涼原 カヤ+絵肌の人魚プロローグSS 前編『白と黒の相克』
結論から言おう。
私は負けた。
「負けた」という結論を述べるために、どれほどの紙幅を割けば許されるのか?
一行どころか一音節で事足りると、口さのない奴なら言うだろう。
だが、これは所詮は独白だ。
笑ってくれとは言わない、怒ってくれとも言わない。
ただ、つぶやくのを許してくれるそれだけでいいんだ。
改めて紹介しておこう、私の名はリュドミラ。姓は今はない。
数える単位は本来「人」ではない、一幅の絵画であるとも付け足しておこう。
今から百年前――つまりは二十世紀のはじめ、この世界でもヴィクトリア女王への手向けた弔いの鐘は同じ時分に鳴ったらしい。
この言い回しを誰が言い出したのかはわすれてしまったけれど、誰か見知った人がいたならリュドミラがこう言っていたよと笑ってやってほしい、もしくは怒ってやってほしい。
それくらいの折に私は生まれた/描かれた、それだけを覚えてくれればいいんだ。
そうさ、生みの親足る画家の名は知らずここまで生きてしまった。わかっているのは「リュドミラ」というこの名前だけ。
「彼」は私を生み出すにあたって死んだ娘の名前を付けたらしい。
私が生きる「もう一つの世界」で彼が妻帯した記録はなかったが、「リュドミラ」という娘がもう少しだけ長く生きたようだった。
……少しナーバスになってしまったようだ、話を続けよう。
『Sの肖像』という絵画がある、
私のホームである『画廊(ガルリ)』に船便で送られてきた、イニシャルは「S・S」、この時点でしゃれているとは思わないかい?
そうさ、私たちは酔狂で生きている。
『画廊』とは君が想像しての通り、私たちの売り場でありきっと住処(すみか)でもある。
何度だって言おう。私もまた、画だ。
白いキャンバスを離れてこの子の肌を終の棲家とさだめても、私は絵画であることに誇りを、自負を感じているのだ。
ケルメスの虫、アズールの海岸、砕いた煉瓦、それに「#C0C0C0」――、私の顔と手肌指、からだの一切合切を描く顔料はありふれていたとしても、だ。
そうだね、昔話を続けようか。
エナメル塗装の手すりを指伝いに辿って、床の上を歩いた。そうだ、この時はまだ紅いビロードを避けて、ワックスの利いた木肌の上を両の足を付ける感触のことを覚えていた。
窓を覗き込めば、外は雪。私に言わせてもらえれば、白は色。確かに色づいて要る雪の白。
「リューダ」
私は呼びかけに応じて顔を上げる。
「ココン・コラ」
彼女は――額縁から身を乗り出した深窓の少女。私と違って、まだこの現世に全身を抜け出すのは叶わない。
だから、額縁をベランダの手すりに見立てた動作を取る。
身を乗り出してこちらを覗き込み呼びかける。きっと、今が夏ならば形の良い脚を組んでベランダ越しに腰掛けるのだろうか。
だけど、今は彼女について話をする時ではないわ。
手を振って、振り返す。
「リューダ」
扉の前には私の仲間、リューダは私の愛称。
「サリシャ・グロッタ」
彼女は、世界で最も強く、素早く動くマネキン人形。もっとも、他に動く仲間を見つけられていないから暫定的な称号に過ぎないのだけど。
しかし、最も美しいマネキンであることは否定できない。
白磁で出来た全身にできた罅(ひび)は問題ない。金で継がれ、まるで葉脈のような線を走らせているから。そのことが彼女の美しさを損なうことは全くなかった。
だけど、今は彼女について話をする時ではないわ。
会釈を、会釈で返す。
「リュドミラ、服を着ろ」
「ヴァン・マイフ」
彼は――、まぁいいか。
永遠のソプラノ・ボイスを剥き出しの背中で受けながら、後ろ手に鍵を閉める。水彩でできたこの体を守るように、ぎゅっと絹布を握った。
絵画はその真価を発揮するまではシーツを被せられ、包まれ覆い隠され守られているものだ。二本の足で地を蹴るようになってもきっと私は変わらない。
麻地に描かれた肌の上に「絹」を巻きつけるのは、せめてもの高級志向だったりする。すべては私に値付けをしたこの世界に対するささやかな反抗だった。
まぁ、そんなことはどうでもいいのだけれど。
やってきたのは私の自室、円形の部屋。中央にはベッド代わりに置かれた水辺の風景画――私の故郷、私の住処、私の絵画。
その前には、梱包が施された等身大の額縁がデンと置かれていた。
話が早い。さすれば客室未満の船旅を堪能した我らが同胞を出迎えようかと梱包を解こうとして、ふと白いキャンバスを見る。
「『白い三日月』……」
……ここで余談を挟もう。
私の当時の氏名は「芽月リュドミラ(リュドミラ・ジェルミラル)」、日本の妃芽薗(ひめその)学園・高等部に通う女学徒として名を挙げるならこちらになる。
詳細は今は伏せるのだけれど、芽月の姓は返上して久しい。今の私ではお受けできないから。
私はぐるりとこの部屋に展示された一連の絵画を見る。私は絵だ。ならば言葉ではなく、画で語るとしようか。
「『天の科刑』、『悪魔の花』、『海を渡る女神』、『憂鬱な人魚』、『儀の乙女』、『紅椿(カメリア)』……そして、『流血少女』」
これら一連の作品群は色盲画家「ストル・デューン」が描いた。モチーフは妃芽薗学園で十年強の間に群発的に発生した事件……。
と、されている。
男子不出入の環境において、一般生徒はおろか学園首脳部ですらその真相を掴めたという話は聞いたことがなかった。部外者である男性の画家ならなおさらのこと。
また、ストル・デューンが公的には2014年に消息を絶ったとされている以上、信憑性は甚(はなは)だ落ちこんでしまうというのが正直なところだ。
その上、これら事件らのいくつかは位相のズレた「異界」で発生したものも複数含まれている。かろうじて、私に伝手があったから裏は取れているのだけれど、これらタイトル自体が後付けではないかと疑問だった。
彼が実際にこれら事件を見聞きにしたという確証はなく、又聞きの伝聞、憶測とゴシップを手掛かりにこれら一連の絵画が制作された。それが妥当な推理だろう。
筆致は一貫しているので別人が制作を引き継いだという線は薄い。
けれど、その奥行きは素晴らしかった。ひとつの世界の窓にはふさわしいほどに。
これは、私が絵だからといううぬぼれもあるのだけど。
だって、私は「絵(ひと)」を見る目は確かなのだと自負しているのだから。
さて、特筆すべきは、そうだろう……。
スタンダールなら、赤と黒。
紅白めでたしなら、赤と白。
つまりは白と黒と、それと赤。色盲の肩書に恥じずと言うべきか、これら三色のみを使って描かれた色の妙はそれ以外の「色」を現出させるに足りるものだった。
話が長くなったようだけれど、私は一連の絵画の中でも一面の雪野原を描いたこの『白い三日月』という一枚が好きだった。
たとえば、野原から白い花びらを見つけてくるとしてもその一枚一異なった白い色合いを見せるように、降り積もった雪の白も、その白い雪に光を浴びせる白い三日月も、それから、それから……。
まったくの白一色で表された――という、言葉ひとつで片づけてしまえば手抜きにしか思えなくても実像は大違いなのだから!
この世界にはすべての「白」という色があったということ。そういうこと。
よって、視界の片隅に雪原の絵、さまざまな白一色に塗りつぶされながらも存在を示す白い肌の少女をにらみながら、本当の本当に私は『Sの肖像』の梱包を解いた。
結論を言おう。もう一度言おう。
私は負けた。
ここからは「負けた」という結論を述べるために、どれほどの紙幅を割いたかという疑問に答えることになる。どうか容赦してほしい。
「……なんだ……、鮫氷(さめすが)しゃちじゃないか……」
震える声でそうつぶやいた言葉を覚えている。努めて消し去ろうとする記憶の中でその怯えと怒りとある感情はいつだって鮮明だった。
両の手で額縁を持つ私はまず、わなわなと震えた。
彼女の絵姿を観たときにまず覚えた感情を言おう。それは嫉妬だった。
一目見た瞬間だった。ないはずの胸の内側が熱を帯びる。指先の震えを抑え込むべく、ぎゅっと握った片側の拳を胸に当てて力を籠め続けた。
「
鮫氷しゃち、
鮫氷しゃち……!」
『彼女』のことを知らないわけではなかった、なぜなら「そのうちのひとり」を目にしたこともあれば、直接言葉を交わしたことだってある。
にもかかわらず、だ。
モノトーンの色彩に呑まれたことを覚えている。白と黒、境界線を描くための最低条件と考えればもしかすればそれは色ですらなく。
彼女は、私たちを取り巻く色彩の世界の前で立ち塞がった冒涜に等しかった。
けれど、彼女は美しい。
「ああ認めよう、
鮫氷しゃち、貴様は可憐だと!」
白と黒だけで出来上がった境界線上の少女、そちら側にいるからこそ手を出せない美しさは、こちら側にいる私にはけして届かないのだろう、そう言いたいのだろう!
同じ絵姿だからこそ、私は嫉妬する。
久しく忘れていた感情を前に私の心は躍った、むしろ楽しんでいたように思う。
「奔放に振舞えど、いいや狂奔に振舞うな」とは誰の言葉だったか、いいえそれは私の言葉を踏みにじれ!
そのことが同輩へ、同胞への裏切りになると知っていても水妖(おんな)にも取らないといけない手のひらがあった。
どれほど愚かな行為かと知っていても、きっと同じ場所と同じ時間で彼女と遭えたなら私にはそうするだろうという自信がある。
この後の振る舞いも含めてだけど、取った行動に後悔はなかった。
私は、私は……、私は! 最大限の力を込めて、精緻にして微細、柔肌にして水を撥ねる瑞々しさを備えた彼女の指を、手を
鮫氷しゃちの手を取った。
すべては
鮫氷しゃちの絵を私と同じ地平に押しやるため、なんて子どもじみた考えだった。
結局のところ――、この世界に居場所を知ってしまった「私」は鑑賞されるだけでのうのう同じ「絵画(はらから)」が許せないのかもしれない。
それでも、ここまで心が掻き立てられる経験はないのだけれど、私は乱れ狂う感情に全身をゆだねて、渾身の力で彼女の手を引いた。
彼女は、
鮫氷しゃちは、私のことをどう見返しただろうか。
私の能力『隠れ画(エルミタージュ)』は、世界をキャンバスに見立てて渡り歩くことができるというもの、つまりは世界とはキャンバスに他ならない。
肖像画の数だけ、魂の似姿がそこには在り、極小の世界で彼ら彼女らは暮らす。
そこにいると気付けないまま、いずれ朽ち果てて逝く世界と人間のことを私は哀れに思わない。
一枚の絵として生きて、人の視線を浴びず浴びされ、いずれの時か死んでいくことを羨ましく思うのだから!
すべてを知ってしまった私はあの水辺で佇み、道行く人々の足を止め、魂の一部であれそこに置き去りにしてしまえるあの頃の、ただの絵だったころには戻れないのだから!
どう? その時の一瞬で私の心から全身にまで走った感情を言葉に描き出すとここまで長くなったでしょう? 実に滑稽だわ。
絵が絵の手足を引っ張ってどうなるというの!?
引っ張り返されるのが必然じゃない。
あどけない表情を浮かべた
鮫氷しゃちの「肖像画」は途端にぎょっとする顔をするのも一瞬の事、なんだか面白そうな顔をして私のことを「観察」したわ。
その時の私がどれだけ間抜けた顔をしているのか、今の自分に見せてあげたいと思うのだけど、それはいいわ。
鮫氷しゃちの握り返しは思ったよりも何倍も強くて、思わず「あっ」と叫びそうになる。
私を正気に引き戻したのは「痛み」という原始的なサインだったことにいささか歯噛みをするわ。
だけど躊躇も一瞬、我に返ると、私は全力で部屋備え付けの伝声管に向けて叫んだ!
「ヴァン! サリシャ! ココン! 私は死んだと思ってここから離れろッ!!」
一瞬という時間が一体何秒だったのか数えることは今になっては出来やしない。
けれど、数えられるだけだったことは確か。
ついで、最悪の事態を避けるべく、私は立てかけられたイーゼルのひとつを蹴倒す。
私の指から手を辿り、肩口にまでやってきた
鮫氷しゃち共々に倒れ込んだ。
絵の世界から現世へとやってこれるんだもの、身を乗り出して、彼女は嬉しそうだった。
もし、この瞬間で時間を止めてしまえば、私という少女に巻き付くトルソーのような形でまた固まったのだろうけど、それは叶わない妄想ね。
猛烈に床を蹴り、倒れ込む私を見たしゃちは私共々に床に身を打ちつける想像をしたのか、手を懸命に伸ばすのだけど、行先は床じゃなかった。
だって、私も懸命に手に伸ばしていたんだもの。
行き先は『白い三日月』、蹴倒したイーゼルは腰掛けていた絵を吐き出して、その犯人である私に抗議するかのようにその面を私の方に向けた。
そう、とても都合がいいことに。
白い雪化粧が施された麻のキャンバスは私たちを拒まずに飲み込んだの。
そう、それはまるで溺れ方を知っている人間のようにもがくしかなかった光景だったと言っておくわ。
「ね、カヤ」
「嫌味ではないですよね?」
「もちろん、あの時は寒かったけど、私は肌の冷たさを知ったのだから。感謝しているよ」
言葉を返す彼女の名は「涼原(すずはら)カヤ」、今の私を温める居場所。
その意味については、後ほど彼女の口から語ってもらうとして……、なら話をもうやめなくちゃいけない。
そうだね、一枚の絵という窓をくぐった私たちはまず猛烈な勢いで天空から落下することになる。巻き込むつもりだった「
鮫氷しゃち」もまたきりもみに耐えられずに私から手を離すのだけど。
わたしも風圧に負けてもみくちゃにされるのだから同じく負けている。
かろうじてまぶたを開けることができた。額縁のなごりからは言いつけを守らずに部屋の中へ雪崩れ込むヴァンたちの絵が見えて、やがて視界から消えていった。
ここまでくれば「負ける」ってなんの意味だかわかりはしないな、今だから笑えるけれど、その時に漏れた笑いは苦しいものだったわ。
だけど、私は感謝している。
昇る月すら白くおぼろに塗り替える猛烈な吹雪の中で、私は肌の色を見つけたんだから!
最終更新:2020年07月29日 09:40