すばるがそこを訪れた時には、全てが崩れ去った後だった。
廃校での戦闘から離脱し、襲撃したバーサーカーの追撃を振り切るためにビルの谷間を駆けること暫し。すばるがそれを見つけたのは、全くの偶然と言って良かった。
そこは、一言で言えば巨大な建築物だった。厳密には、その跡と言うべきか。見るも無残に砕け散った、そこは"植物園"の廃墟であった。それを発見したすばるは、自分を抱えるアーチャーに無理を言ってそこへ降ろしてもらった。何故か、そうしなければならないという焦燥じみた感情が、胸の中に渦巻いたのだ。
そして。
「そんな……」
呆然とした呟きが、知らずすばるの口から漏れた。
すばるが目の前にした廃墟は、しかしそれを通り越し最早残骸と形容できてしまうほどに、その威容を朽ちたものとしていたのだった。
元はドーム状だったのだろう、ガラス張りの天井は粉々に砕け、今は割れた卵の殻めいた有り様だ。コンクリの壁面には至るところに罅が入り、辛うじてその外観を保っている均衡は今にも崩れ落ちてしまいそうな雰囲気を醸し出している。
一歩、入口へ足を踏み入れる。すると、じゃり、という硬く擦れた感触が靴の向こうに感じられた。見下ろしてみれば、そこには破片となったガラスが、陽光を反射してキラキラと煌めいていた。ドームを構築していたガラスが、ここに落下して割れたのだ。
その光景に何故かぶるりと悪寒を覚え、しかし次の瞬間には意を決したように、すばるは植物園の中へと入っていく。
明かりがなく暗い通路、今にも崩れそうな内観。
それらを通り過ぎ、温室へと繋がるドアへと手をかけ。
扉を、開く。
「……」
言葉にならない感慨が、すばるの胸中へ生まれた。
そこは初めて足を踏み入れる場所でありながら、しかし恐ろしいほどに見覚えのある空間だった。
すばるの声は驚愕と、哀絶と、それらがないまぜになって自分でもよく分からない感情に満ちていた。
そこは、"あの"温室と酷く似通った場所だった。すばるが、みなとという少年と初めて出会った、あの不思議な扉の先にある綺麗な温室。
石畳で舗装された通路、その脇には硬く冷たい園芸用の庭。そして目の前には、石造りの大きな噴水。
ここに来なくてはという根拠のないすばるの直感は正しかった。知るものなど何一つとしてなかった異界の鎌倉で、しかし元の世界の面影を残す場所こそが、ここだった。
けれど、今のすばるに、郷愁の念に浸れるような余裕などなかった。
それは、確かに思い出の中にある、彼との触れ合いの場所だったけれど。
今は全てが朽ち果て、暖かみも輝きもない残骸だけが残されているだけなのだから。
瑞々しい緑も、綺麗に縁どられたガラスも、溢れ出る水の透明さも、そこにはなかった。
あるのは瓦礫と、剥き出しの地面と、あとは一面の青空くらいのもの。
【すばるちゃん、ここは?】
【アーチャーさん……えっと、その】
訝しげにこちらを見遣り念話するアーチャーに、すばるは消沈した面持ちでたどたどしく説明した。
この植物園が、かつてみなとと共に過ごした温室と酷く似通った場所であること。そして何故か、ここに来なければならないという強迫観念にも近い直感が働いたことを。
【そう。すばるちゃんの気持ちはよく分かったわ】
果たして、それをアーチャーは真摯に聞いてくれた。突拍子もないすばるの話を、黙って、時折相槌を打ちながら。
すばるの願い、そしてみなとという少年のことを、アーチャーは既に聞き及んでいた。その少年がすばるにとって、どれほど大事な存在であるかも。
だからアーチャーは、そんなすばるの気持ちが痛いほどによく分かった。共感した、と言い換えてもいい。何故ならアーチャーもまた、方向性こそ違えどそうした感情の元に聖杯戦争へと臨んでいるのだから。
だからこそ、分かる。
思い出の場所があったという、そこから生じる気持ちも。
思い出の場所が穢されてしまったという、その切なさも。
【でも、こんなふうに考えもなしに動いちゃダメよ。どこで誰が見てるかも分からないんだから】
【あう、そうでした……】
けど、それとこれとは話が別だ。聖杯戦争中の迂闊な行動は些細なことも死に繋がりかねない。サーヴァントの立場としては、こうした行動はあまり感心できるものではなかった。
無論、できる限りすばるの願いは叶えてあげたいと、そう思ってはいるけれど。
【でも……】
【どうしたの、すばるちゃん。何か気になることでもあった?】
【あ、うん。えっと、どうしてここがみなとくんの温室そっくりなのかなーって、そう考えちゃって】
言われてみればそうである。
ただの偶然、と片づけてしまうのは簡単だ。そもそも植物園の温室などは育成の都合上、構造は似たり寄ったりが多くなる。あとは内観さえ酷似していれば建物の立派なドッペルゲンガーだ。
けれどそんな在り来たりな言葉では言い表せない何かもまた、ここから感じ取れるというのも事実ではあった。
【そうね。でも、考えるのは後。少なくとも、ここは長居していいような場所ではないわ】
【そう、ですね。なんか崩れてきそうで怖いし】
てへへ、とすばるが笑う。その笑顔が空元気であるということは、特に観察眼に優れるわけでもないアーチャーでも容易に察することができた。
【ええ、それもあるけど……でもそれ以上に、ここには強い魔力の残滓があるの。多分、サーヴァント同士の戦闘がついさっきまで行われていた証ね】
【アーチャーさん、それって】
【危険だわ。とても、ね】
サーヴァント同士の戦闘。そう言われ改めて見遣れば、崩れた瓦礫や割れた地面が先ほどまでとは違った意味合いを持つように見えてくる。
穿たれたように罅の入った地面は、殴られたかのように。
一直線に抉られた地面は、斬られたかのように。
今は静寂だけが満ちているのに、すばるはそこに激しい戦いの情景を想起してしまう。
【あ、アーチャーさん、帰りましょうか……】
【そんなに怖がらなくても大丈夫よ。近くにサーヴァントの気配もないのだし】
【そ、それとこれとは話が別ですよ!】
背筋に悪寒が走り、ぶるりと体を震わせる。あの廃校に突撃してきたバーサーカーのような者が戦ったと考えると、恐ろしい想像が止まらないのだ。近くに誰もいないとアーチャーに告げられても、これは半ば本能的な恐怖なためどうにもならない。暗くて誰もいないところを思わず怖がってしまうのと一緒だ。
だから、アーチャーに言われるがままに、すばるは踵を返そうとして。
その瞬間。
「───え?」
目に入るものがあった。それは、すぐ目の前を横切るように。
ひらひらと飛んでいた。それは、青と黒の羽を羽ばたかせて。
一羽の蝶が飛んでいた。
見間違えるはずもない。あの温室でみなとと共に見た、あの蝶だった。
「うそ……」
忘我の呟きが溢れた。知らずすばるはその蝶を追いかけ、温室の脇へと足を踏み入れた。
アーチャーの声が後ろから聞こえる。しかし、今は応えてなどいられない。この植物園に立ち入った時にも感じていたある種の予感が、今再びすばるを突き動かしていた。
そして、見た。
「あ……」
言葉と共に膝を崩し、座り込む。すばるの声は、何か信じられないものを見たかのように震えていた。
恐る恐る手を伸ばす。その手の、視線の先にあったのは、花。
薄紫色をした、六角形の花弁を揺らす、一輪の小さな花。
───すばるとみなとが一緒に育てた、あの花だった。
「みなとくん……」
その花を前に、すばるは何を想えばいいのか、分からなかった。
目の前で消えてしまったみなと、それにつられるように姿を消した花々。可能性の結晶。自分は最早、二度とこの花を目にすることはないと思っていた。
それがここにこうして在って、ならば自分は何を想えばいいのか。
みなとが、この鎌倉にいるかもしれない。
自分の敵として、立ちはだかるかもしれない。
そう思うと、どうしようもなく悲しく、遣る瀬無い気持ちになるけれど。
「また、会えるよね……?」
彼を想うこの気持ちは、彼と共に在れる嬉しさは、決して嘘ではないのだと。
すばるはただ、花を包むように首を垂れて、目端に涙を滲ませた。
───すばるの首に下げられた星が、鈴の音を転がすように、小さく音を鳴らした。
【D-2/廃植物園跡地/一日目・午後】
【アーチャー(
東郷美森)@結城友奈は勇者である】
[状態] 魔力消費(小)
[装備] なし
[道具] スマートフォン@結城友奈は勇者である
[所持金] すばるに依拠。
[思考・状況]
基本行動方針: 聖杯狙い。ただし、すばるだけは元の世界へ送り届ける。
1:アイ、セイバー(
藤井蓮)を戦力として組み込みたい。いざとなったら切り捨てる算段をつける。
2:すばるへの僅かな罪悪感。
3:不死のバーサーカー(式岸軋騎)を警戒。
4:ゆきは……
[備考]
アイ、ゆきをマスターと認識しました。
色素の薄い髪の少女(
直樹美紀)をマスターと認識しました。名前は知りません。
セイバー(藤井蓮)、バーサーカー(
アンガ・ファンダージ)、バーサーカー(式岸軋騎)を確認しました。
【すばる@放課後のプレアデス】
[令呪] 三画
[状態] 健康、無力感
[装備] 手提げ鞄
[道具] 特筆すべきものはなし
[所持金] 子どものお小遣い程度。
[思考・状況]
基本行動方針: 聖杯戦争から脱出し、みんなと“彼”のところへ帰る
0:みなとくん……
1:自分と同じ志を持つ人たちがいたことに安堵。しかしゆきは……
2:アイとゆきが心配。できればもう一度会いたいけど……
[備考]
C-2/廃校の校庭で起こった戦闘をほとんど確認できていません。
D-2/廃植物園の存在を確認しました。
みなとがこの鎌倉にいるかもしれないという、予感めいたものを感じています。
最終更新:2020年05月04日 18:30