「敵がいる。多分、この気配はシュライバーだ」

 彼方を見据える蓮がぽつりと言った。
 えっ、と返すことしか、二人はできなかった。

「シュライバー……確かセイバーさんと戦った黒いライダーのご同類、でしたっけ」

 今も記憶に新しい光景を、アイは思い返す。
 夕暮れの市街地、その一角。周囲を瓦礫の山と変えながら行われた蓮と黒色の偉丈夫との果し合い。
 この世のものとは思えない、凄絶極まる破壊の嵐。
 聞けば、かの黒騎士は既にマスターを失い、かつ三騎士としての力をほぼ喪失した状態だったという。それでさえあの規模の大崩壊が巻き起こったという事実が、純粋な畏怖としてアイの心の裡に叩き込まれていた。

 あれの、同類。
 しかも弱体化など一切していないであろう、真実の姿。
 想起するだけでも恐ろしく、感情ではない本能の部分が「今すぐ逃げろ」と警鐘を鳴らして止まない。

「……いいえ」

 アイ・アスティンが聖杯戦争に際して掲げてきたスタンスは、一つきりである。
 すなわち、闘争の否定。殺戮の拒絶。助けられる者を救け、失われる人命を少しでも救う。
 世界を救う一貫としての、聖杯戦争の破綻。

 最初から今まで、アイが目指し努めてきたのは、そうした想いだった。

「行きましょう。キーアさんと騎士さんが、ブレイバーさんが、そしてもしかすると他の人たちも、謂れなき死の恐怖に苛まれているかもしれません」

 だったら、取るべき道は一つだろう。
 救いを求める人がいるならば、アイは必ずその手を掴む。
 助ける。絶対に見捨てない。
 あの日、あの時、父の眠る墓標の前でそう誓ったのだから。

「最初からそのつもりだよ。揃いも揃って殺しが好きな人でなしだからなアイツら。どんなスタンスを取るにしても、全員倒さなきゃ俺達に未来はない」
「はい……いえ、でもその前に一つだけお願いが」
「なんだよいきなり」

 蓮は訝しげな顔でこちらを見つめてくる。
 分かってないのだろうか。それとも分からないフリをしている?

「無理だけはしないでください。どうしてもダメな時は、連れられるだけの人を連れて逃げちゃいましょう」
「……なんか、お前らしくないな。俺としちゃそっちのほうがありがたいけどさ」

 なんて言って、彼は何でもない風に返してくる。
 分かっているのだろうか。分かっていてほしい。
 その言葉が自分らしくないことは、アイが一番分かっている。
 ここにいるのがアイひとりなら、きっとそんなことは言わないに決まっているのだ。
 だから……

「あの……」

 と。
 蓮の抱える腕の中から声がひとつ。控えめに発せられる。
 声の主───目を覚ましたすばるはおずおずと、こちらに視線を向けて。

「だったら、わたしが最初に行くよ。多分、それが一番良いと思う」

 そんなことを、提案してきたのだった。





   ▼  ▼  ▼





 《奇械》とは生まれることなき命たちの"可能性"そのもの。
 故にこそ、その手は万物に届き得る。そして可能性そのものであるがため、現実に在るあらゆる干渉を受け付けない。
 それは背後に立つ影のみならず、影を宿す本体さえも。顕現する《奇械》の機能は、宿主さえも一時的に超常のものへと変革させる。

 攻撃の作用など二種しかない。徒手も剣も銃砲火器も、幻想に位置する神秘の数々でさえも。その法理は変わらない。
 すなわち、上手く当てる力か、当てて殺す力。そのどちらか、あるいは両方。
 その点で言えば、すばるの一手はまさしく天啓とも言える一打だった。可能性分岐する無限の未来から「当たる」世界線を掴み取り、その一撃は致命崩壊を引き起こした。

 ただ一度だけの奇跡。すばるは間違いなく、ウォルフガング・シュライバーという不落の砦を打ち崩すことに成功したのだ。
 ただし。



「Und ruhe mich nicht an!!」



 それは"一度"だけの話だ。

 次瞬、砂像のように崩壊したはずのシュライバーが完全な再生を果たして飛びかかってきた事実に、すばると友奈は反応することができなかった。
 二人は虚を突かれた表情をして、しかし認識よりも早く肉体が動くことはない。眼前のあまりの不条理に、"そんなこと"があり得るはずがないとしか思えなかったのだ。
 死んだはずだ。
 すばるは、確かに、その手でシュライバーを殺した。
 それは確かな事実であり、ならばこの事態は一体何であるのか。

 ───シュライバーの持つ超速再生とは、内に溜めこんだ魂を消費することによる無理やりな肉体補填である。
 エイヴィヒカイトの基本原理、殺した数だけ強くなる。千人を殺しその魂を喰らったならば、千人分の膂力と生命力を獲得する文字通りの一騎当千。
 この状態のシュライバーにおいて、肉体の完全消滅であろうとも魂の一つを消費すれば容易く復帰可能な損傷でしかない。
 彼の持つ魂の総量は、18万5731。
 更に聖杯戦争で殲滅した二十余の英霊たちに、虐殺された市井の民。その総数を合わせれば、およそ30万にも相当する霊的質量に膨れ上がっている。
 今のシュライバーにとって、死すら己が身を縛る枷とは成り得ない。

 すばるは確かにシュライバーを殺した。
 だが真に彼を打ち負かしたくば、それをあと30万回繰り返さなければならない。

 その事実を思い知るよりも圧倒的に速く、シュライバーの魔手はすばるへと振り下ろされ───



「やらせるわけ、ねえだろうが……ッ!」



 振るわれる死の斬閃を、迎え撃つ剣がひとつ。
 先端に備わった五本の鋭利な爪と纏わりつく死の黒色、こびりついた血肉が放つ饐えた悪臭の悉くさえも。
 白雷纏う長剣が防ぐ。不浄の瘴気を祓うかのように、曇りない澄んだ白光が盾となって。

「こっちです、すばるさん!」

 その光景に我知らず見入っていたすばるの首元を、強い力が"ぐい"と引っ張った。
 何事かと振り返れば、そこには自分を引きずって走るアイの姿があった。
 突然のことで声も出ないまま、あれよという間に数十m近い距離を駆け抜けた二人は、そのままキーアやもっとたくさんの人たちのいる場所までたどり着くと「ずしゃー」と滑り込んだのだった。

「あの、えっと……ありがとう、アイちゃん。それにごめんね……」
「いえ、それはいいです。結局は私も認めたことですし、それにすばるさんってば大人しそうに見えて実は相当無茶する人だって分かってましたからね」

 若干拗ねてるように言うアイは、すばるの先行に最後まで異を唱えていたのだった。駄目ですせめてセイバーさんを付けてください何なら私が行きますとまで言ってセイバーにゲンコツを落とされて、そこでようやくアイはすばるの提案に折れたのだ。

 ───まあ確かに、自分でも驚くくらい無茶やってるなぁ。

 なんて、そんなことを思いつつ。けれど現実問題としてアレを倒せなかったという事実が心に圧し掛かる。

 あとは、ブレイバーたちに任せるしかない。
 我が身の無力さが今は憎らしい。だからせめて、どうかブレイバーたちが無事に勝利できることを、と心の裡で祈って。

「アイ、スバル! 無事だったのね」
「そうか、彼はやってくれたのか……」

 キーアや騎士のセイバーがそこにはいて、他にも金ぴかの人や妖精さんみたいな女の子、赤い瞳のお姫様みたいな子がいて。
 知らない人、たくさんいる……一瞬ちょっとだけ驚いてしまったけれど。

「心配はいらない。彼らは、味方だ」
「貴様を朋友に迎えた覚えはないのだがな、聖剣使い。とはいえ一時休戦であることは確かではあろう。あのケダモノを前にして、婦女子に要らぬ手をかけるつもりなどない故に安心して見守っているがいい」

 アーチャー───背中の後ろのほうから凄く眩しい光を出している。宝具か何かだろうか───に合わせて、隣の瞼を閉じた女の子も同意するように頷いている。
 共同戦線、ということなのだろうか。さっきはブレイバーを助けたい一心で周りがよく見えていなかった。よく見れば、キーアはいつの間にか黒い剣を持っていて。サーヴァントだけじゃなくマスターのキーアも含めて、みんな激しい戦いを乗り越えてきたんだな、と。

「だからこそ、そろそろ僕も出陣しなくてはならないだろう」

 声と共に、鎧姿の騎士が立ち上がる音があった。

「でもセイバー、傷がまだ……」
「君の令呪のおかげで、傷口自体は既に癒えている。隻腕でも戦えるだけの修練は積んでいるから、足手纏いにはならないさ。
 ───ランサー」
「ええ、言われるまでもなく。こっちの茨はあなたの代わりに私が何とかしておくから、心置きなく行ってらっしゃいな」

 ランサー───赤い目の女の子と、何よりキーアに応えるように、セイバーは決意を湛えた横顔で頷き、駆けだした。
 一陣の颶風となって消えるセイバーの姿。それを見送るキーアを支えるように立つ、ランサーの少女。

「でも、不思議なこともあったものね。こうして直に触れるまで、私も気付かなかったけれど」
「え?」

 ランサーは感慨深げに、あるいは我が身にあきれ返っているかのように、そんなことを言って。
 何のことだか分からないふうなキーアに構うことなく言葉を続ける。

「この都市には四人の《奪われた者》がいる。"いた"と言うほうが正しいか。バーサークセイバーにオルタナティブのアーチャー、それに私。あと一人は、あのいけ好かない魔女気取りの小娘だとばかり思っていたのだけど」

 そうして、ランサーは告げる。
 傍にいたすばるもアイも分からぬその言葉を。キーアとギルガメッシュはきっと理解できたであろうその言葉を。
 残酷でもなく、冷酷でもなく。
 ただそうであるがままに、呟いて。

「四人目って、あなただったのね。キーア」

 二人は同じ赫色の目を、合わせて───





   ▼  ▼  ▼





 そして戦場は再びの動乱に陥る。
 一度目の死に身を窶した狂乱の獣が、冥府の底より尚蘇り更なる強化を自身に強いて無限の加速を果たすのだ。

「Sie verblassen」

 軋みを上げ、殺戮兵器が再起動を遂げる。
 愛を注ごうと、悪意を浴びせようと関係なく。ただ食い荒らすことしかできない暴虐の獣が、その隻眼で覗き込む。
 妄執、情熱、狂愛がぐるぐるとその眼球の奥でかき混ぜられていく。逆側に空いた空洞の孔は、腐臭と共に暴嵐の再動を告げていた。

「▂▂▅▆▆▂▅▆▂▅▆▇▇▇▇▇▅▆▆▆▇▇▇──────!!!!」

 そして次瞬、動作する全てへの殺意を叩きつけるかの如く、鞭のようにしなる長腕が地面へと振るわれた。
 大地を伝播する衝撃が、地盤ごとその場の全員を揺り動かしてよろけさせる。だがそれは牽制や足止めの類にあらず、もっと根源的な"何か"への明確な攻撃であった。

 震動するものがあった。それは大地そのものであり、都市そのものであり、そして世界そのものでもあった。
 体勢を立て直した蓮は、友奈は、アーサーは気付く。"空が遠くなっていく"。
 天が遠ざかっているのではない。自分たちが落下しているのだ。両足で踏みしめる大地ごと、シュライバーを中心とした広範囲が徐々に降下を始めている。

「地盤沈下……いや、これは!」

 そして気付く。これは地盤沈下などという物理的な破壊ではない。見れば沈降の境界面は不定形の揺らぎに覆われて、向こう側の風景は蜃気楼のように揺らめいている。
 外界と隔絶した位相次元の確立、次いで虚数空間へと沈降していく球形状の揺らぎ。
 そう、シュライバーは単独の魔力のみで、小規模とはいえ独立した特異点を構築したのだ。

「そこまでして、俺達を逃がさないってことかよ」

 叩いても叩いても死なず、あろうことか次々と数を増やしていく敵性サーヴァントに業を煮やしたのか。
 この都市に残る生存者を決して逃しはしないと言わんばかりに、そして厳然たる事実として最早彼らは逃げられない。

 シュライバーを殺すか、全員死ぬか。
 既に、二つに一つの道しか彼らには残されていないのだ。

「▂▂▅▆▆▂▅▆▂▅▆▇▇▇▇▇▅▆▆▆▇▇▇──────!!」

 雄叫びと共に疾走し、シュライバーが最初に狙ったのは蓮だった。その選別に理由はなく、単純に一番近くにいたからというただそれだけ。
 今や彼にとってこの場の全員は等しく殺害する対象に変わりなく、故に個々人の認識など必要ない。

「ッ、クソ、がァ───ッ!」

 絶叫と共に、極大の衝撃で弾け飛ぶ肉体。千切れ飛んだ肉片、蓮の二の腕が骨を残して噛み千切られていた。
 交差の瞬間放ったのは幻想の雷電。
 人間一人が避け得る場所も時間もないはずの視界を埋め尽くす紫電の波濤は、しかし敵影を捕えることなく夜を切り裂くのみ。決して目標には命中しない。

「てぇ───りゃああああああああっ!!」

 白光の隙間を縫うようにして飛来するは友奈の拳打であり、しかしその瞬間には少女の背後に移動を完了したシュライバーが鉤爪を振り下ろしている。
 弾ける衝撃、悲鳴すら追い抜いて叩きつけられる友奈を後目に、未だ中空に在るシュライバーを照準して周囲一帯ごとを吹き散らす風の刃が放たれた。
 それは後衛より刃を翳すアーサーの一撃であり、故にこそ避けようのない致命のタイミングであった。誰しも全力の攻撃を敢行しては一瞬の隙は生まれるものであり、まして翼持たぬ人の身で空中を自由に行き来できるはずもなく。例えどれほどの絶速を持とうが回避の余地など微塵もなかった。
 はずなのだが。

「Ich bin noch jung,geh,Lieber!」

 何ということか───シュライバーはそれすら蛇のように旋回して掻い潜る。
 彼は飛行に類する技能を有しているわけではない。そうした魔術の薫陶を受けたわけでもない。
 これは至極単純な話。空気を蹴り上げて空中を移動したという、あまりに荒唐無稽な理屈なのだ。
 世界が静止したに等しい速度を持つシュライバーにとって、舞い上げられた木の葉や砂礫は愚か、ただそこに充満する大気ですら移動を補助する足場となる。

「────────────!!」

 そして自然、向けられた殺意に攻撃の矛先がアーサーへと照準され───その間に飛び込んだ蓮が凶獣の一撃をその身に受ける。

「ぐ、ぁ、アアアァァァ……!」

 地に足がつくより暴狂の嵐が腕を、足を、胴体を四方から打ちのめす。中空で踊る蓮は竜巻に弄ばれる木の葉、否、それより尚酷い。
 繰り返される特攻は神速の具現だ。音速など五桁は超えている最速の連撃が、衝撃波を伴って肉体を引き千切りながら切り刻んでいく。
 更に、最悪なのが意図せずして聴覚を無用のものへと変えた、この───

「──────────────────!!!」

 耳を掠めた風切音───咆哮が攻撃の後に辿りつく。
 軽く十度は打ち据えた後になってから、ようやく初撃の絶叫が届くのだ。
 伝導体として不足になった空気が、使い手の理性どころか言葉すら剥奪してシュライバーの利へと働く。
 繰り出される攻撃に暇はない。
 もはや銃などという触らないための武装を必要とする精神など、次元の彼方に吹っ飛んでしまっている。

 暴走状態にあるシュライバーに技はなく、全てがただ全力を込めた突撃だ。相手に向かって激突と離脱を繰り返す反復運動でしかない。
 思い切り殴る。蹴る。引き裂く。
 獣のように上下の咢で噛み砕く。
 積み上げてきた超常的な殺しの技を捨て去り、原始の闘争まで遡った姿は神話に棲息する魔獣そのもの。
 最大にして唯一の武装、比するものなき最速の理論のみを引き連れて、戦場を疾駆し続ける。
 敵より速く、何より速く、速く、速く、誰からも触られないように。
 それのみを願い、形にした最速の渇望。
 誰にも捕えられない、当然だ。ずっとずっとそれだけを、生涯心より願って奔走してきたのだから。
 触れるな貴様ら、汚らわしい止めろ寄るな触れるんじゃない。
 薄汚い劣等愚物皆々総て、我が暴嵐で消し飛ぶがいい。

 求めたのはそれだけ。真実たったの一つきり。
 他には何も求めていない。理性も実感も差し出した。全てを対価に払ってでも、求めたのは万物届かぬ速度域。
 故に───それが自己の肉体を無視した祈りであるのも、当然の結果と言えるだろう。

「───づォッ」

 激突した双方の血肉が乱れ飛ぶ。
 蓮は腹部を丸ごと粉砕され、攻撃を加えたシュライバーは腕と指が爆発したように砕け散った。
 砲弾のように弾き飛ばされて、竜巻のような攻撃嵐から解放された蓮の肉体は赤色の骨格に崩れた肉片が付着しているに等しい有り様と化していたが、目に見える速度で治癒が発動。次々と生まれる肉の線が欠損部位に絡みつき、急速な再生を果たしていく。
 それはシュライバーとは比較にならない程度の力でしかなかったが、確かに彼の再生と全く同質の代物だった。すなわちエイヴィヒカイトに備わる肉体組成機能。創造位階にまで零落した蓮ではシュライバーほどの力を発揮することは叶わないが、それでも時間回帰級の再生を施すことは可能である。

「させない……ッ!」

 それでも一瞬生じる隙をシュライバーが見逃すはずもなく───二人へ続く道を阻むように友奈が立ちふさがり、攻性行動へと転換する。
 強大無比な蹴撃と、それを背後よりアシストする風の鉄槌。更に続く宝剣と光弾の乱舞が空一面を覆い尽くして驟雨のように降り注ぐ。
 当然のように回避して踵を振り下ろすシュライバー。爆轟する衝撃と共に、再び彼の脚は砕け散った。

 これだ。この繰り返し。戦端が開かれてから今までの間、ずっとこの光景が繰り広げられていた。
 頑強さで優れる友奈と再生力で優れる蓮が前衛を務め、重傷を負ったアーサーはしかし将としての才と騎士としての剣腕により戦況を把握し、適時有効な一手を指し続ける。
 全員が近接型という偏りこそあれど、中々に悪くないチームプレイ。並大抵の相手なら、この三人が結託したというその時点で勝敗は決したも同然であっただろう。
 だがしかし、それでも届かない。
 戦闘が開始されてから彼らが試行した攻撃回数は数限りなく、破壊に晒された大地は元の姿を失うまでに崩壊しているというのに。
 彼らは未だ、只の一度たりとてシュライバーに攻撃を当てることができないでいた。

「Und ruhe mich nicht an───Und ruhe mich nicht an!!」

 壊れた再生機のように、彼の手足は砕け続ける。
 接触した部位を捨て去る様は蜥蜴の尻尾か。
 破壊と新生を高速で繰り返す狂った嵐は、なお激しく疾走の波濤となった。
 それは禊なのかもしれない。
 触れなければ殺せない。しかし触れれば穢れる。その背反。
 汚いのは嫌だ。汚いままでいたくない。それでも殺したい。ならばどうすればいい。何を以てすれば己は穢れずに死を振りまけるのか。
 子供じみた矛盾の果てに達した答えは、互いの崩壊。

 諸共無くなれば、触れられようと構うものか。
 砕けた後に再生し、再び壊して、また生まれる。
 穢れてしまった己の末端を捨て去って、入れ替えることで生まれ変わるというその理屈。
 暴狂の域にある今ゆえに、シュライバーは壊れた理論を現実のものとする。
 総計数十万を超える黒円卓最大の犠牲者たちが、燃料として右眼窩から迸っているのが何よりの証拠だろう。

「いい、加減……くたばりやがれ……ッ!」

 痛苦と憤激にばら撒かれた激情が降り注ぐ殺意を乗せて爆発する。
 全方位、間隙なく空間を削る雷電は既に結界だ。
 視界の全ては蒼白の雷光に占領され、万の戦意が電流の一つ一つに宿っている。
 最大規模で発動した雷電による空間の蹂躙。逃げ場を掻き消す雷の檻は、呑みこんだ異物を許さない。
 ───躱せる空間の消去。
 それは赤騎士の創造と全く同じ理屈であり、規模こそ違えど回避の余地を奪うということに変わりはない。
 更に。

「風よ、吹き荒べ!」
「王の財宝、その一端をくれてやる」
「我が声に応えて出でよ自壊の黒霧───夜闇の如く蹂躙せよ!」

 次瞬、咆哮と裂帛の叫びと共に、爆発的なまでの破壊が波濤となって押し寄せた。
 風王鉄槌、ゲート・オブ・バビロンの波状連射、充満する《この胸を苛む痛み》。諸共打ち砕く風王の裁き、剣嵐刀雨の光条弾雨(レイストーム)、触れた者全てを崩壊させる無質量の大津波はまさしく逃げ場などない破壊の結界を構築し、最早この格子より逃れられる者などあるはずもなく。
 そのはずではあったのだが。

「おおおおおおぉぉォォァァァァァァァァ!!」

 文字通りに咆哮ひとつで掻き消され、同時に"奇妙に歪んだ空間"の変調によりシュライバーの姿が消え失せる。

「な、んだと……!?」

 衝撃、そして背後に流れゆく視界の中、蓮は眼前の敵手が何を行ったのかを正確に理解した。
 ああ、それはなんて理不尽。この世に在り得ざる不条理の権化であることか。

 シュライバーは、空間を裂いたのだ。

 森羅万象という土台からぶち壊せば解決すると、狂気的な理論を壊れた脳髄で思考しながら、蠢く爪が空間を虚無や虚空ごと切り裂いた。
 界がズレる───位相がズレる。まるで分厚い岩盤を切り抜くように、声なき宣言に従うかのように世界を両断したシュライバーはあろうことか次元そのものの盾を形成。それを瞬時に蹴り飛ばし、強引に周囲を覆う光と風と剣嵐と自壊法則を破壊しながら押し通ったのだ。
 抉られた世界の断片はまさしく不壊の防御壁。瓦礫のように吹き飛びながら進行方向の攻性存在を一方的に圧し潰し、凶獣の進撃する道を作る。
 その光景を前に、湧き上がるのは呆れと恐れと納得だ。真なる創造へと至ったシュライバーは、三騎士の相互相性さえも凌駕し黒円卓にて最強の存在となる。赤騎士の創造さえも打ち破るというそれは、まさしく眼前の不条理をこそ言っていたのだ。

 ウォルフガング・シュライバーは人界を喰らう魔獣であり、現世界の否定者だ。黄金の獣が布く新法則を真実とするために、既存法則を破壊する殺戮の機械獣。
 それは言い換えれば界の破壊者、空間破壊の御業さえも可能とすることを示していた。狂した獣となった彼にとって己を縛る鎖とは墓の王以外になく、故にこそ世界にも死にも縛られない。

「強い……けど!」

 シュライバーの欠点とは、その脆弱に加えてもう一つ、純粋な攻撃性能で他に後れを取っていたことだ。
 元来の彼が有していた攻撃手段は銃撃と轢殺。対し赤騎士と黒騎士はまさしく世界ごと滅却し世界そのものを滅ぼすに等しい幕引きを与えるという規格外存在であり、絶対先制と絶対回避の権能に守られた状態とはいえシュライバーでさえも劣勢、あるいは千日手に陥るような力量差の二人であった。
 今はどうか。
 現状の彼は、文字通りに世界を削り取るほどの膂力と概念破壊能力を有している。エイヴィヒカイトの術式は物質と魂の双方を抉り抜く。そこに加えて、彼は空間と世界さえもその手にかける領域へと足を踏み入れているのだ。
 超人さえも超えた魔人の巣窟たる黒円卓にあって、その異常性は最早怪物と呼称する他にないだろう。理性のある状態では取り除けなかった瑕疵の全てを排されて、今の彼はもう誰にも手のつけようがない。
 故に勝てない。故に手の打ちようがない。
 それは分かっていたが、けれど。

「みんなのところには、行かせない……!」

 爆縮した力の全てを込めて、結城友奈は地を蹴り上げ、ミサイルの射出が如き勢いで炎を纏い飛翔した。
 単なる突撃───というわけではない。この敵手が誰にも触れようのない存在だと、こちらが速くなればなるほどに加速する異常存在であるということは痛いほどに理解している。
 故にこれは考えなしの特攻などでは断じてなく、その証拠に。

「星々の欠片を宿し、いざや顕現せよエルナトの星剣!
 今こそ天駆し飛翔するがいい花結の勇者。我が豊饒を与えし拳、止められる者などこの世におるまい!」

 これぞ不死殺しの天駆翔。《可能性》の力を込めた一撃に他ならない。
 それはすばるとみなとの力と同じくして、友奈に不可能を踏破する比類なき力を与える。
 少女は天へ、獣は地へ。切断され崩落する空間の壁を縫いながら、炎に燃える彗星と化して正面衝突を敢行する。

「うわあああああああああああああああああああああああ!!!」

 そしてぶつかる拳と拳は───当然のように、友奈が競り勝ち粉砕する。
 如何に欠点を穴埋めしたとはいえ、性質としてシュライバーは高速機動するガラス細工であり、霊基総量が互角であれば友奈が押し勝つのは当然と言えた。そのまま体躯ごとを貫き、爆散するシュライバーの総体。しかしそこで終わらない。

「まだ、まだァ!」

 一度殺した程度では、すぐに復帰されて終わってしまう。
 そんなことは百も承知だったから、残された僅かな時間で更なる攻勢を展開する。
 絶対回避さえ凌駕する可能性存在の権能、それが顕現できる時間は極めて限られる。すばるたちのそれは一個人の願いであるため一撃の間しか持たず、ギルガメッシュのそれでさえ"召喚のためのリソースを数十秒割いてようやく顕現可能"な代物であり、効果のほどはすばるたちのそれと大して変わらない。
 故にこそ、この僅かな時間で殺しきる。一度で駄目なら十度、百度、千でも万でもこの心折れるまで永遠に繰り返してやろうと拳を振るい───

「▂▂▅▆▆▂▅▆▂▅▆▇▇▇▇▇▅▆▆▆▇▇▇──────!!」

 反撃として空間切断の魔手が脇腹を削り、友奈は呆気なく地へ落とされた。
 彼女は何度、凶獣を殺せただろうか。十か百か、それは確かにこれまでと比して凄まじい戦果ではあったが、しかし。

「これでも、駄目、なの……!?」

 それでも届かない。数十万の魂を持つシュライバーを殺しきること叶わない。
 なんという圧倒的な差だろうか。死は一度きりという不文律すらこの獣には通じず、殺されても尚襲い来る暴威はいっそ冗談の域であり。

「立ち止まってるんじゃないの! 諦めないのが勇者なら、その通りに貫き通しなさい!」

 友奈の頭蓋を握り砕こうと迫るシュライバーを阻むように、飛来した数百の光の弾幕が眼前の空間と地表を穿ち、同時に掻き消えたシュライバーが残影と衝撃波だけを置き土産に疾走を再開した。
 次瞬、吹き荒れるは怒濤の暴風。ただ全速力で駆け抜けたというだけで、巻き起こるのは極超音速突破による不可視の大圧力。
 それらは体躯に突き立てんとする宝剣、光弾の数々を小枝のように吹き散らす。届かない、届かない、届かない───

「▅▆▆▆▅▆▇▇▇▂▅▅▆▇▇▅▆▆▅──────!!」

 だがそれでも、いつまでも抵抗を止めない獲物たちの足掻きは狂える獣の琴線に触れたのか。明らかな嚇怒の絶叫を以て満天下へと叫ばれる。
 魂を燃やした烈火の叫びが、世界そのものを揺るがした。比喩ではなく、今や彼の視線吐息にさえ空間破壊の圧が宿っているのだ。
 絶速による認識不可能域の連続打撃、罅割れる空間を微塵に切り刻み、そこから更に素手で空間断層を毟り取り、超強大な不可視の鈍器として群れるサーヴァントらへの鉄槌と叩きつけた。
 数十mを優に超す空間そのものの打撃に晒されては、最早耐えられる物質など存在しない。
 その光景に、友奈は最早唖然とする他になかった。理屈が通らない、意味が分からない。理不尽という言葉さえ底を尽き、正常な感覚はとっくの昔に麻痺してしまって。

「それでも……!」

 それでも、彼女は立ち向かう。
 現状戦えるのは自分ひとり、ならば逃げる道理などあるはずもなく、正面より立ち向かう他に道はないだろう。
 無論、大満開とてその一撃には耐えられまい。この世の摂理の窮極たる権能を保持する肉体も、しかし突き詰めればこの世の内側で発生した現象だ。
 よって摂理という土台から破壊する反則行為を前にしては、ガラスのように砕け散るのみであると。

「君を、殺させはしない」

 故にこそ、その助けが来るのは必然であると言えた。
 構える友奈の背後から、振り翳される光の一閃があった。それは過去最大の殲滅光であり、そして人々の祈りを込めた清廉なる救世の刃でもあった。
 エクスカリバー、十三拘束解放。
 本来ならば光の奔流として放つべき究極の一撃だが、そのような大振りな攻撃がシュライバーを相手に功を奏すとは思えない。オーバーロードたる星の力の片鱗を露わにして、しかしこの一時は人の手が握る刃の一振りとして使用する。
 視界一面を埋め尽くす極大の斬閃は、崩落する界の断層ごとを断ち切り、その果ての空間塊を迎え撃った。
 果たして、聖剣の光は世界ごとを押し潰す空間塊の質量と拮抗するけれど。

「ぐ、ぅッ……!」

 しかし、剣はともかく使い手のほうが耐えられない。
 アーサーは間違いなく最上級のサーヴァントであり、その強壮と勇猛さは語るまでもないが、しかし左腕を欠き瀕死の状態となった今、凶獣を単身で相手取るのはあまりにも酷な話であった。
 界と界が鬩ぎ合う硝子の破断めいた金切音が木霊する中、黄金剣を掲げるアーサーは徐々にその体勢を崩していき───

「それは私の台詞だよ、セイバー」

 押し負けようとするその剣に、添えられる手がひとつ。
 苦悶に歪むアーサーの隣にて、友奈はエクスカリバーを支えんと渾身の力を込めて界の大質量へと立ち向かっていた。
 無論、それで友奈が無事に済むはずがない。エクスカリバーは既に黄金の刀身を露わにして、それに触れるとはすなわち万象滅却する星の祈りを直に食らってしまうということでもある。
 如何な大満開とて、如何に友奈へ向けた破壊ではないとはいえ。あまりにも無謀極まる暴挙。
 今も友奈の手は肉の焦げるおぞましい音と共に焼け付き、溢れ出る鮮血が蒸発しては異臭が立ち込めている。常人が溶岩に手を突き入れるに等しい蛮行に、アーサーは今や言葉も出ない喉で「やめろ」と叫ぶけれど。

「みんながみんな、死んでいった。痛み、苦しみ、他にもいっぱい……そういう思いをして死んでいった人たちがたくさんいた」

 そしてその一端を担っていたのは間違いなく自分だった。深く刻まれた悔恨に友奈の膝も一度は屈しかけた。
 けれど、いいやだからこそ。
 もう二度とそのような光景を生み出すまいと誓ったその決意に嘘はなく、ならばこの程度の痛みに負ける勇者などでは断じてない。

「勇者は、根性……!」

 持ち出すのは稚児めいた根性論。けれどそれこそが、心の清廉さこそが、勇者たる彼女の証であるのだから。

「負けて……たまるかぁぁぁアアアアアアアアアアアアア!!」

 そして当然、戦っているのは彼ら二人だけではない。

「形成、戦雷の聖剣───調子に乗るのもいい加減にしやがれ、ケダモノ野郎……ッ!」

 瞬間、放たれた雷光が斬閃となってシュライバーへと飛来した。
 崩壊し墜落する界の残骸、その諸々を針の目を潜り抜けるかのように歪曲・突破し、文字通りの雷速で迫るは紫電の殲滅光。
 尋常なるサーヴァントに躱せる速度では断じてないが、しかし相手は無限加速のシュライバー。翻るその身は容易く雷光を回避してのけるが、しかし蓮の狙いはそこにはない。

「今だッ! 押し返せアーサー王!」
「ぐ、ぬ……おおおォォォォオオオオオオオオオオオオオッ!!」

 誰よりも速く駆け抜け、如何なる攻撃すらも回避するシュライバー。それは裏を返せば、迅速の攻撃を前にしては回避のために誰よりも速くその場を離脱するということに他ならない。
 シュライバーという使い手が失せた空間塊の一撃など、単なる巨大な瓦礫に過ぎない。喝破と共に解き放たれた星光は呆気ないほど簡単に絶死の巨塊を弾き飛ばし、次いで飛び出す友奈が撃滅の意志も露わに拳を振るった。

「勇者ァ───パァァァァァァァンチ!」

 刹那、壊震する世界。爆発しながら弾け合う魔力と炎熱が地表を満たす。焦熱世界の一撃にも匹敵する極大熱量が嵐のように吹き荒れた。
 凄まじいまでの魔力の波濤。圧倒的なまでの保有質量。是なるはまさしくサーヴァントという霊基が発揮し得る最大級の破壊であるのだろう。
 しかしそれさえ、絶速のシュライバーを捉えることはできないのだろう。彼は万象を避け、万物の先を行くのだから。きっと痛痒の一つも与えられないのだと、半ば確信の域でそう思考し───

「▂▂▅▆▆▂▅▆▂▅▆▇▇▇▇▇▅▆▆▆▇▇▇──────!!」

 ああ、だがしかし───白光が炎熱を切り裂く。苦もなく、苛烈に、圧倒的に。
 まるで霞か何かの如く、疾駆する純白の流星が炎の壁を貫いた。友奈の一撃は文字通りに神々の裁きそのものであり、今や聖杯戦争に属する尋常なるサーヴァントでは誰しもが葬り去られるであろう莫大量の魔力を有しているにも関わらず。遂には絶対的な鏖殺の突撃で穿たれたのだ。
 そして次瞬、連続する三連撃の衝撃がこれも等しく炎華の波濤を突破する。偶さか掴んだ奇跡でも、それどころか技巧ですらない。それこそが我が求道であるのだと、猛るシュライバーの咆哮が物語っていた。
 だからこそ、不可解なのはそこだった。何度も言った通り、純粋な攻性存在としての完成度では「シュライバーは友奈に及ばない」。極めて近似値であること、シュライバーが持つ特異性と相性故に両者の戦闘は一方的な様相を見せてはいるが、単純な攻防の性能でシュライバーが友奈を下回っていることもまた事実だ。
 だが彼は、炎熱の壁を"回避"するのではなく正面から"突破"したのだ。力量としての面からも、性質としての面からも、それは明らかにおかしな話だ。
 焔の突破にその身を晒し、言うまでもなくシュライバーの全身は一度は塵となって消滅するも、認識外の超速により瞬時の再生を果たす。
 シュライバーの力とは無限の加速。しかしその権能は今や、単純なスピードだけに留まるものではなくなりつつあった。
 意味が分からない。理屈が通らない。創造とは現世界を否定する理ではあるけれど、その出力にも範囲にも上限という概念は存在するはずなのに。

 そう、創造位階のシュライバーでは神霊規模の存在に及ばない。
 ならば話は簡単だ。更にその上を目指せばいい。

 その瞬間、総てを悟ったのは藤井蓮ただ一人だった。何故なら彼は"元々そういう存在だった"のだから、同質のモノを感知するなど造作もなく。

「テメェ───まさか……ッ!」

 シュライバーの内部に渦巻く凝縮された魔力群。文字通りに"人間大の入れ物へ宇宙を押し込めた"ような空前絶後の密度を知覚し、彼は心底より怖気立つ。
 集束、集束、集束、集束───中心核へ圧縮された接触拒絶の渇望は、まさしく憤怒と憎悪の結晶そのもの。
 ならばあとは事象境界面と同じこと。内側を奔り続ける渇望と魔力の大噴火を世界が支えきれないのだ、絶対であるはずの物理法則さえもがシュライバーの質量に全く耐えられていない。
 等身大の宇宙を駆け巡る絶対加速の渇望は、遂には光速すら超越完了。

 敗北する特殊相対性理論。今や因果律さえ彼を縛る枷にはならない。
 限界を超えて駆動する破綻した権能が、その現象の何たるかを蓮へと伝える。

「求道太極……渇望を元にした自己の特異点化」

 考えられる可能性は一つきり。そして何よりも外れてほしかったその仮説は、総身より放たれる夥しい神気によって完膚無きまでに否定された。
 世界が歪む。歪む。歪む。中天へと現出した白騎士はまさしく宙域を捻じ曲げる暗黒天体に他ならず、故に周囲の光景の何もかもが歪んでいく。
 事此処に至り、友奈とアーサーもその異常に気が付く。だが遅い、もう手遅れだ。全ては遅きに失した。何もかもが間に合わない。

 これこそが太極。これこそがエイヴィヒカイト第四位階。その片鱗。
 己が渇望というたったそれだけの事象で、既存宇宙の悉くを塗り替え凌駕する"世界創造"の御業。
 現状のシュライバーは求道神そのものではなく、あくまでそのきざはしに手を掛けたという程度であり、第六の天が具現する事象世界に顕現した《無形》は愚か、戦奴の城を永久展開したラインハルトにさえ遠く及ばない程度。純粋な力量で言えば《(メトシェラ)》の本体に比肩し得るかという程度でしかない。
 だがそれでも、サーヴァントという括りで見るならどうしようもない過剰戦力だ。惑星の生気から発生した有象無象の神霊など及びもつくまい。アラヤのカウンターガーディアンとして登録された三人の盧生でさえ、完成した求道の器を前にしては如何程の戦力になることか。

 彼が「死ね」と吼える限り、ものみなすべて木っ端微塵に砕かれながら無明の彼方に消え去るだろう。
 まさに活動する不触の宇宙。最早誰も、何者も、その進撃を止められない。

「▂▂▅▆▆▂▅▆▂▅▆▇▇▇▇▇▅▆▆▆▇▇▇──────!!」

 そして次瞬、硝子を割るように鳴り響く破砕音。まるで空間を削るが如く、疾駆したシュライバーの軌跡から次元の位相に亀裂が走る。
 それはまさしく、現世界がこの魔人に敗北したという証明だった。彼を編み上げる魔力は内界で無限加速を果たしながら、今も激しく混沌のように渦巻いている。
 実現された大質量と超速度に、世界は最早耐えきれない。
 薄氷へ鉄球を乗せたかのように界そのものが砕け、傷つく。
 活動する異界法則―――いや、剥き出しの特異点そのものと化した今のシュライバーは、時空間を蝕みながら旧世界の終焉を告げる災禍の獣と化していた。

 相対する諸々は咄嗟に全力の攻撃を放ったが、無論のこと全てが無意味だ。ありとあらゆる破壊の力が滾る白の流星に片端から粉砕されていく。
 全方位干渉展開、神霊の加護に星の祈り、何もかもが通じない。
 聖剣の光を氷柱を砕くかのように蹴り飛ばして蓄えた熱量ごと粉砕された。迫る数百の光弾は四肢の末端を動かす余波だけで諸共消滅した。
 剛拳の一撃が空間ごと神気の炎を叩き壊した。乱れ狂う無数の宝剣宝刀の悉くが噛み砕かれた。その際にどれほどの致命傷を負ってもその事実ごと粉砕し───ああ最早何がなんだか分からない。
 不条理そのものとしか言いようがない光景。何より恐ろしいのは、これがあくまで真なる獣の産声であり、更なる成長を果たす可能性が存在するということだ。
 倒さなければならない。奴をここで殺さねば、比喩ではなく地球上の全人類が一人残らず殺し尽くされてしまうだろう。いやその前に、地球という小さな土台そのものが粉砕されてしまうだろうか。

「どっちにしろ、私達に未来はないってことね」

 必死の顔で黒剣を掲げ、迫る危険の悉くを"遠ざけて"いるキーアの肩を支えながら、レミリアが呟く。
 その顔に今や冷笑の類はなく、無感に近い真剣味さえ湛えて。

「運命は私の手の中にはない。全ては偶然の積み重ねたる必然が在るだけ。けれど、それでも私は……」

 何かを決意したかのような声の下、キーアはそれを聞き届けるだけの余裕さえ失っていて。

「……!」

 剣を握る右手の光が、一瞬だけ強くなる。
 赤い光。それは彼女の瞳の色と同じくして。
 想い。強く、強く抱いて。

 ───死にたくなんて、なかった。

 ───痛いのが平気なわけ、なかった。

 だからこそ、自分は絶望満ちるあの場所で、尚も希望を捨てなかった彼と出会って。
 ならば、ならば。
 自分もそうしなくてはならないだろう。だって、ここに彼がいたならば、きっと。



『諦めない』

『君は絶対に』

『僕が助ける』



「───セイバー……ッ!」

 叫ぶ。
 渾身の力を込めて、万感の思いを込めて。
 最早周囲の何も見えず、何も聞こえず、それでも。
 それでも、胸の裡の祈りを届けるかのように。

「みんなを───あたしたちを、助けて……!」

 そして。
 赤い光、腕に灯って。





(流出位階それ自体じゃない。奴は未だサーヴァントの枠内に在る……付け入る隙はどこかあるはずだ)

 混沌の坩堝と化した戦場の中で、誰も彼もが狂乱に陥る只中で、それでも蓮は未だに正気を保っていた。
 それは彼がこの現象を知っているからであり、かつてはそうした存在であったからだ。
 神域の渇望と精神力は、サーヴァントとしての矮化に伴って"そうなる前"に戻されてしまったけれど。
 しかし術理を見破ることはできる。そして対抗策を思考することも。

(だがどうする? 白騎士は力押しで突破できるような存在じゃない。明確に攻略法が提示されている以上、それ以外の方策は一切が無意味だ)

 一点を特化すれば他の分野が脆くなるという事象は、欠点においても同じことが言える。
 触れれば死ぬという致命の弱点。シュライバーはそれに特化している以上、他の急所を持つことはない。
 故に彼を倒すには、物理にしろ概念にしろ必中の存在が大前提として要求されるのだが。

(使うか……!? 今、ここで……!)

 蓮はそれを一つだけ保持し、しかし必殺となる状況は未だに整っていない。
 彼の右手は、そのために伸ばされようと───





 そして。
 あらゆる戦況を俯瞰しながら。あらゆる厄災をその目に映しながら。
 一切を睥睨する王がいた。その御手は強大なる宝物の具現に費やされ、此度の戦場においては後衛に下がることを余儀なくされてはいたが。
 不動の心と強靭なる胆力で以て白騎士に向き合い続けた黄金の王は、仁王立つその身を僅かに揺らし。

「準備が整った。王律鍵バヴ=イルを使用する」

 ───背後の空間が。

 ───脈打つように、鼓動して。


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最終更新:2019年07月13日 18:14