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目黒 萌絵 - (2006/03/17 (金) 14:28:56) のソース

*目黒 萌絵
トリノオリンピック日本女子代表のリード。
21歳
北海道、南富良野町出身
所属:弘前大
体重51kg
身長162cm
84年11月20日生
富良野高
左利き


[[新星 初の決勝T見すえ カーリング 目黒萌絵 21(チーム青森)>http://www.yomiuri.co.jp/torino/feature/shinsei/fe_sh_05122401.htm]] (読売)
> その日だけ、入院中の病院からチームメートの応援に向かった。今年2月27日、長野・軽井沢。カーリングの日本選手権決勝が行われていた。勝てば、五輪代表に内定する。だが、レギュラーの目黒を欠いたチーム青森は、延長の末、チーム長野に敗れて、五輪代表選考会にもつれ込む結果となった。
>
> 「悔しかった。負けた悔しさでなく、見ていることしかできなかったから……」。2月10日に右足首を骨折、1か月の入院生活を強いられた。それでも、前向きな気持ちは失わなかった。「まだ、チャンスは残っている。この時間は、トリノのためのもの。もっと強くなって戻ろう」
>
> けがのおかげで、夏場の練習への心がけが変わったという。「カーリングが出来るうれしさを知った」。指先のかすかな狂いが、40メートル先では1~2メートルもの差になって現れる。自分をコントロールする精神力も、けがを知って培った。
>
> 2003年の冬季アジア大会開催をきっかけに、青森はカーリングを“県技”として普及に努めている。ソルトレーク五輪後、前回代表の「シムソンズ」が解散し、小野寺歩(27)と林弓枝(27)は北海道常呂町から青森に移籍。「2人に誘われて、青森に行くことを決めた」とチームメートの寺田桜子(21)とともに津軽海峡を渡った。本橋麻里(19)も加わり、5人全員が北海道出身という「チーム青森」が出来上がった。
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> 日系カナダ人のミキ・コーチが「ソルトレーク五輪のチームより強い」と太鼓判を押すまでになったのは、苦しい夏場の練習や、2か月に及んだカナダ合宿を乗り越えたから。小野寺、林の2人から、「言葉や態度で、五輪への強い気持ちを教わった」と目黒。目指すのは、日本初の決勝トーナメント進出だ。



[[トリノ五輪 選手へ グラッツィエ/異国で奮闘する愛する人へ… 「とぼけた子だったけど、集中力と意思の固さすごかった」>http://www.kita-nikkan.co.jp/series/to06022001.htm]] (北海道ニッカン)
><カーリング代表目黒萌絵の恩師・伊地知さん>
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> 「おとぼけさん-」。女子カーリング代表、目黒萌絵(21=弘前大)の富良野高時代の恩師、伊地知正治教諭(41)は、初の五輪で奮闘する目黒の在学当時の印象をそう称した。「いつものほほんとしていたんですよ。勉強の話題から突然『千と千尋の神隠しをまだ観ていない』とか、突拍子もないことを同じトーンで話し出し、周囲をよくずっこけさせてましたからね。まさかあの子が五輪に出場するとは、という感じです」と驚きを隠さない。
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> 目黒は常呂町から競技普及と五輪出場をかけて青森に渡った小野寺、林らとともに世界を目指すため、青森の弘前大を志望した。しかし6月までの期末試験成績は学年の約200人中40~50番だった。進路指導も務める伊地知教諭は第2、3志望選択を要求したが「絶対に受かります、行きます」と言ったという。
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> 朝のホームルーム前30分、休み時間、そして放課後約2時間、時には火の気のない教室でコート、マフラー、手袋をはめて猛勉強に取り組んでいた。「うちの学校から一般入試での合格者は毎年1ケタ。やると決めたらすごい集中力と意志の固さでしたね。あの精神力と度胸の良さは競技に生かされているのでしょう」と伊地知教諭は振り返る。
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> 伊地知教諭は現地入り前に目黒が口にした「絶対に勝つという気持ちを忘れない。ミスした次を頑張る」というモットーを生徒に伝えている。「勉強やスポーツでも、もっと上を目指そうという気持ちが伝わってくるから」。目黒は母校で生きる教材となっている。
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