暗闇占める禍時の中で。都市は四度、自らの体を揺さぶった。
 都市全体が鳴動するかの如き地震。震度そのものは大した規模ではない。特に一度目と二度目の揺れなど、感知できた者は都市の10%にも満たないはずだ。
 そしてその揺れが何を意味するか、理解できた者は皆無と言っていいだろう。
 それらを人は正しく理解できない。
 けれど、何かを感じたかもしれない。
 たとえば、虫の報せであるとか。
 たとえば、悪寒であるとか。
 恐るべきものを感じ取った者。多くは、悪夢としてそれを捉えたであろう。
 何故ならそれは、確かに悪夢の具現であるから。
 一度目の揺れが意味したもの。
 一度目の地響きが生んだもの。

 ───それは巨大。

 ───それは恐怖。

 ───それは、人類種を滅亡させる新たな生態系の形であるのか。

 天神の頂点種・バーテックス。それを呼び寄せるための空間振。
 それこそが一度目の揺れの正体であり、亜種平行世界を経て顕現した巨大な悪夢であり現象であった。

 それを多くの人々は目にした。故に、彼らは二度目以降の揺れを感じ取ることができない。
 恐怖に身を駆られてか、あるいは文字通りに食い殺されてしまって。
 二度目───鳥カゴ発動に際する地鳴りを。
 三度目───相模湾沖合にて投下された、ヒロシマの炎そのものである原子爆弾を。
 四度目───都市そのものを覆う、焦熱世界たる激痛の剣を。
 見た者はいない。呼び出された超常種たるバーテックスすら、リトルボーイと焦熱世界の炎によって悉くが焼き尽くされてしまったこの鎌倉で。
 正しく現実を認識できているのは、最早聖杯戦争参加者のみであると断言して良かった。

 ───いや。

 ───そもそも未だ生存している者が、果たしているかどうかさえ。



「ひどい……」

 源氏山の山頂近くから街を見下ろすキーアの言葉に、蓮は何も返すことができなかった。
 彼女の言葉そのままだ。この惨状を表現するには、酷いの一言があれば事足りる。それほどの有り様である。
 今や鎌倉の街は綺麗さっぱり消滅していた。見渡せどもあるのは廃墟と呼ぶことすら烏滸がましいほどに崩壊したかつての街並みだけだ。
 一面が赤く炎と熱に晒され、至るところで赤茶けた地面が露出している。まともに形を保っている建築物自体が稀で、ほとんどは根こそぎ瓦礫となっているか良くて半ばから倒壊しているかである。
 焦熱世界の炎熱が地表に到達する前に消滅した以上、中には形を保ったものもあるが……果たして生存者の姿をそこに求めていいものか。
 動く影は皆無、人はおろかバーテックスさえ死に絶えた大地がそこには広がっていた。

「……」

 蓮は押し黙る。キーアがこの街に来てからの経緯を、騎士王から聞いているからだ。
 この少女は孤児院の院長に拾われ、そこで今日までを過ごしてきた。孤児や職員たちとの仲はすこぶる良かったと、そう聞いている。
 場所は確か笛田方面、ここからずっと西のほうだ。鎌倉市街の中心地よりは被害も少ないだろうが、彼らが無事でいるかは分からない。この惨状を前にしては、下手な希望を持たせるほうが酷とさえ言えるだろう。
 この齢十にも満たないであろう少女にそのことを伝えるのは、正直蓮としても心が重かった。平時であるなら、言葉を濁すくらいのことはしたかもしれない。
 だが今は一刻を争う事態である。騎士王が傍にいる以上大事には至らないと信じたいが、蓮のマスターであるアイも今この場を離れてしまっているのだ。
 だから今は非情なれども言葉を偽る時ではないと、蓮はキーアに声をかけようとして。

「……行きましょう。アイと、すばるのところへ」
「お前……」

 告げられた言葉に、伸ばしかけた手が止まる。
 振り返ったキーアは屹然とした表情をしていた。口を真一文字に結び、しっかりとこちらを見据え、何ら弱気なところは見られない。
 それは、覚悟を決めた人間の顔だった。

「……本当にそれでいいんだな?」
「ええ。だってそれが、あたしにできることだから」
「我儘を言う権利くらい、お前にだってあるぞ」
「ならそれがあたしの我儘なんだわ。大切なものを天秤にかけて、"可能性が高いから"なんて理由でどっちか一つを選ぶ、それがあたしの我儘。
 あたしね、アイやすばるには、梨花みたいになってほしくないの」

 微かに笑って言うキーアの言葉は、確かにその通りだ。
 仮に今彼女と自分が孤児院なり他の場所なりに行ったとして、そこで行えることなど何もない。治癒の術も蘇生術もなく、大勢を一度に安全圏へ避難させることも叶わない。自分達の行動は単なる時間の浪費と堕する。そもそも彼らが今もなお生きているのかさえ分からないのだ。
 だがアイやすばるといった面々の下へ行けばどうか。蓮という戦力を適切に投入することも叶うし、マスターたるキーアが物理的近距離にいるというだけで騎士王の霊基も補完強化される。そして何より、今も確実に生きているだろう彼女らを救うこともできる。
 理屈だけで考えれば、どちらを選ぶべきかなど子供でも分かる。
 だが人とは理性だけの生き物ではない。"それでも"と思ってしまう感情を、人はなくすことができない。

 けれどキーアは、理性と感情の双方で選ぶべきを選んだ。

 優しい子だ。そして聡明な子でもある。
 何もかもを抱えるのではなく、何かを選んで何かを選ばず、そのことに葛藤を覚えども決意を揺らがせることのない。
 ごく普通の強く優しい子だ。

「なるほど、な」

 だからこそ眩しく思う。
 狂気からではなく、諦観からでもなく。無知や愚かさや自棄の感情からでもなく。
 健やかな成長の結果として、その心を持つことのできるこの少女を。
 願わくば、我がマスターもこのようにあってほしいとさえ、蓮は思いながら。

「騎士王みたいなのが召喚されるわけだ。人のこと言える立場じゃないけど、縁召喚ってのもつくづく馬鹿にできないよな」
「……セイバー?」
「こっちの話。それと悪いな、変に引き止めちまって」
「ううん、いいの。あなたはあたしを気遣ってくれたんでしょう? なら、謝るのはあたしのほうだわ」

 そう言って微笑みかけられ、思わず目を逸らしてしまう。
 何もかもお見通しといったような眼差しだ。やはり人間、慣れないことはするべきじゃないなと改めて思う。

「……じゃあ、行こうか。この有り様だから移動は相当荒っぽくなっちまうけど、そこは勘弁してくれよ」
「ええ。よろしくお願いしますね、セイバー」

 閑話休題。
 彼らの行うべきは戦場への帰還であり、目的は同胞らの救援と敵の排除にある。
 すなわち、聖杯を求めぬ輩の救援と、聖杯を求める者の殲滅。
 それは聖杯戦争の意義に反する行いだ。
 許されるわけがない。そう、少なくとも。
 少なくとも、高みに坐し都市を見下ろす者は、それを赦しはしまい。
 ───ゆえに、それはやってくるのだ。

「───、ッ!?」
「え、なに……?」

 突如、轟音が響く。
 地面が鳴動し、周りの木々が衝撃に揺れる。
 何かが───
 何かが、激突した音だ。
 高速で飛来した何かが、すぐ近くに。
 キーアはそれを認識しない。目も耳も、それが何であるのか判別することはできない。
 蓮も同じだ。だが、彼は五感とは別個の感覚により、それが何であるのか瞬時に察することができた。
 サーヴァントの気配。
 肌に突き刺さるその感覚を、蓮は覚えていたから。

「……キーア」
「セイバー? これ、何が……」
「逃げろ。できるだけ早く、遠くに」

 キーアを降ろし、蓮は自分の背後へと逃避を促す。
 不安そうに見上げる先、蓮の表情は強張って、轟音の出所を一直線に見つめている。

 重苦しいまでの静寂の中、にわかに鳴り響く虚ろな足音。
 木々の影から現れたその女は、酷く奇矯な姿をしていた。
 戦場にはおよそ場違いなゴシックロリータ、左目を覆う眼帯。そして右手そのものを接ぎ代えたと思しき、華奢な少女の体とは不釣り合いな巨大鋼鉄義手。
 武骨で無機的なその右手がゆっくりと持ち上げられ、軋むような金属音と共に指が握られる。踏みしめられた足が足元の草花を潰し、砂利の擦れる音が反響した。
 その手は少女自身の持つ見た目の奇矯さなどよりも遥かに不吉なイメージを見る者に叩きつけて、白銀色の鋼鉄は夜闇になお不気味に光を放ち、物々しい音はまさしく敵手撃滅のための駆動音に他ならない。
 女は、バーサークセイバー針目縫は、今や正気の色さえ失った瞳で蓮を見つめ。

「▂▂▅▆▆▂▅▆▂▅▆▇▇▇▇▇▅▆▆▆▇▇▇!!」

 歪な叫びと共に、猛烈な勢いで地を蹴ったのだった。





   ▼  ▼  ▼




 バーサークセイバー。そのクラスが示すものは何か?
 およそ通常のサーヴァントではあり得ないほどに破損した霊基、他のクラスにバーサーカーの固有スキルを上書きする外法めいた術式。
 幾人もの死体を継ぎ接ぎすることで作りだされた怪物、フランケンシュタインの残骸が如き有り様。
 外付けの右腕と合わせ、文字通りの繋ぎ合わせた死体としか形容のできないその姿。
 令呪による狂化の強制だけではここまではならない。
 二重召喚による属性付与でも考えられない。
 ならばこそ、これが意味するのは───










 轟音、爆砕───周囲の木々を破壊しながら疾走する二つの影。
 幾重にも繰り出される斬撃と拳打が地面と周辺物を抉り、瓦礫が二人へ嵐の如く降り注ぐ。
 瞬く間に爆心地めいた廃墟と化した周辺一帯を、火花と閃光が染め上げていく。
 その中で明暗はすぐさま分かたれた。当然の結果が訪れる。

「が、ッ……!」

 放たれる鋼の拳が掠った瞬間、総身を襲う悪寒と共に肉片が爆散した。花火のようにはじけ飛ぶ血肉、そして襲う不可解なまでの激痛。
 抉られたのは膵臓近く、幸いにも致死のものではなかったが、鋼の右手の脅威は僅か数合にして蓮を劣勢に追い込んでいく。
 それも然り、彼女の拳打は触れれば終わり。一直線的な破壊だけでなく命中対象を全方位から圧壊させる。今の一撃にしても、仮に女に歴戦の戦闘技術が備わっていれば命は潰えていただろう。
 針目の高ぶりは狂化を受けてなお最高潮。ただ破壊と迅速に特化した暴威が蓮の反撃を許さない。
 喪失した理性は繰り出す攻撃を獣の乱雑さに貶めているが、彼我のスペック差を鑑みればさしたる問題にはならないだろう。
 今の針目は純粋なステータス値で、蓮を遥か圧倒した領域に到達し、恐ろしくも今もなお上昇を続けている。
 バーサーク化によって塗り潰された自我が、中途半端に人間だった針目の有する属性を一気に人外のものへ傾けていく。
 今も尚跳ね上がる狂化ランク、比例して上昇する身体スペック。
 文字通りに怪物的だ。それは、かつて垣間見た黒円卓の魔人たちと同じように。

「▂▂▅▆▆▂▅▆▂▅▆▇▇▇▇▇▅▆▆▆▇▇▇!!」

 穿ち打ち砕かんとする連撃が怒濤となって襲い来る。呼吸を読むも糞もなく、隙だらけの挙動を強引に踏み躙りながら接近してくる力任せの戦法。
 無論それとてある程度までなら対処も可能である。事実として、蓮は午前の段階で己よりもステータスの高いバーサーカー二騎を同時に相手してもなお互角に渡り合うことに成功している。つまり逆を言えば、"ある程度"を超越した相手ではどうにもならないということ。
 眼前の相手は、間違いなく異形と鉄塊のバーサーカーたちの総力すら上回る戦力を持っている。狂化の度合いもそうだが、単純に素体となった英霊の格が彼らよりも上なのだろう。彼女は今も己の優位を自覚し頭ごなしに踏み躙ろうとしてくる。その様はまるで常人では抗えない津波のようで、蓮はただその暴威を逸らし続ける他にない。
 救いがあるとすれば、当然の話だが挙動の全てが子供のチャンバラよりも尚酷い単純極まりないものとなっていることか。少なくともマキナや騎士王のような、力と技を完全一致させてくる手合いよりはやりやすい。
 その僅かな隙をか細い希望と手繰りながら、疾走しつつ互いに撃を流星のように放ちあう。
 しかし趨勢は取り戻せない。針目が押し込み、蓮が凌ぐ。
 それが最早戦闘の始まって以来、覆せない構図になっていた。

 その理由は三つある。一つは言うまでもなく身体スペックの差、そして二つ目は針目が元来より保有する宝具によるものだ。
 生命繊維の怪物(カヴァー・モンスター)。それは同ランク未満の攻撃に対し強い耐性を持つという防御型の常時発動宝具。
 極限まで高まった耐久性と相まって、今の針目が持つ防御能は圧倒的だ。剣閃も雷撃も、先程から幾度も針目に直撃しているが何ら効果を発揮していない。
 そして三つ目は、まさに彼女の繰り出す攻撃そのものにあった。
 一撃圧壊の究極と化した針目は最早圧倒的で、蓮はただ避け続けて戦っている。刃を中空でぶつけることさえ、入念に回避していた。
 圧死の権能───《打ち砕く王の右手》。
 触れるものを全方位より空間的に圧壊させ、粒子の単位まで粉砕する打撃の究極。
 蓮がその性質を看破できたのは周辺環境に因るものが大きい。木々の密生したこの戦場において障害物は多く、針目が拳を振るう毎にそれが飛び火を受けるように次から次へと砕けていた。
 そのおかげで相手の能力を察知し、かつ永劫破壊による第六勘で常に相手の挙動をいち早く感じ取ることで事前の回避を可能としていた。
 彼は知らないことではあるが、針目がこうして鋼の右手を多用しているのは使い慣れた片太刀バサミを失ったことに起因している。理性を失くしても己が半身とも言うべき武器は手に馴染むのか、先ほどまでの彼女は頑なにあの武器の使用に固執していた。仮の話だが、針目が最初から片太刀バサミではなく王の右手を使っていたならば、少なくともドフラミンゴ程度ならば簡単に勝ちを拾うことができただろう。
 そのような一撃必殺を無数に連打しながら、針目はバーサーカーが故の圧倒的な身体能力を駆使して高速移動を行っている。高レベルの攻撃と速度を入り混ぜた戦法は単純だがそれ故に隙がなく、確実に蓮の体力を削りつつあった。
 それはまるで、あの廃校舎での一戦であるかのように。

「──────」

 そう、何もかもが同じ。
 バーサーカーの相手をするのも、そいつらが自分よりも優れた能力を持ち合わせているのも。
 ただ腕を振り回し、叩きつけるだけの粗暴な拳。
 同じだ。あの鉄塊と光剣と何もかも。
 だから。

「馬鹿かお前たちは」

 悪態を吐きながら、放たれた鉄拳を刹那で躱す。
 立ち昇る煙から視界が阻まれ、そこを貫いて機関砲の如き洗礼が襲い掛かってきた状況に舌打ちを漏らしながら、しかし言葉は止まらない。

「まるで怪物そのものだ。わざわざセイバークラスの優位性を捨ててまで取ったのがその獣性かよ」

 持ち味の棄却、人間性の放棄。それをなんて馬鹿なのだろうと心底思う。
 最初からバーサーカーとして召喚されたならともかく、これに関しては完全な後付だ。一度は完成した英霊を無粋なもので塗り潰している。
 それは確かに数値上は多大な戦力向上をもたらしているが、それだけだ。英霊のバーサーク化など、真っ当に考えて愚行もいいところだろう。
 一体誰の差し金か、おおよそ見当はつく。このバーサークセイバーにしろ先程の異形たちの襲来にしろ、あまりにもタイミングが良すぎるのだ。
 八幡宮に巣食う『幸福』の討伐、すなわちこの街を繋ぎとめる楔とやらの消失のタイミングに。

「どこの誰だか知らねえけど、とりあえず一つだけ分かることがある。
 こいつを作り出した奴は戦闘の素人だ。見かけの強さに目を取られて、それ以外の何も見えちゃいない」

 自身へと向けられた拳打は視界を覆わんばかりの大数で、だが舐めるなと蓮はそれらを回避する。回避しながら怒りを抱く。
 これだけ素直ならば地力で劣っていようが回避は間に合う。
 マキナや騎士王と違ってあまりに稚拙なこの軌跡、廃校舎で見えたバーサーカーたちと同じだ。なんて素直なのだろう。
 故にこいつのみならず、その後ろにいるであろう連中の魂胆も透けて見える。
 それだけ焦ったのか? それだけ力づくで何もかも破壊したくなったか?
 なんて分かりやすい。こいつの拳打よりもなお稚拙な思考。黒幕気取りが聞いて呆れる。

 自らの後方で起こった爆発を推進の力として、蓮は前へと駆ける。
 もうこれ以上見ていられない。
 よっていざ、哀れな敵手との決着をという一念に、迷いは心に一切なかった。

「止めてやるよ。お前もいい加減付き合いきれないだろ」

 迫りくる狂人を仕留めるべく総身に更なる力をこめる。
 まるで舞い踊っているかのように、追いかけっこをしているかのように、両者の疾走は止まらない。
 互いの致命に至らない破壊を繰り返し、今や源氏山の全てが戦場と化していた。
 サーヴァントの上限にまで到達した筋力から繰り出される疾走動作により、ただ走るだけで針目の通過した地点は爆撃めいて破裂し地形そのものが倒壊していく。
 足場を変え、舞台を変え、ただひたすらに疾駆しながら───そして。

「▂▂▅▆▆▂▅▆▂▅▆▇▇▇▇▇▅▆▆▆▇▇▇!!」

 刹那、躱した拳が管理棟の壁面へと突き刺さり、轟音が響き渡って攻防の衝撃に耐えられなかった建築物一棟、またも大きく傾き始めた。
 二人は隣のビルディング壁面に飛び移り、垂直に駆けあがる。屋上へ向かい走る蓮に追う針目。背後から迫る狩人へ、しかし蓮は一切の脅威を抱かない。
 それを理解してか否か、どちらにせよ変わらないと叫ぶように、吼える針目は蓮を殴滅するべく轟閃をより滾らせる。彼女は最早止められない。

 そして、屋上へと到達したと同時───
 流れ星のように上空へ飛びあがり、墜落して来る針目。バーサークサーヴァントの暴威そのままに、蓮の防御を一直線かつ力任せに撃ち抜こうと飛翔する。
 技で劣ろうが生来の圧倒的能力で蹂躙する。それこそが人外の在りようであり、人間如き矮小な存在に抗う術はなく。

「ッ、──────」

 直撃の瞬間、寸でのところで回避した拳が、すぐ目前を薙ぎ穿つ。
 凄まじい衝撃に視界が明滅しながら、しかし動じることなく至近距離より相手と目が合う。
 獰猛な目つき、殺意一色の瞳。
 ああ、分かっていたことだけど。

「やっぱりどうしようもないよ、お前」

 敵意ではなく純粋な哀れみからそれだけを告げて、刃の魔力を充填させビルの一角を切り裂いた。
 着地すべき足場そのものを切断され、二人はそのまま揃って地面へ落ちていく。
 自由落下の浮遊感に襲われながらそこで初めて、針目は言いようのない危機感を抱く。
 理屈ではない。それを考えるだけの理性は存在しない。それでも感じられる正体不明の悪寒。
 だが───それでも構わないと狂女は咆哮する。今の二人は共に中空、足場のない虚空で身動きは取れず、ちょこまかと小賢しい小蠅を討ち取る好機に他ならない。

「▅▆▆▆▅▆▇▇▇▂▅▅▆▇▇▅▆▆▅!!」

 咆哮一轟、渾身の力で放たれた拳は一直線に、蓮の無防備な胴体へと吸い込まれるようにして着弾。
 総身を貫いた衝撃に、蓮の体はくの字を描き、重力方向とは全くの逆、すなわち上空へと跳ね上げられた。
 ぐらりとよろける蓮。獰猛な笑みを勝利への確信に歪める針目。
 打ち砕く王の巨腕に穿てぬものはなく、故にこの勝負は針目の勝利に終わったのだと───


「そうだ、それを待っていた」


 そのはずであるのに。
 跳ね上げられた蓮の表情に、痛苦の色は皆無。
 ばかりかその顔には不敵な笑みを浮かべてすらいた。

 胴体を貫いたはずの鉄の腕。
 蓮の右手はそれを受け止めるように、鉄の腕を鷲掴みにしている。
 だがおかしい。理屈が通らない。たかが手のひらの一つや二つ、その程度で阻めるような威力ではなかった。
 ガードに腕を置いたならその腕ごと、王の巨腕は蓮の総身を微塵にできたはずなのに。
 何故、藤井蓮は一切のダメージを負っていないのか。

「真名解放───疑似宝具展開」

 至極当然の理屈である。
 神造宝具『超越する人の理(ツァラトゥストラ・ユーヴァーメンシュ)』、それは遍く神秘を自らのものとする支配権強奪の権能なれば。
 自らに向けて放たれた鉄の腕さえも、片端から触れた瞬間に所有権を上書きすることも可能である。
 今までの攻防は、いわばその見極めのためにあった。継ぎ接ぎの歪な霊基構造、明らかに後付された鉄の腕、ならばそれは英霊の肉体そのものではなく取り換えられた武装の類なのではないかと。
 そして鉄の王の一撃を確実に無力化し、かつ返しの一撃を確実に相手に叩き込むにはどうすればいいか。
 全てはこの瞬間のためにあった。中空で身動きが取れないのは針目も同じ。故に今この時、蓮によって簒奪された破壊の腕を避けることは彼女には叶わず。

「▂▅▆▇▇▇▇▇▅▆▆!」

 事態を悟って叫ぶがもう遅い。
 振り上げられた拳は何も変わらず、しかして簒奪した破壊の概念が込められた一撃であればこそ。
 狂気以外の何もかもを失った針目に、今さら防げる道理もなく。

「王の巨腕よ、打ち砕け───!」

 ─────────────!

 ───打ち砕き、粉々に消し飛ばす。
 ───鋼鉄を纏う王の右手。
 ───それは、虚影をも破壊する巨大な塊。
 ───おとぎ話の、鉄の王の腕。

 蓮の腕より導き出された巨王の力は、高密度の質量を伴って針目に激突した。瞬時に破壊する。
 叫び声を上げる暇もなく、超質量に圧された針目は崩壊した。
 全身のあらゆる場所を、あらゆる部位を。
 ばらばらに、粉々に、打ち砕かれて。

 けれど。

「▂▅▆▇▇▇▇▇▅▆▆!」

 それでも、これは圧死により命を失った可能性たちの慟哭に非ず。願いに狂った哀れな女に宿った偽王の力なれば。
 肥大化した霊基を持つ針目を完全に打ち砕くことあたわず。未だ命を繋ぐ針目は、尽きせぬ殺意を以て喉を震わすけれど。

「▅▆▆▆▅▆▇▇▇▂▅▅▆▇▇▅▆▆▅!!」

 衝撃と爆轟の向こう側から、
 突き出される一条の光。

 細く鋭い蒼白の光が、叫ぶ針目の口腔を貫いたかに見えた。
 だが、それは本来彼の右手にあるべき物が現界したというだけのこと。

 ───長大な剣が、針目の喉を貫いて。
 ───無慈悲に、地面へと縫い付ける。

「言ったろ、止めてやるってな」

 貫く勢いのまま、剣と共に降り立って。蓮は柄を強く握り感慨なく魔力を充填する。
 瞬時、放出される多量の雷撃が、漆黒の夜空を裂いて空へと駆け抜けた。

 今度こそ、何の声もなかった。
 音を出すべき声帯ごと焼き切られて、針目の総身は無慈悲に炭化していく。
 声もなく、音もなく。
 歪められた命が、刈り取られて───

 ………。

 ……。

 …。





   ▼  ▼  ▼





「あれは間違いなく、真っ当なサーヴァントじゃなかった」

 源氏山の麓、既に全てが崩壊しきった都市を歩く影が二人。
 蓮はキーアを連れ立って、気持ち急ぐように足を進めている。

「この聖杯戦争自体ハナから異常しかなかったが、あれは特級の例外だな。まともな部分が何一つとしてない。
 見た感じはすばるのロストマンと似通ってるけど、根本的に別物だった。ある一点に特化してる分、分かりやすくはあるけど」

「え、えと、つまり?」

「俺達みたいな真っ当な参加者とは違うってことだよ。お前の目から見て、クラス名とかどうなってた?」

「セイバー……だったはず。けど、あんなの……」

「そうだな。言いたくなる気持ちも分かる。
 あれは確かにセイバーだったけど、同時にバーサーカーでもあった。二重召喚の類じゃない、霊基そのものにバグが生じた類の代物だ。
 普通の手段じゃあれは生み出せない。しかもあいつ、マスターとの魔力パスすら通じている気配がなかった。
 サーヴァントなのにだぜ? 明らかにおかしいだろ」

「でも、それじゃ誰が……」

「断定はできないけど推察はできる。けど俺達だけじゃ早計だから話を持ち寄って情報共有しましょうってとこ。
 まあ騎士王たちと早いとこ合流しなきゃならない理由が増えたってだけだな。あんま深く考える必要はない」

「うーん……」

 キーアは難しい顔で黙り込むが、実のところ蓮も詳しいことが分かるわけではないのだ。
 彼女に言った通り、まずはアーサーたちと合流する必要がある。戦力的にも情報的にも、今の状況は些か拙いのだから。

 と、

「───あれ?」

 ふと。
 キーアはその足を止め、どこか虚空を見遣る。

「どうかしたのか?」

「……ごめんなさい。今、何かが」

 目を凝らすキーアの見つめる先、何かが見えたという場所。
 けれど、そこには何もない。

 何もないはずの虚空だ。誰も、何の気配さえもありはしない。
 ただ崩れた瓦礫と無人の空間が広がっているだけだ。

 そのはずの空白である。
 少なくとも、蓮にはそうとしか見えなかった。

 けれど。

「ねえ、誰か───」

 問いかける声は真剣そのもので。
 そこに冗談の類は微塵も含まれていなかったから。

「誰か、そこにいるの……?」

 投げかけられるキーアの声に。
 今この時だけは、蓮は何も言うことができずに。



「───キーア?」



 ───茫洋と囁かれるその返答に。

 ただ、身を構えることしかできなかったのだ。





『B-2/源氏山公園/一日目・禍時』

【キーア@赫炎のインガノック-What a beautiful people-】
[令呪]三画
[状態]魔力消費(中)、決意、赫眼発動?
[装備]なし
[道具]なし
[所持金]子供のお小遣い程度
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯戦争からの脱出。
0:あなたは……
1:もう迷わない。止まることもしない。
[備考]
現在セイバー(藤井蓮)と行動を共にしています。


【セイバー(藤井蓮)@Dies Irae】
[状態] 右半身を中心に諧謔による身体破壊(中・修復中)、疲労(大)、魔力消費(中)
[装備] 戦雷の聖剣、《打ち砕く王の右手》
[道具] なし
[所持金] マスターに同じく
[思考・状況]
基本行動方針:アイを"救う"。世界を救う化け物になど、させない。
0:目の前にあるのは一体なんだ?
1:聖杯戦争の裏に潜む何者かに対する干渉手段の模索。アーサー王と合流してこの異常事態への情報を共有したい。
2:悪戯に殺す趣味はないが、襲ってくるなら容赦はしない。
3:ゆきの使役するアサシンを強く警戒。だがこの段階においては……
4:ロストマン(結城友奈)に対する極めて強い疑念。
[備考]
バーサーカー(アンガ・ファンダージ)、バーサーカー(式岸軋騎)を確認しました。
すばる&アーチャー(東郷美森)、キーア&セイバーアーサー・ペンドラゴン)とコンタクトを取りました。
アサシン(ハサン・サッバーハ)と一時交戦しました。その正体についてはある程度の予測はついてますが確信には至っていません。
C-3とD-1で起きた破壊音を遠方より確認しました。
ライダー(ドンキホーテ・ドフラミンゴ)を無差別殺人を繰り返すヤクザと関係があると推測しています。
ライダー(ゲッツ・フォン・ベルリッヒンゲン)及びアサシン(アカメ)と交戦しました。
ランサー(結城友奈)の変質を確認しました。
セイバー(アーサー・ペンドラゴン)と情報を共有しました。
針目縫から《打ち砕く王の右手》の概念を簒奪しました。超越する人の理により無理やり支配下に置いています。


アティ・クストス@赫炎のインガノック- what a beautiful people -】
[令呪] 三画
[状態] 正体不明の記憶(進度:小)、忘我、認識阻害、誘導暗示
[装備] なし
[道具] なし
[所持金] アーチャーにより纏まった金額を所持
[思考・状況]
基本行動方針:抱く願いはある。けれどそれを聖杯に望む気はない。
0:───あたしは、あなたと……
[備考]
鎌倉市街の報道をいくらか知りました。
ライダー(アストルフォ)陣営と同盟を結びました。
アーチャー(ストラウス)の持ち込んだ資料の一部に目を通しました。それに伴い思い出せない記憶が脳裏に浮かびつつあります。が、そのままでは完全に思い出すのは困難を極めるでしょう。
認識阻害の術式をかけられています。真実暴露に相当する能力がない限り彼女を如何なる手段でも認識することはできません。
ヤヤとアストルフォの脱落を知りません。










   ▼  ▼  ▼




 ……痛い。

 痛い、痛い……



 そこには声はなく。
 そこには音もなく。

 けれど確かな叫びがあった。
 そして確かに嘆きがあった。

 黒い塊が蠢いている。まるで、蛆虫が蠕動するかのように。
 黒い塊が爆ぜている。まるで、粘菌が流動するかのように。

 焼け焦げた地面と、横たわる黒い塊。酷く戯画化された人間のような、醜く焼け崩れた四肢を持つ黒い炭塊。
 動きはなく、声もなく、しかしそれは未だ意識を保ったまま、それにしか分からない嘆きを上げ続けていた。



 痛い、痛い、痛い、
 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い───!

 皮が焼きつく、内臓は腐食を始める。
 肺は汚れた空気を飲み込む、髪は根本からこそげ落ちる。
 目からは血の涙が止まらない、
 鼻から出るのは血? 何か腐った臭いのモノが混じっている、
 鼓膜は否が応にも振動し続ける。嗚呼、指が腐り落ちた。
 脚からは骨が見えている。

 消えていく。世界からボクが消えていく。
 母の夢が消えていく。

 ボクの願いが、消えていく。



 ───さあ、願いを果たす時だ。彼の救済たる微睡みを受け入れた者よ。

 ───さあ、諦める時だ。死してなお願いのために、我が《ルフラン》を受け入れた者よ。



 ……嫌だ。

 嫌だ、それだけは嫌だ!
 嫌、消えたくない!
 無価値な人生だけは嫌だ!

 現実ならぬ幻想として生まれ落ち!
 ただ為す術もなく蹂躙され!
 操り人形として使役され!
 生命繊維たるボクの尊厳は地に堕ちる!

 そして最期は下等な人間に敗れ去り、中身をぶちまけながら、カラスに荒らされたゴミのように死ぬ。

 ならば、そうだというのなら……
 ボクは一体、なんだったというの……



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『塵屑、不良品、失敗作、ガラクタ、廃棄物、糸くず』

『何がいいかしら? 最期の呼び名くらいは貴女に決めさせてあげるわよ』

『ねえ、愛しく哀れなお人形さん?』



 そして───

 そして、暗い月夜の中、ばら撒かれた黒の向こう側から訪れる。
 夜闇の鬱屈した気配が一人の人間の形へと集約する。
 針目の残骸を見下ろすように佇む女。
 鉄錆色のドレスと、フィルムと回転盤の顔が、形を取る。

『───あらあら』

 それは確かに女だったが、
 それは針目の望むような(はは)ではなかった。
 それは、ひどく、鉄の臭いがした。

 機械の女。
 鉄錆の臭いを纏わせて、夢のように、幻のように、現実味も伴わぬままに彼女は現れる。
 月の向こうから、女は来る。
 何処とも知れぬ場所から、女は来た。

 そして、その女は告げるのだ。
 人間め、忘却の奴隷よと嗤いながら。
 人間め、悪質な装置だと嗤いながら。

 空間さえ捻じ曲げて。
 月の見ている場所ならどこにでも。

『あらあら。あらあら』

『これ、どういうこと?
 なんで貴女が死んでるのよ』

『貴女に貸し与えた力でサーヴァントを殺すようにって、
 彼女、言ってたわよねぇ?』

 ……声が。

 声が、出ない。
 何か反論をと思っても、焼け焦げた声帯は音を発してくれない。
 知ったことか、と、言おうとしても。
 ひりつく喉は蠢くだけ。
 それでも、眼前の女は何かを聞いたようで。

『あらそう。そういうこと言う。
 そんなお人形、いらないんだけどなぁ』

『西の魔女にも困ったものね。
 《根源存在》気取りでお人形ごっこなんて。
 あの御方が聞いたらどう思うかしら』

『駄目な子……』

『悪い子ね、針目縫。
 悪い子には罰を与えないと』

『さあ、御覧なさい。
 貴女の大切なものを見せてあげる』

『チクタク、刻む。
 チクタク、刻む。
 イアイア、喚ぶの……!』

 その身に纏ったものを、女は見せる。
 その身に纏うフィルムと回転板。

 そこには映るだろう。
 メモリーが。

 そこには蘇るだろう。
 メモリーが。

 耐えきれない現実と共に、
 耐えきれない過去と共に、
 見せる。見せつける。目を逸らせない。

 生命繊維の申し子たる針目でも、逸らせない。
 ただ、見つめて───

『メモリーはここに。
 あらゆるメモリーはここに』

『廃せる"願い"は、今ここに』

『だって、人間には無理でしょう?
 メモリーをしまっておく場所なんて、
 どこにもないでしょう?』

『頭の中にしまっておいても、
 すぐに歪んで、ねじれて、劣化する』

『さあさ、覗いてごらんなさいな。
 何が見える? 貴女、何が見たい?』

 問いかける声は残酷に。
 問いかける声は冷酷に。

 針目の望みを女は叶えるだろう。
 四象に広がる万仙陣の御力で。

 針目の潰れた瞳に映りこむのは、何か。
 それは神だ。
 それは赤だ。

 神。それは母の求めた願いの果て。
 神。映り込むそれは、赤であって白きものではなく。
 神。針目が求め、地に降り立たせんとしたもの。

 原初生命繊維。
 その光景が、瞳の中に映りこんで……



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『さようなら。最期の呼び名すら決められなかった哀れな女』

『貴女を選んだのは失敗だったわ。
 まったく、役立たずの人間の糸くずだわ』

 声が響いて。
 針目の視界が───

 黒いものに───

 刹那、埋められて───

 ───そして───



「──────」



 声なき叫びだけが。

 無限再生される過去の中、揺らめいた。






【バーサークセイバー(針目縫)@キルラキル! 消滅】
最終更新:2019年06月22日 19:27