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大知閑閑 小知間間
大言炎炎 小言詹詹
其寐也魂交
其覚也形開 
与接為構 日以心闘

大知は閑閑たり、小知は間間たり。
大言は炎炎たり、 小言は詹詹たり。
その寐るや魂交わり、
その覚むるや形開き、
ともに接りて構を為し、日に心を以って闘わしむ。


『荘子』斉物論篇





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 「"汝に命ず、生相より晶相へ"」

 魔術師の詠唱が、花園に響く。目前の少年姿の"アルターエゴ"と名乗るサーヴァントは、魔術師の詠唱とともに硝子のように転じ、あっさりと砕かれた。
 しかしその手応えのなさに、魔術師は狙いが外れたことを察する。

 「ハッ。我が叡智とサーヴァントを恐れ、寝込みを襲う卑怯者共でも我が魔術への対策位は用意してきたか」

 叡智を誇る魔術師は、物質の八相の移り変わりをすべて看破し操作すると豪語する超人だ。
 "固相"、"液相"、"気相"、"霊相"、"生相"、"炎相"、"晶相"、そして魂そのものたる"魂相"。
 魔術師はその変転を理解するがゆえに、高度な魔力探知と肉体強化、再生術すら応用で備えていた。
 なまじの英霊ならば、正面から撃破可能な達人。
 それこそが彼の自認であり、事実であった。

 「僕は君と、話をしにきただけだって言ってるのに」

 花園の蝶たちの中に、忽然と再び少年の影が立つ。学ランの上に袍をふわりと羽織った姿は、まるで重力を感じさせない。
 この少年───"アルターエゴ"は、確かにこちらを攻撃する姿勢は一切見せてはいなかった。
 それでも、魔術師にとって、夢に入り込んできた不埒者共の話を聞く理由など何も無い。

 そう。ここは夢だ。魔術師の夢の中の、花畑に過ぎない。
 見た目は多少現実らしいが、魔術師の知覚を欺くことが出来るほどでもない。

 「夢魔の類か、それとも夢に縁あるつまらぬサーヴァントか、さて」

 ───自らのサーヴァントと引き離され、敵サーヴァントと一騎打ちをする。
 一般的に絶望的とも言える状況ながら、魔術師は動揺を見せていなかった。
 それは自身の魔術に信を置いているのみならず、目前のサーヴァントがどう見ても"弱い"ことにも由来していた。
 英霊の戦いにおいては、これまでの対面は十分に長い。なのに"アルターエゴ"は、一度もこちらに有効打となる攻撃をしてこない。

 (攻撃をする気がないのか、手段がないのか。どちらにせよ、我や英霊の領域においては致命的な隙よ)

 例え夢の中であっても、彼の魔術ならば英霊の霊核に届きうるという確信がある。
 魂にすら届く術式というのは、そういう意味だ。

 対話に応じる気配のない魔術師に、アルターエゴは薄い笑顔で告げる。

 「つまらないね。君の叡智は、君の剣を輝かせるためだけのものなの?」

 「貴様ごとき白痴が、我が叡智の限界を語るか、笑わせる」

 アルターエゴは皮肉げに笑う。

 「人の知恵なんて狭小なものだとは思わない?魔術師。僕たちは夢を観ているのか、僕たちが現を夢見ているのか。木から離れた林檎は大地に落ちているのか、それとも大地が林檎に落ちているのか。神は死んだと哲学者は言ったけど、果たして死んだのは神の側か僕らの側か。一体誰が、真に理解していると───」

 滔々と語る少年の言を、魔術師が遮る。

 「───黙れ。その言で確信を持ったぞ。東洋の蛮人、紀元前の化石、無知を誇る未開人の詭弁家」

 「ああ、さすが智者。僕の真名に辿り着いたんだ」

 アルターエゴは眠たげな顔で微笑む。周囲を飛んでいた蝶の一匹が、その指先に止まる。

 「"群生に命ず。生相より晶相へ"」

 魔術師の詠唱が鋭く走る。狙いは少年───ではない。

 「アルターエゴとやら、貴様の真名は"荘子"だな。異教の開祖、厭世家の狂人。ならばその不死身のカラクリも知れようというもの」

 魔術師の狙いは、少年の指先の蝶───そして、周囲の蝶の全てだ。みしりと、何かが歪む音が夢を満たす。美しい藍色の蝶たちは瞬時に硝子細工のように代わり、そして成長し硝子の木に変じる。

 「はは。流石だね───」

 同時に少年の姿も搔き消え、その場には魔術師と硝子の森だけが残された。

 「"胡蝶の夢"。我らが世界とたかだか夢を等価だなどと語る、未開人の妄想がその力の根源だ。貴様は現実では人で、夢では蝶となるのだろう?ならばここでの貴様は蝶に過ぎん」

 下らん弱小が手こずらさせよって、と自嘲しながら魔術師は踵を返す。

 「我らが叡智は未開人の問いなどとうに解決している。林檎は大地に落ちるとともに、大地も林檎に落ちている。神々は死して解体され、その骸が我らの手にある。証明され尽くした真理だ。」

 確かな手応えを、魔術師は感じていた。
 硝子の森には動くものはなく、ただ風だけが吹いている。
 もはや干渉者のいなくなった、無用の夢から覚めようと魔術師は意識する。




 ───その瞬間。
 背後から、刃物が魔術師の心臓を貫いた。

 「───な。馬鹿な」

 魔術師は崩折れながら、背後を見る。そこには長い白衣を着た女がいた。その手には赤い令呪がある。

 (アルターエゴ──荘子の、マスター)

 魔術師の背から抜け落ちた刃物───ハサミを拾うと、女は悲しげに魔術師を見下ろす。

 「名乗る前にこんなことをして、ごめんなさいね。私の名前は空島想恵。アルターエゴのマスター」

 魔術師は叫ぶ。

 「貴様の、名などっ、どうでもよい!何故我が探知を超え、我を刺せた?何故ただのハサミが我の肌を貫く?何故我の体が───この、この程度の傷で───死にかけて、いる?」

 あり得ない。あり得るはずがない。
 八相の移り変わりを看破した、この偉大なる魔術師が、何故。
 魔術師の信ずる、あらゆる知識に反している。
 ここは魔術師の夢だ。魔術師の理解の通りに、魔術が振るえていた。何故今更。

「"全景に命ずる。生相より火相へ"!」

 周囲の生物を遍く焼くはずの魔術師の詠唱は、ただの血を吐く叫びとなって落ちる。空島想恵と名乗った女に、なんらの影響もない。

 さらに目前に、もう一つの不条理が生じる。橙色の蝶がどこからか飛んできて、空島想恵の肩に止まる。

 「僕は別にいいけど、ずいぶん出てくるのに時間かかったね。こいつを倒すのなんて、いつでも出来たのに」

 蝶は眠たげな少年の声で語りかける。
 魔術師は、ただ呻く。

 「何故だ。何故まだ、貴様が。未開の詐欺師」

 空島想恵は少し困った顔になる。
 血に濡れたハサミを持つ姿と妙にアンマッチで、魔術師は臨終の苦痛の中でも苛立ちを感じる。

 「ええと。一つずつ説明するわね」
 「魔術師さん。ここはもう貴方の夢じゃないのよ。ここは私の夢。だから───私に理解出来ないものは、存在しないの」

 空島想恵は、さらりと語る。

 「……は?」

 魔術師は絶句する。
 空島想恵は、構わず言葉を続ける。

 「私はずっと、魔術の存在を知らず生きてきたの。聖杯に知識は与えられたけれど、まだ理解には全く及んでないわ。だから───私の夢には、理解できない魔術は出てこない。私が出てきた時点で、そうなるの」

 侵入者を発見する魔力探知も、肉体を強化する術式も、致命傷すら回復する再生術も、全ては無意味。
 唖然とする魔術師の前で、蝶は少年の声で吹き出すように笑う。

 「あはは。僕のマスターは面白いよね。理論と経験とで固く立てられた基盤の上で、夢すら定義してしまってるんだ」
 「だからこそこんなことも出来るし、君の夢を上書きすることだって出来るんだよ」
 「そしてここでは当たり前に、現実のように、死ねば二度と蘇らない」

 だから残念だけど、君は死ぬんだ。
 アルターエゴはあっさりと告げる。

 そんな馬鹿なことがあってよいものか。

 「我らが叡智が。100年先をゆく、魂と物質の根本の真理を操作する魔術が、貴様ら未開に理解できるものか」

 「ええ。随分長く見させて貰ったけれど、ほとんど理解できなかったわ。本当に、学べるものならぜひ学びたかったのだけれど。待たせてしまってごめんなさいね、アルターエゴ」

 蝶は呆れたように、パタパタと羽をはためかせる。

 「僕がまだ居る理由も聞いてたかな、魔術師」

 少年らしい高い声には、明確な憐れみがある。
 臨終となってなお疑問を呈す、哀れな智者を憐れんでいる。

 「当たり前のことだよ。僕は胡蝶の夢。いったい誰がどうやれば、夢から蝶を消し去ることが───蝶という自由な生き物そのものを、忘れることが出来るんだろうね。智者たる君なら、知ってるのかな」

 有り得ぬ。何だ。これは。
 叡智が無知に負け、開明が未開に負けるなど。

 「我らが……我らが叡智への冒涜だ。馬鹿が理解できぬと云うだけで、我らが叡智が通じぬなどと」
 「ええ。ごめんなさいね。貴方の魔術はこんなにも完成されているのに、私はその理解から遥か遠い」

 魔術師の悪罵に、空島想恵は目を伏せる。

 「どうか許してちょうだい。貴方の魔術の精髄を、この一端しか理解出来なかったことを」

 空島想恵の手が伸びてくる。
 止めろ、触れるな。馬鹿が。無知が。未開が───。
 喉は血で塞がり、言葉にならない。

 空島想恵の、柔らかな声が響く。

 「"汝に命ず。生相より晶相へ"」

 ───空島想絵が理解した魔術は、彼女の夢の中で存在を許される。
 世界が歪む。叡智を誇った魔術師は小さなうめき声だけを残し、硝子の木に姿を変え果てた。




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「───ん」

 空島想恵は、大学の研究室のデスクで目を覚ます。
 彼女のロールは、この研究室の若き助教だ。
 現実では彼女はアメリカの大学で助教をしているが、設備や分野に大差はない。
 着たきりになっていた白衣を払い、彼女は立ち上がる。
 まだ空が白み始めたばかり、明け方前の研究室には他に人影はなく、彼女はアルターエゴに念話を送る。

 『おはよう。アルターエゴ』
 『その挨拶は、僕には無意味なものだけど。それでもおはよう、マスター。良い朝を君が送っているよう願っているよ』

 ───あの魔術師の叡智はアルターエゴ、"荘子"の本質をほとんど看破していた。けれど、一つだけ些細な見逃しがある。
 荘子のクラスが"アルターエゴ"である理由。

 『あなたが私のサーヴァントで、本当に良かったわ。"夢の中の蝶"そのもの。なんて美しい救いかしら』
 『現実に実態を持たないサーヴァントなんて、普通引いたら外れだと思うはずなんだけどな』

 荘子の思想を体現したエピソード、"胡蝶の夢"。
 究極の相対主義。"荘周が蝶の夢を見ている"のか、"蝶が荘周の夢を見ているのか"。どちらが真実かなど誰にも分かりはしないし、どちらが真実だとしても同じことだと謳ったエピソード。
 それゆえに、夢の蝶たる"荘子"もまた英霊として存在を許された。"そちらが真実である世界"もまた、等価に存在するのだ。

 英霊より完全に分離した、一部でありながら全てでもある特異な英霊。
 よって"荘子"のクラスは、アルターエゴ以外ありえない。
 そしてアルターエゴは、夢の世界にしか実体を持たない。そして、夢の世界において彼を倒すのも難しい。
 最弱に近い英霊ながら、それゆえに"倒しにくい"英霊。それが"荘子"だ。

 『あら、そんなことを言って。あなただって現実に干渉出来ないわけでもない、そうでしょう』
 『そうだけどさ。本当に、蝶の羽ばたきくらいでしかないのに───よく、思いつくよね』

 空島想絵の手には、夢の中で魔術師を刺したハサミがある。
 しかし今度は、それは正しい用途で使われている。すなわち、紙を切るために。

 『ふふふ。切り絵は、子供の頃から趣味なの。両親も兄さんも、褒めてくれたのよ』

 デスクの上には、沢山の切り絵が量産されている。その全てが蝶だ。アゲハ、モンシロ、ルリタテハ、オオムラサキ、その他諸々………中には、この世には存在しなさそうな蝶もいる。
 空島想恵は謳うように、柔らかく呟く。

 「蝶の羽ばたき程度に、現実に干渉出来るのなら───当然、切り絵の蝶を飛ばせることも出来る」

 紙で出来た、切り絵の蝶たちがふわりと舞う。群れだって未明の研究室の中空を飛ぶ。夢世界のアルターエゴが、これを操っているのだ。
 これだけなら、ただ綺麗なだけに過ぎない。
 けれど、空島想恵には特権がある。
 彼女の肩書は"生化学系研究室の助教"。そして、もう一つは"投資家"。

 『"邯鄲散"とやらをこの蝶たちに染み込ませるなんて。この世界には存在しない麻酔ガス。液体状で安定的に保持でき、コントロールしやすい刺激で気化、そして僅かな量で強力な作用を持つ───僕の好みじゃないけど、とても綺麗で効果的だとは思うよ』

 空島想恵の投資により元の世界で販売された、高性能な麻酔ガス"邯鄲散"。彼女はそれをこのラボで、聖杯戦争に必要な程度を生産していた。

 この切り絵の蝶たちの役割は3つある。
 魔術に疎い主従ははっきりとは認識していないが、切り絵の蝶は偶然にも、アルターエゴの現世における依代として機能してもいる。
 1つ目は、アルターエゴの現実への知覚基盤。彼はこの蝶を介して、現実の状況を知覚できる。
 2つ目は、麻酔ガス"邯鄲散"により睡眠に落とすこと。出力を調整すれば、自然なうたた寝に見せかけることも、即座に昏倒させることも出来る。
 3つ目は、アルターエゴが夢から夢へと渡る架け橋。彼は、この蝶の側で眠る人間の夢に狙って入ることが出来る。

 ───あの魔術師も、町中で他主従を倒しているところを、切り絵越しに探知をしていたアルターエゴが見つけた。そして、寝込みに蝶を忍び込ませたのだ。
 現実での戦闘能力を欠くアルターエゴ主従にとって、この切り絵の蝶たちは貴重な手札だ。

 『私が来た世界と、この世界は少し違うのよね』

 美しく巡る蝶の群れの中で、空島想恵は首を傾げる。直接彼女が関わる部分以外にも、大小様々な差異がある。最も大きいのは、この"東京"自体だ。



 『色んな人の夢を覗いたけれど、結局まだ分からないわ。どうして、2024年に東京があるのかしら?』



 忘れるはずもない。
 空島想恵の元の世界では、2009年に東京は滅んでいる。全域でありとあらゆる形の破壊が吹き荒れ、数え切れない人命が失われた。
 そして、彼女の愛する両親は"行方不明"になり、愛する兄は二度と目覚めない眠りについた。
 学校の行事で東京を離れていた、彼女ただ一人を残して。



 物音一つ立てず、研究室の中に少年の幻像が現れる。干渉の起点たる切り絵の蝶がこれだけいれば、この程度の幻像を用いた干渉は十分可能だ。
 学ランの上に袍を羽織った少年───アルターエゴは、眠たげな笑みのまま、空島想恵に語りかける。

 『逆に考えるべきだと思うな。"どうして、2009年に東京は滅んだのか"』
 「………震災と、外国の大規模テロが最悪の形で合わさった大災害よ。それが…、?」

 空島想恵はそう答えるが、直後に気づく。
 "魔術"の世界の一端を知った今、考えるべきことは"真の原因"だ。
 果たしてこの巨大都市東京が本当に、表向きの理由だけで滅んだのだろうか?

 『君も見たんでしょう?彼女を』
 「あの子が、東京を滅ぼしたって言うの?」

 ───一つだけ、原因に心当たりがあった。
 あるマスターの夢に入ったとき見た、光の剣を振るう女の子の記憶。
 燃える東京を背後に天真爛漫に笑っていた、白髪の少女の記憶。
 地獄の風景の中で、ただ真っ直ぐに水晶の瞳を輝かせていた彼女の記憶。
 名前は、確か。

 「神寂、祓葉」

 つい彼女に見惚れているうちに、夢は終わっていた。その主従も見失い、追跡も出来ていない。ただ一瞬の、記憶に残る残滓を見ただけに過ぎない。
 それでもその印象は、焼き付いたように残っている。
 本来一人の少女が東京を滅ぼしたと言われても、冗談のようにしか聞こえないのに。神寂祓葉には、何故かそれだけの説得力があった。

 アルターエゴは笑う。

 『さあ。マスター。貴方の家族を殺した、仇の名前───かも、しれないものが分かったよ』
 『それでも、君の願いは変わらないかい?』

 願い、というのはもちろん聖杯に願う願いだ。
 15年前の真実を知ることなど、確かに万能の願望機でも使わなければ困難を極めることかもしれない。
 あるいは、それを願いにする───あるいは、復讐を望む人だっているのかもしれない。
 けれど。

 「アルターエゴ、それは愚問というものよ」
 「知っているでしょう?私にとって万能の願望機は、万能でもなんでもないの」

 空島想恵は、理論と経験で固く立てられた世界で生きている。
 万物は物理化学の理に沿って巡り、死者は生き返らず、エントロピーは常に増大し、時間は戻ることがない。
 そうであるべきだと、信じている。
 夢想なき理想家。それが、彼女の自認だ。
 だから、夢の中ですら───愛する家族に、再び会うことすら出来ない。
 魔術師に理不尽を味あわせた空島想恵の夢は、そのような精神性の結果でしかない。

 「私には、"出来ることしか出来ない"」
 「そんな私が聖杯を使っても、万能なんてものとはかけ離れているわ」

 知り得ない知識を知ることすら出来ない。
 死者を生き返らせることすら出来ない。
 ただ何かを作り出すことすら、もしかしたら出来ないかもしれない。
 そんな卑小な万能こそが、空島想恵の戦いの果てにあるものだ。

 空島想恵が信じられるのは、自ら学び、確固たるものとした基盤だけ。理論だけ。
 そうでないものなどすぐに崩れると、15年前に───2009年に、知ったから。

 きっとこの場にくる前なら、聖杯をほいと与えられても空島想恵はただ困惑するだけだっただろう。
 願わなければ叶わないことは叶えられなくて、願わなくても叶うことしか叶わないだろうから。


 「あなたに会えたのは、本当に、奇跡のようなもの」
 「人はあなたのようになれるのだと、学べたんだもの」


 だからこそ。
 アルターエゴは、荘子は、彼女にとって唯一無二の英霊だ。
 彼女の理解からはるか遠い魔術や神の奇跡ではなく、精神と思考によって超克を成した覚者の欠片。


 「誰もがあなたのように、自由に夢を見れる───夢の中で願いを叶えられる、そんな素敵な世界を望んでもいいと知れたのだもの」
 「この願いが、変わることなんてないわ」

 ───そんなささやかな明晰夢の自由を、自分に、世界の皆に与えることこそが、空島想恵が聖杯に捧ぐ願いだ。
 "夢の中でもいいから、家族に再び会う"ために。彼女は夢を血で染めることを選んだ。
 2009年に静かに壊された少女は、今もなお一つの論理と理想のために動いている。


 アルターエゴは、満足そうに───あるいは寂しそうに、憐れむように笑う。

 『あはは。いや、本当に、愚問だったね』

 ───サーヴァント・アルターエゴこと、荘子。彼は聖杯に願う願いを全く持ち合わせていない。
 彼はあるがままを受け入れた、無為を信奉する隠者。本来の"荘子"こと荘周は、ルーラークラス以外では召喚されないほどだ。

 だが荘周であることを忘れた胡蝶ゆえに、"アルターエゴ"には蝶の好奇心が残されている。"ルーラー"にない私心がある。
 幸せに生きればいいはずの夢すら規定し自縄する、この憐れな理想家への好奇心がある。
 その一欠片の好奇心が、彼がこの聖杯戦争に手を貸す理由だ。

 『天に覆われて人を知らざる僕を、呼び出せた人』
 『僕を殺しうる渾沌の七穴。僕とは違う理想家───あるいは、僕以上の夢想家』

 大切な飴玉を舐めるように、アルターエゴは"空島想絵"と名前を呟く。
 いつも憐れみを含んだ笑顔の彼が、真剣な顔を作る。

 『聖杯になんてちっとも興味はないけど、君の行く末には興味があるんだ』
 『この聖杯戦争の果てまで、僕を連れて行ってくれたら嬉しいな』

 アルターエゴの言葉に何かを返す前に、少年の姿はかき消えていた。
 東京の未明の空を、窓から出た切り絵の蝶たちが飛んでいく。彼の僅かな幻覚により、遠目にはそれらはただの蝶と区別はつかなかった。

 「───ええ。勿論」

 手の中にたった一匹残った切り絵の蝶を、空島想絵はそっと撫で、胸にしまい込んだ。


【クラス】
アルターエゴ

【真名】
荘子@荘子

【属性】
中立・中庸

【ステータス】
筋力E 耐久E 敏捷C 魔力B 幸運A 宝具EX

【クラススキル】
単独行動:EX
 マスターの支援なしで、単独で行動し続けることが出来るスキル。
 アルターエゴは現世に実体を持たず、それゆえに支援を一切必要としない。
 しかし要石たるマスターを失えば現世への干渉手段を失うので、ただ夢の中で飛んでるだけの蝶になってしまう。
 あまりにもピーキー故の、EX。

陣地作成:D+++
 アルターエゴの夢を、周囲に展開するスキル。
 現世においても行使出来ないこともないが、基本的には精々僅かな幻視を見せる程度の意味しかない。
 夢の内部においては、やろうと思えば相手の夢を上書きして書き換えることも出来るほどの出力を持つ強力な幻術として作用する。
 基本的に攻撃には使用されず、彼の"対話"の一部として使うことが多い。

【保有スキル】
存在しない者:A
 本体が夢の中に存在し、現実に一切存在しないことを表すスキル。それ故に魔力消費は理論上ゼロに等しく、またある程度距離の概念を超えて現実に干渉出来る。
 なお、宝具使用時は現実に実体を曝す関係上このスキルの効果は喪失する。

夢蝶の羽搏き:E
 夢世界に実体を置きながら、現実に干渉するスキル。所詮はただの蝶であるため、ランクは低い。
 最大出力でも、物理的に干渉出来るのは蝶の羽ばたき程度。一方で現実の知覚情報の探知は、マスターや依代を介した上ではあるがそれなりの精度を持つ。
 また、複数の依代を介することで現実に幻影を生じさせることも可能。

万物斉道:A
 すべての者が"道"を持つことを知っており、またそれを知覚出来るスキル。
 アルターエゴはただの蝶でありながら、夢から夢へと飛び他者の夢へと入り込むことが出来る。
 また、彼が望むなら少数の人物を共に他者の夢に導くことも出来る。


【宝具】
『斉物論篇・胡蝶之夢(ドリームオブアバタフライ)』
ランク:EX 種別:対界宝具 レンジ:? 最大捕捉:?

 「世界が僕を夢見ているのか、僕が世界を夢見ているのか。正しいのはどちらか、一体誰が分かるっていうんだろうね?」

 "荘子"の根幹たるエピソードそのもの。
 夢と現実の垣根を壊し、世界を文字通りの"胡蝶の夢"に書き換えていく、論理により成る対界宝具。
 夢に落ちた世界は、彼の思うがままに転変する。

 ───と言えば極めて強力な宝具に思えるが、実際には扱いの難しい宝具。
 まずそもそも消費魔力量の問題があり、世界そのものを書き換えることは実際にはかなり困難。
 そして、弱点たるただの蝶に過ぎない彼本体が、夢と現実の接点として現実に出てくる必要がある。
 聖杯戦争の勝敗に拘らない彼に、この宝具を使わせること自体も困難。

 だがそれでも、理論上果てのない出力を持つこの宝具は、条件さえ揃えばそれだけで聖杯戦争を終わらせる鬼札となる。

【weapon】
 本来はなし。
 この聖杯戦争においては、想恵が作った切り絵の蝶。

 夢世界に存在する彼が現実に与えられる影響は極めて微弱であり、まさしく蝶の羽ばたき程度。
 しかしマスターである想絵の作る、切り絵の蝶を動かす程度は出来た。依代たるこの蝶はアルターエゴの干渉の起点となり、彼が夢から夢へと渡る橋にもなる。
 そして、想恵の麻酔ガス"邯鄲散"──あるいは、他の何かの散布元にだってなる。

【人物背景】
 春秋戦国時代の思想家。本名は荘周であり、『荘子』の作者として伝わる道教の開祖の一人。
 超越的な存在や魔術の介入なく、ただ思索と論理によって悟りを成した覚者。
 ──の見た夢の中の"蝶"としての荘子こそが、アルターエゴたる彼。

 荘子の"万物斉道"の思想と、それを信じる人たちは、人たる荘周と別に、蝶たる彼もまた等価な英霊として定義した。
 英霊そのものであると同時に、切り離された一部である彼はアルターエゴのクラスを得ることとなる。

 サーヴァントとしての霊格自体は相応に高いが、荘子の"無用"を体現し、本来徹底的に"役に立たない"サーヴァント。
 聖杯戦争に対するモチベが0、武勇の逸話0ゆえ戦闘能力もほぼ0、本体が実体すらない蝶と心技体揃った役立たず。
 一般的な魔術師が何かの間違いで召喚したら、延々夢の中で冷やかしながら飛んでるだけで終わる。

 道教の始祖と言われるが、彼の思想と後世の道教には多くの相違点がある。
 道教において彼は"南華老仙"の尊号を与えられる高位の仙人だが、荘子は寧ろ生死に固執することや超人的な力を得ることへの無意味さを語っている。アルターエゴもこの名前で呼ばれると嫌な顔をする。やめてあげよう。

【外見・性格】
 本来の外見は、見るものによって色や模様を変える一頭の蝶。
 夢の中やスキル:"夢蝶の羽搏き"で見せる幻像としては、黒の長髪を後ろで括った、10代前半の少年の姿を取る。
 いつも遠くを見ているような、ぼんやりとした夢見がちな、虚無的な言動がデフォルト。
 この際の服装は学ランの上に袍(漢服の上着)を羽織ったもの。

 夢と現実の区別のつかない夢想家。道を知り、無為なるを信ずる覚者。
 夢世界の蝶を本体として召喚されたが故に、その傾向は生前よりもさらに強まっている。
 願いに振り回される聖杯戦争の参加者たちを深く憐んでいるが、一方でマスターが他者を殺すこと自体にも頓着はしない。
 アルターエゴにとって生や死、正義や悪の観点は無意味であり、ただ道を知らず人為に揺れる彼らを憐れむのみ。

【身長・体重】
 蝶としては開長60mm,0.3g。
 少年としての外見は162cm,55kg。
(あくまで幻覚であり、体重は参考値)

【聖杯への願い】
 本来はなし。
 "荘子"こと荘周は聖杯に願う一切の願いを持たない。
 しかし蝶たる彼には蝶の好奇心がある。

【マスターへの態度】
 憐みと好奇心。
 夢を愛しながら、夢に現実を忘れることすら出来ない想恵を憐れんでいる。
 そしてこのような、荘子の思想から反する想恵がアルターエゴ──"蝶の夢"としての荘子を召喚したことと、その行く末に好奇心を抱いている。


【名前】
空島想恵/Sorashima Omoe

【性別】

【年齢】
26

【属性】
中立・善

【外見・性格】
 穏やかな雰囲気の、肩までの長さの濃い茶髪の女性。
 ある大学において助教として研究をしており、また投資家としても名が知られている。
 足首近くまである白衣はサイズを間違えて注文したためだが、今では気に入ってそのまま使っている。
 学外ではフォーマルな格好を好むが、地面に付きそうなくらい裾の長い上着は彼女のデフォルト。

 「一夜で終わりうる世界なら、その一夜を、もっと価値あるものにしないとね」

 穏やかな性格ながら、信念ある女性。
 彼女の最初の願いは、きっと二度と目覚めることのない兄の眠りが幸福なものであることだった。
 この信念は彼女の研究、そして投資にも繋がり、やがて彼女は世界の人々に幸福な眠りがあるようにと願うようになる。

 聖杯戦争に呼ばれ、"アルターエゴ"と出会ったことで、彼女の願いはより具体的な形を持つ。

 「アルターエゴ、あなたと出会えてよかったわ。モノも大事だけれど、それ以上に精神のあり方こそが、夢を──いや、世界を、幸福なものにするの。」

 誰もがアルターエゴのように、自分の人生をあるがままに受け入れる世界。そのような人々であってこそ、夢は本当の意味で自由な世界となる。
 彼女は理想のために、聖杯戦争を戦い抜くことを決めた。
 たとえそれが、彼女の愛する夢を誰かの血で汚すとしても。

【身長・体重】
166cm, 61kg

【魔術回路・特性】
質B、量E
魔術とは元々全く無関係な人間であり、聖杯戦争に際して与えられただけのもの。
素質はあったのか質は中々良いが、量は絶望的。
もっとも彼女のサーヴァントが"アルターエゴ"である限りは大した問題はないだろう。

【魔術・異能】
"夢想なき理想家"
 彼女の、論理と経験の上に強固に立つ精神。
 2009年の東京の滅びが、彼女の傾向を決定づけた。
 本来はただの精神のありように過ぎないが、アルターエゴの力により夢を旅する際に、特殊な性質を彼女の夢に齎すことになる。
 彼女の夢の中は、彼女の現実と同じように規定されており、中では彼女が"理解出来ないこと"は一切起きない。
 魔術を理解しない彼女は、ほとんど一切の魔術の行使を阻止出来る。
 そして、彼女の夢の中で死んだ者は本当に死ぬ。
 彼女は魔術も蘇りも、真に理解してはいない。

"解析"
 彼女がまだ自覚していない、与えられた固有魔術。彼女の魔術の理解を助け、真に深く"理解した"魔術を、固有魔術の特性や生物的特性を無視して行使可能となる。
 もっとも魔力消費はそのままなので、彼女の絶望的な魔力量で現実で振るえばすぐにガス欠になる。(夢の中なら魔力消費は無視出来る)
 また、当然理解すればするほど、上記"夢想なき理想家"で阻止出来る魔術の幅は減る。
 スペック自体は間違いなく強力な魔術だが、本人との噛み合いが悪くハイリスクなものになっている。

"邯鄲散"
 彼女が投資したことにより成功した製薬会社が売り出した、高性能な麻酔ガスの通称。
 液体として長期間保管でき、必要な際には簡単な刺激で気化させ利用可能で、即効性が強い。

 本来この"東京"には存在しない物質だが、彼女は大学の自身の所属するラボで、聖杯戦争に必要な量を自ら作成している。
 アルターエゴの操作する切り絵の蝶に染み込ませ扱うことで、蝶に近づいた任意の人物を眠りに落とすことが出来る。

【備考・設定】
 かつて存在した高級路線寝具メーカー、"ドリームスカイ"の創業者一家の娘。
 幸せな家族の生活は、彼女が11歳の時の東京の崩壊により終わりを告げる。両親は"行方不明"になり、優しく夢見がちな兄は二度と目覚めない眠りに就いた。

 これをきっかけに、彼女は理論を信奉する現実主義者となる。物理化学、生物学に傾倒したのも、自分という存在を理解しなければならないという飢餓感によるもの。そうでなければ、自分が存在していることにすら確信を持てなかったから。

 彼女は海外の大学に行き、生化学分野において睡眠の機構に関する研究をするようになる。そしてその傍ら、"人類の幸せな眠り"に繋がるような企業に、積極的に投資をしていくようになる。
 新興の睡眠ゲームアプリメーカー、確かな腕ある古豪ながら時代に乗れない寝具メーカー、挑戦的な小規模製薬会社。
 無軌道とも言える行動はしかし成功し、彼女は"睡眠投資家"──あるいは"睡眠研究者"として名声を得る。

 しかしどのように名声を積んでも、理性に支配され規定された彼女は夢の中ですら家族に再び会うことが出来ない。
 彼女はやがて、両親の遺品の一つである柱時計の修理に訪れた時計店で、ある"時計"に出会う。

 彼女は"第一次聖杯戦争が2009年に起きた、2024年"から呼ばれたマスター。この世界では東京の崩壊はテロリズムと震災によるものとして辛うじて神秘の秘匿が成立しているが、それに納得していないものももはや少なくはない。

【聖杯への願い】
 誰もが夢の中で、幸せに生きる権利を持つ世界。
 あるいは、夢の中で再び家族に会うこと。

【サーヴァントへの態度】
 彼女の理想の体現者。
 "夢"に対する考えは必ずしも一致しないが、その程度の齟齬は埋められるものだと考えている。

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最終更新:2024年06月14日 23:07