「あれ?」

 東京の街に聳え立つ、高層ビルの内の一棟。
 その屋上に、女が居た。

「えーと……あれ? あれ?」

 疑問の声を口にしながら、自分の頭を両手で挟み込んでいる。
 しかし収まりが悪いのか、それとも頭の形を確かめているのか、
 手の位置を横から縦に、斜めに、また横にと幾度も変えて忙しない。

 どうして私は此処に居るんだろう。
 女魔術師──メリッサ・マガリャンイスは不思議そうに顔を上げる。

 夜空が都会の光に照らされている。
 しかしその星空が、ある場所を境にして途切れていた。
 どうやらこの都市をぐるりと囲う形で、境界線になっている。

 それを認識した瞬間、身体中からどっと冷や汗が噴き出した。
 心臓の鼓動が速まるのも感じる。

 理由も分からぬまま、きょろきょろと何かを探して視線を走らせる。
 周囲に有るのはコンクリートの摩天楼。
 異常な物は見当たらない。

 それでも不安は消えていない。
 ブレスレットから死霊を数体開放し、警戒を命令する。
 多く出しても発見される危険が増えるだけだ。この数が丁度良い。

「…………?」

 何に発見されるのだろう。
 呼吸が荒くなっていく。
 身体の震えを抑える様に、自分の身体を抱き締める。
 春先だと言うのに、メリッサは夏の観光地でも出歩く様な露出の多い服装をしている。
 自然、抱き締めた柔肌に触れる事になり、自らの手を食い込ませていく。

 触れた肌を通して、自らの内に意識を集中させる。
 マガリャンイス家の当主は、歴代当主の魂をその身に継承させている。
 メリッサは二千年続くマガリャンイス家の十二代目当主である。
 歴代当主の魂は全部で十一だが、過去に二つが消費されており、残存するのは九つのみだ。

 その魂を、自分に触れて確かめる。
 九つの祖霊の存在を、確かに身の内に感じる事が出来た。

「良かった……みんな無事で……」

 継承の儀を受けてから十年間、共に過ごした祖先達。
 意識は閉じ、情報を持った魔力資源でしかないが、メリッサには掛け替えの無い存在だった。
 不安な時は私を励まし、魔術の研究が進めば褒めてくれる。
 会話は無い。しかし、その意思は伝わってくる。
 魂に意識は無く、有り得ないとは理解しつつも、メリッサに勇気を与えてくれるのは、
 この身に宿る先祖達の魂なのだ。

 いつもなら、祖霊のみんなを感じ取れば不安は和らいだ。
 だがおかしい。涙が流れて止まらない。
 先程の自分の言葉もそうだ。みんなが無事で良かった?
 自分の口から出た言葉だが、意味が分からない。

 私の頬を伝う涙は、祖霊が無事で安堵してのものなのだろうか。
 そんな気もするし、違う気もする。
 祖霊に危機が訪れる状況に覚えが無いし、そもそも何故私はこんな場所に立っている。

 疑問に対して、何かが警鐘を鳴らしている。
 歯の根が合わず、身体の震えも止まらない。
 頭が痛い。吐き気がする。

 うずくまってしまった時に、ショートパンツのポケットに違和感があった。
 手の平に収まる大きさの、固い何か。



 震える手でその何かを手にした瞬間、メリッサは絶叫した。

「あああぁぁぁぁあぁぁあぁぁあぁぁああああぁぁぁぁあぁぁぁぁああぁぁああ!!!!!」

 思い出した。思い出した!
 私は前回の聖杯戦争で、“神寂祓葉”に殺されたのだ。

 手にした懐中時計を放り投げ、魔力弾で粉砕する。
 パニック状態で撃った為か、魔力を込め過ぎた魔力弾が隣のビルに大きな風穴を開けた。
 深夜でビルに人は居ないが、瓦礫が地上に落下する。
 煌々と輝く地上には、通行人がこの時間も居るかもしれない。
 だがそんな事を気にする余裕はメリッサには存在しない。

 頭に流れる聖杯戦争の知識。
 今回は七騎を超えるサーヴァントが召喚されるとか、東京二十三区の閉じられた世界だとか、
 そんな事はどうでも良い。

 死者の蘇生に二度目の聖杯戦争。こんな状況、聖杯に願わなければ有り得ない。
 そして、まともな参加者なら聖杯戦争を繰り返すなんておかしな事は願わない。
 聖杯を求めるからこそ、聖杯戦争に参加するのだ。その聖杯を手にして再び聖杯戦争を願うなど異常者だ。

 そんな異常な願いを聖杯に託す者を、メリッサは一人しか知らない。
 私の魔術を、二千年続くマガリャンイスの誇りを、歴史を、何もかもを事も無げに粉砕した狂気の如きクラリオン。
 歌いながら、楽し気に、親しい友人に会いに来る様に軽やかに、私の全てを否定した存在。

 私はあの時、何をしたのだろうか。
 覚えているのは、令呪を三画消費してサーヴァントに“ヤツ”の討伐を命じて逃げ出した事。
 逃げる途中でサーヴァントの消滅を感じた事。
 そして逃げた先に笑顔で現れた“アレ”の魂に触れてしまった事。

 どうしてそんな事をしてしまったのか。
 一流の魔術師だろうと、魂を抜き出されて生存出来る者は存在しない。
 だから私はそれを実行する為に──

 胃の底がひっくり返る感覚にえずく。
 空っぽの胃が暴れ出し、内臓を吐き出してしまうのではないかと錯覚する。

 私はあの時。触れてはいけないモノに触れてしまった。
 そこで、何を知ったのか。
 考えない。考えない。忘れた忘れた絶対に思い出さない分からない。

 そう、何があったのかは頭に靄がかかった様に思い出せない。
 なのに、身体が震えて止まらない。

 身体を抱えて、肌をさする。
 祖霊を内に感じるのに、安心出来ない。逆に不安が募っていく。

 だって、私も含めて、みんな、みんな消えてしまった。
 朧気ながら、涙を流した記憶が有る。
 魔術刻印と共に受け継いだ、先祖の魂を失った。その喪失感と悲しみを覚えている。
 祖霊を消費して大魔術を行使したのか。それとも祖霊ごと、この肉体が滅びたせいか。
 詳しい状況は分からないが、私の命と共にマガリャンイスの歴史が終焉したのは確かだった。

 なのにこうして、此処に私は、私達は存在している。
 “アレ”の願いで肉体が、祖先達の魂が、再現されて形を得ている。

 おぞましいとはこの事だ。
 私達の魂は、マガリャンイス家のこれまでの歩みは、他者の手で復元出来る程度のものだったのか。



 気持ちが悪い。頭が痛い。
 そう言えば、さっきから頭蓋を割らんばかりに両手で頭を圧し潰していた。
 頭が潰れていないのは、無意識に魔術で防御しているからだろう。
 耳鳴りもする。とても五月蠅い。誰の声だ。私の声だ。
 肺の空気を全て出し切る絶叫が、私の口から響き渡る。

 自分の精神が不安定になっているのは明白だ。
 非常に危うい状態だが、自覚は出来る。
 何とかしなければいけない。解決策を考えよう。

 とにかく、こんな場所には居たくない。
 いつ何時“アレ”と遭遇するか分かったものではないからだ。
 一刻も早くこんな世界から出なければ。

 脳をフル稼働させ、脱出方法を模索する。
 私の魔術知識の中に、打開策は見当たらない。
 ならば祖霊達の持つ知識の中に、糸口は無いだろうか。
 禁忌とされる初代の魂にも躊躇なく手を伸ばす。

 魔術の質も知識も歴代随一である事は間違いない。
 しかし子孫の肉体を使い潰し、時と共に魂が歪んだ事で封じられたのが初代である。
 触れれば新たな知見を得られるかもしれないが、自我と肉体を乗っ取られる危険がある。

 常ならば選択肢にも入らない行為。
 仮に禁を破るにしても、入念な準備を必要とするだろう。
 しかし今のメリッサに、禁忌を躊躇う理性も余裕も存在しなかった。

 初代の魂に触れた瞬間、全身が暴動を起こした様に滅茶苦茶に動き出す。
 全ての筋肉が暴れ狂い、激しい痙攣でいくつかの骨が折れた。
 あらゆる粘膜からは出血し、ガタガタと震える口から血の泡が垂れ、砕けた奥歯も零れ落ちる。

 意識を手放しそうになるが、尋常ならざる精神力で己を保つ。
 ここで気を失えば、目覚めた時には“アレ”と遭遇してしまう。
 妄想による底知れぬ恐怖心が、メリッサの意識を保っていた。



 長い時が過ぎた気もするが、実時間ではそれ程経っていないかもしれない。
 いつの間にか、コンクリートの上に倒れていた。
 その状態で激しく痙攣していたからだろう。全身が削られた痛みを感じる。

 しかし、もう大丈夫だ。
 骨も肉も、魔術で治して立ち上がる。
 解決策を得たメリッサの顔は晴れやかだった。

 二千年間研鑽した、魔術知識にこの世界からの脱出法は存在しなかった。
 だが一つだけ、この状況を打開する策がある。

 屋上の縁へ向け、歩みを進める。
 そしてそのままメリッサは、地上目掛けて身を投げた。

 ここは“アレ”が創った閉じた世界。
 何処へ行っても逃げられない。
 ならば死ぬしかないではないか。

 どうせ死ぬなら、どうして身体を治療したのか。それはマガリャンイスの矜持に従う無意識の行動だった。
 この身は二千年続く魔術師の血脈、その祖先の魂を宿す器である。
 常に万全の状態で無ければ、尊崇している祖霊達に顔向け出来ない。
 長い歴史と伝統と、受け継がれし魂達を常に誇りに思っている。

 そんな誇りを胸に抱いて、全てを無に帰す愚かな行い。
 崇高なる自身の家系が、これから終わる事に涙する。
 行動が破綻しているが、メリッサに迷いは無かった。

 死の恐怖より、マガリャンイスの歴史が終わるより、“アレ”と再び会う事の方が、もっとずっと恐ろしいのだ。

 その恐怖ももうすぐ終わる。
 例え空から落ちたとしても、魔術を使えば無傷で地上に降り立てる。
 しかし魔術が無ければただの人。一瞬の内に死ねるだろう。

 見上げた空が離れていく。
 ビルの壁が高速で動いていく。

 自由落下に伴い、内臓と血液が迫り上がる不快感を覚える。

 落下による生理的な恐怖は、意思のみで克服出来るものではない。
 ましてや魔術を使わない初めての感覚だった。

 メリッサは思わず目を閉じ──次の瞬間、右手に痛みが走っていた。
 この感覚は知っている。不味い、と思った時には遅かった。

 目を開くと、何者かがメリッサの身体を優しく抱きかかえた。
 この場に似つかわしくない衣装を纏った、美しい女性だ。
 纏う魔力も膨大で、明らかに英霊だった。

 女性の英霊は右手をビルの壁面に突き立てる。
 コンクリートの外壁を砕きながら、徐々に二人は減速した。

 ぽかんと呆けるメリッサを余所に、落下速度が人間の許容範囲まで減速するや否や、
 サーヴァントは窓ガラスを蹴破った。
 そのまま腕力のみでビル内部へ移動して、己のマスターの無事を確かめる。

「もー、何? びっくりなんだけど」

 召喚されたと思ったら、目の前でマスターが自由落下の最中だ。
 古今東西、どの様なサーヴァントだろうと驚かない訳が無かった。

 ギリシャの英霊だろうか。古代ギリシャのキトンを身に着けた、芸術品の様に整った女性。
 一般的な一枚布の衣服ではない。腹部周りだけ布が存在せず、上半身と下半身で分かれていた。
 露わになっている腹部には、青黒い獣の毛皮が巻かれている。



「それで……」

 ちらりと、メリッサの右手の甲を見る。
 そこには確かに三画の令呪が刻まれていた。

「貴女が私のマスター、よね?」

 第一印象は大事だろう。
 満面の笑顔で言葉を続ける。

「私はアサシン。真名は──」

 怒りを込めたアッパーが、アサシンの言葉を遮った。
 メリッサの振り上げた拳が、見事にアサシンの顎を突き上げる。

「痛ったぁ!?」

 アサシンの腕の中で、マスターが暴れ出す。
 そのままアサシンを振り解きオフィスの床に着地すると、鬼の形相でサーヴァントに殴りかかった。

「お前っ! お前ぇ!!」

「えーっ!?」

 気迫に気圧され、アサシンは思わず霊体化する。
 霊体化したサーヴァントは、現世への干渉が薄くなる代わりに、他からの干渉も受けなくなる。
 戦いの最中に於いてはその切替が致命的な隙を生むが、今回に関してはメリッサの拳が空を切るだけの筈だった。

「ふざけんなぁっ!!!」

 マスターの拳が霊体化で無防備となったアサシンの芯を捕らえ、そのまま殴り飛ばす。
 死霊魔術を極めた魔術師にとって、霊体に対して実体の如く干渉するなど朝飯前とでも言わんばかりの現象だ。

 吹き飛ばされたアサシンは、オフィスを突き抜け床へと消えた。
 霊体化したサーヴァントを視認する事は本来出来ないが、魔術研鑽の中で霊魂に触れ続けたメリッサには関係無い。
 それ処か、見えない床の先、一つ下の階をアサシンが高速で移動している気配も感じ取れた。私の方へと向かっている。

 英霊相手に、無礼を働き過ぎただろうか。
 死ぬのを邪魔され、怒りに任せて手が出てしまった。

 殺されても文句は言えない。むしろ殺してくれた方がありがたい。
 冷静になった気でいる頭でそんな事を考えた。

 真下からアサシンの気配が迫り上がり、目の前で実体化する。

「すごーい!」

「え?」

 実体化したアサシンに抱き締められ、気の抜けた声が漏れた。

「貴女、凄い魔術師ね。良いマスターに出逢えたわ」

 どうやらメリッサの実力の高さに喜んでいるらしい。
 ダメージを受けている様子も見えない。
 まあ、感情任せの雑な神秘の行使だった。サーヴァントに対しては痛みを与えるのが関の山だったのだろう。
 それでも、アサシンはメリッサを認めたらしかった。

「改めてマスター、私の真名はスキュラ! これからよろしくね♪」

 スキュラと言えば、ギリシャ神話に語られるメッシーナ海峡の怪物だ。
 腰から六頭の魔犬が生えた姿をしていると聞くが、魔犬の姿は見当たらない。
 腹部に巻かれた獣の毛皮と魔犬のイメージは繋がるが、詳細までは不明である。

「……マスター?」

 返事をくれないマスターに、アサシンの顔に心配の色が見え始める。
 そんなサーヴァントの様子を見てか、メリッサの目から涙が止めどなく溢れてきた。

 サーヴァントとは、聖杯戦争を戦い抜く為の使い魔である。
 メリッサは聖杯戦争に参加する気が無いし、サーヴァントを喚びだすつもりも無かった。

 しかし現にアサシンは召喚されてしまっている。
 落下時に初めて経験した生理的恐怖から、無意識にサーヴァントの召喚を行ってしまったのかもしれない。
 もしくは、祖先の霊魂がメリッサの自死を許さなかったのか。

 原因が何にせよ、喚び出すつもりのない使い魔を喚び出した事実は変わらない。
 あまつさえ、その使い魔に聖杯戦争への不参加を告げなければならない。
 聖杯戦争に参戦しないのならば、どうしてサーヴァントを喚び出したのか。

 恥だ。
 一流を自負するマガリャンイスの魔術師が、用途の無い使い魔を召喚した。
 更には自分で召喚した癖に逆ギレし、その使い魔に当たり散らした。

 他の魔術師に聞かれたら笑われる状況だ。
 その上、使い魔から心配される始末である。
 情けなくて涙が出る。



「えーと、その、何か心配事でもあるのかしら?
 さっきは外を落ちてたけど、死にたくなる程、辛かった?」

 激昂してサーヴァントに殴りかかったかと思えば、意気消沈して涙を流し始める。
 情緒不安定なマスターの様子から、アサシンは先程の状況を自殺と判断した。
 マスターに死なれては困るので、メリッサに希望を示すべく言葉を続けた。

「任せてマスター! 私がどんな不安も障害も吹き飛ばすわ!
 聖杯が手に入れば、何だって願いも叶うんだから!
 だから──」

「無理よ」

 アサシンの言葉をメリッサが止める。
 どんなに説得され様と、メリッサの考えは変わらない。

 続く言葉を発そうとして、メリッサは息が詰まった。
 それでも、言わなければいけない。

 名前を言うのも悍ましく、恐ろしい存在だが、
 何が危険かはこのサーヴァントに伝えなければいけない。

 それが使い魔を召喚した魔術師の責任だと、自分を精一杯に奮い立たせる。

「“神寂祓葉”が、居るのよ……」

 震える声を、絞り出す。
 名前を言うだけで頭が痛い。内臓が暴れそうだ。

「聖杯の獲得は、諦めて」

 最低限の事はサーヴァントに伝えた。
 これで私の責任は果たしたと、メリッサは口を噤む。

 今の短い言葉だけでは、強力な敵のせいでメリッサが勝利を諦めている、
 という事しかアサシンには伝わらないだろう。

 故に次にアサシンが発する言葉は、その敵がどの程度の脅威であるかを
 メリッサに問う内容の筈だった。

 しかし問いを投げ掛ける直前、アサシンの気配感知に反応があった。
 気配の元はここより高所。ビルの屋上からサーヴァントと人間がやって来る。

「何か来るわよ」

 アサシンが無意識に口にした言葉は“何か”であった。
 感じる気配はサーヴァントが一騎。人間が一人。
 その内容に間違いは無い筈だが、アサシンに混在する魔獣の第六感が、気配の元を“何か”と形容した。

 遅れて、メリッサが警戒に当たらせていた死霊から情報が届く。
 甲高い、金管楽器の様な歌声。
 背筋の凍る悍ましき旋律が、死霊の使い魔からメリッサへと齎される。

「や、やだ」

 ビルの周りに飛ばした死霊が一体、“何か”に撫でられ消滅した。
 位置は屋上より少し下だろうか。
 急いで他の死霊との繋がりを断つ。

 死霊に下した命令が無意味と化す行為だが、それでも嫌な現実から目を逸らす事を優先した。
 何も聞かない見たくもない。嫌だ。嫌だ。有り得ない。

 かちかちと歯の根が合わず、治まらない。
 何が来るのか、分かっている。
 分かっているが、理解を脳が拒絶する。

「大丈夫。私が居るわ」

 戦いを前に身が竦んで動けないマスターとなれば、常ならばハズレと嘆いていたかもしれない。
 人間を餌か外敵としか見ていない怪物なのだが、何故かメリッサの事は気遣ってしまっている。
 それはマスターの姿に、昔の自分と何処か重なる部分を感じたからかもしれなかった。

 遠い昔、アサシンも恐怖に震えていた時期があった。
 暗く冷たい、誰も居ない海の中で、恐怖が自分に付き纏う。
 どんなに逃げても傍に在り、それは絶対に離れない。

 何がそんなに恐ろしかったのか。
 今では忘れてしまった事だが、思い出としては残っていた。

 さて、そんな昔の思い出よりも、今の事が重要だ。
 小さく震えるマスターを守るべく、アサシンは一歩前に出る。
 マスターがこうも怯えているのは、やはり迫る来る敵陣営が原因だろうか。

 敵の気配は、ビルの外壁でステップを踏む様に、少しずつ近付いていた。

 サーヴァントの方は神秘の気配が薄く、英霊として現界しているのが不思議な程の脆弱さ。
 人間の方も魔力の気配が感じられず、神秘とは縁遠い一般人ではないだろうか。
 それでもサーヴァントと共に行動している以上は、マスターであるのは間違いないだろう。

 油断する訳ではないが、どちらもマスターが怯える程の脅威になるとは思えなかった。

 予想される出現場所は、オフィスの向かい側だろうか。
 丁度、アサシン達が侵入したのと逆の方向だ。



「いや、来る、やだ、やだ、やだ」

 メリッサの目と口は開きっ放しで、涙と涎が床に垂れる。
 実力は有るのに、様子のおかしなマスターに憐みを覚えつつ、アサシンは腹部の毛皮に手を添えた。
 宝具はいつでも使用可能だ。

 歌声が近付いてくる。
 短い時間が過ぎた後、窓ガラスが割れ、敵の姿が現れた。

 新雪を思わせる白髪の少女と、だぼだぼのジャケットを身に付けた少年。
 少年の見た目は女と区別が付かないが、匂いで男だと分かる。
 少女がマスターで、少年がサーヴァントだ。

 魔術師ではない少女に、低級のサーヴァント。
 どちらも弱い。宝具を開放すれば一瞬で決着は付くだろう。

「あっ!」

 メリッサの姿を認識した少女が、ぱっと顔を輝かせた。

「久しぶ──」

「アサシンンンンンンンンン!!!!!」

 笑顔でこちらに手を振る少女が挨拶を言い終えるよりも先に、アサシンが宝具を開放するよりも前に、
 アサシンのマスターが右手を掲げ、喉が張り裂けんばかりに叫びを上げる。

「私を連れて逃げろおォォォォォォオオオオ!!!!!!」

 マスターは何を言っているのか。疑問が浮かぶより早く、身体は動いた。
 メリッサを腕に抱き、令呪による強制力を以て、アサシン陣営は音より速くビルから飛び出した。

 轟音と衝撃波でビルの壁に大穴が生まれ、瓦礫とガラスが散弾の様に外に飛び散った。

「──り……あれ?」

 少女が割った背後の窓から、突風がオフィスに流れ込む。
 突風は向かいの大穴から吹き抜け、崩れた瓦礫と共に書類や小物を吐き出した。

 やがて風も治まり、二人だけのオフィスに静寂が訪れる。

 手を上げたまま、少女がこてんと不思議そうに小首を傾げ、少年を見る。
 少年は少女を見つめ返し、呆れた顔で溜息を吐いた。



 ◆ ◆ ◆



 瞬間移動と見紛う速さで、アサシン陣営は海面に激突した。
 爆音と共に天高く水柱を上げ、文字通り世界の果てで停止する。

 衝撃で海水が吹き飛ばされた結果海底が露出し、その空白地帯に海水が押し寄せる。
 アサシンはマスターを抱えたまま大きく飛び上がり、荒れる海面に着水した。

 場所は東京湾の最端部。
 羽田空港の沖合である。

 海水が激しく動いた事で、海は小山の様に大きく波打っている。
 そんな荒れ狂う海の上を、アサシンはマスターを濡らさぬ様、水中に沈む事無く移動を始める。
 海の怪物であり、海精でもあった彼女に掛かれば、嵐の海であろうとも支障なく行動が可能である。

 海は何度も大きくうねり、高波を周囲に広げていた。
 上下に揺れる海の上。陸地の光を目指して進む。

「マスター、無事?」

 『逃げる』という単純明快な命令に従い、一瞬の内に移動したが、マスターの力量の高さ故か異常な速度を出してしまった。
 もしも地上で停止していたら、地表を吹き飛ばすクレーターを生んだかもしれない。

 およそ常人が耐えられる速度では無かった。逃走経路を辿られない様、急激な方向転換も幾度か行った。
 それでも腕の中のマスターは、顔が恐怖に染め上げられてはいるものの、五体満足で命に別状は無い様だった。

「う、うぁ……あぁぁ……」

 メリッサは頭を抱え、胎児の様に丸くなる。肉体は無事でも、精神が疲弊している。
 この反応は、恐らく逃走によるものではないだろう。考えられるとすれば──

「さっきのが、マスターの怖いもの?」

 アサシンの言葉に、メリッサの身体が更に縮こまる。
 ガリガリと頭を掻き毟り、呻き声が漏れていた。

 マスターよりも小柄なサーヴァントであるが、アサシンは赤子をあやす様にしてメリッサを抱きかかえる。
 話の続きは陸地で行うのが良さそうだ。
 そこからは会話も無く、夜の海を静かに進んだ。

 陸地が近付くにつれ、消波ブロックに高波が叩き付けられる音が聞こえてくる。
 波間に紛れて、羽田空港へ上陸した。

 安全と思える場所に移動し、マスターを静かに降ろす。
 地面に降ろされたメリッサはしゃがみ込み、どこを見つめるでもなく身体を丸めて俯いている。
 こんな状況ではあるが、これからについては話し合わなくてはいけない。



「ねえ、カムサ」

「言うなァ!!!」

 カムサビフツハという名が紡がれるのを阻止すべく、メリッサがアサシンに対して死霊を解き放つ。
 物理的な影響力と呪詛を纏った攻撃的な使い魔である。

 この死霊をアサシンは難なく躱すが、死霊は引き返し、再びアサシンへと銃弾に匹敵する速度で襲い掛かる。
 どうやら目標が死ぬまで何度も襲う性質を持つらしい。
 死霊を防いだり、弾いたりしても、再度勢いを付けて向かってくるのだろう。

 こうなると宝具を使うか迷う処だが、アサシンはこの攻撃を己で受け止める事を選択した。
 己のスキルだけで対処可能と判断したのも有るが、何より宝具無しでも私は強いとマスターに示したかった。

 メリッサに逃走を選択させてしまったのは、私が弱いと思われているからではないだろうか。
 それではサーヴァントとして、多少なりともプライドが傷付いてしまう。

 高速で飛来する死霊に向けて、アサシンが左手を掲げる。
 すると腕の先に肉食獣の牙が生え揃い、大きく開口する魔獣の顎へ変貌したかと思うと、一瞬で死霊を飲み込んでしまった。

 飲み込まれた死霊は為す術無くアサシンに吸収されていくが、存在が消滅する前に強力な呪詛を残していく。
 魂を侵し、行動を害し、治癒を阻む。並の魔術師であれば触れただけで卒倒する程、強い呪いだ。

 だが相手がサーヴァントでは、腕に痺れを齎す程度の効果しか発揮出来なかった。
 アサシンの左腕が死霊の咀嚼を完了すると、魔獣の口は鳴りを潜め、白磁の様な白い腕へと戻っていく。
 その頃にはもう、呪詛の影響も消失していた。

 アサシンは大魔女の呪毒によって、その身が魔性に変じた存在だ。
 神代の呪いの前では、西暦以降の呪詛など簡単に掻き消えてしまうのかもしれない。

 大した事など無かったかの様に、アサシンがマスターに視線を戻す。
 アサシンに対して追撃を仕掛ける様子は無さそうだが、肩を上下させる程に息は荒く、興奮状態なのは見て取れた。

 メリッサがアサシンを指さし、怒声を飛ばす。

「お前! “アレ”を! 絶対!! 口にするな!!!」

「アレっていうのは、さっきの……敵マスターの方で良いのよね?」

「そうよっ!! そうよ……何で……何で出て来たのよぉぉぉ……
 私が名前を言ったから現れたんだわ。嫌よ、来ないで、来ないで……」

 メリッサは怯えた目で周囲を見渡し、神寂祓葉の不在を何度も何度も確認する。
 名前を言ったらやって来る、なんて子供に聞かせる怪談みたいな話だが、
 メリッサの中ではその名を口にするのも避ける程、恐怖の存在として確立してしまっている。

「そんなに怖がる必要は無さそうに見えたけど」

 危機感の薄いアサシンを睨み付けると、メリッサは再び激昂した。

「お前は“アレ”を! 見なかったの!? ねえ!?
 あんなの! あんなのぉぉぉぉ!! 存在して良い訳が無いだろォォォォオ!!?」

「そんなにヤバ~い存在なのねえ。それならちゃんと気を付けるわ」

 半狂乱のマスターを前にしながら、アサシンは自然体で会話を続ける。
 感情の落差はあれ、二人の会話が成立しているのは異常事態であるのだが、どちらもそれを気にしない。
 片方は余裕が無く、もう片方は話が通じる事を喜んでいた。

「でもマスターはあんなのと遭遇して生き延びたんでしょ?
 もっと自信持って良いと思うけどなあ」

「何言ってるの? 死んだわよ。殺されたわよ。
 お前は知らないだろうけど、この聖杯戦争は二度目なのよっ!!」

 目を見開き、メリッサは叫ぶ。
 “アレ”がどんなに出鱈目で理不尽か、このサーヴァントに教えねばならない。

「私の一族の! 二千年の研鑽が! 全部! 全く!! 通用しないの!!!
 分かる!? 二千年よ!? に・せ・ん・ね・ん!! ウチは魔術の名門なのに!!
 魔術師でもない素人にぃぃぃぃぃぃぃぃ」

 顔を覆い、苦悶の表情が滲み出る。

 歴史あるマガリャンイスの魔術を、児戯の様に踏み潰されたのが許せない。
 二千年の研鑽が、全て無駄に終わった事を認めたくない。
 祖先に誇れる魔術師として、一族の矜持を胸に立ち上がりたい。

 でも、無理だ。
 人生の全てを塗り潰す程の恐怖がメリッサを支配する。

「酷い……酷いのよ……?
 聖杯戦争なんだから、サーヴァントを倒したらそれで良いでしょう?
 なのに私を追い掛けてきたのよ? 今もこうして……私の事を……」

 理不尽だと涙を零す。
 言葉も思考も感情も、繋がりが無く滅茶苦茶だ。
 こんな状態では戦えないと自分でも分かる。



 とにかくもう、この地獄から一刻も早く逃げ出したかった。

「だから悪いけど、私もお前もここで終わりよ。
 続けたいなら、他を当たって」

 指の間、涙で濡れた髪の隙間から、メリッサはアサシンを見据えている。

 不十分な独り語りを吐き出しただけだったが、これで説明責任は果たしたとばかりに
 メリッサは会話を打ち切った。

 これ以上は何も言う事が無いし、聖杯戦争にも参加しないと態度で示す。

 このまま何もしなければ、マスターは間もなく自決してしまうに違いない。
 アサシンにとっては困った状況だが、それでもまだ座に還るには早いだろう。
 メリッサの今までの言動を振り返り、現状を推察する。

「思ったんだけど」

 そして一つの疑問を口にした。

「マスターは死んで、蘇って今回の聖杯戦争に参加する事になったのよね?
 それなら今死んでも、また蘇るだけなんじゃない? 次は第三次聖杯戦争~~、みたいな?」

 アサシンの言葉に、メリッサは凍り付く。
 聖杯戦争に勝ち残り、二度目の聖杯戦争を願う様な狂人だ。
 第三次聖杯戦争に再び巻き込まれる事を否定出来ない。

「は……ははははは……」

 渇いた笑いが漏れ出した。
 それではどうすればこの地獄から抜け出せるのか。

 閉じた世界に逃げ場は無く、死んだ先にも救いは無い。

「じゃあ、どうしろって言うのよ……こんなの……」

「簡単よ。聖杯を手に入れれば良いわ」

「はぁ?」

 アサシンの言葉に、思わず呆れて声が出た。

「そして願えば良いのよ。マスターの嫌いなもの全部、消して下さ~い。ってね♪」

 私に配慮して遠回しな言い方をしているが、要するに聖杯に神寂祓葉の消滅を願えば良いと言っている。

 確かに“アレ”を消すには聖杯でも無ければ無理だろう。
 だがそれは、“アレ”を倒さなければ手に入らないという矛盾がある。

 こいつは私の話を聞いていなかったのか?
 怒りで頭が真っ白になる。

「それが無理だって! 言ってんだろうがよォォォォオオオ!!!!!
 どーーーやって“アレ”を倒すつもりだテメェ!!!!」

「え? サーヴァントの方は雑魚っぽかったじゃない?」

「サーヴァントぉ?」

 今まで気に掛けた事も無い、“アレ”の傍らに居た存在を思い出す。

 サーヴァントのステータスは、マスターに依って異なる見え方をする。
 メリッサの場合は、それは火の灯る蝋燭の姿で頭に浮かんだ。

 敵サーヴァントのステータスは軒並み低ランク。
 殆どの蝋燭は背が低く、火の勢いも弱々しい。

 その中で唯一、宝具を示す部分のみが煌々と輝いていた。
 蝋燭すら存在しない、炎のみで構成された火柱。評価規格外を示す情景だ。

 どの様な宝具を持っているかは警戒すべきサーヴァントだが、
 それ以外の点に於いては通常攻撃の一撃で消滅しそうな程に脆く弱い。

 考え込むマスターの姿を見て、アサシンは勝算がまだ残っている事を確信した。
 マスターの恐怖の対象は“カムサビフツハ”だけであり、そのサーヴァントは対象外なのだ。

「そう! 聖杯戦争はね、サーヴァントが最後の一騎になるまで戦えば良いの。
 別にそのマスターまで相手にする必要は無いわ」

 確かにサーヴァントを倒してしまえば、“アレ”と関わらずに聖杯を手に入れられるかもしれない。
 保有スキルが厄介なタイプという可能性を考慮しても、絶対に勝てないという絶望感は無い。

 希望が見えた気がした。
 聖杯の願いであれば、流石の“アレ”も消滅を免れまい。

 ──本当に?

「ぐぅ、うううぅぅぅぅううぅぅううぅぅぅうううううぅぅうううううう」

 酷い頭痛がする。頭を自分で圧し潰しているせいだろうか。
 それとも“アレ”について思考する事を脳が拒絶しているからだろうか。

 獣の様な唸り声で頭を悩ませるマスターを見て、アサシンは安堵した。
 神寂祓葉に関する問題は残っているが、少なくとも希死念慮からは脱したのではないだろうか。

 後はアニマルセラピーでマスターの心のケアをすればばっちりである。



「マスター見て見て」

 アサシンの足元には、いつの間にか六匹の大型犬が存在していた。
 姿は狼に似ており、毛皮の色は非常に暗い青色。アサシンの腹部の毛皮と同色だ。
 引き紐(リード)はアサシンの腰部まで伸びており、下衣に挟まれて先端は見えなくなる。

 いや、それは紐なのだろうか。
 よく観察すれば、犬の毛を撚り合わせて作った生体的な器官にも思えた。
 だが指摘されなければ、遠目にはただの引き紐に見えるだろう。

 アサシンは犬達を連れてメリッサに近付くと、笑顔でそれらを紹介した。
 犬達の名を聞いて、メリッサは眉を顰める。
 それは一から六を表すギリシャ数字であったからだ。

「可愛いでしょ~。撫でてみたら、きっと落ち着けると思うの」

 名前について指摘する事はせず、言われた通りに撫でてみる。
 思ったよりも手触りは良い。手から伝わる体温も心地良く感じる。

「これが伝承に聞く、お前の魔犬?」

「そうよ~。みんな良い仔達でね、本当はもっと大きいんだけど──」

 アサシンの魔犬自慢を聞きながら、メリッサは魔犬の群れに身体を委ねる。
 今日は酷く疲れてしまった。もう、何も考えたくない。
 意識を手放しかけた時、魔犬がピクリと反応した。
 何かに気付いた動きだった。

 その振動でメリッサは飛び起きる。
 魔犬は一体何に反応した?
 まさかと思い、怯えた瞳で周囲を確認する。

「ああ、大丈夫よマスター。車に乗った人間が、こっちに近付いているみたいなの」

 アサシンの視線の先、遠くから回転灯を灯した車両が二台やってくる。
 そう言えば、ここは空港の敷地内だった事をメリッサは思い出す。
 魔術的な隠蔽を施した覚えも無い。どこかのセンサーか監視カメラに、自分達の姿が反応したのだろう。

「サーヴァントだから別にお腹は減らないんだけど、せっかくだし食事にしましょうか」

 明るい声で、アサシンは魔犬達に語り掛ける。
 そう、アサシンは人を襲う怪物だ。魂喰いに何の罪悪感も持っていない。

「駄目よアサシン」

 メリッサがアサシンを諫める。
 マスターは人を襲う事に反対なのだろうか。だとすれば、この仔達の食事はどうするというのか。
 不満がアサシンの中で燻り始める。

「人体を食べるの? それ、消化に悪いわよ」

 メリッサの言葉に、アサシンに沸き上がりかけた怒りが小さくなる。
 我が仔を思っての行動であるなら不満は持たない。
 それにどうやら、食事についても考えがあるらしかった。

 メリッサは恐怖の色を瞳に宿しながら、接近する車両を迎え撃つ。
 現場に到着した車両からは六人の警官が降りてきた。数が丁度良いなとメリッサは思う。

 警官の一人が侵入者に対して警告を発するより前に、六人に向けて魔術を行使する。
 警官達は直立体勢のまま意識を無くし、倒れる事なく動きを止めた。

 魔術耐性の無い相手であれば、この程度は造作も無い。

 そして周囲の魂を魔術的に走査する。
 車両の陰には何も無く、周囲にもアサシンと目の前の六人以外に脅威は居ない。

 警官達も魂の質が“アレ”とは違う。この近くに“アレ”は存在しない。

 気配感知を持つアサシンが居る以上、過剰な確認であったし、普通に考えても神寂祓葉は変身能力を持っていない。
 しかし自分で確かめずにはいられなかった。
 いつか、予想外の方法で目の前に出現するのではないかと、どうしても考えてしまう。

 ふう、と息を吐き気持ちを切り替えると、警官達の身体に順番に触れていく。
 高速詠唱と共に警官の肌を一撫でする。そして掌を握れば、そこには魔力結晶が現れる。

 魂の物質化とは違う。魂を素材とした魔力の結晶化。
 神代の魔術師であれば大気のマナから。現代においても多量の生贄の下で実現可能な魔術である。

 それをマガリャンイス家は、魂から魔力結晶を作り出すものとして確立していた。
 メリッサの身に着けているブレスレットやネックレスは、そうして作られた魔力結晶であり、魂の情報を宿した礼装だ。
 魔術刻印を受け継がなかった血縁者は、こうして魔力結晶となる事でマガリャンイス家に貢献する事となる。

 メリッサは六つの魔術結晶を生み出すと、アサシン達の許へと戻る。
 そして魔力結晶を液状化させると、魔犬の口へと注ぎ込んだ。
 一匹ずつ順番に、その作業を繰り返す。

「霊体が肉体を捕食しても効率が悪いのよ。純粋な魔力を取り込んだ方がサーヴァントの力になるわ」

「ふふっ、ありがとうマスター。この仔達も喜んでるわ」

 魔力を口にした魔犬は尻尾を振り、喜びを表していた。
 メリッサに擦り寄る姿からも、それが見て取れる。
 そんな様子を見て、アサシンの顔も綻んでいた。

 魔犬達にもみくちゃにされながら、メリッサはアサシンの献身を考える。
 攻撃もした。罵倒もした。それでも私の事は気に掛けてくれている。
 この数時間を人生最悪の気分で過ごしていたが、アサシンを召喚した事だけは、悪くない出来事だと思えた。

「そういえば、さっき呪詛を食べたでしょ。見せて」

「ああ、平気よ。それよりマスターの死霊を潰してごめんね~」

「別に良いわよ。二百年物じゃサーヴァントに余り効かない事が分かったから」

 メリッサはアサシンに呪詛が残っていない事を確かめると、直立不動のままの警官達を魔術で動かし車に乗り込んだ。
 アサシンは霊体化してマスターに付いていく。

 警官の魂から記憶を読んだ際、監視カメラの位置を把握し以降の映像を偽装した。
 六体の魂の抜け殻には十時間で解ける指示を出し、空港敷地内に侵入してからの監視カメラ映像の消去を行わせるつもりだ。
 指示が解けた後は死体に戻るが、周囲からは突然死に見えるだろう。 

 空港施設内まで車両で移動した後は、魔術による暗示で警備を抜ける事が可能だ。
 その後はホテルにでも泊まり、今後について考えよう。

 しかし、ここは現実ではない仮想世界だと言うのに、何故自分は魔術の隠匿をこうして行っているのだろうか。
 メリッサは魔術師としての生き方しか知らないし、それを誇りに生きてきた。
 現実とは違うからと言って、いつもの行動を変えられる程、器用ではないらしい。

 霊体化したアサシンに目をやり、ステータスを確認する。
 アサシンは水場で真価を発揮するサーヴァントだ。
 水場の霊地を掌握するか、それとも土地そのものに水の属性を与えるか。
 勝利へ繋がる戦術は、どの様な物になるだろう。

 しかし霊地を掌握したとて、一処に留まるのも恐ろしい。いつか“アレ”に発見されてしまいそうで……

 駄目だ駄目だ。考えない。考えない。
 今はアサシンの運用方法だけを考える。
 “アレ”の事を思い浮かべるだけで発狂しそうだ吐き気がする。

 メリッサは頭を抑え、必死に神寂祓葉を思考の外に追いやろうとする。
 別の事を考えている間だけは、恐怖から逃れる事が出来るのだ。

 瞳が恐怖に揺れている。

 そんな怯えに濡れた魔術師を、見詰めているのは一騎と六頭。


 海峡の怪物。
 統べるは、達士。
 〈はじまりの六人〉。
 抱く狂気は〈逃避〉。

 メリッサ・ウラカ・テイシェイラ・マガリャンイス。
 統べるサーヴァントは、六頭十二脚の魔物。


 恐怖の星から目を逸らせ。目に付く物を破壊しろ。
 輝く星が一つになる迄。其れを見ざるを得なくなる迄。

 向き合う時が、きっと来る。



【クラス】
 アサシン

【真名】
 スキュラ

【属性】
 混沌・悪・地

【ステータス】
 筋力C+ 耐久C 敏捷B+ 魔力D 幸運D 宝具B

【クラススキル】
 気配遮断:B+
  サーヴァントとしての気配を断つ。隠密行動に適している。
  完全に気配を絶てば発見することは非常に難しい。
  水辺に於いてプラス補正が掛かる。

【保有スキル】
 気配感知:B+
  気配感知能力。
  同ランク以下の気配遮断を無効化する。
  水辺に於いてプラス補正が掛かる。
  アサシンは匂いや第六感という形で周囲の気配を感知している。

 海峡の怪物:A+
  海の怪物である事を表し、怪力や水棲、船乗りの墓場を内包する複合スキル。
  一時的に筋力、敏捷が1ランクアップし、水辺に於いては更にプラス補正が掛かる。
  アサシンはメッシーナ海峡の怪物として知られており、水中や水上を問題無く行動可能である。
  いくつもの船を沈めた伝承により、騎乗スキルを持つ英霊や船舶に対して有利な補正が働く。

 精神汚染:A
  精神が錯乱しているため、精神干渉系の魔術を遮断する。
  ただし、同ランクの『精神汚染』を有していない人物とは意思疎通ができない。
  アサシンは自身より生えた魔犬達を我が子の様に愛している。
  魔犬への攻撃、侮辱はアサシンの怒りを買う事になるだろう。
  正常な者と会話をする際は、相手を魔犬の餌と思いながら会話を行う。

 魔獣混成:C
  魔獣と混じり合った者が保有するスキル。
  アサシンは魔犬と感覚を共有し、嗅覚に優れている。
  更に身体の一部を魔犬に変質させ、腰部以外から魔犬を発生させたり顎を出現させる事が可能。


【宝具】
 『取巻く惨禍(テーラス・ティス・メッシーニス)』
 ランク:B 種別:対人宝具 レンジ:20 最大捕捉:6
  メッシーナ海峡の怪物。
  真名開放と共にアサシンの腹部からは六頭の魔犬が生え、脚部は六本の触腕と化し全長5mにまで巨大化する。
  魔犬は人間一人を容易く飲み込む巨大な顎を持ち、治癒を阻害し継続ダメージを与える呪毒の牙で敵に噛み付く。
  魔犬の首はレンジ内ならば自由に伸び縮みし、英雄の刃でも毛皮を斬れない。そして倒されても必ず六頭に再生する。
  大魔女による呪毒の結果であり、強大な呪いは他者からの呪い、毒を塗り潰して無効化する。


 『籠檻・暗礁洞窟(スピーリオ・スキーラス)』
 ランク:A 種別:対人宝具 レンジ:1 最大捕捉:6
  スキュラの洞窟。
  魔犬の毛皮で作られた宝具。
  この宝具は魔力の一切存在しない、無明の洞窟へと繋がっている。
  洞窟内は数百人規模の収容を可能としているが、一度に洞窟へ送れる数は最大六名までである。

  アサシンは毛皮を腹部に巻く事で、魔犬を洞窟内に収めて人の姿を保っている。
  また、敵を洞窟に閉じ込めた際は、外から送られる六頭の魔犬による集中攻撃を行う事も出来る。

  宝具を振るう際は、必然腹部から離す必要があるが、短時間であれば人の姿のままで宝具を使用する事が可能。
  だが腹部から離れる時間が長くなれば、アサシンの姿は怪物へと近付いていくだろう。

  もう一人の海峡の怪物がアサシンの縄張りに侵入した際には、その怪物を洞窟に閉じ込め餓死寸前まで追い込んだという。



【weapon】
 牙剣
 魔犬の牙から作られた短剣。
 傷口を広げる特性を持ち、治癒を阻害し継続ダメージを与える呪毒が塗られている。

【人物背景】
 メッシーナ海峡を二分する怪物の一人。
 スキュラとカリュブディスが通る船を襲う為、この海峡は通行不可能な魔の領域と化した。

 元は海精ニュムペーであり、多くの男達から求婚を申し込まれる程の美貌を持っていた。
 しかしスキュラは恋愛に興味が無く、その全てを拒み続けた。

 ある時、スキュラは海神グラウコスから愛を告げられるも、やはり拒否して逃げ出してしまう。
 スキュラの事を忘れられないグラウコスは、愛の霊薬を求めて大魔女キルケーを訪ねた。
 だがグラウコスを気に入ったキルケーは彼を誘惑し、グラウコスの心が動かないと見るや怒りの矛先をスキュラへと向け始める。

 スキュラお気に入りの小さな淵にキルケーは呪毒を流し込み、その淵にスキュラが腰まで入った処でキルケーは呪いを唱える。
 すると六匹の魔獣がスキュラの周囲を取り巻き、パニックを起こしたスキュラはその場を逃げ出そうとする。
 地上へ逃れ様とも魔獣が海へ引っ張る為に上れず、海へ逃げても魔獣は何処までも追って来て離れない。
 よく確認すると、魔獣は自分の腹部から生えていた。
 その事に気付いたスキュラは発狂し、周辺海域で船舶を襲う怪物へと変貌した。

 発狂したスキュラは、いつしか腹部の魔獣を我が子の様に愛し始めた。
 愛しい我が子なのだから、側に居ても怖くない。
 そう思わなければスキュラの精神は崩壊し、蠢く魔獣のみが残されただろう。
 しかし実際にはそこまで深くは愛しておらず、ただその様に振舞っているだけである。
 それは魔獣に付けた名前、アルファ、ベータ、ガンマ、デルタ、イプシロン、ディガンマがギリシャ数字の一から六である事からも明白だ。

 その為、魔獣の一匹が何らかの理由で行動不能になった際は、躊躇なく殺害し、新たな魔獣を再生させる。
 だってその方が元気な姿になれるから。その仔の為にも再生させなきゃ。

 それでも自分は我が子の事を本気で愛していると思い込んでいる為、魔獣達を大切にするし、
 攻撃を受ければ魔獣をけしかけて報復する。

 メッシーナ海峡で船舶を襲った理由は、我が子の餌が通りかかった。ただそれだけの理由である。


【外見・性格】
 芸術品の様に整った顔立ちをした美しい女性。
 上衣と下衣に分かれた、古代ギリシャのキトンに身を包み、腹部に魔犬の毛皮を巻いている。
 現代服を纏うとしても、必ず腹部を露出させ『籠檻・暗礁洞窟』を巻き付ける。

 魔犬を大型犬の状態で限定的に分離する事も可能。
 ただしアサシンと魔犬は引き紐(リード)の様なもので繋がっている必要がある。

 変身時には腹部から六頭の魔犬が露出し、足は六本の触腕となり体長が5mまで巨大化する。
 腹部から飛び出した魔犬はそれぞれ二本の脚を持ち、地上を走る事も可能である。

 全ての人間を我が子である魔犬の餌と思っており、またその様に扱う。
 正常な人間との会話は成立しないが、仮に会話が成立した場合は友好を結べる可能性がある。
 言動は温和だが、魔犬を傷付けられたり馬鹿にされれば怒りと共に魔犬を差し向けるだろう。

【身長・体重】
 159cm/300kg(人間時。魔犬を含む)
 500cm/3000kg(変身時。足が触腕となり伸びる)

【聖杯への願い】
 この子達と平和に暮らしたい。
 メッシーナの海辺で、私から離れた六頭の仔達と、静かな時を過ごしたい。

 その本質は魔犬との分離。
 恐怖の根源である魔犬と別れ、元の姿に戻りたいという願いである。

【マスターへの態度】
 魔術師としては一流ね。でも怖がりだから心配しちゃうわ。
 私もそんな時期があったから、寄り添ってあげたくなるの。
 でも……何がそんなに怖かったのかしら? 昔過ぎて忘れちゃった。




【名前】
 メリッサ・ウラカ・テイシェイラ・マガリャンイス/Melissa Urraca Teixeira Magalhaes

【性別】
 女性

【年齢】
 21歳

【属性】
 秩序・中庸

【外見・性格】
 ポルトガル出身の女性魔術師。
 かつては夜の海を思わせる藍色の髪を二つに結っていた。
 しかし艶やかだった美髪は見る影も無くなり、振り乱された状態で放置されている。
 瞳は怯えに染まり、歯が震え噛み合わない。
 元は自信に満ち溢れた魔術師だったが、今の彼女の精神は神寂祓葉に対する恐怖で塗り潰されている。
 神寂祓葉と関わりたくない。神寂祓葉から逃げ出したい。だけど“ヤツ”が居る限り、この世に逃げ場は有りはしない。
 ならば死ぬしかないのだが、生き返るのなら意味が無い。
 どうにも出来ない恐怖の中で、一流を自負した魔術の才能をフル稼働させ、彼女は“恐怖”を振り切る為に狂奔する。

【身長・体重】
 172cm/62kg

【令呪】
 残り2画

【魔術回路・特性】
 質:A+ 量:A 属性:地
 特性:『魂の使役』

【魔術・異能】
 起源は『触れて確かめる』。
 触れた相手の魂から記憶や情報、性質等を知る事が出来る。
 大気に触れる事で魔力残滓の解析も可能。
 この起源の為、肌面積の多い服装をしている。

 ◆死霊魔術。
 魂を結晶化したブレスレットやネックレスから死霊を開放し、使役する。
 攻撃や索敵に使え、呪詛を乗せる事も可能。
 使役する死霊は血族に連なる者達であり、当主の為に忠実に働いてくれる。 

 ◆魂の結晶化
 触れた魂を魔力結晶に変える。
 結晶化した魂を再び開放する事も可能だが、血族以外の死霊は
 呪詛が自分に返ってくる可能性がある為、開放する気は無い。
 魔力結晶は魔術を使用する際の消耗品となる。

 ◆祖霊魔術
 祖霊の魂にアクセスし、祖霊が極めた魔術を再現する。
 メリッサは地属性だが、祖霊の属性に合わせた魔術も再現可能。

【備考・設定】
 二千年続くマガリャンイス家の十二代当主。
 その身に九つの歴代当主の魂を保管している。

 初代は五百年間子孫の肉体を乗り換えて寿命を延ばしたが、
 肉体が変化する度に魂が変質した為、二代目によって封印された。

 また腕輪やブレスレットは、当主に選ばれなかった一族の血縁者の魂を魔力結晶化して連ねたものであり、
 魔力結晶は真珠大に加工してある。
 ブレスレットは右と左でそれぞれ11個、ネックレスは20個と30個。合計72個の魔力結晶を礼装として保有している。
 現在4個消費して残り68個である。

【聖杯への願い】
 神寂祓葉の消滅。
 消えろ消えろ消えろ消えろ消えてお願い頼むからもう私に関わらないで。

【サーヴァントへの態度】
 聖杯戦争の為の使い魔。
 ただ、恐怖でおかしくなった私を気に掛けてくれているのは助かっている。
 マスターとして、サーヴァントの献身には褒賞を与えるつもりはある。
 例えば、魔犬に人間を食べさせたいなら、より効率的な魔力結晶に変換して与えるとか。

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最終更新:2024年07月28日 15:38