冷たい。
 そして塩辛い。
 蒼く碧い群青の水底へと堕ちていく感覚。
 艦娘として戦い始めた時から、いつかは覚悟していたことだった。
 こうなるかもしれないとは分かっていた。
 でも、目を背けていた。この日常が終わるはずがないと、心の何処かで信じ切っていた。
 根拠のない慢心が招いた結果だとするのなら、是非もない。
 仮にそうでなくたって、駆逐艦・如月に運命を変える力など――最早残ってはいないのだったが。

 今はもう彼方に見える水面へ伸ばした手が、誰かの手を掴むことはない。
 全身がぐっしょりと、群青の海水に包まれていく。
 命と一緒に、大切な思い出すらも包み込み、咀嚼していくように。

 彼女は願う。
 どうか、持って行かないでと。
 彼女達と――彼女と過ごした日々を、失いたくなどないのだと。

 当然、その願いは聞き届けられない。
 そんなもの、なんてご都合主義。 
 生き様への冒涜も甚だしく、現実には起こり得る筈もない奇跡。
 奇跡とは、簡単には起こらないからこそ奇跡と呼ぶ。
 そして、彼女は奇跡には選ばれなかった。
 だから死ぬ。戦場に立つ者が人類史開幕以来味わい続けてきた、ごく現実的な幕引きを迎えることとなる。

 だがしかし。今際の際に少女が抱いた脆く儚きその願いを、確かに聞き届ける聖杯があった。

 願望器は心を痛める。
 嗚呼――悲しいなあ。
 こんなところで非業の死を遂げるなんて、おまえとしてもさぞかし無念だろう。

 願望器は手を差し伸べる。
 おまえの願いは至極正しい。
 だから思う存分描けばいいさ、おまえは幸せになるべきだ。

 群青の水底が、一瞬にして桃源郷のような桃色に染め上げられていく奇怪千万な光景を見上げながら――
 包み込むような優しさと安心感、そしてそれらを遥か凌駕する怖気に身を震わせながら――

 「はっ――はっ――……はっ…………!!」

 如月は、もう何度目かになる悪夢から覚醒した。
 借り物のアパートに、給金で買った安物の布団。
 シーツはぐっしょりと汗で濡れていた。

 「またあの夢。……嫌になっちゃうわね、いい加減」

 夢の内容は、あれほど強烈な印象を与えていったにも関わらず既に曖昧な記憶となりつつある。
 覚えているのは忘れもしない、終わりの景色。
 そして心地の悪いほどの、穏やかさだ。
 何か、途方もなく巨大なものの膝下で眠っているような……静かで安らぐのに、全身が警鐘を鳴らすあの感覚。

  ――いや、あれは視線……だろうか。

 あの感覚は、何かに直接顔を覗き込まれるような不快感に似ていた。
 とはいえ聖杯戦争のマスターであることと、戦闘の備えがあること以外はごく普通の少女である如月にとって、やはり一晩の悪夢など寝て起きて、少しもすればけろっと忘れてしまう程度のものでしかない。
 んー、と背伸びをするとカレンダーを確認。
 日付の欄に赤い丸印が描かれている。これは、今日はアルバイトが休みという意味だ。
 聖杯戦争中なのにアルバイトなどにうつつを抜かすとは――などと言われてしまいそうだが、如月の生計、即ち聖杯戦争を生き抜くための手持ちはすべて人づてに辿り着いた接客業の給金から成り立っている。
 彼女に言わせれば、欠かすことの出来ない戦いの一環なのだ。
 しかし、それも今日は休み。となると、何かマスターらしいことの一つでもした方がいいように思われる。

 例えば、索敵。
 例えば、他のマスターが持つ拠点の捜索。
 魂喰いや自ら誘いをかけるのは論外としても、すべきと思われることは山程思い浮かぶ。
 時間にして数十秒ほど悩む素振りを見せた後――彼女は、そのまま再び布団へと仰向けに倒れ込んだ。

 「はー……」

 ぬくぬくとした温かさをパジャマ越しに伝えてくる布団の魅力は魔性の域だ。
 細かいことを考えず、ただこうして寝そべることが嫌いという人間もそうはいないだろう。
 如月は思う。
 やるべきことは、確かに山程あるのだろう。
 けれど、急いだところでどうにかなるというものでもない。
 まして今日は初日だ。どの主従も意気込むなり雲隠れを決め込むなり、両極端な反応を示しているに違いない。
 そんな中に不用意に出歩けば、当然接敵の危険がある。
 如月とて戦う備えはあるし、彼女のサーヴァントも言わずもがなそうであったが……

 「まぁ、いいでしょ。今日くらいは」

 彼女は決めた。
 ――今日は、何もしない。
 せっかくの休みなのだから、ゆっくりとこの狭い個室で過ごすことにする。
 もしかしたら後で軽い買い物程度には繰り出すかもしれないが、少なくとも聖杯戦争は休業だ。

 「あなたもそう思う? ランサー」

 如月は、物言わぬ自分の相棒へ語りかける。
 伸ばした手で、丁寧に置かれた一枚のカードを取った。
 手のひらに収まってしまう小さな長方形。そこには、彼の持つ力がとある遊戯のルールになぞらえて明記されている。

 彼女のサーヴァントはこの通り、物を語らない。
 語る口を持たず、ただ命令通りに戦うだけの木偶だ。
 しかしそれでも、きっと彼だって何かを感じ、この戦争へ臨んでいるのだと如月は信じる。
 それは"そうであってほしい"という願望を多分に含んでこそいたが――真摯で、誠実な彼女の想いに他ならなかった。

 「勝ちましょう、ランサー。勝って帰るの。あなたの世界に、私の世界に」

 その呟きを聞き届けるものは、札に封じられた方舟以外にはない。




 深海の底で――
 静寂の底で――
 まつろわぬ魂の渦巻く世界で――
 或いは昏き闇の中枢で――

 その"方舟"は、ただ時を待つ。
 四の星辰より成り立つ静寂の騎士は、何も語らず。
 さりとて、その体は一度。
 マスターである少女へ呼応するように、紅く明滅した。


【B-3/如月のアパート/1日目 午前】

【ランサー(No.101 S・H・Ark Knight)@遊戯王ZEXAL】
[状態] 健康、未召喚状態
[装備] なし
[道具] なし
[所持金] なし
[思考・状況]
基本行動方針: 命令に従う


【如月@艦隊これくしょん(アニメ版)】
[令呪] 三画
[状態] 健康、お布団でぬくぬく
[装備] パジャマ
[道具] なし
[所持金] 贅沢をしなければ余裕がある程度
[思考・状況]
基本行動方針: 聖杯を手に入れ、睦月ちゃん達のところに帰る
1: ゆっくりする


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004:ここには夢がちゃんとある 投下順 006:幸福の在り処
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000:封神演義 如月 020:焦熱世界・月光の剣
ランサー(No.101 S・H・Ark Knight)
最終更新:2020年05月03日 21:48