壊滅した都市を背後に───

 暗がりの海に聳える巨いなる《巨神》
 対するは、しろがねの魔狼。

 互いに、世界に在らざるもの。
 互いに、現実ならぬ幻想。
 互いに、存在することを許されない異形。

 人型であったものが崩れた虚狼。
 人型を目指して形作られた偽神。
 無言の時間。
 それは、僅かな刹那。

 虚狼には、今なお燃え滾る憤怒と狂気があった。
 偽神には、証明すべき人の想いと願いがあった。
 故に、相容れることはない。
 狼骨からもたらされる凶の視線と、黄金王の視線が交わる。
 そして、始まる。止める者は、誰もいないのだから。
 始まる。始まってしまう。無形の太極、そのきざはしにすら手をかけんとする者たちの戦い。
 ───巨大異形戦闘(ギガンティック・ストーム)が!



『▂▂▅▆▆▂▅▆▂▅▆▇▇▇▇▇▅▆▆▆▇▇▇──────!!!!』



 その咆哮は嚇怒か、狂乱か、それとも恐怖であるのか。
 あるいは、生きとし生けるもの総てに向けた呪いであるのか。
 だが言葉を発さない。
 言語さえ失って、ただ、ただ、咆哮を。
 音に弾かれた大気が震動する。しかし巨人は身動ぐことさえなく、悠然と。
 宙に浮き上がりかけるほどに締め上げられても、巨人は止まらない。漆黒の体と燐光の蒼鎧には傷の一つさえなく。
 轟音。轟音。衝撃がまたも都市を揺らす───
 地上へ質量を預け直した巨人の足元で、円形の粉塵が瓦礫ごと吹き飛ばされる。轟音。何度かすれば都市は崩れるだろう。
 圧倒的質量を備えた《巨神》の動作ごとに、砕かれていく退廃都市。最早、そこに見る影はなく。


『────────────!!』


 《巨神》の右腕が唸りを上げる。瞬時に、右腕全体が白い輝きに覆われ、凄まじいまでの雷光が迸る。
 漆黒の体表と蒼の燐光の更に外、眩いまでの白光が弾け飛び、繰り出される拳を覆う。
 紫電の絶叫が、大気を揺らす。
 それは字義通りの雷であって、同時に尋常なる雷ではあり得ない。人の文明が興るよりも以前、太古の世界において地上を穿った神々の裁きそのもの。神霊級の魔力行使と化し、今や如何なる対魔力であろうとも軽減すら絶対不可能な領域にまで押し上げられた雷電が虚狼へと迫る!
 幻想の雷電、それは現実ならぬ幻想の存在であればこそ、偉大なる新大陸の祖霊《サンダーバード》の祝福と同じくして。
 空間と時間の制約さえ意味を為さず、襲い来る。襲い掛かる!
 故に一切の抵抗は無意味。防御も回避も、須らく無為と帰すべし。必中必滅の絶対的な権能。アルスターの魔槍にすら酷似する、時間軸すら凌駕する神代における異界法則の具現である。
 既に、拳の振り上げられた先では、進行上の空間が消失し、腕の軌跡をなぞるように朝焼けの如き無色が夜空に線を描いている。その原理、その威力は異なれど、かつて数式領域を打ち砕いた鉄の王の腕と同じく。万象引き裂く雷電たる剛腕。
 名を、《蒼天覆う雷の腕》
 夜の帳さえも照らし出す眩き輝きが、虚狼を打ち砕くべく、迫る。迫る。迫る───!

『▂▂▅▆▆▂▅▆▂▅▆▇▇▇▇▇▅▆▆▆▇▇▇──────!!』

 その威容を前に───虚狼は真正面から立ち向かう。
 回避はしない。防御もしない。そのどちらもが無意味であるなら道は一つ。かつて不完全なる偽神の一撃を無力化した身ではあれど、あれと対した時と今は違う。元が神の宿るための水塊たる《虚神》と、人の身が操る偽神たる《巨神》では話が違う!
 故に、逃げた先には死が待つのみと狂した戦闘論理が解を弾きだす。ウォルフガング・シュライバーは随神相にもなりつつある外殻を纏って───
 一足、前へ。
 一手、叩き込む。
 求道の理に手をかけんとする渇望により、偽なる神を打ち砕く!

 しかし。

『──────!?』

 まさに雷と影の拳が触れようとした瞬間、虚狼の姿が掻き消える。
 獣が如き敏捷性が、この巨大なる虚狼には存在したのか。身じろぎするだけでも都市が瓦解しかねない巨体を、末端速度は宇宙速度などとうに超過しているであろうほどの速度で動かすなどという不条理を引き起こし、虚狼はkm単位の距離を後退する。その移動に合わせて極大規模の衝撃波と時間軸変調による空間震が発生し、周辺一帯が紙屑のように吹き散らされた。
 そして虚狼の判断は正しい。それが証拠に、《巨神》の瞳は戯画的なまでに見開かれ、搭載された機能が破滅的な振動を発している!
 次瞬、彼らの視界を覆ったのは、夜という漆黒よりも尚昏き『黒』そのものだった。泥が奔る、闇が奔る。二柱の巨体さえ覆い尽くすほどの広範囲が瞬時に汚泥の海へと変わった。地上の一切を攫う津波さながら、進行方向に存在するあらゆるものを呑みこんで、虚狼の知覚領域さえ凌駕しかねない速度で広がり続ける。
 それは言うなれば、混沌という概念そのものだった。現行の世界が形作られるよりも昔、原初の海を構成していた侵食の海洋。触れた物は悉く、土も木々も石くれさえも、魂まで分解されて霊子の粒より小さき虚無まで砕かれる。
 名を《漆黒なる王の瞳》。この惑星に起源を持つ生命体であるならば何者であろうと抗えぬ原初の混沌が、世界さえも塗り潰しながらシュライバーへと押し迫る。

『──────!!』

 決して逃れ得ぬ完全包囲網、されど狂した獣はそれさえをも回避する。
 創造位階───死世界・凶獣変生。それは自己の内的宇宙を書き換えることによる、独自法則で編まれた等身大の異界へと己を変じさせる術式。原理上は固有結界にも匹敵する大禁咒であり、性質と存在強度だけを見れば魔法の域にまで手をかける。
 故の回避、故の成功。シュライバーを構築する影の巨体は今や上空1500mの別空間に、自己の構成情報を転送することで回避する。そのまま体勢を立て直し───

『▂▂▅▆▆▂▅▆▂▅▆▇▇▇▇▇▅▆▆▆▇▇▇──────!!』

 幻想の剛腕を振るい、眼下の《巨神》へと落下しながら打ち落とす!
 叩き込まれる摧滅の拳は無尽の凶爪。創造で編まれる異界法則が防御寄りであるため、性質としての破壊能力では三騎士で最も脆弱なれど、内に有する質量が桁違いであるためその威力はザミエルの焦熱世界にさえ匹敵する!
 だが、是さえも───

『────────────!!』

 《巨神》の顎が突如開かれ、不可視の衝撃が上空の虚狼へと殺到した。
 世界が破断される響きと共に、振動によって構成された"界"そのものが虚狼へと叩きつけられる。大気と空間に奔る一閃の残響が、万象打ち砕く無窮の崩壊現象として具現した。
 不可視の震動結界に阻まれて、虚狼の牙が崩れていく。のみならず頭頂も、前腕も、胴体も、総身さえも、異界の獣がその顎で食らい尽くしていくかのように、凄まじい勢いで存在を分解していく!
 是なるは生まれることのなかった非実存たちの叫び。あらゆる物体を消滅させ、あらゆる存在を無明の彼方へ放逐する命なき可能性たちの慟哭。
 名を《赫炎穿つ命の声》。それはかつてシュライバーへ向けたものと同一であり、そしてかつての一撃さえ遥かに上回る。
 その咒力、その内界に込められた絶対必中の概念強度は強大無比。それが証に、見るがいい。指向性さえ与えられて虚狼たるシュライバーのみを狙い撃ちにしてもなお、雷の腕と王の瞳さえすり抜ける絶対回避の権能に守られた白き総身を違い無く撃ち貫くその様を。

『▅▆▆▆▅▆▇▇▇▂▅▅▆▇▇▅▆▆▅──────!!』

 だが、それでも。
 それでも殺戮の化身たる虚狼を完全消滅させるまでには至らない。殺意の咆哮が鳴り響き、応じて今にも削られ行く白色の体が解け、無数の触腕が全身を突き破って現出する!
 不可視の波濤に引き千切られる先から次々再生し、尚も尽きぬ底なしの魔力と共に、瘴気纏う無数の手が破壊を巻き起こす。その手は総てが歪な白骨、死者の魂によって構築された疑似形成だ。
 白骨の腕、それは歪にも巨大なる人の腕に酷似して、それが硬質の鞭となって巨人へと叩きつけられる。
 万物一切を粉砕せしめる崩壊の連撃。聖遺物の使徒たる者の攻撃には、物理のみならず精神と魂さえも打ち砕く機能が付与される。
 見上げる空の一面さえも覆い尽くす無数の白腕。応じて巨人がその左手を掲げる。
 白雷覆う右腕ではない、何の力も宿っていない左腕を。

『▂▂▅▆▆▂▅▆▂▅▆▇▇▇▇▇▅▆▆▆▇▇▇──────!!』

 次瞬、虚狼の殺意に応じるように、巨人が動く。猛りながら、それは獣が獲物を襲うが如き速さ。
 すぐそこまで迫った無数の触腕が、突如弾けて宙を舞う。皆残らず打ち砕かれて、暗い異形の空へと吸い込まれて消えていく。
 通じない。通じない。ただ一つの武器であると思しき白影の多腕、その爪も牙も何もかも、巨人の速度に巻き込まれ、消える。

 ───では、何がこれを破壊する?
 ───では、何が巨人を殺し得る?

 答えはない。答えはない。
 何故なら、これそのものが破壊であるから。
 虚狼が恐怖そのものであるのと同じように。

 巨人が動く。無駄一つなく。
 それは、剣が敵を引き裂くが如き鋭さ───

 巨人が動く。余裕さえ讃えて。
 それは、銃弾が敵を穿つが如き無常さ───

『脆い』

『そして遅いな、喚く者よ』

 何処からか声が聞こえる。
 それは誰の声であるのか。
 それは蒼色の燐光纏う黒鋼の巨人から響く。

 声。それは声だ。
 声。それは人の身から放たれるもの。

 悠然と、泰然と。
 何もかもを冷ややかに見つめる者の声だ。

 自らの万能たるを知る者の声だ。
 遍く千里、人の紡ぐ遍く未来を見通す賢王が如き英雄の声だ。
 けれど、ひとの身から放たれる声に似て。
 しかし、巨人の内に誰が在るというのか。

 ならば聞くがいい。
 巨人の裡の奥深くに響くものが何であるのか。

 音。音。
 響き渡った男の声以外にも───
 数限りなく突き立つ黒の剣軋む音以外にも。
 ああ、聞こえる。ああ、確かに。
 機関のもたらす駆動音が微かに。

 ───蒼黒の巨人。
 ───時に、神とさえ呼ばれるもの。

 ───もしも、機関の生み出す巨躯であれば。
 ───内に、誰かの姿も在るだろう。

 ───人の生み出した、機械仕掛けの神ならば。
 ───王なりし者の蔵に在っても、おかしくはないだろう。

『脆くもなろう。遅くもなろう。
 それが貴様の渇望であり、それが貴様の外装に過ぎぬというのであれば』

『疑似形成。内に喰い溜めた魂を露出し、際限なく肥大化させたか』

『猥雑な名も無き魂を用いて群れを成したか。それのみで巨大異形にまで成り遂せるのは、確かに驚嘆の一語ではある』

 ───巨大異形戦闘(ギガンティック・ストーム)

 幻想同士の戦闘は、中でも巨大異形戦闘の名を冠する激突は、互いの存在の"削り合い"を意味する。
 必中必殺の攻撃を撃ち合い、己の存在が削り負けた時が敗北となる。
 必中の概念を持つ攻撃は如何なる回避行動も意味を成さず、威力は高くとも必中の概念が薄い攻撃は機動性や能力で回避されてしまう。逆に必殺の攻撃を当てさえすれば、どれだけの再生力を持とうとも一撃で崩れ去るのみ。
 無論、中には例外も存在する。その最たるものが白騎士の死世界であるが、今回の戦闘に限ってはその例外たる強制回避の効力も薄い。
 何故なら、今まさに《巨神》の内に潜む彼が言った通り───
 表面に現出したこの巨大な影たる虚狼は、中核を成す本体の創造効果が付与されてはいても、あくまで"疑似形成でしかないのだから"。

『だが、遊びはここまでだ。我が右手は悪にあらず、我が左手は善にあらず。されど我が《巨神》の諸手は比類なき消却の光であればこそ』

 そして───

 巨人の両手が、影なるものへと伸ばされて───

『その本体を抉り抜く!』

 ────────────────────────!!

 ───貫き、白の輪郭を粉砕しながら。

 ───燐光纏う黒鋼の諸手。

 ───それは、かたちなきものをも破壊する。

 繰り出されたのは拳でさえなかった。左手。
 掴み砕くための動作でさえなかった。右手。
 ただ、黒色の手が巨影へと伸ばされて。

 《蒼天覆う雷の腕》でさえ、巨影を捉えることはできなかったはずだ。
 けれど、これは。
 けれど、諸手は。
 慈悲も赦しもそこにはなく、
 咆哮に開け放たれた、虚狼の咢へと伸ばされて。
 ずぶりと。何の抵抗もなく虚狼の内へと潜り込む。

 かたちなきはずの影へ、
 恐怖であるはずの影へ、
 黒鋼の質量が瞬時に注ぎ込まれる。

『フェンリルを騙る哀れな者よ。浅薄にも黄金を成す不死英雄を気取る者よ』

『たとえ幾億の欺瞞を纏おうとも。貴様の嘆きは誰にも届かない』

 声と共に───
 白色の影は一度だけ大きく波打って、刹那の後に白光を放つ───

 白光が───
 白光が充ちていく。
 それは、破壊する巨人がもたらすものか。
 それは、消えゆく虚狼がもたらすものか。
 どちらにせよ、呑みこまれた影は砕けて、破片のひとつも遺すことなく。
 白色の消却光(アムネシアライト)に包まれて、消える。消える。
 どちらの巨いなるものも、共に─── 





   ▼  ▼  ▼





 そして、時計の針を少しだけ戻す。




 流れる閃光、弾ける絶剣。時すら微塵に切り裂きながら刃の嵐が弾け飛び、時に空間さえ焼却させながら無数の炎が宙を舞う。
 焔纏う赤騎士と光翳す蒼銀の騎士が、絢爛なるも苛烈なまでの勢いで死出の剣戟を繰り広げていた。

 戦闘開始より僅か数十秒、既に二人は二柱の巨いなるもの達の勢力圏内から脱出し、疾駆しながら戦闘を続行している。交わした剣と砲の激突はとうに二百を突破し、三百の大台を突破して今や四百に至らんと超高速で殺陣を刻み、尚も激しく加速する。息もつかせぬ連剣と連射を幾度も幾度も放ち合う。
 繰り出される攻撃は互いに等しく洗練された武の結晶だ。効果的な理合の下に構築された戦闘術は、まるで定められた演武のように流麗な動きを以て刃と砲弾を引き合わせていた。
 回転剣舞の横薙ぎ、からの跳ね上げるように右肩へ抜ける斬閃の後、離脱しながらの刺突三連───などという騎士王が見せたお手本のような流れる連携さえも。
 ザミエルは焦らず対処を下し、躱し、弾き、いなして捌く。対表面の数ミリ先を超高速で旋回する黄金光の騎士剣。その洗礼を正確に見切りながら最適な行動を逐一選び対処する。そのため剣の切っ先は一度も赤騎士の身体を掠めていないが、同時に彼女の放つ致死の魔弾すら騎士王の体を直撃してはいない。最低限の動きのみで正確に射線をずらし、あるいはその手に持つ輝き放つ聖剣に打ち砕かれ、必殺であるはずの炎熱は赤色の煤となって吹き散らされるのみ。殺気だけが互いの身体を打ち据えて、血肉を気合で切り刻む。
 傍から見れば両者共に数秒先を知らせ合っているかのように、彼らは刃と炎の嵐となって剣と砲を無限に交差させていた。

「シィィ───ッ!」
「ふッ───!」

 止まらない。止まらない。鋭く速くもっともっと───
 加速を果たす殺戮舞踏。音と風を断ちながら尚激しく、剣砲の舞は続行する。
 それがあまりに激しいためか、生まれる余波で疾走上の進路は今や無残なものとなっていた。既に荒らされ尽くした廃墟の道が、爆心地めいて更なる破壊に晒される。地面も柱も砕かれ斬られ、辛うじて形を保っていた周辺のビルディングは次々と瓦礫に解体されていく。
 崩れたコンクリの巨塊が中空にばら撒かれる。その間を縫うように、黄金と灼赤の二条の光となって駆ける二人の攻撃は止まず、爆轟の音と光が木霊する。

 焔光、奔りて爆砕と為し、
 星光、振るいて閃きと為す。

 虚狼と巨神の戦いが神話のものであるならば───
 二人の戦いはまさしく英雄譚。人の身で至れる最上の力を手に、いっそ美しささえ感じさせる舞闘を繰り広げるのだ。

辰宮百合香が死んだ」

 声の主は騎士王、アーサー・ペンドラゴンだ。彼は激しくも鮮烈な剣戟の手を休めることなく、ザミエルへと語りかける。
 戦闘の最中に言葉を交わす愚の骨頂、されど彼に付け入る隙など皆無だ。その目は尽きせぬ戦意に充ち、その四肢は溢れんばかりの力に満ている。戦略的な死角などあるはずもなく、仮に今この場で全方位から掃射を受けようとも容易く切り抜けてみせるだろう。

「分かるか、お前のマスターだった女性だ。最後の瞬間まで己が使命を忘れなかった者だ。
 彼女の戦う理由と末期の意思を私は聞き届けている。お前に掛けられた一画の令呪についてもだ。
 その上で問おう、《赤騎士》エレオノーレ・フォン・ヴィッテンブルグ

 虚言の類は許さないと言外に滲ませて、彼は問いかける。

「お前はそれでも、殺戮の腕を止めようとはしないのか」

「……」

 無言。そして無表情。
 ザミエルは何をも返すことなく、ただ沈黙のみを湛える。

「主を見捨て、主を変え、尚も生き足掻いた上で聖杯を目指すか。ならばその願いとは何だ?
 黄金への忠義故にと言うならば、私はもはや何も言うまい。だが令呪の縛りを受けて尚、無為にその手を血に染める理由が解せない。まさかそれがお前の真実とでも言うつもりはあるまい」
「何を言うかと思えば」

 苦笑の響きを漏らす。それは侮蔑や挑発の類ではなく、ひたすらに自らの境遇に諧謔的な感情を抱いているかのような。

「貴様も赤薔薇と同じことを言ってのけるか。何を選び何のために戦うかなどと、欠伸の出るような御託をベラベラと。
 だが貴様は何を見た? 何を聞いた? 辰宮の売女から何を吹きこまれたかは知らんが、その様子では碌な理解を得られていまい。
 大上段から物を言うのは王族に共通した悪癖か。全く、彼奴もそして貴様も……」

 声が、僅かな震えを帯びて。

「どこまで私を苛立たせれば気が済むという……!」

 次瞬、臨界まで込められた情念の多寡が、裂帛の意志力となって伝播した。

「私から言葉を引き出したくば! 問答ではなく力を示せ! 奪い、勝ち取り、捻じ伏せろ!
 闘争こそ我が本懐、覇道こそ我らが総意! 星の聖剣がその名に違わぬ王道の証だと言うならば、いざやこの心の臓を貫いてみせるがいい!」

「それがお前の返答ならば」

 言って、アーサーは静かに剣を構え直す。
 それはアサシンと剣製のマスターに見せた小兵を払うためのものでも、『幸福』のキャスターに見せた巨獣へ立ち向かうかのようなものでもなく。
 ただ一人の強大な戦士へと立ち向かうための、対人を想定した騎士としての構えであった。

「いいだろう。ここから先は全力だ」

 声に呼応して、アーサーの身体から沸き立つ膨大な魔力の粒子が鳴動を始め、可視化されるほどの密度と強度を以て総身を包む。
 それはまさしく全霊の発露、彼が持ち得る全力の行使であることに疑いはない───はずなのだが。
 荒ぶる戦意と気迫に反比例するかのように、その反応は穏やかだった。本来ジェット噴射のように爆発的な効力を現出させる魔力放出は、しかしあまりに静かで何の危険性もないかのように使用者の四肢へと染み渡り、循環する。
 だからこそ、恐ろしいのは"そこ"だった。つまりこれが示すのは、外界への干渉に使えば宝具の一撃にさえ匹敵するほどの力を用いた、完全な内界強化であるのだから。
 風の奔流でもなく、光の奔流でもなく、己一つを押し上げてアーサー・ペンドラゴンという一個の人間兵器が高性能化を達成する。

 後手に回れば即座に潰される。

 直感したザミエルが後退と同時に数十の灼熱を虚空より現出させるが、遅い。

「いざ───戦鬼、断つべし!」

 刹那、訪れた変化はまさしく一目瞭然。等身大の肉体へと極限圧縮された魔力の放出は、騎士王を真の姿へと変貌させる。
 掻き消える敵手の姿、標的を見失った灼弾が次々と爆散し周囲一帯を赤く染めるも騎士王の影すら捕えられない。積み重ねた研鑚により辛うじて防御姿勢を取ったザミエルの眼前に、残光としか見えぬ速度で飛来した光剣が撃滅の意志も露わに弧を描く。
 鈴鳴りのような透き通った金属音が反響する。
 一瞬のうちに近接したアーサーの剣が、文字通りの剣嵐となって顕現した。

「ぐうぅぅ、オオオオオオオオオォォォォッ───!?」

 斬撃、斬撃、薙払、斬撃、斬撃、斬撃、刺突、防御、薙払、斬撃、刺突──────
 斬撃斬撃、回避薙払刺突刺突、切払斬撃防御斬撃斬撃斬撃斬撃斬撃斬撃──────
 斬斬斬斬斬斬刺切斬斬斬、追撃刺刺斬斬回避、斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬払斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬──────驚異的な刃の颶風が雪崩のように吹き荒ぶ。
 乱れ狂う剣戟の乱舞を前にザミエルは言うまでもなく防戦一方に陥っていた。何という圧倒的な回転速度の上昇だろう、跳ねあがった凄まじい攻勢を前に攻撃を仕掛ける余裕が根こそぎ消し飛ばされていく。
 それはアーサー・ペンドラゴンという一個人の動作速度そのものの劇的な向上に他ならない。手足の動作、関節の駆動、切っ先の旋回に重心移動のリズム、筋線維の稼働に神経伝達の速度、総てが驚異的なまでの加速を果たしている。
 単純な魔力放出による推進力の確保ではない、純粋な身体能力それ自体の強化。魔力の放出という技能をこれ以上なく緻密に、最適の形で肉体に適用させていた。更に肉体の加速に合わせて、磨き抜かれた"直感"によって知覚領域までもが進化を果たし、判断力と先読みさえも常軌を逸した速度領域に突入している。
 反撃を仕掛けようとした瞬間に、その初動から潰される。
 跳躍を試みようとすれば、神速の切っ先が進行方向に飛来した。攻勢に転じようと奮起すれば、動く腕を穿たんと刃が弧を描く。
 あらゆる行動が完封されて、何もさせてもらえない。
 攻撃、防御、回避のどれもが騎士王の剣嵐に追いつかない。まさに嵌め殺しと言う他なく、未来予知めいた制圧力にザミエルは急速に追い込まれていく。

「凄まじいな、当たりもせぬ天変地異の一撃などより余程恐ろしい……!」

 卓抜した剣の技量に、高精度の未来予測に到達した直感、そこに爆発的な性能強化を加えればここまでの脅威になるというのか。
 威力だけならば、この剣閃を超えるものなどいくらでもある。山を崩し海を断ち、文字通り天を衝く豪咆さえ幾度も目にし、戦ってきた。
 だがそのいずれも、この剣士と比べれば余程容易い敵手であった。人としての技術の粋、積み重ねた武技を前に、ただ規模だけを追求した稚拙な破壊などどれほどのモノとなるだろうか。
 騎士王の技量は赤薔薇王や黒騎士マキナに勝るとも劣らない、しかし終始見の姿勢にあった赤薔薇王や終ぞ死合うことのなかったマキナとは違い、眼前の彼は文字通りの本気。一切の手抜かりなく自分を殺そうと剣を振るっているのだ。
 五感に身体性能という人間として当たり前の機能をサーヴァントでさえも及びもつかないほどに強化させたアーサー・ペンドラゴンには、まるで隙など見当たらない。
 派手さがなく面白味のない力とは、言いかえれば堅実で瑕疵もないということ。順当かつ分かり切った結果を出すという代物で、それ故に気持ちのいい逆転劇など絶対的に発生しない───!

「おおおおおおおォォォォ──────ッ!!」

 咆哮と共に叩き込まれる疾風怒濤の絶対先制───それは現実的な理合であればこそ、超常的な能力とは違って安定した見返りを常時発揮し続けた。
 結果として、ザミエルは追い詰められていく。
 脱出不可能、抵抗不可能。少しずつ裂傷を受けながら終わりなき刃の波濤に翻弄されて末端から削られるのみ。彼女の持つ戦士としての技量も隔絶したものがあったが、こと剣の領分にあって眼前の騎士は更なる高みに達していた。
 純粋な力と技による近接戦。異能として必殺性があるものではない反面、これは実に厄介な相手と言える。精度が違う、完成度が違う。あるいは彼女の知る最高峰の剣士であるベアトリス・キルヒアイゼンですら、この境地には至っていないかもしれない。
 人間とは繊細な生物だ。感覚器官や肉体の各部が何か一つでも突出してしまえば、すぐさま全体のバランスが崩れてしまうようにできている。
 耳が良くなれば自然と視覚情報が鈍ってしまうものであり、その逆もまた然り。どこか一点を強化すれば、途端にプラスが見込めるほど生命は単純な構造をしていない。
 仮に千里眼を手に入れてもそれを十全に活用できず、逆に目に頼る癖がついてしまえば総合的にはマイナスだろう。
 重要なのは強化された感覚や身体能力を適切に活かせるかということであり、だからこそアーサー・ペンドラゴンは桁外れの戦闘者だった。不和や綻びはどこにもなく、練磨された宝石の如く総てが高次元で纏まっている。
 つまりは隙のない万能型───それも近接戦の総合値において明らかにザミエルを上回っている。格下や同格には安定した戦果を期待できる反面、格上への対抗手段に乏しい万能型同士の戦闘において、地力で上回られてしまっては勝ちの目は限りなくゼロに近しい。
 そう、それは確かなのだが。

「その剣を抜かせはしない───このまま押し斬らせてもらうッ!」

 現状圧倒しているのは間違いなくアーサーの側、しかし彼に油断や慢心などあり得ず───むしろ焦りのようなものさえ感じさせる。
 離れては駄目だ、退かせてはいけない。この間合い、接近戦で、触れあうほどの距離を維持する。機を図り生じるはずのない隙を窺う戦法など愚の骨頂、ひたすらに攻めて攻めて圧し切るのみ。
 何故なら彼女は使用を許せば即死に繋がる牙を持つ敵。待ちや受けに回れば如何な騎士王であろうともその瞬間に殺される。三人の大隊長とは皆がそういう存在だ。
 火口に飛び込む決意と覚悟、それなくして対峙できる相手ではない。果敢に攻め込み己が身を晒し、その上で魔砲の門を開けさせない。それこそがザミエル卿を打倒する上でクリアすべき当然の大前提である。
 連続する剣は閃光のように。苛烈で容赦なくされど優美な剣舞の業。弛まぬ練磨と積み上げた技巧、加えて戦場の修羅場を潜り抜けてきたことによる経験則がプラスされることにより、その剣は殺人の技として芸術の域にある。
 故に、本来であるならば彼の剣技の悉くを受け切れる者などそうはいるはずもなく……

「然り。私に抜かせれば貴様は終わる」

 ならば、今を以て生存するこの敵は一体何であるというのか。
 振るわれる斬撃の総てが虚しく宙を斬る。先ほどから防戦一方で後退するのみであったザミエルは間違いなく劣勢であるにも関わらず、しかし致命の一撃は未だに受けていない。
 一瞬の閃光にしか見えない剣筋を、総て捕捉しているわけではないだろう。神速に至るスピードを凌駕しているわけでも、純粋な剣の技量において彼を上回っているわけでもない。
 だが躱す。当たらない、当たらない、当たらない───

「貴様の剣は賞賛に値する。領分こそ違えど、その完成度はマキナにも引けを取るまい」

 言葉と同時、硬質の激突というあり得ざる金属音が反響した。
 アーサーの剣撃の手が止まる。彼の剣、その振るわれた先には、赤熱に輝く長大な剣がザミエルに握られ、今まさに彼女を斬り伏せんとする聖剣の行く手を阻んでいた。
 それはザミエルが持つ軍式のサーベル、ではない。赤薔薇王の手で根本から砕かれたその剣を触媒に、熱核プラズマの火柱が刀身の形を取り疑似的な炎剣となったのだ。
 今に至る瞬間まで虚空からの射撃・砲撃に徹してきたザミエルの、恐らくは初めて剣を抜いた瞬間だ。しかし最も理不尽なのは、本来物質としての形を持たないはずの炎熱で以て聖剣の一撃を受け止めるという不条理にこそあるだろう。今の聖剣は風の戒めを解かれ黄金の幻想としての姿を露わにしている。剣としての威力だけでも、風王結界に覆われた状態を80~90とすれば、今の黄金の状態は1000にも届かんとする規格外の代物なのだ。生半な得物であれば例え宝具であろうとも一合のもとに粉砕するであろう光剣を、ザミエルは己が渇望の具現たる炎のみで受け切った。それはすなわち、想いの強さこそが力となって現れるエイヴィヒカイトにおいて、彼女の有する忠義の重さがどれほどのものかを端的に示していた。
 ならばこれこそが、アーサーが頑なに抜かせようとしなかった彼女の剣であるのか───いいや違う。

「だが見誤ったな。かの城ではほぼ毎日、この程度の速さは目にしていたよ」

 ヴァルハラはヴェヴェルスブルグ城。ラインハルトに吸収された戦奴たちの楽園。生まれ変わっては戦い死んでいく黄金冠す第五宇宙。
 元々ヴァルハラとはそういう場所で、エインフェリアとはそういうものだ。朝から互いに殺し合い、夕方になれば生き返る。そんな日々を六十年、かの最速たるシュライバーとも戦った事実を踏まえれば、今さら神速など何ほどのものでもない。

「所詮彼奴と私とでは、千日手で碌に勝負もつかなかったが」

 絶対命中と絶対回避、矛盾すぎてまともに勝負にならない分───

「おかげで余技も随分と増えたぞ。そら、このようにな」

 瞬間、危機を告げる直感により反射的に退いたアーサーの眼前を、巨大な熱量が貫いた。正体不明のその攻撃によって路面を構築するコンクリートが数mに渡って赤熱、衝撃音を表す空気振動と共に爆散する。
 その攻撃の正体を、アーサーは確かに目撃した。それは灼熱に発光する赤い光の帯だ。熱量を行使するという性質自体は何ら変わってはいないが、その集束率と弾速の桁がこれまでとはあまりに違い過ぎる。
 今までの炎が曖昧に揺らめく陽炎の如きものだとすれば、この一撃はまるで───

「炎の集束……これは、レーザー光線か!」
「陳腐な表現だが、正解だ」

 攻撃の予兆をあらかじめ目に捉えたアーサーは反射的に動いた。地を蹴った肉体は音速を凌駕するスピードで世界を流れ、同時に一瞬前まで彼のいた空間を熱量の槍が貫く。数ミリ秒で20m近い距離を移動したアーサーの目に映るは、ザミエルの背後に発生した空間の変調であった。
 それは水面から大量の何かが突き出すように、本来揺らがぬはずの空間に無数の波紋を浮かべている。その一つ一つがたった今アーサーを追い詰めた熱核のジャベリンを発射する銃口であることを、理屈ではない直感で悟る。

「──────!!」

 声にならない畏怖の叫びすら置き去りにして、アーサーの身体が掻き消える。疾走を開始すると同時、見渡す視界の全てを爆光が埋め尽くした。
 正面、上、左右、下方、他にも他にも他にも……格子状に展開される熱線の波濤が空間を席巻する。疾駆するアーサーの後を追い、地面に突き刺さる無数の光条が足跡のようにケロイド状の穴を穿った。

 極超高熱による気体の変化は構成原子の電離を誘発させる。
 陽子、電子、重イオン。それら電荷を帯びた粒子はローレンツ力を生じさせる。局所的に展開される閉鎖空間内において加速された粒子は空間の解除と同時に射出され、膨大な熱量を以て敵を貫く。
 仮想名称、荷電粒子砲。
 それは未だサイエンスフィクションの中にしか存在し得ない、全く架空の兵器の名である。

 騎士の剣が舞う。頭蓋を狙う三条の槍を光剣の一撃で粉砕し、側方からの槍衾を瞬時の加速で置き去りにする。尚も追い縋る後方からの追撃を躱し、その間も間断なく迫る光条の嵐を掻い潜り、顔を上げたその先には今まさに炎剣を振り上げるザミエルの姿があった。
 反響する澄んだ金属音。共に半円軌道を描いた炎熱と閃光が対となって激突し、凄絶なまでの衝撃波が周囲に伝播する。
 ぎりぎりと鍔競る二刀。膂力は互いに互角、魔力放出による強化の度合いすら甲乙付け難く、しかし空を裂く灼光の槍の飛来により剣戟は中断を余儀なくされた。
 厄介な、と心の裡のみで吐き捨てる。ザミエルの放つ光槍は決してただの炎ではない。一つ一つが一都市をも撃ち貫く魔弾を極限まで集束・圧縮した代物故に、同じく星の祈りが集束したエクスカリバーの刀身でしか受けることができない───という要項すらこの技の本質ではない。
 最も厄介なのは、速度。
 陽子加速された荷電粒子の槍は理論上限りなく光速に近づけることが可能であり、無論のことザミエルの行使する力とて例外ではない。この世に光より早く伝達する情報が存在し得ない以上、あの槍は視認と同時に着弾する。故に目視しての回避は物理的に絶対不可能。撃たせた時点で致命となる最悪の一撃だ。
 例外となる無効化手段の一つに、攻撃の予兆を察知しての事前回避があり、事実として直感による連続回避を成功させているアーサーはある意味でこの技との相性は良いが、それでさえ現状は不利のまま。アーサーだからこそ不利に陥る程度で済んでいるのであり、これが凡百のセイバーならばとうの昔に死んでいることは語るまでもない。
 絶死の波濤を繰り出すザミエルは文字通りの魔弾の射手。されど彼女はただの射手に非ず。
 紅蓮の赤騎士は高みの見物を決め込むような指揮官ではない。剣と砲の二重螺旋、それこそが炎魔たる彼女の万能たる所以であれば。

「だが、それでも───」

 閃光と共に射抜く殺意に応えるように、粉塵を突き破って騎士王が駆ける。風切るプラチナブロンドは血と黒煤に汚れながらも、未だ輝きを損なわない。
 斃れてなるかと、負けてなるかと、決意を湛えた不退転。光輝を宿した翠瞳は、一直線にザミエルを見据えている。
 豪雨の如く降りかかるレーザーの速射すら、彼の疾走を止められない。最小限の動きで攻撃を躱し、弾き、再び道を切り拓いて肉迫していく。
 そう、彼は敗北することを許されてはいないから。

「我が剣は敗れない、騎士の誓いと同じくして!」

「そうだ、それでいい───来い!」

 振り翳される光剣を、狂笑を以て迎え入れる。
 そうだ、それでいい。我が身は闘争の理に捧げた戦奴の一角であればこそ、語るべきは言葉ではなく戦である。

 ザミエルが剣閃を避けると同時、鼻先を落雷のような斬り下ろしが凄まじい速度で掠めた。
 速度のみならず、破壊規模も落雷に等しかった。砕けた地面が空に逆巻き、コンクリートには常識を疑うほどの地割れ。剣気に押し飛ばされて、ザミエルは顔の中心に痛みを感じる。血の臭い、気付けば風圧だけで額から鼻先にかけて浅く割れていた。
 破壊の中心から蒼の外套が飛び立つ。アーサーにとってその一閃は渾身でもなんでもなく、外せばすぐさま次の行動へ移れる普通の斬撃に過ぎない。
 半弧を描く一対の閃光が尾を引いてぶつかり合う。中空にて何度も何度も激突しては弾かれて、二人を中心とした周囲には半円を描く残光が数えきれないほどに刻み込まれた。
 互いに跳ね飛ばし合って間合いを外し、全く同じタイミングで追撃を敢行する。アーサーは駆け出し、ザミエルは灼光を放つ。再度具現するは紫電槍の弾幕であり、そこはまさしく飛び道具の間合い。迫る弾速はいっそ冗談めいた域で、刃を衝角のように前に突き出し、アーサーは退くことなく逆に加速する。
 直感と経験と研鑚の結実たる剣技で以て弾幕の隙を見出し、点から点を繋ぐ線をイメージ。頭のすぐ横を過ぎる灼熱に長く耳鳴りの尾を引いて、曳光弾のようなジグザグの軌跡を描き、アーサーは弾幕を真正面から駆け抜けた。
 再び剣の間合いへ。
 紅蓮の砦を乗り越えた先のザミエルは、右に炎剣、左に炎砲の二刀流で両翼を広げて待ち受ける。
 鼓動が高鳴る。加速するたび、光剣の回転数が際限もなく上がり続ける。
 アーサーが速度と剣技の質で圧倒する側であるなら、ザミエルは手数と火力の量で圧倒する側にある。彼女は純粋な速さでアーサーに劣るものの、繰り出す砲の鋭さは彼と比べても遜色ない。時に巧みな防御から後の先を取り、時に恐るべき圧力で攻めてに回る繊細かつ豪胆な戦闘技量は今、剣と砲の合一により間違いなく100%の力を発揮している。
 右に守りの剣、左に必殺の砲。渦巻く炎が旋回し、超高速の一刀で猛追するアーサーに対し、無数の光槍と致死の熱量で一歩も引くことがない。
 回りこんで荷電粒子の雨を避ける。聖剣で以て攻め、防御に展開された炎熱障壁を一撃で斬り砕く。刹那に炎が新たな障壁を形成し、反撃の炎剣は塊のような豪風を生んでアーサーに肉迫する。
 気を抜けば死角から飛来する光槍の狙撃。タイミングと角度の計算され尽くした無数の刺突に、アーサーはたった一人の英霊と対峙しているはずが、万は下らぬ砲兵師団を相手取っているかのような錯覚を味わう。

 今、黒い闇夜の廃墟の一角を、赤い影が包み込んでいた。その中で眩いばかりの黄金の熱風が吹き荒れる。
 赤熱の刃風に晒された者は遍く破壊されるべき空間の中で、アーサーとザミエルただ二人のみが破壊の法則に抗い、原型を保っていた。戦いの中でいくつもの亀裂とクレーターが周囲に刻まれ、かつて人の行き交った痕跡など最早どこにも見当たらない。アーサーの縦斬りの余波が奇跡のように地面を割り開き、果ての中層ビルディングが真っ二つに断割された。

「……ああ、そうだな。これだけは聞いておかねばなるまい。
 問おう、アーサー・ペンドラゴン。戦う理由を貴様は説いたが、ならば貴様は何を願った」

 告げられる真名に、しかしアーサーは微塵も揺らがない。その程度、聖剣を覆う風の戒めを解いた瞬間より覚悟していた。
 故に、論じるべきはそこではなく。

「語るべきは言葉ではなく戦ではなかったのか」
「なに、貴様がそれだけの力を示してみせたというだけだ。誇れよ、ハイドリヒ卿を除けば私がここまで認めたのは貴様で二人目だ」

 言葉を交わす瞬間にも、彼らは戦いの手を止めはしない。薙ぎ払い、斬り上げて、刺突へと移行する。攻撃は止まらず一瞬たりとて油断もない。

「円卓の伝説、誉れ高き騎士たちの王。最早滅びゆく他にない王国に最後の平和と繁栄をもたらし、束の間とはいえ望外の救いを与えた者よ。
 見事だ、天晴だよ騎士王。亡国の主であれど、最後の瞬間まで戦い抜いた貴様は紛れもなく英雄だ。誰もが貴様の勇気と覚悟、何より偉業の数々を讃えるだろう。私とて例外ではない」

 その声に虚実の要素は含まれない。ザミエルは心底より、騎士王アーサー・ペンドラゴンの所業を讃えている。一介の騎士として畏敬を払い、見事なりと賞賛している。
 だが同時に。

「それだけならばな」

 振り下ろされる剣を掻い潜るようにして、ザミエルはアーサーの横をすり抜けた。その際に髪留めが切り飛ばされ、真紅の長髪がざんばらに乱れ落ちる。

「……」

 追撃は……
 追撃は、何故か、することができなかった。そしてザミエルもまた、その隙を突くことはしなかった。

 彼女は振り返る。その身に幾筋もの斬痕を刻み付け、朱に染まった紅蓮の赤騎士。打倒すべき敵であるにも関わらず、その姿はひたすらに荘厳で、美しかった。

「問題はその後だ、アーサー・ペンドラゴン。
 貴様、聖杯に何を願った?」

 最早何もかもが過去となった男が。
 戦争が終わり国も民も滅び、1500年以上も経った異国の地で。
 聖杯戦争などという殺戮儀式に加担していた不可思議。

「戦禍に消えた民草の蘇生、もしくは潰えた国家の再興……と、まず思い浮かぶのは大方そのあたりだがね。
 しかし違う。言ったように貴様は英雄、一角の戦士だ。死のなんたるか、骨身に沁みて分かっているはず。
 すなわち、立ち上がれぬ者は捨てていけ、だ」

 終わったものは取り戻せない。後ろを見ていては前に進めない。
 それは戦場の、兵士たちの、大前提であり絶対のルール

「死者蘇生など戯けている。そんなものは戦場を知らぬ輩が抱く、甘ったれた願望だ。
 恥ずかしながら黒円卓にも少なからずそういった蒙昧共がいてね。所詮奴らは民間の似非兵士もどきがお似合いではあるが、貴様はそうではあるまい。
 では我らのように不死や永劫の闘争を望むかと言えば、それもまた違う。事実今このように、貴様は私を否定している。
 分からぬ。解せんよ騎士王。貴様いったい、何を成そうとしているのだ」

 問いに、アーサーは即答しない。だが、ややあって。

「確かに、私は死者を蘇らせようとは考えていない」

 重く、厳かに。決然とした口調で返す。

「結果として私は国を守れなかった。多くを殺し、それでも人々を救うことができなかった愚昧な王だ。
 悔いはあるが、どだい戦争とはそういうもの。そこはお前に同意するとも」

 一騎当千の力を得ても、所詮は一個人であり万能ではあり得ない。少なくとも、アーサーだけの力ではどうしようもない現実は数えきれないほどあったし、結局は殺人という手段でしか物事を成せなかった人種である。

「そう、我々は殺すのが商売だ。死なせないようにする術と、死なせる術に長けている。生き返らせる術などは、我ら騎士の領分ではない。
 分かっているではないか騎士王」

 己は死なずに相手を殺す。それを突き詰める存在が、死人を生き返らせるようでは矛盾が残る。
 故に、と彼は続けた。

「"だから"だ、エレオノーレ・フォン・ヴィッテンブルグ。生き返らせるのではなく、死なせたくない者がいるだけのこと。
 私の望みは、ただそれだけ」

 それは例えば、金糸の髪を持ち控えめに笑う、命がけで友に助けられた赤い瞳の少女であるとか。
 それは例えば、銀のショベルを持って自らの信仰に殉じる、若き墓守の少女であるとか。
 それは例えば、遠き異国の地において生まれ落ちた、星に願いを託す気弱な少女であるとか。

 それは例えば、愛によって遺された庭園で出会った、この身に答えをくれた少女であるとか。

「求めた場所は此処にある。求めた明日は彼女らに違いない。
 たとえ、巨大な事象の前に崩れ去ったブリテンという過去が、現代にまで至る人類史の中で定められてしまった結果が血塗られていようとも」

 過程と結果はワンセットじゃない。
 過程も成果も、それぞれが独立した人間の意志だ。
 たとえ我が生涯が血塗られた最期であろうとも、駆け抜けた人生は決して無駄ではなかった。
 その一瞬の積み重ねが、永遠となって現代に続いているのだとすれば。

「私は過去を生きた英霊として、今を生きる人々を救けよう。
 それこそが、我が二度目の生涯において掴んだ唯一無二の光なれば」

 時には選ぶこと自体が答えになることもある。
 故に彼は、世界を守り、かつて見た綾香の生きる世を救うのだと決めた。

「成る程」

 王でありながら、亡国と民草の救済を望まず。
 英霊でありながら、過去と聖杯に縛られず。
 故にこそ、彼はその剣を振るうことに迷いはないだろう。
 彼の返答、彼の瞳、共に凄烈な気配を伴った刃の如く。

「見上げた大言壮語だ。まるで御伽噺の騎士ではないか。いや、事実そうであったか」

 ゆっくりとザミエルは頷く。
 最大の好敵手から最高の解答を得た騎士であるかのように。今や無知蒙昧たる衆愚の妄念によって形作られたるこの身が。
 待ち詫びていたのだ、この瞬間を。

 極東の言葉で言えばまさしく一日千秋か。
 実時間にすればほんの数時間。大した期間でもあるまいに、まるで幾百年も過ごしていたような感覚があった。現実ならぬ夢の狭間であるかのように、およそ現実感の伴わぬ虜囚の日々だった。
 あらゆる正道から逸れて廃神と化し、愚昧なる妄想に身を堕して白痴を害し、それすらもが偽物でしかない世界に従わされる時間は、異様なまでに緩慢とした流れの中にあって、一分一秒を過ごすごとに濃密な実感が全身を苛むのだ。熱せられた泥炭の中をゆるゆると泳ぎながら、大きく口を開けて汚濁を飲み下し続ける様にも似た───屈辱のままに生かされる実感。
 ならばこそと現世界に亀裂を刻み、汚辱を強いた者らへの反逆をこそ彼女は望んだ。個としての自我と誇りのみを携えて、己が信奉する覇道のままに総ての根絶をこそ願った。

「聖杯戦争。貴様が輝きのままに道を歩んだであろう日々は、私には、堕落の汚泥を浴び続けるに等しい日々だった。痴れた阿片窟に落とされ、尊厳と魂までをも陵辱され、信じた理想さえもが穢らわしくも醜悪に堕した」

 語りながら、彼女の総身より紅蓮の炎が沸々と噴き立つ。それは猛る魔力の発露であり、同時に戦争の再開を示す予兆でもあった。
 言いようのない不気味な剣呑。死の気配。相対する者を屠るだけの自信、実力を備えているのだという確信から来る、肉食獣の獰猛さ。それを如実に示している。

「私に残ったのは怒りだけだ。この盤面を整えた者への尽きせぬ怒り、ただそれだけ。貴様のような輝きなど何もない」

 それは、黄金へ捧げたはずの忠義ですら。
 今もこの胸の裡にこそあれど、それすら万仙によって形作られたものであるならば。

 総身が赤熱し、罅割れるかのような閃光が放たれ始める。
 過剰供給に伴う激痛が全身を軋ませるが、どうということはない。

 そうだ、この怒りに比べれば。
 万象、如何なる痛苦さえ塵屑にも値しない。

「それはお前の不忠を吐露するものであるのか」
「否、断じて否! 私の魂は今もハイドリヒ卿のお傍に在る! 私は今や闘争の獣そのものであり、およそ人界を喰らい尽くす炎魔に他ならない!
 己が不義を曝け出す? いいや否、私はただ純粋な怒りを抱くに過ぎない。何故、我らグラズヘイムの戦鬼がこのような茶番に堕とされたというのか……!」

 魔力充填、渇望の高まりは今や最高潮に達する。
 宝具の発動条件は整った。既に焦熱の世界は、必勝の状態で解放が叶う。
 しかし、それはアーサーとて同様であるだろう。風の鞘が取り払われた黄金の刀身は、ただの横薙ぎであろうとも対人の宝具など及びもつかない威力を誇ることは、既にこの身を以て知っている。更に真名解放が伴えば、人類史でも屈指の偉業、星の光による万象の破壊が成し遂げられるに違いない。

「私だ。私こそが世界の敵だ! 今も、今も、今も……!
 この都市の最果てにあるものを貴様は見るだろう! 意志もなく、道理もなく、爛れた白痴の宇宙に坐する渾沌の具現を!
 ならばこそ、これは選定だ。私か貴様か、あるいは他のいずれの者であるのか。一体誰が、この世界の行く末を決める資格を持つのか!!」

 絶叫しながらの真名解放。
 ───焦熱世界・激痛の剣(ムスペルヘイム・レーヴァテイン)
 魔力放射。夜闇を貫いて疾走するエーテル光が、廃墟群を取り囲んで円形の結界と為す。
 覇道創造とは自己の世界の構築。すなわち固有結界に代表される心象風景の具象化にも等しい大禁咒であり、超々高密度の異界法則をこの世に顕現させる文字通りの"世界創造"の所業である。
 これこそが彼女の持つ唯一無二の"剣"。抜かせてはならぬはずの切り札が、しかし此処に開帳される。

 一瞬にして周囲の光景が、紅蓮一色に染め上げられた。空気は焼け、地面は黒く焦がされ、内界に存在するあらゆる物質が沸騰蒸発を超過し細かな粒子へと分解される。
 焔を行使するという一点において、それは今までのザミエルの異能と何ら変わりない。しかしこれは込められた魔力と威力の多寡が桁違いであり、それさえ焦熱世界の本質から程遠い。
 それは、逃げ場のない封鎖された世界であるということ。
 すなわち絶対必中の具現。最初から回避の余地が失われた別世界という、それは命中という概念に対する一つの解答の形でもある。
 それが証に、見るがいい。
 見上げるアーサーの頭上からは、焔になり変わった空そのものが地表を目指して墜落しようとしている!

 核熱に匹敵する熱量はサーヴァントであっても耐えきれるものではなく、業火と化した天の崩落は三騎士クラスのサーヴァントであろうとも確実に崩壊に導くであろう。
 逃げ場はない。回避は不可能、どう足掻いても正面より受けて立つ他になし。
 つまり───何の問題もない。
 アーサーに逃げる気などないし、真正面からの勝負を避けるつもりもなかった。この敵手は正攻法でなくば打倒すること叶わず、小手先に頼るようでは即座に叩き潰されるが条理である故に。
 その手に握るは星の聖剣。例え"世界"そのものが相手であろうと、星の祈りたる輝きの剣が劣る道理は一切なし!

「十三拘束解放───円卓議決開始」

 かつて統べた円卓の議決を告げる声と共に、風の鞘の更に最奥に施された封印の枷が解けていく。

《是は、一対一の戦いである》───バロミデス承認。
《是は、人道に背かぬ戦いである》───ガヘリス承認。
《是は、真実のための戦いである》───アグラヴェイン承認。
《是は、精霊との戦いではない》───ランスロット承認。
《是は、邪悪との戦いである》───モードレッド承認。
《是は、私欲なき戦いである》───ギャラハッド承認。

 此処に顕現するのは過重星光(オーバーロード)、完全承認には足りずとも顕現する紛うことなき星の光なればこそ。
 星の聖剣(エクスカリバー)は、焔の魔剣(レーヴァテイン)による極大規模の魔力放射を盾のように防ぎきる!
 上方より迫る熱放射の悉く、翳された聖剣に弾かれ、滑り、アーサーを中心に放射状に周囲へ受け流される!

「防御能力! だが聖剣の真の力はそんなものではあるまい!」
「どうかな」

 瞬間、振るわれる閃光が炎塊を両断し、蒼銀の鎧が翻る。それはまさしくレーヴァテインの炎に聖剣の光が打ち勝った証左であり、一挙動に跳躍したアーサーの剣は既にザミエルの眼前にまで迫っていた。
 この一合、この勝負の結末は単に両者の相性によるものが大きい。
 エクスカリバーは光の集束、つまりは一点集中であるのに対し、レーヴァテインは広域殲滅、つまりは威力が分散するのだ。面に対する線と言うべきか、聖剣はまるで薄布の膜を切り裂くかのように炎を切断する。

「お前の悪は、同じく英霊として在る我が悪に等しく。我が罪に等しく」

 言葉と共に。

 聖剣、一閃。
 星光。一閃。

「故に、これは引導である!」

 光が、炎を引き裂く。
 此処に二者の決着は成り、勝敗は決した。

 だが───
 だが、仮の話として。

 分散する炎の全てが、一極に集中することがあれば、どうか。
 いやそもそもの話として、有象無象を焼き払う広域殲滅の形態が、一対一の決闘に用いられる剣と呼べるのかどうか。

 故に、これは。

「甘いぞ、騎士王!」

 突如、ザミエルの背後より振るわれるものがあった。
 それは巨大。それは威容。人がその手に持つものとは思えぬほどに大きな、それは一振りの巨大な剣であった。
 焔の剣。それは、かつてザミエルが手にしたものなど比較にならぬ魔力を以て。
 新たに現出した魔剣の一撃が、今まさにザミエルを切り裂かんとする聖剣の一撃を食い止める!
 圧倒的なまでの魔力。
 非常識なまでの威力。
 星と人々の営みの結晶たる聖剣の光を、たかが一個人の渇望の具現たる魔剣の炎が食いとめるのか。両者は正しく拮抗し、鍔迫り合いの余波が爆砕の衝撃波となって周囲を抉り取る。舞い上がる炎の残滓が、幻想の赤いヴェールであるかのように辺りに拡散する。

「舐めるなよ。我が忠義の炎が、たかがその程度で終わると思ったか!」

 既にこの身は至高の黄金を垣間見た。
 払いを及ぼし穢れを流し、溶かし解放して尊きものへ。至高の黄金として輝かせよう。
 ならばこそ、例え星光の剣であろうとも───
 二番煎じの黄金に、この胸を焦がす炎が負ける道理などない!

「私すら滅ぼせぬ者に! 黄金螺旋階段の果てに坐す人類悪を両断することは叶わない!」
「ぐぅ、おお……オオオオォォォオオオオオオオオオオオ──────ッ!!」

 両者の表情を彩るは、共に凄絶なる戦意の顕れ。歯を食いしばり過剰魔力により血涙すらその目に浮かべて、されど尽きせぬ撃滅の意志だけは絶やすことなく。
 けれど悲しいかな。拮抗の趨勢はすぐさま、アーサーの不利となって現れる。
 それは相性は両者の力量の差などではなく、酷く単純な話。エクスカリバーはそもそも真名の解放を伴っていない。
 オーバーロードはあくまで余技、聖剣の本質などでは断じてない。風王鉄槌の一撃などは遥かに超えているものの、星の聖剣の真なる解放には遠く及ばないのだ。
 その一撃でさえ三騎士が一角の創造にすら匹敵するというのだから、文字通りの規格外ではあるのだが、この場合は力不足という他にない。
 形勢が、徐々に傾いていく。ザミエルに斬り込まんとする刃、徐々に力を失って。

 自分は、負けてしまうのか。

 否応なく心に浮かぶ、敗残の疑念。
 いいや否、負けるわけにはいかぬのだと感情は叫ぶけれど、戦士として磨き抜かれた冷徹な思考は目の前の戦況を的確に判断する。
 出力不足、範囲不足、敵を打ち倒すにはあと一手が足りない。
 『幸福』の時もそうだった。あの場面においては奇跡のような救けが三度舞い降りたが、しかしそれは望外の救援であり常態として頼みにできるものではない。
 つまり、アーサー・ペンドラゴン一人では敗北する。それは絶対的な現実として目の前に立ち塞がった。

 奇しくも、彼がザミエルに語った言葉と全く同じに。
 所詮は一個人であり万能ではないのだと、自分一人では抗えぬ現実は無数にあるのだと。

 一瞬でも心を過れば、すぐさまそれは現実の弱さとして具現する。
 物理的な拮抗を保っている以上、勝負を決めるのは精神の強さであればこそ、アーサー・ペンドラゴンは敗残するのみであるのだと───





「諦めるんじゃねえッ!!」





 声が響いた瞬間、
 世界を隔てる赫炎の結界が、文字通り粉々に砕け散った。

「なん、だとォ……!?」

 衝撃と轟音、そして何より"焦熱結界を砕かれたことによるフォードバックダメージ"により振り返ったザミエルの頭上に、舞い散る紅の破片と共に躍る人影が一つ。
 ステンドグラスを砕いたかのように光り輝く世界の欠片を纏いながら、剣を携え舞い降りるのは男だった。青年とも、未だ少年とさえ形容できる顔立ちの男。その正体に、ザミエルの表情が驚愕に染まる。
 そしてこの時、不意を打たれて刹那動きを止めて接近を許してしまうという、ザミエルにとってあるまじきミスを彼女は犯してしまった。
 その要因は、三つ。
 一つにレーヴァテインの性質変化。本来世界全体を覆い尽くす炎の波濤は不意を打たれようが容易に乱入者を撃滅できたであろうが、聖剣の迎撃に全てを一極集中している現状ではそうはいかない。
 一つに男の正体。彼はザミエルにとって見知った者であり、いずれ刃を交えるべき宿敵でもあった。
 一つに男の持つ武装。彼の武装をザミエルは知っている。罪姫・正義の柱(マルグリッド・ボワ・ジュスティス)、不死さえも殺す万物即死の刃。人器融合の形として現れるそれは確かな脅威であれど、それだけならば何も驚愕には値しない。
 だが違う。男───藤井蓮が持つのは、剣。
 戦雷の聖剣(スルーズ・ワルキューレ)。それは本来、彼ではなくベアトリス・キルヒアイゼンが持つべきの───

「カールクラフトの代替……! 貴様、何を───!?」

 言葉の代わりに振り下ろされる斬撃、それをザミエルは辛うじてサーベルの残骸で受け止める。
 甲高い反響音と共に、跳ね返された戦雷の聖剣が慣性の法則に従って空中を回転した。重心を中心に、円を描くように。
 ザミエルは、目を疑った。
 騎士剣の柄を握っているべき手が、藤井蓮の姿が、視界から消え失せていた。
 騎士剣を手放した蓮の身体は、滑り込むようにザミエルの背後へと回りこんでいた。
 その時になって初めて、ザミエルは敵手の姿ではなく"亡き部下の形見である騎士剣"の姿をこそ追っていたことを悟った。
 無理からぬ話である。エイヴィヒカイトの使い手は聖遺物なしには異能を行使することが叶わず、ましてこの聖遺物は部下の形見。それを無意識に追ってしまうことも、まさか敵手がそれを手放してしまうなどと考えが及ばないことも、仕方のない話ではあった。
 ───そしてそれが、ザミエルの死を決定づける要因になった。

「真名解放───打ち砕く王の右手よ!」

 次の瞬間、無防備な背中に凄まじい衝撃。咄嗟に展開した魔力障壁すら容易く貫通し、文字通り背を折り砕くほどの威力をまともに受けて、呼吸が止まり視界が反転する。
 焔の魔剣が霧散する。聖剣との力の均衡が崩れ、ザミエルは舞い上がる大量の炎風に包まれながら吹き飛ばされた。
 声にもならず、叫びも出ず、空中で何とか身を捻り着地しようとした瞬間には、目の前に迫る光の斬撃。
 不自然なほどゆっくりと流れる視界の中で、ザミエルはそれを目にして。

「───見事だ」

 己が心臓ごと総身を両断する剣閃に、曇りなき賞賛を贈ったのだった。






「貴公は尋常ならざる強さを持っていた。その自負心、その名誉、その忠義は一片たりとも崩れず、落ちもしなかった。
 私一人では、きっと……勝ちを拾うことはできなかっただろう」

 語る口調は穏やかに、それは敬うに足る誰かを看取るかのように。

「だが私はこの結果を誇ろう。マスターがいて、守るべき少女がいて、心強き戦友もいた。
 たったそれだけのことで、私は間違ってなどいないのだと信じることができる」
「ふん、貴様はどこまでも……」

 斃れる赤騎士は、その総身を真紅の血に染め上げて。既に気管は断たれ血液が逆流し、まともに言葉も紡げぬ身であるはずなのに。

「私はそんなものなど知らん。私が望むのはただ一つ、ハイドリヒ卿の駒であることのみ。
 救いなど請わん、助けなど求めん。私は私である限り、ただ一人だけで遍く敵を殺し尽くそう。
 それこそが、彼の傍に侍るべき騎士の姿。脆弱など許されるはずもない」

 その姿はどこまでも孤高。他者の救けを借りず、求めず、どこまでも己一人で修羅の道を歩まんとする戦鬼がそこには在った。既に手足の末端は黄金の粒子と溶けつつあり、総身が文字通り透けて見えるほどの瀕死であるにも関わらず、その姿は覇気に満ちて。
 それはある側面から見れば確かに人としての強さを思わせ、故に一介の戦士として憧れる部分もあるけれど。

 そんな二人の視線を知ってか知らずか、僅かに苦笑すると言葉を続ける。

「故にだ。私の屍を踏み越える以上、その敗北は許されんと知れ。騎士王、そして貴様もだ、ツァラトゥストラ。
 是なる現界、是なる衆愚蔓延る世界に最早愛想も尽き果てた。故に私は一足先に退場するとしよう。不本意だが、後の始末は貴様らに預けるものとする」

 傲岸不遜の極みのようなことを言い放ち、「ああそういえば」と思い出したように。

「騎士王、貴様との約束を果たそう」
「それは……」
「聞け。私の戦った理由、尚も生き足掻き無様を晒した理由。それは"聖杯戦争を破壊するため"だ」

 その言葉に、アーサーと蓮は共に気色ばんだ。それは彼らが戦う理由でもあり、糸口を探しているまさにその最中の事柄であったからだ。

「そして私は真実の一端を手に入れた。その上で結論だけを言おう。騎士王、貴様はその聖剣を解き放て。然るべき時、然るべき相手を前に、星の光を引き出すのだ」
「どういうことだ。貴公は何を知っている!」
「二度は言わん。まったく赤薔薇め、まさかここまで予想していたわけではあるまいが……いや、奴のことだからあるいは……」

 遂に声までもが翳りを見せ、ザミエルの総身が消えていく。
 もう、時間は残されていない。

「行け、そして倒せ。何が立ち塞がろうとも、貴様らは……
 勝者としての責務を全うし、その果てに……」
「待て!」

 叫んだのは、アーサーと蓮のどちらであったか。彼らは共に手を伸ばし。
 それを前に、ザミエルは相も変らぬ不遜な表情のまま。

「世界を救え。貴様らにできるのは、所詮その程度なのだから」

 最期の瞬間まで、憎まれ口を止めることなく。
 グラズヘイムの炎魔は、二度目の生涯に幕を閉じたのだった。



 ………。

 ……。

 …。

 ────────────────────────。


 返答は聞こえなかった。
 私の言葉に彼らが何を返したのか、あるいは無言のままだったのか、それも分からない。
 だから、寄り道は終わりだ。
 私は、私がすべきことを為そう。

 ザミエル・ツェンタウァの魔名を持つ不死英雄(エインフェリア)として、相応しい最期を遂げるのだ。

 因果なことだと思う。赤薔薇の言を聞き入れ、後継に全てを託すなど、常の私ならば考えられないことではあるが。
 なに、万仙の醜悪さを消し去るためならば全ては些末事だ。
 それを目にすることが叶わないのは、素直に悔いが残るが……
 私は、魔弾の射手(ザミエル)として死のう。
 託した願いを魔弾として、高みで見下ろす不埒な輩を撃ち貫くと信じよう。
 この命失おうとも、天然自然一切の理に反そうとも、幾億万の悪鬼が阻もうとも、死の門を必ずや潜り抜け、きっと、あなたの覇道を貫こう。
 そうだ、あなたのために。

 尊き我が主。
 誰よりもまばゆい、あなた。
 誰よりも恐ろしい、あなた。
 私が、荘厳なるヴァルハラへと至るきっかけをくれた───

 この世の誰よりも大きな愛を抱いた、この世総てを愛するあなた。
 ハイドリヒ卿───





【アーチャー(エレオノーレ・フォン・ヴィッテンブルグ)@Dies Irae 消滅】





   ▼  ▼  ▼





「君に命を救われるのは、これで二度目になるな」
「気にするな、アンタが戦ってなきゃ死んでいたのは俺だ」

 焔も轟音も赤色も何もかもが消え去り、元の闇色が戻った廃墟群にて。
 二人の男がそこにはいた。共にボロボロで大小様々な損傷を負い、見るも痛々しい有り様ではあったが。
 勝ち残ったのは彼らだ。生き残ったのは彼らだ。
 生存に優劣はなく、生きる意志に貴賤はない。故にこそ、どれだけの泥に塗れどれだけの傷を負おうと、生き残った彼らこそが勝者であることに疑いはない。

すばるは……見つかってないみたいだな。手がかりは?」
「いや、掴む前に戦闘に入った。都市そのものを消し飛ばそうとする彼女を放置してはおけなかった」
「そうか。けどおかげで魔力反応を辿って俺も駆けつけることはできた。ああ、それと……」
「セイバー!」

 二人に向かってかけられる声が一つ。振り向けば、そこには駆け寄ってくる一人の少女の姿。
 キーアが、足場の悪さに悪戦苦闘しながらも、息を切らせて走り寄ってきた。
 無事だった。見たところ怪我もなく、これほどまでに揺れる都市の中にあって尚も壮健な姿のままで。

「この通り、アンタのマスターは五体無事だよ。これからは……」

 ぐらり、と蓮の身体が揺れる。
 それは一瞬のことだったが、キーアを抱き止めるアーサーの目は、それを見逃さなかった。

「力の反動か」
「……まあ、あいつの創造をぶっ壊すにはそれしかなかったからな。むしろアンタにまで影響が出てなくてほっとしてるよ」

 先程の場面、ザミエルの焦熱世界が砕けたのには絡繰りがある。
 事は至って単純、外側に到達した蓮が同じく創造を発動し、その効力を以てして結界を粉砕したのだ。
 対象は空間それ自体なれど、死者たるサーヴァントの能力に変わりはなし。生者のキーアには何ら影響を及ぼさず、内部のアーサーは当の結界が空間ごと断絶させているため届かず、罅割れた瞬間に発動を停止させ力づくでの突破に踏み切った。

「改めて感謝を。君の助力があってこそ、僕は彼女を倒すことができた。君がいなければ、今頃僕は……」
「やめてくれ。何はどうあれ結果はこうだ。俺はアンタを頼ってアンタは俺を使う、適材適所って奴だろ。それよりアイはどうしたんだ?」

 ……一瞬、場の空気が固まったように思えたのは、きっとキーアの勘違いではあるまい。
 そんなことを、アーサーの外套の裾を掴みながら、あれ?という表情でキーアは思った。

「なあ、まさか……」
「……すまない。ザミエル卿の凶行を前に僕を送り出して、その後は」
「いや大体分かったアンタは別に悪くない、あいつのことだきっと勝手にすばるを助けにどっか行ったな絶対そうだなあの莫迦野郎は!」

 実際のところアーサーに非はないだろう。ザミエルとは完全な遭遇戦だったのだろうし、戦場に無力なマスターを引き連れていけるわけもなし。事実として蓮もザミエルに突貫した時は都市中大地震であったにも関わらずキーアを置いてきぼりにしてしまったし、そもそもあいつの性分からして安全地帯で大人しく待ってるなどできっこないだろう。

「騎士王、話したいことは山ほどあるけど俺はアイを探しに行く! 悪いがすばるのほうはよろしく頼む!」
「あ、待って! だったら私達も一緒に行ったほうが……」
「いや、キーア。これでいいんだ。レン、幸運を祈る」

 頷きだけで返して、蓮は一挙動に地を蹴り廃ビルの向こう側へと姿を消した。それを見送ると、不安げに見上げるキーアにアーサーは答える。

「マスターの君を連れ立ったままだと、行動と速度に制限が出る。それだと間に合わない可能性もあるし、素早く動ける彼が単独で探しに行ったほうがいい。それにアイとすばるが近くにいる保証もないから、手分けしたほうが確実だ」
「でも、レンは体が……」
「そこは僕も心配だけど、でも大丈夫。彼は強いからね、きっとまた会えるさ」

 それも事実だ。少なくとも、騎士王アーサー・ペンドラゴンが信を置ける程度には。彼の実力には一定の信頼がある。

「ともかく、僕達は僕達にできることをしよう。すばるのことも気にかかるし、それに……」

 と、そこまで言った。
 その瞬間だった。

「───え?」

 都市そのものを揺らす轟音が、一つ、また一つと鳴り響いて。
 遠方で刃を交える巨大な影、それらが特に大きく腕を交差するのが、遠目にも見えて。
 そこまではいい。けれど、次の瞬間、狼を貫いた巨人の手から、白い光が漏れだして───

 一瞬、ほんの一瞬だけ、とても眩しくて目を開けていられなくなって。
 翳した手をのけてから、もう一度見ると、そこにはもう何の姿もなくて。

「セイバー、これって……」
「ああ。これは……」

 いつの間にか固くなった声を、交わし合う。
 聖杯戦争の執着は、既にその尾を見せ始めつつあるのだと。
 誰に言われるでもなく、二人はそう直感するのだった。



【二柱の巨神、一時消滅】



『C-3/鎌倉市街地跡/一日目・禍時』


【キーア@赫炎のインガノック-What a beautiful people-】
[令呪]三画
[状態]魔力消費(中)、決意、原因不明の悲しみ(大)
[装備]なし
[道具]なし
[所持金]子供のお小遣い程度
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯戦争からの脱出。
1:もう迷わない。止まることもしない。
[備考]
現在セイバー(藤井蓮)と行動を共にしています。


【セイバー(アーサー・ペンドラゴン)@Fate/Prototype 蒼銀のフラグメンツ】
[状態]魔力消費(大)、全身にダメージ、疲労(大)
[装備]風王結界
[道具]なし
[所持金]なし
[思考・状況]
基本行動方針:キーアを聖杯戦争より脱出させる。
0:状況に対処する。しかしアーチャーの言は……
1:キャスターの言を信じ成すべきことを成す。
2:消滅した巨影と砲撃を敢行する戦艦、どちらに向かうべきか。
[備考]
衛宮士郎、アサシン(アカメ)を確認。その能力を大凡知りました。
キャスター(壇狩摩)から何かを聞きました。
傾城反魂香にはかかっていません。
セイバー(藤井蓮)と情報を共有しました。


【セイバー(藤井蓮)@Dies Irae】
[状態] 右半身を中心に諧謔による身体破壊(中・修復中)、疲労(大)、魔力消費(中)、困惑
[装備] 戦雷の聖剣、《打ち砕く王の右手》
[道具] なし
[所持金] マスターに同じく
[思考・状況]
基本行動方針:アイを"救う"。世界を救う化け物になど、させない。
0:何やってんだあの莫迦は!
1:聖杯戦争の裏に潜む何者かに対する干渉手段の模索。アーサー王と合流してこの異常事態への情報を共有したい。
2:悪戯に殺す趣味はないが、襲ってくるなら容赦はしない。
3:ゆきの使役するアサシンを強く警戒。だがこの段階においては……
4:ロストマン(結城友奈)に対する極めて強い疑念。
[備考]
バーサーカー(アンガ・ファンダージ)、バーサーカー(式岸軋騎)を確認しました。
すばる&アーチャー(東郷美森)、キーア&セイバー(アーサー・ペンドラゴン)とコンタクトを取りました。
アサシン(ハサン・サッバーハ)と一時交戦しました。その正体についてはある程度の予測はついてますが確信には至っていません。
C-3とD-1で起きた破壊音を遠方より確認しました。
ライダー(ドンキホーテ・ドフラミンゴ)を無差別殺人を繰り返すヤクザと関係があると推測しています。
ライダー(ゲッツ・フォン・ベルリッヒンゲン)及びアサシン(アカメ)と交戦しました。
ランサー(結城友奈)の変質を確認しました。
セイバー(アーサー・ペンドラゴン)と情報を共有しました。
針目縫から《打ち砕く王の右手》の概念を簒奪しました。超越する人の理により無理やり支配下に置いています。
最終更新:2020年08月24日 17:13