「友達が……いるんです」
それは、いつかの夜のこと。
工場の火が落ちたような静けさに満ちた校舎の中、私は彼女とふたりっきりで話していた。
ちょっと前まで……いや、その会話の直前まで、私達は険悪な関係だったと記憶している。
というか、私が一方的に邪険にしていただけか。
だから、そんな私がどうして和やかな会話になど臨もうと思ったのか。
詳しいことなんて、よく覚えてないけれど。
でも、ゆき先輩は危なっかしくて見ていられないから。
多分、そういうことだったんだと思う。
だから、話す内容もそういうもの。
学校や友達を大事にする、ゆき先輩の隣だったから話せたこと。
「クラスメートで、調子が良くて、元気で……」
「うん」
「しばらく会えなくて」
「登校拒否?」
「そう、かもしれません」
「そっか」
話すのは、思い出すのは、友人のことだった。
友人。ずっと一緒にいた子。
同じ学校に通い、同じ日常を過ごし、同じ想いを共有した、誰より大切な私の親友。
災害に巻き込まれた後も、私たちは一緒になって頑張ってきた。
生きようと、死にたくないと、必死に必死に死にもの狂いで。
だから。
最後の最後で、置いてきぼりにされてしまったけれど。
「もう一度、会えたらなって」
思うのは、たったそれだけ。
怒りも悲しみもない。もう一度会えたら、それだけで私は良かった。
……叶うはずもないから、より一層焦がれた。
「きっと会えるよ」
「気休めですか?」
取りつく島のない反応にも、ゆき先輩は笑ったままだった。
「ううん、だってほら、私達って学園生活部だし!」
「さっぱりわかりません」
「みーくんは学校嫌い?」
「いえ……」
「でしょ?」
よっ、と一声。ゆき先輩は腰かけていた積み椅子から降り、軽やかに廊下へと足をつける。
能天気な笑顔は変わらなくて、以前はそれがどうしようもなく鼻についたのだけど。
「みんな学校大好きなんだから、きっとその子もまた来るよ。
わたしたちはずっと学校いるから、こりゃもう会うのは時間の問題だね!」
今は何故だか、それが無性におかしくて仕方が無かった。
明らかに何も考えてないのに、頭もそんなに良くないのに、大事なところだけはズバッと当ててくる。
彼女がそう在るだけで皆が救われているのだと、寂しげに語るりーさんの言葉が、今なら理解できると思った。
だって、ゆき先輩と向かい合う私は、こんなにも。
「来なかったらどうするんです?」
「そしたらさ、わたしたちでこの学校をもっともーっと楽しくすればいいんだよ」
希望に満ち溢れていた。
何も知らない無垢な子供のように。
その笑みは、ただ光に満ち満ちていたから。
「もういっそ遊園地にしちゃうとかさ。夜になったら電飾がきらきらーって。
こりゃー来るでしょ、明かりに誘われて!」
「先輩」
恐らくは。
その時になって、初めて。
「言ってることが滅茶苦茶です」
「そ、そう?」
私は、笑顔を浮かべることができたのだと思う。
心から浮かべた、久しぶりの笑顔を。
───圭。
だから。
その時脳裏に浮かびあがったのは、たった一人の親友の姿。
この手を離れてしまった彼女の名を。
直樹美紀は、もう一度だけ、強く思って。
───圭。
───どこかで生きているかもしれないあなた。
───私はまた、あなたにもう一度会いたいです。
───また一緒に楽しくおしゃべりをして、一緒に学校へ行って、休日にはCDショップで音楽を聞いたりして。
───泣き、笑い、楽しみながら。あなたと共に生きていく未来が。
───きっと、私は欲しかった。
───わたしは今、ここにいます。
───わたしたちと同じ、懸命に生きてる人たちと一緒に。
───光の中、少しでも前を向いて進んでいきたいと思うから。
───いつかどこかで、あなたとまた……
………。
……。
…。
それは、遠い彼方に過ぎ去ったはずの記憶。
それは、誰かが思い描いたメモリーのかたち。
本来現れるはずのなかった、そして誰かに伝わるはずのなかった、それは失われた記憶の断片。
一人の少女が心に浮かべた、あるいは浮かべたかもしれなかった詩編の一つ。
語る者はいない。観測する者もいない。
一人。
そう、たった一人を除いて。
語る者は、いない。
――――――――――。
チクタク。
チクタク。
チクタク。
チクタク。
チクタク。
チクタク。
チクタク。
チクタク。
チクタク。
『すべて』
『そう、すべて』
『あらゆるものは意味を持たない』
…………。
…………。
…………。
▼ ▼ ▼
【同刻】
【地上、あるいは───】
▼ ▼ ▼
鋼と鋼による交差の反響音が間断無く轟き、辺りの大気を大きく震わせた。
交わされた剣戟の数は既に百を超え、三つ巴の乱戦は混沌の様相を呈していた。躍動する肉体、弧を描いて空間を縦横無尽に飛び交う剣閃。それら全てが絡み合い、猛る戦意は波濤となって互いの命を呑みこまんと叩き込まれる。
戦舞を演じるのは都合三者。うち二人は真っ当な人の形を持ち、残る一者が異形の肉体を保持するという内訳であった。しかし、実態としての性質はまるで異なり、真っ当な人型と呼べる者など三者の中にあってはたった一人しか存在しない。
何故なら人型の一体であるスーツ姿のサーヴァントのクラスはバーサーカー……理性なき狂した戦士故に。
「■■■■■■■■■■――!!」
発狂に発狂を重ね、最早声ではなく音としか機能しない雄叫びと共に、手にした黒色の金属塊を力任せに薙ぎ払う。
何の技巧も介在しない児戯に等しいその一撃は、しかし内包する圧倒的膂力により何者にも勝る豪快な殺人術として成立していた。
込められた力、振るわれる速度。その双方が純粋に凄まじい。この男を前に単騎で向かい合うというのは、如何なサーヴァントであろうとも常人が丸腰で羆に相対するに等しい蛮行であると言えるだろう。
狂気に歪み血走る眼は彼があらゆる意味で常軌を逸した存在であることを何よりも雄弁に語っていた。常態で放たれる殺意の渦は通常の英霊のそれとは全く違う重厚な鋼の威圧に他ならず、およそ人間に放てるものではない。
これは異物だけが持つ災禍の臭いだ。同じく座に登録されたサーヴァントでありながら、通常クラスとは何かが全く異なっている。単純な上位互換とは明言できず、さりとて無関係というわけでもない。
それはすなわち正気の有無。断崖にひた走り狂喜しながら回転率を上げ続ける、暴走機関車が如き有り様。
だからこその狂戦士───バーサーカーという狂気を宿したクラスの具現こそがこの男なのだ。
かのバーサーカー、式岸軋騎は外見こそ市井の住民のような服装と風貌ではあったが。彼はその在り方と同じく真っ当な英霊ではなかった。
曰く「仲間(チーム)」。前世紀末の日本を震撼させたという、死線の蒼を中核とする九名から成る究極絶無のサイバーテロリスト集団、その逸話の再現。かつて
玖渚友の所有物であったものの一つ。それこそが式岸軋騎の正体である。
つまり、彼は厳密には英霊ではなく、他の英霊の宝具によって召喚された疑似的なサーヴァントなのだ。だからこそ、たとえ霊核を砕かれようが全身を消し炭にされようが魔力の消費だけで容易に蘇生・再構築が可能となる。先の戦いで頭蓋を剣で刺し貫かれ、総身を雷電で消滅させられた彼が五体満足で存命している理由がそれだ。
その異常性と特殊性は空前絶後の一語に尽きるだろう。本来英霊とはたかが宝具によって召喚されるような代物ではなく、故にそれが為されたとしても大幅な能力制限が課されるか、そもそも大した力を持たない者しか呼ばれないはずなのだ。しかし彼はそうではない。最優とされる剣の英霊すらも上回るスペックは、"狂戦士とは斯く在るべし"という何某かの強烈な思念が具現したかのような錯覚さえ覚えさせられる。
故に撒き散らされるは破壊の嵐。式岸軋騎の進行上の全て、あらゆるものは微塵に砕かれ塵となるのみ。
校庭に刻まれた破壊の大半は、実のところ彼の手で為されたものだった。地に穿たれたクレーターも、薙ぎ倒された木々の惨状も、痩身の外見にはそぐわない暴力性によって引き起こされたのだと、初見で信じる者はまず存在しないだろうけれど。
だが彼はそれを為せる者なのだ。愚神礼賛、シームレスバイアス、零崎三天王が一角。如何に狂化されようとも、いいや狂化されたからこそ、殺し名として築き上げた畏怖の象徴は更なる領域へと足を踏み入れる。
「くっ!」
そしてその暴威に真っ向立ち向かう一人、セイバーのサーヴァント
藤井蓮は抑えきれない焦燥に舌打ちを禁じ得なかった。
膂力という面において軋騎に圧倒的に劣る蓮は、当然ながらまともに切り結んでは次の瞬間には肉塊と化する以外の道はなく、故に彼は綱渡りじみたぎりぎりの戦いを続ける他にない。
とはいえ、それは彼が軋騎に総じて劣る存在であるということでは決してなかった。曲がりなりにも互角以上に打ち合えているという現状、どころか二度に渡って軋騎の霊核を潰しているという事実は偏に彼が持つ戦闘技能と魔力放出スキルの汎用性の高さを裏付けるものであった。
だがそれも、彼の表情から焦燥の色が消すことは叶わない。それもまた当然の話だろう、何故なら軋騎は幾度砕かれようが決して死ぬことはなく、致命の傷であろうともまるで頓着せずに進撃してくるのだから。
三度殺せというならばやってみせよう、五度でも十度でも可能性を諦めはしない。だが一体何度殺せば真に打倒することができる? 敵方の詳細はようとして知れず、悪戯に倒したところで疲弊するのはこちらばかり。故に蓮は、途中からは軋騎を殺すのではなく攻撃を捌いて拮抗状態に持ち込むことに注力していた。
決して倒せない相手との千日手、徒労にも等しい戦闘は肉体疲労や魔力消費以上に精神面を蝕む毒となって焦燥の色を強めていく。
そしてそれは残る一者、バーサーカー・アンガ・ファンダージにも同じことが言えた。
異形の巨躯。およそ人ではない威容。長大な二振りの光剣を振りかざし、大量の遠隔ビットからレーザーを射出するという、どこぞのSFにでも出てきそうな奇想天外生命体。ビットの大半こそアーチャー・
東郷美森の遠距離狙撃により撃墜されたものの、翳す光剣は未だ健在。振るわれる斬撃はそれだけで地を砕き、当たれば必殺の刃として機能している。
だがしかし、本来であるならば、ファンダージは既に討伐されていて然るべき存在なのだ。何故ならば彼のマスターが持つ魔力は当の昔に底を尽き、ファンダージ自身が持つ魔力も大幅に嵩を減らしているのだから。
彼のマスター、直樹美紀は魔術師でもなければその家系に連なるものでもない。伝承保菌者というわけでも、突然変異の能力者でもない。真実ただの一般人、本来であるならば令呪が発現するはずもない無辜の民であるはずの少女でしかない。
然るに、
アンガ・ファンダージには碌な魔力供給が為されてはいなかった。如何な理由か保持していたなけなしの魔力も、これより以前に行われた黒の騎兵との戦闘ですっかり底を尽いてしまっている。今回の三つ巴戦闘において、彼の戦闘行為を成立させている魔力はアンガ・ファンダージ自身から絞り出されたものなのだ。
当然、時間と共にアンガ・ファンダージの力は加速度的に低下の一途を辿るしかない。サーヴァントの力と肉体を構築するのは魔力なのだから、それが嵩を減らせば有する戦力が底を割るのは当たり前の摂理というものである。
そのような体たらくのファンダージが、何故今も尚存命できているかと問われれば、それは彼の持つスキル「学習能力」の賜物に他ならない。
ファンダージはサーヴァントとの戦闘を経てその戦い方を学習し、それに見合った耐性を習得できるという破格にも程があるスキルを有している。
剣持つ英霊と戦ったならば斬撃を、槍持つ英霊と戦ったならば刺突を、多種多様な魔術を操る英霊と戦ったならば魔力と多様な属性を、それぞれ無効化するほどの強力な耐性を、それこそ無限に習得できるのだ。
そして今、ファンダージは三つの耐性を習得していた。すなわち、斬撃、打撃、雷撃、銃撃。それらは軋騎と蓮、及び遠方より支援する東郷美森の手繰る主な攻撃方法であり、故に彼らは如何に弱ろうともファンダージを決定的に害することは叶わない。
比喩でもなく難攻不落の要塞そのもの。更にファンダージは、現状こそ使えないとはいえ死からも復活するご都合主義じみた宝具までをも兼ね備えているというのだから恐ろしい。
だからこその、これは変則的な三つ巴。そして唯一狂気を宿さない蓮にとっては、どちらともが非常に頭の痛い存在に他ならなかった。
軋騎は再生能力を以て、ファンダージは強力な耐性を以て。それぞれ要因は違えども、どちらも蓮の攻撃など歯牙にもかけず狂気の赴くままに破壊をもたらしている。
これが蓮一人ならば、ここまで焦燥することはなかっただろう。如何に死なないとはいえ所詮は理性のない怪物程度、かの黄金とは比べれば逆境と呼ぶことすらおこがましいと愚直に剣を振るい続けただろう。
だがそうではない。今この状況において秤にかけられているのは蓮一人の命だけではなく、そこには
アイ・アスティンという少女の命も賭けられているのだ。
狂戦士たちの破壊の手が彼女に及ばないよう、蓮はひたすらにそれだけを求めて戦いに尽力していた。体捌き、視線誘導、虚実にフェイント地形利用。それこそ己の持てる全ての技で以て被害の矛先を逸らし、少女の命を守り状況を打開する機を伺っていた。
「■■■■■■■■■■――!!」
振り下ろされる大質量が、しかし何を穿つでもなく無為に地を抉った。
巻き起こる砂塵と轟音、それに紛れるように横合いへと滑り込んだ蓮の肉体が瞬時に反転し、惜しみない魔力放出を伴った蹴撃が一直線に軋騎の頭蓋を狙う。
渾身の攻撃に硬直する軋騎に躱せる道理もなく、その一撃は粘性の音と共に頭骨と脳漿を中空へと四散した。当然次の一瞬には再生する程度の損傷でしかないが、殺害を目的としたものではないのだからそれでいい。
右足を振り抜いた蓮の背後から雄叫びを上げるファンダージの斬撃が迫る。今この時も狙い撃たれる狙撃弾など頓着することなく放たれた剣閃は蓮の総身を影のように覆い隠し、上方より叩き潰さんと空を裂く。
しかし、その瞬間には既に蓮の体は光剣の進行上には存在しなかった。一瞬で身を翻し跳躍した蓮の代わりに、巨剣の行く先にあるのは、頭部を失い傾ぐ軋騎の肉体。
爆轟する重低音に、肉の弾ける湿った音が微かに混ざった。砂埃に血煙がへばり付き、赤茶けた地面に大量の鮮血が放射状にばら撒かれる。
致命傷だ、明らかに。頭部や心臓の欠損などと生温い。全身余すところなく完全に圧壊させられた、これを受けて生きていられる者など存在しないという何よりの破壊結果がそこにはあった。
しかし、それでも。
時間を巻き戻すように鮮血が収束していく。血痕が、肉片が、自律しているかのように一点へと集合し、再び形を成す。
そして振るわれるは愚神礼賛。己を害さんとした敵を殺し返すため、「直前まで蓮がいたはずの空間」を力任せに薙ぎ払う。
激突、轟音、そして消失。振るわれた黒塊は狙い違うことなく標的を打ちのめし、蓮と立ち替わるようにその場で剣を叩き付けた姿勢で固まっていたファンダージの巨躯を遥か後方まで吹き飛ばした。
見上げんばかりの威容が吹き飛ぶ様はまさしく圧巻。その肉体が高速で飛来したというだけで、草葉も木々も古びた校舎の木造までもがバラバラと砕け散る。恐るべきは軋騎の膂力、そしてその威力のほどか。最高ランクの狂化補正ありきとはいえ並み居る英霊の中でも抜きん出たその腕力は、同じバーサーカーといえどもファンダージとは一線を画するものであった。
頭部喪失による認識の遅れからようやく復帰した軋騎は、しかし再びその頭蓋を縦に割られることで視界と思考を剥奪される。殺して死なぬなら殺し続けて時間を稼ぐとでも言わんばかりに、蓮の振るう鋭剣の切っ先が弧を描いて軋騎の頭点へと吸い込まれたのだ。
それと同時に、砂埃と破片を振りほどいて、ファンダージが天をも裂かんと言わんばかりに咆哮を轟かせる。その眼が宿す殺意の行く先は、蓮の後方に立つアイの姿で。
「やらせるかよ!」
崩れる軋騎の体を掴みあげ、疾走するファンダージの進行上へと思い切り蹴り飛ばす。狂乱の渦に呑まれ、目に映る全てを殺さねば気が済まないファンダージは、当然のようにそれを斬り伏せ、何度目かも分からない血の華が大きく咲いた。
そしてそれは、一瞬とはいえファンダージの疾走動作が停止したことの証左でもあり。
───巻き起こる閃光。視界の全てを白一色に染め上げる白光は軋騎の肉片ごとファンダージの総身を呑みこみ、迸る雷電となって大気を焼き尽くした。
停止した一瞬の隙をついての雷撃は、耐性を得たファンダージを傷つけることこそ叶わなかったものの、その注意を別のものにすり替える効果だけは発揮された。
すなわち、このつまらない攻撃を放った下手人、藤井蓮。アイ・アスティンへと向けていた殺意はそっくりそのまま蓮へと切り替わり、駆け寄って真っ向斬りかかる彼を逆に斬り伏せんと鍔迫り合いへともつれ込む。横合いへと徐々にずれる足捌きと姿勢移動により、ファンダージの殺害対象は完全にアイから外れることになった。
けれど。
(まだか……ッ!?)
蓮の胸中に渦巻く思考は徹頭徹尾それだった。蓮はバーサーカーたちの討伐などハナから目指していない。その戦闘の全ては、ただ機を伺うためのもの。
彼の目的とは自分たち全員の逃亡だ。いざとなれば自分とアイだけでもと思ってはいるが、いよいよ窮地に追い込まれない限りは最善の道をこそと模索する。
クリアすべき項目は二つ。丈倉由紀の救出、そして二人の少女を連れ立っての仕切り直しによる逃走。
そこさえクリアできれば、狂戦士の打倒など心底どうでもいい事柄だった。あとは仲良くバーサーカー同士、心行くまで殺し合っていればいい。そんなことに興味はないし、こいつらがどうなろうと知ったことではない。
そのために、ファンダージが出現した時から継続的に発生し続けている異常気流の解除は必須であった。蓮だけであれば無理やりに突破も可能ではあるけれど、その気流にゆきの体は耐えられまい。
長時間の継戦による魔力消費を鑑みれば、いずれ遠からぬうちに気流は止むと推測し、創造の発動はあくまで最後の手段として行使するつもりはなかったのだけれど。
───使うしかないか、これは。
内心でひとりごちて、知れず覚悟を決める。
死想の浄化、その渇望。かの宝具を開帳することは、同時に蓮自身の身を砕くことにも繋がるけれど。
改めて状況を俯瞰すれば、最早贅沢を言っていられる場合ではなかった。
何より優先すべきはアイの無事であり、ならばこそそのために払う代償が己が身の粉砕程度ならば安いものだ。
まして、何より忌避しているのが自らの破滅ではなく。
ただその有り様をアイに見せたくなかったなどという、手前勝手な我儘である以上は。
これ以上もったいつけるのもいい加減見苦しいだろう。
「───創造」
紡がれるランゲージ。
起動するエイヴィヒカイト。
世界を侵す祈りを唱えた瞬間、蓮に宿る浄滅の光が爆煌となって瞬いた。
「死想清浄・諧謔死想清浄・諧謔」
ビシリ。
硬質のものが罅割れる音が響く。
それは蓮の右腕から。
剣持つはずの右腕が、何故かその瞬間、ガラスのように氷のように罅割れて。
再生と耐性、その双方をも屠って余りある「最後の手段」が、遂にその本領を発揮する。
時として自身さえも蝕むほどの強力な自我の発露は、正しくここに清浄の世界を作り出さんと流れ始めたのだった。
▼ ▼ ▼
霞がかった頭でぼんやりと思い出す。それはあの日、あの夜のこと。
ゆき先輩に「友達」のことを告げた、あの静かな夜の校舎での出来事。
あの時も、思えばこのような状況だった。
自分一人で何とかしようと思って、自分一人で努力しようと心に決めて。
いざそうしてみれば、何故かこの人が私の目の前にやってきた。
何も変わらない。あの時も、今も。
どれだけ頑張って何処まで行っても、この人は必ずこうしてふらりと現れる。
「……何してるんですか、ゆき先輩」
吹き荒ぶ風の檻の中で、けれど何も聞こえてこない静寂に包まれながら。
記憶の中にある姿と寸分変わらない笑顔をした、悲しいくらいに無垢なままの彼女と。
あまりにも今更過ぎる再会を、こうして私達は果たしてしまったのだ。
「んーと、みんなと一緒に探検?」
「……まるで意味が分かりませんよ」
「いいのいいの。えーと、課外授業? ってことでくるみちゃんもりーさんも許してくれるって」
「そういう問題じゃないと思います」
そういう問題では、ないのだ。
何故、どうしてこうなってしまったのか。
聖杯戦争、たった一人しか生き残れない生存競争。万能の願望器を求める殺し合い。
そんなものに、なんでゆき先輩が巻き込まれているのか。
普通に考えておかしいだろう。だってこの人はそんなことに耐えきれない。耐えられるようなら、そもそもこんな有り様になどなっていない。
聖杯戦争などと。
願いをかけた競い合いなどと。
争いという言葉から最も遠い彼女を、わざわざこうして選別するなどと。
本当に、なんて性質の悪い冗談なんだろう。
「ぶーぶー、そういうみーくんだって泥だらけになるまで遊んでるしー。
いけないんだよみーくん、こういう時はみんなで一緒に……」
「……いいんですよ。もう、つらいことから目を背けなくたって」
え、という暇もなく、ゆきはそっと抱きしめられていた。
震える両手。恐怖と動揺と疲労が隠し切れない。
「……えっと、何の話?」
「先輩はもう、何も苦しまなくていいんです。
私が全部何とかします。だから、ゆき先輩は……」
……反吐が出る。
最低の気分だ。自分が吐いている言葉が最低の台詞であると、諭されるまでもなく自覚していた。
自分の愚かさを棚に上げて何を言うのか。言葉を吐いた喉から腐臭がする。自嘲の念に心臓さえもが弾けてしまいそうだ。
こんな状況になってしまったのは、先を見通すことのできなかった自分のせいだ。
何の脈絡もなくマスターとして選ばれた自分は、だったら何故、学園生活部の面々も"そう"なっているかもしれないという可能性に気付くことができなかったのだろう。
「もうすぐ全部なかったことにできますから、それまで我慢すれば何もかもが元通りになるんです。
私、頑張りますから……だから、先輩は、待っていてくれるだけで……」
体の震えが止まらない。強く抱きしめていないと支えが無くて、立っていることさえ難しかった。鼻の奥につんと刺激が走り、それはたちまちの内に涙腺にまで及んだ。
こみ上げる感情に歯を食いしばり、ひぅと息を呑む。
本当は、ずっと我慢していた。
一人でこの街にやって来た時から、ずっとずっと美紀は我慢していた。
自分と離ればなれになって消えていった親友のために、自分の救いとなってくれた三人の恩人のために。
どんなに辛くとも弱音は吐かない。最後まで挫けず抗い続ける。絶対必ず聖杯を手にしなければと決意して、ただそれだけをと手を伸ばして。
決して強くなんてない心に鞭打って、疲労と悔恨だけが蓄積する体に無理を言わせて。
殺して、殺して、殺してまわること。
それが、直樹美紀の戦いだった。
けれど。
「大丈夫」
ゆきの手が、そっと美紀の頭を撫でた。
「何があったか分からないけど、でも大丈夫だよ。
だって、みーくんは泣きたくなるくらい一生懸命頑張ったんでしょ?
だったら大丈夫、絶対何とかなるよ」
よしよしと言うように、小さな手が優しく髪を撫ぜる。
久しぶりに感じることができた、それは人の手が持つ優しい感触で。
屈託のない笑みは、陽だまりを思わせる暖かさだったから。
「……なんで」
だから。
もう、駄目だった。
「……なんで、私達ばっかり……」
抱きしめていた両手が、力なく落ちた。
「なんで私達ばっかり、こんな目に遭うのよぉ……!」
やせ我慢する気力も、歯を食いしばる根性も、最早ひとかけらだって残されてはいなかった。
美紀は泣き出した。顔を俯かせ、肩を震わせ、声を張り上げて美紀は泣いた。
体中の水分を流し尽くしてしまいそうな勢いで、涙は後から後から溢れてきた。
叫び過ぎて呼吸困難に陥り、酷使してきた肺がぎりぎりと痛み、それでも嗚咽は止められず、激しく咳き込んではまた泣き出した。
本当はやりたくなどなかったのだ。
人を殺すということ。自分の願いのために他者を踏みつけにするということ。そして何より、そのために死地へと追いやられ、いつ死ぬとも分からない状況でずっと孤独に戦わされてきたということ。
誰が好き好んでそんなことをするものか。誰が自分からそんなことをやりたがるものか。
けれど、自分はそうしなければならなかったから。
蘇った死者に溢れ、それまで生きていた人々はみんな喰われて命を散らして、今まであった日常は全部壊れ果てて。
滅びてしまった世界を救えるのは、聖杯を手にするチャンスを得た自分だけだったから。大切な人達を助けられるのは、自分しかいなかったから。
だから美紀は今まで我慢して、我慢して、我慢して我慢して我慢して我慢してたった一人で戦ってきて。
限界まで張りつめた最後の線。
その一本が今、ついに断たれた。
「……頑張ったんだね、みーくん」
みっともなく泣き続ける美紀に、それでもゆきは優しかった。優しい笑顔のままだった。
それが、ゆきの戦いだった。
どんなにつらいことがあっても、どんなに皆が絶望に喘ごうとも、自分だけはずっと笑顔を絶やさずにいるということ。
それが、ゆきが今までずっと自らに強いてきた孤独な戦いだった。
そのことが良く分かったから、美紀は尚更声を張り上げるしかなかった。
自分が数日と持たず耐えきれなくなった苦難を、この小さな少女はずっと続けてきたのだと分かってしまったから。
他のみんなが疲れているなら自分だけはその分元気でいようとしているのだと、あの夜ゆきは自分にそう語ってくれた。
今なら理解できる。それがどれだけ過酷で、孤独で、先の見えない苦難であったのかということを。
湧き上がる感謝の念と罪悪感と尊敬と、それらがごちゃまぜに入り混じった形容しがたい感情が胸の中でぐるぐると渦巻いた。
外から聞こえる野獣のような雄たけびも、大きな破壊音も、雷のような強い光も、何もかもが遠いどこかの出来事のように感じられた。
美紀は泣いて、泣いて、思う存分泣きはらして。
枯れ果てるまでに涙を流して、そこでようやく、慟哭の声を止ませた。
「……もう、平気?」
「……はい。すみませんゆき先輩、そしてもう大丈夫です。
これでもう一度、私も頑張ることができますから」
赤く泣き腫らした目元を拭い、打って変わって毅然とした表情で美紀は立ち上がる。
両の足を地につけて、令呪の浮かんだ腕を力強く振るって。
ゆきを庇うように、守るように、その前へと立ち塞がる。
そして、気流の向こうの敵たちを、見えない視界で睨みつけた。
身を翻すその一瞬、最後に見えたゆきの表情は、変わらぬ笑顔のままだった。
一歩踏み出す美紀の脳裏に、浮かぶのは大切な人々の記憶。
恵飛須沢胡桃に若狭悠里。学園生活部の面々と、彼女らと過ごした短くも激動の日々。自分を育ててくれた両親や、一番の友達だった祠堂圭の姿。
そして、何より。
「……ゆき先輩」
私は、戦います。
大切なものを今度こそ、取り戻すために。
言葉は重く。
確りと、美紀の心に刻み込まれた。
▼ ▼ ▼
耳を劈く連続した金属の反響音に紛れ、これまた鼓膜が馬鹿になるほどの轟音が不規則に轟く。かと思えば目を覆わんばかりの稲光がビカビカと瞬いて、思わず手のひらで目や耳を塞ぎたくなるけれど、そうするととても立っていられないほど強烈な暴風が荒れ狂っているからどうにもならない。
当初の勢いはどこへやら、アイ・アスティンは今や頭を抱えて縮こまるだけの小さななまものと化していた。ちっぽけすぎて泣きたくなってくる。
「うぅ……流石にこれは予想外でした……」
耳はキンキンするし目はしぱしぱするし、戦場に変じた校庭に一人残されたアイは、なんだか凄く誰かに文句をつけたい気分だった。
清々しいまでに自業自得である。
最初、アイはなんとかしてゆきを救出しようと頑張っていた。
強いじゃなくて痛いの域にある暴風を潜り抜け、ボッコラボッコラと景気よく鳴り響く地鳴りにもめげず、ビカッとなる突然の閃光に不覚にも涙目になりながら、激しい戦闘に巻き込まれないよう何とか立ち回り遂にはゆきが囚われた風の檻の前まで到達したのだ。
そこは可視化された竜巻が物凄い勢いでぐるぐるぐるぐる回っていて、土やら砂やらも大量に巻き上げられていたせいで中の様子はまるで見えないし聞こえなかった。
とはいえそんなことはアイにはまるで関係ない。中で二人が何をして何を言っていようがゆきを助けることは決定事項なのだから、やるべきことは一つしかないのだ。
そういうわけで、とりあえず腕を竜巻の中に突っ込んでみた。
思いっきり弾かれてでかい青タンができた。
泣きそうになった。
「むぅー、流石に私だけじゃ突破できそうにないですね……どうしたもんでしょうかこれ」
じくじく痛む右手を庇い頭を抱えて縮こまりながら、アイは心底困ったように呟いた。
実際問題、墓守の身体能力でも突破不可能となると、もうアイでは打つ手が皆無であった。もし仮にアイが竜巻を力づくで突破できたとしても、中にいるゆきを連れ出すことはできないだろう。
常人を遥かに超える身体能力を持つ墓守のアイですらこれなのだから、正真正銘ただの人間でしかないゆきが竜巻に触れでもしたら青タンどころか粉砕骨折でもしかねない。竜巻を通り抜ける頃には全身の骨がボキボキだ。
別に自分だけならそうなってもいいのだけど、ゆきがそうなっては助けるもクソもないだろう。人は骨あっての人なのだ。骨は大切にせねばならない。
そうなると、あとできるのは精々がショベルを振り回す程度だが、大切なショベルが竜巻で折れたりでもしたら今度こそ立ち直れなさそうなのでやらない。というかそんな自暴自棄は流石に自分でもどうかと思う。アイだとて人並みの良識や羞恥心はあるのだ。
そういうわけで、今のアイといえばビュンビュン吹き荒れる竜巻の横で、戦闘の余波に巻き込まれないよう屈みながらあーでもないこーでもないと思案に暮れているのだった。
実際、それくらいしかやれることがなかったのである。先ほどはつい勢いでセイバーに向かってなんか格好いいことを言ってしまったわけだが、今となっては妙に恥ずかしい気分だ。端的に言って自分が情けない。どうしてくれようこの有り様。
「…………ん?」
ふと。
違うほうを見た。ゆきが囚われた風の檻ではない、それは己が侍従の戦っている場所へと。
見た、というのは間違いかもしれない。だってアイの目にはよく見えなかったから。風のせいもあるけど、そもそもサーヴァント同士の戦いはあまりにも速すぎて、墓守であるアイから見ても霞がかった残像としか映らない。
それでも見た。何か、嫌な予感がして。
嫌な予感。そうだ。理屈を超えた第六感のようなものが、何か、嫌なことがあると囁くのだ。
何故だろう。
それは、何故だかどうしようもなく。
終わりを。
一つの死者の生の終わりを、感じさせるもので。
───藤井蓮という存在そのものが消え去るような予感があって。
「───セイバーさん!」
叫んで、駆けだした。
それまでの安穏とした様子など微塵も見られないほど必死に、一切のふざけなど介在できないほど切実に。
走る。背筋を震わせる嫌な予感の赴くまま、必死に。
理屈なんてない。後先だって考えない。ただ、自分でも分からない確信があった。
視線の先。セイバーは立ち止まり、何かを口走っている。それはアイには理解できない異界の箴言、異なる世界の祈りだった。
彼は何かを紡いでいる。アイでは理解も想像もできないことを、外宇宙の言語で形作っている。
アイは走った。懸命に。もし追いつけたならば、その時は足が千切れてもいいからと、半ば本気で思考して。
体を打ち据える暴風も、迫り往かんとする二騎の狂戦士の鉄槌も、まるで頓着することなく。
ただひたすらにセイバーの元へと。
「ダメです、それを───!」
"ソレ"を起動させてはならないという、確信じみた直感に従って。
喉よ張り裂けよとばかりに、叫んだ。
………。
……。
…。
そうして二人の少女は共に言の葉を紡ぐ。
ただ、重い決意の言葉と。
ただ、喪失を厭う叫びを。
けれど、けれども───
美紀の言葉は届かない。
アイの叫びは届かない。
そういうふうに、決められてしまったから。
誰に? 人ではない。
誰に? 獣ではない。
それは人でも獣でもサーヴァントでもなくて。
ただ一人の何者かが決めたこと。
ただ一柱のいと高き者が決めたこと。
時間だ。時が。突然、来てしまった。
誰にもそれは止められない。
チクタク。
チクタク。
チクタク。
チクタク。
チクタク。
チクタク。
チクタク。
チクタク。
チクタク。
時間が来てしまうから。
残酷な、時計の音がすべてを決めてしまう。
終わりの足音。
終わりの秒針。
あらゆるすべての運命を玩弄しながら。
チク・タク。
音は、静かに告げる。
チク・タク。
足掻くのをやめろと嗤いながら。
チク・タク。
それは、まるで月のように。
それは、まるで神のように。
そして、この桃源の煙に包まれた夢幻の地上に。
一つの終幕がやってくる。
「───え……?」
それは、一体誰が発した声だったのだろう。
アイか、美紀か、あるいは由紀か。その誰でもあり、そして全員に共通した、それは目の前の現実を受け入れられなかったが故の声。
狂戦士が猛り狂い。
剣の英霊が自らの破滅を寿ぎ。
救済を夢見る少女がその破滅を否と駆け出し。
銃士は変わらず鉄火の熱量だけを戦場に投入し続け。
夢に惑う少女は何が変わるでもなく。
誰より普通であった少女が一つの誓いを胸に抱いた。
その全てが、全く同時に起こったその瞬間。
あらゆる運命を破綻させる一手がその場に打ち込まれた。
「はぶっ!?」
走馬灯のように引き伸ばされた主観の中で走っていたはずのアイは、突然誰かの腕に抱きとめられ。
「あ……え?」
由紀は、ただ目の前の現実を受け入れることができず、呆けた声を上げるだけで。
「…………がふっ」
そして美紀は、血泡に溢れた呼気を、言葉なくぶち撒けた。
その胸の真ん中には、銀色に鈍く輝く、一振りの短刀が突き刺さっていた。
▼ ▼ ▼
その瞬間、アイの目には全ての顛末の始まりが映し出されていた。
まず最初に、猛る二騎の狂戦士が「崩壊」した。
そうとしか形容ができなかった。異形と殺人鬼のバーサーカーは、まるで万倍の重力に押し潰されでもしたように物凄い勢いで地面へとへばり付き、次いで内側から爆散したと見紛うばかりにその総身を弾け飛ばせた。そこからは目に見えるほど急速に末端から分解と崩壊が進んで、見る見るうちにその質量の嵩を減らしていったのだ。
不思議なことに、その崩壊の影響はアイを初めとしたマスターたちには何も及ぶことがなかった。一瞬、何か澄んだものが広がったような感触が全身を走ったと思えば、次の瞬間にはバーサーカーたちに変異が発生したけれど。アイにも、突然吹き止んだ暴風の中から現れた由紀や名も知らぬ少女にも、彼らの身に起きたような崩壊は一切現れることはなかった。
無機的なまでに寒々しい静寂の中で、人智を超越したはずの狂戦士だけが、奇妙なことに崩壊の一途を辿ったのだ。
それは、人ではないものだけを許さないと言うように。
それは、生きてないものだけを許さないと言うように。
けれど。
いいや、だからだろうか。アイには見えた。見えてしまった。
恐らくはこの異常現象の下手人であるはずの彼。他ならぬ藤井蓮の肉体が。
右腕を中心に、どんどん罅割れていくのを。
スローモーションの視界の中で。アイは、見てしまった。
───ああ、やっぱり。
不思議なほどに落ち着いた、冷え切った頭でアイは思考する。そして自分のあまりの冷静さに、アイは自分で驚いた。
当たってしまった。自分の嫌な予感、こういう時に限ってよく当たる。
かつて垣間見た夢の記憶、彼が抱いた死想の渇望。
死を遠ざけた彼が、自らの存在を許さない彼の力が。
"そう"であるのだと、薄々感づいていたことが真実だったと気付いてしまった。
空恐ろしいまでに冷めた思考で、アイはある種の確信へと至った。
けれど。アイは気付かない。その不自然なまでの冷静さの根源を。
それは断じて無感だからでも、ましてや酷薄だからでもなく。
───セイバー、さん……
それは。
濃縮した感情が荒れ狂い、一周した結果の無機質さであるのだと。
突如として視界を塞がれ、全身に衝撃を受け気絶したアイが気付くことは、少なくともこの場ではあり得なかった。
「こンの、野郎ッ!」
蓮は左腕にアイを抱き、未だ砕けたままの右手を振るって飛来する無数の短刀を斬り落とす。
甲高い反響音が響き渡り、一振りごとに大量の短刀が弾かれ地面にばら撒かれた。それらは全て蓮ではなくその腕に抱かれるマスターの少女に向けて放たれたもので、その所業と一切の気配を感じさせなかった手腕は、最早疑いの余地なくアサシンによるものだと断定することができた。
危なかった。あまりにも、ぎりぎりのタイミングだった。己が宝具たる創造を発動し、サーヴァントの無力化と異常気象スキルの解除を狙って由紀の救出を試みた瞬間、"それ"は襲来した。
風を切る鋭い音と無数の短刀。投擲という範疇を逸脱して余りあり、最早弾幕と言っても差し支えないほどの物量で迫りくるそれは、吹き散らされた風の檻から姿を見せた丈倉由紀"以外"の全員を照準したものだった。
だから、蓮は全ての現状をかなぐり捨ててアイの元へ駆けつけたのだ。諧謔で自壊する肉体では追いつけないと判断して発動を強制解除し、自身に降りかかる短刀を無視して、アイにかかる負荷もこの時ばかりは度外視して。
ただ一直線に駆けつけ、彼女を襲うあらゆる災厄を振り払った。庇った腕に何本か短刀が突き刺さるが関係ない。痛みも損傷も無視して剣を翳し魔力を充填、再度の雷電を無差別に放射し目晦ましとする。
響き渡る雷轟、視界を埋め尽くす白光の中で。
蓮は、高速で飛来し由紀を連れ去る一つの影とすれ違って───
「―――――」
視界の端、反応する間もなく木々の向こうへと飛び去って行くその影は、既に気配を消失させて、完全な離脱を成功させていた。
それを言葉無く確認した蓮は、ただ柄を握る手に力を込め、放つ雷撃の密度を更に増幅させた。
一際強く輝く光が消え去った時、そこにはアイと蓮の姿は何処にもなかった。
残ったのは、倒れ伏す美紀と、全身を針の山として姿を薄れさせつつあるアンガ・ファンダージと。
「―――――■■」
ゆらりと立ち上がる。全身至るところに短刀を突き刺された様は、ファンダージと同じく針山のようで。
その影は、右手に黒く大きな釘バットを持っていた。
▼ ▼ ▼
感覚が、どんどん無くなっていく。
最初は胸に走った衝撃だった。
そこから急に視界が反転して、目の前には突き抜けるような一面の青空が広がった。
分からない。何が、起こったのか。
倒れたなら起き上がろうと思って、でも手も足も動かすことはできなかった。
どれだけ力を込めても、何故だかピクリとも動かない。
いいや、もしかしたら、力を込めているつもりなだけで、本当は欠片も力が入っていないのかもしれない。
だからせめて自分がどうなっているかを確かめようとして、けれど視線すらまともに動かすことができなかった。
眼球をずらす、それだけのことが酷く億劫だった。力を込めようとするただそれだけで、体を動かす活力がどんどん抜けていくようだった。
活力。生命の赤。大事な何かがどんどん抜けていく。
痛みも、地面に触れている背中の感触すらも無かったけれど。
何故だか、それだけは確信を持って答えることができた。
どくどく。どくどく。脈打つ鼓動が聞こえる。
音。感触。震える心臓。
熱い熱い何かが零れていって、つられるように自分の体は冷たくなっていって。
今はそれすら、感じなくなっていた。
視界が徐々に狭まってくる。空の青が、朝焼けのように白んでくる。
私はどうなったんだろう。私はどうなるんだろう。
ゆき先輩は、無事なのだろうか。
あの時舞い込んできた黒い影。
ゆき先輩を攫って行ったあれは、なんなのだろう。
バーサーカーは何も答えてくれない。
答えてくれる人は、誰もいない。
少しずつ、私が無くなっていく。
少しずつ、私が壊れていく。
何も聞こえなくなって。
息さえも途切れがちになって。
思考も段々覚束なくなっていく。
───私……
けれど、一つだけ。
一つだけ、理解できることがあった。
『先輩。私、決めました』
『私は───世界を救います』
かつて誓った、その言葉。
世界を救うという、何にも代えがたい願い。
それを果たすことは、できなかった。
救うことは、もう一度頑張ることは、できなかったのだ。
───ごめん、なさい……
……自分の脇に、誰かが立っていることが分かった。
顔は見えない。
けれど、それがスーツ姿のバーサーカーだということは、分かった。
だって、その右手。
そこに、黒くて大きなバットが握られているのを、見たから。
唇が開いて、音にならない息が漏れる。
これが終わりか。
これが死か。
今まで何度も見てきた。異形に成り果て、あるいは喰われ。
何度も、何度も。自分の目の前で行われてきたそれが。
ついに、自分にもやってくるのか。
その事実が、どうしようもなく。
美紀にとっては、怖くて、悔しくて、遣る瀬無かった。
───……ごめんなさい、ごめんなさいゆき先輩……くるみ先輩、りーさん……
───でも、私、頑張ったんです。頑張って、できることは全部やって……それなのに、どうしてこんなことになっちゃったんでしょうね……
───……結局、世界を救うなんてこと、私にできるわけなかったんでしょうか。
美紀の吐息が、震えた。
答えるものは、誰もいない。
声なき声は、何に届くこともなかった。
───私がもっと頑張ってたら、こんなのとは違う道に進むことも、もしかしたらできていたんでしょうか……?
───ゆき先輩も、くるみ先輩も、りーさんも、みんな助かって。みんなで『良かったね』って笑えるような。
───そんな未来が、どこかにあったんでしょうか……
小さく、笑う。
震えは、止まることがない。
───それとも、未来なんて最初から神さまに決められていて、私はずっと、そこを走っていただけなんでしょうか。
頬をひとつ、雫が零れた。
溢れて、溢れて、流れ落ちて。
一滴、一滴、落ちる度に、ふわりと小さな光が弾ける。
涙。涙。
流し尽くしてしまったはずのそれ。
それに、きっと美紀は気付くことはない。
声にならない声で嘆き続ける彼女は、涙を流していることにさえ気付くことはない。
気付かないまま。ただ、雫、頬を伝って。
───私、どうしてこんなふうにしか生きられなかったのかな……
黒く長いものが振り上げられたのを、美紀は視界の端に捉えた。
抵抗の意思も余地も、残されてはいなかった。
全てを諦めた彼女は、ただそっと目を閉じた。
空の青が閉じられていく。
全てが黒に染まっていく。
最後、美紀の瞼に浮かんだ姿は。
丈倉由紀でも。
恵飛須沢胡桃でも。
若狭悠里でもなく。
───死にたくないよ、圭……
天高く振り上げられた黒いものが、一気に落とされる。
それを見ることはなく。
美紀はただ、誰にも届かない言葉を紡いでいた。
───私は、まだ、ここにいるのに……
それは。
理不尽な。
無慈悲な何かに対する。
"嘆き"、だった───
…………。
…………。
…………。
▼ ▼ ▼
───嘆き。
嘆き、ここには届かない。
嘆き、どれだけ声を張り上げれば届くのか。
それは、ここの果てに在るものが決める。
それは、ここの高みに坐すものが決める。
それは、万色に揺らぐ世界の主が決める。
時計の音を響かせて。
秒針の音を響かせて。
決定する。
選別する。
見つめ、選び、そして嗤うのか。
崩れ去るものを決める。
砕け散るものを決める。
それは、いと高きところに在るものが。
その一柱の名を知るものはここにはいない。
いるとすれば、100年前のマンハッタンに。
あるいは、永劫回帰の座の深奥に。
もしくは、欲界に抗う無謬の神無月に。
けれど、彼らはもういない。
桃の煙に揺蕩う夢界の中にさえ。
幸福に沈んだ月世界。
微睡みに沈む三世の果て。
そのどちらにも彼らはいない。
だから、ただひとりの主は、嗤うのだ。
チクタク。チク・タク。
チクタク。チク・タク。
それは、万仙の王を讃える痴れた者たちの声か。
この、紫影の果てで。
呪われた世界塔の果てで。
嗤うのか───
『チク・タク、チク・タク』
───それは、虚空か。
───それは、玉座か。
───それは、いと高きものの座す処。
───それは、螺旋階段の遥か彼方。
───誰かが願った夢の跡。
───世界の塔の最果てか。
───それとも。主の玉座であるだけか。
───夢の坩堝であるのかどうかさえ。
『少女。生贄。彷徨う子羊よ』
『罪深きものたちよ』
『さあ、そろそろ、時間だよ』
『断罪の時だ』
『お前の涙を見せておくれ』
『お前の夢を見せておくれ』
『幾百万の悲劇すべてが』
『私に、力を与えてくれるのだから』
遥か高みの玉座にて。
今も、君臨するものは語る。
今も、君臨するものは囁く。
嗤い続ける月の瞳そのものの双眸で。
チクタクと、音を、響かせて。
邪悪なるものは嗤うのだ。
神聖なるものは嘲るのだ。
すべて、すべて、戯れに過ぎぬと嘯いて。
そして己自身も。箱庭。遊具。
すべて、愚かなものたちのすべて。
すべて、罪深きものたちのすべて。
すべて、夢見るものたちのすべて。
その掌の上に見つめながら。
虚空の黄金瞳に見下ろされながら。
月に眠る仙王の悲嘆を聞きながら。
嗤うのだ。嗤うのだ。
太極より両儀に別れ、四象に広がる万仙陣のすべてを。
遠く、この高みより見下ろして───
『罪深きものたちよ』
『彼の救済たる微睡みを拒むものたち』
『滑稽なる、誰かの、メモリーたち』
『果てなきものなど』
『尊くあるものなど』
『すべて、すべて』
『あらゆるものは意味を持たない』
静かに告げて。
玉座の主は、深い笑みを浮かべる。
人のような笑みではあるが。
鮫のような笑みではあった。
憐憫の一切を想わせない"笑み"だった。
───ああ。
───なんと哀れな。救ってやろう。
───笑っておくれ。悲しまないでおくれ。お前はもう苦しまなくていいのだ。
───愛しいすべて。俺は皆を救いたい。
───そうだとも。俺は、皆が幸せになればいいと願っている。
嘆く声が聞こえる。それは、少女の嘆きに合わせるように。
玉座の主ではなかった。
嘆きに暮れる少女でもなかった。
それは、眠り揺蕩う月の底から轟く声。
冒涜的な太鼓とフルートの音色に痴れながら、沸騰する渾沌の中で微睡む声。
声は嘆く。
己の懐に抱かれるすべてを慈しんで、その実何をも見ることはなく。
盲目の播神が謳う声を受けて。
君臨する神は、今こそ告げる。
笑みを絶やすことなく。
残酷に。冷酷に。
『たとえば───』
『誰もいなくなってしまえば何の意味も、ない』
▼ ▼ ▼
碌に道の舗装もされていない山の中、鬱蒼と生い茂る木々の間を駆ける影がひとつ。
それは例えて疾風のようで、しかし確とした質量を持ち合わせた黒衣の人影であった。
およそ人ではないと思えるほどの俊脚で、しかし腕に抱きかかえた小柄な少女の身を慮ってか人外の超速を出すことはなく、その影は一心不乱の逃走を行っていた。
黒衣の影……アサシンのサーヴァント、
ハサン・サッバーハが主の待つ廃校へと帰還した時、既にそこは一線級の戦場へと成り果てていた。
遠目から確認した戦闘の痕跡と如実に感じられるサーヴァント特有の魔力反応。予感を通り越した確信と共に駆けつけてみれば、そこではセイバーと恐らくはアーチャーの陣営と、バーサーカー二騎による大規模な戦闘が行われていたのだ。
それだけならば、まだ挽回の余地はあった。けれど最悪なことに、ハサンの主である丈倉由紀が、その戦場の真っただ中、それも敵方のマスターと思しき人物と一緒にいたというのだから、さしものハサンといえど一瞬肝を冷やしたものだった。
その時点で、ハサンには最早一刻の猶予も残されてはいなかった。一分一秒でも早く、由紀の安全を確保しこの場を離脱しなければ、彼の聖杯戦争はそこで終わりを告げてしまうと悟っていた。
無論、ハサンとて全てのマスターとサーヴァントが完全な敵性存在であるとは思っていない。聖杯戦争とは掛け値なしの生存競争ではあるが、同時に数多の駆け引きが交錯する場でもあるのだ。敵と見れば襲い掛かるだけの猪では到底勝ち抜くことなどできず、時には休戦協定を、時には一時の同盟を結び他者の力を利用することも覚えねば、聖杯の恩寵を勝ち取ることは難しい。
元よりハサンは暗殺諜報を生業とするアサシンのサーヴァント。その手の契約には一日の長があるし理解も深い。だからこそ、彼は些か短絡的とも言うべき強行軍を敢行することとなったのだ。
全ては状況と前提条件の劣悪さが原因だった。そもそもバーサーカーに交渉など不可能、対するセイバーとアーチャーにしろ既に交戦状態に移行している以上は交渉の決裂どころかこちらが不用意に姿を現したというだけで命が危うくなる可能性だってある。そして何より己が主たる丈倉由紀は心が壊れた童女でしかなく、これを突かれて相手に付けこまれることは想像に難くなかった。
故に、ハサンの選択はその場の全員を相手にした奇襲暗殺であった。遥か遠方にいるアーチャーはともかくとして、セイバーとそのマスター、バーサーカー二騎にそのマスターと思しき童女、合計五名に対し、彼は瀑布にも等しい短刀投擲の大乱舞を仕掛けたのだ。暗殺方法が宝具ではなく投擲だったのは、あまりに対象人数が多すぎるが故のことだった。
戦場に生じた一瞬の隙、セイバーが行った何某かによる刹那の停滞の間隙を突き、ハサンは持てる全ての力を総動員してダークを投げ放った。
由紀とバーサーカーのマスターがいた地点には魔性を含んだ風による竜巻が発生していたが、セイバーの力による大幅な風圧の弱体化と、何よりハサン自身に備わった風除けの加護により容易に突破することが可能となっていた。
結果として、異形に改造されたバーサーカーとマスターらしき童女は仕留めることができた。そしてこちらは一切の手傷を負うことなく、由紀の奪還にも成功した。
与えられた状況を鑑みれば、これ以上を求めるのは酷というほどに、彼の手際は見事なものだったと言えるだろう。
けれど。
「ぬかったわ……このハサン、よもや耄碌したか……!」
駆ける疾風のアサシンに、勝利の余韻など微塵も感じることはできない。
むしろ、己の不覚こそを嘆いている。自分のいない間にサーヴァントに乗りこまれていたという事実を悔いている。
これは紛れもなく自分の不手際であった。客観的に見て、心が壊れた童女など何処ぞの閉所にでも閉じ込めておくしかないのだから、廃校から出るなと厳命して放置した彼の行いは決して間違ってはいないのだけれど。
それでも、結果としてこうなってしまった以上は言い訳のしようもない。
「許されよユキ殿。過ちはそれ以上の勝利を以て贖おう。
これより私は無謬の悪風となって、遍く敵を討ち滅ぼさん」
その言葉に、しかし抱かれた少女が何を言うこともない。
彼女は気を失っていた。それは無理やりな運動加速を行われたこともあるけれど、それ以上に。
目の前で行われたことが。
ハサンのやってしまったことが。
あまりにも受け入れがたいことだったから、というのが大きいだろう。
彼女が再び目覚めた時、それでも変わらず盲目の夢に沈殿するのか。
それとも別の顛末が用意されているのか。
それは分からない。けれど。
その行く末を、決めるのは───
▼ ▼ ▼
「……終わった、のね」
構えっぱなしだった長銃を下ろし、遠くを見据えたまま、美森は小さく呟いた。
事の顛末は彼女にも見えていた。ゆきを連れ去ったアサシンらしき影の乱入とセイバーらの撤退。そしてバーサーカーとそのマスターと思しき少女の末路。
「あ、あの、アーチャーさん、もしかして……」
「大丈夫、アイちゃんとセイバーは無事よ。そしてゆきちゃんも」
……最後の一人は、恐らくという枕詞が付くけれど。
余計なひと言は口に出さず、美森はこれからの展望を思考する。
とりあえずの急場は凌ぐことができた。そして自分一人では対処の難しいバーサーカーを一騎、排除することもできた。今ははぐれてしまったとはいえ、最優のクラスであるセイバー陣営ともある程度良好な関係性を築くことに成功している。
そして何より、これだけ状況を進めたにも関わらず、自陣営の消耗はほぼ皆無と言っていい。
順調であった。少なくともここまでは。決して油断はできないが、上手く事を運んでいると見ていいだろう。
ならば次にすべきはセイバーたちとの合流だろうか。
それとも不死のバーサーカーへの対処法の模索だろうか。
それも大事だろう。だが、その前に。
「それよりもすばるちゃん、今はすぐにここを離れたほうがいいわ。まだバーサーカーが一騎健在で、多分だけど、射線上から私達の居場所を割り出してる可能性があるわ。
……詳しい話はまたあとで、ね?」
だから、あらゆる可能性を取りこぼさないよう、美森は即座に次の行動へとシフトする。
慌てた声で返事をする
すばるを思わず微笑ましく見返しながら、その小さな体を抱えるとビルの屋上から跳躍、できるだけ廃校の校庭から目視されない位置を通って距離を稼ぐ。
歪な勇者の歪な願いは、未だ光明の兆しは見えず。
二人の想いは、すれ違ったまま。
▼ ▼ ▼
"仕切り直し"のスキルを用いて戦場を離脱した後、蓮は木々の奥間へと足を運び、そこにどっかりと腰を下ろした。
そろそろ天頂へと登ろうかという太陽が、燦々と街を照らしている。それは蓮たちのいる場所も例外ではなく、枝葉の隙間から差し込む木漏れ日は、先まで凄惨な殺し合いが行われていたとは思えないほど穏やかに陽だまりの暖かさを運んでいる。
ふぅ、と息を一つ。周囲にサーヴァントの気配はなく、そこでようやく、蓮は肩の力を抜いた。そうすると困ったもので、今まで無視していた節々の痛みが滲むように主張を始め、特に戯画的なまでに罅割れた右腕は痛覚を通り越し、最早灼熱の感触となっているけれど。
「……この莫迦」
こつん、と。
膝の上で静かに目を閉じたままのアイを、労わるような手つきで軽く小突く。
「少しでも怪我したら泣くまでぶってやるって言っただろ。何やってんだよお前」
右手にできた青タンを眺めながら、言葉面とは裏腹の優しげな口調で呟いた。
小突かれたアイは一瞬だけ凄く文句ありげな感じで顔を歪ませたが、すぐに元の穏やかな顔つきに戻ってもぞもぞと身じろぎした。
なんというか、こいつは変なところで図太いんだなと改めて思う。むにゃむにゃと何事かを言ってる様は気絶ではなく単に寝入っているだけのようにも見えた。というか本気で寝てるだけなんじゃないのかこいつ。
なんとも気の抜ける絵面だと、蓮はひとりごちた。これじゃ怒る気にもなれないと、最初からやるつもりもなかったことを冗談めかして嘯く。
静かだった。風は柔らかく、ふわりと二人を撫でて過ぎ去った。街の喧騒は遠く、束の間の平穏が二人を包む。
結論だけを言うなら、先の戦いは蓮の完敗だった。
当然だ。助けようとした対象をみすみす取り逃がし、こちらは必要のない怪我を負うだけ負って逃げ出したのだから。
誰がどう見ても自分の敗北である。それは言い逃れができないし、言い訳をするつもりもないけれど。
「ともあれ、無事で良かったよ。本当に……」
こいつが生きていてくれたというだけで、もう他に言うことはない。
これからやるべきことは大量に残ってはいるけれど。
少なくとも、こいつが起きるまではこのままでいようと。
抜けるような青空を見上げながら、そう思った。
▼ ▼ ▼
結局は、こんなものだ。
虚構に逃避する少女は何を見ることもなく。
星に想いを馳せた少女は出会うこともなく。
世界の救済を夢見た少女の手は伸ばされず。
彼女らの侍従は己が主のことのみを考えて。
何かを強く決意した少女の叫びは。
誰かを救わんとした少女の祈りは。
結局、誰に届くこともなかったのだ。
【直樹美紀@がっこうぐらし! 死亡】
【バーサーカー(アンガ・ファンダージ)@ファンタシースターオンライン2 消滅】
【C-2/市街地/1日目 午前】
【アーチャー(東郷美森)@結城友奈は勇者である】
[状態] 魔力消費(小)
[装備] なし
[道具] スマートフォン@結城友奈は勇者である
[所持金] すばるへ一存。
[思考・状況]
基本行動方針: 聖杯狙い。ただし、すばるだけは元の世界へ送り届ける。
0:今はこの場を離れる。
1:アイ、セイバー(藤井蓮)を戦力として組み込みたい。いざとなったら切り捨てる算段をつける。
2:すばるへの僅かな罪悪感。
3:不死のバーサーカー(式岸軋騎)を警戒。
4:ゆきは……
[備考]
アイ、ゆきをマスターと認識しました。
色素の薄い髪の少女(直樹美紀)をマスターと認識しました。名前は知りません。
セイバー(藤井蓮)、バーサーカー(アンガ・ファンダージ)、バーサーカー(式岸軋騎)を確認しました。
【すばる@放課後のプレアデス】
[令呪] 三画
[状態] 健康、無力感
[装備] 手提げ鞄
[道具] 特筆すべきものはなし
[所持金] 子どものお小遣い程度。
[思考・状況]
基本行動方針: 聖杯戦争から脱出し、みんなと“彼”のところへ帰る
1:自分と同じ志を持つ人たちがいたことに安堵。しかしゆきは……
2:アイとゆきが心配。できればもう一度会いたいけど……
[備考]
C-2/廃校の校庭で起こった戦闘をほとんど確認できていません。
【C-2/雑木林/1日目 午前】
【アイ・アスティン@神さまのいない日曜日】
[令呪] 三画
[状態] 疲労(中)、右手にちょっとした内出血、全身に衝撃、気絶
[装備] 銀製ショベル
[道具] 現代の服(元の衣服は鞄に収納済み)
[所持金] 寂しい(他主従から奪った分はほとんど使用済み)
[思考・状況]
基本行動方針:脱出の方法を探りつつ、できれば他の人たちも助けたい。
0:私は……
1:生き残り、絶対に夢を叶える。
2:ゆきを"救い"たい。彼女を欺瞞に包まれたかつての自分のようにはしない。
3:ゆき、すばる、アーチャー(東郷美森)とは仲良くしたい。
[備考]
『幸福』の姿を確認していません。
【セイバー(藤井蓮)@Dies Irae】
[状態] 魔力消費(中)、疲労(中)、右手を中心に諧謔による亀裂及び複数の刺し傷(急速回復中)
[装備] 戦雷の聖剣
[道具] なし
[所持金] マスターに同じく
[思考・状況]
基本行動方針:マスターを守り、元の世界へ帰す。
0:アイを連れてこの場を脱出。
1:これからどうしたもんか。
2:聖杯を手にする以外で世界を脱する方法があるなら探りたい。
3:悪戯に殺す趣味はないが、襲ってくるなら容赦はしない。
4:少女のサーヴァントに強い警戒感と嫌悪感。
5:ゆきの使役するアサシンを強く警戒。
[備考]
鎌倉市街から稲村ヶ崎(D-1)に移動しようと考えていました。バイクのガソリンはそこまで片道移動したら尽きるくらいしかありません。現在はC-2廃校の校門跡に停めています。
少女のサーヴァント(『幸福』)を確認しました。
すばる、丈倉由紀、直樹美紀をマスターと認識しました。
アーチャー(東郷美森)、バーサーカー(アンガ・ファンダージ)、バーサーカー(式岸軋騎)を確認しました。
アサシン(ハサン・サッバーハ)と一時交戦しました。その正体についてはある程度の予測はついてますが確信には至っていません。
【B-2/源氏山/一日目 午前】
【丈槍由紀@がっこうぐらし!】
[令呪] 三画
[状態] 動揺、混乱、当惑、錯乱、思考停止。
[装備] なし
[道具] なし
[所持金] なし
[思考・状況]
基本行動方針: わたしたちは、ここにいます。
0:―――え?
1:■■るち■んにア■■■ーさ■■■。■いお■達にな■そう!
2:アイ■■ん■セイ■■さ■もい■■■ゃい! ■■はお■さ■■多■ね■
3:■■■■■■■■■■■■■■■■■
4:■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
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[備考]
サーヴァント同士の戦闘、及びそれに付随する戦闘音等を正しく理解していない可能性が高いです。
【アサシン(ハサン・サッバーハ)@Fate/stay night】
[状態] 健康 、魔力消費(小)
[装備]
[道具] ダーク
[所持金] なし
[思考・状況]
基本行動方針:由紀を守りつつ優勝を狙う
1:由紀の安全を確保する
2:アサシン(
アカメ)に対して羨望と嫉妬
3:セイバー(藤井蓮)とアーチャー(東郷美森)はいずれ殺す
※B-1で起こった麦野たちによる大規模破壊と戦闘の一部始終を目撃しました。
※セイバー(藤井蓮)、バーサーカー(アンガ・ファンダージ)、バーサーカー(式岸軋騎)の戦闘場面を目撃しました。アーチャー(東郷美森)は視認できませんでしたが、戦闘に参加していたことは察しています。
【C-2/廃校の校庭/一日目 午前】
【バーサーカー(式岸軋騎)@戯言シリーズ】
[状態] 健康、バーサーカー(玖渚友)に対する魔力負担(大)
[装備] 愚神礼賛
[道具] なし
[所持金] なし
[思考・状況]
基本行動方針:狂化により思考が全敵性存在の排除で固定されている。
[備考]
バーサーカー(玖渚友)の宝具により顕現した疑似的なサーヴァントです。あくまで宝具のため、霊核を砕かれようが魔力消費によって即座に復活・再生します。
このサーヴァントの戦闘及び復活にかかる魔力は全てバーサーカー(玖渚友)が負担します。
※C-2/廃校は割と盛大に崩壊しています。
最終更新:2020年05月04日 16:27