【屋内グラウンド】その2「Happy Refrain」



 ――幸福が幸福であるのは、君が正しく人間であるからだ。一部の人間にとっての幸福は、多くの人間の不幸となる。



 屋内グラウンド、普段は姫代学園の生徒が健康的に動き回っているが、今現在その屋内グラウンドは喧騒に包まれてはいなかった。
 サッカーコート程はあるのではないかと思われる広さのグラウンドはその全てに光が通っておらず、不気味なほどに静かだ。
 いや、ただ静かなわけではない。音が無いのだ。
 人の声も、足音も、虫の声や風の音すら聞こえない。
 そんな不気味な程に静かな空間で足音が響いた。
 余りにも静かな空間は、小さくしようと抑えた足遅さえ、拾ってしまう。
 だが、その足音の発信源である女、コレクターはその状況に笑ってみせた。
 その表情は面白いと言わんばかりだった。
 そして、屋内グラウンドの中央にコレクターは進む。
 中央に辿り着いた時、彼女はその眉を少しあげた。
 普段ならばこんな深夜に人が居るはずもなく、彼女がこんな時間に出会うとしたら、顔なじみの警備員かもしくは彼女の獲物である怪異ぐらいの物なのだが、その場所には跪く女がいた。
 暗くて跪いているように見えることと、髪の長さから女であることぐらいしか分からないのだが。
 まさか、自分以外の人間がこんな時間、こんな場所にいようとは。
 コレクターは少し迷ったような表情を浮かべる。
 彼女の獲物は怪異であり、人間ではない。
 勿論、怪異となってしまった人間を取り込む事も彼女の能力であり、すべきことであることに違いは無い。
 しかし、目前の女からはまるで怪異のような雰囲気は感じられない。
  それは、コレクターにとっては関わる必要のないものではあるのだが、なんだかとても、嫌な予感がしていた。
 背筋を突き刺すような、この感覚は彼女にとって初めての事ではない。
 かつて時間を移動する元人間の怪異を捕まえようとした時のこと、突然部屋の隅から煙が出てきてあの時は咄嗟のことで逃げる以外の選択肢が浮かばず、何が起こったのかは分からなかったがあの時と似たような何か嫌な感覚が、目の前の女から感じるのである。
 脳の奥では警鐘が鳴り響いている。
 しかし、目の前の少女は……暗くてその見た目はよく見えないが、確かに人間だ。
 矛盾した本能と思考が、結果的にはコレクターを追い詰めることになった。

 「あの」

 突然話し掛けられてコレクターは思わず返してしまう。

 「え、ええ」

 そして、目の前の少女から発された言葉は、コレクターの嫌な感覚が正しいものだと認識させた。

 「あなた、私を殺してくれませんか?」

 その言葉に感情は無く、ただの言葉として風に乗る。
 コレクターは反射的に、スクラップブックを広げ、その中の怪談を呼び出す。
 彼女の能力は、倒した怪異をスクラップブックに怪談として取り込み、その怪異や力を自由自在に呼び出すことができる。
 とても優秀な能力ではあるのだが、呼び出すときに詠唱を必要とすることが彼女にとっては少し傷だった。

 「『ねぇ、知ってる?昔々、鬼が居た時代にはね、目が15個もある大きな鬼が居たんだって。その鬼は人を食べちゃうらしいよ。そんな鬼が、現代に蘇ったんだって』」

 ひとりでにスクラップブックが宙に浮かび、そのページがパラパラとめくれ始める。
 コレクターが数歩後ろに下がると同時に、スクラップブックのページがめくれるスピードは早くなり、やがてその周囲を強い風が吹きすさぶ。
 そして、スクラップブックが閉じてコレクターの元へと戻った時には、その場に大きな、大きな鬼、伝説の怪異、酒呑童子がそこに居た。
 酒呑童子は筋骨隆々で大変巨躯であり、自分の体の倍の大きさはありそうな棍棒を持ち、そしてその顔には15の目が存在していた。
 酒呑童子が、叫び、目の前の女へと棍棒を振りかざす。

 「GU GUGOOOOOO!!!!!!」

 「悪く思わないでちょうだいね? アナタは、放っておいてはいけない気がするの」

 コレクターの言葉の後、酒呑童子の放った一撃は、目の前の女を吹き飛ばす。
 そしてその瞬間、幸運なことに見えづらかった屋内グラウンドには光が灯り、コレクターの目にハッキリと、その光景が映ることになった。

 その光景に、コレクターは驚愕した。
 酒呑童子がいつの間にか迷い込んでいたのか、この学園の者であろう女子生徒を貪り食っている。
 生々しい租借音と、恐怖と痛みで叫ぶ女子生徒の悲鳴。
 酒呑童子はその悲鳴に満足したのか、手に持っていた陶器の椀に入った液体を飲んで鈍く笑う。
 よく見れば、酒呑童子が胡座の体勢で座っている足の付近には、大きな酒瓶のようなものが立てられている。
 いつの間にか、女生徒の悲鳴は聞こえなくなっていた。
 コレクターはその異常な光景に理解を拒むが、酒呑童子が次の女子生徒を喰らおうとその腕を引きちぎろうとした時には、そのスクラップブックを再度開いていた。

 「『姿が見えないのに、不気味な声が聞こえる事とか、あったりするよね? それ、昔から存在するある怪異の仕業だって、知ってる? 放置してたら殺されちゃうかもね』」

 スクラップブックが、宙に浮かび、そのページをめくる。
 風が吹きすさび、しかし今回はコレクターは下がらなかった。

 「来なさい、鵺!」

 コレクターの呼び声に応え、吹き荒れる風の中心から、頭は猿、胴体は狸、手足は虎、尻尾は蛇の伝説上の生き物、鵺が姿を現す。
 その体躯は酒呑童子よりは小さくも、それでも巨大であり、コレクターの傍で低く唸り声を上げている。
 食事を邪魔されたと思ったのか、喰らおうといたぶっていた女子生徒を放り投げ、棍棒を片手に立ち上がる酒呑童子。

 「GAAA……」

 酒呑童子が棍棒を振り、それを鵺が避ける。
 鵺は避けると同時にその爪を酒呑童子へと振りかざす。
 鬼と鵺の戦闘が始まった。
 酒呑童子がその巨大な巨躯を活かし大振りな攻撃をするのに対し、鵺は身軽な速度を活かして酒呑童子を翻弄している。
 コレクターは鵺が優勢な事を確認すると、放り投げられた女子生徒の元へと走った。

 「今、安全な場所に運ぶわ」

 女子生徒の元へ辿り着いたコレクターはそう言って、女子生徒を戦闘から遠ざけ、屋内グラウンドの隅へと運ぶ。
 改めて女子生徒の様子を確認するが、女子生徒の身体はかなり酷い招待だった。
 その片腕と片足が根元から千切り取られており、放り投げられた衝撃で頭から血が流れている。
 掠れた呼吸をしており奇跡的に生きてはいるが、いつ死んでもおかしくない状況であった。

 「っ!……『不老不死、なんて存在しないよ。だってそれは神様の物だもの。だけど、何でも回復する物って言うのは存在するんだよ。気になるかい?そうしたら、人魚を探してごらん』」

 コレクターの口から語られた言葉、そうして先程の酒呑童子や鵺のように、その風の中心からは上半身は美しい人間の女性、下半身は魚の尾ヒレを持つ人魚が現れた。

 「マリン、この子を!」

 マリン、と呼ばれた人魚はコレクターの言葉で女子生徒を見て頷く。
 マリンが女子生徒を抱き締めると、女子生徒の体が光に包まれ、そしてその光が治まると、女子生徒は怪我ひとつない綺麗な身体へと戻っていた。

 「……っ、あ、あぁ!わたっ、わたしっ!?」

 女子生徒が目を覚まし、取り乱す。
 震えて泣き出した女子生徒をコレクターは抱きしめ、優しく声を掛ける。

 「大丈夫、大丈夫よ。もう、大丈夫」

 コレクターは女子生徒を安心させる為に身体を更に深く抱き寄せる。
 コレクターの視線の先では、未だ酒呑童子と鵺が争っている。

 「どうして……」

 今まで一度だってこんなことは無かった。
 何かイレギュラーが生じていることは間違いない。
 コレクターが考えを巡らせていると、答えが自分のほうからやってきた。

 「それが、あの方の幸福だからです」

 「マリン!」

 掛けられた言葉に、コレクターは鋭くマリンを呼ぶ。
 コレクターは女子生徒をマリンに預け、2人を背後に守り立つ位置で、その声の主と相対する。
 コレクターの目の前には、巫女服の上から全身を縛り付ける鎖と、後ろ手に拘束するように手足と首を鎖で繋がれた女が居た。
 その身体は血だらけで、腕や足が変な方向へと曲がっている。
 しかし、女は痛がる素振りも無く、コレクターを見つめる。
 コレクターは鋭く女を睨む。

 「……あれは、アナタの仕業ね?」

 コレクターの言葉に、巫女服の女は首を傾げる。

 「私の……?……いえ、あれはあの方の幸福なのです」

 「このスクラップブックに収集した怪異は、私の意思無しでは人を害すことは出来ない、そうされているのよ」

 コレクターの言葉に、女は嬉しそうに声をあげる。

 「あぁ!それは私の能力ですね!私は傷幸ノ巫女、私が傷を受けると、周囲の人間は幸せになるんです!」

 女は続ける。

 「ふふ、あの方……酒呑童子さんでしたか、あの方は私を傷つけた事により幸福になったのです。昔のように、好きなだけお酒を飲み、人間を食べたいと!」

 女は嬉しそうに笑い出す。

 「ふふ、ふふふ……、あぁ、素晴らしいですね。これは救いです、救いなのです。私が死に近づく代わりに、あの方と貴女は幸せになった!」

 「私が……?何を、言っているの」

 コレクターの言葉に、女は不思議そうに問い返す。

 「でも、貴女のその本、増えましたよね?幸せですよね?」

 「っ!?」

 女の言葉に、コレクターは素早くスクラップブックをめくる。
 確かに、そこには存在していた。
 コレクターの知らない怪異、出会ったことも、聞いたことすらない怪異。
 コレクターが倒した怪異しかスクラップブックには取り込めないはずであるのに、確かに怪異が増えているのだ。

 「アナタ、何者?」

 「私ですか?私は三芳過去、巫女です。貴女の名前をお伺いしてもよろしいですか?」

 「……コレクター、そう、呼ばれているわ」

 コレクターの返答に、過去はとても嬉しそうな顔をする。

 「コレクター、素敵な名前ですね!」

 「アナタ、全然嬉しくなさそうな顔をするのね」

 コレクターの言葉に、過去はその動きを止める。

 「どうしてですか?嬉しいです。私は嬉しいですよ!こんなにも幸せです。幸福です。幸せなんです。幸せですよ?だから嬉しいんです。嬉しくなさそうな顔なんて出来ませんよ!嬉しいんですから!」

 過去の言葉は、コレクターにとって理解のできない物であった。
 怪異を相手にしているようであり、しかし過去は怪異よりも壊れているような感覚を感じるのだ。
 過去の言葉は、その全てが表面的な物で、本当の言葉を言っているようには感じない。
 言葉の通じぬ化け物を相手にしているかのようだった。

 「……アナタ、怪異よりも怪異らしいわ。心が、無いのね」

 コレクターの言葉に、過去の表情は固まる。

 「可哀想ね、アナタ。アナタが1番不幸そうだわ」

 その言葉に、過去は再び嬉しそうな笑みを浮かべる。

 「それは、貴女が幸せになったということです!嬉しいです!もっと幸せになりたいですか?それなら、私を殺してください!私は私が殺された後のこと知らないですけど、でも私が傷を受けた時よりも大きな幸福を得られますよ!さぁ、殺してください。貴女じゃなくても、そこの彼女達でも構いません!」

 まるで抑揚の無い言葉、その言葉に指名された女子生徒はビクッと身を震わせる。
 コレクターは舌打ちをして、女子生徒から過去が見えないように立ち塞がる。

 「こういう、真似をするのは私の役目ではないのだけれど、私のせいでもあるのだから、仕方ないわね」

 「あれ?あれ?コレクターさん、どうしたんですか?あの子が見えませんよ」

 「……救ってあげるわ。傷を付けず、死なせもしない。封印することでアナタのその人生に幕を下ろしてあげる」

 コレクターはそう言いながらスクラップブックを開こうとする、が。
 女子生徒の声が響く。

 「避けてッッ!!」

 その声に反応し、コレクターは1歩下がろうとするが、いつの間にかコレクターの目の前に居た酒呑童子がコレクターをそのまま棍棒で薙ぎ払った。

 「ぐっ!?」

 鵺との戦闘で消耗しているとはいえ、その威力はコレクターの意識を揺らすには十分な威力を持っていた。
 コレクターは立ち上がろうとするが立ち上がることが出来ず、その霞み揺れる視界を維持し気絶しないよう意識を強く持つことしか出来ずにいた。
 コレクターの視界の先では、女子生徒とマリンを守るように鵺が立ち、酒呑童子を威嚇している。
 しかし、視線の先には過去の姿が見当たらない。

 「アイツ……どこにっ…!」

 「私ですか?ここにいますよ」

 その言葉は、コレクターの真横から聞こえた。

 「もう、私を助けるなんて、ダメですよ。それじゃあ幸福になる人が減っちゃいます」

 コレクターがその言葉に視線を横に向ける。
 そこには、嬉しそうな顔の過去がコレクターの視線に合わせ寝転がっていた。

 「っ!!」

 コレクターは言葉を失う。
 その目は深い闇であった。
 まるで吸い込まれそうな暗闇を有しており、見ているだけで心が蝕まれそうだ。
 過去は嬉しそうな表情を動かすことなく、口だけを動かして喋り続ける。

 「私は救われることなんて望んでないんです。だってそれじゃあ、私の意味は無くなっちゃいますよね?必要のない子になっちゃいます。私は殺されることで幸せになれるんです。皆を幸せにできるんです。私からその幸福を奪うのは酷くないですか?酷いですよね。だから、ちょっとお仕置きしちゃいました。もう反省しましたか?ふふ、ちょっと待っいてくださいね」

 過去は一方的に捲し立てると、突然その頭を地面に叩きつける。
 すると、コレクターの傷はどんどん治っていった。
 コレクターは即座に距離をとる。

 「アナタを殺す?冗談じゃないわ。アナタを殺したことで一体何人の人が死んだのかしら」

 過去は悲しそうな顔を浮かべる。

 「んー?分かんないです!でも……、困っちゃいます!自殺じゃ幸福はあまり増えないんです。何度かやったことあるんですけど、違反?になっちゃうのか、神様からダメって言われちゃって!」

 過去のその答えは、普通ではなかった。

 「そう、今のを聞いて確信したわ。アナタは殺してはいけない」

 スクラップブックを構え、コレクターは続ける。

 「アナタは人間の1番の幸せは死ぬことだと思っている」

 コレクターの言葉に過去は悲しそうな顔から一変、笑顔になる。

 「分かってくれたんですね!」

 「ええ。やっぱり、アナタは封印しなくてはいけないわ」

 コレクターはスクラップブックを開く。

 「こういう事は柄じゃないのだけれど、このままアナタをそのままにしておけば運命は捻じ曲げられて修復が不可能になるわ。世界の在り方を簡単に変えてしまうアナタは危険よ」

 コレクターの言葉に、俯き返事を返さなくなる過去。
 そんな過去を無視して、コレクターはスクラップブックの怪異を呼び出そうとする。
 しかし、コレクターの言葉は最後まで紡がれることは無かった。
 過去が顔を上げた時、コレクターは過去から大きな恐怖を感じ、思わずその言葉を止めてしまったのだ。

 「ダメですよ?」

 たった五文字なのに、それがどうしてこんなに恐怖を感じるのだ。
 コレクターにはその答えを出すことは出来なかった。
 1つだけ、目の前の女は今まで出会った中でもトップクラスに不味い存在だということだけは理解することが出来た。

 「ああ、許されません。一度はともかく二度までも!それは私にとって敵ということ」

 過去の過去だったものが変化していく。
 ──いや、歪められていた認識が、正しいものに戻っていった。
 過去自身の見た目は変わっていない。
 しかしコレクターの目の前に居るのは、ただの人間ではなかった。
 長い、永い年月を重ねて、大きく膨れた負の塊。
 悲痛、憎悪、嫉妬、それは幼き少女が抱えきれずに抑え込んだ感情。
 一体どれほどの時間が、目前の彼女をこんな風になるまで壊してしまったのだろうか。

 ♢ ♢ ♢

 一瞬、邪神か何かが表れたんじゃないかと、本当にそう感じた。
 それほどに、目の前の存在は強大だと認めざるを得ない。
 今まで何体も怪異を倒してきたけれど、それとは次元が違っている。
 ……逃げることも考えなきゃいけないかしら。
 ちらと、マリンのほうに視線を向ける。
 私は、折れそうに、屈しそうになる心をなんとか奮い立たせる。
 なんとも、私らしくない。
 いつだって私はリアリストで、現実が見えている……のくせして、今の私はその逆。
 けれど、嗚呼。
 私の中の熱は、守れ、戦え、救えと騒がしい。
 なら、それならば、応えよう。
 私の中の熱がここまで叫ぶのなら、ここは私の戦場だ。
 深呼吸をする。
 心臓がバクバクと速いリズムを響かせる。
 奮い立て、私はコレクター、怪異に抗い、怪異を取り込む者。


 ♢ ♢ ♢

「『ドッペルゲンガーって知ってる?この世界には裏側があって、いつだって表の自分を殺して成り替わろうとその機会を狙ってるらしいよ。ほら、あなたの後ろにも!』」

 コレクターが震える声で、しかしハッキリと唱えた。
 詠唱が終わると、コレクターの前には全身真っ黒な過去が居た。
 ドッペルゲンガー、かつてコレクターが苦戦した怪異であり、その強さは折り紙付きだ。
 過去の元へ駆け出すドッペルゲンガー。
 ドッペルゲンガーの過去が思い切り腕を振り、それを後ろに下がることで回避する本物の過去。
 ドッペルゲンガーの過去のほうが押しているように見えるが、コレクターには正しく理解できていた。
 今の自分の実力では、殺すことはできても、封印することも、救うこともできない。
 だから、きっとこれが最善だ。
 気づけば、ドッペルゲンガーの過去に酒呑童子が襲い掛かり、ドッペルゲンガーの過去は明らかに消耗していた。

「アナタに敵わなくても、私は私の最善を尽くすわ」

 コレクターがそう言い放つと同時、スクラップブックを頭上に掲げた。
 すると、ドッペルゲンガーの身体がコレクターの腕に吸い込まれ、そしてコレクターの腕は黒く、腕というよりもブラックホールのような、黒い棒になっていた。
 コレクターが駆け出し、過去にその腕を突き出す。
 するとコレクターの腕が、過去の体の中に吸い込まれた。
 腕を中心に、過去の身体から黒い靄が漏れ出ている。

「幸福になりたいのですね!やっと、分かってくれましたか!」

 過去は突き刺された腕を抜こうともせず、逆にコレクターを抱きしめ、自分の身体の中へ取り込もうとする、が。
 コレクターはその口角を吊り上げ、笑った。

「言ったでしょう、最善を尽くすと」

 コレクターは、その額に大量の汗を流しながらも、過去の身体から何かを抜き取ろうとしていた。
 その様子は、誰がどう見ても精神的に限界なのが分かる。
 しかし、コレクターは手を放さず、そして抜きとった。

「鵺!!」

 その言葉の直後、背中に女子生徒とマリンを乗せた鵺が表れ、コレクターの服の襟首を咥えて後ろに大きく跳んだ。
 コレクターの手には黒いボールのようなものが握られている。

「私の能力はね、怪異の能力を借りることもできるのよ。ドッペルゲンガーの能力は、真似した者の繋がりを奪うこと」

 一呼吸おいて、コレクターは笑う。

「アナタの元世界との繋がりを、奪わせてもらったわ」

 コレクターの言葉に、過去は胸に手を当て、そしてコレクターに手を伸ばした。
 しかし、コレクターは更に距離を取り、ほほ笑む。

「私はこの学園から去るわ。もうこの地を踏むことはないでしょう。……もう会うことはないでしょうけど、アナタが救われることを願っているわね」

 その言葉を最後に、コレクターは屋内グラウンドから姿を消し、そこには過去の姿以外残っていなかった。
 過去はコレクターの出ていった出口を見つめ、やがて諦めたのか座り込んだ。
 その表情からはその感情を汲み取れないが、しかしどこか、嬉しそうであった。




最終更新:2022年10月16日 21:25