 渡されたタバコを受け取る
 だが、言葉はない。
 彼女に何かを語る資格などない。
 救うべき者を救えなかった今の己には、救いたいと思うことすら烏滸がましい。

 そんな諦念がずっと渦巻いている。
 なのに、語らいたいと思ってしまうのは何故か。

「なに、見てたんだ?」
「地平だ」

 青空の続く先、無限に続くように思える荒原のずっと先。
 傍らの少女の産まれた国と、世界が繋がっている事実に、未だ生きる神秘を感じる。 

「そっか、相変わらず静かだな、ここ」
「ああ、だが……じきに、そうでもなくなる」
「――え」

 凪いでいた空気に、そのとき変化が訪れた。
 ドラムのような地鳴りが徐々に近づいてくる。

「……来る」

 にわかに、地平の境界が揺らめいた。
 黒く巨大な塊が地平の境界から飛び出し、次いで荒野に巻き上げられる土煙の渦。
 赤と緑しか無かった地を塗りつぶすように、新たな色がまぶされていく。

 地平から飛び出した黒い塊は一つではない。
 幾つも連なった大型の哺乳類の群れ。駆動する巨体が丘を駆け、津波のように大地を横断していく。
 まるで停滞していた時間を押し流すように。 
 二人の見下ろす地平が、あっと言う間に黒く染められていく。

「雄牛(タタンカ)、その大横断だ」

 野太い鳴き声と、跳ね上げられた土の匂い。
 荒野に叩きつけられる強靭な四肢。
 巨大な筋肉の塊のような肩部と、日光を反射する鋭い角が、溢れんばかりの生命力を放ちながら直進する。

 頭に羽飾りを付けた戦士たちが、白い馬に乗ってそれらを追っていく。
 気候によって住処を変える、アメリカバイソン。
 彼らを追って住処を変える先住民(インディアン)。 
 人が自然と調和していた頃の記憶。
 自然が育んだ生命達の躍動。かつて存在した神秘。

「なあ、キャスター」

 隣に立つ少女の表情は見えない。

「こんな景色がホントに、この世にあんのかよ」

 声が少し振るえている理由も、分からない。
 だから、ありのままを語る。
 残酷な事実だけを端的に。

「これもまた、神話だ」

 今や、あの小さなテレビの中に結ばれた映画の虚構と同じ。
 この世界に無いもの。

「だが、これは失われた神話だ」 

 アメリカの大地を埋め尽くす雄牛(タタンカ)の群れなど、もういない。
 開拓の歴史のなかで乱獲され、戯れに撃たれ、減らされ続けた彼らは今や、ひっそりと保護区に残されるのみ。
 この力強い自然の息吹は、既に世界から失われてしまった。

「もはや誰も、この景色を知らぬ」

 目を伏せる。もう何度、夢に見ただろう。
 積み上げられた雄牛の骨と革。
 そこに存在した筈の物語と共に打ち捨てられて、今や拾う者もない。
 駆逐されし、古き神秘たち。

「……そっか、そりゃ勿体ないよな」

 砂を踏む音に、顔を上げる。
 少女は数歩だけ前に出て、そうして振り向いた。

「……アタシは……さ、きっと忘れないよ」

 過ぎていく残影たちの前で、少女はタバコを咥えて笑っていた。
 分からなかった。彼女はどうして、笑っていたのだろう。
 どうして、笑いながら、泣いていたのだろう。
 この景色から、何を、受け取ってくれたのだろう。

「あと、どれだけ生きていられるか、分からないけど」

 風に乗って、紫煙が昇っていく。
 二人分の煙が、ゆっくりと昇っていく。

「アタシたぶん、死ぬまでずっと、この景色を憶えてる」 







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最終更新:2026年01月24日 14:33