悪国征蹂郎(あぐに せいじゅうろう)にとって最も古い【戦い】の記憶は彼がまだ物心が付かない幼少期のものになる。
場所は夜の森。
幼き征蹂郎は大木の根元の物陰に隠れていた。
視線の先で、ふたつの人影が対峙している。
巨大(おお)きな男たちだった。
両者共に筋骨隆々とした肉の鎧を纏っており、これまで積み上げてきた研鑽を肉体ひとつで誇示している。まるで昔話に出てくる鬼のような出立ちだ。
そんなふたりが──殺し合っていた。
彼らの手に武器の類は無い。
銃も、刃物も、鈍器も──何もない。
素手での殴り合いだけで互いの生命を削っていた。
片方の男の砲弾のような拳が、もう片方の腹に突き刺さる。鈍く重い音。常人であれば内臓破裂は免れない一撃だったが、それを食らった偉丈夫は吐血どころか嘔吐さえせず、代わりに野獣の如き咆哮を吐き散らしながら右腕を振りかぶる。掌底。矢を思わせる速度。撃ち抜かれる顔面。爆竹じみた音が炸裂する。それでも勝負は終わらず、次は互いに全く同じタイミングでローキック。丸太のような剛脚の交差。けたたましい音が空間を軋ませる。ふたりの一挙手一投足に合わせて、周囲の空気までもが恐怖と興奮で震えているかのようだ。
壮絶な【戦い】だった。
一連の光景を物陰から眺めている征蹂郎は何も知らない。
彼らが何者なのか。
どういう関係なのか。
なぜ戦っているのか。
そもそもどうして自分がここにいるのか。
何も知らない。
唯一確かなのは、この【戦い】がふたりの内どちらかの死で以てしか終わらないということだけ。
そしてその終わりは──突然訪れた。
汗が滴り、涎が落ち、血がしぶく──【戦い】の最中に大の男ふたりが撒き散らした体液で周囲一帯が泥濘と化していく。ふたりの内ひとりがそこに足を取られ、ほんの少しバランスを崩した。長時間の戦闘で心身共に消耗していなければ起こり得ない程に些細な、されど重大なミスだった。
生じた隙は僅か一瞬。
だが猛獣が好機を見出すには十分な時間である。
それを見た相手はすぐさま飛び掛かった。僅かにしか傾いていていなかったバランスが完全に崩壊する。男たちは縺れ合いながら地面にダイブした。
ばしゃあんと音を立てて泥水の飛沫が飛び散る。それらが地面に弾ける頃、馬乗りの体勢が完成していた。最初にバランスを崩した方が下。押し倒した方が上。どちらが有利かなんて、当時これが初めて見る【戦い】だった征蹂郎にすら即座に理解できた。
もはや、この体勢から始まるのは【戦い】ではない。
一方的な暴力だ。
馬乗りになっている男がパンチを放つ。
一発だけでは終わらない。
何発も──何発も、何発も何発も何発も何発も何発も何発も何発も何発も何発も何発も何発も何発も何発も何発も何発も何発も何発も。
流星群の如き勢いで拳が振り下ろされた。
敷かれている側もされるがままではいない。
身を捩ったり手足を振り回したりで逆転を試みる。けれども圧倒的なマウントポジションの前では虚しい抵抗だった。そうして無駄に体力を消費したところにまた殴打。歯の欠片が混ざった血が征蹂郎の足元にまで飛び散った。
凄惨な暴行が続いた後──それまで殴られていた男が腕を伸ばした。
それは羽虫が留まるだけでぱたりと横倒れになってしまいそうなほどに力のない動きだったが、元より力を要する行動ではなかった。
彼の腕は腹上に座す敵対者ではなく、征蹂郎が潜む物陰へと向けられた。
何か、とても大事な物を掴むような。
あるいは──その掌にすっぽりと収まる程度の大きさしかない幼き征蹂郎の頭を撫でるかのような。
そんな慈しみめいた意図が感じられる所作だった。
続けて彼は何かを言った。
血で塞がった咽喉から放たれる声はくぐもっており、意味のある言葉になっていなかったが──それでも、確かに呟いた。
「█████」
それを最期に彼は事切れた。
腹上の敵はその後も殴打を繰り返す。死体に更なる損壊を加えようという下種な魂胆があるのではない。【戦い】の興奮によって、眼前の死を認知する能力が麻痺していただけだ。彼の拳が止まったのは、それから五分以上経ってのことだった。その頃にはもう、敗者の顔は骨まで潰れて原形を失っており、身元の特定が不可能になっていた。
マウントポジションを解除し、立ち上がる勝者。眼下で横たわる敵に目を遣ると、その脇腹に蹴りを入れる。反応は無い。完全に死んでいた。その時になってようやく勝利を実感したらしく、緊張を解く。そのまま地面に倒れかねないほどの脱力ぶりだったし、実際そうなってもおかしくないほどの疲労が男の体にのしかかっていたはずなのだが、彼はそのままぬかるみの上を歩いた。目的のない放浪ではない。征蹂郎がいる物陰へと進んでいる。まるで【戦い】が終わったらこうすることが予め決まっていたかのように迷いのない足取りだった。
やがて征蹂郎の元に辿り着くと、男は両手で脇を掴み、軽々と持ち上げた。両者の標高が一致する。
その時になって征蹂郎は、それまで夜の暗がりで判然としなかった男の顔をようやくはっきりと捉えることができた。
その相貌は血と泥に塗れており──そして。
にっこりと。
まるで探し求めていた宝物とようやく巡り会えた幸福を感じているかのように。
多幸感に満ちた満面の笑みを浮かべていた。
この時の記憶を思い返す度に征蹂郎は思う。
きっと、あの時ふたりは俺ひとりの為だけに命を懸けて戦っていたのだろう──と。
これが一番古い【戦い】の記憶。
記憶のフィルムが早送りされ、五年ほどの月日が経過する。
悪国征蹂郎、八歳の頃である。
その時もまた、彼の傍には濃密な【戦い】が存在していた。
より具体的な言い方をすると──彼は日本のどこかにある暗殺者養成施設で訓練を受けていた。
具な経緯は時の流れによって忘却の彼方に消え失せてしまったが、「気付いた頃にはそこで生活していた」というのが征蹂郎の認識だった。
なんなら【
悪国征蹂郎】といういかにも偽名じみた名前だって施設から与えられたものである。
ふたりの男の決闘の記憶が無ければ、彼は自分がこの施設で誕生したとさえ思っていただろう。
施設での日々は過酷なものだった。
朝は日が昇る前から始まり、大人ですら根を上げるであろうほどに激しいトレーニングが叩き込まれる。合間に食事の時間が挟まれるものの、必要最低限の栄養摂取のみを目的とした献立はもはや食事というより給餌と言い換えるべき内容だった。そんな一日が終わる頃には身も心も限界を迎えており、気絶同然の入眠。数時間後に起床──この繰り返しだ。
施設には征蹂郎の他にも同年代の子供が何人かいた。だが、その顔ぶれは頻繁に更新されていた。訓練中に事故を起こしたり、対人を想定した模擬戦で死んだりする者が後を絶たなかったからだ。中には施設での生活に耐えられず脱走した者だっていただろう。無事に逃げ切れたかは定かではないが。
ちなみに征蹂郎が施設からの脱出を図ったことは一度たりとて無い。物心付いた時からそこにいる彼にとって、逃げた先に在るという『外の世界』なんて想像すらできなかったからだ。
ともあれ訓練生の欠員はよく発生していたわけだが、どういうわけか数日も経てば新顔が加わっており、カリキュラムは滞りなく進められた。
施設が何を目的として暗殺者を育てていたかは分からない。どこかのカルト教団お抱えの暗殺集団だったのかもしれないし、あるいは大国との戦争に備えて設立された秘密組織だったのかもしれない。ひょっとしたら金と引換に暗殺者を派遣する裏の世界の企業だったのかも。真相は藪の中だ。施設の大人たちが征蹂郎に教えてくれたのは殺人以外には役に立ちそうもない知識と技術だけである。
このような環境で少年時代を過ごし、何年もの月日が経過した頃には、
悪国征蹂郎という男はひとりの暗殺者として完成を迎えつつあった。
そんなある日、施設から【最終課題】と題されたひとつの指令が入る。
その内容は「とある内戦国に潜入し、部隊長や指揮官を始めとする有力者数名を暗殺せよ」というものだった。
最終課題──これまで施設で過ごした地獄の日々の総決算にも等しい任務である。
征蹂郎はそこに特別な感傷を抱かずに出発の準備を淡々と整えると、指令を受けた三日後の朝には指令にある内戦国の土を踏んでいた。
遠い異国においても彼の周囲には【戦い】があった。
標的(ターゲット)から死に物狂いで抵抗された。暗殺者の噂を聞きつけた武装集団から襲撃を受けた。時には町中で唐突に勃発した銃撃戦に巻き込まれもした──【戦い】の連続の日々。
常人なら命がいくつあっても足りなかっただろう。だが征蹂郎は傷ひとつ負わずに粛々と任務をこなし続けた。やがて指令にあった標的(ターゲット)全てを殺した頃には国内の勢力図(パワーバランス)が崩壊し、内戦が終結していた。
五体満足のままの任務の遂行。
これ以上ない成果である。
最終課題は文句無しの合格だろう。
このまま組織に戻っていたら征蹂郎は恐るべき暗殺者として更なる活躍を残していたに違いない──だが。
そうはならなかった。
なぜなら──征蹂郎が帰国した頃には、組織が壊滅していたからである。
おそらくは試験を遂行している間に。
何者かによって。
「暗殺者養成施設なんて元から無かったんじゃないか」と思いそうになるほどに──跡形もなく解体されていた。
悪国征蹂郎という優れた暗殺者を知る者は誰ひとりとして残っていなかったのだ。
帰国後にこの事実を知った征蹂郎は途方に暮れた。無理もない。たとえそこがどれだけ劣悪な環境だったとしても、彼にとっては決して短くない時間を過ごした生育地である。実家が消失して平静でいられる人間がいったいどこにいようか。
もしも彼が物語の主人公めいたマインドの持ち主だったら組織を潰した何者かへの復讐を決意していたかもしれないが、組織の手足となるべく育てられた男に自己選択の情動が備わっているはずがなかった。
帰る場所は無く、行く先も決められない──結果、宛ての無い放浪が始まった。
この国で人の流れに身を任せて行動していたら最終的に辿り着く場所はひとつに絞られる──国内最大の人口を誇る首都。東京。
征蹂郎はそのまま都内を彷徨い──やがて。
まったくの偶然か、それともこれまで【戦い】と密接にあった彼の因果がそうさせたのかは定かではないが、都内でも特に治安が悪い地域に足を踏み入れていた。
そこは半グレや暴力団といった逸れ者たちの巣窟であり、彼らは外界からの異物である征蹂郎に容赦せず、暴力で以って歓迎した。
最初はひとりのチンピラだった。
ドブネズミでさえ避けて通るほどに不穏な路地裏で、そのチンピラは暴力をチラつかせながら金銭を要求してきたのである。それに対し征蹂郎は拳で応えた。この行動は「組織を失ったばかりで気が立っていた」とか「元から征蹂郎が血の気の多い性格だった」という原因があるわけではない。幼い頃から【戦い】と共に育ってきた征蹂郎にとって、このシチュエーションで返すべきコミュニケーションが『暴力』以外に思いつかなかっただけである。つまりは無知から出た行動だ。赤ん坊が大人から話しかけられても喃語でしか返せないのと本質的には変わりない。
チンピラを倒した翌日、複数の男たちが尋ねてきた。相手の数が増えようと征蹂郎が返すコミュニケーションは変わらなかった。その次の日には訪問者の数が更に増えた。またも拳で迎え撃つ。やがて訪問者の数は両手の指では数えきれないほどにまでなっていた。次は手だけでなく脚も使った。その頃になると征蹂郎の噂は区内全域にまで広まっており、毎日のように誰かしらが来襲していた。
しかし同時に敵対的ではない人物も現れつつあった。幾度の襲撃をものともしない征蹂郎の強さに惹かれた者である。征蹂郎は最初、そんな彼らと喧嘩を売ってくるチンピラの区別が付かなかったので全員まとめて殴り飛ばしていたのだが、それでも懲りずに訪れる信奉者の数が増え続けた結果、彼を中心とする集団が出来上がり、いつの間にか『刀凶聯合』という名前で呼ばれるようにまでなっていた。
言わば半グレである。
そのような新たな派閥の設立は、区内の勢力図(パワーバランス)を重んじる反社会勢力の面々にとっては面白い話ではない。潰そうと躍起になるのは当然だ。区内における征蹂郎への攻撃は勢いを増し、それを鮮やかに撃退する彼の名声は更に広まり、それが更なる襲撃を呼んだ。
そんな日々が──【戦い】が、何ヶ月も続いた。
◆
そして現在。
征蹂郎はとある暴力団の支部を訪れていた。
怒号と喧騒が飛び交うロビー。暴力団員と『刀凶聯合』のメンバーが乱闘している光景を尻目に階段を昇る。道中で何人か妨害を試みてきたが一蹴。苦もなく進んで行く。やがて目的の部屋の前に到着するとドアを蹴り飛ばした。
「ノックも無しかよ。これだから躾のなってねえ野良犬は嫌いだ」
室内中央のテーブルに男が腰掛けていた。黒のスーツ。整髪料でオールバックに固めた髪。スクエアフレームの眼鏡の奥から放たれる視線は、神経質な性格を色濃く滲ませている。本部からこの事務所を任されている長である。
「白昼堂々事務所にカチコミするとはねえ。俺たちに喧嘩を売ってタダで済むと思ってるのか?」
「先に…………仕掛けてきたのは、……お前たちだ」
征蹂郎は支部長の凄みに怯む事なく陰鬱な声で言うと、懐から携帯端末を取り出した。その画面には一枚の写真が表示されている。柄の悪い風貌をした無精髭の男だ。
「……『刀凶聯合(うち)』の仲間だ。昨日死体で見つかった。お前たちの……仕業だと、証言がいくつも挙がっている」
「さあな。覚えてねえよ。そんなゴミみてーな下っ端、この町じゃ毎日のように死んでるだろ」
支部長は嘲るような笑みを漏らした。
「つーか、てめえ正気か? たかが構成員ひとりの為にウチに喧嘩を売るなんて、命が惜しくないのかよ」
「……決めているんだ」
「あ?」
「……オレから……、オレたちから居場所を奪うような奴がいたら……、誰であろうと……容赦しないとな」
端末に映る男はただのチンピラだ。
こんな人間が死んだ所で世間は気にも留めないだろう。事実、ネットニュースや新聞が彼の死を報じることはなかった。
だが──それでも。
【
悪国征蹂郎にとって唯一の居場所である『刀凶聯合』を構成するひとりだったのだ】。
征蹂郎は思い出す。施設の壊滅を知った瞬間に感じた、形容しがたい喪失感を。
もうあんな思いはしたくない。やっと得られた居場所を今度こそ失いたくはない。
そのような執着が、征蹂郎が齢二十を越えてようやく獲得した自我らしきものだった。
故に彼は反撃する。
自分の居場所へ害を為す敵に。
徹底的な暴力で以って。
「だからってここまでするかね普通。身内がひとり死んだだけで総出のカチコミかけてりゃ、組織の寿命なんてあっという間に尽きるだろ」
まあ──と、支部長は眼鏡の縁を妖しく光らせた。
「そういう単純な性格をしてくれているおかげで、こうして簡単に誘い込めたんだから、狩る側(こちら)としては大助かりなんだが」
「……………………」
やはりか、と納得する征蹂郎。
昨日死体で見つかった仲間は、この状況を作るためだけに、その命を利用されたのだ。
その可能性に思い至らなかったわけではない。
むしろ一番あり得るとさえ考えていた。
だが。
それでも。
罠だと分かっていても。
征蹂郎は──『刀凶聯合』は、ここまで来たのである。
「『出る杭は打たれる』って言葉があるだろ? 目立ちすぎなんだよ、てめえら」
「……………………」
「言っておくが今更逃げようとしても無駄だ。既に近隣の支部へ連絡を送っている。のろまな警察(サツ)が騒ぎを聞きつけるよりも早く、増援が到着するだろうよ。そうなりゃテメェら全員おしまいだ」
「逃げるつもりなんて……元から、ない」
「ふぅん。強気な台詞だねえ──これを見ても同じことが言えるか?」
支部長はそれまで腰掛けていたテーブルの引き出しに手を伸ばし、中から何かを取り出した。
黒光りするそれはトカレフTT-33──拳銃である。
「増援の到着を待つまでもなく、親玉のてめえはここで俺が直々に殺してやるよ」
引き金に指を掛け、征蹂郎の眉間目掛けて銃口を突き付ける。あとは指先をほんの少し動かすだけで『刀凶聯合』首領の頭はあっけなく弾け飛ぶことだろう。
常人ならば恐怖で身が竦む状況だ。
しかし征蹂郎は怯まなかった。先ほどと変わらない陰鬱な面持ちのまま、支部長の顔を見据えている。
「へえ、この状況でも平静を保つか。よほど肝が据わっているのか、それともただの馬鹿なのか──おい。その構えはなんだ?」
半身に立ち、膝を緩く曲げ、上半身は俄かに前傾。手刀を象っている右手を腰の左に回し、その付け根を左手で握りしめている。
一見すると居合の抜刀のように見える構えだが、その手に刀はない。
どころか何も握っていない。
素手だ。
奇異な構えをしている征蹂郎を見て、支部長は訝しんだ。
「……相手が、武器を構えたから……こちらも武器を取り出しただけだ」
「馬鹿が。素手でどうやって拳銃に勝つつもりだよ」
どうやらイカれた半グレを束ねるリーダーは頭までイカれているらしい。
肝が据わっているように見えたのは誇大妄想で恐怖心が麻痺していただけか。
そのように結論付けた支部長は拳銃のトリガーを引──視界から征蹂郎の姿が消えた。
「なッ……!?」
放たれた弾丸は何も無い空間を貫き、フロアに突き刺さる。
消えた姿を探し求めて錯綜する視界。一瞬後、右端に征蹂郎が映る。先ほどの奇異な構えを維持していた。
「『抜刀』」
瞬間、征蹂郎の右手が爆ぜた──と見紛うほどの勢いで発射された。
ただの腕力だけではここまでの速度は出まい。それまで左手に付け根を掴まれて溜まっていた力を一気に開放したことで、爆発の如きエネルギーを得たのだ。
言わば腕でおこなうデコピンである。
そのように説明するとなんだか児戯じみた印象を抱きそうになるが、実際の威力は印象ほど生易しくない。
蟀谷に手刀を受けた頭部は熟れた柘榴のように弾けた。中に骨があったのか疑いそうになるほどにあっけない破裂だった。桃色の肉片が飛び散り、室内が斑に染まる。対物ライフルでも食らったかのような有様だ。
頭脳という司令塔を失った肉体はそのまま床に倒れる。全ては一瞬。断末魔さえ響く間のない出来事だった。
これが『抜刀』。
悪国征蹂郎が長年の修行で習得した暗殺拳である。
この技と共に彼は施設での日々を、異国の戦場を、暴力の世界の住民たちとの生存競争を──【戦い】ばかりの人生を、生き抜いてきたのだ。
「…………………」
征蹂郎は眼下に横たわる死体を無感動に見下ろした。
脇腹を蹴って生死を確認することはない。頭を失っても生きている人間なんて、いるはずがないからだ。
だから彼はそのまま部屋を去り、階下で乱闘を続けている仲間たちと合流しようとした。
その時だった。
「────────」
足元から音がしたのは。
「…………………?」
再度視線を下げる。
そこにあるのは頭部を失った死体のみ。まさしく死人に口なしであり、声を発するはずがない。死体の懐にある携帯端末が着信を知らせるメロディでも鳴らしているのかと思ったが、鼓膜を叩く音に機械的な印象はなかった。
むしろ生物が発する声のような。
喩えるなら【赤】子の産声のような。
そんな声だった。
やがて征蹂郎は気付く。声の発生源が床に広がる血の海であることに。
そこに何があるのか確認しようと覗き込んだ──その時だった。
血溜まりの表面が盛り上がったのは。
オーブンに入れられたパン生地のように膨らむ血。膨張の際に発生した気泡のような物が弾け、音を奏でる。それが先ほど耳にした肉声じみた音の正体であることを征蹂郎は理解した。
膨張の勢いは尋常ではない。十秒も経つ頃には征蹂郎の上背を上回っている【赤】一色の不定形が室内に誕生していた。
その【赤】は。
血のように生命力を象徴し。
溶鋼の如き生産性を持ち。
そして炎じみた攻撃性を備えている。
そんな概念が具現化したかのような【赤】である。
「──トオウ」
【赤】は意味のある言葉を発した。
「アナタガ、ワタシノ、マスターカ」
征蹂郎はまだ気付いていない。
返り血で汚れている己の右手に、いつの間にか紋様が刻まれていることに。
馬と剣を模した意匠をしているその紋様は、眼前の怪物に匹敵する赤色をしていた。
◆
征蹂郎の元に召喚されたサーヴァントは異質そのものだった。
かつてアメリカの地方都市で開催された偽りの聖杯戦争で顕現したという『彼の同胞』は類稀なイレギュラーだったと記録されているが、『彼』自身もまた、それに劣らないイレギュラーである。
通常の聖杯戦争であれば英霊の器を得て呼び出されることさえないだろう。
「『彼』が現れた」という事実そのものが《二周目》の聖杯戦争の規格外ぶりを証明しているのだ。
しかし一方で──『彼』ほど【聖杯戦争】という舞台に相応しい存在はいないとも言えるだろう。
なぜなら『彼』は【戦い】とは切っても切れない存在──いや。
【戦い】そのものと言える存在だからだ。
馬に乗り、車に乗り、船に乗り、飛行機に乗り──。
人がふたり以上存在する場所であれば、世界中のどこにでも現れる概念。
人類史の転換点(ターニングポイント)に必ずその名を現す事件。
すなわち──戦争。
奪った命の規模で言えば『病』にも劣らない、最悪の『災厄』だ。
それを恐れた人々が与えた二つ名こそ、『彼』がライダーの霊基を獲得した最大の要因である。
そんな存在が【戦い】と共にある人生を送ってきた
悪国征蹂郎の元に呼び出されたのは──。
必然の【運命】だったのかもしれない。
◆
翌日。
『刀凶聯合』がアジト代わりに使っている建物のうちのひとつ。空きテナントまみれの商業ビルにて。
征蹂郎は携帯端末を見ていた。
その画面には、とある暴力団支部の襲撃事件を報じるネットニュースが映っている。
被害者数は凄まじく、当時は他の支部からの『来客』が居たこともあり死亡が確認された者だけで五十人を超えているらしい。
警察の調べによれば組同士の抗争の可能性が高いとのことだが、有識者の中には他の可能性を唱えている者もいた。
なんでも襲撃を受けたという事務所はまるでそこだけ軍隊から爆撃を受けたんじゃないかと思われるほどに酷く荒れているらしく、過剰とも言えるそんな破壊の痕跡が様々な憶測を呼んでいるようだ。
ただの抗争で済ませるには疑問が残る事件だが──まあ。
なんにせよ。
「死んだのが【暴力団員たちだけ】で、近隣住民が巻き込まれなかったのは、不幸中の幸いだ」。
世論の多くは、そのように話をまとめていた。
「昨日は征蹂郎クンのおかげで助かったぜ!」
征蹂郎が画面から顔を上げると、仲間のひとりであるプリンヘアーの男が目と鼻の先で鼻息を荒くしていた。
「ヤクザたちの増援が雪崩れ込んできた時はやべーと思ったけど、まさか銃や爆弾で全員ぶっ殺してくれるなんてなあ! オレって征蹂郎クンとは結構長い付き合いだけど、あんなモン使えるなんて初耳だったからマジでビビったぜ。そのうち戦車まで持ち出すんじゃないかってくらいすげえ暴れぶりだったよなあ」
「理論上は……それも可能だろうな」
「え?」
「なんでもない」
「っていうかさ」プリンヘアーは首を傾げながら言う。「あれだけの武器、どっから調達したわけ?」
「……秘密だ」
あまりに非現実的すぎる真相を教えたところで無用な混乱を引き起こすだけだろう。誤魔化すことにした。
「そもそも俺は……大したことをしていない。……引き金を引くとか、爆弾のスイッチを入れるなんて……誰にでもできる」
「オレにも?」
「ああ」
ボスから直々に肯定されたことで無上の喜びを感じたのか、プリンヘアーの表情は恍惚としたものになった。
「オレさオレさ! いつか使ってみたい武器があるんだよね! 前にテレビでどっかの国の軍人が使ってたやつなんだけどさ。バズーカみてーにミサイルを撃つ武器で──」
「……ジャベリン?」
「あー、なんかそういう名前だった気がする」
「……そのうち用意しておこう」
「え、マジで!?」
プリンヘアーは身を乗り出した。
「いいのかよ征蹂郎クン!?」
「ああ。どうせ……【これから】に備えて武器を用意しておくつもりだったんだ。どうせなら……お前たちの希望に沿った物を用意しておきたい」
「『お前たち』?」
「他の仲間にも欲しい武器が無いか……聞いておいてくれ」
好きな獲物を好きに使って、好きな仲間と一緒に好きなだけ暴れていい。
そのような青写真に興奮を抑えきれなくなったプリンヘアーは、半狂乱になりながら他の部屋にいる仲間たちの元へ走って行った。
部屋には征蹂郎だけが残される。
「…………ライダー」
その呼びかけに応じるようにして床の一点が赤く染まった。
「…………先程の会話にあった武器を……用意できるか?」
返事代わりに【赤】の中央から2メートル程の長物が何本か現れる。
FGM-148。歩兵携行式ミサイル──通称、ジャベリンだ。
短期間の大量生産に優れる設計をしているのだが、だからと言って、先ほどまで何も無かった空間から唐突に現れるようなものではない。
征蹂郎が従えるライダーによって『投影』されたのだ。
「……………………」
ジャベリンを手に取り、使用上の問題が無いことを確認しながら、征蹂郎は思案する。
ライダーを呼んだ直後に聖杯戦争の知識は与えられた。
今の彼は己がマスターであることは勿論、これから待ち受ける【戦い】がこれまで体験したいかなる【戦い】とも異なるものであることを知っている。
それを理解した上で彼がやる事は変わらない。
与えられた力は好きに使わせてもらう。暴れる以外に能がない逸れ者たちの為、最大限に有効活用させてもらおうではないか。
そして──もし。
『聖杯戦争』の脅威が自分の居場所にまで及んだ時は、
「──誰であろうと、容赦しない」
たとえ、全ての参加者を敵に回すことになろうとも。
──こうして
悪国征蹂郎は新たな【戦い】に身を投じたのであった。
【クラス】
ライダー
【真名】
レッドライダー(戦争)@ヨハネの黙示録
【属性】
混沌・中庸
【ステータス】
筋力B 耐久EX 敏捷A 魔力A 幸運C 宝具EX
【クラススキル】
対魔力:C
ライダーのクラススキル。魔術に対する抵抗力。
騎乗:EX
ライダーのクラススキル。乗り物を乗りこなす能力。
馬だろうが、車だろうが、竜種だろうが、神々の舟だろうが──それが戦場を駆けた物であるならば何であろうと乗りこなせる。
【保有スキル】
星の開拓者:EX
人類史においてターニングポイントになった英雄に与えられる特殊スキル。
あらゆる難航、難行が【不可能なまま】【実現可能な出来事】になる。本来ならサーヴァントとして召喚されること自体がイレギュラーであるレッドライダーがライダーの霊基を持って顕現できたのも、このスキルの恩恵によるところが大きい。
人類史のターニングポイントそのものである戦争はこのスキルの保有資格を十全に満たしている。
喚戦:A
かんせん。
戦を喚び起こす能力。
結界(以下【戦場】と呼称する)の内部にいる知的生命体の精神に干渉し、その気質を著しく好戦的に変える。このスキルの影響を受けた者の身体ステータスは影響の度合に応じて上昇する(一種の【狂化】に近い。『ジョジョの奇妙な冒険 part6 ストーンオーシャン』の『サバイバー』みたいな感じ)。サーヴァントやマスターであればこの精神干渉に抵抗できるが、彼らも聖杯戦争の参加者である以上は誰でも大なり小なり喚び起こされる戦意を抱えているので「絶対に呑まれない」とは言い難く、【戦場】にいる間は毎ターン抵抗判定を行い、それに一度でも失敗するとライダーによる精神干渉を受けてしまう。抵抗判定はその後も繰り返され、失敗が重なれば重なるほど影響の度合は上昇していく。
【戦場】で血が流れたり、死体が発生したりすると、それらの魔力はライダーに吸収される。仮にサーヴァントが【戦場】で斃れたら一騎分丸々の魔力がライダーのものになる。
また、このスキルの影響を受けた者が【戦場】の外で戦闘を行った場合、そこを起点として新たな【戦場】が発生する。
つまり聖杯戦争が進めば進むほど、感染する病のように【戦場】が増殖し、ライダーの領域が拡大し、吸収される魔力量も増大していくこととなる。
現在このスキルによって都内某所(とびきり治安の悪い地域)を中心に【戦場】が範囲を広げている。
無辜の世界:EX
【戦争】に対する人々の怖れが生み出したイメージが色濃く反映されたスキル。
ラグナロクやWWⅡといった特定の戦争ではなく、同時にその全てとなる『【戦争】という災厄の概念』であるが故に、人類が持つ戦争への恐れがこの世から消えない限り、ライダーに滅びの概念はない。赤い怪物の形を取って現実世界に表出した分体ひとつひとつを滅ぼすことはできても、【レッドライダー(戦争)そのもの】を滅ぼすことはできない。実質不死身。
しかし逆に言えば、誰一人として争わない【恒久的な世界平和】が実現されれば、その瞬間にライダーは無力な存在へと零落し、消滅する。
【宝具】
『来たれ、眩き戦争よ、来たれ(ドゥームズデイ・カム)』
ランク:EX 種別:対界宝具 レンジ:- 最大捕捉:-
自らの手で喚んだ【戦争】の舞台として、マスターを起点に【戦場】となる結界世界を造り上げる宝具。
マスターのイメージに引き摺られる為、神話に描かれる大規模な戦場になることもあれば、たった一発の爆弾が放った閃光で全てが灰燼と化す空間となる場合もある。此度のマスターの場合、彼が『戦場となる世界をわざわざ新たに作るまでもなく、既にこの世には【戦い】が絶えないし、なんなら自分が今いる街そのものが現在進行形で聖杯戦争という戦争の舞台になっているじゃないか』と考えている為、宝具の効果が【戦場の作成】から【戦場の侵食】へと変化。それに伴いスキル【喚戦】を獲得した。
『剣、饑饉、死、獣(レッドライン)』
ランク:A 種別:対軍宝具 レンジ:99 最大捕捉:999
宝具の読みはマスターによって変わる。今回の場合は【レッドライン】。【超えてはならない一線】を表す軍事用語である。
【戦場】内において他者に【戦争】を齎す数多の物を具現化させ、その力を行使する。環境が完全に整えば、神話における【戦争】を魔力が許す範囲でのみ再現することも可能。ラグナロクやマハーバーラタやリトルボーイだって再現できる。
此度のマスターは実際に戦争を体験しており、他者よりも【戦争】をより鮮明かつ具体的にイメージできるのだが、その知識・経験は現代戦に大きく寄っているので、この宝具で具現化される武器もそこで用いられる銃火器や爆発物、刃物類の場合が多い。
普段はこの宝具で具現化した武器をマスターの部下達に装備として与えている。
【weapon】
それが戦争で使われるものならば、宝具『剣、饑饉、死、獣(レッドライン)』で大抵の武器は具現化できる。
【人物背景】
偉大なる主神ガイアの怒りを体現すべく造られた【終末の四騎士】のひとり、レッドライダー。
英霊どころか人間ですらない、生命体であるかどうかも怪しい異質の存在であり、サーヴァントとして召喚されること自体が大いなるイレギュラー。
【外見・性格】
性別、なし。
人格、なし。
感情、なし。
願望、なし。
基本的には冒涜的な赤に塗れた不定形の怪物じみた外見をしており、【戦場】内であればどこであっても神出鬼没。主に流血の中から噴出するようにして現れることが多い。
【身長・体重】
可変
【聖杯への願い】
なし
【マスターへの態度】
好嫌のどちらでもない。
人間というよりはプログラム仕掛けのロボットめいている。マスターを勝利へと導き、彼の意向に従う為に聖杯戦争の会場内に【戦場】を増やし続ける寡黙なシステムである。
【マスター】
悪国 征蹂郎/Aguni Seijuro
【性別】
男
【年齢】
23
【属性】
混沌・悪
【外見・性格】
大柄で分厚い体躯。前髪が目元にかかる程度に伸びた黒髪。ファーのついた白コート。いかにも半グレって感じ。無愛想で陰鬱なしゃべり方をする。
狂乱的な半グレ達を束ねる為に自分も狂乱的な行動に身を投じることが多い為、他者からは頭空っぽで暴力的な性格だと思われがちだが、基本的に冷静沈着。情緒が低い位置で安定している。
【身長・体重】
194cm/85kg
【魔術回路】
質:E 量:E
特性:なし
魔術的な儀式である聖杯戦争のマスターとしては落第もいいところだが、ライダーが持つスキル【喚戦】により、征蹂郎からの魔力供給は実質不要になっている。
【魔術・異能】
元暗殺者として格闘術をハイレベルに収めている。基本的に徒手空拳だが、刃物や銃火器を用いての戦闘も得意。
殺人拳の奥義である【抜刀】を習得している。【抜刀】は言うならば素手でおこなう居合。刀に見立てた手刀をもう片方の掌で握ったり固定物に引っ掛けたりして力を溜め、一気に解放することで凄まじい威力の一撃を繰り出す。要は腕一本でおこなうデコピン。常人相手なら一撃で骨ごと断頭できる程度の威力がある。弱点は居合同様、発生の前後に隙が生じること。殺人【拳】だが、仮に両腕が封じられても脚で同じようなことがやれる。
元から強力な奥義だったがライダーの【喚戦】でバフがかかった結果、サーヴァントにも届きうる一撃となった。
新進気鋭の半グレグループ。征蹂郎が頭を務める。
構成員の数はそこそこで、資金もそこまで潤沢ではないが、暴れたがりの爪弾き者が多い。一度暴れると徹底的に暴れて手が付けられないため、同業からも煙たがれている。敵にも味方にも回したくない集団。
現在は構成員全員がライダーのスキル【喚戦】の影響下にあり、宝具【剣、饑饉、死、獣(レッドライン)】で具現化した武器を所有している。
【備考・設定】
とある暗殺集団に人を殺す【刃】となるべく育てられた男。
幼少期の殆どを山奥で修行しており、修行の成果を試す最終課題として、とある内戦国への実戦投入がおこなわれた。遠い異国の戦場でも彼は十二分な活躍を成し、五体満足のまま内戦の終結を迎えられた。そのまま組織に帰っていれば、恐るべき暗殺者として数々の人間を葬ったに違いないが、彼が試験を遂行している間に暗殺集団は何者かによって壊滅されており、彼を知る者は誰ひとりとして残っていなかった。
帰国後にその事実を知った征蹂郎は途方に暮れ、宛てもなく彷徨っていたところ、二十三区でも特に治安の悪い地域に迷い込んでしまう。そこで色んなゴタゴタに巻き込まれた結果、いつの間にか半グレをまとめあげる頭にまでなっていた。
彼自身に名誉欲や支配欲は無いのだが、『自分と同じように居場所がない者たちと共に居られる唯一の居場所を守りたい』という思いから、チームを運営している。
【聖杯への願い】
ない。
自分と仲間達が好きに暴れられる居場所を求めるだけ。
【サーヴァントへの態度】
意思疎通が難しいのは不便だが、一般的なサーヴァントがどのようなものなのかをよく知らないので『従者(サーヴァント)を名乗る存在なんだし、こういうものなのか』と思っている。
最終更新:2024年08月01日 01:14