「それは墓守の詩。墓守の寓話」
「誰もが知る黄昏色の言葉。かつて人が失ってしまった詩篇の一つ」
「歪んでしまった世界の有り様」
「私は……」
「私は、何もできなかった。この街で、この世界で」
「世界を救う夢を見て、誰かを救う夢を見て」
「誰も救えず、世界を救えず」
「そのくせ自分だけ生き残った。ひどいエゴ。うん、エゴイストの女の子」
「みんな、みんな、消えてしまって」
「私はそれでも残ってしまったから、最果てを目指した」
「何のため? ううん、分かりません」
「私には過去がないから。確かに生きた経験がないから」
「この街で生まれて、それからの記憶しかないから」
「何を言っても嘘になってしまう。嘘っぱち、みんなみんな」
「何もかもなくなって、私ひとりになって」
「辿り着いた先で、私は誰かに出会った」
「神さまみたいに偉そうで、神さまみたいに高いところにいる。
意地悪な神さま。黒くて、黒くて、嗤っている」
「そこでお終い。
アイは消えちゃいました」
───おしまい?
───本当に、それでいいと?
「いいわけありません」
「私は、認めたくない」
「私はいいです。私はエゴイストで、馬鹿で、何もできない愚かな小娘に過ぎないのですから」
「けど」
「あの人は」
「みんなを、嗤っていた」
「それは、許せない……のだと、思います」
───ならば。
───ならば、此処に詩編は紡がれる。
詩編が組み上がる。言葉をより集めて、それはお前だけの物語。
アイ・アスティンの物語。たったひとりの、墓守ではない人間の御伽噺。
現在、今なお語られる御伽噺。
過去、騙られなかった御伽噺。
だからこそ。
それは、かたちを得るだろう。
かりそめだけれど。
編み上げられた言葉は意味を為す。
たとえ存在しなくても、
たとえ物質ではないのだとしても。
ここは夢界。
既に残骸なのだとしても。
想いが、ある。
創造、現象数式、固有結界。意思と認識で世界の在りかたを変える力。
俺の遺した《魔弾》がひとつ。
世界を変革する
ルールはここに。
世界を───
「革命する、力を───」
▼ ▼ ▼
『知ったものか、ときたか』
黒い神───
神は、まだそこにいた。
嘲り嗤う神がいた。
アイ・アスティンの目の前に、再び、嗤う神の姿があった。
『その手に持つのは星剣か。フェルミの紋章すら無き身でありながら』
アイの手に握られるものがあった。
それは光。それは剣。幾重にも折り重なる光がカタチとなった剣であるものか。
《ティシュトリアの星剣》
荒い息を繰り返すアイを、今にも消え行こうとした彼女をこの場に連れ戻したるもの。
世界の境目を、切り裂いたもの。
『だがそれにも意味はない。
シリウスの光はかたちを失い、私の実験にも既に結果は導き出されている』
『アイ。哀れなる
アイ・アスティン。
墓守になりきれぬ人間の影よ。
きみは、私に、言うことがあると?』
黒い神は静かに告げる。
焦燥、怒り、戸惑いのひとつもなく。
アイのことなど、何一つ興味に値しないとでも言うかのように。
事実として、今のアイは身一つ。
サーヴァントはなく、持ち得る武器のひとつもなく。星剣と呼ばれた光すら徐々に形を失っていく。
アイをここまで引き戻すのが精いっぱいだったのか。それでも良かった。
ここに戻りさえできたのならば。アイはそれでいい。
『きみの言葉、
きみの意思、
消えゆくものに意味などないのに』
『果てなきものなど、
尊くあるものなど、
すべて、すべて。
あらゆるものは意味を持たない』
『消えた過去は、二度と取り戻せないように』
『愛が、存在し得ぬように』
『きみにも何一つ意味はない。
そのきみが、私に、何を語るというのだ?』
……言葉が出ない。
唇を開いても、言葉が喉に詰まりそうになる。
喉が震えていた。
あの、消え行く感覚を思って。
あの、消え行く自分を思って。
喉、舌、震えて。
指先も、手も、足も。
……ああ。笑ってくださいセイバーさん。
自分の命なんてどうでもいいんだって、あんなに強がっていたけれど。
いざ自分の死を目の前にすると、結局こんなんになっちゃうみたいです。
怖い。とてつもなく。頭が真っ白になって、眠るように倒れてしまいたい気持ちでいっぱいだけど。
でも、それでも。
私は、ここまで来たのだから。
「……馬鹿にするのも、いい加減にしてください」
言葉を叩きつける。
声。決して大きなものではなかったけれど。
それでも叫んでいた。
それでも言っていた。
身体がどれだけ震えても、
観じないはずの恐怖に満ちていても、
我慢できずに。心、感じるままに。
偽りなくそう叫ぶ。
迷わず、惑わず、怯えずに。
「みんなはここで生きていました。
いい人も悪い人も、強い人も弱い人も、夢があった人もただ怖がっていただけの人も、みんながみんなここにいました。
それだけは変えようのない事実です。それを、意味がないなんて……!」
『いいや。きみたちに意味などないとも。
すべては夢だ。ただの夢。世界にこびりついた記憶の残像だ。
かの都市世界は消えた過去であり、きみはただの影だとも』
───違う。
違うとも。彼の言っていることは論点がズレている。
みんなはここにいた。確かに今を生きていた。
生まれや存在がどうとか、そういうことではない。
願って、誰かに寄り添って。望んで、誰かを想って。
それを私は、見てきたから。
「消えるものに意味なんかないと、あなたは言いました。
その答えはもう言ったはずです。いつか消えるから無意味だと、私はそうは思いません。
"私"だって、今ここにいるんですから」
『滑稽なり
アイ・アスティン。現実を説く者、実存を叫ぶ者よ。
きみが今、そこにいる。それがきみたちの価値の証明だというのなら』
神は嗤う。無慈悲に、冷酷に、嘲りの色を湛えて。
『幻想を否定し、幻想を捨て去って、行き着いた果てが"奇跡"という名の幻想か』
お前が今そこに立っているという現実は、奇跡で成り立っているのだという事実を。
『鏡を覗くがいい。そこに映るのはきみときみの従者が何より厭んだ幻想そのものだ。
あり得ぬ奇跡を起こしたきみは、なるほど確かに、現世の住人ではあり得まい。
愛、希望、勇気───奇跡。光に属する不条理。それを以てきみは私と向き合っている』
理解できる。確かにそれは指摘の通りだ。
アイが今ここに立っていること。幾多の試練を乗り越えてきたこと。
それは紛れもなく、奇跡と呼び称されるべき事柄だ。
そしてそれを成してきた
アイ・アスティンは、およそ尋常なる理の外にいる。
そうでなくてはならない。何故なら、普通の人間にそんなことは不能なのだから。
けれど。
『夢幻と相対するには、それを凌駕する幻想に成り果てるより他にない。
道理だ、しかしきみの支えとする矜持はどこに捨て置いた?』
「……ああ、そうですか」
けれど、この場合は的外れとしか言いようがない。
アイは笑った。この上なく、清々しく笑い飛ばした。
ああ、つまり、この黒い神は───
「話が噛み合わないわけです。あなたはこれを、奇跡と呼ぶんですね」
奇跡。
あり得ざるもの。
愛とか、希望とか、勇気とか。そんなもの……
「……ふざけるな!」
違う。違う、違う、違う!
奇跡や幻想などと、安売りの絵空事ではない。ただの帳尻合わせにしていいわけがない!
「私が───そんな綺麗なものに見えましたか?
正しい意思でここまで来れる、立派な人間に見えましたか?
愛や希望を胸に抱いて、立っているように見えましたか?」
そんなもので立ち上がれたなら、どれだけ良かったことか。
……今でも思う。これから先、何度でも思うだろう。あの時こうしていればよかったと。
母の死に目に何かを言えたなら。父の愚想に何かを言えたなら。
夢に真摯であれたなら、由紀を助けることができたなら、
すばるや
キーアと一緒に並んで歩けたなら。
手を伸ばすディーに応えることができたなら。
藤井蓮を救うことができたなら。
後悔が重すぎる。精神に刻まれた傷が致命に近い。自分自身を怨み責め続け、事ある度に飽きもせず、私は自分を呪うだろう。
私はそういう人間だ。正しいものを信じることができなかった。卑小でちっぽけでどうしようもない、愚かな小娘でしかない。
けど、そうだけど。
「この痛みが、胸を掻き毟る後悔が!
僅か一つでも、私の人生から欠けていたならば!」
現実に翻弄されながら取捨選択を積み重ねた自らの道。
こんなはずじゃなかったと、未だ捨てきれない数多の未練と後悔の念。
けど、もしもそれがなかったら?
想像してみよう。自分が理想を叶えたIFを。
父がいて、母がいて、村のみんながそこにいる。
私は笑顔で何の不安もなく暮らして、訪れる日々を当たり前だと勘違いして生きていく。
世界を救う夢を持つこともなく、大切な人を失うこともなく、無病息災の生を送っていたならば。
永劫私を苛み続ける、荊の道を歩まなければ。
「ここまで来れなかった……来れるわけがない、あなたを前に」
そうだ。だから今この背中を押すのは、過去の痛苦。激痛へ転じた思い出、苦しみに成り代わった理想の残骸。
無数の後悔が、今私をここに立たせている。
「全てに、意味があったんです……!」
望んでいなかったとしても、肯定できないとしても。
あってよかったなんて、口が裂けても言えなかったとしても。
それでも───
「私の人生は、無意味じゃなかった。
無くし続けて、奪われ続けるだけのものなんかじゃ、なかった……!」
その想い。胸が張り裂けそうになる救いを抱いて、アイはただ叫び続けた。
確かな意味があった。愚かは愚かさだけではない。失敗しても命は続いていく。自分が望む望まざるにかかわらず、"生きる"ということに果てはない。
そんなことが、分からなかった。
それをようやく、分かることができた。
胸に残ったなけなしの誇りが、自嘲することしかできなかったちっぽけなそれが、初めて輝くように燃え上がる。
ああ───神さま。あなたにはきっと分かるまい。
悩み苦しむ私の心など、間違えてしまう人間の気持ちなど分からないだろう。
神よ。いと高き完璧なるものよ。
現実の息苦しさも、理不尽への恐ろしさも理解できぬものよ。
私はそれを誇りに思う。自分が矮小な人間であることに。痛みと付き合い続けていく"人"であることを、ようやく受け止めることができたから。
『そのことに、一体何の意味がある』
『きみがそこに立ち、ここまで来たという事実が』
『何の意味を持つ。
……何ができる、矮小な人間如きに』
「あなたを倒せる」
アイは───
何かを突きつけていた。右手に握るもの、真っ直ぐに。
銀のショベルか? いいや違う。
ティシュトリアの星剣か? いいや違う。
それは銃だ。黄金の、小さな一丁の拳銃だ。
声、言葉。叩きつけて。
瞳、視線。突き刺して。
右手、嘲笑う黒い神へ伸ばして。
影がかたちを成していた。
黄金が、手の中に。
疑問はあった。
しかし、確信があった。
全ての決着は、この一撃に。
『……黄金の真実。
馬鹿な、きみは魔女ではないというのに』
『薔薇の魔女か。そして、これは。
虚空の力。月が私を裏切るとでも』
「何を言っているのか分かりません。
けど、これは私達"みんな"の意思。この世界に集まった、あなたに玩弄された全ての人の総意です」
黄金なりしは人の意思。神の白色さえ塗り潰す絶対の輝き。
それがかたちを成して、銃となって。込められるのは白銀の弾丸。
───神殺しのマトリクス・エッジ。《魔弾》アリス。
「あなたは、私がひとりでここに来たと言っていましたが。
私がひとりに見えるようなら、あなたはきっと神さまではありません」
黒い神が……いいや、神に限りなく近い誰かが、腕を振るおうとしている。
けれど遅い。アイが引き金を引くほうが速い。
何故? そのように決められているから。
それを決めたのはアイではない。
それを決めたのは黒い者ではない。
それは、
アイの指の時間を早めて。
チクタクマンの時間を遅らせて。
「可哀相な人。でも、ありがとうございます。
神さま。意地悪で冷たい神さま。あなたがいなければ……」
もう一度───
アイは、最後に微笑んで。
「私は、みんなに会えませんでした」
後悔なく、笑って告げるのだ。
「だから、私が撃つのはこの一発だけにしてあげます」
銃声が、轟いた。
それが最後だった。
放たれた銃弾がどうなったのか、黒い人がどうなったのか。
それを見ることなく、アイは二歩三歩とよろけ、後ずさり、足を踏み外して。
アイの体は宙へ投げ出され、
黄金螺旋の果てより、一直線に落ちていく。
それが、聖杯の降りたる地にて交わされた、彼女の最後の行いだった。
▼ ▼ ▼
『下らない幕切れだ。何の意味もないことだ』
声が淡々と響いていた。
黒い神は両の足で直立し、ただ表情なく言葉を重ねていた。
その胸には大穴が開いて、暗い虚空を晒しながら。
『実験は既に成果を得ている。ここでこれ以上の問答に意味などない。
にも関わらず』
その声には僅かな乱れがあった。あるいは、黄金を目にしたが故のことか。
サーヴァントとして顕現した彼の体は、末端より粒子と解けていき。
『何故、私は斯様に無意味な行いを重ねたというのか』
「それが分からないからお前は負けたんだ」
二つ目の声がした。それは、奥底の暗がりから。
歩いてくるものがある。黒い肌はチクタクマンと全く同じに、白い服も全く同じに。
しかし、瞳が違った。それは血涙を流すにも等しい激した朱眼。
「既知感だ。あまり好きな言葉じゃないがな、お前のそれは黒の王の焼き直しに過ぎない。
オルゴンとやらがそんなにも愛しいか?」
『お前は……』
チクタクマンは嗤いを張りつける。それは己が境遇、運命、そうしたものへの嘲笑か。
永遠の刹那、無間の地獄、夜都賀波岐なる大天魔。第六の天に抗いし者、世界の希望。
それはただ、静謐の表情で歩み寄り。
「幕だ。お前の言う通りだよ。
その小賢しい悪辣で以て、彼女の最期を穢すことは許さない。お前は───」
その右手でチクタクマンの首を鷲掴む。全能の神であるはずのロードは、未だ"世界を消す"程度は造作もないほどの力を持つはずの悪神は、抵抗さえ許されずに。
「お前は、俺のマスターを舐めるな」
存在を手折られる音が、虚空に響き渡った。
最終更新:2020年04月22日 16:39