涼原 カヤ+絵肌の人魚エピソードSSその1『花散らず隔たりゆくは雪と月』
雪月花という言葉があります。
結論から言えば、雪とは私なのでしょう、月とはあなたなのでしょう。
よって、お花さんとはきっと私たちのことなのですね。
私の名前は涼原カヤ、ごくふつうの女子中学三年生です。
この「ふつう」という言葉をどう定義するかには私の中で諸説あるのですが、まぁ不自由なく暮らせているという時点でなんかふつうなのでしょう。
少なくとも、政府当局からのマークがないという意味では。
ま、色々と説明しなければいけないことはたくさんあるのでしょうが、とりあえずその前にひとつ、ふたつくらい語らせてください。
これは私が所属している異次元研究部である日起こった出来事なのでした。
きっと万人があこがれる放課後がやってくるのはここ妃芽薗学園でも変わりがないようです。にしても、なんで小数点以下切り捨てすればたった二名の部活動が公認されているんでしょうか。
学術文化会はこの人の元気さに騙されているんでしょうか?
「やぁやぁやぁ、見目麗しいお嬢さんよこんにちわ! ボクの墨俣一夜……じゃなかった不夜城! 我が栄光と斜陽の『異次元研究部』へようこそ!!!」
妖怪レーダーでも使って探知したのかドアを勢いよく開けるや、相手が誰であるのかを確認すらせずに声を張り上げます。ここでいう妖怪とは探知する対象でなくて、つまりは。
妖怪……じゃなかった、とてもにぎやかに対応するのはこの会で唯一の部長――、いや唯一……でしょうか? 不肖この涼原カヤにとっても自信がありません。
彼女は金のサイドテールを元気に振り回しながら、三つ下の私と比較しても小柄な体躯を走らせます。
おっと、第一声がこれではお客様が面食らってしまうではないですか。
私と比べても背をずいと押して入れ替わりとしましょう。えい。
「避けないでくださいよ。はい」「うわーお」
部長は私のぞんざいな対応にくるくると大げさに回転するや、部長席に着座します。
ま、部長席だなんていってもただのパイプ椅子なんですけどね。なんですかここは? ミュージカルですか、違いますか、残念。
「部長に代わり失礼します。こちらの方は当『異次元研究会』でたぶん唯一……いや、唯零点五くらいかな……の『小彼岸花(こひがん・はな)』さんです」
「そしてこのクールビューティーさんが唯一の部員さん『涼原カヤ』ちゃんだよー。で、あなたはだぁれ?」
「部長、私のセリフを取らないでください。それと、いささか語弊があるようですね。当部活動になにか御用向きでしょうか?」
振り返らずに適当に応対する傍ら、きちんと来客には応対します。しかり、目を見ますと瑠璃色の綺麗な瞳が私を映します。
「ぇ。はい……わたしは高等部二年の『瑠璃原夢月(るりはら・むつき)』と申します。はじめまして、小彼岸先輩、涼原さん」
なるほど、瑠璃原先輩は綺麗な人でした。私たちのドタバタに少しだけ常の調子を崩されたようでしたが。今は瑠璃色の素敵な瞳を見開かれています。
その驚く表情(かお)には彼女の常を知らない私たちをしてより良く見せるなにかがあったのです。
「睦月(むつき)……?」「おっと」
肩口をそっと撫でて独語を打ち消します。
「失礼ですが、瑠璃原先輩。下の名前にはなんという漢字を用いられているのですか?」
「眠りにつくとき望みを思い浮かべる時に見る『夢』、そして天空に浮かぶ『月』、わたしの名前はそう書きますが、なにか……?」
どうどうと肩先をたすきを架けるかのように抱いて、失礼しました。と私から一言。
瑠璃原先輩は一手こそ遅れましたが、先の質問にきちんと答えをくださいます。
「ついさきほどまで『靴磨きの少年』がいらっしゃったもので、その方がおっしゃられるにはここに行けばあなたの願いはかなうと……そう聞いたのです」
「へぇー、何とも抽象的な理由だねー。ふっふふー、で、その靴磨きの少年さんはいずこへ?」
いつの間に、割り込んだやら。
私「涼原カヤ」と彼女「瑠璃原夢月」のけして近くはない、けれど遠くもない社会的距離は下から覗き込む小彼岸部長に打ち消されます。
ぱちぱちと瞬きを繰り返す瑠璃原先輩、その答えはきっと出ません。コンマ単位ではないのです、きっと。
「ここは錆びても腐っても仮にも女子高なんだけどなあ……。ま、いっか!」
でも、いいんです。小彼岸部長、この人はきっとこれでいいんです。
いつだって野放図で、好き勝手をして、その実少しだけ、いつだって寂しげに見えるんですから。
それから数瞬、人通りのない寂しげな通用口から、どこから流れ込んだかぬるい熱気がわたしたちの頬をなぜて、瑠璃原先輩はひそかに目を細めたのです。
それを見て部長は、思い出したかのようにお客様を招き入れます。まるでどこかで遊んできた思い出を抱えて、うきうきと登下校の校門をくぐる小さな子どものように――。
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「なるほどー、みんなと同じものを見たいんだね、キミは?」
今度こそ皆さん、特に部長は大人しく着座しています。お客様用に万が一のために買っておいた高そうな茶葉が役に立ちました。
こんな場末の部室に用のある人なんているんですか?
という私の指摘をかわして、なぜか支給されていた部費を投入した部長の慧眼と言えるでしょう。すこしだけ、ほんの少しだけ、実に業腹でもあるのですけど?
そう、たとえば視点の問題。人は同じものを見ることが叶うのか? きっと永遠の課題だと思います。
たとえば、私が瑠璃原先輩の外見(そとみ)に抱く感想にしたってそうです。
「小彼岸部長? たとえばの話です。瑠璃原さんの瞳の色――何色に見えますか?」
「なーる。流石は涼原ちゃん。それとも、キミのオンディーヌの入れ知恵かい? 嫉妬したやうねー?」
空になったカップを努めて響くように置きました。
咳払いに代えて、黙るように促した仕草です。
「……ヘンなアクセントは置いといて。答え合わせをください、すみません、瑠璃原先輩、今少しお待ちください」
陽もだいぶ落ちてはきましたが、今は夏。果たして月は見えているのでしょうか?
いい加減くたびれた部室は、足下を遊ばせればおんぼろのタイルを蹴り上げてしまえそう。人造の地下に関わらず、蝉の鳴き声がしてしまうのは夏の風情を盛り上げようという粋な計らい? それともここが本物の青空を見上げるよりずっと地球に近いという自己主張?
とりとめのない思考は耳打ちによって破られて鼓膜を振るわせるのですが。
キンキンの声、二次元を帯びたような高い声はどこか翳りを宿していました。小彼岸部長のその声は、言葉の内容は満足のいくものでした。響きも決して嫌いではないのですけれど……。
「はいよー、こういうのはどうだい。お互いに目を合わせて相互理解というのは?」
「お見合いですか? お見合いなのでしょうか? いいのでしょうか? 嫁入り前の娘さん同士が?」
瑠璃原先輩は部長のテンションにいよいよ毒されたのか、よくわからないことを言いました。どこか目を伏せて悲しげな顔をしていた彼女は、ここまでまくしたてられた下からの勢いに顎を突き上げられたのでしょうか?
いいえ、言葉というのは別にアッパーカットではないのでしょう。
だけど、内容は伏せるにしても小彼岸花の言葉は人を勢いづかせるものがあるのかもしれません、きっとそうです。
「瑠璃原夢月さん、私の目を見てください。大丈夫、今の私なら死にません。だから臆さずに、どうぞ!」
「はい! ふつつかものですが!?」
少しボケたことは言ってみたはいいものの、疑問の声は抜けないようです。やはりガラではないのでしょうね。
それはそれでいいと思いますよ。部長のテンションはそれはそれで中毒性があることに変わりはないと思います。
麻薬は適法容量を守るのがいいと思いますから。
だから私はいうのです。一時の話に浮かされて、これが夢まぼろしだと知っていても、全き同じものであるという嘘を平気で言うのです。
「月は見えていますよ」
ありがとうございますの一言を受けて、私の心は地球の六分の一の重力に囚われて遊んでいました。
月の大気は思ったよりも冷たくて、私にとっては快適でした。
熱湯を越えた温度から、絶対零度に近づく温度まで、振り幅は大きく過酷と聞いてはいましたが、これくらいの過酷さならいつも身の内に宿すものでしたから。
わかりやすい月のクレーターを飛び越えて滞空する時間を測る余裕さえあります、一秒、二秒、それ以上でしょうか?
でも、これは本当に月が見えていると言えるのでしょうか?
嬉し気に弾む声を制して私は告げました。
「でも、それは嘘かもしれませんよ。見えているのは青い星ですから」
そんな……と落ち込む声を受けてぽふんと、私はアームストロング船長のマネのように、足跡を付けます。スニーカーの痕は彼のように仰々しく立派には見えませんでした。
「ここは幻の月なのですね。いつもあなたが見ている、皆様にきっと見せたがっている現実に限りなく近い月。だから声は聞こえど、瑠璃原先輩はここにはいない」
深々と降り積もる雪は時に熱さを宿し、時に凍てつく月を適度に冷やしていました。
まぼろしという名の現実であるからこそ、今の、私の身の内に留まって体の内を冷やすだけの魔人能力は働くのです。
かつてのように直径四周を雪の室に閉じ込めて時を止めてしまえる力を、外側に向けることは「今」の私にはできません。
同居人が鍵をかけてしまいました。
その代わりに、私はいつだって夢を見るかのように雪景色を見の内に宿すことが出来るのです。
瑠璃原先輩がいつだって見ることができる月の模様と、私が世界に施している雪化粧。
私たちが向き合って、一分たりとも光を逃さないとリレーする内に、世界は雪月花から花を抜いたものに変容を遂げました。
私が降り立った月は静寂に満ちています。
けれど雪の降り積もるかすかな音は、ほかの競争するなにものかがいないためか思ったり多く響きました。
「私の心象で侵略するようで申し訳ありません。けれど、雪月花のお花抜きは美しいと思いませんか? 雪が降るくらいですから、きっとこの月なら人は生きていけます」
返ってきた答えは静寂でした。
そうですね、地球を、瑠璃の星を見つめてくれる夢見る月は喋りません。
もし、堪能してくださるなら――。
私は月面をお散歩することをやめて、青い星のことを、私というちっぽけな生き物を体内に、肌の表層に取り込んでいるはずの大きな生き物を、美しいものを見ました。
きっと、瑠璃原夢月という綺麗な生き物はずっとこの景色を見ているから、綺麗な瞳をしているのだなと思いました。
きっと、それは正解だと思ったとき。
星は瞬きます、一瞬ですが、それは宇宙の闇。代わりの星を見つける暇もなく、遮るもののない傲岸な太陽の光がこちらにやってこようという時――。
手を猛烈な勢いで引かれる感触を覚えて、私は元居た部室に帰ってきていました。
「宇宙ってすごいね」
両の手をさすりながら珍しくぽつりと漏らす小彼岸花という「転校生」の言葉が最後でした。
私たちはその日に無言のうちに別れたのです。
瑠璃原先輩は雪化粧が施された月は、優しい冷たさに侵された生やさしい星は好まれなかったのでしょうか? それで目を閉じてしまったのでしょうか?
それとも、本当は私が光の届かない月のクレーターを棺にすることを望まれたのでしょうか? 今は、お互いに自分の心の整理が付いていないのかもしれません。
ただ、瑠璃原先輩の瞳は、瑠璃色の星の光を宿してとても綺麗でいつまでも見ていたかった――、それだけは言えます。
単に目をくりぬいて持って行けば永遠にできるなんて野暮な発想ではなく、意志の光を宿す尊さを知ることが出来ましたのです。
そうですね……、いささか要領に欠く話だったと思いますが、その辺は後日談で申し上げることにして今は口をつぐませてください。
ご清聴ありがとうございました、リューダ、その時はぶってごめんなさい……。
最終更新:2020年08月08日 18:02