(十津川信太郎の日記より抜粋)
×月△日
あれから20年は経っただろうか…。
遂に月面の様子を探る事ができる。そこに妻や息子の姿を見ることはできるのだろうか?いや、妻や息子の痕跡だけでも見つかれば御の字だろう。上層部にはそれを伏せ、ただ月面調査という名目で私が製作したアンドロイド"TSH-1"、私は翔太郎と呼んでいるが、を送っているのだから。
私がTSH-1、翔太郎を製作するにあたって、20年前のバカンスの話を外すことはできない。
その時、私は休みをもらい、妻と息子を連れ月面都市へと旅行に行った。しかし、行程の中頃、私は急な仕事の都合のため、地球へと戻らなければならなかった。妻は何も言わずに笑顔で送り出してくれたが、その時の私の心境は妻や息子に対し申し訳ない気持ちで一杯だった。
そして、地球に戻った翌々日、エイリアンが月に侵攻を始めたという情報が入った。すぐに妻がいるホテルに連絡を入れたが、もはや返事が返ってくる事は無く、軌道エレベーターも封鎖されてしまった。
その時の私は後を追って死のうと思うくらい取り乱していた。近くにいた部下の五條が泣いて諭してくれなければおそらく今頃私はこの世の人では無かっただろう。
以後、私は月面調査への準備に執念を燃やした。部下は少し休んでくださいと私の事を止めたが、そうでないと妻や息子の事を思い出してしまいそうになり、すぐに生きていくのが辛くなった。
そういう生活を15年続けた。
ようやく月面調査への目処が経ち始めた5年前、私は月面調査用アンドロイドのプロトタイプ、TSH-1を製作した。私はこれに息子の名前である翔太郎と名付ける事にした。
翔太郎には月面調査用の機器のほか、エイリアンとの交戦用に兵器を積んでいる。その兵器を最大限使用する事ができる戦闘形態は、息子が好きだった列車変形ロボに近い形をしている。息子への思いが形に出た一種の職権乱用だと思う気持ちもあったが、誰にも止められなかったため、この姿になった。
そして月面調査が開始されるまでの5年間、私は翔太郎に対し性能テストと改良を繰り返しつつも、時間が空いている時は翔太郎をできるだけ可愛がった。失った息子の代替であるとは思っていたが、それでも可愛がれる存在ができた事は、私にとって潤いのある生活が戻ってきたかのように思えた。部下からも心配される事が少なくなった。やはり、あの時の執念は異常だったのだろう。
3ヶ月前、上層部から翔太郎を月面に送るとの達しが来た。この調査がうまくいけば、上層部は翔太郎の量産タイプを製造するつもりだろうが、私は月面調査の機会が与えられた事自体に、妻や息子の手がかりを知る事ができるのではないかと思い、喜んでいた。しかし、今まで可愛がった翔太郎に対して辛い任務を与えてしまうことに対し、多少の負い目を感じるところがあった。
翔太郎を月面へと送る直前、私は翔太郎に対し、辛い任務を押し付けることになって申し訳ないと言った。すると翔太郎は、『これが僕の生まれた意義だから、お父さんは気にしなくていいよ』と言ってくれた。本当によくできたアンドロイド…いや、息子だと思う。私は泣いてしまった。
私は
十束学園に所属しているが、
スズハラ機関に対して敵対心を持っている訳ではない。ただ、月面を調査したいという気持ちで動いているし、願わくば上層部の意地の張り合いに翔太郎を巻き込ませたくないと思っている。おそらく翔太郎自身もそう思っているだろう。
妻と息子の行方を探る事だけが、今の私を動かしているのだから…。
△月□日
昨日、月面からの連絡が途絶えた。翔太郎はどうなったのだろうか。心配で夜も眠れない。
今のところスズハラ機関とは協力体制にあるようだが、また対立していないだろうか。やはり、両組織は争う運命にあるのだろうか。
翔太郎には兵器を積んでいるものの、これはエイリアンに対処するためのものであって、人間同士の争いに使うものではない。しかし、上層部がそういう方針なら、翔太郎もそう動かざるを得ないだろう。
どうにもならない状況に、私はとても悲しい気持ちになった。
今はただ、翔太郎の無事を願うのみだ。
最終更新:2019年07月20日 17:35