聖杯戦争が始まったというのに、街は至って何も変わらないままだった。

 町中に設置された小さな時計台は、午前十時前後を指している。
 すばるは、まだ中学校にあがったばかりの子どもだ。
 これが平日ならこの時間に彷徨いているのは立派な補導対象になるのだろうが、幸運にも今日は休日。
 いつものように窮屈な時間を過ごす必要もない。
 それ以上に、学校にも通っていない身で居候先に甘んじ続けるというのはどうにも申し訳ない思いが先行するのだ。
 せっかくの好意ではあったが、極力出かけられる日は少しでも永く外に居るようにすばるは努めていた。

 「ぽかぽか陽気だね、アーチャーさん」
 「そうね」

 もちろん、周囲には常に霊体化したアーチャーを連れている。
 彼女を振り回してしまうことに申し訳なさは感じたが、すばるの戦闘能力はお世辞にも高いとは言い難いものだ。
 そもそも、ドライブシャフトは戦闘の道具ではない。
 エンジンのかけらを効率よく収集するためのものであって、故にサーヴァント相手には、精々逃げる為程度にしか使えないだろう。それに、何よりすばる自身がこの力を、戦いの為に使いたいと思えないのだ。
 これをくれた宇宙人も、それを望まないだろう。……だから、すばるはアーチャーの力に甘えることにした。
 聖杯はいらない。けれど、聖杯戦争から生きて帰還することは、彼女にとってとても大切なことなのだ。

 ――みなとくん。

 声に出さずに呟けば、瞼の裏に"彼"の穏やかな微笑みがよみがえる。
 すばるが何か迷って、泣きそうになっている時、扉の向こうに現れる不思議な温室。
 そして、その向こうでいつでも彼は待っていてくれた。

 ――待ってて。

 気持ちの理由は、まだわからない。
 ただ、彼が消えてなくなってしまうことだけは嫌だった。
 聖杯戦争の間中、悪夢でその光景を見て枕を濡らしたのも決して一度や二度じゃない。
 こうしている間にも、彼はまた遠くへ行ってしまうのではないか。 
 そう思うだけで胸が締め付けられる。
 アーチャーという味方がいなければ、この辛さに耐えられる自信はなかった。

 最初の内は、人目につかない日陰や公園でぼうっと時間を潰していたすばる。
 そんな彼女に、折角なのだから鎌倉の街をその目で見、歩いてみてはどうかと進言したのは他ならぬアーチャーだった。
 言ってしまえばただの散歩だが、これがなかなかどうして良い気分転換になる。
 見慣れない街を、海岸線を、人混みを。
 目的もなく歩いているだけで、孤独な日々のストレスが消えるとまでは行かずとも、希釈はされていった。

 そんなすばるの今日の目的は、言わずと知れた鎌倉名物。
 高徳院の大仏を実際に見てみることだった。
 寺院や仏像の趣はまだ分からないすばるだが、いざ実際に見てみなければ良し悪しも分からない。
 幸い居候先からもそう遠くはないので、すばるは、のんびりと陽気溢れる休日の道を歩いていた。


 「……? ねえアーチャーさん、あれ、なんだろ」

 ふと。
 すばるは、視界の片隅に見えたものに疑問符を浮かべて足を止める。
 市役所の北西方向に、遠目からでも手入れが行き届いていないのが分かる、謎の建物があった。
 大きさは結構あるものの、あの様子ではまさか実際に使われてはおるまい。
 示された建物へ視線を向け、アーチャーは「うーん」と唸っていたが、結論は程なく出たようだった。

 「多分、学校――廃校、じゃないかしら。
  結構あるのよ、使われなくなっても放って置かれてる建物って。
  壊すにもお金がかかるから、何かきっかけがあるまでは見て見ぬ振り……ってとこだと思うわ」
 「へえ……肝試しなんかに使われてそうだね、なんとなく」
 「ふふ、すばるちゃんらしいわね」

 実際には、それよりも不良の溜まり場として使われる方が多そうだが、敢えて口には出さなかった。
 すばるの歳相応な可愛らしい発想に、水を差すのも憚られたからだ。
 なんというのだろう。
 もしも妹が居たのなら、こんな気分なのかもしれない――アーチャー・東郷はそう思う。

 「……あれ」

 そんなアーチャーの胸中を余所に、すばるは再び首を傾げ、件の廃校を指差す。
 ただし今度は建物全体ではなくある一点――その屋上にあたるだろうスペースを示して。

 「あそこ、誰かいない?」

 誰かいる?
 こんな朝から?
 不可解なものを感じながら視線を上へ這わせていき、屋上を見やると。
 ……確かに、誰かいるように見える。
 流石に性別や年頃までは窺えないが、よく見るとシルエットは動いていることから、見間違いではないだろう。
 間違いなく人だ。
 ――ただ奇妙なのは、シルエットは一つしか見えないにも関わらず……心なしか、どこかはしゃいでいるようにその姿が見えることだろうか。……そうまで考えて、アーチャーの脳裏にある可能性が浮かび上がる。

 「……アーチャーさん?」
 「確証はまだないけれど――」

 廃校に白昼堂々侵入し、一人ではしゃぐ何者か。
 普通ならただの奇行で済まされる話だが、此処は生憎と普通の環境ではない。聖杯戦争の行われている街だ。
 幽霊や異常者の類と考えるよりも、あそこを拠点として活動する、未知のマスターが居ると考えた方が理に適っている。

 ――どうするか。アーチャーは唇を噛み、思案する。
 だが、思案していることをすばるに悟らせてしまったのは、彼女の失敗だった。
 すばるは幼いが、馬鹿ではない。
 聖杯戦争のこともアーチャーから聞いた範疇で理解しており、故にその反応から、彼女が考えていることをある程度察するくらいのことは造作もなかった。

 「もしかして……」
 「……ええ。聖杯戦争の参加者かもしれない」
 「……! だったら、行ってみようよアーチャーさん!」

 敵の居所が予期せぬ場面で判明したのは言うまでもなく幸運だ。
 しかし、戦闘能力の面で弱小に部類されるこの身で、果たして他のサーヴァントと渡り合えるだろうか。
 サポートの期待できないすばるを連れた上でならば尚更のこと。
 ……それも含めて思案していたアーチャーだったが、当のすばるは意外にも前向きだった。

 「きっと、私達だけの力じゃ抜け道を探すのは難しいと思うんだ。
  もしもあそこにいるのが他のマスターさんだったら、もしかすると何か力を借りられるかも」

 すばるの意見を聞くなり、アーチャーは僅かに表情を曇らせた。
 彼女が言っているのは、絵に描いたような理想論そのものだ。
 当然、その通りに上手く事が運ぶ可能性も存在しよう。
 だが同等かそれ以上に、彼女の期待を裏切る結末が待っている可能性も存在する。
 聖杯戦争については理解していても、やはり根が善良すぎるというべきか。
 その素晴らしい優しさと純粋さは、いつか深い傷になるのではないか――そんな不安をアーチャーは禁じ得ない。
 歪んでなどいない、歳相応で実に素晴らしい精神構造。
 けれどそれは、必ずしも良い方向に作用するわけではないのだ。特に、ことこのような事態に際しては。

 「……そうね」

 しかしながら、彼女はすばるの提案へ首肯で応じた。
 うんうんと頷く己がマスターの姿に、少しばかりの罪悪感が湧いてくる。
 アーチャーは決して、彼女の言い分に賛同したわけではなかった。

 (でも、敵の性質によっては付け入る隙があるかもしれない。
  同盟を結べれば確かに御の字。ただし、もしもそれが成らなかった場合。
  もしくは、敵が私やすばるちゃんに刃を向ける場合は――)

 あくまでも“見極める”ためだ。
 無用、有害なサーヴァントならば、その時は早々に手を打つ。
 幸い、自分に備わっている力は弓兵でありながら、その実暗殺者寄りのもの。
 たとえ相手が格上であろうとも、初撃に限ればジャイアントキリングの可能性は十二分に存在する。

 聖杯戦争を生き抜くための仲間と出会えるかもしれない。
 そんな想いに胸を膨らませるマスターの傍らで、道を踏み外した勇者が、一人それを裏切る算段を企てていた。




 「待っててね! 今お菓子持ってくるから~!!」

 ――しゅばばばーっ、と。
 そんな擬音が似つかわしい足取りで、廃校の主である少女はすばる、そしてアーチャーの真横を駆け抜けていった。

 「…………」
 「…………」

 唖然。
 二人の心境を要約するには、その一言で事足りた。
 結論から言えば、廃校の人影は予想通り、聖杯戦争のマスターだった。
 校内へ侵入し、屋上を目指している二人の前へ、件の彼女は何ら警戒することもなく現れたのだ。
 屋上から学校へ近付いてくる人影を見ていたのか、ぱたぱた、実に落ち着かない様子で。
 警戒していないどころか、彼女はすばる達を歓迎すらしているようであった。

 肩透かしを食らう形になった二人を“部室”なる場所へと案内すると、彼女は客人用のお菓子を取りに再び消えていった。
 本当に、嵐のように忙しない少女だった。
 それこそ、すばる以上に聖杯戦争の参加者としては“らしくない”部類に入るだろう人物。

 やがて戻ってきた彼女の手には、どこかで聞いたことのあるような名前のお菓子が幾つか抱えられていた。
 それをボロボロのテーブルに並べると、遠慮しなくていいんだよ! と胸を張る。
 その姿は愛らしく、また緊張感とはまったく無縁のものだった。
 だが。
 そんな状況にありながら、アーチャーはおろか、すばるでさえ。
 心を落ち着けて、この“安全なマスター”との交流に臨むことが出来ずにいる。

  ――丈槍由紀。“ゆき”って呼んでね。 そう、少女は名乗った。
  それから、彼女は始める。
  この学校で一緒に暮らしているという、“学園生活部”の面々の紹介を。

 すばるには、最初、何を言っているのか分からなかった。
 アーチャーもまた同じだった。
 場合によっては即断で切り捨てようと考えていた筈の彼女をして、呆気に取られた。


 何故なら、楽しそうに友達を紹介し、その友達と言葉を交わす彼女の周りには――誰も、居などしなかったのだから。




 パントマイムを続ける少女。
 閉ざした自己領域で酔う彼女の元に、今や仲間は居ない。
 ただ、増えた幻があるだけだ。それだけが、彼女のすべてを満たしている。
 それでも。彼女がそう信じている限り、紛れもなく彼女の中ではそうなのだ。


 星空を舞う少女と、勇者の弓兵へ――夢見る少女は、優しく微笑みかけた。


【C-2/廃校・学園生活部部室/1日目 午前】

【アーチャー(東郷美森)@結城友奈は勇者である】
[状態] 健康
[装備] なし
[道具] スマートフォン@結城友奈は勇者である
[所持金] すばるへ一存。
[思考・状況]
基本行動方針: 聖杯狙い。ただし、すばるだけは元の世界へ送り届ける。
1: ゆきへの対処を考える。切り捨てるか、それとも――。
2: すばるへの僅かな罪悪感。


【すばる@放課後のプレアデス】
[令呪] 三画
[状態] 健康、戸惑い
[装備] 手提げ鞄
[道具] 特筆すべきものはなし
[所持金] 子どものお小遣い程度。
[思考・状況]
基本行動方針: 聖杯戦争から脱出し、みんなと“彼”のところへ帰る
1: えっ――。


【丈槍由紀@がっこうぐらし!】
[令呪] 三画
[状態] 健康、ご機嫌
[装備] お菓子(んまい棒など)
[道具] なし
[所持金] なし
[思考・状況]
基本行動方針: わたしたちは、ここにいます。
1: すばるちゃんにアーチャーさんかあ。いいお友達になれそう!
2: アサシンさんにも後で紹介したいな……


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アーチャー(東郷美森)
丈槍由紀
最終更新:2020年05月03日 21:45