れう

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れう - (2022/05/29 (日) 20:30:38) の1つ前との変更点

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親譲おやゆずりの無鉄砲むてっぽうで小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰こしを抜ぬかした事がある。なぜそんな無闇むやみをしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談じょうだんに、いくら威張いばっても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃はやしたからである。小使こづかいに負ぶさって帰って来た時、おやじが大きな眼めをして二階ぐらいから飛び降りて腰を抜かす奴やつがあるかと云いったから、この次は抜かさずに飛んで見せますと答えた。  親類のものから西洋製のナイフを貰もらって奇麗きれいな刃はを日に翳かざして、友達ともだちに見せていたら、一人が光る事は光るが切れそうもないと云った。切れぬ事があるか、何でも切ってみせると受け合った。そんなら君の指を切ってみろと注文したから、何だ指ぐらいこの通りだと右の手の親指の甲こうをはすに切り込こんだ。幸さいわいナイフが小さいのと、親指の骨が堅かたかったので、今だに親指は手に付いている。しかし創痕きずあとは死ぬまで消えぬ。  庭を東へ二十歩に行き尽つくすと、南上がりにいささかばかりの菜園があって、真中まんなかに栗くりの木が一本立っている。これは命より大事な栗だ。実の熟する時分は起き抜けに背戸せどを出て落ちた奴を拾ってきて、学校で食う。菜園の西側が山城屋やましろやという質屋の庭続きで、この質屋に勘太郎かんたろうという十三四の倅せがれが居た。勘太郎は無論弱虫である。弱虫の癖くせに四つ目垣を乗りこえて、栗を盗ぬすみにくる。ある日の夕方折戸おりどの蔭かげに隠かくれて、とうとう勘太郎を捕つらまえてやった。その時勘太郎は逃にげ路みちを失って、一生懸命いっしょうけんめいに飛びかかってきた。向むこうは二つばかり年上である。弱虫だが力は強い。鉢はちの開いた頭を、こっちの胸へ宛あててぐいぐい押おした拍子ひょうしに、勘太郎の頭がすべって、おれの袷あわせの袖そでの中にはいった。邪魔じゃまになって手が使えぬから、無暗に手を振ふったら、袖の中にある勘太郎の頭が、右左へぐらぐら靡なびいた。しまいに苦しがって袖の中から、おれの二の腕うでへ食い付いた。痛かったから勘太郎を垣根へ押しつけておいて、足搦あしがらをかけて向うへ倒たおしてやった。山城屋の地面は菜園より六尺がた低い。勘太郎は四つ目垣を半分崩くずして、自分の領分へ真逆様まっさかさまに落ちて、ぐうと云った。勘太郎が落ちるときに、おれの袷の片袖がもげて、急に手が自由になった。その晩母が山城屋に詫わびに行ったついでに袷の片袖も取り返して来た。  この外いたずらは大分やった。大工の兼公かねこうと肴屋さかなやの角かくをつれて、茂作もさくの人参畠にんじんばたけをあらした事がある。人参の芽が出揃でそろわぬ処ところへ藁わらが一面に敷しいてあったから、その上で三人が半日相撲すもうをとりつづけに取ったら、人参がみんな踏ふみつぶされてしまった。古川ふるかわの持っている田圃たんぼの井戸いどを埋うめて尻しりを持ち込まれた事もある。太い孟宗もうそうの節を抜いて、深く埋めた中から水が湧わき出て、そこいらの稲いねにみずがかかる仕掛しかけであった。その時分はどんな仕掛か知らぬから、石や棒ぼうちぎれをぎゅうぎゅう井戸の中へ挿さし込んで、水が出なくなったのを見届けて、うちへ帰って飯を食っていたら、古川が真赤まっかになって怒鳴どなり込んで来た。たしか罰金ばっきんを出して済んだようである。  おやじはちっともおれを可愛かわいがってくれなかった。母は兄ばかり贔屓ひいきにしていた。この兄はやに色が白くって、芝居しばいの真似まねをして女形おんながたになるのが好きだった。おれを見る度にこいつはどうせ碌ろくなものにはならないと、おやじが云った。乱暴で乱暴で行く先が案じられると母が云った。なるほど碌なものにはならない。ご覧の通りの始末である。行く先が案じられたのも無理はない。ただ懲役ちょうえきに行かないで生きているばかりである。  母が病気で死ぬ二三日にさんち前台所で宙返りをしてへっついの角で肋骨あばらぼねを撲うって大いに痛かった。母が大層怒おこって、お前のようなものの顔は見たくないと云うから、親類へ泊とまりに行っていた。するととうとう死んだと云う報知しらせが来た。そう早く死ぬとは思わなかった。そんな大病なら、もう少し大人おとなしくすればよかったと思って帰って来た。そうしたら例の兄がおれを親不孝だ、おれのために、おっかさんが早く死んだんだと云った。口惜くやしかったから、兄の横っ面を張って大変叱しかられた。  母が死んでからは、おやじと兄と三人で暮くらしていた。おやじは何にもせぬ男で、人の顔さえ見れば貴様は駄目だめだ駄目だと口癖のように云っていた。何が駄目なんだか今に分らない。妙みょうなおやじがあったもんだ。兄は実業家になるとか云ってしきりに英語を勉強していた。元来女のような性分で、ずるいから、仲がよくなかった。十日に一遍いっぺんぐらいの割で喧嘩けんかをしていた。ある時将棋しょうぎをさしたら卑怯ひきょうな待駒まちごまをして、人が困ると嬉うれしそうに冷やかした。あんまり腹が立ったから、手に在った飛車を眉間みけんへ擲たたきつけてやった。眉間が割れて少々血が出た。兄がおやじに言付いつけた。おやじがおれを勘当かんどうすると言い出した。  その時はもう仕方がないと観念して先方の云う通り勘当されるつもりでいたら、十年来召し使っている清きよという下女が、泣きながらおやじに詫あやまって、ようやくおやじの怒いかりが解けた。それにもかかわらずあまりおやじを怖こわいとは思わなかった。かえってこの清と云う下女に気の毒であった。この下女はもと由緒ゆいしょのあるものだったそうだが、瓦解がかいのときに零落れいらくして、つい奉公ほうこうまでするようになったのだと聞いている。だから婆ばあさんである。この婆さんがどういう因縁いんえんか、おれを非常に可愛がってくれた。不思議なものである。母も死ぬ三日前に愛想あいそをつかした――おやじも年中持て余している――町内では乱暴者の悪太郎と爪弾つまはじきをする――このおれを無暗に珍重ちんちょうしてくれた。おれは到底とうてい人に好かれる性たちでないとあきらめていたから、他人から木の端はしのように取り扱あつかわれるのは何とも思わない、かえってこの清のようにちやほやしてくれるのを不審ふしんに考えた。清は時々台所で人の居ない時に「あなたは真まっ直すぐでよいご気性だ」と賞ほめる事が時々あった。しかしおれには清の云う意味が分からなかった。好いい気性なら清以外のものも、もう少し善くしてくれるだろうと思った。清がこんな事を云う度におれはお世辞は嫌きらいだと答えるのが常であった。すると婆さんはそれだから好いご気性ですと云っては、嬉しそうにおれの顔を眺ながめている。自分の力でおれを製造して誇ほこってるように見える。少々気味がわるかった。  母が死んでから清はいよいよおれを可愛がった。時々は小供心になぜあんなに可愛がるのかと不審に思った。つまらない、廃よせばいいのにと思った。気の毒だと思った。それでも清は可愛がる。折々は自分の小遣こづかいで金鍔きんつばや紅梅焼こうばいやきを買ってくれる。寒い夜などはひそかに蕎麦粉そばこを仕入れておいて、いつの間にか寝ねている枕元まくらもとへ蕎麦湯を持って来てくれる。時には鍋焼饂飩なべやきうどんさえ買ってくれた。ただ食い物ばかりではない。靴足袋くつたびももらった。鉛筆えんぴつも貰った、帳面も貰った。これはずっと後の事であるが金を三円ばかり貸してくれた事さえある。何も貸せと云った訳ではない。向うで部屋へ持って来てお小遣いがなくてお困りでしょう、お使いなさいと云ってくれたんだ。おれは無論入らないと云ったが、是非使えと云うから、借りておいた。実は大変嬉しかった。その三円を蝦蟇口がまぐちへ入れて、懐ふところへ入れたなり便所へ行ったら、すぽりと後架こうかの中へ落おとしてしまった。仕方がないから、のそのそ出てきて実はこれこれだと清に話したところが、清は早速竹の棒を捜さがして来て、取って上げますと云った。しばらくすると井戸端いどばたでざあざあ音がするから、出てみたら竹の先へ蝦蟇口の紐ひもを引き懸かけたのを水で洗っていた。それから口をあけて壱円札いちえんさつを改めたら茶色になって模様が消えかかっていた。清は火鉢で乾かわかして、これでいいでしょうと出した。ちょっとかいでみて臭くさいやと云ったら、それじゃお出しなさい、取り換かえて来て上げますからと、どこでどう胡魔化ごまかしたか札の代りに銀貨を三円持って来た。この三円は何に使ったか忘れてしまった。今に返すよと云ったぎり、返さない。今となっては十倍にして返してやりたくても返せない。  清が物をくれる時には必ずおやじも兄も居ない時に限る。おれは何が嫌いだと云って人に隠れて自分だけ得をするほど嫌いな事はない。兄とは無論仲がよくないけれども、兄に隠して清から菓子かしや色鉛筆を貰いたくはない。なぜ、おれ一人にくれて、兄さんには遣やらないのかと清に聞く事がある。すると清は澄すましたものでお兄様あにいさまはお父様とうさまが買ってお上げなさるから構いませんと云う。これは不公平である。おやじは頑固がんこだけれども、そんな依怙贔負えこひいきはせぬ男だ。しかし清の眼から見るとそう見えるのだろう。全く愛に溺おぼれていたに違ちがいない。元は身分のあるものでも教育のない婆さんだから仕方がない。単にこればかりではない。贔負目は恐ろしいものだ。清はおれをもって将来立身出世して立派なものになると思い込んでいた。その癖勉強をする兄は色ばかり白くって、とても役には立たないと一人できめてしまった。こんな婆さんに逢あっては叶かなわない。自分の好きなものは必ずえらい人物になって、嫌いなひとはきっと落ち振れるものと信じている。おれはその時から別段何になると云う了見りょうけんもなかった。しかし清がなるなると云うものだから、やっぱり何かに成れるんだろうと思っていた。今から考えると馬鹿馬鹿ばかばかしい。ある時などは清にどんなものになるだろうと聞いてみた事がある。ところが清にも別段の考えもなかったようだ。ただ手車てぐるまへ乗って、立派な玄関げんかんのある家をこしらえるに相違そういないと云った。  それから清はおれがうちでも持って独立したら、一所いっしょになる気でいた。どうか置いて下さいと何遍も繰くり返して頼んだ。おれも何だかうちが持てるような気がして、うん置いてやると返事だけはしておいた。ところがこの女はなかなか想像の強い女で、あなたはどこがお好き、麹町こうじまちですか麻布あざぶですか、お庭へぶらんこをおこしらえ遊ばせ、西洋間は一つでたくさんですなどと勝手な計画を独りで並ならべていた。その時は家なんか欲しくも何ともなかった。西洋館も日本建にほんだても全く不用であったから、そんなものは欲しくないと、いつでも清に答えた。すると、あなたは欲がすくなくって、心が奇麗だと云ってまた賞めた。清は何と云っても賞めてくれる。  母が死んでから五六年の間はこの状態で暮していた。おやじには叱られる。兄とは喧嘩をする。清には菓子を貰う、時々賞められる。別に望みもない。これでたくさんだと思っていた。ほかの小供も一概いちがいにこんなものだろうと思っていた。ただ清が何かにつけて、あなたはお可哀想かわいそうだ、不仕合ふしあわせだと無暗に云うものだから、それじゃ可哀想で不仕合せなんだろうと思った。その外に苦になる事は少しもなかった。ただおやじが小遣いをくれないには閉口した。  母が死んでから六年目の正月におやじも卒中で亡くなった。その年の四月におれはある私立の中学校を卒業する。六月に兄は商業学校を卒業した。兄は何とか会社の九州の支店に口があって行ゆかなければならん。おれは東京でまだ学問をしなければならない。兄は家を売って財産を片付けて任地へ出立しゅったつすると云い出した。おれはどうでもするがよかろうと返事をした。どうせ兄の厄介やっかいになる気はない。世話をしてくれるにしたところで、喧嘩をするから、向うでも何とか云い出すに極きまっている。なまじい保護を受ければこそ、こんな兄に頭を下げなければならない。牛乳配達をしても食ってられると覚悟かくごをした。兄はそれから道具屋を呼んで来て、先祖代々の瓦落多がらくたを二束三文にそくさんもんに売った。家屋敷いえやしきはある人の周旋しゅうせんである金満家に譲った。この方は大分金になったようだが、詳くわしい事は一向知らぬ。おれは一ヶ月以前から、しばらく前途の方向のつくまで神田の小川町おがわまちへ下宿していた。清は十何年居たうちが人手に渡わたるのを大いに残念がったが、自分のものでないから、仕様がなかった。あなたがもう少し年をとっていらっしゃれば、ここがご相続が出来ますものをとしきりに口説いていた。もう少し年をとって相続が出来るものなら、今でも相続が出来るはずだ。婆さんは何なんにも知らないから年さえ取れば兄の家がもらえると信じている。  兄とおれはかように分れたが、困ったのは清の行く先である。兄は無論連れて行ける身分でなし、清も兄の尻にくっ付いて九州下くんだりまで出掛ける気は毛頭なし、と云ってこの時のおれは四畳半よじょうはんの安下宿に籠こもって、それすらもいざとなれば直ちに引き払はらわねばならぬ始末だ。どうする事も出来ん。清に聞いてみた。どこかへ奉公でもする気かねと云ったらあなたがおうちを持って、奥おくさまをお貰いになるまでは、仕方がないから、甥おいの厄介になりましょうとようやく決心した返事をした。この甥は裁判所の書記でまず今日には差支さしつかえなく暮していたから、今までも清に来るなら来いと二三度勧めたのだが、清はたとい下女奉公はしても年来住み馴なれた家うちの方がいいと云って応じなかった。しかし今の場合知らぬ屋敷へ奉公易ほうこうがえをして入らぬ気兼きがねを仕直すより、甥の厄介になる方がましだと思ったのだろう。それにしても早くうちを持ての、妻さいを貰えの、来て世話をするのと云う。親身しんみの甥よりも他人のおれの方が好きなのだろう。  九州へ立つ二日前兄が下宿へ来て金を六百円出してこれを資本にして商買しょうばいをするなり、学資にして勉強をするなり、どうでも随意ずいいに使うがいい、その代りあとは構わないと云った。兄にしては感心なやり方だ、何の六百円ぐらい貰わんでも困りはせんと思ったが、例に似ぬ淡泊たんばくな処置が気に入ったから、礼を云って貰っておいた。兄はそれから五十円出してこれをついでに清に渡してくれと云ったから、異議なく引き受けた。二日立って新橋の停車場ていしゃばで分れたぎり兄にはその後一遍も逢わない。  おれは六百円の使用法について寝ながら考えた。商買をしたって面倒めんどくさくって旨うまく出来るものじゃなし、ことに六百円の金で商買らしい商買がやれる訳でもなかろう。よしやれるとしても、今のようじゃ人の前へ出て教育を受けたと威張れないからつまり損になるばかりだ。資本などはどうでもいいから、これを学資にして勉強してやろう。六百円を三に割って一年に二百円ずつ使えば三年間は勉強が出来る。三年間一生懸命にやれば何か出来る。それからどこの学校へはいろうと考えたが、学問は生来しょうらいどれもこれも好きでない。ことに語学とか文学とか云うものは真平まっぴらご免めんだ。新体詩などと来ては二十行あるうちで一行も分らない。どうせ嫌いなものなら何をやっても同じ事だと思ったが、幸い物理学校の前を通り掛かかったら生徒募集の広告が出ていたから、何も縁だと思って規則書をもらってすぐ入学の手続きをしてしまった。今考えるとこれも親譲りの無鉄砲から起おこった失策だ。  三年間まあ人並ひとなみに勉強はしたが別段たちのいい方でもないから、席順はいつでも下から勘定かんじょうする方が便利であった。しかし不思議なもので、三年立ったらとうとう卒業してしまった。自分でも可笑おかしいと思ったが苦情を云う訳もないから大人しく卒業しておいた。  卒業してから八日目に校長が呼びに来たから、何か用だろうと思って、出掛けて行ったら、四国辺のある中学校で数学の教師が入る。月給は四十円だが、行ってはどうだという相談である。おれは三年間学問はしたが実を云うと教師になる気も、田舎いなかへ行く考えも何もなかった。もっとも教師以外に何をしようと云うあてもなかったから、この相談を受けた時、行きましょうと即席そくせきに返事をした。これも親譲りの無鉄砲が祟たたったのである。  引き受けた以上は赴任ふにんせねばならぬ。この三年間は四畳半に蟄居ちっきょして小言はただの一度も聞いた事がない。喧嘩もせずに済んだ。おれの生涯のうちでは比較的ひかくてき呑気のんきな時節であった。しかしこうなると四畳半も引き払わなければならん。生れてから東京以外に踏み出したのは、同級生と一所に鎌倉かまくらへ遠足した時ばかりである。今度は鎌倉どころではない。大変な遠くへ行かねばならぬ。地図で見ると海浜で針の先ほど小さく見える。どうせ碌な所ではあるまい。どんな町で、どんな人が住んでるか分らん。分らんでも困らない。心配にはならぬ。ただ行くばかりである。もっとも少々面倒臭い。  家を畳たたんでからも清の所へは折々行った。清の甥というのは存外結構な人である。おれが行ゆくたびに、居おりさえすれば、何くれと款待もてなしてくれた。清はおれを前へ置いて、いろいろおれの自慢じまんを甥に聞かせた。今に学校を卒業すると麹町辺へ屋敷を買って役所へ通うのだなどと吹聴ふいちょうした事もある。独りで極きめて一人ひとりで喋舌しゃべるから、こっちは困こまって顔を赤くした。それも一度や二度ではない。折々おれが小さい時寝小便をした事まで持ち出すには閉口した。甥は何と思って清の自慢を聞いていたか分らぬ。ただ清は昔風むかしふうの女だから、自分とおれの関係を封建ほうけん時代の主従しゅじゅうのように考えていた。自分の主人なら甥のためにも主人に相違ないと合点がてんしたものらしい。甥こそいい面つらの皮だ。  いよいよ約束が極まって、もう立つと云う三日前に清を尋たずねたら、北向きの三畳に風邪かぜを引いて寝ていた。おれの来たのを見て起き直るが早いか、坊ぼっちゃんいつ家うちをお持ちなさいますと聞いた。卒業さえすれば金が自然とポッケットの中に湧いて来ると思っている。そんなにえらい人をつらまえて、まだ坊っちゃんと呼ぶのはいよいよ馬鹿気ている。おれは単簡に当分うちは持たない。田舎へ行くんだと云ったら、非常に失望した容子ようすで、胡麻塩ごましおの鬢びんの乱れをしきりに撫なでた。あまり気の毒だから「行ゆく事は行くがじき帰る。来年の夏休みにはきっと帰る」と慰なぐさめてやった。それでも妙な顔をしているから「何を見やげに買って来てやろう、何が欲しい」と聞いてみたら「越後えちごの笹飴ささあめが食べたい」と云った。越後の笹飴なんて聞いた事もない。第一方角が違う。「おれの行く田舎には笹飴はなさそうだ」と云って聞かしたら「そんなら、どっちの見当です」と聞き返した。「西の方だよ」と云うと「箱根はこねのさきですか手前ですか」と問う。随分持てあました。  出立の日には朝から来て、いろいろ世話をやいた。来る途中とちゅう小間物屋で買って来た歯磨はみがきと楊子ようじと手拭てぬぐいをズックの革鞄かばんに入れてくれた。そんな物は入らないと云ってもなかなか承知しない。車を並べて停車場へ着いて、プラットフォームの上へ出た時、車へ乗り込んだおれの顔をじっと見て「もうお別れになるかも知れません。随分ご機嫌きげんよう」と小さな声で云った。目に涙なみだが一杯いっぱいたまっている。おれは泣かなかった。しかしもう少しで泣くところであった。汽車がよっぽど動き出してから、もう大丈夫だいしょうぶだろうと思って、窓から首を出して、振り向いたら、やっぱり立っていた。何だか大変小さく見えた。 二  ぶうと云いって汽船がとまると、艀はしけが岸を離はなれて、漕こぎ寄せて来た。船頭は真まっ裸ぱだかに赤ふんどしをしめている。野蛮やばんな所だ。もっともこの熱さでは着物はきられまい。日が強いので水がやに光る。見つめていても眼めがくらむ。事務員に聞いてみるとおれはここへ降りるのだそうだ。見るところでは大森おおもりぐらいな漁村だ。人を馬鹿ばかにしていらあ、こんな所に我慢がまんが出来るものかと思ったが仕方がない。威勢いせいよく一番に飛び込んだ。続つづいて五六人は乗ったろう。外に大きな箱はこを四つばかり積み込んで赤ふんは岸へ漕ぎ戻もどして来た。陸おかへ着いた時も、いの一番に飛び上がって、いきなり、磯いそに立っていた鼻たれ小僧こぞうをつらまえて中学校はどこだと聞いた。小僧はぼんやりして、知らんがの、と云った。気の利かぬ田舎いなかものだ。猫ねこの額ほどな町内の癖くせに、中学校のありかも知らぬ奴やつがあるものか。ところへ妙みょうな筒つつっぽうを着た男がきて、こっちへ来いと云うから、尾ついて行ったら、港屋とか云う宿屋へ連れて来た。やな女が声を揃そろえてお上がりなさいと云うので、上がるのがいやになった。門口へ立ったなり中学校を教えろと云ったら、中学校はこれから汽車で二里ばかり行かなくっちゃいけないと聞いて、なお上がるのがいやになった。おれは、筒っぽうを着た男から、おれの革鞄かばんを二つ引きたくって、のそのそあるき出した。宿屋のものは変な顔をしていた。  停車場はすぐ知れた。切符きっぷも訳なく買った。乗り込んでみるとマッチ箱のような汽車だ。ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思った。たった三銭である。それから車を傭やとって、中学校へ来たら、もう放課後で誰だれも居ない。宿直はちょっと用達ようたしに出たと小使こづかいが教えた。随分ずいぶん気楽な宿直がいるものだ。校長でも尋たずねようかと思ったが、草臥くたびれたから、車に乗って宿屋へ連れて行けと車夫に云い付けた。車夫は威勢よく山城屋やましろやと云ううちへ横付けにした。山城屋とは質屋の勘太郎かんたろうの屋号と同じだからちょっと面白く思った。  何だか二階の楷子段はしごだんの下の暗い部屋へ案内した。熱くって居られやしない。こんな部屋はいやだと云ったらあいにくみんな塞ふさがっておりますからと云いながら革鞄を抛ほうり出したまま出て行った。仕方がないから部屋の中へはいって汗あせをかいて我慢がまんしていた。やがて湯に入れと云うから、ざぶりと飛び込んで、すぐ上がった。帰りがけに覗のぞいてみると涼すずしそうな部屋がたくさん空いている。失敬な奴だ。嘘うそをつきゃあがった。それから下女が膳ぜんを持って来た。部屋は熱あつかったが、飯は下宿のよりも大分旨うまかった。給仕をしながら下女がどちらからおいでになりましたと聞くから、東京から来たと答えた。すると東京はよい所でございましょうと云ったから当あたり前だと答えてやった。膳を下げた下女が台所へいった時分、大きな笑い声が聞きこえた。くだらないから、すぐ寝ねたが、なかなか寝られない。熱いばかりではない。騒々そうぞうしい。下宿の五倍ぐらいやかましい。うとうとしたら清きよの夢ゆめを見た。清が越後えちごの笹飴ささあめを笹ぐるみ、むしゃむしゃ食っている。笹は毒だからよしたらよかろうと云うと、いえこの笹がお薬でございますと云いって旨そうに食っている。おれがあきれ返って大きな口を開いてハハハハと笑ったら眼が覚めた。下女が雨戸を明けている。相変らず空の底が突つき抜ぬけたような天気だ。  道中どうちゅうをしたら茶代をやるものだと聞いていた。茶代をやらないと粗末そまつに取り扱われると聞いていた。こんな、狭せまくて暗い部屋へ押おし込めるのも茶代をやらないせいだろう。見すぼらしい服装なりをして、ズックの革鞄と毛繻子けじゅすの蝙蝠傘こうもりを提げてるからだろう。田舎者の癖に人を見括みくびったな。一番茶代をやって驚おどろかしてやろう。おれはこれでも学資のあまりを三十円ほど懐ふところに入れて東京を出て来たのだ。汽車と汽船の切符代と雑費を差し引いて、まだ十四円ほどある。みんなやったってこれからは月給を貰もらうんだから構わない。田舎者はしみったれだから五円もやれば驚おどろいて眼を廻まわすに極きまっている。どうするか見ろと済すまして顔を洗って、部屋へ帰って待ってると、夕べの下女が膳を持って来た。盆ぼんを持って給仕をしながら、やににやにや笑ってる。失敬な奴だ。顔のなかをお祭りでも通りゃしまいし。これでもこの下女の面つらよりよっぽど上等だ。飯を済ましてからにしようと思っていたが、癪しゃくに障さわったから、中途ちゅうとで五円札さつを一枚まい出して、あとでこれを帳場へ持って行けと云ったら、下女は変な顔をしていた。それから飯を済ましてすぐ学校へ出懸でかけた。靴くつは磨みがいてなかった。  学校は昨日きのう車で乗りつけたから、大概たいがいの見当は分っている。四つ角を二三度曲がったらすぐ門の前へ出た。門から玄関げんかんまでは御影石みかげいしで敷しきつめてある。きのうこの敷石の上を車でがらがらと通った時は、無暗むやみに仰山ぎょうさんな音がするので少し弱った。途中から小倉こくらの制服を着た生徒にたくさん逢あったが、みんなこの門をはいって行く。中にはおれより背が高くって強そうなのが居る。あんな奴を教えるのかと思ったら何だか気味が悪わるくなった。名刺めいしを出したら校長室へ通した。校長は薄髯うすひげのある、色の黒い、目の大きな狸たぬきのような男である。やにもったいぶっていた。まあ精出して勉強してくれと云って、恭うやうやしく大きな印の捺おさった、辞令を渡わたした。この辞令は東京へ帰るとき丸めて海の中へ抛り込こんでしまった。校長は今に職員に紹介しょうかいしてやるから、一々その人にこの辞令を見せるんだと云って聞かした。余計な手数だ。そんな面倒めんどうな事をするよりこの辞令を三日間職員室へ張り付ける方がましだ。  教員が控所ひかえじょへ揃そろうには一時間目の喇叭らっぱが鳴らなくてはならぬ。大分時間がある。校長は時計を出して見て、追々おいおいゆるりと話すつもりだが、まず大体の事を呑のみ込んでおいてもらおうと云って、それから教育の精神について長いお談義を聞かした。おれは無論いい加減に聞いていたが、途中からこれは飛んだ所へ来たと思った。校長の云うようにはとても出来ない。おれみたような無鉄砲むてっぽうなものをつらまえて、生徒の模範もはんになれの、一校の師表しひょうと仰あおがれなくてはいかんの、学問以外に個人の徳化を及およぼさなくては教育者になれないの、と無暗に法外な注文をする。そんなえらい人が月給四十円で遥々はるばるこんな田舎へくるもんか。人間は大概似たもんだ。腹が立てば喧嘩けんかの一つぐらいは誰でもするだろうと思ってたが、この様子じゃめったに口も聞けない、散歩も出来ない #areaedit() &ref(http://img.atwikiimg.com/www65.atwiki.jp/cookie_kaisetu/attach/19/9/RIM.png) &font(b,#ff0000,20pt){ぷはー 今日もイイ天気} |別名|椎茸たろう&br()りつる&br()渚&br()雪靉&br()真白涼&br()ひな茸&br()りょう&br()エマ| |通称|RU姉貴&br()RIM姉貴&br()RUさん&footnote(UDK姉貴が生放送中に言った「RUさんちょっとー」という発言が元ネタ)&br()れうさん&br()豚&br()永田琴乃| |出演作品|[[クッキー☆]](博麗霊夢)| |使用MMDモデル|にがもん式霊夢&br()FAN TERIOR式RU姉貴&br()AKT式霊夢&br()ISAO式霊夢&footnote(古い動画のみ)| |YouTube|[[椎茸たろう:れう>https://www.youtube.com/channel/UCj6CE1kayE_Biy4kjL6j51g]]| |Pixiv|[[user/1830078>https://www.pixiv.net/users/1830078]]| |Twitter|&s(){[[@shirataki_mggg>>https://twitter.com/i/user/1012709296528764929]]}&br(){[[@ununchidayo>>https://twitter.com/intent/user?user_id=1246312734100090881]]}&br()[[@nagisa__siroop>https://twitter.com/intent/user?user_id=3037005696]]&br()[[@ryo_siroop>https://twitter.com/intent/user?user_id=3072500924]]&br()&s(){@reu35}&br()&s(){[[@shirataki__mgmg>https://twitter.com/intent/user?user_id=118362094]]}&br()[[@shirataki_ctake>https://twitter.com/intent/user?user_id=1217318492291993600]]| #areaedit(end) #areaedit() **概要 [[クッキー☆]](2010年2月15日)で博麗霊夢を演じた声優。コスプレイヤーでもある。 クッキー☆の顔とも言えるぷはーRIMのキャラ。ぷはーRIMはクッキー☆に関する様々なところで使われており、クッキー☆をよく知らない人でも見かける機会が多い。UDK姉貴とはまた違った意味でクッキー☆の象徴とも言えるキャラである。 クッキー☆でRIMと言えば大抵RU姉貴の事を指し、[[KNN姉貴>かんな]]の登場まではRU姉貴ではなくRIMと呼ばれた。ぷはーRIM等がRUではないのはその名残。 演技は[[UDK姉貴>宇月幸成]]にも劣らぬ棒読みで、冒頭の出番も多いことから、人によってはRU姉貴の方が棒読み声優として印象に残るかもしれない。 UDK姉貴とは高校の友達でよく一緒にニコニコ生放送もしていた。RU姉貴がクッキー☆で声優をやったのもUDK姉貴に誘われたためである。 非常に豪胆な性格で、クッキー☆の風評被害を受けても気にも留めずに活動している。そのため長年クッキー☆と密接に関わり続けることができた人物でもある。 [[ALISON兄貴>ALISON]]とも交流があり、彼のブースで売り子をしたこともある。 #areaedit(end) #areaedit() #region([[クッキー☆]]での活躍) 最初の台詞を言ったキャラである。 物語は彼女が博麗神社でお茶を飲むところから始まる。その時魔理沙とアリスがやって来てアリスがブラウニーを振る舞ってくれたためお茶を用意する。 魔理沙が去った後も萃香と過ごしたりとしばらく描写されていたが、場面が魔理沙に変わると、長らく出番は無くなる。 人里で魔理沙がアリスと再会した際は霊夢は萃香とお酒を飲んで寝てしまったと話題にされる。 その後ラストシーンにてようやく登場し、魔理沙がアリスにプレゼントする姿を見守り涙していた。この涙の意図は不明。序盤で霊夢へのホワイトデーのお返し、霊夢への「素敵なプレゼント」を唆したこと、またその唆しをすべて魔理沙が蹴った後に酒に溺れていることから、魔理沙からのプレゼントを期待していた節があったと思われ、本当に霊夢へのプレゼントがないことを魔理沙とアリスのイチャつきから悟り、悲しんでいたと思われる。 アリスがプレゼントのクッキーをちゃっかり魔理沙に毒見させ、それに対する魔理沙の返答に怒る。 #endregion #areaedit(end) #areaedit() ---- **ニコニコでの扱い UDK姉貴と並ぶクッキー☆のメインキャラ。出番はあらゆるタイプの動画において非常に多い。メインばかりに片寄りがちな他の人気キャラと異なり、メインからチョイ役までこなす、クッキー☆屈指の使い勝手の良いキャラである。 ぷはーRIMは音MADでは一般的な素材の1つで、BB劇場などでもちょくちょく活用される。またサムネとなることも多い。 クッキー☆MADを世に知らしめたI'm so クッキー☆ブームは彼女がメインの霊夢 so クッキー☆が発端となっており、一時期はもっとも再生数の多いクッキー☆MADだった。 ほのぼの神社アレンジではぷはーRIMをコラすることがお約束となっている。 #areaedit(end) #areaedit() **本スレでの扱い クッキー☆騒動の初期の頃から話題にされたが最初はメインとされることは少なかった。本スレでは空気だがニコニコでは人気という評価も見られた。当時はRU姉貴の活動からメンヘラを疑ったり、その割には受け答えがしっかりしていて驚かれたりした。 騒動後も深く関わり続けていたが、以前は本スレから豚と呼ばれ評判は非常に悪く、古くから本スレが嫌う声優としてよく名があげられた。 [[TIS姉貴>大佐]]や[[YMN姉貴>やみん]]等そのような声優は他にも見られるが、彼女ほど長い間本スレで嫌われ続けた声優は珍しい。当然様々なバッシングや嫌がらせ、殺害予告も受けた。 しかし、それらが堪えた様子はあまり見られず。屑の上、メンタルも強く全然潰れないといった扱いをよく受けた。 ただ、話題が[[クソクリ]]が中心となっていってからは次第に話題にされること自体が減り、Twitter上での虚言癖や浮気癖から人間の屑として彼女を嫌う書き込みのみが見られるようになった。 現在は痩せているが、いまだに豚と呼ばれることが多い。 生放送中(2010年11月20日[[sm13281856>https://www.nicovideo.jp/watch/sm13281856]])UDK姉貴に言った「嫌いじゃないけど、好きじゃないよ」という発言は大きな話題になり、本スレ以外でもRU姉貴が一方的に悪いという風潮になった この発言の後も2人は放送を不定期に続け、UDK姉貴が引退する最後の生放送(2011年2月5日[[part1>https://www.nicovideo.jp/watch/sm13509012]]、[[part2>https://www.nicovideo.jp/watch/sm13510457]])を行った。 #areaedit(end) #areaedit() **実況での扱い キャラソンが少ないせいか、あまり相手にされていない。 #areaedit() **静画での扱い 普通に絵を描かれることは勿論、ぷはーRIMはコラージュ題材として人気が高い。初期のクッキー☆静画といえばこのぷはーRIMコラが主体だった。 本人の体形や人柄から、むちむちとした体つきのエロキャラとして描かれることが多く、春画も多い。 #areaedit(end) #areaedit(end) #areaedit() ---- **主な持ちネタ :ぷはーRIM|RU姉貴、ひいてはクッキー☆を代表するネタ。クッキー☆冒頭のワンシーンが元になっている。 音MADの音声、コラ素材として使われることが多い。 何故かかなりの怒り肩であり、それもしばしばネタにされる。 :ロ⌒o⌒ロ|ぷはーRIMを表した顔文字。[[+⌒o⌒+>海原エレナ]]や[[。⌒o⌒。>Muse0120]]と言った派生も生まれている。 :今日もいいペンキ☆|本編冒頭の台詞の空耳。ぷはーRIMの直後の台詞なため知名度は非常に高い。 :シンメトリーRIM|ぷはーRIMをシンメトリーにしたもの、初期のクッキー☆の音MADなどで見られる。[[真夏の夜の淫夢]]のキャラのDBのネタである「シンメトリーDB」のオマージュ。 実はニコニコ大百科のシンメトリーRIMの記事はクッキー☆の記事より先に作られている。 :薄目|ぷはーRIMの目が見ようによっては薄目の様に見えるため薄目を強調されることがよくある。 :少女亀頭中…|&nicovideo(http://www.nicovideo.jp/watch/sm18278397){340,185} ぷはーRIMにフェラをしているように塗りつぶしをコラージュしたネタ「霊夢 so クッキー☆」の途中で見られた。[[東方project]]のロード画面で見られる「少女祈祷中…」とも掛けている。 [[I'm so クッキー☆]]やクッキー☆リスペクトでは同様にコラージュした場面がお約束となっている。 :球形中よ|&nicovideo(http://www.nicovideo.jp/watch/sm12853590){340,185} 球体に編集したRU姉貴。 上記の動画の一発ネタとしてコメントされたが、その後も音MADなどで球形に編集したRU姉貴が度々使われていた。 :神社回転の日|&nicovideo(http://www.nicovideo.jp/watch/sm21554498){340,185} 2011年09月11日に投稿された「フラワー☆」にてRU姉貴が高速回転する場面でのネタ。この影響でクッキー☆のFLOWERMADではその場面で高速回転することがお約束となっている。 フラワー☆はホモコーストで消されてしまっており上記の動画はリメイク版。 :クォラ☆|劇中の台詞から。 :○○のパワーはすごいわね|劇中の台詞から。空白部分に適切な語をあて、称賛等に用いられる。 :お菓子だからね。|劇中の台詞から。SIKの「甘い!」に対する「(甘いのは)お菓子だからね。」という返答だが、やや違和感の残る返答である為揶揄される。 また、語録としても用いられ、その場合は専ら「おかしい」といった台詞に対して使用される。 :アリスガタベタコトナカッタラダレモタベタコトナインジャナイ|棒読みのRU姉貴の中でも特に棒読みな台詞としてネタにされている。 :○○中よ|劇中の台詞「休憩中よ」から。空白内を置き換えて状態を示す。 :お、来たみたいね|劇中の台詞から。新スレへの挨拶や企画されていたものが投稿された時などにとりあえず貼られる。 :もやぁ?、ぽやぁ?|劇中の台詞「おやぁ?」の空耳。 :幻想郷キタキタ祭|劇中の台詞「お、&bold(){来た}みたいね」の来たを繰り返してリズムを刻ませたもの。音MADで見られるネタ。 [[真夏の夜の淫夢]]のキャラであるTNOKのネタ「下北沢キタキタ祭」のパロディである。 :バルサン…|劇中の台詞「魔理沙・・・」の空耳。 :ホモの見つけた真実はRUDK|ニコニコ動画の東方関係のタグの1つ「僕の見つけた真実はレイマリ」のもじり。 :[[サケノミ]]| :[[RU大根]]| :[[る]]|詳細は該当ページ参照。 :コスプRU|コスプレイヤーであることからできたネタ。本人もやっていた、「鏡音レンの暴走」におけるスク水姿の鏡音リンのコスプレがよく扱われる。 :スク水RU|上記のリンコス衣装と、霊夢のリボンと髪飾りを組み合わせたもの。[[静画>>クッキー☆静画]]においてRU姉貴の格好として通常の霊夢の服ではなくこちらで描かれることがある。ゼッケンの「リン」が「RU」に変更されている。 :嫌いじゃないけど好きじゃないよ| 上記の生放送での発言をネタにしたもの。本編以外でのRU姉貴の代表的な語録。 嫌いじゃないけど好きじゃないものを語る場合に定型文として用いられるほか、「嫌いじゃないよ大好きだよ」「好きじゃないけど嫌いだよ」のようにもじって強意にも用いられる。 5ちゃんねるでも古くからスレタイとして使われており[[過去200件以上のスレが存在する>https://www.logsoku.com/search?q=%E5%AB%8C%E3%81%84%E3%81%98%E3%82%83%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%91%E3%81%A9%E5%A5%BD%E3%81%8D%E3%81%98%E3%82%83%E3%81%AA%E3%81%84%E3%82%88&sort=create]]。 :カミキリムシ|生放送でRU姉貴がカミキリムシを口に入れて遊んだことがあると告白したことから、カミキリムシと結び付けられる。 :デブ|デブとして扱うネタ。発展して豚と扱われることも。 スクール水着にニーソックスなどといった体型を強調したコスプレをすることからデブ呼ばわりされやすい。 特に本スレではRU姉貴の蔑称として「豚」が多用されていた。 [[クソデブ姉貴]]や[[こちこ]]のように代名詞としてはあまり用いられないが、これを受けてか静画ではむちっとした体形で描かれることが多め。 :BU|&nicovideo(sm25620884){340,185} 上記の豚として扱うネタを発展させて、本当に豚の姿にしてしまったRU姉貴。本来豚呼び自体は蔑称ではあったが、BUの方は思いのほか可愛いと評判が良い。 動画は[[ただのすいか]]兄貴のもの。 :曇ることを知らない高気圧ガール|[[真夏の夜の淫夢]]のキャラクター、ドラゴン田中にあてられた掲示板での評価「拒むことをしらない種壷野郎」のもじり。初出は不明。 「高気圧ガール」という言葉は山下達郎の曲名から取られていると思われる。 :行司の衣を借る豚|ニコニコ静画などでよく見られるヘソ出しルックのRU姉貴の呼び方。ヘソ出しのRIMと言えば[[NEL姉貴>ノエル]]なので「虎の威を借る狐」という諺に掛けてこう呼ばれることがある。 :RUDK|「れうづき」と読む。MADや静画で表現されるUDKと[[RU>れう]]の百合カップリングのこと。 この二人はボイドラでも共演し、リアルでも関わりがあり、二人で行った生放送のデータも残っているとあって何かと親和性が高い。 主にUDKがRUに対して積極的に好意を示すが、RUは「嫌いじゃないけど好きじゃない」という態度をとるツンデレの関係として描かれることが多い。 後にRUが「親友だと思っている」という発言をしたことあってふつうに仲の良い二人として描かれることもある。 [[朗読兄貴]]のTDN表記でもあるためそれと掛けたネタもある。 :[[鉄アレイ]]兄貴|RU姉貴が結婚を前提に付き合っていた男性の通称。プロポーズして承諾されていたRU姉貴に浮気されたことで精神を病み、飛び降り自殺未遂を起こした。命に別状はなかったものの脊髄を損傷して下半身不随となっている。 &nicovideo(https://www.nicovideo.jp/watch/sm35545566){340,185} :ギャッツビー|2020年3月3日に本スレに降臨した時の初体験は一六歳の時にカラオケボックスでレイプされ生外出しされギャッツビーで拭かれたとの発言から &nicovideo(https://www.nicovideo.jp/watch/sm36455263){340,185} :消えな|RU姉貴のTwitter上でのやり取りでリプライした際のツイート。 #areaedit(end)
鉄アレイ 親譲おやゆずりの無鉄砲むてっぽうで小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰こしを抜ぬかした事がある。なぜそんな無闇むやみをしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談じょうだんに、いくら威張いばっても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃はやしたからである。小使こづかいに負ぶさって帰って来た時、おやじが大きな眼めをして二階ぐらいから飛び降りて腰を抜かす奴やつがあるかと云いったから、この次は抜かさずに飛んで見せますと答えた。  親類のものから西洋製のナイフを貰もらって奇麗きれいな刃はを日に翳かざして、友達ともだちに見せていたら、一人が光る事は光るが切れそうもないと云った。切れぬ事があるか、何でも切ってみせると受け合った。そんなら君の指を切ってみろと注文したから、何だ指ぐらいこの通りだと右の手の親指の甲こうをはすに切り込こんだ。幸さいわいナイフが小さいのと、親指の骨が堅かたかったので、今だに親指は手に付いている。しかし創痕きずあとは死ぬまで消えぬ。  庭を東へ二十歩に行き尽つくすと、南上がりにいささかばかりの菜園があって、真中まんなかに栗くりの木が一本立っている。これは命より大事な栗だ。実の熟する時分は起き抜けに背戸せどを出て落ちた奴を拾ってきて、学校で食う。菜園の西側が山城屋やましろやという質屋の庭続きで、この質屋に勘太郎かんたろうという十三四の倅せがれが居た。勘太郎は無論弱虫である。弱虫の癖くせに四つ目垣を乗りこえて、栗を盗ぬすみにくる。ある日の夕方折戸おりどの蔭かげに隠かくれて、とうとう勘太郎を捕つらまえてやった。その時勘太郎は逃にげ路みちを失って、一生懸命いっしょうけんめいに飛びかかってきた。向むこうは二つばかり年上である。弱虫だが力は強い。鉢はちの開いた頭を、こっちの胸へ宛あててぐいぐい押おした拍子ひょうしに、勘太郎の頭がすべって、おれの袷あわせの袖そでの中にはいった。邪魔じゃまになって手が使えぬから、無暗に手を振ふったら、袖の中にある勘太郎の頭が、右左へぐらぐら靡なびいた。しまいに苦しがって袖の中から、おれの二の腕うでへ食い付いた。痛かったから勘太郎を垣根へ押しつけておいて、足搦あしがらをかけて向うへ倒たおしてやった。山城屋の地面は菜園より六尺がた低い。勘太郎は四つ目垣を半分崩くずして、自分の領分へ真逆様まっさかさまに落ちて、ぐうと云った。勘太郎が落ちるときに、おれの袷の片袖がもげて、急に手が自由になった。その晩母が山城屋に詫わびに行ったついでに袷の片袖も取り返して来た。  この外いたずらは大分やった。大工の兼公かねこうと肴屋さかなやの角かくをつれて、茂作もさくの人参畠にんじんばたけをあらした事がある。人参の芽が出揃でそろわぬ処ところへ藁わらが一面に敷しいてあったから、その上で三人が半日相撲すもうをとりつづけに取ったら、人参がみんな踏ふみつぶされてしまった。古川ふるかわの持っている田圃たんぼの井戸いどを埋うめて尻しりを持ち込まれた事もある。太い孟宗もうそうの節を抜いて、深く埋めた中から水が湧わき出て、そこいらの稲いねにみずがかかる仕掛しかけであった。その時分はどんな仕掛か知らぬから、石や棒ぼうちぎれをぎゅうぎゅう井戸の中へ挿さし込んで、水が出なくなったのを見届けて、うちへ帰って飯を食っていたら、古川が真赤まっかになって怒鳴どなり込んで来た。たしか罰金ばっきんを出して済んだようである。  おやじはちっともおれを可愛かわいがってくれなかった。母は兄ばかり贔屓ひいきにしていた。この兄はやに色が白くって、芝居しばいの真似まねをして女形おんながたになるのが好きだった。おれを見る度にこいつはどうせ碌ろくなものにはならないと、おやじが云った。乱暴で乱暴で行く先が案じられると母が云った。なるほど碌なものにはならない。ご覧の通りの始末である。行く先が案じられたのも無理はない。ただ懲役ちょうえきに行かないで生きているばかりである。  母が病気で死ぬ二三日にさんち前台所で宙返りをしてへっついの角で肋骨あばらぼねを撲うって大いに痛かった。母が大層怒おこって、お前のようなものの顔は見たくないと云うから、親類へ泊とまりに行っていた。するととうとう死んだと云う報知しらせが来た。そう早く死ぬとは思わなかった。そんな大病なら、もう少し大人おとなしくすればよかったと思って帰って来た。そうしたら例の兄がおれを親不孝だ、おれのために、おっかさんが早く死んだんだと云った。口惜くやしかったから、兄の横っ面を張って大変叱しかられた。  母が死んでからは、おやじと兄と三人で暮くらしていた。おやじは何にもせぬ男で、人の顔さえ見れば貴様は駄目だめだ駄目だと口癖のように云っていた。何が駄目なんだか今に分らない。妙みょうなおやじがあったもんだ。兄は実業家になるとか云ってしきりに英語を勉強していた。元来女のような性分で、ずるいから、仲がよくなかった。十日に一遍いっぺんぐらいの割で喧嘩けんかをしていた。ある時将棋しょうぎをさしたら卑怯ひきょうな待駒まちごまをして、人が困ると嬉うれしそうに冷やかした。あんまり腹が立ったから、手に在った飛車を眉間みけんへ擲たたきつけてやった。眉間が割れて少々血が出た。兄がおやじに言付いつけた。おやじがおれを勘当かんどうすると言い出した。  その時はもう仕方がないと観念して先方の云う通り勘当されるつもりでいたら、十年来召し使っている清きよという下女が、泣きながらおやじに詫あやまって、ようやくおやじの怒いかりが解けた。それにもかかわらずあまりおやじを怖こわいとは思わなかった。かえってこの清と云う下女に気の毒であった。この下女はもと由緒ゆいしょのあるものだったそうだが、瓦解がかいのときに零落れいらくして、つい奉公ほうこうまでするようになったのだと聞いている。だから婆ばあさんである。この婆さんがどういう因縁いんえんか、おれを非常に可愛がってくれた。不思議なものである。母も死ぬ三日前に愛想あいそをつかした――おやじも年中持て余している――町内では乱暴者の悪太郎と爪弾つまはじきをする――このおれを無暗に珍重ちんちょうしてくれた。おれは到底とうてい人に好かれる性たちでないとあきらめていたから、他人から木の端はしのように取り扱あつかわれるのは何とも思わない、かえってこの清のようにちやほやしてくれるのを不審ふしんに考えた。清は時々台所で人の居ない時に「あなたは真まっ直すぐでよいご気性だ」と賞ほめる事が時々あった。しかしおれには清の云う意味が分からなかった。好いい気性なら清以外のものも、もう少し善くしてくれるだろうと思った。清がこんな事を云う度におれはお世辞は嫌きらいだと答えるのが常であった。すると婆さんはそれだから好いご気性ですと云っては、嬉しそうにおれの顔を眺ながめている。自分の力でおれを製造して誇ほこってるように見える。少々気味がわるかった。  母が死んでから清はいよいよおれを可愛がった。時々は小供心になぜあんなに可愛がるのかと不審に思った。つまらない、廃よせばいいのにと思った。気の毒だと思った。それでも清は可愛がる。折々は自分の小遣こづかいで金鍔きんつばや紅梅焼こうばいやきを買ってくれる。寒い夜などはひそかに蕎麦粉そばこを仕入れておいて、いつの間にか寝ねている枕元まくらもとへ蕎麦湯を持って来てくれる。時には鍋焼饂飩なべやきうどんさえ買ってくれた。ただ食い物ばかりではない。靴足袋くつたびももらった。鉛筆えんぴつも貰った、帳面も貰った。これはずっと後の事であるが金を三円ばかり貸してくれた事さえある。何も貸せと云った訳ではない。向うで部屋へ持って来てお小遣いがなくてお困りでしょう、お使いなさいと云ってくれたんだ。おれは無論入らないと云ったが、是非使えと云うから、借りておいた。実は大変嬉しかった。その三円を蝦蟇口がまぐちへ入れて、懐ふところへ入れたなり便所へ行ったら、すぽりと後架こうかの中へ落おとしてしまった。仕方がないから、のそのそ出てきて実はこれこれだと清に話したところが、清は早速竹の棒を捜さがして来て、取って上げますと云った。しばらくすると井戸端いどばたでざあざあ音がするから、出てみたら竹の先へ蝦蟇口の紐ひもを引き懸かけたのを水で洗っていた。それから口をあけて壱円札いちえんさつを改めたら茶色になって模様が消えかかっていた。清は火鉢で乾かわかして、これでいいでしょうと出した。ちょっとかいでみて臭くさいやと云ったら、それじゃお出しなさい、取り換かえて来て上げますからと、どこでどう胡魔化ごまかしたか札の代りに銀貨を三円持って来た。この三円は何に使ったか忘れてしまった。今に返すよと云ったぎり、返さない。今となっては十倍にして返してやりたくても返せない。  清が物をくれる時には必ずおやじも兄も居ない時に限る。おれは何が嫌いだと云って人に隠れて自分だけ得をするほど嫌いな事はない。兄とは無論仲がよくないけれども、兄に隠して清から菓子かしや色鉛筆を貰いたくはない。なぜ、おれ一人にくれて、兄さんには遣やらないのかと清に聞く事がある。すると清は澄すましたものでお兄様あにいさまはお父様とうさまが買ってお上げなさるから構いませんと云う。これは不公平である。おやじは頑固がんこだけれども、そんな依怙贔負えこひいきはせぬ男だ。しかし清の眼から見るとそう見えるのだろう。全く愛に溺おぼれていたに違ちがいない。元は身分のあるものでも教育のない婆さんだから仕方がない。単にこればかりではない。贔負目は恐ろしいものだ。清はおれをもって将来立身出世して立派なものになると思い込んでいた。その癖勉強をする兄は色ばかり白くって、とても役には立たないと一人できめてしまった。こんな婆さんに逢あっては叶かなわない。自分の好きなものは必ずえらい人物になって、嫌いなひとはきっと落ち振れるものと信じている。おれはその時から別段何になると云う了見りょうけんもなかった。しかし清がなるなると云うものだから、やっぱり何かに成れるんだろうと思っていた。今から考えると馬鹿馬鹿ばかばかしい。ある時などは清にどんなものになるだろうと聞いてみた事がある。ところが清にも別段の考えもなかったようだ。ただ手車てぐるまへ乗って、立派な玄関げんかんのある家をこしらえるに相違そういないと云った。  それから清はおれがうちでも持って独立したら、一所いっしょになる気でいた。どうか置いて下さいと何遍も繰くり返して頼んだ。おれも何だかうちが持てるような気がして、うん置いてやると返事だけはしておいた。ところがこの女はなかなか想像の強い女で、あなたはどこがお好き、麹町こうじまちですか麻布あざぶですか、お庭へぶらんこをおこしらえ遊ばせ、西洋間は一つでたくさんですなどと勝手な計画を独りで並ならべていた。その時は家なんか欲しくも何ともなかった。西洋館も日本建にほんだても全く不用であったから、そんなものは欲しくないと、いつでも清に答えた。すると、あなたは欲がすくなくって、心が奇麗だと云ってまた賞めた。清は何と云っても賞めてくれる。  母が死んでから五六年の間はこの状態で暮していた。おやじには叱られる。兄とは喧嘩をする。清には菓子を貰う、時々賞められる。別に望みもない。これでたくさんだと思っていた。ほかの小供も一概いちがいにこんなものだろうと思っていた。ただ清が何かにつけて、あなたはお可哀想かわいそうだ、不仕合ふしあわせだと無暗に云うものだから、それじゃ可哀想で不仕合せなんだろうと思った。その外に苦になる事は少しもなかった。ただおやじが小遣いをくれないには閉口した。  母が死んでから六年目の正月におやじも卒中で亡くなった。その年の四月におれはある私立の中学校を卒業する。六月に兄は商業学校を卒業した。兄は何とか会社の九州の支店に口があって行ゆかなければならん。おれは東京でまだ学問をしなければならない。兄は家を売って財産を片付けて任地へ出立しゅったつすると云い出した。おれはどうでもするがよかろうと返事をした。どうせ兄の厄介やっかいになる気はない。世話をしてくれるにしたところで、喧嘩をするから、向うでも何とか云い出すに極きまっている。なまじい保護を受ければこそ、こんな兄に頭を下げなければならない。牛乳配達をしても食ってられると覚悟かくごをした。兄はそれから道具屋を呼んで来て、先祖代々の瓦落多がらくたを二束三文にそくさんもんに売った。家屋敷いえやしきはある人の周旋しゅうせんである金満家に譲った。この方は大分金になったようだが、詳くわしい事は一向知らぬ。おれは一ヶ月以前から、しばらく前途の方向のつくまで神田の小川町おがわまちへ下宿していた。清は十何年居たうちが人手に渡わたるのを大いに残念がったが、自分のものでないから、仕様がなかった。あなたがもう少し年をとっていらっしゃれば、ここがご相続が出来ますものをとしきりに口説いていた。もう少し年をとって相続が出来るものなら、今でも相続が出来るはずだ。婆さんは何なんにも知らないから年さえ取れば兄の家がもらえると信じている。  兄とおれはかように分れたが、困ったのは清の行く先である。兄は無論連れて行ける身分でなし、清も兄の尻にくっ付いて九州下くんだりまで出掛ける気は毛頭なし、と云ってこの時のおれは四畳半よじょうはんの安下宿に籠こもって、それすらもいざとなれば直ちに引き払はらわねばならぬ始末だ。どうする事も出来ん。清に聞いてみた。どこかへ奉公でもする気かねと云ったらあなたがおうちを持って、奥おくさまをお貰いになるまでは、仕方がないから、甥おいの厄介になりましょうとようやく決心した返事をした。この甥は裁判所の書記でまず今日には差支さしつかえなく暮していたから、今までも清に来るなら来いと二三度勧めたのだが、清はたとい下女奉公はしても年来住み馴なれた家うちの方がいいと云って応じなかった。しかし今の場合知らぬ屋敷へ奉公易ほうこうがえをして入らぬ気兼きがねを仕直すより、甥の厄介になる方がましだと思ったのだろう。それにしても早くうちを持ての、妻さいを貰えの、来て世話をするのと云う。親身しんみの甥よりも他人のおれの方が好きなのだろう。  九州へ立つ二日前兄が下宿へ来て金を六百円出してこれを資本にして商買しょうばいをするなり、学資にして勉強をするなり、どうでも随意ずいいに使うがいい、その代りあとは構わないと云った。兄にしては感心なやり方だ、何の六百円ぐらい貰わんでも困りはせんと思ったが、例に似ぬ淡泊たんばくな処置が気に入ったから、礼を云って貰っておいた。兄はそれから五十円出してこれをついでに清に渡してくれと云ったから、異議なく引き受けた。二日立って新橋の停車場ていしゃばで分れたぎり兄にはその後一遍も逢わない。  おれは六百円の使用法について寝ながら考えた。商買をしたって面倒めんどくさくって旨うまく出来るものじゃなし、ことに六百円の金で商買らしい商買がやれる訳でもなかろう。よしやれるとしても、今のようじゃ人の前へ出て教育を受けたと威張れないからつまり損になるばかりだ。資本などはどうでもいいから、これを学資にして勉強してやろう。六百円を三に割って一年に二百円ずつ使えば三年間は勉強が出来る。三年間一生懸命にやれば何か出来る。それからどこの学校へはいろうと考えたが、学問は生来しょうらいどれもこれも好きでない。ことに語学とか文学とか云うものは真平まっぴらご免めんだ。新体詩などと来ては二十行あるうちで一行も分らない。どうせ嫌いなものなら何をやっても同じ事だと思ったが、幸い物理学校の前を通り掛かかったら生徒募集の広告が出ていたから、何も縁だと思って規則書をもらってすぐ入学の手続きをしてしまった。今考えるとこれも親譲りの無鉄砲から起おこった失策だ。  三年間まあ人並ひとなみに勉強はしたが別段たちのいい方でもないから、席順はいつでも下から勘定かんじょうする方が便利であった。しかし不思議なもので、三年立ったらとうとう卒業してしまった。自分でも可笑おかしいと思ったが苦情を云う訳もないから大人しく卒業しておいた。  卒業してから八日目に校長が呼びに来たから、何か用だろうと思って、出掛けて行ったら、四国辺のある中学校で数学の教師が入る。月給は四十円だが、行ってはどうだという相談である。おれは三年間学問はしたが実を云うと教師になる気も、田舎いなかへ行く考えも何もなかった。もっとも教師以外に何をしようと云うあてもなかったから、この相談を受けた時、行きましょうと即席そくせきに返事をした。これも親譲りの無鉄砲が祟たたったのである。  引き受けた以上は赴任ふにんせねばならぬ。この三年間は四畳半に蟄居ちっきょして小言はただの一度も聞いた事がない。喧嘩もせずに済んだ。おれの生涯のうちでは比較的ひかくてき呑気のんきな時節であった。しかしこうなると四畳半も引き払わなければならん。生れてから東京以外に踏み出したのは、同級生と一所に鎌倉かまくらへ遠足した時ばかりである。今度は鎌倉どころではない。大変な遠くへ行かねばならぬ。地図で見ると海浜で針の先ほど小さく見える。どうせ碌な所ではあるまい。どんな町で、どんな人が住んでるか分らん。分らんでも困らない。心配にはならぬ。ただ行くばかりである。もっとも少々面倒臭い。  家を畳たたんでからも清の所へは折々行った。清の甥というのは存外結構な人である。おれが行ゆくたびに、居おりさえすれば、何くれと款待もてなしてくれた。清はおれを前へ置いて、いろいろおれの自慢じまんを甥に聞かせた。今に学校を卒業すると麹町辺へ屋敷を買って役所へ通うのだなどと吹聴ふいちょうした事もある。独りで極きめて一人ひとりで喋舌しゃべるから、こっちは困こまって顔を赤くした。それも一度や二度ではない。折々おれが小さい時寝小便をした事まで持ち出すには閉口した。甥は何と思って清の自慢を聞いていたか分らぬ。ただ清は昔風むかしふうの女だから、自分とおれの関係を封建ほうけん時代の主従しゅじゅうのように考えていた。自分の主人なら甥のためにも主人に相違ないと合点がてんしたものらしい。甥こそいい面つらの皮だ。  いよいよ約束が極まって、もう立つと云う三日前に清を尋たずねたら、北向きの三畳に風邪かぜを引いて寝ていた。おれの来たのを見て起き直るが早いか、坊ぼっちゃんいつ家うちをお持ちなさいますと聞いた。卒業さえすれば金が自然とポッケットの中に湧いて来ると思っている。そんなにえらい人をつらまえて、まだ坊っちゃんと呼ぶのはいよいよ馬鹿気ている。おれは単簡に当分うちは持たない。田舎へ行くんだと云ったら、非常に失望した容子ようすで、胡麻塩ごましおの鬢びんの乱れをしきりに撫なでた。あまり気の毒だから「行ゆく事は行くがじき帰る。来年の夏休みにはきっと帰る」と慰なぐさめてやった。それでも妙な顔をしているから「何を見やげに買って来てやろう、何が欲しい」と聞いてみたら「越後えちごの笹飴ささあめが食べたい」と云った。越後の笹飴なんて聞いた事もない。第一方角が違う。「おれの行く田舎には笹飴はなさそうだ」と云って聞かしたら「そんなら、どっちの見当です」と聞き返した。「西の方だよ」と云うと「箱根はこねのさきですか手前ですか」と問う。随分持てあました。  出立の日には朝から来て、いろいろ世話をやいた。来る途中とちゅう小間物屋で買って来た歯磨はみがきと楊子ようじと手拭てぬぐいをズックの革鞄かばんに入れてくれた。そんな物は入らないと云ってもなかなか承知しない。車を並べて停車場へ着いて、プラットフォームの上へ出た時、車へ乗り込んだおれの顔をじっと見て「もうお別れになるかも知れません。随分ご機嫌きげんよう」と小さな声で云った。目に涙なみだが一杯いっぱいたまっている。おれは泣かなかった。しかしもう少しで泣くところであった。汽車がよっぽど動き出してから、もう大丈夫だいしょうぶだろうと思って、窓から首を出して、振り向いたら、やっぱり立っていた。何だか大変小さく見えた。 二  ぶうと云いって汽船がとまると、艀はしけが岸を離はなれて、漕こぎ寄せて来た。船頭は真まっ裸ぱだかに赤ふんどしをしめている。野蛮やばんな所だ。もっともこの熱さでは着物はきられまい。日が強いので水がやに光る。見つめていても眼めがくらむ。事務員に聞いてみるとおれはここへ降りるのだそうだ。見るところでは大森おおもりぐらいな漁村だ。人を馬鹿ばかにしていらあ、こんな所に我慢がまんが出来るものかと思ったが仕方がない。威勢いせいよく一番に飛び込んだ。続つづいて五六人は乗ったろう。外に大きな箱はこを四つばかり積み込んで赤ふんは岸へ漕ぎ戻もどして来た。陸おかへ着いた時も、いの一番に飛び上がって、いきなり、磯いそに立っていた鼻たれ小僧こぞうをつらまえて中学校はどこだと聞いた。小僧はぼんやりして、知らんがの、と云った。気の利かぬ田舎いなかものだ。猫ねこの額ほどな町内の癖くせに、中学校のありかも知らぬ奴やつがあるものか。ところへ妙みょうな筒つつっぽうを着た男がきて、こっちへ来いと云うから、尾ついて行ったら、港屋とか云う宿屋へ連れて来た。やな女が声を揃そろえてお上がりなさいと云うので、上がるのがいやになった。門口へ立ったなり中学校を教えろと云ったら、中学校はこれから汽車で二里ばかり行かなくっちゃいけないと聞いて、なお上がるのがいやになった。おれは、筒っぽうを着た男から、おれの革鞄かばんを二つ引きたくって、のそのそあるき出した。宿屋のものは変な顔をしていた。  停車場はすぐ知れた。切符きっぷも訳なく買った。乗り込んでみるとマッチ箱のような汽車だ。ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思った。たった三銭である。それから車を傭やとって、中学校へ来たら、もう放課後で誰だれも居ない。宿直はちょっと用達ようたしに出たと小使こづかいが教えた。随分ずいぶん気楽な宿直がいるものだ。校長でも尋たずねようかと思ったが、草臥くたびれたから、車に乗って宿屋へ連れて行けと車夫に云い付けた。車夫は威勢よく山城屋やましろやと云ううちへ横付けにした。山城屋とは質屋の勘太郎かんたろうの屋号と同じだからちょっと面白く思った。  何だか二階の楷子段はしごだんの下の暗い部屋へ案内した。熱くって居られやしない。こんな部屋はいやだと云ったらあいにくみんな塞ふさがっておりますからと云いながら革鞄を抛ほうり出したまま出て行った。仕方がないから部屋の中へはいって汗あせをかいて我慢がまんしていた。やがて湯に入れと云うから、ざぶりと飛び込んで、すぐ上がった。帰りがけに覗のぞいてみると涼すずしそうな部屋がたくさん空いている。失敬な奴だ。嘘うそをつきゃあがった。それから下女が膳ぜんを持って来た。部屋は熱あつかったが、飯は下宿のよりも大分旨うまかった。給仕をしながら下女がどちらからおいでになりましたと聞くから、東京から来たと答えた。すると東京はよい所でございましょうと云ったから当あたり前だと答えてやった。膳を下げた下女が台所へいった時分、大きな笑い声が聞きこえた。くだらないから、すぐ寝ねたが、なかなか寝られない。熱いばかりではない。騒々そうぞうしい。下宿の五倍ぐらいやかましい。うとうとしたら清きよの夢ゆめを見た。清が越後えちごの笹飴ささあめを笹ぐるみ、むしゃむしゃ食っている。笹は毒だからよしたらよかろうと云うと、いえこの笹がお薬でございますと云いって旨そうに食っている。おれがあきれ返って大きな口を開いてハハハハと笑ったら眼が覚めた。下女が雨戸を明けている。相変らず空の底が突つき抜ぬけたような天気だ。  道中どうちゅうをしたら茶代をやるものだと聞いていた。茶代をやらないと粗末そまつに取り扱われると聞いていた。こんな、狭せまくて暗い部屋へ押おし込めるのも茶代をやらないせいだろう。見すぼらしい服装なりをして、ズックの革鞄と毛繻子けじゅすの蝙蝠傘こうもりを提げてるからだろう。田舎者の癖に人を見括みくびったな。一番茶代をやって驚おどろかしてやろう。おれはこれでも学資のあまりを三十円ほど懐ふところに入れて東京を出て来たのだ。汽車と汽船の切符代と雑費を差し引いて、まだ十四円ほどある。みんなやったってこれからは月給を貰もらうんだから構わない。田舎者はしみったれだから五円もやれば驚おどろいて眼を廻まわすに極きまっている。どうするか見ろと済すまして顔を洗って、部屋へ帰って待ってると、夕べの下女が膳を持って来た。盆ぼんを持って給仕をしながら、やににやにや笑ってる。失敬な奴だ。顔のなかをお祭りでも通りゃしまいし。これでもこの下女の面つらよりよっぽど上等だ。飯を済ましてからにしようと思っていたが、癪しゃくに障さわったから、中途ちゅうとで五円札さつを一枚まい出して、あとでこれを帳場へ持って行けと云ったら、下女は変な顔をしていた。それから飯を済ましてすぐ学校へ出懸でかけた。靴くつは磨みがいてなかった。  学校は昨日きのう車で乗りつけたから、大概たいがいの見当は分っている。四つ角を二三度曲がったらすぐ門の前へ出た。門から玄関げんかんまでは御影石みかげいしで敷しきつめてある。きのうこの敷石の上を車でがらがらと通った時は、無暗むやみに仰山ぎょうさんな音がするので少し弱った。途中から小倉こくらの制服を着た生徒にたくさん逢あったが、みんなこの門をはいって行く。中にはおれより背が高くって強そうなのが居る。あんな奴を教えるのかと思ったら何だか気味が悪わるくなった。名刺めいしを出したら校長室へ通した。校長は薄髯うすひげのある、色の黒い、目の大きな狸たぬきのような男である。やにもったいぶっていた。まあ精出して勉強してくれと云って、恭うやうやしく大きな印の捺おさった、辞令を渡わたした。この辞令は東京へ帰るとき丸めて海の中へ抛り込こんでしまった。校長は今に職員に紹介しょうかいしてやるから、一々その人にこの辞令を見せるんだと云って聞かした。余計な手数だ。そんな面倒めんどうな事をするよりこの辞令を三日間職員室へ張り付ける方がましだ。  教員が控所ひかえじょへ揃そろうには一時間目の喇叭らっぱが鳴らなくてはならぬ。大分時間がある。校長は時計を出して見て、追々おいおいゆるりと話すつもりだが、まず大体の事を呑のみ込んでおいてもらおうと云って、それから教育の精神について長いお談義を聞かした。おれは無論いい加減に聞いていたが、途中からこれは飛んだ所へ来たと思った。校長の云うようにはとても出来ない。おれみたような無鉄砲むてっぽうなものをつらまえて、生徒の模範もはんになれの、一校の師表しひょうと仰あおがれなくてはいかんの、学問以外に個人の徳化を及およぼさなくては教育者になれないの、と無暗に法外な注文をする。そんなえらい人が月給四十円で遥々はるばるこんな田舎へくるもんか。人間は大概似たもんだ。腹が立てば喧嘩けんかの一つぐらいは誰でもするだろうと思ってたが、この様子じゃめったに口も聞けない、散歩も出来ない #areaedit() &ref(http://img.atwikiimg.com/www65.atwiki.jp/cookie_kaisetu/attach/19/9/RIM.png) &font(b,#ff0000,20pt){ぷはー 今日もイイ天気} |別名|椎茸たろう&br()りつる&br()渚&br()雪靉&br()真白涼&br()ひな茸&br()りょう&br()エマ| |通称|RU姉貴&br()RIM姉貴&br()RUさん&footnote(UDK姉貴が生放送中に言った「RUさんちょっとー」という発言が元ネタ)&br()れうさん&br()豚&br()永田琴乃| |出演作品|[[クッキー☆]](博麗霊夢)| |使用MMDモデル|にがもん式霊夢&br()FAN TERIOR式RU姉貴&br()AKT式霊夢&br()ISAO式霊夢&footnote(古い動画のみ)| |YouTube|[[椎茸たろう:れう>https://www.youtube.com/channel/UCj6CE1kayE_Biy4kjL6j51g]]| |Pixiv|[[user/1830078>https://www.pixiv.net/users/1830078]]| |Twitter|&s(){[[@shirataki_mggg>>https://twitter.com/i/user/1012709296528764929]]}&br(){[[@ununchidayo>>https://twitter.com/intent/user?user_id=1246312734100090881]]}&br()[[@nagisa__siroop>https://twitter.com/intent/user?user_id=3037005696]]&br()[[@ryo_siroop>https://twitter.com/intent/user?user_id=3072500924]]&br()&s(){@reu35}&br()&s(){[[@shirataki__mgmg>https://twitter.com/intent/user?user_id=118362094]]}&br()[[@shirataki_ctake>https://twitter.com/intent/user?user_id=1217318492291993600]]| #areaedit(end) #areaedit() **概要 [[クッキー☆]](2010年2月15日)で博麗霊夢を演じた声優。コスプレイヤーでもある。 クッキー☆の顔とも言えるぷはーRIMのキャラ。ぷはーRIMはクッキー☆に関する様々なところで使われており、クッキー☆をよく知らない人でも見かける機会が多い。UDK姉貴とはまた違った意味でクッキー☆の象徴とも言えるキャラである。 クッキー☆でRIMと言えば大抵RU姉貴の事を指し、[[KNN姉貴>かんな]]の登場まではRU姉貴ではなくRIMと呼ばれた。ぷはーRIM等がRUではないのはその名残。 演技は[[UDK姉貴>宇月幸成]]にも劣らぬ棒読みで、冒頭の出番も多いことから、人によってはRU姉貴の方が棒読み声優として印象に残るかもしれない。 UDK姉貴とは高校の友達でよく一緒にニコニコ生放送もしていた。RU姉貴がクッキー☆で声優をやったのもUDK姉貴に誘われたためである。 非常に豪胆な性格で、クッキー☆の風評被害を受けても気にも留めずに活動している。そのため長年クッキー☆と密接に関わり続けることができた人物でもある。 [[ALISON兄貴>ALISON]]とも交流があり、彼のブースで売り子をしたこともある。 #areaedit(end) #areaedit() #region([[クッキー☆]]での活躍) 最初の台詞を言ったキャラである。 物語は彼女が博麗神社でお茶を飲むところから始まる。その時魔理沙とアリスがやって来てアリスがブラウニーを振る舞ってくれたためお茶を用意する。 魔理沙が去った後も萃香と過ごしたりとしばらく描写されていたが、場面が魔理沙に変わると、長らく出番は無くなる。 人里で魔理沙がアリスと再会した際は霊夢は萃香とお酒を飲んで寝てしまったと話題にされる。 その後ラストシーンにてようやく登場し、魔理沙がアリスにプレゼントする姿を見守り涙していた。この涙の意図は不明。序盤で霊夢へのホワイトデーのお返し、霊夢への「素敵なプレゼント」を唆したこと、またその唆しをすべて魔理沙が蹴った後に酒に溺れていることから、魔理沙からのプレゼントを期待していた節があったと思われ、本当に霊夢へのプレゼントがないことを魔理沙とアリスのイチャつきから悟り、悲しんでいたと思われる。 アリスがプレゼントのクッキーをちゃっかり魔理沙に毒見させ、それに対する魔理沙の返答に怒る。 #endregion #areaedit(end) #areaedit() ---- **ニコニコでの扱い UDK姉貴と並ぶクッキー☆のメインキャラ。出番はあらゆるタイプの動画において非常に多い。メインばかりに片寄りがちな他の人気キャラと異なり、メインからチョイ役までこなす、クッキー☆屈指の使い勝手の良いキャラである。 ぷはーRIMは音MADでは一般的な素材の1つで、BB劇場などでもちょくちょく活用される。またサムネとなることも多い。 クッキー☆MADを世に知らしめたI'm so クッキー☆ブームは彼女がメインの霊夢 so クッキー☆が発端となっており、一時期はもっとも再生数の多いクッキー☆MADだった。 ほのぼの神社アレンジではぷはーRIMをコラすることがお約束となっている。 #areaedit(end) #areaedit() **本スレでの扱い クッキー☆騒動の初期の頃から話題にされたが最初はメインとされることは少なかった。本スレでは空気だがニコニコでは人気という評価も見られた。当時はRU姉貴の活動からメンヘラを疑ったり、その割には受け答えがしっかりしていて驚かれたりした。 騒動後も深く関わり続けていたが、以前は本スレから豚と呼ばれ評判は非常に悪く、古くから本スレが嫌う声優としてよく名があげられた。 [[TIS姉貴>大佐]]や[[YMN姉貴>やみん]]等そのような声優は他にも見られるが、彼女ほど長い間本スレで嫌われ続けた声優は珍しい。当然様々なバッシングや嫌がらせ、殺害予告も受けた。 しかし、それらが堪えた様子はあまり見られず。屑の上、メンタルも強く全然潰れないといった扱いをよく受けた。 ただ、話題が[[クソクリ]]が中心となっていってからは次第に話題にされること自体が減り、Twitter上での虚言癖や浮気癖から人間の屑として彼女を嫌う書き込みのみが見られるようになった。 現在は痩せているが、いまだに豚と呼ばれることが多い。 生放送中(2010年11月20日[[sm13281856>https://www.nicovideo.jp/watch/sm13281856]])UDK姉貴に言った「嫌いじゃないけど、好きじゃないよ」という発言は大きな話題になり、本スレ以外でもRU姉貴が一方的に悪いという風潮になった この発言の後も2人は放送を不定期に続け、UDK姉貴が引退する最後の生放送(2011年2月5日[[part1>https://www.nicovideo.jp/watch/sm13509012]]、[[part2>https://www.nicovideo.jp/watch/sm13510457]])を行った。 #areaedit(end) #areaedit() **実況での扱い キャラソンが少ないせいか、あまり相手にされていない。 #areaedit() **静画での扱い 普通に絵を描かれることは勿論、ぷはーRIMはコラージュ題材として人気が高い。初期のクッキー☆静画といえばこのぷはーRIMコラが主体だった。 本人の体形や人柄から、むちむちとした体つきのエロキャラとして描かれることが多く、春画も多い。 #areaedit(end) #areaedit(end) #areaedit() ---- **主な持ちネタ :ぷはーRIM|RU姉貴、ひいてはクッキー☆を代表するネタ。クッキー☆冒頭のワンシーンが元になっている。 音MADの音声、コラ素材として使われることが多い。 何故かかなりの怒り肩であり、それもしばしばネタにされる。 :ロ⌒o⌒ロ|ぷはーRIMを表した顔文字。[[+⌒o⌒+>海原エレナ]]や[[。⌒o⌒。>Muse0120]]と言った派生も生まれている。 :今日もいいペンキ☆|本編冒頭の台詞の空耳。ぷはーRIMの直後の台詞なため知名度は非常に高い。 :シンメトリーRIM|ぷはーRIMをシンメトリーにしたもの、初期のクッキー☆の音MADなどで見られる。[[真夏の夜の淫夢]]のキャラのDBのネタである「シンメトリーDB」のオマージュ。 実はニコニコ大百科のシンメトリーRIMの記事はクッキー☆の記事より先に作られている。 :薄目|ぷはーRIMの目が見ようによっては薄目の様に見えるため薄目を強調されることがよくある。 :少女亀頭中…|&nicovideo(http://www.nicovideo.jp/watch/sm18278397){340,185} ぷはーRIMにフェラをしているように塗りつぶしをコラージュしたネタ「霊夢 so クッキー☆」の途中で見られた。[[東方project]]のロード画面で見られる「少女祈祷中…」とも掛けている。 [[I'm so クッキー☆]]やクッキー☆リスペクトでは同様にコラージュした場面がお約束となっている。 :球形中よ|&nicovideo(http://www.nicovideo.jp/watch/sm12853590){340,185} 球体に編集したRU姉貴。 上記の動画の一発ネタとしてコメントされたが、その後も音MADなどで球形に編集したRU姉貴が度々使われていた。 :神社回転の日|&nicovideo(http://www.nicovideo.jp/watch/sm21554498){340,185} 2011年09月11日に投稿された「フラワー☆」にてRU姉貴が高速回転する場面でのネタ。この影響でクッキー☆のFLOWERMADではその場面で高速回転することがお約束となっている。 フラワー☆はホモコーストで消されてしまっており上記の動画はリメイク版。 :クォラ☆|劇中の台詞から。 :○○のパワーはすごいわね|劇中の台詞から。空白部分に適切な語をあて、称賛等に用いられる。 :お菓子だからね。|劇中の台詞から。SIKの「甘い!」に対する「(甘いのは)お菓子だからね。」という返答だが、やや違和感の残る返答である為揶揄される。 また、語録としても用いられ、その場合は専ら「おかしい」といった台詞に対して使用される。 :アリスガタベタコトナカッタラダレモタベタコトナインジャナイ|棒読みのRU姉貴の中でも特に棒読みな台詞としてネタにされている。 :○○中よ|劇中の台詞「休憩中よ」から。空白内を置き換えて状態を示す。 :お、来たみたいね|劇中の台詞から。新スレへの挨拶や企画されていたものが投稿された時などにとりあえず貼られる。 :もやぁ?、ぽやぁ?|劇中の台詞「おやぁ?」の空耳。 :幻想郷キタキタ祭|劇中の台詞「お、&bold(){来た}みたいね」の来たを繰り返してリズムを刻ませたもの。音MADで見られるネタ。 [[真夏の夜の淫夢]]のキャラであるTNOKのネタ「下北沢キタキタ祭」のパロディである。 :バルサン…|劇中の台詞「魔理沙・・・」の空耳。 :ホモの見つけた真実はRUDK|ニコニコ動画の東方関係のタグの1つ「僕の見つけた真実はレイマリ」のもじり。 :[[サケノミ]]| :[[RU大根]]| :[[る]]|詳細は該当ページ参照。 :コスプRU|コスプレイヤーであることからできたネタ。本人もやっていた、「鏡音レンの暴走」におけるスク水姿の鏡音リンのコスプレがよく扱われる。 :スク水RU|上記のリンコス衣装と、霊夢のリボンと髪飾りを組み合わせたもの。[[静画>>クッキー☆静画]]においてRU姉貴の格好として通常の霊夢の服ではなくこちらで描かれることがある。ゼッケンの「リン」が「RU」に変更されている。 :嫌いじゃないけど好きじゃないよ| 上記の生放送での発言をネタにしたもの。本編以外でのRU姉貴の代表的な語録。 嫌いじゃないけど好きじゃないものを語る場合に定型文として用いられるほか、「嫌いじゃないよ大好きだよ」「好きじゃないけど嫌いだよ」のようにもじって強意にも用いられる。 5ちゃんねるでも古くからスレタイとして使われており[[過去200件以上のスレが存在する>https://www.logsoku.com/search?q=%E5%AB%8C%E3%81%84%E3%81%98%E3%82%83%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%91%E3%81%A9%E5%A5%BD%E3%81%8D%E3%81%98%E3%82%83%E3%81%AA%E3%81%84%E3%82%88&sort=create]]。 :カミキリムシ|生放送でRU姉貴がカミキリムシを口に入れて遊んだことがあると告白したことから、カミキリムシと結び付けられる。 :デブ|デブとして扱うネタ。発展して豚と扱われることも。 スクール水着にニーソックスなどといった体型を強調したコスプレをすることからデブ呼ばわりされやすい。 特に本スレではRU姉貴の蔑称として「豚」が多用されていた。 [[クソデブ姉貴]]や[[こちこ]]のように代名詞としてはあまり用いられないが、これを受けてか静画ではむちっとした体形で描かれることが多め。 :BU|&nicovideo(sm25620884){340,185} 上記の豚として扱うネタを発展させて、本当に豚の姿にしてしまったRU姉貴。本来豚呼び自体は蔑称ではあったが、BUの方は思いのほか可愛いと評判が良い。 動画は[[ただのすいか]]兄貴のもの。 :曇ることを知らない高気圧ガール|[[真夏の夜の淫夢]]のキャラクター、ドラゴン田中にあてられた掲示板での評価「拒むことをしらない種壷野郎」のもじり。初出は不明。 「高気圧ガール」という言葉は山下達郎の曲名から取られていると思われる。 :行司の衣を借る豚|ニコニコ静画などでよく見られるヘソ出しルックのRU姉貴の呼び方。ヘソ出しのRIMと言えば[[NEL姉貴>ノエル]]なので「虎の威を借る狐」という諺に掛けてこう呼ばれることがある。 :RUDK|「れうづき」と読む。MADや静画で表現されるUDKと[[RU>れう]]の百合カップリングのこと。 この二人はボイドラでも共演し、リアルでも関わりがあり、二人で行った生放送のデータも残っているとあって何かと親和性が高い。 主にUDKがRUに対して積極的に好意を示すが、RUは「嫌いじゃないけど好きじゃない」という態度をとるツンデレの関係として描かれることが多い。 後にRUが「親友だと思っている」という発言をしたことあってふつうに仲の良い二人として描かれることもある。 [[朗読兄貴]]のTDN表記でもあるためそれと掛けたネタもある。 :[[鉄アレイ]]兄貴|RU姉貴が結婚を前提に付き合っていた男性の通称。プロポーズして承諾されていたRU姉貴に浮気されたことで精神を病み、飛び降り自殺未遂を起こした。命に別状はなかったものの脊髄を損傷して下半身不随となっている。 &nicovideo(https://www.nicovideo.jp/watch/sm35545566){340,185} :ギャッツビー|2020年3月3日に本スレに降臨した時の初体験は一六歳の時にカラオケボックスでレイプされ生外出しされギャッツビーで拭かれたとの発言から &nicovideo(https://www.nicovideo.jp/watch/sm36455263){340,185} :消えな|RU姉貴のTwitter上でのやり取りでリプライした際のツイート。 #areaedit(end)

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