この街は病んでいる。
人も舞台も、鎌倉というものを構成する全てが条理というものを逸脱し、渾沌とも言うべき惨状へと街を変貌させている。
願い求めあり得ざる奇跡へと手を伸ばす23のマスターたち。
超常の力を用いてこの鎌倉に跋扈する23のサーヴァントたち。
それら異物の悉く。人々の心と暮らしに癒しがたい爪痕を穿ち、消えぬ恐怖を与えているということに疑いはない。
けれど。
渾沌の最たるものは異邦のマスターでも超常のサーヴァントでもなく、この都市に住まう全ての人々に他ならない。
鎌倉に暮らす人々は聖杯戦争に付随する異常事態に恐怖しながら、しかし同時に心の底ではそうした非日常が自分のところにも来ないだろうかと待ちわびているのだ。
街に屍食鬼が出没した───いいぞいいぞ、祭りのようで心が躍る。
爆発事故が発生した───花火のようで綺麗じゃないか。次はもっと盛大にやるがいい。
沖合に正体不明の戦艦が───なんとも現代伝奇のようで愉快痛快。お次は戦艦らしく砲でも撃ってくれるのだろうか、胸が高鳴る。
巻き添えとなった多くの者らが傷つき死んでいる現状にも、彼らは全く頓着しない。このような凶事に犠牲は付き物だろうと悦に入り、狂騒の供物に自分が選ばれない限りは眼前の楽しみだけを追い求める。いや、例え自分の番が来ようとも彼らは狂喜と共に受け入れるだろう。何故ならそれはとても面白いから。
自らの身の破滅すら厭うことなく人々は熱に浮かれ続ける。もっと派手に、もっと面白く、もっと刺激的な"何か"が起こらないものかと内心で望みながら、朦朧と痴れた頭で各々の理想図を描き続けるのだ。
呆れるほどに単純で、救えないほどに無知蒙昧。しかし人ならば誰しも抱く当たり前の感情と、誰しも行う当たり前の行為とを、この鎌倉に照らし合わせて例えるとするならば。
───この街の住人は、皆"夢"を見ているのだ。
▼ ▼ ▼
「アイちゃんとゆきちゃん、どこに行っちゃったんだろう……」
鎌倉の空が抜けるような青から黄昏色に変わりつつある頃。とぼとぼと俯くように歩く少女の姿があった。
暮れつつある陽射しが空を夕焼け色に染め、それを背にして影法師が道路に長く映って揺れる。
少女の名は
すばる。つい数時間前までは多くの仲間に囲まれて、けれど今はたった一人残された、聖杯戦争のマスターである。
廃植物園を出て数時間。こうしてはいられないと付近をくまなく捜索した
すばるたちは、しかしアイやゆきの姿はおろか、他のマスターやサーヴァントを発見することも叶わなかった。アーチャーの持つ探知能力、並びに長距離視野を以てもその影を見つけることはできなかった。
今にして思えば、単純に
すばるたちの近くに聖杯戦争関係者は誰もいなかったという、ただそれだけの話だ。しかしあの時の
すばるはアイとゆきの二人を見つけなければという気持ちだけが先走って、多少冷静さを欠いていたようにも思えた。
それには理由があった。廃植物園で見つけた、
みなとと一緒に育てたはずの小さな花。それを目にした瞬間に、今までは実感として乏しかった死や危険といった類に関する諸々が、急に現実味を帯びて
すばるを襲ったのだ。
聖杯戦争などという御伽噺めいた代物ではなく、元の日常で目にしていたものを見てしまったせいか。一度目が覚めてしまえば、あとに残るのは周囲に散らばった廃植物園の残骸。凄惨な破壊の痕は
すばるの心中に焦燥と不安をもたらして、尚更アイやゆきといった知り合うことのできた少女たちの影を探させたのだった。
【これだけ探して気配の片鱗も感じ取れないとなると、多分相当離れた場所まで遠ざかったんでしょうね】
頭の中に聞こえる声。霊体化して傍に侍るアーチャーからの念話だ。
アーチャーの言葉は恐らく正しいのだろう。
すばるたちが離ればなれになってもおかしくないほどに、廃校舎での戦闘は苛烈なものだった。だからこそ、あの二人には生きていてほしいと、心からそう願う。
アイとゆきの二人は、この聖杯戦争で巡り合った「聖杯戦争に積極的でない」数少ないマスターだ。誰もが願いのために戦うのだとばかり思っていたこの鎌倉において、初めて出会うことのできた協力者と成り得る少女たち。その存在は、
すばるが自分で思っている以上に、不安に押しつぶされそうだった
すばるの心を救っていた。
縋るべき家も知己もなく、未だ幼い身の上で「殺し合いの世界を生き残らねばならない」というあまりにも重いプレッシャーを背負っている彼女は、自分でも知らないうちに多くの心労を重ねてきたのだ。
だから
すばるは、アーチャーに対し珍しくも、ほんの少しだけ我儘を言って捜索を続けて。
……気が付いたら、何の収穫もないままこんな時間まで外を出歩くことになってしまっていた。
【でも、あのアサシンの様子と、セイバーの力量を考えれば、最悪の事態にはなってないと思うわ】
「うん……でも、もしもわたしがいない間に酷いことになったらって思うと、なんだかいてもたってもいられなくなって……
それにわたし、何もできてない……」
【
すばるちゃんは十分頑張ったわ。何もしてないなんて、そんなふうに自分を責める必要はないの。だから】
慮るように、あるいは忠言を聞かせるように、アーチャーが言う。
【一旦あの家へ帰りましょう? あの人も、きっと
すばるちゃんのことを待ってるわ】
まるで年下の妹か後輩を気遣うかのような言葉に、
すばるは俯いたまま「うん……」とだけ頷いた。その呟きに、隠し切れない不安と心配が込められていることは、一目瞭然だった。
あの家とは、
すばるがこの鎌倉に招かれてから居候をしていた、とある女性が営む商店のことだ。夫を失くし一人で店を切り盛りしているという中年女性は、素性の知れない
すばるに暖かく手を差し伸べてくれた恩人だ。
すばるはそんなおばさんに言葉では表しきれないくらいの恩情を感じていたし、聖杯戦争や居候の件を度外視しても、人情味に溢れ肝っ玉の大きいおばさんのことを
すばるは好いていた。
けれどそんなおばさんの話題を出されても、今の
すばるは暗い雰囲気を崩そうとしない。何故なら、彼女の店がある一角で大規模な爆発事故があったと、ニュースで大々的に報道されていたからである。
すばるがその事実を知ったのはつい先ほどのことだった。アイとゆきの捜索に疲れ果て、アーチャーの言に今度こそ従って帰路につこうとした瞬間。通りの騒がしさに気付いた
すばるの耳に飛び込んできたのが、その「鎌倉駅東口方面で起こった大火災」のニュースであった。
それを聞いた途端、
すばるは道行く人に猛然と縋りつき、事態の詳細を教えてほしいと嘆願した。仕事中だったのだろう背広の中年男性は少しだけ訝しげな表情をしたものの、事の次第から
すばるを火災被害者の関係者だと勝手に勘違いしたのか快くかつ心配げにニュースのことを教えてくれた。
幸いなことにおばさんの商店は被害区画とは微妙にズレた箇所にあり(地図との照らし合わせは、商店の具体的な位置が分からなかった
すばるの代わりにアーチャーが行った)、
すばるはひとまず胸をなでおろすという一幕があった。
それでも心配だからアーチャーの手で跳んで帰ろうと主張する
すばるに、しかしそれではあまりにも目立ちすぎるというアーチャーの尤もな意見に封殺され、
すばるは今こうして自らの足で帰宅の道を歩いているのだった。
【そんなに落ち込まないで。夜に出歩くのは危険だから、
すばるちゃんには一旦帰ってもらうけど、あの子たちは私がちゃんと探しておくから。
こう見えてもアーチャーのクラスだから、視力結構いいのよ?】
「……ありがとう、アーチャーさん」
【ふふ、お礼なんて必要ないわ。私だって、あの子たちが心配なのは同じだもの】
こちらを心配させまいというアーチャーの明るい声が、今の
すばるにとってはとてもありがたかった。自分と同じように少女らのことを思ってくれるアーチャーに、改めて自分は得難いサーヴァントと出会ったのだと、
すばるは感謝の念を静かに抱く。
そうしているうちに、細まった道の先に見覚えのある商店街が映し出されて、
すばるはそのうちの一軒に近づき。
「
すばるちゃん、どこ行ってたの!?」
「おばさん……」
驚いたような、けれどどこか安堵の含まれた声をあげながら、一人の中年女性が
すばるの傍まで駆け寄ってきた。
すばるが居候させてもらっている商店主だ。
今までずっと外にいたのだろう、おばさんからは疲労と焦燥の気配が色濃く感じられる。ずっと
すばるのことを心配していてくれたのだろうか、そう思うと
すばるは、心の中に棘が刺さるような小さな痛みを覚えた。
「心配かけちゃって、ごめんなさい……」
「……もういいのよ。こうして元気に帰ってきてくれたんだから。あたしはてっきり、どこかで事件に巻き込まれたんじゃないかと心配で心配で」
すばるの無事を確かめるように肩を掴んでしゃがみこむおばさんは、けれど心底安心したような笑みを浮かべ、そう言ってくれた。
裏表のない純粋な善意が、しかし今の
すばるには少しだけ重かった。
▼ ▼ ▼
助けてほしい。
それが、ランサーの少女の第一声だった。
アイとセイバーが一瞬のうちに目配せする。
セイバーが黙って一歩下がり、アイがランサーに向かってにっこりとほほ笑んでみせた。
「……分かりました。ではお話を聞かせてください。助けると言いましても、あなたのことを色々説明してもらわないと助けようがありませんから」
ランサーの目が一瞬喜色に染まったことをセイバーは見逃さなかった。剣を握る指に力が入ったが、アイに目で制された。ここは自分にまかせろ、と言うつもりらしい。
「それでは、えっと……ランサーさん、でいいですか?」
「えっ、うん。大丈夫だよ」
「ではランサーさん、ということで。私の名前は
アイ・アスティンと言います。どうぞよろしくお願いしますね」
「! う、うん! こっちこそよろしくね、アイちゃ……」
「自己紹介はいいから話進めろ、あんま時間ないんだろお前」
ランサーは思いがけず嬉しそうにしていた顔を強張らせ、それは、と言いかける。アイが非難するような目をセイバーに向けるが、とうのセイバーは素知らぬ顔だ。
「気を取り直しまして。それではランサーさん、まずあなたのマスターがどんな状況にあるのかということを教えてくださいませんか?」
「……うん、そうだね。私のマスターは……」
アイに促されるように、ランサーはぽつりぽつりと、彼女自身の事情を話すのだった。
ランサーの話によれば、彼女のマスターは最初から"普通ではない"状態にあったという。
普通でない、というのは怪我や障害を負っていたとか、あるいは魔術師ではない例外的な能力を持っていたというわけではない。そのマスターが持つ異常性とは、精神にあった。
端的に気が触れていたのだ。まともに会話ができず、協調どころか方針の確認さえ定かではない。ランサーはサーヴァントとして召喚された以上は召喚主の意向に従うつもりであったが、これでは従う云々以前の話である。
そうして手をこまねいていたところに、あのライダー……ド派手な衣装の大男が現れた。手を組もうと持ちかける彼に、しかしランサーは仄黒い悪逆の気配を感じたのだという。当然として交渉は決裂、両者は戦闘に突入した。
結果的に、ランサーは敗北した。決め手はマスターの有無。気が触れ指示どころか身の安全すら確保できない足手纏いを抱えたままの戦闘は、ランサーの力を半減させた。そうしてマスターは囚われの身となり、自分はライダーの命令により意にそぐわぬ戦いを強制されているのだと、ランサーは話を締めくくった。
「ライダーは精神操作のスキルを持ってて……私のマスターもそれに操られちゃってるんだ」
俯き暗い影を落とすランサーの話に、アイはふむと頷いた。「これは見過ごせませんね……」と小声で呟くのがセイバーの耳に入った。
「それでは、そのライダーという人がどこにいるかは知ってるんですか?」
「うん。鎌倉宮の近くにある、元村組っていうお屋敷だよ」
「……聞いたことがありませんね」
「マスター狩りやってるヤクザ連中の本拠地だろ」
「そう、だね。ライダーはヤクザさんたちを取り込んで色々やってるみたい」
その"色々"の部分を、ランサーはあえて口にはしなかった。アイのほうも、後ろでのびている黒服たちから何となく察した。
「ということは、ランサーさんはそのマスターを取り返したいというわけですね」
「うん。私はマスターに、まだ何もしてあげられてないから……せめてあの人を助けたいって、そう思うんだ」
「で、お前は俺達に一緒になってヤクザの屋敷に突っ込んでくれ、って言いたいのか?」
再度口をはさむセイバーに、ランサーが再び怯んだように反応した。アイが反論する。
「セイバーさん、あなたはもうちょっと労わりの気持ちというやつをですね」
「うだうだ言ってても仕方ねえだろ。こいつのマスター助けるってことは、つまりライダー相手に全面戦争仕掛けるってことだろうが」
「……そうだね。言い訳はしないよ。でも、あなたたちにとっても悪い話じゃないと思う。ライダーの端末に見つかったあなたたちには」
ランサーの言葉は、なるほど確かにその通りであった。そこはセイバーも認めざるを得ない。
アイとセイバーはライダーと思しきサーヴァントの分身に捕捉された。厳密にはアイだけだが、そこにさしたる違いはないだろう。そして暴力団を事務所ごと乗っ取り無辜の住民諸共無差別にマスターを殺してまわっていることを鑑みれば、ライダー陣営が手段を問わない強硬派であることは一目瞭然だ。
つまるところ、この聖杯戦争を生き残るにあたって、アイたちはライダー陣営と無関係でいられることができなくなったわけだ。こちらから仕掛けるかあちらから仕掛けてくるか、どちらにせよ戦いは不可避だろう。まず和解の道はないものと考えたほうがいい。そうすると必然、対ライダーを同じくするランサーとの協調はセイバーたちにとっても悪い話ではなかった。
「……私はこれから、孤児院に行こうと思ってるんだ。あそこなら多分、まだ生き残ってるマスターがいるかもしれないから」
ふと振り返り、どこか遠くを見るように、ランサーは言った。その佇まいは今までの不安と無力に苛まれる少女のそれから、戦士を彷彿とさせる凛々しいものへと変わっていた。
「戦いたくないって気持ちだったら、私はそれを尊重したいと思う。私を聖杯戦争の敵として倒すって言うんなら……悲しいけど、それも仕方ないって思う。
けど私と一緒にライダーと戦ってくれる人がいるなら、私はその可能性に賭けてみたい。私はサーヴァント(勇者)だから、私を呼んでくれたマスターのことは絶対助けたい」
ランサーが語るのは、揺るぎない善性の意思であった。自らを頼りとして召喚したマスターへ奉ずるため、彼女は絶望的な戦いに挑むのだとその目が雄弁に語っていた。
「今夜18時、鶴岡八幡宮で待ってます。もしも私と一緒に戦ってくれるなら……その時は」
「助けますよ」
答える声があった。それは何の迷いもなく、決然たる思いと共に放たれた言葉だった。
微かに驚くランサーの目の前。その小さな体に大きな決意を秘めた、
アイ・アスティンという少女が放った言葉だった。
「私はあなたを助けます。何があっても、どんなことが起きようと。誰かを助けたいと思うあなたは決して間違ってなんかいません。だから」
そこでアイは、何かを思うように目を伏せ、意を決したように続けた。
「私はあなたを見捨てません。どうか安心してください。あなたには、私がいます」
アイは笑った。それは何の不純物も含まれない、純然たる善意の笑みだった。
それを受けて友奈もまた、恐らくはこの時になって初めて、心からの笑みを浮かべた。
「……うん、ありがとう。アイちゃん」
ランサーは静かに膝をつき、アイの手を取った。そこには、救われたかのような安堵の想いが感じられた。
「待ってます。20時、鶴岡八幡宮で。ランサーさんも、どうかお気をつけて」
「うん! アイちゃんも、またその時に!」
そう言ってランサーは立ち上がり、勢いよく地を蹴って飛び出していった。向かう先は西、そこに彼女の次の目的地があるのだろう。
遠くなるランサーの背に向けて、アイが小さく手を振るのであった。
ランサーの姿が遠ざかっていく。アイはそれを確認すると、強張った顔をセイバーのほうに向けた。
「嘘、ついてましたね」
「ああ、そうだ」
無表情のままで、セイバーが頷き返す。
「どの辺りで気付いた?」
「まず初めに怪しいと思ったのは───」
ランサーがアイたちの目の前に姿を現した直後からだった。
彼女はその総身を返り血で汚していた。彼女の説明に曰く、それはライダーによって強いられた戦いによるものだと言うが、だとすればそれはおかしい。
サーヴァントとは霊体である。魔力で肉体を形作ってはいるが、あくまで受肉を果たしていない仮初の亡霊。人と同じように動き、血肉らしきものを持ってはいるがその本質は魔力の塊である。
つまり、あの返り血はサーヴァントのものではありえない。サーヴァントは血を流しはするが、肉体から離れた血液は指向性を持たない魔力の粒子となって大気中に解けて消える。あそこまで大量、かつ長時間にわたって痕跡を残すことはありえないのだ。
ならば考えられるのはマスター、あるいは一般人の血ということになるが、それだと彼女の話と矛盾する。望まぬ戦いを強いられた場合、普通はどのように行動するだろうか。逃走、もしくは小競り合いに留めるのが妥当な落としどころだろう。にも関わらず、ランサーは「前線に出てくるはずもなく狙うとしたら相当の修羅場となるだろうマスターの返り血を大量に浴びて」いたのだ。
「それから……」
彼女の説明の中にもおかしな点はいくつかあった。気が触れたマスターに手をこまねいているところを他のサーヴァントに捕捉されたと言っていたが、それが本当だとすればおかしい。
マスターとはサーヴァントにとって最大の弱点と成り得る要素だ。それが自律的な判断ができないほどに精神をやられているのだとすれば、まず最初にやるべきは「危険に遭わないようその行動を制限する」ことだろう。
人道や意思の尊重が云々という次元の話ではない。自分でそうした判断ができない以上、そのマスターの安全確保はサーヴァントの急務だ。勝手に出歩かないよう、そして勝手に行動できないよう一つ所に軟禁する、というのがまず最初に出てくる方策だが、ランサーの話にはそうした行動の気配は全く感じられなかった。
まずそうした対処を経て、サーヴァントが独自に行動を開始する。それならばサーヴァント同士の気配感知にマスターの所在が巻き込まれることもなく、ランサーのような状況に陥る可能性は極めて低くなる。そこについての説明をランサーは一切しなかった。忘れていた、というよりは意図的に言及を避けているようなそぶりが随所に感じられた。
令呪で強制されたという可能性は考えづらい。そもそも白痴のマスターとやらにそこまでの判断能力があるのかという時点で疑問だが、曖昧になるしかなくランサー本人も望まぬ命令内容を、更にランサーたる彼女が持つ対魔力を貫通して強制させるなど不可能だからだ。
「お前の推測は正しい。俺の目から見ても、あいつからは令呪に相当する魔力の残滓は感じられなかった」
会話をアイに任せ後ろから俯瞰していたセイバーは、アイ以上にランサーの挙動に注意を払っていた。いっそ笑ってしまうくらいに、あれは後ろめたいことを隠す人間の素振りであった。
英雄などとは思えない、まるでごく普通の中学生の少女のようであったと、セイバーは言う。
「あいつはほぼ確実に嘘を吐いている。助けを求めた俺達にも言えないということは、それはつまり俺達にとって都合の悪いことだとあいつが判断したんだろう」
セイバーは最早ランサーに対する敵意を隠そうともせず、言葉を続けた。
「それらを踏まえて、お前はどうする」
「助けます」
即答だった。一瞬の間も、考えるそぶりすらなかった。
「この前セイバーさんは言いましたよね。誰かを助けようとした私に、誰も私の助けなんて必要としてないって」
事実だった。セイバーは確かに、他のサーヴァントの攻撃によって被害に遭った一般人を助けに行こうとしたアイに、そういった意味合いの言葉を言った。
「今は違います。ランサーさんは明確に、私に助けを求めてきました」
故にアイは止まらない。膨れ上がる救済の意思、肥大化する利他精神。誰もアイを止められない。
「私に助けを求める人を、私は見捨てません。今回ばかりはセイバーさんにだって何も言わせませんよ」
屹然とアイはセイバーを見据える。それはまるで戦いに赴くかのような、いっそ悲壮なまでの鋼の意思を見せるものであったが。
「……まあ、いいんじゃねえの?」
「って、あれ? いいんですか? てっきりまた止められるのかと」
「分かってるならやるなっての。……まあ今回ばかりは話が別だからな」
「そういうものですか」
「そういうもんだ」
ふむ、と分かったような声をあげるアイを後目に、セイバーは淡々と思考を巡らせていた。
実際のところ、今回に限ってはアイを無理に説得する必要はないのだ。ライダーという厄介な相手に目を付けられた以上、戦うにしろ交渉するにしろ、遅かれ早かれそいつと何かしらの決着をつける必要があった。ならば自陣営単独で事を為すよりも、他陣営の助けを借りられるこの状況は渡りに船である。何も本格的にライダー陣営と敵対するわけじゃなく、セイバーとしてはランサーを敵情視察の斥候として利用したいと考えているのだが。
この場合最悪の展開は、自分たちを襲ってきたサーヴァントとランサーの言う元村組を支配したサーヴァントが全くの別物であるということだが、元村組構成員とライダーの襲撃タイミングを考えればその可能性は極めて薄いと言える。
故に現状の最適解は、このまま騙されたふりをしてランサーを突っ込ませるというもの。あちらから持ちかけてきた以上、ランサーにはライダーを倒す必要性があり、ならば当面逃げられることも裏切られることもない。
(それに何より、な)
"アーチャーの捜索を中断できる"、というのがセイバーにとっては僥倖であった。
すばるというマスターと、そのサーヴァントであるアーチャー。かの陣営にアイはえらく執心しているが、セイバーは全く信を置いていなかった。そもそもの挙動があまりにも不自然であるのもそうだが、あれはあまりにも腹芸が下手すぎる。聖餐杯という智謀の凝縮体のような男を見てきたセイバーにとって、あのアーチャーは滑稽なほどに単なる思いつめた少女でしかなかった。とはいえ今までは根拠のない疑りでしかなかったが、つい先ほどランサーの有り様を見て確信に至った。アイは気付いていないのだろうか、欺瞞を抱く者に特有の気配というやつを、ランサーとアーチャーが共に纏っていたのだということを。
アーチャーとランサー、共にこちらを騙すつもりでいることに変わりはないが、目的が明確な分ランサーのほうがまだマシである。廃校舎での邂逅において、セイバーがわざと互いの所在地の確認を取らなかった、その甲斐もあるというものだろう。
「とりあえず、ランサーにはこのこと言うなよ」とアイに釘をさしつつ、最悪の場合アイだけでも無事に逃がす方策をセイバーは考え始めたのだった。
▼ ▼ ▼
部屋に入り扉を閉めた瞬間、荷物も靴も乱雑に脱ぎ散らし、ベッドメイクの行き届いた白いシーツの上に倒れ込む少女が一人。
仰向けの大の字になって、「んー……!」と軽く背伸び。気の抜けた声が狭い一室に反響する。
ぱたり、と伸ばしていた腕をベッドに放りだし、ぽつりと一言。
「あぁー……もうダメ、疲れた。一歩も動きたくない」
若い身空に似つかわしくない疲れ切った声をあげる。彼女の名は
笹目ヤヤといった。
「……もう、なにがなんなのよ」
ぼそり、と呟かれる。それは弱音でもあったし、不安の吐露であった。
一足早く拠点のホテルに戻ってきて、ヤヤの目と耳に真っ先に飛び込んできたのは鎌倉中を騒がす大事故の報道であった。ホテルへ立ち寄るまでの道中も何やら騒がしく物騒な雰囲気が漂っていて、何となく嫌な予感がしていたのだが、それは見事に的中したと言えるだろう。
事故のニュースはいくつもあったが、中でも特に酷いものが、鎌倉市街地を丸ごと炎上させたという爆発事故だった。テレビの画面に映る街の様子は凄惨の一言で、未だに多くの人が現場で右往左往しているのだとか。
言うまでもなく、ヤヤが巻き込まれたあの戦闘の痕である。そのニュースを見た瞬間、ヤヤは今さらになって恐怖の記憶がよみがえり、その体を酷く震わせたのだった。
鎌倉に起きた異常事件という意味では、今までも様々な事件事故があった。続発する殺人事件、発見される惨殺死体、活性化する暴力団、市が推進する浮浪者の掃討……それらは確かに痛ましく恐怖の対象であったが、ヤヤにとってはどこか遠い世界の話のように思えてならなかったのだ。
そうした修羅場に今まで巻き込まれなかったから、というのはある。
使役するサーヴァントが善良を通り越して能天気だったから、というのもある。
だが何より、ヤヤ自身の危機感というものが決定的に足りていなかったのだろう。聖杯戦争に巻き込まれた、それはどうやら危険らしい───それは知識としては分かってはいたが、そこに伴うはずの実感が欠けていた。だからこそ「自分だけは大丈夫」という、万人に共通する根拠のない思いが蓄積されていったのだ。
実際、この世界に来て最初の接敵以来、予選期間内においてヤヤたちはひたすら平和な時間を貪ってきたのは事実であったのだが、それも今日あの時を以て終わりを告げた。
今思い出しても寒気がする。視界の全てが赤く染まった瞬間、ヤヤの胸中を満たしていたのは死への実感と、それに対する恐怖だった。事ここに至ってようやく、ヤヤは自分の置かれた状況が一瞬の安穏も許されない極限の殺し合いであることを思い知ったのだった。
……結局、いくつもの幸運が折り重なって今こうして落ち着いていられるのだけど。
「こうしていられるのも、今日が最後……なのかな」
それが何だか怖かった。静かで安穏としたこの時間が、処刑台に登る前の猶予時間のように思えてならない。
自分で思っている以上に、精神的な疲れが出ているのかもしれなかった。その証拠にか、こんなに早い時間帯だというのに眠くて仕方がない。
一旦自覚してしまうと、あとはずるずると睡魔に引き寄せられてしまう。瞼が重く感じられて、自然と閉じてしまう。
(あとで、あの人とも話しておかないと……)
眠りに落ちる寸前。アーチャーが連れてきた「あの人」のことを脳裏に描きながら、ヤヤは静かに寝息を立てるのであった。
「幸いにも十数分だけ情報監視網に綻びが出てね。何とか"これ"だけは間に合わせることができた」
ヤヤと同じホテルの別の部屋でのこと。突如として間借りしていたアパートからここまで連れてこられたアティは、その下手人であるアーチャーからそんなことを言われていた。
曰く、この街における個人情報をアーチャーは偽装したのだという。今までは他の陣営(話によると電子網?というのを支配できるサーヴァントらしい)の妨害からできなかったが、正午前後に一度だけ"乱れ"があったのだという。
そういうことで、アティは急遽、いつ見つかるかも分からない盗み借りしていたアパートから、安全なこちらへと移動してきたのだ。いつでも引き払えるようにと、日頃からゴミを出さないよう綺麗に使っていた甲斐もあってすぐに痕跡なく出立することができた。今まで苦労をかけた、と言うアーチャーには曖昧な返事しかできなかったが、よく考えなくても世話になりっぱなしなのは自分のほうであるから、遠くないうちに改めてお礼の言葉を言っておこうと思う。
というのが少し前の出来事。アティは俯きがちな顔をあげ、アーチャーと向かい合い、言う。
「この街のニュース、少し見たよ。タブロイドとはちょっと違ってたけど……
色んなところ、大変なことになってるみたいね」
「ああ。予選期間とは比べものにならないほど、衝突の規模は増しているようだ」
アパートに滞在していた頃のアティは、慣れないものであったがテレビからある程度この街の現状というものを見聞きしていた。所詮一般人の視点から編集された映像故に詳しいことは分からず仕舞いであったが、それでもこの街に起きたことがどれほどの脅威を持つかは、おのずと察することができた。そして、それがいつ自分に降りかかってくるのか分かったものではない、ということも。
正午を過ぎたあたりだったか。憂鬱な午後を迎えたアティが、突如として起こった轟音と地鳴りを感じ取ったのは。後ほど分かったことだがそれは東鎌倉で生じた原因不明の爆発事故であり、なんと恐ろしいことにアティのいた場所からそう離れていない地点で発生したものであったのだ。
茫洋とした頭でそれを聞いたアティは、恐怖を感じるよりも先に、ああもう猶予はないのだな、という事実を改めて実感したのだった。
「ごめんね、アーチャー。答えを出すって言ったのに、あたしまだ何も分かってないみたい。
街が大変なことになって、アーチャーも他の人たちも必死になって、あたしは何もできてないのに……」
結局、アティは自ら何もできないまま、流されるままにこうして時を過ごしていた。
自分に宛がわれたサーヴァントがアーチャーでなければ、多分だがとっくに自分は死んでいたんだろうと思う。アーチャーの万能さに助けられてばかりというのもあるが、そもそも普通のサーヴァントなら自分のようなマスターのことなど迷いなく見捨てているはずなのだ。
マスターとして何ができるわけでもない、迷ってばかりの役立たず。自分でも、こんな人間が好感に値するとは思っていない。自虐の念を堪えきれず、思わず声と態度にもそれを出してしまう。
「落ち着くといい、マスター。自虐など百害あって一利もない」
我知らず漏らした心中を、それこそ毒気もない諌めの言葉で返されて、アティは思わず放心したように彼を見つめてしまう。
アーチャーは変わらず穏やかな表情のままだった。そこでアティは知らず気持ちを逸らせていたことに気付き、僅かに羞恥を覚えた。
「前にも言ったが、迷いは人として当たり前の感情だ。恥じる必要などないとも。
少なくとも、一つの答えのみを正しいと盲信するよりはよほどいい」
薄い笑みは慙愧の念か。彼は何を糾弾することもなく、ただ事実としてそう言った。
「遠くの景色を見るのもいいが、そればかりでは足元の石に躓くこともあるだろう。
時には手元に視点を置くのも肝要だ。特にそれが、先の見えぬ難題に直面しているのなら尚更な」
言い切るとアーチャーは踵を返し、アティに背を向けた。黒衣が彼の肩に現れ、ばさりと布擦れの音が響く。
「私はこれから付近の警戒に当たる。マスターはこれからの動乱に備え、体を休めておくといい」
「うん……気を付けてね、アーチャー」
夕焼けの陽射しに黒く浮かぶアーチャーの姿が、一瞬で消え失せた、霊体化したのだと理解できる。それを確認して、アティは気が抜けたように一息をついて。
「やっほ。ちょっと今いいかな?」
「ひっ!?」
背後から突如としてかけられた声に、思わず体がびくついた。恐る恐る後ろを振り返ってみると、そこには人のいい笑みを浮かべた少女の姿。
「えっと、あなたは確か……」
「ライダーだよ。ボクとボクのマスターがお世話になったからね、挨拶でもしておこうかなって」
言われてアティは納得する。確かに、アーチャーからそう説明を受けていた。同盟関係を結んだ陣営があるのだと。
けれど、眼前の彼女はどう見ても線の細い少女でしかなかった。ともすればアティよりもずっと華奢で年下にも見える。気さくな雰囲気は親しみやすく、戦士というよりは冒険家のようだと、アティは思った。
「あっ、今こいつ弱そうだなーとか思ったりしたでしょ。ふーん、そっかー、そういうこと思っちゃうんだー」
「え……あたしそんなつもりじゃ……」
「うそうそ冗談! ああごめんね、そんな顔させるつもりじゃなかったんだ。沈んでたみたいだからちょっと元気づけようって思ったんだけど……」
目の前のライダーが英雄然としていない、という内心の評は別に悪い意味でのことではなかった。親しみやすい空気を創る彼女は、多くの笑顔を人々に伝えていったのだろうと、そう思える。それは今まさに慌ててこちらを慮ってくる様子からも察せられた。
「ともかく。これから一緒に頑張るってんだから、ここは一つ親交を深めようと思ってさ」
閑話休題。
改めて向かい合い、ライダーがそんなことを言ってきた。そこには何の他意も含まれず、純粋に話をしに来ただけのようである。
「それはいいけど、あなた自分のマスターは?」
「疲れがピークに来て就寝中。今日は色々あったからね、ゆっくり休ませてあげたかったんだ」
あははと笑うライダーからは、"色々"がどのようなものだったか察することはできない。しかし、アーチャーから事の次第を聞いているアティには、彼女たちが聞くだに恐ろしい苦難に遭ってきたのかを知っていた。
その上でこうして笑えるということがどれほど妙々たることであるか、同じく苦難に遭いながらただの一度も笑えてないアティにはよく分かった。そして同時に、弱そうだなどと一瞬でも考えてしまった自分の思考が、実はとんでもない間違いであるということにも思い至る。
(そう、だね)
思う。今、自分がすべきことを。
アーチャーは言った。遠くを見るのもいいが、目先のことも大事だと。それを疎かにしてはいけないと。
ならば、今しなくちゃいけないのは。
「ライダー」
「うん?」
「いつまでになるかは分からないけど、仲良くしましょう。これから、よろしく」
手を取ることになった同盟者との親交、そして意思の疎通であろう。人は一人じゃ生きられないのだから、誰かの手を掴めるのならそうしなければならない。
言葉を受けたライダーは、ぱぁと表情を輝かせて、うんうんと頷いてくれた。
「こっちこそよろしく! えっと」
「
アティ・クストス。アティって呼んで」
「うん! よろしくね、アティ!」
そこからは、喜色満面のライダーに押され気味ではあったが、二人共朗らかに談笑を続けることになった。アティにとっては、久方ぶりの楽しい時間であった。
余談だが、彼らのいる部屋には悪意に反応して自動攻撃する魔力結界が巧妙に隠蔽されつつ展開されていたのだが、結局この結界が役目を果たすような事態になることはなかった。
▼ ▼ ▼
夕暮れの陽が一面の海原を赤く染め上げていた。
広がる海には風もなく、静かに波揺れ凪いでいた。一見すれば平和な光景、あるいは牧歌的とも称せたかもしれない。
───水平線の彼方に浮かぶ、黒い戦艦の度外れた威容さえ存在しなければ。
「……」
渾沌の只中にある鎌倉の動乱など、露とも知らぬと言わんばかりにその存在を誇示し続ける戦艦を眺めながら、
みなとは言葉無く思考の海に埋没する。
あれが聖杯戦争の関係者であることは、最早誰に言われるでもなく明白である。ただそこに在り続けるだけならともかく、あの戦艦は遂に砲撃まで開始したのだ。その動きはただ一度のことであったが、市井に大きな混乱をもたらしたことは言うまでもない。
ここまで徒に目立ってしまえば、多くの陣営がその動向に注目するだろう。聖杯戦争の定石から外れているなどということは今さら語ることでもなく、端的に言って馬鹿としか形容のしようがない。
しかし同時に、そんな彼らに対して先んじて敵対し戦闘を仕掛けるのもまた、馬鹿としか言えない。
突出する者は叩かれる。そんな定石を度外視しても、かの戦艦の主が持つ自信と力の程は如何程か。無策に突っ込むほど愚かしい真似はないだろう。
加えて位置的な問題も存在した。彼らがいるのは海の向こう、沖合およそ3㎞の海上である。水上歩行の加護を持つか、それとも空を飛べるかでもしない限りは辿りつくことさえ至難の業とくれば、表立って立ち向かう陣営はそれこそ数を少なくするに違いない。そして事実、こうまで目立つ真似をしておきながら、未だ黒の戦艦に戦火が上がる様子はなかった。
かくいう
みなとのサーヴァントであるライダーも、そうした問題を抱えていた。彼は無双の手練れであるが、地に足つけていなければ成り立たない戦士でしかない。みなと自身は飛行の術を持ってはいるが、サーヴァントを相手にすればたちどころに打ち落とされるのが関の山であろう。
故に現状、
みなとには戦艦のサーヴァントに手を出す理由も手段も無かった。聖杯の獲得を目指す以上はいずれ激突しなければならない相手であるから、その時に備える必要はあったが。
「これは、同盟者を募る必要も出てくるかな」
そう嘯きながら、海岸線にほど近い道を脇にずれるようにして歩く。通りの曲がり角へ差し掛かり、ふと視界の端に浮かび上がるものがあった。
みなとが従えるサーヴァント、ライダーが不意に霊体化を解き、その姿を現したのだ。
「どうしたんだライダー、サーヴァントの気配でもあったのか」
問いには答えず、ライダーは先導するように歩き出す。怪訝に思いながらも
みなとはそれに随伴し、数分の後に人気のないひっそりとした路地裏に辿りついた。
誰もいない。どこにも、誰の気配もなかった。
みなとは緊張に固まった体をほぐし、一つ息を吐く。
「ライダー、一体何の用があったんだ。ここには何も……」
「来るぞ」
言葉と同時、
「ッ!?」
みなとは背後に何者かの気配が出現したのを肌で感じ取る。瞬間、弾かれたように後ろへ下がり、知らずその手に握った杖を相手に向けた。思考よりも先に魔力が一気に凝縮し、その破壊が放たれようと───
「跳ねるな」
───する寸前、その影から発せられた一言により、反射的に動いてしまっていたみなとの体がピタリと動きを止めた。
黒い男だった。夜闇を切り取り人の形に押し固めたような外套は黒よりもなお黒く、蒼白の頭髪は白磁の肌を以てなお映える輝きを湛えていた。
貴人に特有の怜悧な表徴の顕れと、それに相反するような覇気とが混ざり合った気配は、ただそこにいるというだけで常人には耐えきれない威圧となって具現する。ライダーという極限域の武威を知らなければ、あるいはこの男に敵意を向けられたというただそれだけで、
みなとはあらゆる抵抗の意思を喪失していたかもしれない。
しかしそれは仮定の話だ。その男は小波すら立たぬと形容できる落ち着いた所作で、何の敵意も害意もなく、
みなとへと語りかけた。
「ここは市街地にほど近い。小競り合いならまだしも、本格的な戦いともなれば多くの被害が出る。お前はそれを容認するか?」
問われ、混乱に沸騰しかけていた思考が徐々に冷静さを取り戻していく。
確かに眼前のサーヴァントが言う通り、
みなとは市井への犠牲は極力抑えたいと考えていた。義憤というわけではないが、衆目の目に晒されては単純に厄介だからだ。神秘の秘匿云々はどうでもいいとしても、聖杯を巡る戦いは当人たちの手でのみ行えばいいという一点において、
みなとは通常の魔術師と考えを同じものとしていた。
向けかけていた黄金の杖を下ろす。それを見て、黒衣のサーヴァントは静かに目を伏せ答えた。
「賢明で助かる。私としても事を構えるつもりはないのでね」
「……なら、一体何のために僕たちの前に姿を現した。まさか偶然の産物だとでも?」
「あり得ない、と言い切ることができるのか?」
数瞬の無言。押し黙る
みなとに、男は薄く笑みを浮かべ、冗談だと小さく告げた。
「本当なら、お前達を無視しても良かった」
スッと足を踏み出し、男はゆっくりとみなとの方へと歩み寄る。
「私にはやるべきことがある。だから隠れ潜みやり過ごす、という選択もあった。しかしそちらの側からやって来たというなら話は別になるだろう」
「……笑わせる。これ見よがしに己が存在を誇示したのは貴様のほうだろう」
男に対して初めて紡がれたライダーの言葉が、それだった。
みなとの傍に立ちつくし、不動のまま時を過ごしたライダー。しかしその目は何の怯みも持ち合わせず、男の前に立ちはだかる。
突如としてライダーがここに来たのにはそうした理由があった。脈絡なく空白地点に発生したサーヴァントの気配。アサシンがヘマをしたのかと思いきてみれば、そこにいたのがこの男だ。
しかも彼はアサシンに非ず。影に潜み闇討つだけが能の暗殺者などでは断じてない。これは、自分や他の大隊長にすら比肩する強者であると、磨き抜かれたライダーの直感が指し示していた。
「重ねて言おう、"賢明で助かる"と。察しが良いと話が早い」
果たしてどの口がそれを言うのか。しかし男は、そんなみなとの非難するような視線を意に介することなく続けた。
「一つ尋ねたいことがある。この聖杯戦争の根幹に関わることだ」
そして男が言った言葉は、
みなとにはまるで理解できない事柄であって。
「お前を、いや"お前達"を差し向けた存在。それは黄金の獣と呼ばれるものか」
しかしライダーにとって、それは虚を突かれるに等しい一言であるのだということが、背中越しでも
みなとには理解できた。
この男は、何某かの理由によってライダーの真名に纏わる物事を看破したのだ。
「それを聞いて、貴様に何の益がある」
「その返答は何よりも雄弁にお前という存在を語っているぞ、Dreizehnの天秤よ。破壊のみを為し、故に何物にも触れることのない永遠のアハシュエロス。人類悪を体現する彼の如き男が、今さら聖杯に何の用だと言う」
「知らんし、そして知ったことでもない。俺の望みはただ一つ」
一切の無駄がない動きで、ライダーはその両腕を眼前に構えた。漆黒に染まった拳は、ただ鋼鉄の重量のみを湛えている。
それこそは機神・鋼化英雄。ライダーがその身に宿す、いいやその身そのものである特殊発現の聖遺物。鈍く剣呑な、それ故に業物と呼ぶことすら烏滸がましい、戦いのためだけに在る武装である。
「唯一無二の終焉を寄越せ。だがそれを為すのは貴様ではない」
「我が身では不足と言うか。随分と高望みをするものだ、ならばかの愛すべからざる光に挑めば良かったものを」
「抜かせ」
▼ ▼ ▼
───黒剣が空を断つ。
───絶拳が虚を穿つ。
斬撃、砕撃、刺突、裂蹴。周囲の大気を激震させながら展開される血風の剣刃乱舞。地を踏み抜いて放たれる剛腕は爆音と共に空間を貫き、舞踏さながらに舞う剣閃は視界を一刀両断する。
体捌きに技の妙、どころか呼吸視線に至るまで。それら一挙一刀足の全てが余さず絶技。傍から見ているだけの
みなとでさえ、その速すぎる挙動が見えず認識できずとも、そこに込められた凄まじいまでの技量と経験を絶大の覇気として感じ取ることができた。
しかし、そんな彼らの剣戟には一つの異常点が見受けられた。
神速で振り下ろされた拳が一直線にストラウスの肩を狙う───当たらない。
返しとばかりに放たれた胴を狙った横薙ぎ一閃───当たらない。
武闘の粋を極めた一撃、その応酬。されど奇妙なことに、そうした武闘において必須となる防御や鍔迫り合いといった行為が一切存在していないのだ。
幾度拳と剣を振るおうとも、当たらない、当たらない、当たらない、当たらない───
息が触れ合うほど近いのに、空振りし続ける刃と拳。死を搭載した二つの絶技が、重なることなく乱れ狂う。
まるで、予め決められていた殺陣のように。二人の放つ攻撃は一度たりとも被弾という結果を起こすことがなかった。
ただの一度も防御を選択することなく、彼らは空間を破壊しながら更に更にと加速を続けていた。
このような拮抗状態に陥ったのは、互いの能力が絶妙に噛み合わなかった結果である。どちらも等しく近接戦闘を得意としていながら、しかし両者の誇る力が攻撃への接触を頑なに封じていた。
分子間結合を崩壊させ、接触したなら破壊の内部伝播を行う振動魔力を帯びた、ストラウスの黒剣。
遍く防御を穿ち貫く特性を秘め、その衝撃を過不足なく敵手の体内に叩き込むマキナの機神・鋼化英雄。
そう。ストラウスとマキナ、彼ら二人の攻撃は一撃必殺の特性をどちらも多分に帯びているのだ。
過程や性質は全く違えど、食らってしまえばどちらも同じ。容赦なく一方的に、掠っただけでも即死する。
特にストラウスは、振るう剣が纏う魔力の変化からも、それが分かりやすいだろう。
黒い瘴気にも似た莫大量の侵食魔力。その刃に触れたが最後、傷口から浸透した漆黒の煌めきはあらゆる物体を崩壊させながら対象を蝕み抹殺する。太陽が沈み夜種としての本領を発揮しつつある今だからこそ揮える、それは吸血種としての力の神髄である。
対魔力に防護の加護、体質耐性無効の概念───そんなもので防げはしない。故に受けるなど言語道断、よってマキナはこれを躱す他になかった。刀身には決して触れず、身を襲う刃の嵐を見切りながら戦い続ける。それは人の身には永すぎたグラズヘイムの殺戮劇ですら数えるほどしか経験しない代物である。
本来、魔拳の形成───万物貫通の聖遺物は他のサーヴァントが発現した魔力さえ関係なく破壊することができる。
風であろうが雷であろうが、振動であれ光であれ存在するなら鏖殺し。鋼の求道に曇りはなく、故に敵手が何を繰り出そうが諸共に穿ち貫くのみであるが。
しかし、眼前の敵手たるこのストラウスにだけは話が別だ。
常軌を逸する戦闘技巧、変幻自在という言葉すら生温い極大規模の魔力操作。そしてこれほどの戦力さえも"小手先"と言わんばかりに掌握する類稀なる戦術眼を持つこの敵手に対し、何の策もなく正面突破を試みるなど愚の骨頂。まず間違いなく致命的なカウンターを食らうと、磨き抜かれた彼の直感が告げていた。
このマキナをしてここまで言わせるほどの凄味が、この若き夜の王には存在した。駆け抜けてきた戦場の数、潜り抜けてきた修羅場の数さえ、地獄の戦鬼たるエインフェリアを超えて余りあるとすら錯覚するほどだ。一体どれほどの研鑚をこの青年は積み重ねてきたのか。振るわれる剣腕はザミエルはおろか、彼の知る最高域の達人であるベアトリス・キルヒアイゼンですら及ばないことは確実であろう。
仮にこの黒き魔力群を掌握ないし破砕した上で敵手を殺害するというならば、光速に至る反応速度とナノ単位の精密動作が最低限の条件として厳しく要求されるだろう。
ならば劣勢なのは拳振るう黒騎士であるかというと、それは否。
ストラウスもまた、相手と全く同様に機神・鋼化英雄には触れられない理由がある。
そう、マキナの拳もまた恐るべき一撃必殺───終焉の渇望が付与された悪夢のような絶拳なのだ。
刀身で防御でもすれば、それこそ一巻の終わりというもの。翳す刃など関係なく、マキナの拳は一切の減衰なく、ストラウスの剣や腕諸共こちらの心臓を貫くだろう。何故ならマキナの渇望とは「終焉」なのだから、創造を発動せずとも世界を捻じ曲げる領域にある渇望は拳に付与され、遍く万象を破壊して余りある。
故に、彼の魔拳は防御不可能。躱す以外に処置はなし。
───だからこそ、二人は絶妙に噛み合わない。
何百と放たれながら、掠りもせずすれ違う刃と拳。
このうちの一発でもぶつかり合えば、侵食魔力はすかさずマキナを滅し、同時に放たれる終焉の拳がストラウスを必ず殺す。勝敗と言う概念は消え、共倒れに終わるだけ。両者は類稀なる戦術眼よりその未来を看破し、同時に両者共そんな結果を望むなどありえない。
よってどちらも選択肢から衝突、ないし防御を捨てる。
舞踏のような武闘を興じ、変則的で自由自在な身も凍る死線を描いて戦闘行為を続行していた。
「シッ!」
踏み込みざまに繰り出されたマキナの右腕が、屈んだストラウスの頭上数センチの空間を穿つ。同時、眼前に掲げられたストラウスの黒剣はマキナの顔面すぐ脇を掠め、その体勢を崩させる。
結果はこれまで通りの空振り同士。互いの攻撃は絶妙にずらされた体躯の残像のみを捉え、その本体には一切の手傷を与えない。
大きく上体を仰け反らせたストラウスが、重心移動を利用して返す刃を放つ。
体勢を崩したマキナが、知ったことかと強引に右脚を踏み出し拳を放つ。
そしてそれらはまたしても、対称的とも言うべき構図で互いに触れることなくすれ違う。
「前言を撤回しよう、Dreizehnの天秤」
刹那、放たれる言葉が一つ。それは眼前のストラウスから。
回転する剣舞が螺旋のようにマキナの首を狙い、しかし首級を捉えることなく後方へと流れ行く。返しとばかりに放たれた裏拳は、しかしそれより先に移動を終了させていたストラウスに触れることなく、先の展開をなぞる様に空を切る。
「お前はそれなりに話の通じる手合いだと考えていた。賢明、と言ったのは何も世辞や皮肉の類ではない。お前は黒円卓の中にあって、数少ない本物の武人だろう。
しかしこのザマはなんだ。お前のマスターは条理というものを弁えていたが、お前はその者の許しを得ることもなく剣を交える猪武者か」
告げるストラウスの言葉は事実である。マキナのマスターであるみなとは、ただ放心したかのように立ちつくし、この場を見守るだけとなっていた。
マキナの放つ鬼気に中てられたのだ。戦場を知らぬ子供であれば無理もない。心を蝕む死の気配は余人には毒にしかならないだろう。あの様子では、この戦闘中において令呪を使ったサポートすらできまい。
すなわち、マキナはそれだけ形振り構わずストラウスに攻勢を仕掛けているのだ。赤騎士や白騎士ならいざ知らず、ストラウスの知識にある黒騎士とは思えない愚行である。
旋回する巨腕が弧を描き、斜め上からストラウスを狙い打つ。足は動かさず体勢移動のみでそれを回避し、続けざまに放たれる震脚の一撃を後方へ下がることでやり過ごす。
「それこそ愚問。俺に残された唯一の手段が殺戮のみであるというならば、ただそれに従うだけだ」
「武人としての矜持すら残されていないとでも? 聖杯に縋るなどと、黄金錬成の真実を知る者ならば疑ってかかるのが当然だろう。いや、それとも」
そこで、両者の間に空白ができた。
それは幾重にも重ねられた剣戟の中で、互いの呼吸が合致したことにより生まれた、ほんの一瞬の停滞だった。互いに腕を引き戻し、故にどちらの攻撃もなく。動きが静止し、あらゆる音が消え失せて、顔を突き合わせる二人だけが世界に取り残された。これはそんな、偶然の空白地帯。
音もなく、動きもなく。時間が止まったようにさえ思えるその一瞬に、ストラウスの言葉だけが、透き通るように響き渡った。
「お前が奪われたのは、これで二度目ということか」
無言。
静寂。
………。
……。
…。
「く、くく」
巻き起こる微かな笑い声に、
みなとは「はた」と気付いた。
声の出所はどこなのか。一瞬、彼には分からなかった。アーチャーか、ともすれば自分のものかもしれないと考え、しかしそれが間違いであると気付いた瞬間、彼は信じがたいものを聞いたかのように、その表情を驚愕に染めた。
哂っていたのは、ライダーだった。自嘲の笑みだ。
ライダーの哂いなど、今までただの一度も聞いたことがなかった。
「そうだ。俺は二度と目覚めたくなどなかった」
重く、重く、漆黒と鋼鉄の声で黒騎士は答える。
「求めた終わりをあの男に奪われ、その果てに得たはずの納得さえ聖杯に奪われた。ならば俺に残されたものとはなんだ? 魔力によって縁どられただけの偽物など、こうするより他にないだろう」
それは言葉か。黒騎士が幾度となく自問し、迷いすら投げ捨てた彼にとっての真理か。
「問答は終わりだ。俺も貴様も、此処にいるべきではない亡霊に過ぎん」
「ああ、その言には同意しよう。我らも、そしてこの世界も。生まれてはならなかった桃園の残滓でしかないのだから」
最早二人に言葉はなかった。向かい合う両者は、全身に戦意のみを満ち溢れさせ、渾身の力を込めながら攻撃が解き放たれる瞬間を今か今かと待ちわびていた。
次に動く時は、すなわち決着の時。繰り出される一撃は致命のものに相違なく、如何に相手の必殺を潜り抜け己の必殺を当てるのかということを、二人は現実には1ミリも動かないまま、しかし脳内においては千回も万回も予測演算を繰り返していた。
じり、と空気が焼け付く。張りつめるような緊張感が場を満たした。
息をするのも忘れ、
みなとはただ事の推移を見守るのみ。そして翳る陽射しがその傾きを深くした瞬間。
「創造───」
「月の恩寵は―――」
二人は同時に、己が必殺の銘を口にして───
「―――ッ!」
───その体が突如として反転し、腕を振り抜いた空間に盛大な火花が散った。
甲高い反響音が、鳴り響いた。
「な、何が……!?」
驚愕の声はみなとのものだ。いや、彼には全てが見えていた。「遠方より飛来した三発の弾丸が、中空にて打ち落とされた」のだ。
サーヴァントどころか
みなとをも狙った弾丸は、丁寧なことにライダーとアーチャーが激突する瞬間、すなわち両者が外部に対して最大の隙を晒す瞬間を狙ったものだった。そしてそれを、二人は同時に、
みなとを狙った分まで纏めて叩き落したのだ。
「無粋な真似をしてくれる」
「とはいえ、それが聖杯戦争の定石だろう。所詮これは醜い殺し合い、正当な決闘ではないのだからな」
言うが早いか、アーチャーは肩口まで持ち上げた右手の上に黒い魔力弾を生成。添えるように軽く押し出すと、それはアーチャーの緩やかな所作とは裏腹の驚異的な初速と共に撃ち出され、遥か遠方まで一直線に駆け抜けていった。
その方向は、正体不明の弾丸が飛来したのと同じ方角であった。
「さて、私はもう行くが、お前たちはどうする」
「え……」
急に問われ、自分に振られるとは思ってなかった
みなとは一瞬言葉に詰まってしまう。それを前にアーチャーは構うでもなく続けた。
「横やりが入った以上、この場で戦闘を続行するのは愚の骨頂だろう。そして、私には"奴"を追う理由はない。最初にも言ったが、私に交戦の意思はないのだからな」
「……」
出会いの記憶を辿ってみれば、確かにアーチャーはそんなことを言っていた。仕掛けたのはあくまでライダー、つまり自分たちなのだから。こちらに続行の意思がないとなれば、彼がここに留まる理由も遠方より飛来した銃弾の主を追う理由もないだろう。
みなとは少しだけ考え、そして決然とした意思と共に答えた。
「追おう。このまま逃げたとしても、そちらはともかく僕たちは狙い撃たれるがままだ。それだけは絶対に避けなくちゃいけない」
ライダーには遠隔的な攻撃手段も、防御の術も存在しない。故に彼らが背を見せたとて、撃たれ続ける弾丸を防ぐ手段を
みなとたちは持ち合わせない。一方的な攻撃に晒されるということがどれほど致命的かなど、今さら論ずるまでもなかろう。
故に取るべきは攻勢の一択。逃げられるよりも先に間合いを詰め、一撃で以て首を取るのが最適解だ。
「行こう、ライダー。僕らの戦いはここで終わるものじゃない。今は彼よりあちらを優先すべきだろう」
マキナは何を言うでもなく、先ほどまでの過熱ぶりが嘘であるかのように、ただ静謐の面持ちで
みなとに追随した。その視線は既にストラウスから離れている。
不動のまま立ち尽くすストラウスの横を、歩むマキナがすれ違った。二人が交錯するその瞬間、マキナは小さくストラウスに呟く。
「……この舞台にラインハルトは関係ない。俺達は、ただ俺達のままこの都市に呼び出されたのだ」
それだけを残して、マキナと
みなとは勢いよく飛び出し、その場を後にした。ストラウスの他には無音の静寂のみが、そこに残された全てであった。
「……」
周囲には誰もいない。それを、五感のみならず魔力的な感覚においても確認したところで、ストラウスはほっと一息をついた。
当初彼が想定していた目的は全て達成された。情報を得るというのもそうだが、危険を遠ざけるという意味においても。
実のところ、ストラウスが
みなとたちに語った交戦の意思の有無については、言葉と真意を異としていた。より厳密に言うなら、"一芝居うつための交戦の意思"は存在したのだ。
ストラウスは最初から、遠方よりこちらの様子を伺う気配に気づいていた。故に、その真意と行動、及び素性を探るためにマキナを相手に軽く刃を交わしたのだ。結果としてはご覧の通り、こちらの隙を伺い射殺しようとする強硬派であることと、ストラウスが求める人材ではないという事実が判明したわけだが。
そしてそれは、マキナとて最初から承知していただろう。何故なら、為された破壊の規模があまりにも小さすぎるからだ。地面に穿たれた踏み込みによる破壊以外、ここには何の破損も見受けられない。
当初語った通り、ストラウスとマキナが本気で激突した場合、被害はこんなものでは済まないはずなのだ。本気で彼を獲ろうとすれば、最低でも区画の一つは更地となるだろう。場合によっては街一つが地図上から消滅するかもしれない。
故に、先ほどの戦闘はストラウスだけでなくマキナの側もまた、様子見に徹する程度の力しか出していなかったのだ。そしてこちらと同じく、狙撃主のいる方角に意識を割きながら戦っていたことは、その様子から容易に察することができた。
マスターの滞在するホテルからマキナと狙撃主という二つの危険要素を遠ざける。そして必要な情報を取得する。この二つの達成を、ストラウスは成功させることができた。
しかし、彼の表情は成功者のそれとしてはあまりに晴れず、浮かばないものであった。
「そうか……少なくとも、最悪の一つは当たらずに済んだということになる」
ストラウスがマキナの真名を看破できたのは、何も彼が不手際を仕出かしたわけではない。単純に、先刻戦った赤騎士との類似性から推察したという、ただそれだけの話だ。
聖槍十三騎士団黒円卓。元はヒムラーの遊戯でしかなかったはずのオカルト集団が、本物の魔人と化したことを知る者は少ない。そしてその内情は、血と戦争に狂ったウォーモンガーには留まらないものがあった。
黒円卓第一位、破壊の君、愛すべからざる光、黄金の獣。かの如き存在がこの地に絡んでいないという事実は、例えそれが仮定であったとしても喜ばしいことになるだろう。
ただし、それが真実だとすれば───死せる英雄でさえも傀儡となる絡繰りがこの地上に顕現していることの証左となるのだから、彼の表情が晴れることには繋がらない。
例えグラズヘイムがなかろうと、この世界が地獄であることに変わりはないのだから。
「つまるところ、黒円卓は無視して構わないということだ」
黒騎士の言が真実と仮定すればそういうことになる。彼らはどこまで行っても外様の異人、この舞台に関係する根幹とは成り得ぬ端役でしかない。
この時点で、ストラウスが求めるべき人物像というのは大凡形となっていた。そして、自らが何者であり、何をすべきかということも。
それすなわち、この地に遺された外史に記されしあり得ざる英雄。
曰く、人生の無常と真理を悟りし者の名を冠した三人の稀人たち。
曰く、人理においてその守護の最たるクラスで呼び出される、人類の代表者にして現世と無意識を繋ぐ架け橋となる者たち。
そして、その一人は───
「……私としても、第一ではなく第二か第三に託したいところではあるのだがな」
事ここに至っても現れぬということは、つまりそういうことなのだろう、と。諦観するように、あるいは自嘲するように呟いて。
「私も、マスターと同様に答えを出さなければならないか」
それでも、立ち止まるわけにはいかない。自分が召喚されたその時から───いいや、この世界が閉ざされたその瞬間から。
すべて、すべて。最初から分かりきっていたことなのだから。
▼ ▼ ▼
「な……」
信じ難いことが起きた。生じたその感情を一切隠すことなく、アーチャー・
東郷美森は驚愕に顔を歪ませた。
現在彼女がいる地点より2㎞先、かねてより目をつけていた主従が他サーヴァントとの戦闘に入ったことを確認した彼女は、彼らが最大の隙を晒す瞬間を今か今かと待ち伏せ、そして満を持して精密狙撃を放った。それが、つい数瞬前の話である。
結果的にそれは外れた。というよりは外されたと言ったほうが的確か。それは躱されたわけでも、障壁の類で防がれたのでもない。あろうことか、中空にて叩き落されたのである。それはつまり、美森渾身の狙撃弾が完全に捕捉されていたということに他ならない。ともかく、彼女の放った弾丸は標的を貫くことなく一人の脱落者も出すことはなかった。
予想外の、そして最悪の事態であった。美森は敵情を把握するため、そしてあわよくば更なる追撃を放つために手元のスコープを覗きこむ右目を更に細めて。
「───あぐっ!?」
その瞬間に発生した出来事は、焦燥に支配された美森の思考を更なる混乱の坩堝に叩き落した。
"突如として、彼女が構えていたライフル銃が暴発した"。敵の一人、黒衣を纏った蒼髪の男に照準を定めようとした刹那、高速の何かが飛来し美森のライフル銃に着弾したのだ。爆発・分解したライフル銃の破片が弾かれるように後方へと四散し、衝撃にもんどりうって思わず尻餅をついてしまう。
この時の彼女は知る由もないが、それは黒衣の男───ストラウスが放った魔力弾であった。構えられた銃口へと正確に着弾させ、かつライフル銃を完全に破損させつつ美森に痛打の一つも与えない精密性は常軌を逸しているとしか形容の仕様がなく、曲がりなりにも銃士であるためにそれを直感的に理解した美森は感嘆よりも先に恐怖を感じ入ってしまう。
更に最悪は続くものであり……破壊されたスコープを覗いた瞳が映した最後の光景には、こちらに向かって一直線に進撃してくる軍服のライダーの姿があったのだ。
(一時撤退……ううん、そう簡単に逃がしてくれるわけない。でも、まともに立ち向かってどうにかなる手合いじゃない……!)
故に取るべきは撤退戦。即座に中空より二挺の小銃を具現化し、180度反転して脱兎のごとくに駆け出す。そのまま振り返ることなく後ろ手に引き金を引く。撃鉄の音とマズルフラッシュの閃光が連続して耳と目に届くも、こちらへ向かってくるサーヴァントの気配はその存在感を一切減衰させることはない。外れたか、それとも叩き落されたか。そこに大きな違いはなく、つまり美森の攻撃は功を奏していないということだ。
鋼の大塊が迫りくるような圧迫感が背中越しにひしひしと感じられる。鳴り響く軍靴の音が、積もる焦燥の念を強くさせる。
「あんなのとやり合うなんてまっぴら御免……けど!」
絶体絶命の窮地。しかし、それでも彼女は諦めるわけにはいかない。ここで死ぬつもりはないし───何より、為すべき願いというものが彼女にはあったから。
「勇者部五箇条一つ、なるべく諦めない……!
そうよね、友奈ちゃん……!」
そう言って、美森は笑った。強がるように、何かを諦めないように。
終わらない悲劇からみんなを救うのだという、世界諸共大切な人を殺害する安楽死の願いを抱いて。
とっくの昔に全てを諦めた少女が、今さらになって勇者の在り方を夢見ていた。
【B-2/路地裏/一日目 夕方】
【
アイ・アスティン@神さまのいない日曜日】
[令呪] 三画
[状態] 疲労(中)、魔力消費(小)、右手にちょっとした内出血
[装備] 銀製ショベル
[道具] 現代の服(元の衣服は鞄に収納済み)
[所持金] 寂しい(他主従から奪った分はほとんど使用済み)
[思考・状況]
基本行動方針:脱出の方法を探りつつ、できれば他の人たちも助けたい。
0:ランサーさん、嘘ついてますよね。
けど助けます。
1:世界を救うとはどういうことなのか、もう一度よく考えてみる。
2:
すばるたちと合流したい。然る後にゆきの捜索を開始する。
3:生き残り、絶対に夢を叶える。 例え誰を埋めようと。
4:ゆきを"救い"たい。彼女を欺瞞に包まれたかつての自分のようにはしない。
5:ゆき、
すばる、アーチャー(
東郷美森)とは仲良くしたい。
[備考]
『幸福』の姿を確認していません。
ランサー(
結城友奈)と18時に鶴岡八幡宮で落ち合う約束をしました。
【セイバー(
藤井蓮)@Dies Irae】
[状態] 魔力消費(小)
[装備] 戦雷の聖剣
[道具] なし
[所持金] マスターに同じく
[思考・状況]
基本行動方針:アイを"救う"。世界を救う化け物になど、させない。
1:聖杯を手にする以外で世界を脱する方法があるなら探りたい。
2:悪戯に殺す趣味はないが、襲ってくるなら容赦はしない。
3:少女のサーヴァント(
『幸福』)に強い警戒心と嫌悪感。
4:ゆきの使役するアサシンを強く警戒。
5:市街地と海岸で起きた爆発にはなるべく近寄らない。
6:ヤクザ連中とその元締めのサーヴァントへの対処。
[備考]
鎌倉市街から稲村ヶ崎(D-1)に移動しようと考えていました。バイクのガソリンはそこまで片道移動したら尽きるくらいしかありません。現在はC-2廃校の校門跡に停めています。
少女のサーヴァント(
『幸福』)を確認しました。
すばる、丈倉由紀、
直樹美紀をマスターと認識しました。
アーチャー(
東郷美森)、バーサーカー(
アンガ・ファンダージ)、バーサーカー(式岸軋騎)を確認しました。
アサシン(
ハサン・サッバーハ)と一時交戦しました。その正体についてはある程度の予測はついてますが確信には至っていません。
C-3とD-1で起きた破壊音を遠方より確認しました。
ライダー(
ドンキホーテ・ドフラミンゴ)を無差別殺人を繰り返すヤクザと関係があると推測しています。
【ランサー(
結城友奈)@結城友奈は勇者である】
[状態]覚悟、ダメージ(中)、精神疲労(小)、左腕にダメージ(小)、腹部に貫通傷(外装のみ修復、現在回復中)
[装備]
[道具]
[所持金]少量
[思考・状況]
基本行動方針:マスターの為に戦う
1:ライダーは信用できない。いずれ必ず、マスターを取り戻す。
2:マスターを止めたい。けれど、彼女の願いも叶えてあげたい。
3:敵サーヴァントを斃していく。しかしマスターは極力殺さず、できるだけみんなが助かることのできる方法を探っていきたい。
4:あの女の子の犠牲を無駄にはしない。二度とあんな悲しいことは起こさせない。
5:孤児院に向かい、マスターに協力を要請する。
[備考]
アイ&セイバー(
藤井蓮)陣営とコンタクトを取りました。
【C-2/個人商店/一日目 夕方】
【
すばる@放課後のプレアデス】
[令呪] 三画
[状態] 健康、無力感
[装備] 手提げ鞄
[道具] 特筆すべきものはなし
[所持金] 子どものお小遣い程度。
[思考・状況]
基本行動方針: 聖杯戦争から脱出し、みんなと“彼”のところへ帰る
0:少し休みたい
1:自分と同じ志を持つ人たちがいたことに安堵。しかしゆきは……
2:アイとゆきが心配。できればもう一度会いたいけど……
[備考]
C-2/廃校の校庭で起こった戦闘をほとんど確認できていません。
D-2/廃植物園の存在を確認しました。
みなとがこの鎌倉にいるかもしれないという漠然としたものを感じています。
【D-3/ホテル/一日目 夕方】
【ライダー(
アストルフォ)@Fate/Apocrypha】
[状態]魔力消費(中)
[装備]宝具一式
[道具]
[所持金]マスターに依拠
[思考・状況]
基本行動方針:マスターを護る。
1:基本的にはマスターの言うことを聞く。本戦も始まったことだし、尚更。
[備考]
アーチャー(エレオノーレ)と交戦しました。真名は知りません
ランサー(
No.101 S・H・Ark Knight)を確認しました。真名を把握しました。
アーチャー(
ローズレッド・ストラウス)と同盟を結びました。
【
笹目ヤヤ@ハナヤマタ】
[令呪]三画
[状態]魔力消費(中)、睡眠中。
[装備]
[道具]
[所持金]大分あるが、考えなしに散在できるほどではない。
[思考・状況]
基本行動方針:生きて元の場所に帰る。
0:……
1:聖杯獲得以外に帰る手段を模索してみたい。例えば魔術師ならなんかいいアイディアがあるかも
2:できる限り人は殺したくないからサーヴァント狙いで……でもそれって人殺しとどう違うんだろう。
3:戦艦が妙に怖いから近寄りたくない。
4:アーチャー(エレオノーレ)に恐怖。
5:あの娘は……
[備考]
鎌倉市街に来訪したアマチュアバンドのドラム担当という身分をそっくり奪い取っています。
D-3のホテルに宿泊しています。
ライダーの性別を誤認しています。
アーチャー(エレオノーレ)と交戦しました。真名は知りません
ランサー(
No.101 S・H・Ark Knight)を確認しました。真名は知りません
如月をマスターだと認識しました。
アーチャー(
ローズレッド・ストラウス)と同盟を結びました。
【
アティ・クストス@赫炎のインガノック- what a beautiful people -】
[令呪] 三画
[状態] 健康
[装備] なし
[道具] なし
[所持金] アーチャーにより纏まった金額を所持
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯に託す願いはある。しかしそれをどうしたいかは分からない。
0:えっと、よろしく……?
1:自分にできることをしたい。
2:落ち着いたらライダーのマスターとも話をしておきたい。
[備考]
鎌倉市街の報道をいくらか知りました。
ライダー(
アストルフォ)陣営と同盟を結びました。
【D-2/海岸線付近/一日目 夕方】
【アーチャー(
ローズレッド・ストラウス)@ヴァンパイア十字界】
[状態] 陽光下での活動により力が2割減衰、魔力消費(小)
[装備] 魔力で造られた黒剣
[道具] なし
[所持金] 纏まった金額を所持
[思考・状況]
基本行動方針:マスターを守護し、導く。
0:?????
1:現状を打破する方策を探る。
2:赤の砲撃手(エレオノーレ)、少女のサーヴァント(
『幸福』)には最大限の警戒。
3:全てに片がついた後、戦艦の主の元へ赴き……?
[備考]
鎌倉市中央図書館の書庫にあった資料(主に歴史関連)を大凡把握しました。
鎌倉市街の電子通信網を支配する何者かの存在に気付きました。
如月とランサー(
No.101 S・H・Ark Knight)の情報を得ました。
笹目ヤヤ&ライダー(
アストルフォ)と同盟を結びました。真名を把握しました。
廃校の校庭にある死体(
直樹美紀)を確認しました。
B-1,D-1,D-3で行われた破壊行為を認識しました。
『幸福』を確認しました。
廃校の資料室に安置されていた資料を紐解きました。
アーチャー(エレオノーレ)とライダー(マキナ)の真名を把握しました。
アーチャー(
東郷美森)を確認しました。
【アーチャー(
東郷美森)@結城友奈は勇者である】
[状態] 魔力消費(小)
[装備] なし
[道具] スマートフォン@結城友奈は勇者である
[所持金]
すばるに依拠。
[思考・状況]
基本行動方針: 聖杯狙い。ただし、
すばるだけは元の世界へ送り届ける。
0:逃げる。
1:アイ、セイバー(
藤井蓮)を戦力として組み込みたい。いざとなったら切り捨てる算段をつける。
2:
すばるへの僅かな罪悪感。
3:不死のバーサーカー(式岸軋騎)を警戒。
4:ゆきは……
[備考]
アイ、ゆきをマスターと認識しました。
色素の薄い髪の少女(
直樹美紀)をマスターと認識しました。名前は知りません。
セイバー(
藤井蓮)、バーサーカー(
アンガ・ファンダージ)、バーサーカー(式岸軋騎)を確認しました。
ライダー(マキナ)及びアーチャー(ストラウス)に襲撃をかけました。両陣営と敵対しています。
【
みなと@放課後のプレアデス】
[令呪]三画
[状態]魔力消費(小)
[装備]金色の杖
[道具]
[所持金]不明(詳細は後続の書き手に任せます)
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯の奇跡を用い、自らの存在を世界から消し去る。
0:追撃する。
1:聖杯を得るために戦う。
2:次に異形のバーサーカーと出会うことがあれば、ライダーの宝具で以て撃滅する。
[備考]
直樹美紀、バーサーカー(
アンガ・ファンダージ)の主従を把握しました。
バーサーカー(
ウォルフガング・シュライバー)の真名を把握しました。
アーチャー(ローズレット・ストラウス)を把握しました。
【ライダー(
ゲッツ・フォン・ベルリッヒンゲン)@Dies Irae】
[状態]健康
[装備]機神・鋼化英雄
[道具]
[所持金]マスターに依拠
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯獲得を目指す。
1:終焉のために拳を振るう。
[備考]
バーサーカー(
ウォルフガング・シュライバー)を把握しました。ザミエルがこの地にいると確信しました。
最終更新:2020年05月06日 20:25